21_21 DOCUMENTS

21_21 DESIGN SIGHTが10周年を機に新たなスペースとなる「ギャラリー3」を携えて生まれかわります

デザインを通して、日常のできごとやものごと、人びとの営みにかかわるさまざまなことを考え、世界に向けて発信し、提案を行なう場として、2007年3月に開館した21_21 DESIGN SIGHT。以来、34の展覧会を含むプログラムを開催、多くの方々に来場いただきました。

そして10周年を迎える2017年3月、開館以来の活動趣旨をさらに発展させていくため、新たな活動拠点「ギャラリー3」を開設します。

従来の「ギャラリー1」「ギャラリー2」(建物地下の2つの展示室)に続く、「ギャラリー3」では、デザインに触れるスペースとして広く一般の方へ開放するほか、デザイン関係者はもちろん、企業や教育機関、研究機関、各国の文化機関等との密な連携によって、展示やイベント、ワークショップなどさまざまなプログラムを共同で実現させていきます。

今春には「ギャラリー3」のオープニング企画として、10年間の活動をふまえつつ、デザイン、生活、社会の今後を考えるプログラムを予定しています。

2007年の開館から今日までの歩みを大切に、21_21 DESIGN SIGHTでは今後もさらに、デザインの視点で広く周囲に目を向けていく活動を継続していきます。


©安藤忠雄建築研究所

21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー3

オープン:2017年3月31日
設計:安藤忠雄建築研究所
展示室:109.6㎡(天井高〜4.26m)
構造:RC造一部S造 地上1階

いよいよ開催!企画展「アスリート展」

いよいよ明日開幕となる「アスリート展」。開催に先駆け、会場の様子をお届けします。

私たちは、普段の何気ない動作のひとつひとつに生じる「反応し、考え、行動に移す」という一連のプロセスに、身体・思考・環境が相互に影響しあった知覚=センサーを張り巡らせています。アスリートは、日々の鍛錬によって身体能力を高めることはもちろん、自らのセンサーの感度を極限まで研ぎ澄ませることで、自身に起こる微細な変化に気づき、順応し、その能力を最大限に発揮すべき瞬間に、一歩一歩近づいていきます。

本展では、アスリートの躍動する身体を映像や写真で紹介するほか、体感型の展示を通して、アスリートをかたちづくる様々な側面をデザインの視点から紐解いていきます。

トップアスリートの経験を踏まえ様々な活動を行っている為末 大、デザインエンジニアの緒方壽人と研究者/映像作家の菅 俊一との3名を展覧会ディレクターに迎え、様々な分野で活躍する参加作家、企業、団体機関と協働する展覧会となります。 さらなる高みに挑み続ける「アスリート」の鼓動を是非体感してください。

Photo: 木奥恵三

アスリート展 ディレクターズ鼎談
為末 大 × 緒方壽人 × 菅 俊一 vol.3

2月17日からスタートする企画展「アスリート展」。これまで第1回、2回と更新してきたディレクター鼎談もいよいよ最終回。締めとなる今回は、展覧会の作品たちを通して来場者にどんなことを伝えたいのか、伝えようと思っているのか、「アスリート展」が目指すものについて話を聞きました。
(構成・文:村松 亮)

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日常の動作の中に
アスリートを見出す展覧会

2017年1月、新豊洲Brilliaランニングスタジアムにて

緒方:僕ら3人が目指してきたものって、何もこの世の中に存在していないものを見せてやろうっていうことではないと思うんです。むしろ日常の中に隠された美しさとか面白さとかを再発見して、デザインし直して伝えたい。そういう欲求の方が強いんです。

菅:アスリートにとっては当たり前なことでも、一般の人からすると、未知の領域なことがある。アスリートの方からすると、そんなこと? と思われるような常識や日常をデザインやアートの解釈で捉え直すと、きっとアスリートの方々にとっても新鮮に映るように思います。

ーーアスリートが来場した場合、どんなものを持ち帰ってくれるでしょうね。

為末:アスリート自身が自分たちの捉え方を変えることができる展覧会になると思います。会場でどんなことが起こっているのかをアスリートの目線でいうと、「スポーツの中にある日常動作との類似点を見出している」となりますし、逆に一般の人からの目線でいうと、「日常の動作の中にあるスポーツを見出している」となるわけですから。

菅:どちらにも共通していえるのは、身体がともなうことですね。

為末:それとどちらも「よく考えてみると」っていう枕詞がつくのかもしれない。あくまで無意識の領域のことを深く考えてみた、というアプローチですから。

ーー来場された方にはもし見所を伝えるならば?

