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2018年5月23日、ギャラリー3では「HAY 5 DAYS LIMITED STORE」がオープンしました。

HAYは2003年にデビューしたデンマークのインテリアプロダクトブランドです。北欧デザインというカテゴリーにこだわらず、インターナショナルな視点を持ち、家具、インテリアアクセサリーからデコレーションアイテム、ステーショナリーなど、ライフスタイル全体をコーディネートすることができるコレクションを展開しています。

「HAY 5 DAYS LIMITED STORE」では、デザイン性の高い小物から人気の家具まで、幅広いアイテムを手にとってご覧になることができるほか、職人の手によってHAYのプロダクトがつくられる様子を映像でご紹介しています。

2018年5月19日、企画展「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」に関連して、参加作家の一人、石川直樹によるトーク「極地都市 POLAR CITY」を開催しました。

石川直樹は本展で「極地都市」と題し、南極大陸や北極圏など人の営みから遠く離れた"極地"に都市が形成されつつあるさまを捉えたシリーズを展示しています。サウンドアーティストの森永泰弘との協働により実現した本展展示作品では、地球という一つの惑星に点在する都市の騒めきを体感することができます。

石川直樹+森永泰弘「極地都市」展示風景(写真:吉村昌也)

このトークの10日前にネパール・ヒマラヤから戻ったばかりの石川。前日までは、北海道・知床にいたと言います。世界を飛び回る石川は20歳のときに初めての高所登山、デナリに挑み、その後も冒険家たちの本を読んで極北の地に憧れ、旅を繰り返すようになりました。

そうして訪れた場所で石川は「撮影しておかないと無かったことになってしまうもの」を写真に撮っていると語ります。そこで見た、忘れてしまうような些細なことも思い起こさせるのが、写真の記録性であると言う石川は、南極大陸や北極で撮影した写真を紹介しながら、そこにまつわるエピソードを語りました。

石川が使うカメラはレンズ交換式ではなく、自分が動かなければズームアップすることもできません。「近寄りたいけど近寄れない距離をそのままに写す」「遠くのものは遠くにしか写らない」そのカメラを、自分の目に近いものとして愛用していると、石川は語ります。現地で遭遇した動物や出会った人々を撮った写真には、石川と、動物たちや人々との距離がそのまま表れています。

石川直樹「Illuissat, Greenland / 2007」

トークの後半では、参加者に呼びかけて質疑応答が行われました。石川自身の写真表現やカメラについて、旅を志したきっかけやこれまでに訪れた土地について、さらには精力的に移動しながら活動し続ける石川の体力づくりの秘訣まで、途切れることなく続く会場からの質問に、石川も一つ一つ答え続けました。

その中で「都市」という言葉について問われた石川は、「極地には"都市"といわれる規模の有機的な集合体はまだないかもしれない。ただ、その芽、その兆しがある」と答えました。
本展ディレクター 伊藤俊治が展覧会に寄せて語るように、石川の写真表現から22世紀の都市の姿と写真の未来が思い描かれるトークとなりました。

2018年5月11日、「Khadi インドの明日をつむぐ - Homage to Martand Singh -」展に関連して、「皆川魔鬼子によるギャラリートーク」を行いました。
トークには、本展企画監修を担当した皆川魔鬼子と、21_21 DESIGN SIGHT アソシエイトディレクターの川上典李子が登壇しました。

カディを含めたインド・テキスタイルなどの幅広い文化復興活動で知られるマルタン・シン。最も素朴で綿そのものの白を活かしたカディは、インドと繊維の原点として世界中に知られています。
皆川はインドのテキスタイル文化において、50年の長き歴史に渡りテキスタイルの開拓、展示、遺産保全に取り組んだマルタン・シンの功績は大きいと解説します。
本展では、マルタン・シンの身体に沁み込むような言葉とともに、つくり手そのままの表情を見せるカディとその思想を紹介しています。

本展でもその様子を収めた映像を展示していますが、ガンディが過ごしたアーメダバッドでは、大学の全校生徒が集まる朝礼でチャルカを回しながら瞑想をする時間が設けられています。
糸車をまわすガンディの肖像や写真が示すように、カディはインド独立のシンボルとして知られ、現在でも人々の精神に深く根付き、生活の基本になっています。

イッセイミヤケでは、1980年代からインド文化と対話しながら衣服づくりを行ってきたと語る皆川。現在ではブランドHaaTの中で、カディを取り入れ、継承しています。
皆川は日本の伝統についても触れ、継承しながら活用することの素晴らしさを改めて実感するトークとなりました。

2018年5月6日、企画展「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」に関連して、「参加作家によるギャラリーツアー」を開催しました。

