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伝統 (36)

2016年7月1日より、台北の松山文創園區 五號倉庫にて、21_21 DESIGN SIGHT企画展 in 台北「単位展 — あれくらい それくらい どれくらい?」が開催中です。

旧たばこ工場を改装した会場では、21_21 DESIGN SIGHTで昨春開催した「単位展」を忠実に再現したほか、新たに台北で集めた品々で構成した「1から100のものさし」、台湾のデザイナーらが参加した「みんなのはかり」など、台北展独自の展示も。

会場入口には、21_21 DESIGN SIGHTのコンセプトやこれまでの活動を紹介するコーナーがあり、併設されたショップには、台北展にあわせて制作された新たなオリジナルグッズも加わり、連日多くのお客様で賑わっています。
会期は9月16日まで、会期中無休ですので、台北にお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。

Photo courtesy of INCEPTION CULTURAL & CREATIVE Co., Ltd.

2015年5月29日、「単位展」作品の「無印良品の単位」制作チームより、良品計画生活雑貨部企画デザイン室 室長の矢野直子と建築家の佐野文彦、無印良品のアドバイザリーボードで21_21 DESIGN SIGHTディレクターの深澤直人を迎え、「深澤直人と無印良品と佐野文彦のギャラリートーク」を開催しました。

冒頭にて、深澤は「当初単位展というテーマを聞き、確固たる単位をイメージするも、自分なりの単位があるのではないかと思った」と語り、本展企画進行の前村達也が、深澤の共著『デザインの生態学』にて述べられている、ものや道具に対して身体があらかじめ反応してしまう感覚を、日常の暮らしにおける単位に置き換えるようにリサーチを行なったと続きました。

尺貫法から導き出され、無印良品の基準寸法を決めるきかっけとなり、現在の無印良品のモジュールの基礎となっている「ユニットシェルフ」を用い、居住空間をつくり上げた「無印良品の単位」。これ見よがしに何かをつくるのではなく、生活における必然性のなかでものをつくり出す無印良品のスタンスと、建築家 佐野文彦の生活に根付いた単位が、ひとつの作品として結びつくプロセスが語られました。

そして日本の生活における単位として、佐野が自ら経験した数寄屋大工のフィジカルな単位感に触れると、矢野は余白があることで生まれる豊かな空間づくりを挙げ、深澤は「決まっているモジュールで隙き間を埋めるのではなく、周辺環境をどうするかで、空間の豊かさが生まれる」と続きました。単位は、揃えてしまおうというところに価値があるのではなく、ゆるやかに人間をつなぐところに真価があるのではないかと、トークは示唆に富んだ内容となりました。

いよいよ明日開幕となる「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」。
会場の様子を、いちはやくお届けします。

単位で遊ぶと世界は楽しくなる。単位を知るとデザインはもっと面白くなる。
単位というフィルターを通して、私たちが普段何気なく過ごしている日常の見方を変え、新たな気づきと創造性をもたらす展覧会です。

また、会場1階スペースを、単位にまつわるショップとして無料開放します。展覧会とあわせて、ぜひお楽しみください。

写真:木奥恵三

現在開催中の企画展「活動のデザイン展」が、イタリアのウェブサイトdomus、日本のウェブサイトJDNに紹介されました。

>>domus "The Fab Mind"

>>JDN 「World Report / 21_21 DESIGN SIGHT 企画展『活動のデザイン展』」

2014年11月1日、イーヴォ・ファン・デン・バール(ヴァンスファッペン)とマスード・ハッサーニによるトーク「オランダのデザイン ― デザインと社会の広がる関係」を開催しました。

ニコル・ドリエッセンとヴァンスファッペンを設立したファン・デン・バールは、ロッテルダム南部の病院を改装したスタジオを拠点にさまざまな作品制作に取り組む一方、160ヶ国からの移民を抱えるシャロワー地区の住民たちとともに、地域密着型のプロジェクト「DNA シャロワー」を展開しています。

プロジェクトの第1弾となったのが、本展のポスター写真にもなった「ロースさんのセーター」。デザイナーのクリスティン・メンデルツマとロッテルダム市立美術館との恊働で、誰も袖を通すことのなかった560枚に及ぶロースさんのセーターは、本と映像を通して、世界中の人々に知られるようになりました。

アフガニスタン出身のマスード・ハッサーニは、子どもの頃に暮らしたカブール郊外での体験からトークをスタート。諸外国が残して行った地雷に囲まれたもと軍用地の校庭では、脚を失った子どもにも出会ったと言います。子どもの頃に自らつくって遊んだというおもちゃを発想源にした地雷撤去装置について、その開発と実験、検証のプロセスを交えて語りました。

ハッサーニの作品は、ニューヨーク近代美術館に注目されたことから、各国のメディアで取り上げられるようになりました。地雷が無くなれば、豊富な地下資源を利用して、世界で最も豊かな国のひとつになるというアフガニスタン。ハッサーニは、さまざまな活動を通して、プロジェクトへの理解と支援を訴えています。

日常の中の小さな気づきがデザインを生み、ひとつひとつの丁寧な積み重ねで地域や社会の問題解決の糸口が見つかる、そんなヒントに満ちたトークとなりました。

いよいよ開幕を明日に控えた「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた会場の様子を、いちはやくお届けします。

展覧会ディレクターの川上典李子と横山いくこによるギャラリーツアーを開催します。参加作家の特別参加も予定。ぜひご来場ください!

展覧会ディレクターによるギャラリーツアー

日時:11月1日(土)・2日(日)16:00-17:00、3日(月祝)14:00-15:00
場所:21_21 DESIGN SIGHT
>>詳細はこちら

撮影:吉村昌也

2014年10月24日より開催される「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた本展から、展示作品の一部をご紹介します。


アルヴァロ・カタラン・デ・オコン 「ペット・ランプ」(Photo: Studio Alvaro Catalán de Ocón)

「ペット・ランプ」

アルヴァロ・カタラン・デ・オコン

廃棄されたペットボトルを用い、コロンビアとチリの伝統的な素材と手法で編み上げられたランプシェード。制作の手法は日本の茶筅から発想を得ています。


アルヴァロ・カタラン・デ・オコン 「ペット・ランプ」(Photo: Studio Alvaro Catalán de Ocón)

アルヴァロ・カタラン・デ・オコン 「ペット・ランプ」(Photo: Studio Alvaro Catalán de Ocón)

アルヴァロ・カタラン・デ・オコン Alvaro Catalán de Ocón:
1975年、スペイン マドリード生まれ。マドリードで経営学を修めた後、ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーティンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン(プロダクト・デザイン)を卒業。2004年に自身のスタジオをバルセロナに設立、現在はマドリードを拠点とする。彼の作品は近年、ミラノのロッサーナ・オルランディ・ギャラリーで紹介されているほか、世界中で数多く展示されている。ロンドン・デザイン・ミュージアムの「ベスト・プロダクツ・オブ・ザ・イヤー」展(2014年)、CODESPA賞(2013年)、DELTA賞(2004年)、AD賞(2014年)の最優秀新進スタジオ賞など受賞歴多数。
http://catalandeocon.com/ http://www.petlamp.org

アルヴァロ・カタラン・デ・オコンがトークに出演します。

オープニング・デザイナー・リレートーク「活動のデザイン」

日時:10月25日(土)14:00-16:00
場所:21_21 DESIGN SIGHT
>>詳細はこちら

東京ミッドタウンのデザインタッチ・カンファレンスにも出演します。

21_21 DESIGN SIGHT特別講義「PET Lampに見る"活動のデザイン"」

日時:10月26日(日)15:30-17:00
場所:東京ミッドタウン・カンファレンス(ミッドタウン・タワー4F)
>>詳細はこちら

>>「活動のデザイン展」展示作品紹介一覧を見る

日本のファッション、美術と工芸を研究し、技術を習得したことが、舘鼻則孝の表現の礎をなしている。一方、フォトグラファーハルは、「東京に住んでいる自分だからこそ表現できることを見つけ、世界に発信していきたい」と創作のモチベーションについて語る。2人は『イメージメーカー展』から何を感じ、今後の展開へとつなげていくのだろうか? 2人の対談を取材した。

──お2人の作品が並ぶこの展示室を見たときの印象を教えてください。

ハル:世界を舞台にして、日本人としてどういう表現をしていくか、と考えて作品を制作している点が共通していると感じました。それと、身体表現ですね。私はカップルの身体を使って画面をつくっていますし、舘鼻さんも、下駄や靴の制作を通じて女性の姿をつくり出しているわけですから。

舘鼻:やはり日本人の表現ということが共通していますよね。ハルさんの作品からは日本のサブカルチャーが見えてくるといわれますが、私の表現もサブカルチャーに変わりありません。海外の文化が日本に入ってきて、それが昇華されて日本の文化として成り立っているということは、要するに伝統的な日本文化からしたらサブカルチャーと呼べますよね。

ハル:私はよく、アングラなカルチャーの世界で活動をしている作家だととらえられていることが多いですけど、今回の展示みたいに、キャリアも長く第一線で活躍されてきた方々と一緒に展示されたのは、自分としても貴重な経験でした。とはいうものの、人の身体や顔が写った写真を切り貼りするグードさんの手法なんかは、世界中にインパクトを与えてグードさんの表現として認識されていますけど、今広告などで使われたら、危険な表現だと受け取られないとも限りませんよね。だから、私の真空パックの作品も「よい子はマネしないでください」といわれるような表現ですが(笑)、エレーヌさんが抵抗なくラインナップしてくれたのかもしれません。

舘鼻:グードさんと会ったときには「キッズ」って呼ばれたんですよ。私は29歳だから、彼からしたら若造ということですよね(笑)。でも、そういうグードさんが回顧展のような形式で過去の作品から新作までを展示していて、その一方で、私やハルさんみたいな、グードさんにとっての「キッズ」の作品が一緒に展示されている。出展作家が少ないグループ展で、こういう年齢やタイプの違う作家が集まるケースはすごく珍しいし、ひとりひとりが違うタイムラインを持っていて、それぞれのストーリーが表現されている今回の企画はとてもおもしろいと思いましたね。展覧会ディレクターの手腕がすごいと純粋に感じました。

──作家のキャリアも表現するメディアも異なりながら、それぞれの表現に共通点が見えるのが『イメージメーカー展』のおもしろさのひとつだと感じました。

ハル:最近、広告の仕事として動画制作をする機会が増えてきているのですが、作品でも動画に挑戦したいと考えているんですね。パッと見て認識できるのが写真の大きな特徴のひとつで、映像はというと、見るためにある程度の積極性が要求されますよね。展覧会では、立ち止まってある程度時間をかける必要があるし、家で見るとしたら、再生しないと見られない。その違いは、表現としての特性の違いにも表れていると思うんです。写真で物語を感じさせ、起承転結を持たせるのだとしたら、それは映像を使ったほうがより伝わるかもしれない。今回、ロバート・ウィルソンさんのビデオポートレートを見たとき、本当にその中間をやっていると感じました。時間経過や動きを表現しつつ、写真のように画面のディテールもきちっと見せている。そういうのを感じられたのはとても興味深かったですね。

──グループ展として、いろいろなタイムラインや時代に応じた表現が見えたことと同時に、舘鼻さんという1人の作家の展示から、西洋と東洋、古典と現代といった要素の連続性と対比が見えてきたのも印象的でした。

舘鼻:自分が日本人のアイデンティティを持っていて、その上で現代的な表現を行うためには、日本の現代性というのがどういうところにあるのか、常に探し続ける必要があります。海外から入ってきた文化が日本で独自の進化を遂げて日本的になっているのも、日本人の編集能力の高さによるものだと思うし、その感性が日本の流行の移り変わりの早さとも結びついているはずです。そういう背景から生まれる最先端なものを海外の人にも伝え、理解してもらうためには、時代や文化的なつながりをきちんと説明する必要があります。ヒールレスシューズの裏付けとして日本の下駄があるわけですし、膝の上まであるレザーのブーツと西洋のルネサンス美術との関係を説明することもできますし、美術の歴史と、日本の歴史と、自分の思考過程とがどのように重なり合っているかを提示することが重要だと考えています。おそらく、今回の展示でその一端を表現することができたのかもしれません。

ハル:インターネットも進化して、過去にどのようなものがつくられていて、世界のどういう場所でどういう生活が行われているのか、などのさまざまな情報を手に入れられるようになりました。つまりある意味で、時代も場所も地ならしされてしまったわけです。写真に関していうと、現在はあらゆるものが撮りつくされてしまった感がありますよね。だからこそ、今まで誰もやっていなかったことをやることが一番大事で、今までに撮られたことのないイメージを見つけたときの驚きも喜びも、とてつもなく大きいと思っています。そして、時代も場所も地ならしされたこの状況を利用すれば、東京で生活しているから得られる感覚で制作した作品を、例えば東京に居ながらにしてニューヨークの人に見てもらうことができるわけです。グローバル化によって、時代や文化のすき間に生まれたローカルで個人的な表現をおもしろがってもらえる土壌が、現代にはあると感じています。

