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「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」

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ディレクター

ディレクターズ・メッセージ

写真は、もはや地球というスケールを飛び越え、新しい星のようになってしまったのではないでしょうか。星雲状になった無数の写真の群れがもう一つの惑星のように地球の周りを覆っている。写真が誕生してまもなく2世紀が過ぎようとしていますが、この間に生み出された写真は天文学的な数に及び、特にデジタル・テクノロジーやネットワーク・メディアの革新が連鎖した20世紀末以降、その厖大(ぼうだい)なイメージは今や粒子化した圏(スフィア)となり、地上のあらゆる光景を記録するもう一つの次元をつくりだしているかのようです。

この展覧会は20世紀を代表する写真家ウィリアム・クラインの写真を出発点に、20世紀から21世紀へ至る都市ヴィジョンの変貌をかつてないダイナミックな写真の見せ方で提示しようとするものです。

クラインは1956年に写真集『ニューヨーク』で衝撃的なデビューを果たし、その後、ローマ、モスクワ、東京、パリ...と世界を疾走しながら次々と挑発的なイメージを放射し、また写真ばかりではなく映画、絵画、デザイン、ファッションといったジャンルを跨ぎながら現代視覚文化に決定的な影響を与えたスーパースターです。

そのエネルギッシュなクラインの写真を核に、21世紀の都市と人間を見つめ、写真の枠を乗り越えてゆこうとする日本とアジアの若いアーティストたちの野心的な試みを対比させてみたいと思ったのが、この展覧会のきっかけです。
クラインの足跡を辿ると、その軌跡がイメージの巨大な実験場だったことがわかります。ブレボケアレ*といった画像の揺籃(ようらん)、タイポグラフィとイメージの劇的な新結合、都市の底知れない力を浮上させるコラージュ、壁や建築と写真の融合、ガラスの中に宙吊りにされた写真と、様々な視覚実験を繰り返してきました。今ではありふれた展開のように見えますが、当時のクラインが時代と対決しながら挑戦してきた数々の試行は、物質と非物質の狭間で大きく揺れ動くイメージの時代の今こそ、再発見しなければならないもののように思います。

亡くなった日本を代表する思想家の多木浩二さんが指摘したように、クラインの写真は「作品ではなく、"写真の概念"を示す。だから常に新しい」のです。

この展覧会に参加する日本やアジアの若いアーティストたちは、それぞれ独自の想像力と創造性を持ちながら、クラインの写真の記憶と冒険を受け継いでいるように思います。彼らの多元的な表現世界は一つ一つの生きた小惑星であり、現代のヴィジュアル・コミュニケーションの均質性を打ち破る生命力を内包しています。

クラインの『ニューヨーク』はもともとアメリカのどの出版社も引き受けてくれなかったのですが、パリのスイユ社から「ル・プティ・プラネット(小惑星)」という旅のシリーズ本を編集撮影していたあの偉大な映画監督クリス・マルケルが、この写真集を出版できなければ自分が出版社を辞めるとまで宣言し、ようやく陽の目をみることができました。

「カメラを持って都市に出ると、あらゆるものが私を興奮させる」とクラインは言いましたが、これらの小惑星の集合に秘められた22世紀都市の瞬きや息吹きを感じながら、写真の未来に想いを馳せたいと思います。

伊藤俊治

*ブレボケアレ:対象の動きがブレた不鮮明な写真、ピントがボケた曖昧な写真、荒れた粒子の写真が既存の写真美学を乗り越えるために用いられた

プロフィール

伊藤俊治 Toshiharu Ito

多摩美術大学美術学部教授を経て、現在、東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授。芸術、教育、社会活動に多数取り組み、異業種交流のデザインネットワークである東京クリエイティブの設立企画運営、異文化融合と共同創造の実践的教育機関である大阪インターメディウム研究所の企画運営、都市創造型のワークショップスタジオ/東京アート&アーキテクチュア&デザイン(ADD)スタジオのディレクション、国際交流基金国際展委員、文化庁芸術文化振興基金審査委員、東京都写真美術館企画運営委員、川崎市民ミュージアム収集委員、相模原市写真芸術祭特別運営委員、彩都国際文化都市企画委員、読売新聞読書委員、NTTインターコミュニケーション・センター・コミッティ、大阪インターメディウム研究所講座統括ディレクター、東京ADDスタジオのディレクター、2005年日本万国博覧会デザイン委員会委員長などをつとめる。主な著書に『写真都市』(冬樹社)、『20世紀写真史』(筑摩書房)、『ジオラマ論』(リブロポート)、『20世紀イメージ考古学』(朝日新聞社)、『電子美術論』(NTT出版)、『情報映像学入門』(オーム社)、『情報メディア学入門』(オーム社)等多数。