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建築 (78)

2017年7月8日、企画展「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」に関連して、展覧会チームによるオープニングトークを開催しました。
トークには、本展ディレクターの青野尚子、会場構成協力の成瀬・猪熊建築設計事務所より成瀬友梨、猪熊 純、展覧会グラフィックの刈谷悠三が登壇しました。

トークのはじめに、青野尚子が、本展ができるまでの過程について解説しました。
クリストとジャンヌ=クロードを出発点として、世界各国からダイナミックな手法で活動を行うさまざまな分野の作家たちが集う本展。
参加作家の制作のプロセスを解説し、過去に制作した作品についても触れました。

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展覧会グラフィックを担当した刈谷悠三は、ポスタービジュアルの複数のアイデアを実際に見せながら、現在のビジュアルに至るまで様々な試行錯誤があったことについて振り返ります。展覧会タイトルにもある「そこまでやるか」の言葉によって想像力を引き立てられるよう、あえて画像は用いらずに構成したことを説明しました。
さらに、クリストとジャンヌ=クロードの「フローティング・ピアーズ」から着想を得たオレンジを展覧会のテーマカラーとし、会場グラフィックでも統一感があるデザインを目指したと語りました。

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作品のスケールが身体的に伝わり、会場全体でひとつの体験ができるように構成したと語る猪熊 純。構想途中の模型を用いながら、どのように会場のバランスをつくりあげてきたのかを解説しました。特に4組の作家が集うギャラリー2では、同時に複数の作品が目に入り迫力が伝わる配置、一体感をもたせつつも個々の作品と向き合って鑑賞できる構成を、具体的に意識したと言います。
成瀬友梨からも、参加作家とその作品から感じ取った魅力をより良く伝えていくための粘り強い試行錯誤が語られました。

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本展開催に向けて約1年をかけて準備してきた展覧会チームのアイデアの源や試行錯誤を重ねたプロセスからも、「そこまでやるか」というフレーズに応えようとする強い熱意が感じられるトークとなりました。

2017年6月23日、企画展「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」に関連して、トーク「ジョルジュ・ルースが語る」を開催しました。
ジョルジュ・ルースは、絵画と建築と写真を融合させ、人の錯視などを利用して、空間を変容させる作品を世界中で制作しています。本展では、21_21 DESIGN SIGHTの建築にあわせた作品を制作しました。21_21 DESIGN SIGHTの地下空間に、地上から差し込む光を受けて存在している展示作品「トウキョウ 2017」をある1点から見ると、空間に正円が現れます。

まずはじめに、クリエイションの過程を映像で紹介しました。ルースは、写真が自身の起源であり、到達点でもあると言います。彼の制作は、カメラが捉えた特定の視点から出発し、完成した作品の姿はその1点からだけ見ることのできるものになります。ルースは「私が写真を撮影するときしか作品は存在しないし、そのカメラのレンズの視点からでないと見ることができない」と語りました。

また、自身の作品に用いる「円」というモチーフは、カメラのレンズのメタファーであるとも話すルースは、さらに自身の作品と写真との関係について、「光を書く」という意味の「Photographie」という言葉の通り、光と質感との関係、建築物への光の投射が重要であるとも言います。

幼い頃から廃墟が好きだったというルースは、初期の制作を廃墟で行いました。あらゆる役目を失い、もはや全体が把握できないような場所に別の姿を与えることが目的であったと言います。そういった場所での人物などをモチーフにした巨大な絵画作品を重ねるうち、「だまし絵」のような要素に面白さを感じ、錯視などを用いた作品を制作するようになった過程を、これまでの作品を通して紹介しました。その解説からは、これまでに作品を成立してきた世界中のどの場所でも、それぞれの場所への解釈をもって制作に臨んできたことも伝わります。

最後に、東日本大震災後の2013年、宮城県の松島でのプロジェクト「松島 ネガ/ポジ 2013」を映像で紹介しました。地域住民とともに取り組んだ制作過程から完成までを記録したドキュメント映像に、会場からは自然と拍手が起こり、トークの締めくくりとなりました。

いよいよ明日開幕となる「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」。開幕に先駆け、会場の様子をお届けします。

つくることの喜びとともに、「壮大なプロジェクト」に向けて歩みを進める表現者たち。彼らの姿勢には、さまざまな困難に立ち向かう強い意志と情熱があります。本展には、世界各国からダイナミックな活動を行うクリエイターたちが集います。

本展では、制作過程のアイデアスケッチやドキュメント、実際の作品で使用した素材、新作インスタレーションを展示し、より直感的に身体で作品を楽しむことができます。
展覧会ディレクターに建築やデザイン、アートなど幅広い分野に精通するライターでエディターの青野尚子を迎え、クリエイションが持つ特別な力と、そこから広がっていく喜びを伝えます。

Photo: 木奥恵三 (Keizo Kioku)
Photo: 木奥恵三 (Keizo Kioku)
Photo: 木奥恵三 (Keizo Kioku)
Photo: 木奥恵三 (Keizo Kioku)
© Georges Rousse
Photo: 木奥恵三 (Keizo Kioku)

幅が1.35メートルしかないのに、高さが45メートルもある教会。この極端な建築を設計したのが、建築家の石上純也さんです。不思議な形の建物が生まれた理由を聞きました。(聞き手・文:青野尚子)

「Church of the Valley」 © junya.ishigami+associates

「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」には幅が13.5センチ、高さが4.5メートルあるオブジェを出品します。これは実際の建物の10分の1の模型です。つまり、本物の建物は幅が1.35メートル、高さが45メートルになります。

この教会は中国の山東省にあるなだらかな丘の間にある谷に建てられます。両側の丘の高さは20〜30メートル程度。教会は45メートルの高さなので、二つの丘の間に細長いものが屹立するような眺めになるでしょう。

入り口の幅は1.35メートルですから、互いにすれ違うのがやっと、というぐらいのささやかなものです。建物は湾曲しながら奥にずっと伸びていて、進むに従って少しずつ広がっていき、最後のぷっくり膨らんだエリアに祭壇があります。

中に入って見上げると両側にそびえ立つコンクリートの壁が、鋭い峡谷のように見えるはずです。建物の外からは45メートルの教会と丘との間にできるスペースが、本来の丘がつくる谷よりも大きくかつ切り立った谷のように見えると思います。建築の内側と外側に谷のような新しい風景をつくりたい。それがこんな形の教会を設計した一番大きな理由でした。もともとのなだらかな地形に鋭く切り立つ建築を付け加えることで、荘厳さを補強することができると思います。

この教会には屋根がありません。高さ45メートルの壁の上は素通しになっていて、光が入ってきます。入り口は幅が狭いので暗いのですが、歩を進めると少しずつ光が下まで落ちるようになってきて、祭壇があるところではもっとも明るくなります。雨も入ってきますし、見上げると雲が流れていくのも見えるでしょう。キリスト教では光は重要な概念です。見上げると光が真上から降りてくる。この教会では実際の自然環境にはないスケールで光を感じることができるのです。

展覧会に出品する模型はひとつですが、この教会に限らず僕はいつもたくさんの模型をつくります。現場に行って地面に線を引いたり、ドローンで糸をたらして高さを確認したりもします。僕が考える建築はこの教会のように普通にはないプロポーションのものが多いので、他の建築から体感スケールを類推することが難しい。現場で地面に引いた線を見ながら微調整することもあります。こうしてスケール感や太陽光の入り方、周りの景色との関係性を確かめることが重要だと思っています。コンピュータなどを使ったシミュレーションもしますが、やはりリアルな世界が持つ情報量にはかなわないのです。

「Church of the Valley」内観イメージ © junya.ishigami+associates

この教会の他には今、"洞窟のようなレストラン"のプロジェクトを進めています。住居とレストランが一体になった建物です。もともとは「経年変化によって深みを増すような建築にしたい」というオーナーの思いから始まったものでした。年月が経つにつれて崩れて廃墟になっていき、もとの自然に近づいていくような建物です。しかし建築は普通、規格化された部品などを使って工業的な予定調和を前提につくります。建築に限らず手づくりが珍しくなってしまった現代では、オーナーが望む"ぼろぼろと崩れていく雰囲気"を生み出すのは大変なのです。

ここではまず、キッチンやダイニングなど必要な機能をそれぞれのスペースにわりふった洞窟がたくさんある空間の模型をつくりました。穴がいっぱい開けられた地下都市のようなイメージです。それをフォトスキャンして三次元データに変換し、図面にしていく、という手順をとりました。