左より、舘鼻則孝、ジャン=ポール・グード、エレーヌ・ケルマシュター、フォトグラファーハル、三宅 純、マシュー・シャタック

構成・文:中島良平
写真:木奥恵三

プロフィール/
舘鼻則孝:1985年、東京生まれ。15歳のときから独学で洋服や靴の制作を始める。東京藝術大学に進学して絵画や彫刻、染織などを学び、やがて花魁に関する研究に着手し、友禅染めを用いた着物や下駄を制作。2010年、自身のブランド「NORITAKA TATEHANA」を設立。全工程を手作業で完成させる靴が、LADY GAGAなどに愛用されていることでも知られている。

フォトグラファーハル:1971年、東京生まれ。東海大学工学部機械科卒業。2004年に写真集「PINKY & KILLER」発表後、カップルを被写体に撮影を行っている。2011年、2013年にニコンサロンで個展を開催し、海外のグループ展にも参加。写真集に「Pinky & Killer DX」「Couple Jam」「Flesh Love」ほか。並行して広告カメラマンとしても活動を行っている。

>>『イメージメーカー展』レポート一覧を見る

展覧会ディレクターのエレーヌ・ケルマシュターは、舘鼻則孝のことを「伝統と未来を見据えてものづくりを行う作家」と、フォトグラファーハルを「カップルをモデルにイメージをつくりあげ、"予想不能"なコンポジションに"愛"を表現するイメージメーカー」と表現する。『イメージメーカー展』では、ふたりの作品が同じ展示室に並べられた。前編と後編の2回にわたる今回のレポート。前編では、それぞれのコメントから2人の表現を紹介する。

展示室に足を踏み入れると、まず目に入ってくるのが石膏による足が林立するインスタレーション。かつて舘鼻則孝が、1枚の皮革から足のフォルムをかたどったブーツを手がけたことがあり、それを石膏で何足も複製することによってこのインスタレーションは生まれた。人の足の構造をリサーチする標本のようでもあり、また、ロダンなど西洋の近代彫刻家たちによる体のパーツの習作が集積した様子も連想させる。

ファッションデザイナーを目指すときにまず日本のファッションを勉強したという舘鼻は、「自分のルーツにあるのは日本のファッションへの関心であり、そこから展開する前衛的で新しいものづくりを追求している」と語る。「今回はほとんどが新作なんですが、ファッションアイテムである靴と、中庭のサンクンコートに展示されたかんざしがモチーフの大きな彫刻作品、その中間であるインスタレーションやオブジェ、という3つのセクションで構成しています。ここに展示したヒールレスシューズは、日本の下駄にインスパイアされて生まれた作品です。その関係性を見せるために、学生のころにつくり始めた下駄を展示しました。東洋の美術として生まれた日本の靴といえます。日本文化に西洋からの文化が影響を与え、融合することで現在の日本文化が生まれたわけですが、そのような西洋と東洋の対比や、古典と現代表現のつながりを常に意識しています」
足が地面よりも高いところに置かれる日本の下駄を工芸の技術によって洗練させた作品。そしてその対比として、伝統的な技術にインスパイアされ、東洋と西洋の融合を現代のモードに昇華したヒールレスシューズ。舘鼻は日本の花魁を研究することで着物や下駄の文化を知り、最新の表現へと展開させるために、ルネサンスや近代彫刻などの西洋芸術も学んだ。身にまとうものを手がけるために、身体性の研究にも余念がない。多様な表現を行いながら、根底にあるのはひとつの意識だということが展示から伝わってくる。
「日本の文化を世界の人に知ってもらいたい、というのが制作の大きな動機です。それをより現代的で新しい形で行うには、どのような技法や素材を用いるのがいいか。美術にも工芸にも歴史的な時間軸があるので、それを横並びで見て、重なり合う部分を説明しながら紐解いているのが自分にとっての制作活動であり、今回の展示でやりたかったことです」

舘鼻の作品と対面する形で、壁面にはフォトグラファーハルの写真作品が展示されている。色鮮やかな画面に写されているのは、布団圧縮袋に真空パックされたカップルの姿。「カップル2人の距離感がどれだけ近づいてひとつになることができるか、それを表現したい」と、ハルはこれまでのすべての作品に通じる制作動機について語る。「袋の上に寝転がってもらって、関節の位置や体のバランスなどを考えながらカップル2人と私との3人でディスカッションして構図を決めます。そのときに、私が俯瞰でそのフォルムが美しいかどうかを考えますし、実際に袋に入って掃除機で空気を抜くことで予期していなかった構図が生まれもします。1分か2分かけて徐々に空気が抜けていき、最終的に顔にピタッとビニールが貼り付いた時点で呼吸ができなくなるので、そこから10秒カウントダウンしながら、袋をグッと引っ張って服の細かいシワを直したり、腕や足の位置を動かしたりして、1回シャッターを切るわけです。そして、シャッターを切ったと同時に袋を開ける。息ができないので時間との勝負です。完璧にコントロールして同じ構図の真空状態をつくることは二度とできませんし、10秒間という限られた時間でその瞬間を画面に切り取ることに、写真というメディアを使う必然性があると思っています」
画面構成を想定し、カップルとの共同作業で被写体をつくりあげる作業が非常に重要な位置を占める。そうして生まれた作品から、新たにイメージが広がり次の作品のアイデアが生まれるという。圧倒的なインパクトを持つ画面は、その構図とディテールの結びつきによって見るものの目を釘付けにする。
「今回展示した7点のうち、1点は『Flesh Love』という2010年の作品で、もう6点は『Zatsuran』という2012年と2013年に撮影した作品です。カップルの2人と、彼らが普段使っているものや家にあるものを一緒に真空パックしています。2人の持ち物が2人に吸い寄せられた貼り付いている様子を撮影することで、 ふたりが引かれ合うパワーがより高次元で表現できると考えたわけです」

記事の後編では、それぞれが考える日本的な表現や、『イメージメーカー』という展覧会としての独自性などについて語った、舘鼻とハルの対談をレポートする。

構成・文:中島良平
写真:木奥恵三

プロフィール/
舘鼻則孝:1985年、東京生まれ。15歳のときから独学で洋服や靴の制作を始める。東京藝術大学に進学して絵画や彫刻、染織などを学び、やがて花魁に関する研究に着手し、友禅染めを用いた着物や下駄を制作。2010年、自身のブランド「NORITAKA TATEHANA」を設立。全工程を手作業で完成させる靴が、LADY GAGAなどに愛用されていることでも知られている。

フォトグラファーハル:1971年、東京生まれ。東海大学工学部機械科卒業。2004年に写真集「PINKY & KILLER」発表後、カップルを被写体に撮影を行っている。2011年、2013年にニコンサロンで個展を開催し、海外のグループ展にも参加。写真集に「Pinky & Killer DX」「Couple Jam」「Flesh Love」ほか。並行して広告カメラマンとしても活動を行っている。

>>『イメージメーカー展』レポート一覧を見る

2014年7月19日、「イメージメーカー展」参加作家の舘鼻則孝によるトーク「展示を語る/日本文化と伝統芸術の未来」を開催しました。

トークは二部に渡って構成され、第一部では、舘鼻の生い立ちと作家になった経緯が語られました。歌舞伎町で銭湯を営む家系に生まれた舘鼻は、シュタイナー教育に基づく人形作家である母親の影響のもと、幼い頃から「欲しいものは自分でつくる」ことを覚えたと言います。そして、東京藝術大学で絵画や彫刻を学び、後年は染織を専攻し、花魁に関する研究とともに日本の古典的な染色技法である友禅染を用いた着物や下駄の制作をすることとなります。この背景には世界で活躍するファッションデザイナーになるために、まずは自分にしか出来ないことを武器にすべく、日本のファッションを勉強してから世界に出ようという想いがあったと語りました。そして、卒業制作では新しい感覚を与えるものをつくるべくドレスと、のちに「ヒールレスシューズ」と呼ばれる靴を制作。花魁の高下駄から着想を得たこの靴は、古典と現代を融合させた独自の美が打ち出されたものでした。

第二部では、本展作品について語られました。コンピュータグラフィックを利用してアクリルを削り出した「フローズンブーツ」や、鋳物メーカー能作の職人たちとの恊働によって制作した作品「ヘアピン」のプロセスを紹介。「日本の文化を新しいかたちで世界に発信してゆく」ことを自らの大義とする舘鼻の世界の深さを伺い知ることのできる貴重な時間となりました。

7月4日(金)、いよいよ企画展「イメージメーカー展」が開幕します。

ファンタジックな想像の世界をつくり出すこと、様々なクリエイティブな分野を融合させること、そして今ここにある世界について語りながら、人々を全く違った世界へ連れだすこと......。本展では、日仏文化交流に精通したキュレーターのエレーヌ・ケルマシュターを展覧会ディレクターに迎え、広告の世界に革命をもたらしたジャン=ポール・グードを中心に、国内外で活躍するイメージメーカーたちによる作品を展示します。

<展覧会の見どころ>

希代のイメージメーカー、ジャン=ポール・グードの世界にメインギャラリーが変貌
グードの創作は次元を超越し、見る者を想像の世界へといざないます。本展では、プライベートな生活での出会いが色濃く反映された機械仕掛けの彫刻「見ざる」「言わざる」「聞かざる」が一番の見どころ。会場では、彼が崇拝する「3人の女神」たち―グレース・ジョーンズ、ファリーダ、カレンをモデルにした人形が、三宅 純作曲の音楽に合わせて踊ります。さらに、グードが手掛けたパリの地下鉄内のデパート広告を16台のモニターを連結して再現したビデオインスタレーションや、写真コラージュ「形態学的改良」シリーズ、ドローイングなどを展示し、自らの世界観を大胆に表現します。

「ヒールレスシューズ」によって世界に名を知らしめた、舘鼻則孝の新たな側面を公開
彫刻、オブジェ、靴の全てが融合された舘鼻の「ヒールレスシューズ」は、履くことによって身体のラインを一変させます。その発想源には花魁の高下駄や日本の伝統文化があります。本展のために、舘鼻は制作プロセスとともに新作の靴と下駄を発表。また、身体構造にインスピレーションを得た石膏作品「アイデンティティーカラム」やアクリル製の彫刻「フローズンブーツ」、さらには大型のかんざしを屋内外に展示します。なお、地下ロビーには「ヒールレスシューズ」試着コーナーも設置します。

あらゆる分野を横断するイメージメーカーたちによる、活気ある世界の物語
舞台演出家として名高いロバート・ウィルソンの「ビデオポートレート」シリーズを日本初公開。本展のために作品プロデューサーが来日し、21_21 DESIGN SIGHTの建築空間に新たな"舞台"をつくりだします。また、映画、写真、絵画と様々な分野で活躍するデヴィッド・リンチは、自らの心象風景を映しとったリトグラフ24点を出展。さらに、フォトグラファーハルは、カップルを真空パックして撮影した「Flesh Love」と新シリーズ「Zatsuran」を紹介します。日仏文化交流に精通したキュレーター、エレーヌ・ケルマシュターのディレクションにより、国内外屈指のイメージメーカーたちの作品が一堂に集い、活気ある世界の物語を繰り広げます。

Photo: 木奥恵三

2014年7月4日より、いよいよ開催される「イメージメーカー展」。開幕を間近に控えた本展の参加作家と、それぞれの作品の見どころを紹介します。

舘鼻則孝

まだ20代という若さの舘鼻則孝は、歌舞伎町で銭湯「歌舞伎湯」を営む家系に生まれました。人形作家である母親の影響で幼い頃から手でものをつくることを覚え、15歳の時から服や靴の制作を独学で始めました。東京芸術大学で絵画や彫刻を学んだ後、染織を専攻し、花魁に関する研究とともに日本の古典的な染色技法である友禅染を用いた着物や下駄を制作しました。

2010年、大学卒業とともに自身のブランド「NORITAKA TATEHANA」を立ち上げ、自らのアプローチによりレディー・ガガの専属シューメーカーとなります。全ての工程が手仕事により完成される靴は、ファッションの世界にとどまらずアートの世界でも注目され、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館やニューヨークのメトロポリタン美術館などに永久収蔵されています。