ギャラリーツアーでは、会場構成の中原崇志、グラフィックデザインを担当した刈谷悠三、参加作家から勝又公仁彦、須藤絢乃、TAKCOM、多和田有希、水島貴大が、来場者のみなさまとともに会場を回り、完成までの数々のエピソードを交えながら解説していきました。

会場構成の中原は、都市らしさを意識した空間づくりについて、都市の風景をイメージさせるフレームとボリューム感に着目しながら、参加作家とのディスカッションを重ねて空間に落とし込んだとプロセスを語りました。

グラフィックデザインの刈谷は、ポスターなどの印刷物と会場パネルの制作プロセスについて、各ツールを制作する際に候補にあがったデザインを実際に紹介しながら、最終的なデザインに至るまでを振り返りました。

デジタルの時代ならではの写真の見せ方に着目して取り組んだTAKCOMは、ウィリアム・クラインの作品を用いて展示空間に都市が現れてくるような作品を制作しました。TAKCOMは、「クラインがAdobeやMacを使用したらどのような表現をするのか」を想像しながら、グラフィックデザイナーでもあるクラインによる無数の作品を自ら解釈・再構築し、インスタレーションに定着させたと語りました。

多和田は、人間の精神的な治癒をテーマに、撮影した写真の表面を削り取ったり、燃やしたりする手法で都市や群衆の作品を生み出し続けてきました。海の泡を残して水面部分のみを焼き消した作品は、東日本大震災以来、母親とともに海の水を焼き消す作業を繰り返し、海への恐怖と傷を宥めようとしたエピソードも語られました。

須藤は、実在する行方不明の少女に変装した「幻影 Gespenster」と、多国籍な人間の顔を須藤自身の顔と合成した「面影 Autoscopy」のセルフポートレート2シリーズを生み出した経緯を語りました。多くの人々とすれ違う都市で起こる出来事を写し出し、須藤自身から見えた世界を、写真という媒体を通して提示したいと続けました。

勝又は、写真を撮る際に必要不可欠な光やエネルギーの根源としての炎に焦点を当てた、「都市の生きた光」をテーマに4つのシリーズを展示しています。時間帯によって異なる光が重なり合い、見慣れた街角でも見たことのないような風景が広がっていることに気づくのだと言います。

水島貴大は街や彷徨う人々を直感的に撮影し、夜の東京・大田区の路上の狂騒とエネルギーを全身で感じ取り、場所や愛と深く結びついた134点もの作品で表現しています。写真集『Long Hug Town』のタイトルの由来も語られ、東京の路上での出会いからその場所に住む人々との関係性まで、都市で生きる人々と自身の記憶や経験についても語られました。

ツアー終了後も、写真のあり方や、作品が完成するまでの試行錯誤を重ねたプロセスなど、様々な視点で参加者と意見交換がされ、本展をより深く楽しむことのできる時間となりました。

現在開催中の企画展「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」の全体像を紐解く展覧会ディレクターのインタビュー最終回。アジアの気鋭の作家たちが見せる表現の多様性が、写真というメディアの未来の形を予感させる。(文・聞き手:中島良平)

多和田有希「Untitled (Roppongi 2)」

「写真とはもともと、非常に魔術的なものです。ほとんどが偽物ですが、真偽が定かではない心霊写真だってたしかにありますし、最近だと、オーブといって精霊が写っていると言われるようなものもある。19世紀半ばのパリでは、写真を撮られると魂が抜かれてしまうと思って写真館に行くことを拒む人もたくさんいたようですし、写真は客観性の強い記録メディアであると同時に、人間のメンタルな部分を脅かすような力も持っています。多和田さんは、写真が持つそうした魔術的な力をまだ信じている人だと言えるでしょう」

多和田有希「ホワイトアウト」「I am in You」「Shadow Dance」

写真の創生期にまでさかのぼると、その技術的な変遷はさまざまな物質の実験の歴史だということができる。まずは銀メッキした銅板を感光材料として用いるダゲレオタイプに始まり、卵の黄身と感光物質をかき混ぜた鶏卵紙と呼ばれる支持体やガラスへの像の定着なども試され、現在のような印画紙を用いるようになったのは19世紀末のこと。そして近年はデジタルプリントが一般化しているが、多和田は印画紙にひとたびプリントされたイメージをいろいろな器具を用いて引っ掻き、そのイメージの背景にある見えない何かを引き出そうとする。イメージ定着への流れからの一種の転換だ。