緒方:21_21の展覧会のつくり方が他のギャラリーや展覧会場ともっとも違うのは、スタート時にキーワードしかないということです。その"アスリート"という言葉がひとつあって、リサーチをしていく。今回であれば大学教授から専門家から関係施設や競技者まで、膨大なリサーチを通して全体像が徐々に見えてくる。そのプロセスごと作品化して展示しているので、展示作品の何が目玉というわけでもないですし、むしろ、全体の流れとしてひとつの作品となっているのだと思います。

菅:ゴールがわかっていない。これが面白かったところですよね。分かりきったテーマで、ゴールが見えるならきっと僕らがやる必要はなかったと思いますから。未知の領域のものをデザインし直しているので、まだ誰も具現化していないものをつくっている。そして僕ら自身も会期当日を迎えるまで、できあがるのを楽しみにしているところです。

ディレクターズ紹介 3

すげ しゅんいち:
1980年生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。人間の知覚能力に基づく新しい表現を研究・開発し、様々なメディアを用いて社会に提案することを活動の主としている。主な仕事に、 NHK Eテレ「2355/0655」、BRUTUS「行動経済学まんが ヘンテコノミクス」、21_21 DESIGN SIGHT企画展「単位展」コンセプトリサーチ、著書に『差分』(共著・美術出版社)、『まなざし』(ボイジャー)。主な受賞にD&AD Yellow Pencilなど。多摩美術大学統合デザイン学科専任講師。

アスリート展 ディレクターズ鼎談
為末 大 × 緒方壽人 × 菅 俊一 vol.2

2月17日からスタートする企画展「アスリート展」。そのディレクター鼎談の第2回目を更新。「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」にて実施された為末によるランニング講座で汗を流した直後に、アスリートが得る喜びの本質とは何かについて迫りました。
(構成・文:村松 亮)

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アスリートが体感する
本能的な喜びとは

緒方:アスリートには大なり小なり、大一番というのがありますよね。それがトップアスリートとなれば、4年に1回となって、その一瞬で過ぎ去ってしまうピークに対してコンディションを整え、トレーニングを重ねていく。大歓声に包まれて、競う相手がいて、時間の制約もあって、もっとも意識しなくてはならない本番の場面で、今度はいかに無意識になって、いつも通りの力を発揮できるかという(笑)。

2017年1月、新豊洲Brilliaランニングスタジアムにて

ーー意識的な場面でいかに無意識でやるか、と。

為末:おっしゃる通り、そんなことが実際にオリンピックや世界大会になるとあるんですね。アスリートが日々行っているトレーニングとは、意図して何かをやろうとして、うまくいったかの判定基準を振り返り、何がその結果に影響したのかを考えながら、また新しいものを試していく。そんなサイクルだと思うんです。身体の方は比較的にビデオなどもあってわかりやすいんですけど、それが心の世界となると、突然わかりづらくなります。「なんか力が出せなかった気がする」そんな曖昧な心理を振り返って、スタート前にどんな心の状態だったのかを考える。結局、掴めないで引退してしまう選手も少なくないかもしれません。掴めている選手であれば、どうもこういう風に入るとうまくいく、それを分かっていますから。正しい力を出せる心の状態があるかというと、そういうことでもないんです。