この図面をもとに、"柱"や"壁"になる部分の地面を掘っていき、できた穴にコンクリートを流し込んで固まったら周りの土をかきだします。するとそこに空洞ができて、部屋になる。土をコンクリートの型枠として使うのです。土がコンクリートの表面に染みこむので、そこには土のテクスチャーや色が転写されます。土という自然がそのまま建築になるわけです。

土を掘る位置や深さは図面に基づいて、現地で光測量(レーザー光線による測量)を行って決めていきます。掘る際には部分的に重機も使いますが、形を整える作業は手でないとできません。アナログな作業に見えますが、フォトスキャンによる三次元データの制作など、最新のテクノロジーがないと実現できないものなのです。新しいもの、古いもの、今使える技術や知識のすべてを動員して建築を組み上げています。

僕の建築は「そこまでやるか」という展覧会のタイトルの通りに見えるかもしれません。実際に手間もかかっています。ではなぜ「そこまでやる」のか。そう聞かれたら僕は「新しい風景や空間が見たいから」と答えます。建築はできあがったものすべてが自分の内側から出てくるわけではありません。たとえばレストランなら「年を経てよくなっていくもの」というオーナーの意向がありました。敷地によっていろいろな制限を受けることもあります。もし自分一人ですべてを考えていたらそういった方向にはならないかもしれません。何をつくるのか、完全にわかっているわけではないからこそ、今まで見たことのない新しい風景を見てみたい。

ですから、常に先のことは考えていますが、何か具体的なものを目指しているわけではなく、見えない先のものを目指しています。ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエら20世紀半ばまでの建築家たちは一つの解答を共有し、一つの未来を見据えていました。それは社会が抱える問題が今より切迫したリアルなものであり、みんなが一つのゴールを共有していたからです。しかし現代では価値観が多様化し、何を未来と呼ぶのか、その意味や考え方が人によって違います。一つの仮想的な未来を提案してもリアリティは伴わない。建築をつくりたいと思う人のそれぞれに異なる価値観と向き合っていかなければ、現実性のあるものをつくりだすのは難しい。僕が「そこまでやる」背景にはそんな理由もあるのです。

いしがみじゅんや:
1974年、神奈川県出身。東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修士課程修了、妹島和世建築設計事務所を経て2004 年、石上純也建築設計事務所を設立。主な作品に「神奈川工科大学 KAIT工房」など。2008年ヴェネチア・ビエンナーレ第11回国際建築展・日本館代表、20 10年豊田市美術館で個展『建築のあたらしい大きさ』展などを開催。日本建築学会賞、2010年ヴェネチア・ビエンナーレ第12回国際建築展金獅子賞(企画展示部門)、毎日デザイン賞など多数受賞。

クリストとジャンヌ=クロードの《フローティング・ピアーズ》から始まった「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」。この展覧会タイトルに合ったダイナミックな作品をつくる作家は誰だろう? そう考えたとき、真っ先に名前が上がったのがダニ・カラヴァンでした。中でも本展でその模型とスケッチが展示される《大都市軸》は長さ3キロ以上、制作期間37年間という、まさに「そこまでやるか」のスケールです。彼の壮大な作品には、彼独自の哲学がありました。(文:青野尚子)

ダニ・カラヴァン「大都市軸」(1980年〜現在) © Lionel Pagés

ダニ・カラヴァンはイスラエル出身、1960年代から活躍する"彫刻家"です。自らそう名乗っています。ただし彼の"彫刻"は美術館の館内に収まるものだけではありません。砂漠や海辺の岸壁、公園、美術館の庭などさまざまなところにつくられた彼の彫刻は大きさが数十メートルから、数百メートルになることも珍しくありません。

彼の代表作の一つがパリ郊外、セルジー・ポントワースという新興住宅地につくられた《大都市軸》です。RER(高速地下鉄)の駅を降りると「展望塔」という高い塔が見えてきます。そこからパリの中心部に向けて歩いて行くと12本の白い列柱があります。橋桁(はしげた)の下に円形劇場がある赤い橋を渡ると、湖の中に白いピラミッドが姿を見せます。歩いていくと次々と現れるシンプルで幾何学的な形態に、なぜか心が洗われるような気持ちになります。「都市軸」とはパリの中心を貫く大通りのこと。近代のパリはこの「都市軸」を文字通り、軸として発展してきました。

今回は出品されませんが、スペインの地中海沿い、フランスとの国境に近いポルト・ボウという小さな町の海辺にある《パッサージュ ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ》も印象深い作品です。波が打ち寄せる岸壁にコールテン鋼の細長い箱が、海に向かって落ちるようにつくられています。中には人が一人か二人通れるぐらいの巾の急な階段があり、その先で波が砕けて白い泡をたてるのが見えます。下に向かって階段を降りるとガラスの板に阻まれてその先へは進めません。ガラスには「有名な人々よりも、名もない人々の記憶に敬意を払うほうが難しい」という文章が刻まれています。ここはドイツの思想家、ベンヤミンがナチスの手を逃れてたどり着いた終焉の地。狭くて暗い通路を海に向かって降りていくその身体体験が、近代史のさまざまな側面を感じさせます。

これらの作品に限らず、カラヴァンの作品には四角錐や円錐、円柱、角柱など基本的で抽象的な形態がよく登場します。階段や球、門のような形も彼が多く使う形です。色も白や茶など、控えめな無彩色が中心です。このことについてカラヴァンは、本展の打ち合わせで次のように言っていました。
「自然には豊かな色や形がある。ごくベーシックな色や形を使うことで自然との対比を見せたい」

カラヴァンは「私の作品は人がいないと成立しない」とも言います。彼の彫刻と人、そこを訪れた人どうしの関係性に彼は興味を持っています。 「《ネゲヴ記念碑》では子どもたちがよく、よじ登って遊んでいる。私のアートはそうやって感じて欲しいんだ」
《大都市軸》ではジョギングに励む人が大勢います。周囲に広がる森に整備された遊歩道と合わせて自転車で走り回ったり、犬を散歩させる人も。つくり始められてから40年近く、すっかり人々の生活に馴染んでいる様子が伺えます。

ダニ・カラヴァン「ネゲヴ記念碑」(1963〜1968年) © Micha Peri

彼の作品は日本にもあります。札幌芸術の森美術館にある《隠された庭への道》は同館の彫刻庭園につくられた、小高い丘に点々と続く作品。白コンクリートによる作品には雪や音など、移ろっていくものも使われています。霧島アートの森の《ベレシート(初めに)》は小高い丘に突き出したコールテン鋼の通路の中を歩いていく作品。入り口に立つとその先に光が見え、先端まで行くと緑のパノラマが広がります。奈良県の《室生山上公園芸術の森》は野外劇場にもなるオブジェなどを散策できる公園です。

会場では作品キャプションの「素材」にも注目してみてください。普通なら「鉄」「コンクリート」などと書かれているものですが、カラヴァンの作品ではときに「陽光」や「風」も「素材」として挙げられていることがあります。刻々と移り変わっていく自然の要素も彼にとっては重要な素材の一つなのです。

《隠された庭への道》では「Void (ma)」という素材も挙げられています。これは日本語の「間(ま)」からとったもの。物と物の間の何もない空間や、音と音の間の無音に特別な意味を見出す感性です。
「ヴォイド(間)は実在するものより重要なんだ」とカラヴァンは言います。《隠された庭への道》の門のような造形や噴水、白い円錐の間にある「間」にこそ、重要なものが隠されているのです。

彼の作品は訪れるたびに発見があります。歩く、よじのぼる、階段を降りる、そんな体験をしながら感じる日の光や風、その風に揺れる木の葉が見るものの中に新しいものを見つけてくれる。だからカラヴァンの作品はいつも新鮮なのです。

ダニ・カラヴァン:
1930年にテルアビブで生まれたカラヴァンは、1960年代初頭から、演劇、ダンス、オペラの舞台装置をデザインし、バットシェバ舞踏団(Bat Sheva Dance Company)、マーサ・グレアム(Martha Graham)、ジャン・カルロ・メノッティ(Gian Carlo Menotti)の作品に参加してきた。その一方で、エルサレムのクネセト(国会)本会議場において石壁のレリーフを手掛けるとともに、自身初のサイトスペシフィックな環境彫刻であるネゲヴ記念碑をベエルシェバ近郊に制作した。これは、環境芸術およびサイトスペシフィック彫刻における画期的作品となった。以降、イスラエル、ヨーロッパ、米国、韓国、日本などで環境彫刻の制作を依頼されている。これまでに世界中の多くの美術館で展覧会を行い、イスラエル賞(彫刻部門)や、芸術界のノーベル賞にあたる日本の高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。テルアビブとパリで生活し、制作を行っている。