「東京や上海、ソウルなどを舞台に撮影を行い、針などの器具で画面を引っかき続けることで、都市の群衆的な無意識だとか、そこに隠された怨念めいたものが浮かび上がってくるような作品を展示しています。多和田さんの制作は、撮影した写真を下敷きに、そうした呪術的な行為によって完成するのです」

削るという行為の痕跡から、触感に訴えかけるような作品。多和田のそのような表現と共通して、台湾の夜の名物とも呼べる移動式の大型トラックステージを撮影した沈昭良の作品も、視覚以外の感覚を刺激する。

沈 昭良「STAGE」

「西洋の都市を中心に撮影したクラインさんの写真の対抗軸として、熱帯の夜のねっとりとした闇だとか、光の鮮烈さといったものを提示したかった」と、その意図について語る。長い壁面を端から端まで使って展示された作品を追っていくと、視覚がとらえるイメージからじっとりとした夜の熱気であったり、そこから連想させる湿気の匂いであったり、トラックが到着して見世物が行われてから去っていくまでの喧騒の動きなどのようなものに、肌や耳、鼻を刺激されたような錯覚を引き起こしてくれる。

「それともう一つの試みは、ステージの設営から撤収までを高速度撮影した映像を一緒に展示することでした。写真と映像というのはもともと同じフィルムという母体から生まれたものなので、その静と動の組み合わせから生まれる複合的なイメージを提示したいと考えたのです。実際のところ、クラインさんも60年代から70年代にかけて映画を制作し、写真と映像の関係性を深く考えた最初期の写真家の一人です。そのような視点からも、今回の沈さんの展示は意味があると考えています」

沈昭良の展示と対面に位置する壁面には、通路状のスペースが形成されて勝又公仁彦の作品が展示されている。やはりここでも、光と知覚、装置と現象、内界と外界、といったものを横断して都市を表象する勝又の作品と、長い通路状のスペースとの親和性が感じられる。

勝又公仁彦「Panning of Days」「Unknown Fire」「Hotel Windows」「Skyline」(上)、「Panning of Days -Syncretism / Palimpseste-」(下)

「もともと勝又さんは、同じ場所を違う時間に撮影して、それを3面にしたり4面にしたり5面にしたりという構成によって、時間の移り変わりをパノラマ構造の写真に表現してきました。その特性をなるべく活かしたかったので、2カ所の柱と柱のスパンを埋め、通路を通り抜けながら勝又さんが捉えた都市のイメージを体感できるような構想で展示しました。このギャラリーは安藤忠雄さんの個性的な設計でできあがっているので、展示に落とし込むのはなかなか大変でしたが、結果としてうまくいったと思っています。この長いスペースがきちんと収まらないと展示全体が締まりませんから」

長時間露光で同じ場所を異なる日時に撮影した「Panning of Days」。カメラを「パンする」といった時に使われるような、パノラマを語源とする「pan(パン)」で映し出す日々の移ろい。通路を歩く鑑賞者の動きが時間の経過と同調するような、ある種の体感型インスタレーションが勝又の作品によって実現した。そして、韓国出身の朴 ミナの作品の特性もまた、Z字型の通路という空間と見事なまでに融合している。

朴 ミナ「ブルーの形態」

「朴さんも色々と変わったシリーズの作品を手がけている若い作家なんですけど、ここで展示したのは、日本や韓国、台湾といったアジアの都市部にある水族館で撮影した作品です。水族館で4時間とか5時間とかの長時間露光をして、水槽の厚いガラスから青が染み通ってくるような特殊な色彩の群れを映し出す。そこで癒しを得ている都会の人たちのメンタリティのようなものが画面から滲み出てくるようです。ここもやはり、場所の特性を見極めないと展示が決まらない難しい空間でしたね」

暗い廊下に足を踏み入れると、朴の作品の青い光が鑑賞者を包み込む。それは都市の避難所といった趣で、青い光に引き込まれて安らかな気持ちになってくるような空間だ。

伊藤俊治が考える「写真都市」。ウィリアム・クラインの強烈なニューヨークのイメージからスタートし、朴 ミナの青い光と藤原聡志による中庭のフォトオブジェで終わるこの展覧会は、視覚的に写真を鑑賞するのと同時に、全身で都市の躍動や空気のざわめきを体感できるように構成されている。都市が持つダイナミズムや予測不可能性といったものが、写真というメディアと結びついて空間を支配し、写真で行える実験の無限とも言いたくなるような可能性を感じさせてくれる。

2018年4月28日、企画展「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」に関連して、ワークショップ「西野壮平の写真都市を再構築する」を開催しました。