本展では、代表作「ヒールレスシューズ」のシリーズを制作プロセスとともに展示するほか、下駄やブーツ、ヘアピンなど、多数の新作を発表します。注目は、身体に関する舘鼻の研究と造形力が存分に発揮されたインスタレーション「アイデンティティーカラム」。彫刻ともオブジェとも捉えられる、舘鼻の新境地をご堪能ください。
なお、地下ロビーには、「ヒールレスシューズ」試着コーナーを設けます。

舘鼻則孝「フローティングワールド」2014年
舘鼻則孝「ヒールレスシューズ」2010-2014年
左:舘鼻則孝「ヒールレスシューズ」2010-2014年
右:舘鼻則孝「シンデレラ」2014年

舘鼻則孝が出演する関連プログラム

トーク「展示を語る/日本文化と伝統芸術の未来」
日時:7月19日(土)14:00-15:30
出演:舘鼻則孝
>>詳細ページ

「コメ展」を盛り上げるのは、コメや参加作家だけに留まりません。コメと真摯に向き合ってきた「コメびと」達、彼らの言葉と眼差しには、食卓からは伺い知ることのできないコメの多彩な有り様が映し出されます。ここでは、展示に秘められたコメびと達の息づかいを、取材時のエピソードを交えてお届けします。(記:奥村文絵)

  1. 『コメびと日誌』【第1回:松下明弘さん(稲作農家)、長坂潔曉さん(安東米店)】
  2. 『コメびと日誌』【第2回:村嶋 孟さん(銀シャリげこ亭)】
  3. 『コメびと日誌』【第3回:金重 愫さん(備前焼作家)】
  4. 『コメびと日誌』【第4回:伊勢の神宮】
  5. 『コメびと日誌』【第5回:和久傳(京都の料亭)】
  6. 『コメびと日誌』【最終回:寺田本家】

2月28日(金)、いよいよ企画展「コメ展」が開幕します。

コメは、私たちの暮らしにとても身近で、日々の生活に欠かせないものです。日本では、コメを中心とした食文化を深めつつ、稲作の歴史とともに様々な文化が発展してきました。

本展では、私たちの文化の根幹をなすコメのありようを新鮮な目で見つめ直していきます。そして、その未来像を来場者の皆様とともに考えていきます。

佐藤 卓、竹村真一ディレクションによる「コメ展」に、ぜひご来場ください。

撮影:淺川 敏

2013年9月28日、「カラーハンティング展 色からはじめるデザイン」関連プログラム「国家珍宝帳プロジェクトを語る」を開催しました。

奈良時代の正倉院におさめられた聖武天皇遺愛の品のリストより20色の布の再現するプロジェクト「国家珍宝帳」。そのプロジェクトに参加した小見山二郎(東京工業大学名誉教授)、中島洋一(古典織物研究家)、山崎和樹(草木染研究家)を迎え、各々が制作のプロセスを語りました。

まず、小見山が登壇し「自然の中で循環する生命の徴を身につける」ために、人は染め物を行い始めたと言います。そして国家珍宝帳においては、緋色の染色法が後世に伝わらず、当時は明礬(みょうばん)が使用されていた説を述べました。

続いて、中島が国家珍宝帳の絹について語りました。このプロジェクトでは、古代蚕品種の考察から繭の保存方法まで表すことを意識したと述べました。

そして、山崎からは各々の色とそれに伴う草木染めの方法が紹介しました。

専門分野で秀でた方々によって成り立った、壮大な歴史絵巻プロジェクト「国家珍宝帳」。トーク終了時に「このプロジェクトを通して、先人のもつ色のあり方に、個々人がひも解いていけたら良いと思う」と山崎は語り、会場は色の持つ深い世界に包まれました。

21_21 DESIGN SIGHTでは、2011年から2012年にかけて、東北地方の人々の精神とものづくりの持つ大きな力を改めて見つめ直すことを目的とした、二つの展覧会を開催しました。
本書では、「東北の底力、心と光。『衣』、三宅一生。」(2011年7月26日~31日)、「テマヒマ展〈東北の食と住〉」(2012年4月27日~8月26日 )の二つの展覧会に出展された64アイテムを、「衣・食・住」のカテゴリー別に完全収録しました。
雪の季節が長く厳しい環境のなか、自然と共存する暮らしを大切にしながら、東北の人々が知恵と工夫を凝らして生み出してきた美しく力強い品々をぜひご覧ください。

『東北のテマヒマ 【衣・食・住】』
著者:21_21 DESIGN SIGHT
監修:佐藤 卓
発行:株式会社マガジンハウス
定価:2,310円(税込) 21_21 DESIGN SIGHTと全国大型書店にて12月13日発売

『東北のテマヒマ 【衣・食・住】』

好評連載「佐藤 卓、東北へ」と「深澤直人、東北へ」に続き、本展企画協力の奥村文絵と川上典李子が東北を訪れた、テマヒマ展フォトドキュメント。二人が出会った東北6県の「食」と「住」を、週代わりでお伝えします。

「今年は雪が少なくて、いつもの半分ほどですね」。テマヒマ展リサーチの終盤、雪にも寒さにも慣れてきたはずの私たちだったが、最初のひとことに驚かされてしまった。

すぐ前の家の屋根はこんもりと積もった雪に覆われ、周囲の雪も高さが1mは積もっている。これが例年の半分とは......! 東北各地を訪ねているといっても、私たちは東北の大切なところをまだちっとも分かっていないのかもしれないなあ。そう自分に言い聞かせながらの、福島訪問のはじまりだ。

Photo: Alain Degobert

奥会津地方となる大沼郡三島町。郡山から西に向かい、猪苗代町を抜けて会津若松市や喜多方市(写真次:会津桐下駄)などの複数箇所でリサーチや取材を終えた後に三島町に入った私たち(2枚目:会津桐たんす)。今回は映像作家の山中 有さんも一緒だ。

三島町は昨年夏の「東北の底力、心と光。『衣』、三宅一生。」の際に、からむし織の取材で訪ねた昭和村の近く。夏の昭和村訪問を思いだし、ちょっと懐かしい思いになった。

三島町生活工芸館でお会いしたのは五十嵐義展さん。1979年生まれの五十嵐さんは東京の大学を卒業後、生まれ育った三島町のものづくりを支える仕事についている。奥会津三島編組品振興協議会の運営事務局として、毎年6月に開催され、全国から大勢の人が集まる「ふるさと会津工人まつり」の運営にも関わる立場だ。

Photo: Alain Degobert
Photo: Alain Degobert

五十嵐さんによると、三島町の「生活工芸運動」は1981年から始まった。木工、陶芸、編み組み、染め、塗りでつくられたすべての生活用具を「生活工芸品」として、1987年には「ものづくりの拠点」としての生活工芸館も誕生した。「雪国の暮らしのなかで、ものづくりは冬の楽しみのひとつなんです」

そのひとつ、奥会津編み組細工。山ブドウ細工(写真次)、マタタビ細工、ヒロロ細工(2枚目写真)とさまざまある。生活工芸館の展示を説明していただいた。

Photo: Alain Degobert
Photo: Alain Degobert

五十嵐さんに案内いただき、編み組細工を手がける2氏の工房に向かった。まずは二瓶(にへい)新永さん。手さげを中心とする山ブドウ細工を手がける伝統工芸士でもある。


素材となるのは山ブドウのツルで、その皮部分を使う。毎年梅雨入りの頃に素材を奥山にとりにいくことから作業は始まる。素材の下ごしらえに時間がかかるのは他の編み組細工と同様で、皮を幅ぞろえし、なめす作業だけで丸2日。

パスタマシンのような機械をカスタマイズした「なめし機」を用いる人もいるなど、それぞれに工夫を凝らしながらの制作となっている。堅いツルをなめして編むには、かなりの根気が不可欠だ。

二瓶さんや五十嵐さんとの話から、「地元でとれる山ブドウのツルが少なくなってきている」ことも知った。ツルの採取は、翌年、再び新しい芽がでるための配慮とともに行なわれなくてはならない。そう、自然の素材を用いる手仕事の継承とは、素材を入手できる環境を大切に伝えていくことでもある。

Photo: Alain Degobert
Photo: Alain Degobert
Photo: Alain Degobert

続いてお会いしたのは、展覧会の映像にも登場いただいたマタタビ細工の五十嵐文吾さん。同じく伝統工芸士。「大正11年生まれです」と文吾さんからうかがい、私は頭のなかで年齢を数えた。今年で90歳......! マタタビ細工をもう何年ぐらい続けているのかうかがうと、「60年以上つくっています」という。

自宅のはなれとして設けられた工房で、そばざるを編む作業を見せていただいた。

生活工芸館の五十嵐義展さんは文吾さんの傍らに正座し、背筋をぴんと伸ばして作業の手元を見守っている。日没時のしんと静まりかえった工房で、聞こえるのは文吾さんがマタタビを編む手元の音。集中した作業の様子。しっかりと編むために、全身の力を使っての作業であることも伝わってくる。



「マタタビ細工はおもに炊事用具づくりに活かされてきました。水切れがよく、水分を含んだ材料はしなやかで、手を傷つけることが少ないのが特色なんです。用途によって編み方が異なります」。五十嵐義展さんが説明してくださった。

そばざるづくりでは底の部分から編み始め、「均質に力をかけていく」のが大切。縁に用いられるのはクマゴヅル。仕上げたざるは軒下に吊るして「寒ざらし」をする。雪に反射した太陽の光(紫外線)によってマタタビの色が白くなる。「寒風はざるを強くします」

Photo: Alain Degobert
Photo: Alain Degobert

ちなみに五十嵐義展さんも幼い頃、祖父がマタタビ細工をする姿を見て育ったそうだ。現在はつくる現場を支えることが仕事だが、日々、皆さんの手仕事を目にするなかで、自然とつくり方を学んでいるそう。

「先日、四つ目ざるをつくろうとやってみたら、つくれました」と自作のざるを見せてくださった。編み方を記した教科書は特にない。囲炉裏(いろり)の周りに集まって、そうやって代々、編み組細工が伝えられてきたのだろうなあ、と想像する。

ところで、三島町には「三島町生活工芸憲章」がある。

1. 家族や隣人が車座を組んで
2. 身近な素材を用い
3. 祖父の代から伝わる技術を活かし
4. 生活の用から生まれるもの
5. 偽りのない本当のもの
6. みんなの生活の中で使えるものを
7. 山村に生きる喜びの表現として
8. 真心を込めてつくり
9. それらを実生活の中で活用し
10. 自らの手で生活空間を構成する

生活とともに生まれ、暮らしのなかで活用される品々。今日まで伝えられてきた精神をさらに継承していこうとする町の活動も、それをさらに次の世代に伝えるべく、五十嵐義展さんのような若い人が情熱を注いでいるところも、本当にすばらしい。

Photo: Alain Degobert

昨年夏に続いて、再訪した東北6県。会場の制約もあって、「食と住」の「住」の展示では最終的に30アイテムに絞らせていただいたが、つくる人々だけでなく研究者や関連施設の担当者をあわせると、私が訪ねた先は70近くとなった。事前に図書館で調べた本にはなかった話、現場の今についても、貴重な話を教えていただくことができた。

そして今、展覧会閉幕を前にして改めて、テマヒマ展のきっかけとなった「東北の底力、心と光。『衣』、三宅一生。」の展示内容も振り返っている。こちらは東日本大震災後の直後、三宅一生を中心に準備をし、昨年7月に1週間のみ開催した特別プログラムだった。

2011年夏の取材で訪れた青森県、十和田市の風景
Photo: Masaya Yoshimura

このプログラムは、遡ること1970年代、デザイナーとしての活動を始めてすぐの三宅一生が、日本各地の職人や機屋、専門工場を訪ねる旅に出ていたことにつながっている。三宅さんの各地の人々との出会いは、現在の活動にもつながっていた。

「すばらしい出会いがたくさんありました」。そうした話を三宅さんから教えていただいたのが昨年春。「東北には時間をかけてじっくりつくる手仕事が多くあります」「ねばり強く工夫を重ね、世界に誇る仕事をしています」。各地の人々との関係もまた、時間を重ねて育んでいくこと......忘れてならない、とても大切なことを教えていただいた思いだった。

私たちの今回の旅は、まだまだ「はじまり」に過ぎない。出会っていない大切なことが多々あるはず、と自覚しながらの取材を続けながら、はじまりのままで終わらないようにしたい、と思う旅にもなった。東北の皆さんから貴重な品々をお預かりしている緊張感とともにまとめたテマヒマ展の会期中、その思いはますます大きくなっている。

Photo: Alain Degobert

また今回、各地を訪ねたことで、テマヒマの様々な意味を実感できたことを大切にしたい。細やかな配慮であり、こだわりや工夫であり、生活と一体となった習慣であり、表現であり、楽しみや喜びでもあった。寡黙ながらも多くのことに気づかせてくれる品々。手間ひまを費やしたものづくりが今後どうなっていくのかにも、目を向けなくては......。