ミヒャエル・ヘフリガー(ルツェルン・フェスティバル総裁)を発起人として、磯崎 新とアニッシュ・カプーア、梶本眞秀らが協働でデザインした移動式のコンサートホール《ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ》。推進役となった梶本眞秀さんは音楽イベントの企画を手がける「KAJIMOTO」の代表です。アーク・ノヴァが生まれ、東北3カ所で膨らんで音楽が奏でられるまでを聞きました。(聞き手・文:青野尚子)

磯崎 新によるスケッチ

このプロジェクトは思いつきというと変ですが、「こうしたらどうだろう」という小さなアイディアがいろいろな出会いによって連鎖反応がおき、こんなに大きな形になったものなんです。今から振り返るとほんとうに不思議な気持ちになりますね。

始まりは2011年3月12日、東日本大震災の翌日に友人のミヒャエル・ヘフリガーからかかってきた電話でした。彼が率いるルツェルン祝祭管弦楽団とはそれまでも何度か、私のプロモーションで来日公演をしてもらったりしてきた旧知の仲だったんです。彼は震災の被害をとても心配してくれて「何かできることはないか」と言ってくれました。そのとき、とっさに音楽で人々を勇気づけてもらうようなことはできないか、と考えたんです。でも震災から1、2年経ってからでなければ、みんなも音楽を聞こうという気持ちにはならないだろう。そう思って、建築家の磯崎 新さんに相談しました。実はヘフリガーのお母さんが建築家で、以前から磯崎さんのファンだったんです。ルツェルン祝祭管弦楽団のシンポジウムに来てもらうなど、磯崎さんとヘフリガーとは交流もありました。

私が磯崎さんにお話ししたところ、彼が画期的なアイデアを出してくれました。被害を受けたエリアは青森から福島まで約200キロに及びます。一つホールをつくってもみんなには行き渡らない。移動式のホールをつくって各地を巡回すれば、その土地の人々に楽しんでもらえる、というものでした。

さらに磯崎さんの友人でアーティストのアニッシュ・カプーアがそのときパリで、丈夫なビニールのような素材を使った巨大なアート作品を展示している。彼に協力してもらったらどうだろう、というのです。さっそくパリに飛んで、カプーアさんの作品を見てきました。グラン・パレという大きな建物の全体に広がるようなダイナミックな作品に圧倒され、ぜひお願いしたいと思いました。でもカプーアさんも世界的に有名なアーティストで、いつも忙しい。恐る恐るお聞きしたところ、「困っている人に勇気を、ということだったらいつでもいいですよ」と快諾してもらえました。

2013年、松島での開催の様子

この《ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ》はこれまで宮城県松島と仙台、福島市の3カ所で公演を行ってきました。ルツェルン祝祭管弦楽団のメンバーによる室内楽などクラシック音楽だけでなく、ジャズやミュージカル、能など幅広いプログラムを実施しています。能の公演では狩野了一さんのシテで『鶴』を上演してもらいました。白い鶴が復興を象徴する不死鳥のように見えたのが印象的でしたね。

公開レッスンなど、聴衆の方に参加してもらえるワークショップも多数、開催しています。地元の子どものオーケストラとプロの音楽家が同じステージに立つワークショップでは、技量の高い演奏家のすぐ隣で演奏することで飛躍的に上達します。雅楽の楽器や和太鼓などを体験できるワークショップもしました。管楽器などはともかく、太鼓は叩けばすぐ音が出ると思う方も多いでしょう。でも最初はなかなか思うような音が出ないのです。子どもたちにとってはそんなことも発見だったのではないでしょうか。

私たちは通常、大小のコンサートホールで公演を行うことが多いのですが、《アーク・ノヴァ》はそれらとはまったく違う空間でした。そこではいつも不思議なことが起こります。松島でのある公演では、終了後も一人残って天井を見上げる子どもがいました。「何してるの?」と聞くと、「ここはとても気持ちがいい。誰がつくったの?」と言うんです。スイスのオーケストラの人たちだよ、と答えると何か感じるものがあったようで、またそのまま天井を見上げていました。遠いスイスの人たちが心配してくれている、そのことを実感してくれたとしたら私も役に立てたのかもしれない、そんな充実感を覚えました。

アーク・ノヴァ 内観

《アーク・ノヴァ》では、終演後に演奏者とお客さんとがハグしあうようなことも自然に起こります。大きくカーブした、包まれるような空間の中では他の場所とは違う特別な一体感が生まれるようです。ステージと客席が近いせいもあるかもしれません。今はインターネットのおかげで遠くのものごとも知ることができるようになりましたが、だからこそ人が集まって同じ空気を吸う、そこで起きていることを共有することってとても大切だと思います。音楽なら歴史に残る名演奏もあれば、失敗しちゃった、ということもある。それも含めて知らない人どうしが出会うこと、通じ合うことが重要なんです。

2015年、福島での開催の様子

私たちの仕事は音楽ホールがないとできません。でも《アーク・ノヴァ》があれば、それを運んでいって演奏することができる。りっぱなホールがなくても可能性はたくさんあることを教えてくれます。音楽のあり方が変わる、将来はこうなる、ということを啓示してくれます。

ロシアの文豪、ドストエフスキーは小説「白痴」の登場人物に「美は世界を救う」と言わせています。若い頃は大げさだな、と思っていました。今もいろいろな解釈があると思いますが、芸術には人の心を支える力がある。私もそのことを実践している"つもり"です。音楽を通じて聞く人に何かを届ける。そこに少しでも近づいていければと思っています。

ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ:
2013年から3年間、松島・仙台・福島の3都市にて行われた、音楽の箱舟「アーク・ノヴァ(ラテン語で新しい方舟の意)」。東日本大震災を受けて、スイスのクラシック音楽祭ルツェルン・フェスティバルから寄せられた友情が、コンテナトラックに載せて移動することができる可動式のコンサートホールと、そこで行われる音楽祭として形となった。約500人収容のホールにて、クラシックを中心とした音楽会や教育プログラムなど、様々なイベントが行われた。

ギャラリー3 外観

21_21 DESIGN SIGHTは2007年3月に開館しました。

開館の背景は、創立者である三宅一生が、1980年代、イサム・ノグチ、田中一光、倉俣史朗、安藤忠雄らとともに、日本におけるデザインミュージアムの重要性について語りあったときに遡ります。
その熱い想いはそのままに、生活を豊かに、思考や行動の可能性を拡げるデザインの役割を、探し、見出し、つくっていく拠点となりました。

ディレクターは、デザインの現状、制作の現場をよく知るデザイナーの三宅一生、佐藤 卓、深澤直人。アソシエイトディレクターはジャーナリストの川上典李子です。これまでに34の展覧会を開催し、デザインの視点から、生活、社会、文化について考え、世界に向けて発信し、提案を行なってきました。そして10周年を機に、佐藤 卓が館長に就任します。

2017年3月31日には、新たな活動拠点「ギャラリー3」を開設します。ここでは、世界各国の企業をはじめ、教育・研究・文化機関等との密な連携によって、実験的なプログラムに取り組んでいきます。誰もが自由にデザインに触れられるスペースが拡がります。

21_21 DESIGN SIGHTは、今日までの歩みを大切に、「デザインの視点でさらに先を見通す」活動を続けていきます。

21_21 DESIGN SIGHT opened in March 2007.

The story behind the opening of 21_21 DESIGN SIGHT goes back to the 1970s, when its Founder Issey Miyake started to discuss the importance of establishing a design museum in Japan with Isamu Noguchi, Ikko Tanaka, Shiro Kuramata, and Tadao Ando. 21_21 DESIGN SIGHT sprang from that discussion and became a nexus from which to search, find, and create the ongoing role of design. Design is a process that enriches life and expands the potential for thoughts and actions.

The Board of Directors is comprised of Issey Miyake, Taku Satoh, and Naoto Fukasawa, three designers who are well acquainted with the contemporary status of design and the creative scene; and journalist Noriko Kawakami who acts as Associate Director. 21_21 DESIGN SIGHT has introduced numerous ideas and proposed a variety of design solutions to the world through 34 exhibitions. Each exhibition opened a dialogue on our life, society and culture from design point of view. In honor of the 10th anniversary. Taku Satoh has been named as its overall Director.

On March 31, 2017, we will open Gallery 3. Here, we will implement experimental programs in close collaboration with corporations, schools and cultural institutions throughout the world. We wanted to expand our space so all could experience the power of design.

21_21 DESIGN SIGHT continues to evolve, treasuring the decade that is now behind it and always looking toward the future.