緒方:自分を知る、それ自体に長けているんでしょうね。

菅:アスリートにとっては、自己記録が出たときと、自分の身体を思った通りにコントロールできたとき、どちらの喜びが大きいんでしょうか。

為末:つまらない答えになりますけど、それもタイプによりますね。面白いのは、すごく勝ちたい。なんでもいいから勝ちたいという選手は、やっぱり勝つ。一方で勝ち負け以前に、自分自身がどこまでいけるのか、そういうことにこそ興味を持っていて自分をコントロールすることに喜びを得ている選手もいますから。そして僕が思う、アスリートが最も体感している原始的な喜びとは、"連動感"だと思うんです。例えば、駅のホームでおじさんが傘でゴルフのスウィングをしますよね? ピタっと一連の動作がハマると快感だったりします。できなかったことができるようになる瞬間もそうですし、何かこうしっくりきたときに感じる、生き物としての純粋な喜びみたいなもの。究極、みながそれを求めていくのではないかって思うんです。

菅:そうした原始的な喜びがないと、何事も続けられないですよね。そもそも本能的な喜びがベースにあって、だんだん喜び自体が、競争による勝ち負けといったような社会性を帯びていくわけですが、きっとその先には、また徐々に本能的な喜びにシフトしていくときがくるんでしょうね。

2017年1月、新豊洲Brilliaランニングスタジアムにて

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ディレクターズ紹介 2

おがた ひさと:
東京大学工学部産業機械工学科卒業。岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)、LEADING EDGE DESIGNを経て、2012年よりTakramに参加。ハードウェア、ソフトウェアを問わず、デザイン、エンジニアリング、アート、サイエンスなど、領域横断的な活動を行う。主な受賞に、2004年グッドデザイン賞、2005年ドイツiFデザイン賞、2012年文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品、2015年グッドデザイン賞特別賞など。21_21 DESIGN SIGHT では企画展「骨展」「"これも自分と認めざるえない"展」「デザインあ展」に参加作家として出展。

アスリート展 ディレクターズ鼎談
為末 大 × 緒方壽人 × 菅 俊一 vol.1

2月17日からスタートする企画展「アスリート展」。この日、展覧会ディレクターをはじめとする企画チームは「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」に集まった。ディレクターのひとりである為末大によるランニング講座を特別に受講するためだ。
春先より始動したこの展覧会ができるまでの様は、為末ら専門家たちによってまかれた"アスリートを形成する種"を、緒方と菅が新しいカタチで芽生えさせ、参加作家とともに育てていくというものだった。今回もそれら積み重ねてきたアプローチの一環で人が走るための肉体構造を体感するというものだ。
ここではこうして会期目前まで頭と身体とで"アスリート"を掘り下げてきた3名による鼎談をお届けしよう。
(構成・文: 村松 亮)

2017年1月、新豊洲Brilliaランニングスタジアム

アスリートというフィルターを通して
人間を理解したい

ーーでは、みなさん簡単に自己紹介から。

菅:普段は、人間の認知のメカニズムを背景に、どうやったら新しい体験や視覚表現を生み出して社会に提案できるかというテーマで研究を行っているので、今回の展覧会のテーマでもある、アスリートという身体や心理をコントロールする象徴のような存在を紐解いていくことは、非常に興味深いです。身体や心を使いこなした結果、人はどんなことを起こせるのか、その可能性を示せればいいなと思っています。

緒方:これまで21_21の展覧会には作家として参加させてもらっていたので、今回ははじめてディレクターという立場で関わらせてもらっています。普段はTakramというクリエイティブ集団に所属していて、デザインとエンジニアリングの両方をできる人材として様々なプロジェクトに関わっていて、常日頃、専門外の新しい領域の物事を読み解いていくという作業が多いので、今回もその一環として捉えていますね。

為末:スポーツを通じて人間を理解すること。これは競技者の頃から、僕が興味をもって取り組んでいる軸みたいなものです。これまで漠然と捉えていた、スポーツの世界における疑問や違和感を今回はデザインやアートという手法で翻訳し直し伝えてみようという試み。例えば、アスリートが体験するゾーンの世界。これをどう展覧会で伝えようか、そんなディスカッションはとても新鮮でしたね。

2017年1月、新豊洲Brilliaランニングスタジアムにて

ーーどうして競技者の頃から為末さんは「人間を理解したい」と思っていたんですか。

為末:現役時代の体験と紐付けていくと、スポーツとは、いかに自分自身をコントロールしていくか、できるかに尽きます。かと言って、すべてが自発的にあるわけではなくて、アフォーダンスじゃないですけど、外界からの影響で引き出されるものがでてくる。やる気が出て練習をすると思いきや、グラウンドに行って走り出して初めてやる気がでてくることもあって。心が先にたつのか、身体が先にたつのか。そういうこともよく考えていましたね。