昨年秋から今年春まで、あわただしい訪問になってしまったにもかかわらず、温かく迎えてくださった皆さん、訪問後の細かな電話取材にも応えてくださり、素材や工程について引き続き丁寧に教えてくださっている皆さんに、改めてお礼を申し上げます。

文:川上典李子

好評連載「佐藤 卓、東北へ」と「深澤直人、東北へ」に続き、本展企画協力の奥村文絵と川上典李子が東北を訪れた、テマヒマ展フォトドキュメント。二人が出会った東北6県の「食」と「住」を、週代わりでお伝えします。

宮城県を訪ねたのは1月。まずは、仙台市から北上して大崎市へ。伊達政宗が居城していたことで知られる岩出山地区にある大崎市竹工芸館で「しの竹細工」の取材を行なう。続いて私たちのクルマは東に向かった。東日本大震災による津波の被害が大きかった石巻市雄勝(おがつ)町が次の目的地だ。移動は、北上川を目にしながらとなった。

国内製造の硯の約8割を占める「雄勝硯」。雄勝でとれる玄昌石(げんしょうせき)は粒子が均質、刃のように細かな目が整っていることから硯に最適。そう、かの政宗公にも愛された硯でもある。私たちが訪ねたのは、震災と津波の大変な状況に屈することなく、いち早く雄勝硯の制作を再開した遠藤弘行さん。


津波で自宅兼作業場を失ってしまった遠藤さんが、自宅敷地の一角にプレハブの仕事場を設け、「すずり館」の看板を再び掲げたのは昨年6月のこと。石を拾い集め、職人だった知人から道具を譲りうけての再スタート。日没が早い秋以降はソーラー電池で蛍光灯をつけて、硯をつくり続けた。「一日も早く再開して、お客さんを喜ばせたかったんです」



「雄勝の石には、黒石、白石、ねずみ石とあります。ねずみ石は今は採石されておらず、雄勝硯の9割が黒石です。堅いのが白石で、縞模様があるもの、長年隣接していた土の色がそのままついた石など、様々あります。石の表情、そして性質を見ながら、ノミを入れます。10種類のノミを使いわけながら彫り、最後に彫刻を施して仕上げます」

父の遠藤盛行さんは、雄勝石の採石師としては3代目だった。やがて、「雄勝のすばらしい石を硯に使いたい」と、採石だけでなく硯づくりも行なうようになった。その父から弘行さん(1959年生まれ)が硯づくりを学び始めたのは、24歳のとき。

「使ってもらえること、お客さんに喜んでもらえることが、硯づくりの一番の喜び。使われてこそ自分の仕事が活きる」。瞳を輝かせながら語ってくれた。この硯は使いやすい。硯がよかったから満足のゆく文字が書けたよ。そんな声を聞けることが励みだという。

私たちが遠藤さんを訪ねてから2カ月後となる今年3月、「仕事場を増設した」との連絡をいただいた。作業場の横に、6畳ほどの販売コーナーを設けたのだという。雄勝石と硯を集めるボランティアが、隣の家の敷地から、1メートルほどの土砂に埋もれていた遠藤さん作の硯を見つけ出してくれたとの朗報も。「硯が、150以上見つかったんです!」

テマヒマ展の会場で紹介している硯は、こうして土砂から見つけられた硯の一部。次写真の右2つが白石を、左が黒石を用いたもの。会場で紹介している原石は白石。今年3月には、雄勝石(黒石)の採石も再開した。硯の町は、たくましく前へと進んでいる。



硯の裏側も端正な姿。そこに、かつてグラフィックデザインやレタリングを学んでいた遠藤さん(次写真)ならではの、美しく力強い文字が刻まれている。



ところで、この雄勝石は地元の建物の屋根にも活用されてきた。高台に移動してみると、雄勝石のスレート瓦の建物が凛とした姿で残っていた。




これら雄勝石のスレートは、辰野金吾の設計で1914年に竣工した東京駅丸の内駅舎にも用いられている。

現在行なわれている東京駅丸の内駅舎保存・復原工事でも、駅舎を象徴する中央部の屋根に雄勝石スレートが用いられている。その数、1万5000枚。大震災をこえて、計画通りに仕上げられた。ちなみに1914年の東京駅駅舎竣工時には宮城県登米(とめ)市のスレートも用いられており、今回の復元でも当時のスレートが再利用されている。


宮城県滞在中、仙台の堤焼(つつみやき)も訪ねた。こちらも伊達政宗とのつながりが深く、伊達藩窯として始まった歴史がある。その後も多くの陶工たちが、生活に必要な雑器をつくりつづけてきた。堤焼の甕は、かつて柳 宗悦と濱田庄司からも絶賛されている。

しかし第二次世界大戦後から1960年代後半、堤焼に関わる人々は土管(どかん)づくりが主となっていった。そのなかで堤焼本来の甕(かめ)や茶器づくりにこだわったのが乾馬(けんば)窯だ。


時代とともに状況は変わり、陶製土管は、塩化ビニールやポリエチレンなどを素材とするプラスチック土管に一変していった。周囲の窯は次々と消えていった。「堤のやきもの」づくりを一貫して継続してきたからこそ、堤焼乾馬窯は今に続いているのである。

今では堤焼唯一の窯となり、4代目針生乾馬(次写真左)が代表を務める。堤焼誕生の地である仙台市堤町の開発が進み、市内北部の丸田沢に移転したのは1964年のことだ。


水甕、漬物甕、味噌甕......ひと昔前まで仙台周辺の家々で見られた様々な甕。水甕は水道が整備される以前、井戸から水を汲んで、その日の飲料水を蓄えるために用いられていた。大きな水甕があれば、およそ45リットルはためておける。

堤焼で使われる地元の土は粗くて強く、この性質によって大きな甕をつくることができる。しかし、土には珪砂が多く含まれるため、水が漏れないように釉薬を厚くかけることが求められる。黒釉薬と白釉薬、力強く豪快な『なまこ釉』が特色。「釉薬の流れ方はそのつど違う。かけるのはすべて勘です」と、針生乾馬さん。


「黒釉薬には、仙台市北部の鷺ケ森の岩を。白の『なまこ釉』には、籾殻(もみがら)灰を使います。地元の米、ササニシキ、ひとめぼれの籾です」。籾殻の灰に含まれる珪酸は、耐火物で高温でも溶けにくい。そのため濁って白く見える。(堤焼を詳しく紹介している本に、笹氣出版(仙台)発行の『堤焼 乾馬窯  四世 針生乾馬語』があります)


東日本大震災で被害を受けてしまった登り窯は、私たちが訪ねた時も破損したままになっていた。大甕も割れており、周辺に破片が散ったままだ。器をはじめとする小物の多くも割れてしまったようで、庭には大量の破片が集められていた。

ああ......。積もった雪を手ではらいながら、破片となった壷や器を見ていた私たちに、針生さんが静かに語りかけてくれた。「またつくればいい。この手でまたつくればいいんです」。針生さんは1927年生まれ。その情熱、前向きな姿勢にはっとさせられてしまう。


遠藤さんと針生さん。それぞれに別れがたく、帰り際に思わず握手をさせていただいた。遠藤さんのしっかりした手。針生さんの柔らかな手。地元の石、地元の土に長く向き合ってきた手だ。ものづくりの情熱と直結するこうした手によって、歴史あるものづくりはさらに続いていくのだろう。「テマヒマ」を未来につなぐ想い、地元の皆さんのたくましさが、しっかりと伝わってくる。

文:川上典李子

好評連載「佐藤 卓、東北へ」と「深澤直人、東北へ」に続き、本展企画協力の奥村文絵と川上典李子が東北を訪れた、テマヒマ展フォトドキュメント。二人が出会った東北6県の「食」と「住」を、週代わりでお伝えします。

12月16日。数日前から滞在していた山形市内を出て、この日は新庄市へ。「住」チームのリサーチとして必ず見ておきたかった「新庄ふるさと歴史センター」訪問だ。新庄民具研究会が収集してきた膨大な数の「雪国の民具」がここにはある。



雪に包まれた最上川を目に移動しながら、私は、シャルロット・ペリアンが自伝に記していた山形訪問の記述を思い出していた。柳 宗悦の友人でもあった積雪地方農村経済調査所所長の山口弘道から蓑を紹介されたペリアン。彼女と新庄との出会いは、蓑藁細工のつくり手によるクッション制作にも結実している。

この日の移動はまた、彼女の自伝にあった次の一節も思い起こしながら......

「私は白い冬の東北地方が好きだ。寒さ除けの藁の帯に包まれてまっすぐに立つ木々。雪の厚い絨毯の下に呑みこまれ、木と藁(わら)で縁側を囲って閉じこもった家々。巨大な屋根がその上に張り出すようにのる。すべてがひっそりと静まりかえり、動かない」。  (『シャルロット・ペリアン自伝』、北代美和子訳、みすず書房)


藁の文化。米俵、踏み俵、雪靴、わらじ......。ペリアンの山形訪問は40年以上前のこと。

「雪の絨毯」はそのままだが、暮らしは大きく変わっている。ふるさと歴史センターで聞いた次の言葉も私は気になっていた。「今は稲刈りがコンバインでされるから、藁が手に入らない。民具づくりを続けるために、藁をとっておいてもらっています」

ものづくりの光景は時代とともに変わる。1年のはじまりを「藁をなう」作業で迎えた日本だったが、その習慣も消えつつある。「ここには息づいているだろう(息づいていてほしい)」と淡い期待を抱いたことも、そうではない現状を知る。状況を冷静に知りながら、身近な品々に目を向けなければ。改めて肝に銘じる思いで、この日も移動を続けた。




新庄を後にして、午後は山形市切畑(きりはた)地区へ。新庄の民具展示でも目にできた「臼」のリサーチだ。

展覧会ディレクターのひとり、深澤直人との打ち合わせのなかでも、臼は早い段階から挙がっていたもののひとつ。脱穀や精米をはじめ米と切り離せぬ道具であったこと、正月の餅つきに代表されるハレの日の行事に欠かせないことに加えて、木の組み方や削り方など、木工技術が活かされた道具であることに私たちは興味を持っていた。


山形県特技木工協同組合から紹介いただき、酒井平男さんを訪ねる。

切畑は、山形市内から仙台市へとぬける街道沿いののどかな地区。「里」という言葉がまさにふさわしい。紅花の栽培が盛んだった切畑地区では紅を扱う商人の行き来があり、京都や大阪から生活道具が伝わってきた歴史があるのだと聞いた。周辺の樹木を用いて臼づくりが始まったのは江戸時代のことだという。


素材は樹齢150年ほどのケヤキが主。「雪国のケヤキはいい臼になる。日あたりがよく、風あたりのよいところにある樹がいい。風が強すぎる場所にあるのは割れやすいからだめだよ」。酒井さんが教えてくれた。時に樹齢300年ものアズサ(ミズメ)も用いられる。共に堅くて割れにくい樹。そのうえで臼に必要な樹齢が求められるのだ。

製材後は屋外に1年ほど置いた後、臼の大きさにあわせて周囲が正円に整えられる。なるほど、庭に置かれていた木材にはそのための円が描かれていた。

「さらに倉庫で乾燥させるんだ。これが2年ほど」と酒井さん。「木を寝かせる」「木を休ませる」。生きた素材に向き合う時間の大切さを、順に教えてくれる。それにしても、ここまでですでに3年、ですか......?!