ギャラリー3 エントランス
ギャラリー3 内観
ギャラリー3 内観

写真:吉村昌也

「土木展」の最後に、それまでとは雰囲気の違うシリアスな映像が流れています。この「GS三陸視察2015 映像記録作品『GROUNDSCAPE』」は総合的な空間デザインを考える「GSデザイン会議」がつくったもの。上映時間は1時間ほどになりますが、会場では最後まで見入っていく人も少なくありません。このGSデザイン会議の共同代表の一人であり、「土木展」の企画協力者でもある建築家の内藤 廣に聞きました。


「GS三陸視察2015 映像記録作品『GROUNDSCAPE』」より

映像を制作した「GS(グラウンドスケープ)デザイン会議」は、「景観法」が施行(2004年)されたことなどを機に、土木設計家の篠原 修先生たちと2005年に立ち上げたネットワークで、シンポジウムなどの活動を行っています。美しい景観をつくるには建築や土木など、個別に設計するのではなく、分野を横断してトータルにデザインすることが大切だとの考えからでした。
このGSデザイン会議では3年前、みんなで三陸を見た方が良い、ということで参加者を募り、年一回視察する機会をつくっています。私はそれまでも復興のためのさまざまな委員会に加わり、現地を訪れていましたが、より多角的な視点から継続的に復興について考えていかなければと思ったのです。土木展で展示されている「GS三陸視察2015 映像記録作品『GROUNDSCAPE』」は、それがきっかけになって昨年制作されたものです。

復興をお手伝いする中でいろいろな問題点が見えてきました。ひとつは「安全」に対する国と私たちの考え方の違いです。ある委員会でご一緒した津波工学の専門家、首藤伸夫先生は「津波は個別的なものであり、同じ津波は二度と来ない。津波の被害を完全に食い止めることは不可能だ」という意見です。だから、本来は逃げることを第一に考えなくてはならないはずです。ところが役所はさまざまなシミュレーションデータを示して建前上「安全だ」と言い切らないと、都市計画法などの法を適用することができない。これは大いなる矛盾です。
防潮堤で絶対安全を目指すとすると、たとえば陸前髙田には高さ21.5メートルの津波が襲来しましたから、21メートル以上の防潮堤をつくらなくてはならなくなる。しかし百年に一度の津波が来るまで、つまり百年後までそのメンテナンスを続けることは可能でしょうか。それは不可能です。それよりもより発生頻度の高い津波を防ぐほうが現実的でしょう。陸前高田では、高さ12.5メートルの防潮堤が完成しつつあります。でも人は忘れやすい。その高さの意味を数世代にわたって伝えていく必要があります。
また、地元の意見をまとめることも重要ですが、住民の方の思いもさまざまですし、時間とともに変わります。当初はどの自治体も東日本大震災の津波と同じ高さの防潮堤を希望していました。でも1、2年経つとこんなに高くなくてもいい、大きすぎて不経済だ、といった声も出てきます。しかし、そのときには計画が進行していて変えられない、といったことも起きるのです。
一方で、もとからコミュニティの結束が強いところでは比較的早く結論が出ました。実際に、早々に「防潮堤はいらない」と明快に決めた集落では防潮堤をつくっていません。


「GS三陸視察2015 映像記録作品『GROUNDSCAPE』」より

こういった状況を見ると災害が起こってからではなく、「今から考えなくてはならない」と強く思います。もし南海トラフ地震が起きた場合、被害や復興にかかる費用は東日本大震災の15倍になるとの試算もあります。東日本大震災と同じやり方で復興できるとは限りませんし、答えはすぐには見つからないでしょう。でも災害が起きてからでは遅いのです。
そのためには土木・都市計画・建築の各分野を横断することが重要です。今、この3分野は互いに分断されていて、3つを理解できる人が本当に少ない。建築家も土木や都市計画について学ぶ、というように相互に理解し合う努力が欠けています。とはいえ、改善の兆しはあります。私が教えている東京大学では、着任した2001年当時は社会基盤工学科(旧土木工学科、現在の社会基盤学科)と建築学科は口もきかない、といった有様でしたが、今では共同でプロジェクトを行うまでになっています。そこで学んだ若者が社会に出て中枢を担うころ、つまり15年ぐらい先にはもっと状況はよくなっているのではないかと期待しています。

こうしていろいろな取り組みをしていますが、物理的な破壊が起こっても文化の厚みがあればかならず復興できると私は信じています。歴史を見れば、文化は文明の復元力の源なのです。最終的な文化とは言語のことだと思っています。日本人であれば日本語で正しく会話ができるか、この言語で深い思考をしているか、ということです。災害が起きたときのことを今から考えること、文化の厚みを生み出す"言語"を大切にすること、土木や建築、都市計画の間の相互理解を図ることが"その日"に備える最善の策になると思っています。

ないとうひろし:
建築家・東京大学名誉教授。1950年生まれ。1976年早稲田大学大学院修士課程修了。フェルナンド・イゲーラス建築設計事務所(スペイン・マドリッド)、菊竹清訓建築設計事務所を経て、1981年内藤廣建築設計事務所を設立。2001年から東京大学大学院社会基盤学専攻教授、同大学副学長を歴任後、2011年に退官。2007-2009年度には、グッドデザイン賞審査委員長を務める。主な建築作品に、海の博物館(1992)、安曇野ちひろ美術館(1997)、牧野富太郎記念館(1999)、島根県芸術文化センター(2005)、日向市駅(2008)、高知駅(2009)、虎屋京都店(2009)、旭川駅(2011)、九州大学椎木講堂(2014)、静岡県草薙総合運動場体育館(2015)、安曇野市庁舎(2015)などがある。

台湾・台北の松山文創園區 五號倉庫で開催中の21_21 DESIGN SIGHT企画展 in 台北「単位展 — あれくらい それくらい どれくらい?」に関連して、2016年8月20日、中村至男と鈴野浩一によるトークが開催されました。

本展では、2015年に21_21 DESIGN SIGHTで開催した「単位展」に引き続き、中村は展覧会グラフィックを、鈴野は会場構成監修を担当しました。
トークの前半は、二人がこれまでに手がけてきた仕事をそれぞれ写真や映像とともに紹介。その後、東京と台北の「単位展」について語りました。

まずは中村が、企業の社内デザイナーとして働いていた当時にデザインした自宅の引越しを知らせるポストカードに始まり、佐藤雅彦と協働したゲームソフトや「勝手に広告」シリーズ、近年出版された絵本まで様々な仕事を説明。
つづいて鈴野は、禿 真哉とともにトラフ建築設計事務所を設立するきっかけとなったホテル「クラスカ」の客室や、ひとつづきの空間が屋根の高低でゆるやかに区切られた住居、さらには「空気の器」や結婚指輪までを紹介しました。
二人の、自身の肩書きから想像される枠を超えた幅広い活動と、その根底に通じる独特の発想に、会場からは驚きの声があがりました。

トークの後半では、「単位展」におけるそれぞれの仕事を解説しました。途中、本展のメインビジュアル完成に至るまでに生まれた別のデザイン案も紹介するなど、企画秘話も。
鈴野は、展覧会の構成や展示作品が確定する前に完成した中村によるメインビジュアルが、会場構成や什器デザインのアイディアに繋がったといいます。企画チームのメンバーが、自身の担当を超えてつくりあげた本展ならではのエピソードが語られました。

21_21 DESIGN SIGHT企画展 in 台北「単位展 — あれくらい それくらい どれくらい?」は、2015年の東京での「単位展」展示作品に、台湾の企業や作家による作品も加わり再構成されています。
9月16日までの会期中、より多くの人々が本展を訪れて新しいデザインの視点を持ち帰ってくれたら、という二人のメッセージで、トークは締めくくられました。

Photo courtesy of FuBon Art Foundation

2016年8月27日、建築設計事務所の403architecture [dajiba]による「つんでみる!アーチ橋ワークショップ」を開催しました。
このワークショップでは、403architecture [dajiba]が「土木展」に出展している作品「ライト・アーチ・ボリューム」のミニチュアを工作し、古くから利用され橋の仕組みの基礎として知られるアーチの構造をより身近に体験します。

まずはじめに、403architecture [dajiba]が、アーチ橋の基本的な構造を解説します。平らな橋とくらべて、アーチ橋がどのような特徴を持っているのか学んだら、さっそく工作に取り掛かります。最初は、橋のパーツの展開図に絵をつけるところから。組み立てた時どことどこがつながるのか、橋の表面になるのはどの部分か、考えながら思い思いの絵を描いていきます。

次に、展開図の線に沿って、パーツを切り抜いていきます。このアーチ橋に必要なパーツは全部で7つ。組み立てた時に安定するよう、線から逸れないように丁寧に切ります。

パーツが切り出せたら、今度は点線に沿って紙を折り、キューブ状にしていきます。立体の糊づけが難しく、はじめは苦戦した人たちも、だんだんコツを掴んで次々とパーツが出来ていきます。