菅:アスリートがどういう思考で、どういう認知で生きているのか。これまではテレビなどのメディアを通じて、断片的にしか知り得なかった要素を、デザインの力によって体験してもらうことで、きっと、アスリートに対する見方の解像度が上がると思います。それは、私自身がまさに展覧会の制作を通じて感じたことでもあります。例えば一歩歩くだけでどれだけの筋肉量を使っているのか、走る上で重心の位置を変えるだけでこれだけ速さが変わるのか。歩くという日常的に意識しない行為そのものにも発見がありました。あまりにも日常的過ぎる動作なので、意識する機会が全くないんですよね。きっとアスリートがどれだけの解像度の中で身体を操作しているのかも、スポーツ中継を見ているだけではわからない領域のことなのだと思います。

緒方:歩くこと、走ること。こうした無意識にも人間が行える行為を、アスリートの人たちは、どれだけ意識して意図したとおりに正しく動かせるか。一回、自分の中で分解して意識化したものを今度は無意識にそれができるようになるまでトレーニングを繰り返す。これがアスリートが日々鍛錬していることなんでしょうね。

2017年1月、新豊洲Brilliaランニングスタジアムにて

ーーすべてのアスリートが自覚してプレイしているわけではないんでしょうしね。

為末:まさに自分の行為を理解できていることと、身体で表現できていることは必ずしもイコールではない。自分のやっていることを知っている選手と知らない選手がいる。そして知っているからといって必ずしもハイパフォーマスを発揮できるかというとそういうわけでもない。細部に入っていく奇跡的なタイミングで行っていることを、ガツンという感じですの一言ですべて説明してしまうこともあるので(笑)。だから、面白いし、それこそ真なり、とも思いますしね。

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ディレクターズ紹介 1

ためすえ だい:
1978年広島県生まれ。陸上スプリントトラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2017年1月現在)。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。シドニー、アテネ、北京と3度の五輪に出場。現在は、自身が経営する株式会社侍のほか、一般社団法人アスリートソサエティ、株式会社Xiborgなどを通じ、スポーツ、社会、教育、研究に関する活動を幅広く行っている。

トーク「『好奇心』て、どこから来るの?」を開催

2017年1月14日、企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」に関連して、トーク「『好奇心』て、どこから来るの?」を開催しました。トークには、脳科学者の茂木健一郎と、グラフィックデザイナーで本展ディレクターの佐藤 卓が登壇しました。

「好奇心」はどのように生まれ、育まれるのでしょうか。茂木は、自我から解放されることだと述べ、自我から解放された時こそが自由で、喜びを感じると見解を続けます。
佐藤は何事にも熱中している時は自我を感じないと述べ、自分自身のグラフィックデザイナーとしての経験を踏まえ、「好奇心」と「個性」について語ります。様々な場面で「自分らしさ」を問われることがありますが、実際に「自分らしさ」を探さなくても、好奇心に満ち溢れて探求している時が最も「その人らしい」と語ります。好奇心をもって様々なものを探し求めることは、自分の感性で方向性も決まるため、見つかったものから自ずと個性が投影されていると見解を述べます。

次に、好奇心が発するためには自他の分裂、自分と対象の関係の成立について、「対話」を例に挙げて語ります。 対話というものは、その人についての意外な事実を見つけることのできる対話が重要なのだと茂木は続けます。その対話を成り立たせるためにはお互いに興味を持ち、それを引き出すことが肝心で、アートとデザインにも共通すると語ります。他人に興味を持ち、知ることで制作者の声が届き作品からも説得力が生まれると両者は続けます。

色々な角度から物事をみることは、「好奇心」というものが原動力になります。
「美意識や感覚の方向性を示すことが人間の役割」と茂木がトークの終盤で語り、デザインやアートの行動の原点を脳科学の視点から探り、新たな共通点を発見するトークになりました。