自宅近くに立派な直販所を持つ酒井さん。臼づくりの作業場がその奥にあった。


旋盤の機械は昭和初期のもの。その重厚な姿にすっかり圧倒されてしまった私たちだったが、酒井さんによると、実は内側を削る手作業が最も大変なのだという。(次写真は臼の底を削っているところ)



「作業は3つ、荒削り、中(ちゅう)仕上げ、仕上げとあって、経験を積まないとうまくできないのが、中仕上げ。『手(て)んぶり』を使って、片手で内側を削っていく。こうした作業をあわせると、製材から臼の完成まで4年から5年はかかるね。内側は餅がつきやすいように深く彫る。卵彫り、って言うんだ」



完成した臼を見ると、白い粉のようなものが入っている。「完成したら、木が割れないように、塩を入れておく」。なるほど......。

臼の形には大きく2種類がある。お椀のように曲線を描く「善光寺型」と、直線の「寸胴型」。テマヒマ展では、その双方をお借りできることになった。


「親の時代には60人ぐらいが切畑の臼づくりに関わっていて、木を切る人、つくる人、販売する人と作業が分かれていた。今では5人。私の先輩が2人、同じ世代が2人、若い人がひとりです」。祖父、父に続く、臼づくり3代目の酒井さんは1935年生まれ。地元の「若い人」もすでに60代だという。

「お客さんは主に地元の人、それと仙台だね。正月、1月10日の山形の初市で売る。初市は江戸時代から続く山形の伝統行事だ。うちの場所は決まっているから、後で教えるよ」

「......これまでに臼が売れない時代もあったよ。電気の餅つき機がでてきたからね。昭和39年(1964年)から3年間は1個も売れなくて、だからこんなものも開発してみた。電気の餅つき機を小さな臼に入れてみたんだ。でも、全然売れなかったねえ(笑)」


1964年は東京オリンピック開催年。この頃から1970年代、世の中は大きく変わり、生活の必需品も変化、食や保存食のあり方も変わっていった。時代の流れのなかで、臼も消えかけていたのかもしれない。それにしても、蓋のようなものが上に乗せられ、スツールにも見えたこの品、目にした瞬間から気になっていたのだが、そんな歴史があったとは。

「また売れるようになったのは、幼稚園で餅つきをする様子がテレビで紹介されて、それからだね。バブルの時は1年に70個も売れたけれど。今はもうそれほどの数はでないけど、催事用にでているね。相撲部屋の餅つき用にも売れている」

臼だけでなく、「雪かきへら」もあった。雪国の暮らしに欠かせないこの道具、臼や杵と一緒にテマヒマ展でぜひ紹介したい。そうした気持ちを伝えると、「いいよ、いいよ。貸してあげるよ!」と温かい返事をいただけた。

この日は酒井さんが他につくっている「脚立」も見せていただく。今回のリサーチで出会えた各地の皆さんと同様、素材の性質をふまえたうえで生活の必需品を生み出せる、確かな腕の持ち主。切畑に生きる木工のプロとの出会いに、心から感謝。



「材料となる木が少なくなっている。限られた資源を大切に使わないとならないなあ」

「手間がかかる作業が、あわない時代になってしまった。でも、臼づくりはおもしろい。時代にあわない仕事、手間がかかる仕事は、おもしろいんだ」

淡々とした表情で、それまでと同じ口調で酒井さんは言う。時代の変化を超えて続けられてきたものづくりの現場。支える人物の言葉。本人がさらりと口にする言葉の重み。それを私たちはどう伝えられるのだろう。展示を通してしっかり伝えられるだろうか。


リサーチを続けるほどに、そのものに関わる大切な背景をどう伝えられるのかと考えては、さらに緊張が高まる一方だ。大きく深呼吸。山形でも出会えた東北の実直なものづくりにエネルギーをいただく思いで、次のリサーチ先、宮城県に向かう準備にかかった。

文:川上典李子

好評連載「佐藤 卓、東北へ」と「深澤直人、東北へ」に続き、本展企画協力の奥村文絵と川上典李子が東北を訪れた、テマヒマ展フォトドキュメント。二人が出会った東北6県の「食」と「住」を、週代わりでお伝えします。

面積では東京都の5倍以上にもなる秋田県。秋田のリサーチは、その広さを実感しながら、北から南へ、東から西へ、大きく移動することになった。まずは秋田市へ。能代市へと北上し、さらに大館市。再び秋田市を経由して、その東南になる角館市、さらに大仙市、湯沢市へ。

秋田の「住」といえば、天然秋田杉を用いた道具がある。例えば「杉桶樽」や「曲げわっぱ」。また、移動の際は、一面の雪のなかにそびえる秋田杉を目にしながらとなった。展覧会にあたり「東北の根:大根」、「東北の樹:杉」というパネルを作成したが、「樹」を杉としたのは、雪景色のなかでの秋田杉の凛とした姿が印象的だったこともある。

Photo: Alain Degobert

雪の多い地域では、道しるべとしての役割を果たしてきた杉。山の神が宿る「神杉」としての存在もある。寒冷な気候でゆっくり育つ東北の杉材は、目が詰まって堅い。建物の材料としてはもちろん、男鹿半島の丸木舟を始め、舟(船)の材料としても用いられてきた。きりたんぽの串や麹蓋ともなり、楢岡焼の棧板としても用いられる。生活の素材として、また人々の心を支えるものとして、身近にある杉。実に奥が深い。

「木の性(しょう)を半分生かし、半分殺しつつ、自然の営みと人との共同作業によってつくりだされたものたち」......展覧会場内のパネルに記したこの一文の通りに、素材を生かすと同時に工夫が凝らされてきた生活の道具。それらの製作の場を知り、また学ぶために、樽と桶をつくる工房、工場を数カ所、訪ねた。


能代市の小野製樽所。15歳から樽や桶をつくっている小野志朗さんは、自宅居間に続く作業場に座って酒樽づくりに没頭していた。広い三和土(たたき)のような空間の奥に設けられた作業場は10畳から12畳ほどだろうか。入ってすぐに感じた杉の香りと、目に飛び込んできた竹の生き生きとした緑色。壁には道具が整然と並んでいる。

私たちが訪ねたのは12月。「今は正月の酒樽づくりで、忙しいです」と小野さん。

作業の手を休めて、作業場の一角に置かれていた桶を見せてくれた。「これから修理するものです」。太いフェルトペンで「昭和54年」と書かれたものもある。地元の人々が長年使い込んできた桶。秋田らしく「はたはたずし」のための桶もあった。削り直したり、タガを締め直したり。ここで修繕されて、さらに大切に使い続けられていくのだろう。


翌日、大館市で日樽の日景義雄さんから話をうかがった。9時にうかがうと、作業場からはフル稼働の熱気が伝わってくる。「早いときは朝7時から作業を始めています」

私たちの取材の間も電話を受けるなど、忙しく動かれていた日景さん。実は林野庁東北森林管理局の決定によって、2012年末をもって天然秋田杉の供給が終了、来年から人工林杉の供給に変わることがあり、関係者でのやりとりがいろいろとあるのだそうだ。能代の小野さんもこのことを口にしていた。関係者にとっては大きなできごとなのだ。



「昔は露天風呂もつくっていました」と日景さん。「北海道で使われる魚用の樽をつくっていたこともあります。野田(千葉県)の醤油のための樽もつくっていました。千葉から来た人に習って......秋田の人間は勉強熱心なんだと思います。ただ昭和30年代後半から、プラスチック素材が容器に使われるようになりまして......。今うちでつくっているものの多くは酒樽です。8割は酒樽でしたが、ここ数年、酒樽は減っていますね」

一方、製作が増えているのは日景さんが「工芸品」と呼ぶ日用品で、ぐい呑やビアマグ、ワインクーラーなど様々ある。また、風呂桶づくりの腕を生かし、より長く使えるように改良した「おひつ」も多くの愛用者がいる品。炊きたてのごはんの熱で変更しないよう、見えない部分に木の部品を組み込むことで、木の伸縮を避ける工夫が施されている。




日樽も酒樽づくりで忙しい時期。その作業を見学する前に、日景さん、製材の過程も説明をしてくれた。「どこに手間がかかるか、何が大切かというと、やはり下準備ですね」

「製材ではまず、丸太の中心めがけて鉈(なた)を打って、『ミカン割り』にしていきます。杉はタテに割れやすいんです。年輪に添ってさらに細かく割って、次に両面を削っていきます」。製材後は素材を「寝かせる」時間も必要。「待つ時間を充分にとらないと、いいものはつくれない」。やはり。杉桶樽に限らず、各地で教えてもらった大切なことだ。

「太陽や風にできるだけあたるように、木を交互に積んで、外で3カ月乾燥させます。太陽をあてた木材は、その後、倉庫のなかで休ませないとならない。これが3ヶ月から4カ月ですね。だから樽をつくるのは、製材してから半年ぐらいたってからです」

そうやって準備した素材が作業場で樽のかたちに組まれていく。側板(がわいた)を組んで周囲をつくり、底板をつけた後、樽となる内側を丸かんなで削って、木材の段差をなくしていく。「シャッシャッシャッシャッ」と削る音。外側もカーブを描く刃に両方の持ち手がついた銑(せん)で削る。



続いて「タガ締め」。円形に組んだ竹を、高く上げた足の裏で押しながら回し、形を整え、締めていく。全身を使って、何としなやかで力強い作業だろう! 次はタガを樽に組み合わせ、木槌で押し叩く。整える、叩く......の繰り返し。木を丸く切って蓋をつくる機械音に包まれた工場内に、「カンカンカンカン」とリズミカルな木槌の音が響きわたる。



樽より小さな桶をつくる際も、足の動きがポイントだそうだ。タガを組み合わせた後、片足で支えながら、木槌を打ってタガ締めする。「1回たたくごとに、足を回して位置をずらします。簡単なようで、結構難しいんです」

「樽も桶も、仕上がりを左右するのはやっぱりタガ締め。集中してやらないといけない作業です」


樽本体にあわせて蓋の形を銑(せん)で削って調整し、木槌で叩いて蓋を閉じる。再び、カンカンカンカン......と音が響く。活気に満ちた作業の場で、樽が一つ一つ完成していく。樹齢200年、250年という天然秋田杉を使った酒樽。「香りがやさしく、日本酒に最適ですよ」。蓋用「天星」、側面用「腹星」といった樽栓の名も味わいがある。ああ、日本酒が飲みたくなってきました(笑)。


訪ねた先々で資料用として購入した、はたはたずしの桶、おひつ、曲げわっぱ、川連漆器の三寸九分の椀と学校給食用の椀、イタヤ細工のおむすび箱などなどを両手に下げて、東北新幹線の東京駅に降りた私たち。

「今すぐ、このおひつで食事をしたいよね」「この手桶ですしもいいなあ」「この椀で味噌汁を」......移動中に駅弁を食べたはずなのに、そんな話でおなかをグーグー鳴らしながら、山手線に乗り換えた。やはり「食と住」は切り離せない。次のミーティングでの「食」チームとの情報交換が本当に楽しみ。そう思いながら、ついつい微笑んでしまったのでした。

文:川上典李子

好評連載「佐藤 卓、東北へ」と「深澤直人、東北へ」に続き、本展企画協力の奥村文絵と川上典李子が東北を訪れた、テマヒマ展フォトドキュメント。二人が出会った東北6県の「食」と「住」を、週代わりでお伝えします。

ザク、ザク、ザク......訪問時の取材テープを聞き返すと、凍った雪の上を歩く私たちの足音もあわせて耳に響いてくる。

昨年、青森に続いて訪ねたのは秋田、山形、宮城......。掲載の順番が前後してしまうのだが、今回は今年初めに訪ねた岩手県九戸(くのへ)郡九戸村の「南部箒(ほうき)」をとりあげたい。広大な敷地を歩きながら案内してくれたのは、髙倉工芸の髙倉清勝さんだ。


九戸村に入ったのは1月末。奥会津を始め福島県に2日滞在してのリサーチを終えた後に岩手県へと北上。盛岡市、二戸市、一戸町と訪ねてから九戸村に向かった。


この時期、雪はもちろん、凍結した車道も課題のひとつ。運転のうまいスタッフがいてくれるからよいものの、私ひとりでは移動だけでも大変なことになっていたはずだ。今回も「住」チームは2人1組で各地をまわる。(写真は「道の駅」で食べたひっつみ定食です)


髙倉清勝さんは1964年生まれ。箒づくりの作業をしていた父の徳三郎さんと温かく迎えてくれた。清勝さんが入れてくれたおいしいエスプレッソをいただき、雪の中の移動で一日緊張しっぱなしだった私たちは、ほっとひと息......。

テーブルの上や壁には多くの書類が目にできる。全国からの注文書だろうか。箒を編む作業は毎年年末から行なわれ、年明けは各地に納品される時期。清勝さんも東京を始め、各地での展示販売会で大忙しの時期。この日に地元でお会いできたのは本当に運がよかったと思えるほど、「来週(2月)から4月まで岩手に戻れない」スケジュールだった。



「1年中、のんびりしている時期はないですね。夏場、冬場の仕事があるんです」

農家の副業として冬場につくられ、市(いち)で売られてきた南部箒。髙倉工芸では1991年より箒づくりにのみ焦点をあててとり組んでいる。作業は種蒔きの段階から。毎年春、1.5ヘクタールもの畑に箒の材料となる「ほうきもろこし(ほうき草)」の種をひと粒ずつ蒔いて育て、夏、3mもの高さに育った草を刈りとるのだ。