すべてのパーツが出来上がったら、いよいよ橋の組み立てです。展示作品「ライト・アーチ・ボリューム」と同様に、端に固定した「基礎」に向かって一列に並べたパーツを押し寄せると、みごとにアーチ状に立ち上がりました。出来上がった橋の上にいろいろな文房具を置いて強度を試してみたり、絵柄がきれいに並ぶようパーツの順番を入れ替えてみたり。自分でデザインした橋を、思い思いに楽しみました。

毎日なにげなく渡っている橋も、自分でつくってみると、普段はみることのない角度から観察することができます。私たちの日常にあたりまえのように存在する「土木」を、改めて意識する機会となりました。

企画展「土木展」の展示「日本一・世界一」では、日本の青函トンネルとスイスのゴッタルドベーストンネルを通して、日本と世界の土木技術の粋を紹介しています。2016年8月11日、青函トンネルからは鉄道建設・運輸施設整備支援機構の秋田勝次、ゴッタルドベーストンネルからはAlpTransit Gotthard社のレンツォ・シモーニを迎え、本展ディレクターの西村 浩、テキストの青野尚子とともにトークを開催しました。

まず、秋田より青函トンネルのプロセスについて紹介がありました。この全長53,850mの海底トンネルは、1923年の構想にはじまり、その後工事期間24年を経て、1988年に在来線開業、2016年には新幹線開業となっています。世界に類を見ない、最長の海底トンネルとしての誕生までの道のりには、水平先進ボーリングや緻密な注入施工など、優れた海底部掘削技術が活かされ、それが国際的な信用を得ることにつながったと語りました。

次に、シモーニよりゴッタルドベーストンネルのプロセスについて紹介がありました。このトンネルは全長57,072mあり、現在世界最長となります。シモーニはプロジェクトの概観、掘削、鉄道技術の応用、試運転のフェーズについて語りました。青函トンネルが海底にあるのに対し、ゴッタルドベーストンネルは山脈に位置するため、土かぶりなどの事故を防ぎつつ作業を行う必要があります。シモーネは、800mの深さのシャフトを掘るほか、アクセストンネルを設えることにより、災害に備えるなどといった技術を語りました。

トークは、西村、青野を交えた質疑応答に移ります。両トンネルの開通の様子や、工事中の作業員が現場に向かうまでの道中、作業中の出水などのアクシデントにどのように対応するかなどが語られ、プロジェクトの達成にむけて勇敢に立ち向かうさまが紹介されました。日本とスイスの土木が、会場でそれぞれの培った技術を分かち合う、またとない機会となりました。

社会を支える基盤であり、叡智の結集でありながら、普段は意識されることの少ない土木工学や土木構造物の世界。21_21 DESIGN SIGHTで「土木」をテーマにしようと決めた際、ディレクター一同、これこそがデザインの施設でとりあげるべきテーマであると話し合った経緯があります。生活を支える普段は見えない力、自然災害から生活を守る工夫の歴史について、あるいは現場を支える多くの人々の存在、最新の技術や日本の作業作業のきめ細やかさなど、いつも以上に熱い会話となりました。こうした「土木」をより多くの方々に身近に感じてもらえる機会を、建築家の西村 浩氏がみごとに構成してくれています。

会場でまず出会うのは、見えない土木の存在です。1日あたり300万から400万もの人々が行き交い、乗降客数や規模で世界一にも記録されている新宿駅を始め、渋谷駅、東京駅のメカニズムを可視化するべく「解体」を試みた建築家 田中智之氏のドローイング。アーティストのヤマガミユキヒロ氏は、神戸の六甲山からの街なみと隅田川からの風景を絵画と映像の投影による「キャンバス・プロジェクション」で表現しています。日の出から日没、そして再び日の出を迎えるこれらの美しい風景も、土木あってこそ。そう考えると実に感慨深く、静かに移ろっていく風景に見入ってしまいます。


渋谷駅については、ギャラリー2で紹介されている田村圭介+昭和女子大学環境デザイン学科 田村研究室による「土木の行為 つなぐ:渋谷駅(2013)構内模型」も。複数の鉄道が乗り入れ、地下5階、地上3階という駅の複雑な構造は驚かされるばかり。背後の写真は西山芳一氏の撮影。

工事現場で汗を流す人々の姿もフォーカスされています。21_21 DESIGN SIGHTが土木のテーマで伝えたかったひとつに「支える人々の存在」がありましたが、西村氏も同じ想いを持ってくれていました。とりわけダイナミックな作品は、現在の渋谷の工事現場の音が奏でるラベルの「ボレロ」にあわせて、高度経済成長期に収録された映像と現在の渋谷の工事現場の映像が目にできる「土木オーケストラ」(ドローイングアンドマニュアル)。同じく私の心に響いたのは、溶接、舗装、開削等の作業をする人々の写真「土木現場で働く人たち」(株式会社 感電社+菊池茂夫)です。土木建築系総合カルチャーマガジン「BLUE'S MAGAZINE(ブルーズマガジン)」を知ることもできます。「人」という点では、スイス、ゴッタルドベーストンネルの完成の瞬間を記録した映像での、歓喜する人々の姿も心に残りました(「日本一・世界一」のコーナーで紹介)。

ダム建設で人工湖に沈んだものの、水位の低い季節に目にすることのできるコンクリートアーチ橋「タウシュベツ川橋梁」(北海道上土幌町)を始め、30年間土木写真家として活動する西山芳一氏が撮影したトンネルやダムの壮大さと美しさ。それらの写真を堪能できる展示空間(ギャラリー2)には、「つなぐ、ささえる、ほる、ためる」などのキーワードで、アーティストやデザイナーの作品が紹介されています。

砂を盛ったり掘る行為にあわせて等高線が現われる「ダイダラの砂場」(桐山孝司+桒原寿行)、来場者がダムの水をせき止める「土木の行為 ためる」(ヤックル株式会社)、ビニールのピースを積み上げてアーチ構造をつくる「土木の行為 つむ:ライト・アーチ・ボリューム」(403architecture [dajiba])等々、楽しみながら「土木の行為」を知る作品が揃っているのも「土木を身近に感じてほしい」という西村氏の想いゆえのこと。また、マンホールに入る体験ができる作品「人孔(ひとあな)」(設計領域)、左官職人の版築工法を手で触れながら鑑賞できる「土木の行為 つく:山」(公益社団法人 日本左官会議+職人社秀平組)など、実際の素材、工法を知ることのできる醍醐味も。

身体を使いながら鑑賞できるこれらの幅広い展示に、建築の専門家も関心を寄せています。そのひとり、南カリフォルニア建築大学の夏期プログラムで来日した学生を引率した建築史家の禅野靖司氏の言葉を引用しておきたいと思います。「土木の力を身体性とともに示していること、さらには土木を文化的な脈絡で見直し、専門外の人も好奇心を持って学び楽しむことができるフィールドとして紹介していた点が興味深い。安藤忠雄氏の建築の内部でこのテーマがとり上げられていることも、マテリアルと構造の不可分な関係を意識させ、学生たちには刺激的でした」

そして会場終盤、登場するのは骨太のメッセージです。関東大震災の復興事業の一環であり、近代都市東京のために情熱を注いだエンジニアの姿が伝わってくる永代橋設計圖。さらには、東日本大震災の復興事業の現場を、本展企画協力の内藤 廣氏はじめGSデザイン会議のメンバーが三陸を訪ねる「GS三陸視察2015 映像記録作品『GROUNDSCAPE』」(66分)。とてつもなく大きな存在である自然と私たち人間の関係について。「震災という非日常に備えながら日常を支えるのが「土木の哲学」と西村氏。「土木にはまだまだやるべきことがたくさんあり、考えなくてはいけないことが横たわっている」。自然とどう向き合うべきか。さらにはこれからの幸せとは何であるのか。西村氏が本展から発する深い問いです。

再び巨大駅の解体ドローイングに戻り、六甲山からの眺め、隅田川の景色の作品にもう一度向き合ってみました。巨大駅が滞ることなく機能し、こうした街の風景を「美しい」と感じつつ眺められるのも、身体のすみずみに血が巡っていくかのごとくメカニズムが熟考され、そのための技術も活かされているからこそ。また、ダイナミックで力強く、ひとの暮らしを思う実に繊細な配慮とともにあるのが土木の世界です。土木が生活を支えてきた歴史、支えられている現状を意識しながら、この先の生活のために大切なものとは何か、考えを巡らせることの重要性を実感せずにはいられません。

文:川上典李子
写真:木奥恵三

2016年7月1日より、台北の松山文創園區 五號倉庫にて、21_21 DESIGN SIGHT企画展 in 台北「単位展 — あれくらい それくらい どれくらい?」が開催中です。

旧たばこ工場を改装した会場では、21_21 DESIGN SIGHTで昨春開催した「単位展」を忠実に再現したほか、新たに台北で集めた品々で構成した「1から100のものさし」、台湾のデザイナーらが参加した「みんなのはかり」など、台北展独自の展示も。

会場入口には、21_21 DESIGN SIGHTのコンセプトやこれまでの活動を紹介するコーナーがあり、併設されたショップには、台北展にあわせて制作された新たなオリジナルグッズも加わり、連日多くのお客様で賑わっています。
会期は9月16日まで、会期中無休ですので、台北にお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。

Photo courtesy of INCEPTION CULTURAL & CREATIVE Co., Ltd.