「デザインの解剖展」Web企画
企画制作協力 岡崎智弘インタビュー 後編

企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」に企画制作協力として関わっているのが岡崎智弘。今回の仕事や見どころを語ってもらいました。
(聞き手:川上典李子)

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「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」会場風景(Photo: Satoshi Asakawa)

—会場では「デザインの解剖展」の300近いコンテンツを自由に見ていただき、考えるきっかけにしてもらいたいというのが21_21 DESIGN SIGHTの願いでもあります。そうした「見方」のヒントとして、「ここは!」という例のいくつかを岡崎さんから挙げていただけますか。展覧会最終日まで残りわずかとなりましたが、これから来場くださる方や、閉幕前に再度いらしてくださる方に参考にしていただけるかと思います。

たとえば、ブルガリアヨーグルトの情報構造。パッケージの文字や図柄の重なりから、情報の構造や配置を観察できる展示ですが、なかでも「乳」の一文字が突出しているんです。使用アレルギー物質を表示する小さな文字情報のひとつでありながら、重要な文字情報として、最も高い階層として考えられていることがわかります。このように考えられた情報の階層、構造は、平面のグラフィック表現となった際にも目立ち、きちんと見てとることができるのです。グラフィックデザインの役割について改めて考えることのできる良い例だと思います。

きのこの山の正面外装グラフィックについては、1つだけ白いパッケージの展示になっています。1985年の2代目パッケージですが、企業の収蔵もなく、コレクターも見つけられていない。どこにもないというミステリアスな面もさることながら、量産されて流通し、あたり前のように生活のなかにあるものがこうしてゼロになるという状況、これはすごいことだと思いませんか。2代目パッケージがどこかにあることを知っている方がいたら、ぜひとも教えてください。

商品それぞれに容器の形や材質、包装の構成要素や印刷を解剖していますが、明治エッセルスーパーカップの容器を約21倍にした巨大模型は特に細部もまじまじと見てほしいものです。外蓋の構造を裏側から見てみたり、床ぎりぎりの位置になってしまいますが、底の内側部分も細かく表現しているので、ぜひともじっくり見てみてください。これを見た後に市販されているアイスクリームのカップを切ってみたり、外蓋を広げたりしてもらえると、また新しい発見があるのではないかと思います。

会場には各製品に関する客観的な情報が並んでいますので、少しでも興味のある点があったら、情報を道具としてつかって、さらに深く踏みこみながら考えてもらえるのがよいと思います。展覧会準備の際に佐藤 卓さんが「情報に触れたひとに情報を自由に編集してもらえる構造にしよう」とおっしゃっていましたが、まさにその通りだと思います。それは僕たち展覧会をつくる側にはできないことです。


「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」会場にて(Photo: Satoshi Asakawa)

—昨年秋の「六本木アートナイト2016」の日に、岡崎さんはじめ鈴木啓太さん、中野豪雄さんと「デザインの解剖展」ギャラリーツアーの案内役をさせていただいた際、「展覧会制作に関わってみて、デザインということばが溶ける思いがした」という岡崎さんの発言にはっとする思いでした。本展に密に関わってくれた岡崎さんがいま思っていること、そこにデザインとは何かを考えるうえでの大切な点が含まれているように感じています。

量産されている身近なものを、デザインの視点、またデザインという方法論で解剖する展覧会は、ひとつの製品にこれほど多くの要素が含まれていることに気づかせてくれます。成分にしても味にしても専門の立場のひとが研究し、決定してきた結果です。このように製品をデザインの視点で解剖していくと、最小単位として「仕事」が現われてくることに気づきました。デザインということばは溶けてなくなり、仕事ということばに置き代わるような感覚でもあったのです。デザインということばがより広くなっていたり柔らかくなっているのかもしれませんが、どの仕事のどの段階でも、現状を良くするために仕事がされています。そう考えると、純粋に仕事をすることもまたデザインと言えるのではないだろうかと、考え続けているところです。「デザインの解剖」を通して、自分の職能をまっとうしている多くのひとの存在が見えてきました。デザインとはやはりひとと関係することであるということ。そのことを改めて考えています。