「この辺りには"やませ"が吹きます。やませによって穂先が縮れる"ほうきもろこし"の草を活かして箒をつくるのです」

やませとは東北地方の太平洋側に春から秋に吹く、冷たく湿った北東の風や東風。濃霧や冷害を引き起こすことにもなる風だが、こうした厳しい気候が「箒にとって良い穂先」をつくるということ、そのことがまず興味深い。厳しい自然環境に抗うのではなく、その厳しさとうまくつきあうことで生活の品々をつくってきた人々の生活を知る。


岩手大学が認定するアグリ管理士でもある清勝さん。ご自慢のトラクターも見せてくれた。箒づくりは土とともにある。そのことを一層強く実感する。


広大な敷地に点在する「作業場」から、次に見せてくれたのは「釜」。1本1本手で刈りとった草を脱穀した後、沸騰させた釜で湯上げするのだ。「刈りとりだけで1ヶ月半かかります」


草を育てて収穫する。この段階に至る過程だけでも手間がかかるというのに、続く素材づくりにもやはり大変な手間がかかっている。私たちが訪ねたのは選別や乾燥作業は終了している時期だが、乾燥室にも案内していただいた。


上の写真で目にできるのは箒のみだが、毎年ここでまず、草そのものを乾燥させる。その後、穂先の縮れ具合を見ながら、15段階に分類していく。「5人が終日集中しても、1カ月半から2カ月はかかる作業」という。「縮れが少なく箒用としては質がよくない草も捨てません。玄関用や屋外用の箒として使います」。箒づくりに必要のない茎の部分は、翌年春の種蒔き時の肥料となる。

乾燥、選別の作業を経て初めて、箒を編む作業、「顔づくり」が始まる。長柄箒や小箒、巴箒といった分類の他に穂先の状態をあわせて箒の種類を数えると、50種以上にもなるという。自然の恵みを活かし、恵みを余すところなく活かして箒がつくられているのだ。

さて、次は、完成した箒が置かれた倉庫へ。箒で絨毯の細かいゴミをとりのぞく様子や、カシミアのセーターにできた毛羽立ちを整える様子も見せていただく。(いつもは最新型の掃除機取材が私の仕事ですが、伝統的な箒の制作過程も興味をそそられる点ばかり。工業製品と手仕事で生み出される品、どちらも人間の知恵が詰まっています)


倉庫には他とは異なる箒もあった。持ち手に漆が施されていたり、皮革が巻かれていたりする。「東北物産展などに参加すると、岩手はもちろん他県の人たちと出会います。そこで会った人たちと共作した箒です。岩手の浄法寺塗のほか、青森の津軽漆を柄(え)に加えたものもあります。皮革は福島の工房に依頼したものなんです」

その話を聞きながら、山形鋳物の工房を訪ねた際に聞いた話を思いだした。「明快な分業があり、分業に関わる業者が存在していた昔とは異なり、物産展などで自分たちが売り場に立たなくてはならないことも増えました。けれどもこれは悪いことではない。使う人の声を直に聞いて改良したり、他社の話から学んだり。得るものがとても多いんです」


髙倉さんも箒づくりを「20年かけて」父から学んだうえで、新たなネットワークを活かして現代の生活のための箒を探っている。和洋服ハケ(次写真)をさらに小さくし、コンピュータのキーボード用に使えるようにしたミニ箒も人気の品。柄の長さ、穂先の角度を細かく見直しした箒もつくられている。


「自分の企画で開発した箒をお客さんが『いいね』と言ってくれ、使ってくれることがとても嬉しい。この仕事が本当に楽しいんです」。「......でも、本当にきれいな箒を自分がつくれるようになるには、あと10年はかかると自覚しています」

基本をふまえたうえで、現代の道具として愛用されるための細かな工夫が重ねられている。素材の性質、箒そのものの性質をきちんと把握しているから、開発されるものには無理がない。そのうえで、さらなる美しさに心を配る制作の現場に出会うことができた。

身近な道具として知っていたつもりの箒も知らないことばかりだった......そう思いながら、改めて箒の「顔」を眺めてみる。しっかりと束ねたうえで、絹糸を使っての綴じ方そのものの醍醐味も知る。使い勝手と美しさとの双方を探り続ける努力が、その1本1本から伝わってきた。


文:川上典李子

髙倉清勝さんを招いたトークを7月に開催します。詳細はこちらでご確認ください。
トーク「『テマヒマ』の未来―うけつぐ世代」

好評連載「佐藤 卓、東北へ」と「深澤直人、東北へ」に続き、本展企画協力の奥村文絵と川上典李子が東北を訪れた、テマヒマ展フォトドキュメントがスタート。二人が出会った東北6県の「食」と「住」を、週代わりでお伝えします。

21_21 DESIGN SIGHTの月例ディレクターズ会議で、三宅一生、佐藤 卓、深澤直人と企画について話しあったのは、昨年秋。私たちが注目したのは、食材や素材の準備に始まる、ものづくりの「時間」。さらには、食の保存方法に込められた知恵、ものづくりの過程における工夫について。

キーワードを「テマヒマ」に決め、皆で「よし、これだ!」と気持をひとつにしたものの、何をどう展示するか、具体的な構成は、東北へのリサーチの旅と同時に考え、組み立てなくてはならない。さて、着地点はどうなる?! 今回もまた、ドキドキする(良い意味で、です)展覧会準備が始まった。


「食」と「住」の2チームを結成し、私は「住」のリサーチに参加。深澤と話をし、取材の軸を考えた。各地の素材を活かしながら長年つくられてきた生活の道具、生活の品々の現状を知ること。生活に浸透しているものを「テマヒマ」の視点から見つめてみる。効率が優先されてきた現代社会で、なぜそれがつくり続けられているのかを考えること。

まずは、東北6県のものづくりに関して図書館の蔵書で勉強すること1週間。とはいえこれは基礎知識にすぎない。本当に大切なのは、旅先で出会う人々やもの、直接聞く言葉、仕事場の空気や音や匂い、路地に隠れているものだったりするのだから。

東北地方の地図を手に、まずは青森に向かった。昨年夏の「東北の底力、心と光。『衣』、三宅一生」でも協力くださったtecoLLC.の立木祥一郎さんにも再会でき、情報交換をさせていただく。地元の皆さんの温かな協力に支えられていることに改めて感謝しながらのリサーチ開始だ。


この日、青森駅前で最初に目に入ってきたのが、りんごの販売風景だった。私たちも製作現場を訪ねる予定にしていた「りんご箱」。売店の横から裏手にまわってみると、予想通りに空の木箱が積み重ねられていた。

整然と積み重ねられた箱の美しいこと。箱を運搬する台車も味がある。そうそう、と膝を打つ思い。つくられたものの魅力はもちろん、それをつくる道具や周辺の品々からも、人々の生活と道具との関係を知ることができる。



日本国内のりんご生産量の約半分を占め、日本一の生産量を誇る青森県のりんご栽培。はじまりは、明治8年(1875年)、わずか3本の輸入苗木からだった。人々の工夫と努力によって、この地のりんご栽培は発展を遂げ、いまに至る。

その発展を支える道具のひとつが、テマヒマ展でも紹介している津軽型の「りんご剪定鋏」。西洋型の枝切り鋏をもとに、握りのふくらみ、刃のカーブ、大きさなどを改良し、長く使っていても手や腕が疲れない。りんごの生産性を高めた大切な道具だ。

この「りんご剪定鋏」をはじめ、りんごの樹の剪定時に人々に愛用されてきた「ボッコ靴」や「りんご箱」についてはすでに本サイトの「深澤直人、東北へ」でご覧いただいた通り。私にとっても初めて訪ねる場所ばかりだった。


私たちが他にお会いできたのは、「りんご手かご」をつくる弘前市の三上幸男さん。

訪ねたのは、弘前市の中心地から北西に位置し、りんごの一大産地である岩木山のふもと。仕事場は自宅に続くかたちで設けられていた(今回訪ねた方々の仕事場は、自宅の一角に設けられていることが多い)。2階ベランダには干し柿が下がっていた。庭の一角に飾りとして津軽びいどろの浮き球が置かれているところにも、青森らしさを感じた。

「りんご手かご」の素材は地元でとれるネマガリダケだ。竹と言っても笹の一種なので、細い。「ネマガリダケの竹の子、おいしいんですよ」という立木さんの言葉も私の頭にずっとあったのだけれど(笑)、こちらはまた次の機会に......。

細く割った竹を、かごの底の部分から編んでいく。六ツ目編みという伝統的な手法。持ち手は太く、しっかりしている。



「21歳からつくっている」。「昭和5年生まれで、いま81歳」(昨年の取材時)。

三上さんはポツリポツリと語ってくれる。本当はもっと時間をかけて、じっくり話をうかがいたい。部屋の隅に一日座って、その作業を見ていられたらとも強く思う。自分たちの滞在時間に限りがあることに歯がゆい思いをしながら、時間の許すかぎり、力強く細やかな手の動きを眺めさせていただいた。


「趣味は愛車で全国をひとり旅すること」「道の駅で休憩しながら」「クルマを買い替えたから、次の旅行が楽しみだ」。時おり話をしてくれながら、手元の動きが中断することはない。三上さんの向かいでは、奥様が黙々と作業を続けている。




三上さんの手を見せていただいた。ネマガリダケの性質を把握したうえで、編み、曲げ、かごに形づくる作業を60年以上行なってきた手だ。「自分の楽しみのためにも、手かごをつくっている」とも語ってくれた。



プラスチックを始め、様々な素材が開発され、日常の道具に使われるようになったけれど、変わらずこの手かごを使い続けるりんご農家がいる。腕に負担がかからない竹の重さ。それでいて丈夫、収穫したりんごの重みをしっかり支える。

長く使い続けられるのには、理由があるのだ。「竹はしなやかだから、りんごの肌が傷まない」と三上さん。弘前に滞在中、「これじゃないとだめ、という農家がたくさんいる」との話も耳にした。手塩にかけて育てたりんごの、待ちに待った収穫時に、農家が信頼を寄せる大切な手かご。津軽の暮らしを支えてきた道具といってよい。

そう、こうして長くつくり続けられている品々は、使う人々との信頼関係も教えてくれる。テマヒマをかけた道具づくりの一方には、その品を長く、大切に使い続ける人々の存在がある。これは、その後、各県を訪ねるほどに強く感じたことでもある。


文:川上典李子

現在、目黒区駒場の日本民藝館では、特別展「東北の工芸と棟方志功」が開催されています。本展では、東北地方の堅実な暮らしの中から生まれた丹念な手技による諸工芸品の数々が、青森の生んだ世界的な版画家 棟方志功が故郷東北への祈りを込めて制作した版画作品とともに展示されています。いずれの作品にも、「テマヒマ展〈東北の食と住〉」の展示作品に通じる、力強さと美しさが宿っています。ぜひあわせてご覧ください。6月10日(日)まで、月曜休館。
日本民藝館ウェブサイト http://www.mingeikan.or.jp/

日本民藝館特別展「東北の工芸と棟方志功」


巨匠 前川国男の最初と最後の建築が現存する青森県弘前市から、弘前こぎん研究所代表の成田貞治によるトーク。
寒く綿花の育たない青森では、綿は江戸や京などから入ってくる貴重品で農民や平民には手の届かないものだったそう。地域に自生する麻でつくる服に、補強や保温を目的に綿糸を刺したのがこぎん刺しの原点です。
現在のようにグラフのなかった時代、すべて口承で伝えられたというこぎん刺し。少しずつ模様を発展させ結果的に「用の美」を実現した津軽の美的感覚には、民芸運動を牽引した柳 宗悦も感嘆したといいます。

明治に入り汽車で東京から大量に入るプリント服に押され、一時は衰退の一途をたどったこぎん刺し。柳によって手仕事の大切さが再認識され、現在の弘前こぎん研究所につながる活動が始められました。
トーク後半では、実際のこぎん刺し作品を手に取りながら三縞、東、西の三大こぎん刺しの特徴を解説。



最後に、柳 宗悦の言葉が読み上げられました。
「醜い『こぎん』はない。一枚とてない。捜しても無理である。(中略)別に秘密はない。法則に従順だからだと『こぎん』は答へる。此(こ)の答へよりはつきりしたものはない」。「名も無い津軽の女達よ、よくこれほどのものを遺してくれた」。
司会の川上典李子は、「こぎん刺しには、布の織り目に対して奇数の目をひろって刺すという変わらぬ法則がある。だからこそつくり手の創造力が生きてくる」と添えました。

学校の授業などを通した子どもたちのこぎん刺し体験や、名刺入れやゲームをはじめとした現代生活に則したこぎん刺しの探求など、こぎん刺しを次の時代につなげる弘前こぎん研究所の様々な活動も紹介されました。