2016年7月16日、「土木展」企画チームと参加作家の崎谷浩一郎、新堀大祐、菅原大輔、橋本健史(403architecture [dajiba])によるトークを開催しました。

まずは「自己紹介 (建築と土木と●●)」をテーマに、土木と建築にまたがって活動する崎谷と新堀、建築の分野で活動をしている菅原、建築とアートの分野で知られる403architecture [dajiba]の各々の仕事内容が語られました。菅原は、仕事を紹介するうえで関わる土木を道具になぞらえ、「土木という道具=原始的であり、最先端の道具」と語りました。

次に「ケンチQ?ドボQ? YES!NO!TALK!」と題し、さまざまな質問に対し、崎谷がつくったYES/NOフラグで応え、その内容を話し合いました。それぞれの仕事で関わることの多いものに関する質問「地形図が好きだ」に対し、YESと応えた新堀は、「風景が出来上がる根拠には歴史がある」と語りました。また「お金が好きだ」という質問にNOと応えた崎谷は、多くの土木は税金によって成り立つものであり、そのお金を好きといって良いのかという疑問を述べました。その他、「有名になりたい」、「整理整頓は苦手である」といった、四者それぞれの仕事上の立場や性格がうかがい知れるような質問もあり、会場を湧かせました。

トークは、最後のテーマ「建築と土木の境界」に移ります。新堀は、両者に境界を設けずに考えるようにしているといいます。右肩上がりに成長していた時代とは違い、分業でなく総合でものごとを捉えなくてはならないと語りました。橋本は、自分とっての理想的な何かだけでなく、それ以外の分野も取りいれていくことで、社会と関わっていくことができるのではないかと続きました。

お互いに関わりながら街をつくってきた、人々の暮らしには欠かせない土木と建築。トークでは、双方に隔たりを設けずに、社会の変化に順応しながら活動する四者それぞれの有り様が現れていました。

開催中の企画展「土木展」に関連して、本展ディレクター 西村 浩のインタビューが、『ソトコト』8月号に掲載されました。

また、ウェブサイトでもインタビューの一部が紹介されています。
>>『ソトコト』ウェブサイト


『ソトコト』8月号

2016年7月2日、オープニングイベント「これからの土木、これからの都市」を開催しました。

イベントには、本展ディレクターの西村 浩、企画協力の内藤 廣、土木写真家で参加作家の西山芳一に加え、本展グラフィックデザインを手掛けた柿木原政広が登壇。展覧会ができるまでの制作秘話や、それぞれの土木観を語りました。

「人々が、その恩恵を受けながらもそれに気づかずにいるのが土木。それは、その土木の素晴らしさでもある」と語る西村 浩は、しかし本展はそんな"見えない土木"を人々に知ってもらう入り口となることを目指したと言います。これまで土木に気づかずに暮らしてきた人たちに、土木を身近に知ってもらう工夫の一つとして、西村は「土木の専門家だけでつくる展覧会にはしない」ことを決めました。アートやデザインなどの分野で活躍するクリエイターたちが初めて体感した「土木」の表現は、同じく土木を専門としない私たちにも、土木の専門家たちにも、土木の新しい一面を見せてくれます。

本展グラフィックを手掛けた柿木原政広も、土木の専門外から参加しました。柿木原が本展のためのグラフィックをすすめる中で感じたのは、「土木には荒々しさと繊細さが同居している」ということだったと語ります。その魅力を伝えるために、柿木原が提案したグラフィックは大きく分けると3種類。最終的に本展メインビジュアルとなった案をはじめ他のデザインも、そのコンセプトとともに紹介しました。

一方で、本展参加作家の西山芳一は、30年以上、土木を撮り続けてきた「土木写真家」です。西山は、「土木はとにかく見なければ始まらない。この展覧会を訪れた人々が、今度は実際の土木を見たい、と思うきっかけになれば」と語りました。

最後には、参加者からの質問に4人がそれぞれの視点で答え、土木の専門家、土木を志す人、土木の専門外の人、さまざまな立場から意見が交換される会となりました。

開催中の企画展「土木展」は、生活環境を整えながら自然や土地の歴史と調和する土木のデザインについて考える展覧会です。
本展に向けて、実際の「土木」を訪れたり、自らの手で「土木」のスケールを体感したりしながらすすめられたリサーチの様子を一部ご紹介します。

企画展「土木展」展示作品の一つ、「土木の行為 つく:山」は、手で土を突き固める「版築」という工法をモチーフにした作品です。出来上がった部品を一度に組み立てるのではなく、種類の違う土を一層、また一層と塗り重ねてつくるこの作品のために、公益財団法人 日本左官会議と職人社秀平組の左官職人が連日会場を訪れました。

日本の街中には、あちこちに左官の仕事が存在しています。そこには、左官職人たちが長年積み重ねてきた知恵と技術、また現場仕事ならではの手仕事の軌跡を見ることができます。
しかし、規格化された現代の建築の現場には、手間と時間のかかる左官の仕事が登場しにくくなっているという事実もあります。

2016年6月13日、公益社団法人 日本左官会議による講演会「職人がいる町、塗り壁のある暮らしーーその終焉がもたらすもの」が、東京大学 一条ホールにて開催されました。
講演会には、「土木展」に参加した挾土秀平、小林隆男、小沼 充、川口正樹をはじめ、6名の左官職人と建築家が登壇。はじめに、日本左官会議議長の挾土秀平が第二次世界大戦後から現代に至るまでの左官の歴史を振り返りました。戦後の復興時には、全国で22万人も活躍していた左官職人は減少し続け、現在では5万人を切る程になってしまったと言います。挾土は、そういった厳しい現状を伝えると同時に、地域の土で壁を塗り「日本の風景をつくってきた」左官は、実は今の日本においても、人々にとって身近な存在であることを強調しました。

続いて、関東を中心に活動する3名の左官職人が、自身の仕事や街中の実例から、色々な左官の仕上がりを数多くの写真で紹介しました。さらに、それぞれ愛知県と滋賀県を拠点に活動する2名の左官職人が、地域に根付いた自身の仕事も解説しました。紹介された実例は、住宅から寺院、美術館、公園の水飲み場まで幅広く、私たちがいかに意識せずに、左官の仕事に触れているかを知ることができます。
最後には、登壇者全員によるパネルディスカッションも実施。建築家の視点からみた左官との協働について、また、私たちの日常に再び左官の仕事を取り入れるアイディアについて、率直な意見交換が行なわれました。

「土木展」会場では、そんな「左官の仕事」を垣間みることができます。土の色や質感を実際に目で捉え、手で触れて体感し、それらがつくるこれからの日本の風景を思い浮かべてみてください。


Photo: 木奥恵三

2016年6月24日、いよいよ開幕となる企画展「土木展」の会場の様子をいちはやくお届けします。

道路や鉄道、携帯電話やインターネット、上下水道、災害に対する備えなど、私たちの日常生活に必要不可欠な土木。「土木展」は、生活環境を整えながら自然や土地の歴史と調和する土木のデザインについて考える展覧会です。

Photo: 木奥恵三

「土木展」は展覧会のタイトルこそストレートですが、展示はそのまま土木を見せるものではありません。子どもから大人まで楽しめる、いろいろな仕掛けがされています。展覧会開幕を1ヶ月後に控え、展覧会ディレクターの西村 浩に、土木展に込めた思いを聞きました。
構成・文:青野尚子


嘉瀬川ダム|景観デザイン:西村 浩+ワークヴィジョンズ

展覧会の話をする前に、僕がなぜ土木の仕事をするようになったのかをお話ししましょう。僕が土木を目指したきっかけは建築だったんです。子どもの頃、祖父が棟梁をしていて、漠然とものづくりっていいな、建築学科に行きたいな、と思っていました。それで東大の工学部に入学したんですが、3年次に専攻を決めるとき、建築学科に進もうかなあと思っていたらそこに土木の神様が降り立った(笑)。当時は瀬戸大橋やアクアラインなど1兆円プロジェクトの全盛期だったこともあり、"地図に残る仕事"がしたいと思って土木工学科に進むことに決めました。