オープニングトーク「解剖展の解剖」2016年10月22日

「デザインの解剖展」Web企画
企画制作協力 岡崎智弘インタビュー 前編

企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」に企画制作協力として関わっているのが岡崎智弘。今回の仕事や見どころを語ってもらいました。
(聞き手:川上典李子)

—岡崎さんにはこれまでにも「デザインあ展」(2013年)「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」(2014年)に出展してもらっています。NHK Eテレ「デザインあ」の「解散!」コーナーでのストップモーションを活かした映像でも注目されている岡崎さんですが、ご自身の活動はグラフィックデザインが始まりだったそうですね。

はい、大学でグラフィックデザインを勉強して、卒業後は印刷を主とするグラフィックデザインの事務所に所属していました。グラフィックの視点でコマ撮りした動画をウェブサイトで紹介していたところ、中村勇吾さんからNHK Eテレで準備中だった「デザインあ」への声をかけてもらったんです。これが2010年のことで、「解散!」は番組開始の2011年春から継続しています。
このときはグラフィックデザインの考えを映像に活かすという意識でしたが、その後、グラフィックや映像といった異なるジャンルのデザインがあるのではなく、それぞれのジャンルが「デザイン」という大きなくくりに内包されているのだと考えるようになりました。 21_21 DESIGN SIGHTの「デザインあ展」も初めてとりくんだもので、お寿司の解散、本の解散、器の解散、お金の解散の4つをオブジェとしてデザイン・制作しました。表現媒体が違うと必要とされる技術はもちろん異なりますが、グラフィックにしても映像、プロダクトにしても、姿勢としては同じ「デザイン」なのだと意識しています。


「デザインあ展」会場風景 2013年2月8日-6月2日(Photo: Masaya Yoshimura)

—岡崎さんの幅広い活動のなかからいくつか紹介してもらえますか。

NHK Eテレの「デザインあ」と同じく2011年から継続しているものに、離島専門季刊誌『ritokei』のアートディレクションとデザインがあります。全国に数百ある離島をつなげる役目を担おうと活動している離島経済新聞から声をかけてもらい、彼らのプロジェクトをどのようにかたちにしていけるのか、またどう伝えていけるのかに関わっています。愛知県常滑市でのTOKONAMEプロジェクトでは、現地移り住んだデザイナーの高橋孝治さんをはじめとする「とこなめ会」の一員として、常滑焼きの伝統をどう今後に展開していけるのかを考えているところです。映像の仕事では、無印良品の小型収納類のプロモーションがあります。クリエイティブディレクターを務めた阿部洋介さんと、小物類を整理整頓してくストップモーションの映像をディレクションしました。


「デザインの解剖: ISSEY MIYAKE A-POC BAGUETTE」
(なんなの? A-POC ー MIYAKE ISSEY + FUJIWARA DAI ー」展)
2003年9月10日-10月5日、AXISギャラリー(Photo: Yasuhito Yagi)

—今回の「デザインの解剖展」についてお聞きします。佐藤 卓さんの「デザインの解剖」を岡崎さんは学生時代に見ていたとか。

はい、「デザインの解剖」を初めて知ったのは学生時代、「なんなの? A-POC ー MIYAKE ISSEY + FUJIWARA DAI ー」展(2003年)の会場です。展覧会のグラフィックデザインが大学の恩師だった秋田 寛さんでした。この会場では、繊維構造の模型に「おーっ!」と驚かされてしまいました。模型を観察することで構造を自然に理解できながらも、小さなものを巨大化した奇妙なものをギャラリーで見た、という感覚です。その感覚を今でも覚えています。


「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」会場風景 (Photo: Satoshi Asakawa)

—今回の展覧会については、コンテンツが膨大な量であるからか、制作プロセスに興味を持った方から私自身も多くの質問を受けています。展覧会ディレクターである佐藤さんと構成をどう詰めてこられたのか。そのやりとりの様子を改めて聞かせてもらえますか。