岩手県でホームスパンや真綿を営む中村工房の中村博行と、1970年代よりISSEY MIYAKEの素材づくりに関わってきた皆川魔鬼子が、恊働した仕事と、それぞれのものづくりについて語りました。

1971年に三宅が掲げた「日本発の作業着、ジーンズに替わる衣服が作りたい」というテーマのもと、皆川は全国で素材のリサーチを始めました。中でも東北には、強くて、丈夫な素材が数多く存在したことに驚き、その後雑誌の記事をきっかけに中村工房のホームスパンに出会いました。素材づくりの人間にとって「ホームスパンは憧れ」だったといいます。

岩手県盛岡市にホームスパンの工房を構える中村は3代目。明治時代に日本各地に広まったホームスパンは「手紡ぎ」という意味で、岩手県は全国で 90%のシェアを誇ります。かつては草木染めも積極的に取り組んでいましたが、現在は化学染料も使用し、カラフルなマフラーなどを制作しています。

1972年、初めて中村工房を訪れた皆川は、当時他とは違う草木染めの「濃い」色に驚きました。「自然で力強い、深みのある色」と表現した中村工房の草木染めの秘密は、素材を生のまま染めに使用すること。ドライで使用することが主流な草木染めですが、よもぎやくるみの樹の皮を乾燥させず、また量も多く使用することで中村は濃い色を出していたといいます。
他にも段染めを行なったシルクのリボン織ストールや、板に釘を打ってその人に合わせて編むベストなどを実物とともに紹介。次々と登場するISSEY MIYAKEと中村工房の仕事と、当時を思わせる中村と皆川の温かいやりとりに、会場は大きく盛り上がりました。



最後にはそれぞれ将来の展望を語りました。中村は「その時代に合ったものを作り続けたい、エイやマントのようなストールも面白いかもしれない」。皆川は、デザインより早く動かなければいけなかった素材開発の立場として、「小さくても新しい技術やものを見つけていきたい。東北に根付く暦にあったものづくりを見習いたい」と語りました。



トーク終了後には中村工房4代目中村和正による糸紡ぎの実演も行なわれました。目の前で行なわれるホームスパンの一工程に、多くの人々が釘付けになりました。



日本の原始布や古代織物の復元と存続に取り組み、資料などを展示する「原始布・古代織参考館」を運営する山村洋子を迎え、21_21 DESIGN SIGHTアソシエイトディレクターの川上典李子を司会に、トークは始まりました。

元を辿れば山形県米沢で織物営んでいた山村の父が、先人の手技に魅了され、全国の織物や原始布について研究を始めたのが、きっかけとなり、原始布・古代織参考館が開館しました。施設内では、先人たちの衣服や、編衣(あんぎん)、シナ布、楮布(こうぞふ)など古代の布をはじめ、紡織機など今ではなかなかみれない道具たちを所蔵しています。本企画リサーチの際に撮影した施設の画像を見ながら、山村が心掛ける生活のしつらえや、東北に息づく自然に対する感謝などを語りました。



1枚の布を仕上げるのに「気が遠くなる」ような作業が必要だという原始布。トーク後半にはシナ布の工程を追ったドキュメンタリー映像も流れ、梅雨時のシナの木皮収穫より機織りを始める冬まで、織りに至るまでには多くの手間がかかることも紹介しました。

次世代への継承を模索中の山村は、素晴らしい手仕事には、神が宿るような何かがあるといいます。親から子へ伝わっていった歴史のように、木や草の生命力を感じるものづくりをそのまま伝えることで心が豊かにやっていけるのでは、と提案。 川上は、本企画が精神的に豊かであるためのものづくりをどうやって繋いでいくか、一緒に考えていく機会になれば、と締めくくりました。



夜間プログラム第1回は、青森より、「気持ちだけは18歳」という山上進が登場。



震災後、岩手県大槌町を訪れた山上は、目の前に広がる光景に、言葉を失ったといいます。
地元、東北への応援の気持ちを込めた演奏は、三味線、尺八、横笛の美しく力強い音色。
会場は、津軽の響きに包まれました。



山上は、音楽には楽譜にならない自分の感覚が大切だといいます。
演奏は、当時は海に面していたという三内丸山遺跡をイメージした自作曲「縄文」や、青森の夏祭り「ねぶた」のお囃子などの後、21_21組曲としてアレンジされた即興曲「八甲田山」で締めくくられました。



暮らしの中で息づいてきた南部裂織の歴史を、青森県十和田市にある南部裂織保存会の指導者である澤頭ユミ子と、十和田市現代美術館の特任館長、小林ベイカー央子が語りました。

南部裂織は、東北地方で綿が育たず、木綿が大変貴重だった約200年前に生まれたと考えられています。縦に木綿の糸を、横に古い布を手で裂いた"ヌキ"と呼ばれる材料を用い、自分自身と機が一体となって織る「裂織」。そこには、手に入った物を大事に使う、南部地方の人々の心が込められています。装飾品ではなく、「こたつ掛け」という、寒い地方では生活に欠かせない日用品が、南部地方における「裂織」の文化を、現代に伝えてきたといいます。

トーク後半では、現代アーティスト、草間弥生とのコラボレーション作品や、20代、40代、60代の3世代の女性が集まり今までにない裂織の世界の表現を試みる「3Gプロジェクト」など、裂織を現代の私たちの生活や次の時代につなげる、精力的な活動も紹介されました。



トーク終了後には、会場に展示中の機を用いた裂織の実演。澤頭の丁寧な解説に聞き入る来場者が、後を絶ちませんでした。

川上典李子のインサイト・コラム vol.4

伝統的な手仕事を制作過程に取り入れたプロダクトデザインの試みや、ガラスや木、陶芸など、伝統的な素材や表現の可能性を拡げている若手デザイナーの自由な発想。「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展(以降、「ポスト・フォッシル」展)でデザインとクラフトとの現代的な融合の様子を目にできることは既に触れましたが、こうした若手デザイナーやアーティストの状況をよく知る専門家も、興味深い活動を牽引し始めています。

「ポスト・フォッシル」展会場より、伝統的な手仕事を活かしてつくられる日用品の提案。ロネル・ヨルダン(南アフリカ共和国)の『プランター』。羊毛の栄養分が土に溶け出し、植物の生育を促す。

デザインとクラフトを巡る最新状況の一例として、デザイナーやアーティストと伝統的なものづくりの現場を結び、発展させていこうとするプロジェクト、「Editions in Craft(エディションズ・イン・クラフト)」(以降、EIC)。

「伝統的なものづくりであるがゆえの、様々な価値がクラフトには潜んでいます。ですが、安価に生産されている現状や計画性のない生産体制によって、伝統的なものづくりの技術や知識はゆっくりと、しかし、確実に姿を消しつつある」。そう述べるのは、ストックホルムを拠点に、2008年にEICを立ち上げたレネー・パッドと横山いくこ。

パッドはヴェニスビエンナーレやドクメンタでの展覧会プロデュースも手がける、オランダ生まれのキュレーター。スウェーデン国立芸術工芸デザイン大学(コンストファック)のエキジビションマネージャーを務める横山は、インデペンデントキュレーターとしても広く活躍中です。「歴史ある手作業の表現をただ現代的に変えることでも、流通や消費がされやすいものに調整することでもない。伝統的な手工芸本来の価値を現代に生きる私たちの経験、表現に結びつること。まずは試作品や限定生産の品々をつくるのが目的です」。

デザインの今後に向け、伝統的な手法と現代デザインの発想や手法をリンクさせるという目的を掲げ、彼らがまず連絡をとったのは南アフリカ共和国の農村部、クワズル・ナタールでした。ビーズ細工を手がける20名ほどの女性たちのグループ「シアザマ・プロジェクト」との今年春のワークショップに招かれたデザイナーは、「ポスト・フォッシル」展の出展作家でもあるオランダ在住の「BCXSY」。BCXSYのボアズ・コーヘン(1978年イスラエル生まれ)と山本紗弥加(1984年日本生まれ)のここでの役割は、職人に制作の指示を行うことではありません。他の参加者と同等の立場で、ビーズ細工の可能性を探ることでした。

BCXSYのこれまでの作品から。『ISHI, 7 Stones(イシ、セブン・ストーンズ)』2009年。「機械で切り出したフォーム素材の表面をさらに手で削って手作業の跡を残し、ラバーコートを施している。重い石のような姿をしているが、軽量で柔らかい。「ポスト・フォッシル」展で展示中。Image by BCXSY
BCXSYのこれまでの作品から。日本の建具職人の手作業を活かして完成させた檜の間仕切り。先日のミラノサローネで発表された。『Origin Part I: Join』2010年。Image by BCXSY

アフリカでは長い間、稀少で高価なものとして大切にされ、様々な装飾にも用いられてきた繊細なビーズ細工。この村の女性の多くもその制作で生計を立ててきましたが、現在の仕事は、地元の土産物屋等で販売される伝統的なビーズ人形づくりに集約されています。「グローバルマーケットへの対応を第一の目的とし、国や地方の象徴としての観光産業となることで、クラフト本来の大切な意味や機能が薄れ、土産品の域を出ないままになってしまっているのです。同時に、より安価に製造された他国の模造品が粗悪な質で流通し、真の産地の市場を狭めていたりもします。様々な課題があります」。

「素材の特色や歴史をふまえた問いかけを起点として、手作業の軌跡を感じさせるプロダクトを手がけている」とパッドと横山が評価する若手デザイナー、BCXSY。シアザマ・プロジェクトとの今回のワークショップで考えられたのは、花器と照明のプロトタイプでした。BCXSYが着目したのは、紐状に伸ばした粘土をコイル状に巻いていくアフリカ伝統の陶器づくりの手法。その手法をもとに蛇の動きを想像させる形状が試みられ、都市から離れた過疎の村に暮らすシアザマ・プロジェクトの女性たちにも入手しやすいペットボトルや布地等を再利用しながら、無理なく制作が継続できる方法が探られたのです。

パッドと横山は言います。「現代美術のフィールドで仕事をしてきた私達がデザイナーに期待することは、作品の最終形を最初から描きすぎないこと。ものづくりの長いプロセスに横たわる様々な要因を、自分のデザインのために変えていくのではなく、既存の状況を判断し、それを上手く取り入れていくことが大事だと考えます。未来にものづくりをつなげるためには過去と現在を把握して、丁寧に時間を紡いでいける作業が必要です」。

「Editions in Craft」でのBCXSYとシアザマ・プロジェクトの作品『Coiled(コイルド)』。シアザマの女性たちの大切な文化でもあるビーズ。芯に用いた布地に巻いてコイル状のビーズをつくり、ペットボトルの周囲に巻き付けていく。Photo © Editions in Craft, Renée Padt and Ikko Yokoyama
ワークショプは7日間。今後も他のデザイナーが参加するワークショップが継続される。Photo © Editions in Craft, Renée Padt and Ikko Yokoyama
最終日に完成した3種類の大きさの花器と照明の試作品。生命感溢れるダイナミックな形状に特色がある。この地の伝統的な手工芸であるビーズ細工を尊重する制作手法が考え出されたが、色や柄につくり手の個性が反映、それがユニークピースとしての価値となる。Photo © Editions in Craft, Hironori Tsukue

伝統文化を受け継ぐ手工芸の表現を、現代生活の品としてどう存続させていけるのか。パッドと横山は、「一度限りの文化交流などではなく、実現可能、成長可能なヴァイアブルデザインでなくてはならない。クロスカルチャーモデルとして育て、広く流通させていくこと」とも述べます。そして、伝統なものづくりの将来を国際的な視点で考えるこの活動に、二人が拠点とするスウェーデンの政府が支援を行っていることも特筆すべき点でしょう。

シアザマ・プロジェクトとの共同制作の披露を兼ねた「Editions in Craft」初の展覧会は今年春のミラノサローネで行われ、活動の社会性、教育的観点からも関係者の注目が集まりました。現地での制作は現在ももちろん継続中、今年秋には展覧会形式での発表や各国での販売が予定されています。

http://www.editionsincraft.com/
http://editionsincraft.wordpress.com/

文:川上典李子


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オープニングトーク 「からくリミックス」



色やかたちだけではなく、構造や仕組みからデザインを考えることをテーマに企画された「骨」展。オープニングトークは、本展の目玉作品でもある「骨からくり『弓曵き小早舟』」と「WAHHA GO GO」の作者を迎えて行われました。
トークの間には、伝統的なからくり人形「茶運び人形」「弓曵き童子」の実演や、電動楽器「メカフォーク」と「セーモンズ」による生演奏もあり、木と金属という全く違う素材を使いながらも、「骨」から考えることで生まれた動きや声に、満員の会場は驚きと笑いの連続でした。



