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企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」
開催概要

contents

ディレクター

ディレクターズ・メッセージ

翻訳とは通常、ある言語で書かれたり話されたりする言葉を、別の言語に変換することを指しています。しかし、一つの言語で言葉を発するプロセスそれ自体も、一種の翻訳行為とみなすことができます。

アメリカのSF作家であり、自身の作品執筆に加えて、中国語で書かれたSF作品の英語翻訳も精力的に行っているケン・リュウは、「あらゆるコミュニケーション行為は、翻訳の奇跡だ」と書いています*。わたしたちは、ただ生きて、呼吸をしているだけの時でも、周りの世界から様々な色や形、香りや手触りといった膨大な量の情報が体に流れ込んできます。それらが無数の神経細胞を走り、身体感覚が感情に転化され、「なんて気持ちの良い日なんだろう」とか、「ああ、悲しい朝だなぁ」などという言葉がひとりでに口から出てきたりします。この時、わたしたちは目の前に広がる真っ青な空の色や、肌寒い冬の空気の冷たさといった、自分を取り巻く世界そのものの在り方を翻訳していると言えるでしょう。

このような翻訳を行う時、誰しもが少なからず「うまく言い表せない」もどかしさを感じます。わたしたちは常に、精一杯の語彙や身体表現を用いて、沸き起こる様々な感情をなんとか他者に伝えようとしますが、そもそも自分でも完璧にその感情を翻訳しきれることはないのです。

コンピュータが精確にデジタルデータを複製したり転送したりするようには、わたしたちは情報を伝えることはできません。わたしたちのコミュニケーションには、根源的な「わかりあえなさ」が横たわっています。それでも、わたしたちは互いの「言葉にできなさ」をわかりあうことはできます。別の言い方をすれば、わたしたちがどのように自分の感覚を翻訳しようとしているのか、という過程についてもっと知ることができれば、「わかりあえなさをわかりあう」ことができるでしょう。

人は幸いにして、表現のしづらさをバネにし、新たな「言葉」をつくり出すことで、それまでできなかったような翻訳を行えるようになります。この展覧会では「翻訳」を、わかりあえないはずの他者同士が意思疎通を図るためのプロセスと捉えて、普段から何気なく使っている言葉の不思議さや、「誤解」や「誤訳」によってコミュニケーションからこぼれ落ちる意味の面白さを実感できるような、「多種多様な翻訳の技法のワンダーランド」をつくろうとしました。

現在、世界中に7,000を超える言語が存在していると言われています。ひとつの言語が「全ての言語の海」を漂っているのだと実感できれば、日常で使う言葉に対して新しい感覚が生まれるでしょう。また、異なる文化の中で生み出された、他の言語への翻訳が困難な言葉について知ることで、わたしたちの感性はより多様になります。そこから、文字以外の言語の世界へも飛び込んでみましょう。身振り手振りを使い、瞬時にして風景をその場に描き出す手話は、耳が聞こえる人の表現をも豊かにしてくれます。言葉にしづらい感覚を、その場で絵にしてくれるグラフィック・レコーディングによって、わかりあえなさを越えた共感が生み出されます。また、古代の人々がつくり上げた文化に、現代人が新たな解釈を与えて新しい息吹を与える行為も、時を越えた翻訳行為とみなせるでしょう。そして、人同士のコミュニケーションにとどまらず、微生物や植物、動物、そして無機物と対話しようとする営みの数々もまた、「翻訳」の射程を押し広げます。

この展示を体験し終えた後、あなたの中ではどのような翻訳の可能性が芽吹くでしょうか。この世界に存在するありとあらゆる事物と心を通わせるための、未だ見ぬ言語を想像していただければ幸いです。

*Ken Liu, The Paper Menagerie and Other Stories, Preface, Head of Zeus, 2016

プロフィール


写真:望月 孝

ドミニク・チェン Dominique Chen

博士(学際情報学)。使う言語は日・仏・英。日本、台湾、ベトナムの血を引くフランス国籍。幼少時には50カ国以上から生徒が集まるインターナショナルスクールに通い、日々「翻訳」を体感して過ごす。現在は早稲田大学文化構想学部・准教授。2016~2018年度グッドデザイン賞の審査員・フォーカスイシューディレクター・ユニットリーダーを務める。XXII La Triennale Milano『Broken Nature』展(2019.3.1〜9.1)でぬか床ロボット『NukaBot』、あいちトリエンナーレ2019『情の時代』展(2019.8.1〜10.1)では人々の遺言の執筆プロセスを可視化する『Last Words/TypeTrace』を出展。
主な著書に、『未来をつくる言葉:わかりあえなさをつなぐために』(新潮社)、『電脳のレリギオ:ビッグデータ社会で心をつくる』(NTT出版)、『インターネットを生命化する:プロクロニズムの思想と実践』(青土社)、『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック:クリエイティブ・コモンズによる創造の循環』(フィルムアート社)等。
共著に『情報環世界:身体とAIの間であそぶガイドブック』(NTT出版)、『謎床:思考が発酵する編集術』(晶文社)等。訳書に『ウェルビーイングの設計論:人がよりよく生きるための情報技術』(BNN新社)、『シンギュラリティ:人工知能から超知能まで』(NTT出版)等。