土木工学科ではデザインや景観にも配慮したものづくりをしたい、とも考えていました。ところが当時の日本では土木に景観やデザインを考える文化はなかったんです。建築では建築家という職能が確立していましたが、土木は戦後、国土の復興と高度経済成長を目指してとにかく安全に、大量に、速く造ることが最大の目標とされて景観やデザインにまで思考が及んでいませんでした。土木工学科では、景観やデザインを学びながらも、その一方で建築へのあこがれも忘れられず、お隣の建築学科に入りびたっていました。卒業後も建築設計事務所に就職したんです。そして独立、ということになったころにちょうど、土木にもデザインが必要だ、ということになり、そちらに引き戻されたというわけです。


岩見沢複合駅舎(撮影:小川重雄)|設計監理:西村 浩+ワークヴィジョンズ
建築学会賞・グッドデザイン大賞ほか多数受賞

ここでちょっと、みなさんの周りを見渡してみてください。家の前には道があり、公園があり、橋やトンネルがあるでしょう。建物はその間に建っています。私たちが暮らしている街は土木と建築で埋め尽くされているのです。その上で人々が幸せに暮らせるようにするためには建築や土木、さらにはその資金をどうするか、ファイナンスのことまで横断して考えることが必要です。しかし戦後の日本は右肩上がりの経済成長を背景にあらゆるものを速く、大量に、効率よくつくることが要求されました。教育もそれに合わせて行われたため、専門ごとにプロフェッショナルな仕事をするのは得意ですが、ものごとを統合して考えるのは苦手です。でもこれから経済が縮小し、人口も減っていく。そんな時代には、さまざまな分野を横断して考えることができる人材が必要なのです。


佐賀「わいわい!!コンテナ」(街なか再生社会実験プロジェクト)|企画・設計監理:西村 浩+ワークヴィジョンズ

でも一般の方には土木というと自分とは遠いものと感じられるのではないでしょうか。その理由の一つは、建築のほとんどが住宅や企業の施設など、民間のプロジェクトであるのに対し、土木はほぼ100%が公共事業であるためだと思います。だからほんとうは身近なところにあるのに、土木に関わるのは難しいという印象が生まれてしまう。誰もが他人事だと思ってしまうのです。

その"他人事"感を払拭し、自分のことだと思ってもらうには子どもの頃からそれについて考えることを習慣にしてもらわなくては。「土木展」はそんな思いから企画した展覧会です。だから、展示には抽象的なものもありますが、まずは子どもたちが遊べるものにしました。実際にアーチ橋をつくったり、砂遊びをしながら土木について学べるコーナーです。その次に一般の人、大人も楽しめるコンテンツを考えました。とくに年配の方は「土木オーケストラ」にぐっとくるんじゃないかと思います。今の日本の国土を支えている土木が高度経済成長期に造られた雰囲気が感じられるインスタレーションです。過去の土木から、未来が見えてくるような展示を考えました。


左:「土木の行為:ためる」(イメージ)ヤックル株式会社
右:「土木の行為:ほる」(「地質山」のためのドローイング)康 夏奈(吉田夏奈)

「土木展」では土木と聞いて想像できる世界ではない、今まで見たことのない切り口で土木を見せたい。アーティストやデザイナーなど、土木の専門家ではない人に参加してもらったのはそのためです。僕自身、土木の仕事をしているわけですが、その仕事の中でも新しい見方のものになると思います。違う分野の人がいろいろな情報を出し合い、議論することで新しい発見ができる。僕の仕事でもいろんなジャンルの人が一緒にいないと総体が見えない、ということがあります。そこにクリエイティブな発想を持つ人が加わって、今までにない化学反応が起こるのです。私たちは土木に囲まれて暮らしています。幸せな暮らしって何だろう? 土木を理解し、未来を考えることがその答えにつながると信じて、展覧会を企画してきました。

にしむらひろし:
建築家/デザイナー/クリエイティブディレクター
株式会社ワークヴィジョンズ 代表取締役
株式会社リノベリング 取締役
マチノシゴトバCOTOCO215 代表

1967年佐賀県生まれ。東京大学工学部土木工学科卒業、東京大学大学院工学系研究科修士課程修了後、1999年にワークヴィジョンズ一級建築士事務所を設立。土木出身ながら建築の世界で独立し、現在は、都市再生戦略の立案からはじまり、建築・リノベーション・土木分野の企画・設計に加えて、まちづくりのディレクションからコワーキングスペースの運営までを意欲的に実践する。日本建築学会賞(作品)、土木学会デザイン賞、BCS賞、ブルネル賞、アルカシア建築賞、公共建築賞 他多数受賞。2009年に竣工した、北海道岩見沢市の「岩見沢複合駅舎」は、2009年度グッドデザイン賞大賞を受賞。

2016年1月30日、ゲーリー事務所で経験を積んだ一級建築士の佐藤 類を講師に招き、「ゲーリーの創作プロセスを体験!等身大の模型をつくるワークショップ」を開催しました。

はじめに、本日の講師となる佐藤 類がフランク・ゲーリーの初期の作品や、自身がゲーリー事務所に所属していたときに担当した仕事を紹介しました。ゲーリー建築において「外壁」は非常に重要なデザイン要素のひとつであり、ゲーリー事務所では、大小さまざまな模型を同時進行で制作しながら建物の表情をつくり上げていきます。今回は、チームになってひとつの「壁」をつくりあげることで、ゲーリーの「外壁」のスタディを体験します。

実際の制作に入ると、まずはじめに模型の土台となる段ボールを組み立てていきます。今回使用する素材はどれも、ゲーリー自身も実際に使用するものばかりです。

次に、組み立てた段ボールを積み上げていきます。微妙なうねりを表現するために、仮置きした段ボールに鉛筆で印をつけて調整します。段ボールを重ねる位置が決まったら、印にあわせて両面テープで固定していきます。

最後に、壁の表面に紙を貼りつけると完成です。うねりのある壁のかたちにあわせて貼ったホログラム紙は、角度によって表情が違ってみえてきます。

完成した「壁」の模型は、1月30日の閉館まで会場に展示されました。

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」のプレスプレビューでは、フランク・ゲーリーのQ&Aセッションが行なわれました。
日本文化から受けた影響、建築の道を選ぶまでの経緯、近年の活動などを熱く語るゲーリーの素顔をぜひお楽しみください。

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プレスプレビュー当日の様子(Photo: 木奥恵三)

──ゲーリーさんが建築家になられた背景や日本との関わりについてのいろいろなお話、エピソードをありがとうございました。そして、代表作や近年の作品、最新作などは展覧会会場でご紹介させていただいておりますが、ゲーリーさんの今後のプロジェクト、これからどのようなことをされていきたいかということをお伺いしてよろしいでしょうか。

「さぁ、わかりません(笑)。ただ私には、建物を建てることに対する中毒症状があると思っています。オフィスの若いメンバーと仕事をするのも好きですし、息子も建築家になるということを決めました。孫娘は1歳になります。韓国系の血が入っているので、みなさんとある意味で近くなったとも思っています。これからなにをしたいかという話になるとまた何時間も必要になるのですが(笑)、私は最近慈善活動に熱心に取り組んでいます。カルフォルニア州には小学校が100校ほどあるのですが、小学校を卒業できずに中途退学してしまう児童がおよそ50%いると言われています。統計的に、ドロップアウトした児童は高い確率で犯罪に手を染め、刑務所で過ごしてしまう。そして皮肉なことに刑務所は児童を受け入れるために準備をしているわけです。こうした状態を受けて、われわれはファースト・レディのミシェル・オバマとともに『TURNAROUND ARTS』というプログラムを立ち上げました。アート系の先生方を学校にいる子どもたちのもとに送り込んで一緒にいろいろな作業をするプログラムで、子どもたちは自分の手でものをつくるということに熱心に取り組むものです。このプログラムは数カ月でかなり成果を上げています」

──幼少期におばあさまと遊ばれた経験は、建築家としてのお仕事に結びついてますでしょうか。

「一緒に床に座ってブロック遊びなどをしていました。祖母がどこまで深く考えていたのかは今となっては分かりませんが、遊びを通して、先入観なしにアイデアを模索し、自分の直感に従って何かをつくりあげていくということを学べたような気がします。祖母の例ではありませんが、私は生徒に教えるときに、まず彼らにサインを書かせているんです。書いてもらったサインをデスクの上に置いて見ると、書く人によって美的な側面がそれぞれ異なっていることが分かります。これは、生徒たちが何かに捉われて意図的に書いたものではなく、自身の手で直感的につくったもの。彼らには『直感を信じる感覚を忘れないで』ともよく話していますね。どこに向かっていくかというような確信を探すのではなく、直感を信じてアイデアを模索するということです。もちろん建物を立てるにあたっては、場所の法規制、現場やエンジニアリングの制約条件等に打ち当たりますが、先入観なしに直感に従いアイデアを模索することの大切さを、祖母がブロック遊びを通して教えてくれたのかもしれません」

──「やりたいのは、新しいアイデアを生むことだけ」とありますが、嫌になる瞬間が必ず来るにも関わらずアイデアを生み続けていくご自身のモチベーションはどこからやって来るのでしょうか?