本展参加作家の一人、西野壮平は、東京、サンフランシスコ、パリ、エルサレムなど世界の様々な都市に、35mmフィルムカメラとともに滞在し、撮影した写真をコラージュして独自のジオラママップを制作し続けています。
まずはじめに、西野が自身の作品「Diorama Map」の制作プロセスを解説しました。各都市に1ヶ月から1ヶ月半ほど滞在して撮った写真を、数ヶ月かけてアトリエで継ぎ接ぎしながら作品にしていく緻密なステップが語られました。1作品に使われる写真は、20,000枚ほどにもおよぶと言います。

続けて、参加者の手による「ジオラママップ」の制作に取り掛かります。
参加者には、西野が撮影した35mmフィルムのコンタクトシートが3枚ずつ配布されました。別々の都市が写された3枚のシートを切り貼りし、異なる都市の要素を合わせることで、新たな写真都市を構築していきます。西野から一人一人へのアドバイスを受けて、より躍動感あるコラージュへと変わっていきました。

そしてそれぞれが完成させたコラージュ作品を並べて、写真都市の完成です。最後には、作品の前で記念撮影も行いました。西野が写しとった都市の息吹を、参加者一人一人が作品づくりを通して体感する時間となりました。

イタリアの建築デザイン誌『domus』が、21_21 DESIGN SIGHTディレクターの一人、三宅一生の仕事を特集しました。
『domus』のゲスト編集長に就任したイタリア出身の建築家・デザイナー、ミケーレ・デ・ルッキは、かねてよりデザイナー 三宅一生の仕事に大きな関心を寄せ、この春、インタビューのために来日しました。

インタビューでは、デ・ルッキが同じクリエイターという立場から三宅のデザイン思想について質問を投げかけました。また誌面では、販売を目的とせずスタディーとリサーチのためにつくられた未発表プロジェクト「Session One」を通して、三宅のものづくりに対する姿勢や手法が紹介されました。さらに、「Session One」から生まれた服が、写真家 ジェームス・モリソンによって撮影された作品も公開されています。

>> domusウェブサイト

『domus』April Issue "Silence"(88-100ページ)

インタビュー・テキスト:ミッケーレ・デ・ルッキ(Michele De Lucchi)
写真:ジェームス・モリソン(James Mollison)

現在開催中の企画展「写真都市展−ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」。展覧会の全体像を紐解く展覧会ディレクターのインタビュー第4弾。伊藤俊治が「写真都市」という言葉に込めた意味が徐々に浮かび上がってくる。(文・聞き手:中島良平)

ウィリアム・クライン「Le Petit Magot, November 11th Paris 1968」

「クラインさんは色々なバリエーションの写真を撮ってきましたが、基本はスナップなので、純粋にスナップショットで表現をする写真家を選ぼうと考えて水島貴大さんを選びました」と伊藤は語る。

水島貴大「Long hug town」

壁一面に展示された134点のスナップ。そのキーワードは「夜のストリート」だ。

「クラインさんがこれまでに撮影してきたような都市のスナップショットというのは、写真家が皮膚感覚で吸い取っていくようにして、人間の意識がすくい取りきれないような都市の情報をイメージに収める方法のひとつだと思うんですね。水島さんは1988年生まれとまだ若い作家ですが、そういった意味での都市のスナップの撮り方も、見せ方もすごくおもしろい。

夜のストリートといっても新宿や渋谷ではなく、自分が生まれて愛着のある蒲田や西馬込の夜の路上を歩き、全身をセンサーにしながら情報をすくい取っていて、膨大な情報量を孕んだ多数の写真を整然と並べることなく、額装せずに壁一面を覆っています。あの壁面は、会場で一番高さがありますから、なるべく上まで写真で埋め尽くして、写真に見下ろされているような感覚を鑑賞者が味わえる空間をスナップで実現したいと考えました。ざわめき、うごめく都市の生命のようなもので埋め尽くすイメージです」

馴染みのある街を歩き、身近な話題などの共通点から縮まる撮影者と被写体との距離というのもあるだろう。だからといって、悪ノリを促してエキセントリックな写真を撮る感覚には流されない。水島が都市に対峙する時の、ある種の頑固さのようなものが壁一面から伝わってくる。

須藤絢乃「面影 Autoscopy」(上)、「幻影 Gespenster」(下)

別の壁面にもずらっとポートレイトが並んでいるが、水島の作風とはまるで異なる。セルフポートレイトを媒介に、自身と他者、アイデンティティとその境界を意識させる作品を手がける須藤絢乃の作品だ。