山車からくりを軸に「200年以上も前のものが祭りに支えられて生きている」と、からくり人形の世界に土佐が素直に感嘆すると、「からくり人形も進化したら声を出すかもしれない」と玉屋が応え、「次は、玉屋さんと明和電機さんとのコラボレーションで『笑うからくり』が見たい」との声も。
21_21 DESIGN SIGHTを舞台に行われた九代目からくり人形師玉屋庄兵衛と父、兄と続いた三代目(?)明和電機のからくり対決から、「未来の骨」を探る新たな視点が生まれました。

9月14日、「祈りの痕跡。」展ディレクター浅葉克己が東洋占術家の真矢茉子(まやまこ)をゲストに迎え、「トンパタロット トーク&占い」が行われました。

浅葉克己×真矢茉子


トンパタロットは浅葉と真矢が2001年に中国麗江(レイコウ)にある東巴(トンパ)文化研究所を訪れた際に偶然発見したもので、トンパ(シャーマン)は日常的に占いなどで生計を立てており、こうした占いの道具を持っているそうです。真矢が身につけていた女性トンパの衣装には、お守りの北斗七星をモチーフにした丸い刺繍が7個ついており、トンパタロットの裏面にも同じ模様がついています。カードは本来全部で33枚あるそうですが、29枚しか発見できず、さらにコピーをする際にヒューズが飛んでしまいコピー機が動かなくなったというエピソードも披露。
浅葉はこの時、トンパタロットが持つ不思議な力を確信し、残りの4枚にはとても恐ろしいことが書いてあるのではないかと思ったそうです。
トークの後は、真矢がトンパタロットによる占いを行い、来場者がトンパの世界を実際に体験。参加者はよく当たると大満足の様子でした。

トンパタロット占い


21日(日)にも、真矢茉子によるトンパタロット占いや、浅葉克己によるギャラリーツアーなどを予定しておりますので、ぜひ会場に足を運んでみて下さい。

8月23日、「祈りの痕跡。」展ディレクター浅葉克己によるワークショップ「浅葉克己のウキウキ トンパお習字教室」が行われました。

ワークショップの様子


トンパ文字は、中国西南地方麗江(レイコウ)の納西(ナシ)族のあいだで、約1,000年前から使われ続けている希少な象形文字です。お習字を始める前に、浅葉が麗江とさらに奥地のトンパ文字の本拠地である白地(ハクチ)村を訪れた際の映像を見たり、会場に展示されている浅葉作品の『トンパ教典「黒白戦争」』、実物のトンパ教典などを見て、文字への理解を深めます。納西族は自然と共に生きる世界観を持ち、特に木の文化を大切にしているそうです。今回のお題である、納西族に伝わる格言「根が丈夫なら木は倒れない。谷が深ければ泉は涸れない」はそういった世界観を表したもので、浅葉が大好きな格言のひとつだそうです。

展覧会を見た後は、いよいよお習字を始めます。まずは、筆遣いの練習として「永」の文字を書きます。この文字には、とめ、はね、はらい、楷書の全ての要素が入っていて、練習に最適だそうです。参加者の多くは久しぶりのお習字で、最初は思うように書けない人も、浅葉の指導でだんだんと滑らかな筆運びになっていきました。
次に、格言に使われているトンパ文字を一文字ずつ書いていきます。参加者に配られたお手本には、トンパ文字を美しく簡単に書けるようにと、浅葉がこの日のために考えた書き順が記されており、初めて書くのにきれいなトンパ文字が書けると好評でした。

最後は、掛け軸用の長い大きな半切紙に清書し、完成した格言を一同に並べます。ずらりと並んだ格言を前に「普段、長い時間集中して書道をする経験はなかなかないので、いい経験になったのではないか。これからも書くことを続けて欲しい。」と浅葉。参加者も実際に書くことによりトンパ文字への愛着がわき、文字の奥深さを感じたと話していました。

講演会の後半では、いくつかのキーワードを軸にディレクターたちがそれぞれの考えを述べました。21_21 DESIGN SIGHTの今後について、活発な意見交換が行われ、盛況のうちにトークを終了しました。

深澤直人


川上
21_21 DESIGN SIGHTの現在と今後について「考える、つくる」という観点から進めていきたいと思います。ディレクターとして、この1年はどんなことを考え、感じられたのかについて、順に話していただけますか。深澤さんからお願いします。
深澤
我々ディレクターの会話や、あるいは展覧会を見た感想を寄せてくださったなかでしばしば登場したのは、「我々がやっているのは、デザインなのか、アートなのか」ということでした。この問いに、明確な答えを出すというより、私たちがおぼろげながら感じている共通点があると思います。
近年の問題として、人間の身体と心が乖離してしまったことがあると思うんです。身体が自発的に環境に調和しようと働いて、人間は自然体になった時に喜びを感じる。生きているという実感を得る。でも、実際はそれがなかなかできないことが、悲哀やドラマや、自己を知るきっかけになって、デザインやアートの根源になるんじゃないかと思うのです。つまり私たちの脳、心は、いまの環境をコントロールできない悲哀みたいなものを、なんとなく感じてるんですよね。だから21_21DESIGN SIGHTという場も、結果的にその問題に収束していく。だれもが調和を取り戻していきたいという願望があると感じています。

最近思ったのですが、人間の無意識の選択というのは、すべて生きることにつながっている。人間の心理だけが、秩序を失い混乱させてしまう。自然に復帰する、人間らしさを取り戻していくという大きな流れのなかで、クリエイティブな活動をしていく場所ーーそれが21_21 DESIGN SIGHTであると定義づけています。

さきほどの水展のお話にもありましたが、卓さんがおっしゃったように、我々はやっぱりほとんど知らないんですよね。自分自身のことも、人間であることも。それに気づくようなことを誰かがやらないと。その感動こそ、僕らが目指すところなのかなと思います。
佐藤卓


川上
佐藤さんの「考える、つくる」で、今後、大切になっていくことについて、どのように考えていらっしゃいますか。
佐藤
いまデザインはどのメディアでも取り上げられています。でも、見ていますと「もの」のデザインが取り上げられて語られることが多いようです。視覚的におもしろいものっていうのは、取りあげやすいですから。でも実は、「もの」のデザインの奥には「こと」がある。そして我々は「もの」を通して「こと」をつくることをやっているんだと思っています。一生さんも「ことのデザイン」とおっしゃっていますが、たとえばそれは「もの」と人の関係のあいだで、なにが起きているかを考えることですよね。そうすると、深澤さんが言われたように、人の側でなにを受け取っているのかっていうことを、よく観察し見ていかないと、ものの周辺で起きていることの本質は見えてこない。
人とものの関係、デザインと人の関係はどうなっているのかを、検証したり探っていくことって、意外といままでされてこなかったんじゃないかという気します。たとえば、人が目で見たときに、頭のなかで記憶や体験と照らし合わせたりしながら、一体なにが起きているのだろうと。そういうことを考えていくと、デザインの問題としてどんなことにもテーマを設定できるんです。僕の場合はやはり、グラフィックデザインやコミュニケーションデザインをやってきて得たデザインの技術を、そこで活かせないだろうかと考えるわけですね。
川上
たしかに、ものの周辺に目を向ける活動は、多くの方がデザインに興味をもっている今という時代にこそ、まさに必要なことなのだと思います。三宅さんのお考えはいかがですか。
三宅
いくつかのおもしろい現象はあると思いますけど、今という時代は、売るためのデザインや広告を競いあっているような部分もあるのではないかとも感じます。フランス語でデランジュというのは人を惑わすということですが、僕が2000年に自分のデザイン活動を変えたのも、デザイナーがデランジャー、惑わす存在なのかと、とても疑問を感じ始めたからなんです。
もっとみんなの普通の生活に目を向けなきゃいけない、ないしは新しい方法論を考えなきゃいけないんじゃないかと思ったわけです。そのころに藤原大と一緒にA-POCを始めた関係もありまして、新しいチームで仕事をした。そして僕が思ったのは、どんどん自由にしていかないと前に行けないよ、ということでした。
ディレクター4人


三宅
この21_21 DESIGN SIGHTも、プロレスじゃないけれど、リングにしても良いのでは、と思っています。今日いらしてる方たちにも、この場所をだれもが参加できるリングのように考えていただいて、こんなことをやってみたいとか、こんなものが欲しいということを自由に言ってもらえたら、より活気のある楽しい場所になるんじゃないかなと思っているのです。今回のトークが、国立新美術館が我々に場所を提供してくださって実現したのも、相互関係やコミュニケーションがとても重要になってきたひとつの象徴だろうと思うんですけれども、今後我々も逆のかたちでやりたいなと思っています。
佐藤
ちょっといいでしょうか。僭越なのですが、僕は三宅一生さんの直感力に、衝撃を受けているんです。直感力って身体性なわけで、まさにその、リングで闘い合うっていうのはそういうことだと思うんですが、いまの世の中っていうのはどちらかっていうと理詰めで説得していかなきゃいけないと。それをなんとかしたらどうっていうのが、「XXIc.-21世紀人展」なんじゃないかって思ったりしてね。どうでしょう、深澤さん。
深澤
そうですよね。「XXIc.-21世紀人」は、直感のかたまりみたいなものかもしれない。一生さんの仕事の仕方は、僕のやり方と全然違うので、僕も圧倒的に驚く部分が大きいです。
川上
おふたりはそうおっしゃっていますが、三宅さん、いかがでしょう。
三宅
嬉しいですけれど、照れくさくもあります。それよりも、21_21 DESIGN SIGHTにいらしてくださる外国の方とお話していて痛感するのは、日本の文化の伝統を理解したうえで、もっと積極的に日本のものづくりを考え直していくことなんです。そして、その記録を、アーカイヴをつくっていくこと、同時にキュレーターなど、人材を育てていくことに着手しなければいけないですね。それは我々だけの力でできることではなく、やはり日本という国のレベルで、国が許容力をもってこの動きに参加していただきたいと思っています。
川上
そうですね。21_21 DESIGN SIGHTというひとつの場が生まれたことをきっかけに、様々な立場の方々と意見交換をしてきたいですね。今日は21_21 DESIGN SIGHTをリングにしてもいい、という話も出ましたが、デザインについて、表現するという行為について、つくるという意味そのものについて、枠を超えて多くの方々とさらに意見を交わしていく機会を、今後も引き続きつくっていきたいと思います。今日はありがとうございました。


2008年6月20日国立新美術館・講堂にて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/五十嵐一晴


vol.1 21_21ができるまで
vol.2 独自のアプローチを試みた企画展
vol.3 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

14日、三宅一生作《21世紀の神話》の制作スタッフによるクリエイターズトークが行われました。今回は、作品に使用した再生紙の制作で協力を得た滝製紙所の瀧英晃さんをゲストに迎えました。滝製紙所は福井県で伝統的な越前和紙を制作している会社です。今回の制作にあたり瀧さんは、「普段の仕事からは考えもつかない内容に戸惑いを感じながらも、こういった形で和紙がいろいろな人の目に触れる機会を得られたことが嬉しかった」とのこと。
イサム・ノグチの作品については、「手漉きと機械漉きの和紙が異なるように、実際に手を動かしてつくられたものは人に訴えかける圧倒的なパワーを持っている」と話していました。
スライドや制作物を用いたプロセスの説明の後には紙漉き体験も行われ、子どもから海外の方まで多くの方が参加し、会場は活気に満ちていました。

イサム・ノグチ・スペシャル vol.6 へ

21_21 DESIGN SIGHTでは、落語や狂言など日本独自の芸能を取り上げたサマープログラム「落狂楽笑 LUCKY LUCK SHOW」を開催いたします。人間や生活を独特な視点で捉える落語や狂言は、観る人を喜ばせ、驚きを与える娯楽として日本人の間で長く親しまれてきました。その姿勢は、日常に根ざしたテーマを取り上げ、新たな視点や発想を提示していく21_21 DESIGN SIGHTのあり方と通底するものがあります。今回のプログラムでは、芸能の世界において常に新しい表現を追求し続ける演者たちを招き、今までにない試みを行います。演者は、世代を超えて親しまれる狂言を目指す茂山狂言会、落語の可能性を拡げていく桂小米朝と柳家花緑、そして風刺あふれる一人芝居を極めるイッセー尾形の4組。それぞれ衣装は気鋭の若手デザイナーが担当します。また、舞台美術をはじめとした一連のアートディレクションを手がけるグラフィックデザイナー北川一成が、会場の一部を使いアートワーク「落狂楽笑by北川一成」を発表。大人も子供も楽しめるプログラムIと大人向けのプログラムⅡを用意しました。ファミリーで、お友達同士で、21_21 DESIGN SIGHTの夏をご堪能ください。

展覧会ポスター