開幕1年半ほど前、展覧会のコンテンツを考える初期段階から参加しています。佐藤さんと検証したコンテンツ案は100以上になりました。その一つひとつの検討と、並行して進んでいた書籍におけるコンテンツも整理しながら、最終的に会場で紹介しているコンテンツは300近くあります。そのうえでこれら一つひとつの展示方法を考える作業があります。コンテンツの何かが日々細かく更新されているので、それ自体をチェックする作業からして大変で、最初はわかりやすいように資料に更新マークをつけていたりしたのですが、マークがついたことを制作チームが共有することだけでも大変でした(笑)。
これほど多くの項目を展覧会としてまとめる作業に関わるのはもちろん初めてのことです。「デザインあ」のときもそうでしたが、僕はどうも、それまでやったことのない分野の仕事に関わることが多くなる人生みたいです(笑)。情報やものを構成し、人間の知覚にかかわる要素を組み立てる視覚伝達の仕事によって社会に関与するということは共通していますが...


「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」会場風景 (Photo: Satoshi Asakawa)

—解剖は、岡崎さんが「デザインあ」でとりくんでいる「解散!」とつながるところがありますね。

「デザインあ」の「解散!」は佐藤さんのデザインの解剖から生まれたひとつで「要素をよく見る」という点は共通するものです。あるものをピンセットで分解し、一つひとつを手で動かした写真を1分間の映像にまとめているのが「解散!」ですが、解散は物性を軸として、あるものの多層構造、内包構造を楽しく見ることができるように伝えるもの。今回の展覧会の「デザインの解剖」はこの解散につながるところがありながらも、味や知覚も含みながら切りこんでいる点で異なる特色があります。
客観的な価値に基づいたコンテンツを並べて展覧会にしていく佐藤さんとの今回のやりとりは、とても楽しいものでした。「デザインの解剖」における佐藤さんの一貫した考え方、すなわちデザインの視点で見る、客観的に見るということを会場でもまず伝えたうえで、僕自身大切にしたかったのは、子どもでも楽しめる展示であると同時に深い部分を理解してもらえるものであること、またその幅をどうもたせられるのかということです。

>>後編へつづく

おかざきともひろ:
アートディレクター/グラフィックデザイナー
1981年生まれ。東京造形大学デザイン学科卒。アイルクリエイティブ勤務を経て、2011年9月よりSWIMMINGを設立。印刷物から映像制作までカテゴリを横断したデザインを行う。多摩美術大学情報デザイン学科にて非常勤講師を務める。

トーク「解剖学から考える"美とはどういうものか"」を開催

2016年12月10日、企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」に関連して、トーク「解剖学から考える"美とはどういうものか"」を開催しました。

美術解剖学をはじめとし、西洋美術から漫画までも解剖対象として研究を重ね、芸術の本質は「世界をどう見るか」であると語る美術批評家の布施英利。一方、本展ディレクターの佐藤 卓は、デザインを解剖の手段として、私たちの日常にあふれる数多くの製品を解剖し、各製品の成り立ちを徹底して検証し続けてきました。

「美術」と「デザイン」、異なる分野で活動する二人が、「解剖」「世界を見る」という共通のキーワードから、"美とはどういうものか"考察しました。

トーク「『分かる』ことと、『感じる』こと。」を開催

2016年11月26日、企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」に関連して、トーク「『分かる』ことと、『感じること』こと。」を開催しました。トークには、解剖学者の養老孟司と、グラフィックデザイナーで本展ディレクターの佐藤 卓が登壇しました。

「分かること」、そして「感じること」とは何か。私たちはどのように世界を認知し、ものごとに関わっているのでしょうか。分かることに本来限界はなく、感じることは現代社会において制限されているとトークは始まり、環境や社会によっていかに人々の感覚は鈍くなっているかと両者は見解を述べます。人間は意識と感覚を持ち合わせていながら、社会に暮らすうえで、自ら「感じること」を通念的な意識で抑圧するために、世界は均一化の方向に進みがちであると養老は語りました。

養老は、感覚は世界の違いをひたすら捉えていると語ります。概念上、当たり前のように存在しているものに対し、改めてそれぞれの違いを感覚に訴えかけるような現場をつくり出すこと。本展は、その違いを知るきっかけになりうると感じられるトークとなりました。

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