「写真都市というテーマを考えた時に、都市の風景を入れるだけではなく、今の日本にいる感性、都市の感受性とでも呼べるようなものから表現を行う作家を入れたいと考えました。須藤さんが作る写真は、見た目はすごく柔らかく、かわいくて美しい写真です。しかし制作の根本のところには、我々が住んでいる都市のフラジャイルな要素がある。いつ自分が消えて行方不明になってしまうのか、死んでしまうのか、他者となってしまうのか、といったセンシビリティが基本にあると思うんです」

世界の様々な都市で撮影した多国籍な人間の顔を自らの顔に重ね合わせ、デジタルで合成したセルフポートレイト「面影 Autoscopy」。実在する行方不明の少女の姿を自ら再現した「幻影 Gespenster」。自分の体をフレームにして新たな人格を再構成する試みが、明るく淡い色調の画面に視覚化される。

「彼女の作品の中には、都市に住む女性の繊細な感性を強く感じます。都市を画一的な見方で捉えたような構成にしたくないと前提として考えていたので、そういった意味でも、彼女の写真はこの展覧会において特異なポイントになっているかもしれません」

20世紀初めのパリの変遷を写真に収めたウジェーヌ・アジェや、両大戦間のニューヨークを撮影し続けたベレニス・アボットなどの写真家たちと都市の関係を伊藤はかつて論じたが、21世紀の作家たちの表現を見ていると、「写真都市」という言葉からはまたさらなる広がりを感じることができる。

「写真に撮られた都市、写真で作られた都市、写真がイマジネーションした都市。そうした様々な意味合いを『写真都市』という言葉は含んでいます。私はこの言葉を一義的に定義づけたいと考えているわけではありません。この言葉が喚起するイメージなど、その可能性を見てみたいと思っているのです」

藤原聡志「Scanning #1」

作品展示は屋内のみに留まらない。地上から吹き抜けとなる三角形の中庭空間に、ベルリンを拠点に制作を続ける藤原聡志のインスタレーションが異質な存在感を放つ。

「ターポリンという屋外で使用するビニールシートを用いて、藤原さんは色々なフォトオブジェを作っています。ベルリンのオペラ座やドイツ銀行の作品などを何点か見て、新しい写真の機能のようなものを感じました。写真をオブジェ化することで得られる役割といってもいいかもしれない。スーパーリアリズムのようにしてディテールを抽出し、そこに若干の加工を行うことで現物とは少しだけずらす。そうすることによって、僕らが普段はあまり感知できていない都市の鋭利な暴力性のような何かを想起させてくれる。彼はとても現代的で、とてもアクチュアルな写真の実践を行っていると感じます」

現実の場面を記録した写真がある形状を持ち、空間と関係性を持つことで画面のイメージが予期せぬインパクトを放つ。藤原聡志の手法は、写真というメディアが持つ表現性の現代的な広がりを強く感じさせてくれる。

Vol. 5 に続く

2018年4月18日、ギャラリー3にて開幕となった「Khadi インドの明日をつむぐ - Homage to Martand Singh -」展に関連して、「展覧会チームによるギャラリートーク」を行いました。トークには、本展にまつわるテキストを担当した森岡督行と、インドの現地で映像を撮りおろし制作した岡本憲昭、企画構成を務めた前村達也(21_21 DESIGN SIGHT)が登壇しました。

登壇者の3人は本展のためにインドへ渡航し、マルタン・シンの活動を支えてきた人々やカディにまつわる様々な風景を取材してきました。トークでは、取材中のスナップ写真を紹介しながらその様子を語り、それぞれ印象に残ったエピソードを語りました。

晴天となった当日、トークの前半はギャラリー3の外で行われました。展覧会を訪れた人々が少しずつ加わり、トーク会場は徐々に賑わいを増していきました。後半には、ギャラリー3の中で実際の展示に触れながら、展覧会の解説が行われました。

2018年4月18日、21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3にて「Khadi インドの明日をつむぐ - Homage to Martand Singh -」展が開幕となります。

簡素で美しい生活様式やテキスタイルをはじめ、今日でも手仕事による技法や歴史、文化が色濃く継承されているインド。なかでも「カディ(Khadi)」と呼ばれる綿布は、ものづくりのオートメーション化が著しい近年も、手紡ぎ、手織りによってインド各地でつくられています。

インド・テキスタイルなどの幅広い文化復興活動で知られるマルタン・シン(Martand Singh、1947-2017)は、インドの独立、雇用、死生、創造という観点からカディを「自由の布」と呼んでました。

本展では、つくり手そのままの表情を見せるカディとその思想を、マルタン・シンの活動の根幹を担ってきた人々を現地で取材した映像とともに紹介します。インドのものづくりに宿る精神と息吹をご体感ください。

写真:吉村昌也/Photo: Masaya Yoshimura