「そうですね、どこから来るんでしょうね(笑)。私の友人でもある三宅一生さんは布でプリーツをつくりましたが、私はこれについて、布で人間性を表す試みであるように感じています。大きなもの、小さなもの、様々な領域にアイデアを当てはめて行った結果、最終的に、美しく、着心地の良い服に辿り着いたのだと思います。アイデアは様々な領域にどんどん進化して展開していきますが、だからといって、もともとあった『人間らしさ』を服で表現することで人々に届けるというアイデアの根にあるものは全く変わりません。その結果として、私のようなファッショニスタでも何でもない人間にとっても着心地が良いと思えるような美しい服をつくりあげることができたのだろうと思っています。進化のなかにも一貫性を持ち続けることが、例えば三宅一生さんの服でしたら、人間性が表現されていて、楽しくて、人々の手に届きながらも誰も真似できない、美しくユニークな服を可能にするのではないかと考えます」

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」のプレスプレビューでは、フランク・ゲーリーのQ&Aセッションが行なわれました。
日本文化から受けた影響、建築の道を選ぶまでの経緯、近年の活動などを熱く語るゲーリーの素顔をぜひお楽しみください。


プレスプレビュー当日の様子(Photo: 木奥恵三)

──みなさまこんにちは。本日は「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」にご来場いただきありがとうございます。これより、開催に合わせてご来日いただきましたフランク・ゲーリーさんによるQ&Aセッションを始めたいと思います。まずはゲーリーさんから一言お願いいたします。

「ハロー」

「一言ということでしたので(笑)。この21_21 DESIGN SIGHTのディレクター三宅一生さんとは長年の友人であり、建築家の田根剛さんには今回の展覧会ディレクターを務めていただきました。そしてこの展覧会を、同じく古い友人である安藤忠雄さんの建築のなかで行なうことができることをとてもうれしく、光栄に思っています」

「私はとても日本を愛しています。建築の歴史、音楽や文学などの芸術の歴史が好きで、若い頃は多くのものに触れ、多くのことを学びました。私は雅楽をやります。『イーン、クリン、クリン』の『クリン、クリン』のパートをやっているんです(笑)。このパートを完璧に演奏するためには呼吸をどのようにすればいいのか、日本の師が私に教えてくれました。日本にも、世界中のほかの国にも、建築や芸術の歴史は遺産として根付いています。そしてわれわれは遺産とまったく同じ創造を繰り返すのではなく、現代という時代の文脈のなかで、新たな作品をつくりだしていこうと考えているわけですが、そこに遺産のコピーではない人間的な新たな建築、街を築いていこうとすることが大事だと思います。残念ながら、アジア各国や、アメリカ、イギリス、フランスや世界のどこへ行っても、モダニストの作品のなかにはそういうアプローチをなかなか見ることができません。それがどのような理由からなのかは私にはわかりません。ですが、歴史を理解し、人間性を感じられるような建築を復興させたいと思っています。それはつまり、コピーではなく、現代における新しい言語を探していくということです」

──21_21 DESIGN SIGHTでは、本展を「建築家 フランク・ゲーリー展」と銘打っております。「建築の展覧会である前に、建築家の展覧会であるからだ」と、ディレクターの田根さんはおっしゃっていますが、ゲーリーさんが建築家になられたきっかけと、これまでたどってこられた建築家としての道のりについてお話をお聞かせいただけますか。

「それについては、4時間ほどお時間をいただいてもよいでしょうか(笑)。小さい頃は気がつきませんでしたが、いまから振り返ると私の父、母、私が置かれていた時代の状況は、なにかものをつくることへのヒントに溢れていた時代だったと思います。幼年時代は貧しく、困難な時代でした。私はあるとき、ロサンゼルスでトラックの運転手をしていました。そのときは、ユニヴァーシティではなく、ロサンゼルス・シティ・カレッジの夜間に通っていて、数学や科学をはじめ、とにかく当時興味を持っていたコースを受けていました。しかしながら、なかなか成績は上がりません。一度、興味を持って勉強していたコースで『F』(落第点)をとったがあって、とにかくそのことに頭にきたのでもう一度同じコースを履修して、今度は『A』をとりました。そのコースをとったのが、建築家になることになる、最初のひとつのレンガだったと思います。友人のひとりにラジオ・アナウンサーがいて、なんだかおもしろそうだなあと思って、私もラジオのアナウンサーになろうとしたのですが、声質がダメだったのですね。結局この夢はあきらめました」

「あるときカレッジで製図のコースをとりまして、これについてはかなり上手くて成績もよく、先生がさらに続けたらどうかと励ましてくれました。これが2つめに積んだレンガでした。この段階ではまだ建築を学ぶには至っておらず、夜学を続けながら、次に陶芸のコースをとりました。恥ずかしくてその頃の作品をお見せすることはできませんが。先生だって恥ずかしく思っていたはずです(笑)。ただ、先生は私のことを気に入ってくれて、スチューデント・アシスタントになったらどうかと誘ってくれました。先生は清の時代のとても美しいセルリアンブルーの陶器をつくることができる人でした。あるとき、先生が器を釜に入れて焼いて仕上がった作品がとてもきれいで、どうやってこの器をつくったのか、偶然じゃないのかと聞いたところ、『これからは偶然できたとしても自分がつくったと言いなさい』と言われました。そういう教えややりとりが鮮明に思い出されます。」

「この陶芸の先生は自宅をカリフォルニアの建築家であるラファエル・ソリアーノに依頼して建てていました。ソリアーノにはミニマリスト的素養があり──安藤忠雄さんにも通じるところがあると感じますが──美しい建築をつくる建築家です。建設現場で彼に会って話をしていたときのことですが、彼は私に『フランク・ロイド・ライトは好きになるなよ』と言うんです。そこで数時間作業を見ていたら、今度は陶芸の先生から『君は建築のコースをとったらどうだ、いいアイデアだろ』と勧められました」

「その後私は南カルフォルニア大学の夜間コースに移り、毎週月曜日に開かれているプロジェクトに参加しました。成績が良かったものですから、2年生をスキップさせてくれました。2年目の最初の学期が終わったときでした。大学の建築コースの先生が私をオフィスに呼んでこう言いました。『フランク、私には君がなにになるべきかわからないけれども、建築家にはなるもんじゃないぞ』。それでも私はその後大学を卒業し、建築の世界のなかに留まりました。先生とはその後時折顔を合わせることがありましたが、先生は『わかっている、もうなにも言うな』と言いました(笑)」

「第二次大戦が終わる頃、アメリカのGIや建築家が伊勢神宮や桂離宮などの日本の建築を見て、たいへん感銘を受けていました。1950年代のロサンゼルスは、木造のトラックハウスが戸建住宅の代わりになっていて、粉末石膏を塗ったような外観のトラックハウスが何マイルも続く風景をつくっていました。そういう時代にアメリカは日本の古建築の美しさに出会ったわけです。スキー事故で惜しくも亡くなったゴードン・ドレイク(Gordon Drake、1917−51)や、ハーウェル・ハミルトン・ハリス(Harwell Hamilton Harris、1903−90)などが現代的な木造建築を遺していますが、ここにも日本の影響が見られます」

「木造建築における日本建築の影響は、個々の魅惑的な作品のレベルを超えて存在しており、私の初期の作品を含めて、かなり日本風のものと感じられる作品がたくさんあったのです。フランク・ロイド・ライトやチャールズ&ヘンリー・グリーン(Charles Sumner Greene、1868−1957/Henry Mather Greene、1870−1954)、バーナード・メイベック(Bernard Ralph Maybeck、1862−1957)などの『マスター・アーキテクト』と呼ばれる建築家の作品にはやはり日本の建築から派生したスタイルを感じます」

「日本の国宝を展示するロサンゼルス・カウンティ美術館でデザインをしたことがあるのですが、このときも私は日本の文化からの影響を感じていました。例えば葛飾北斎や歌川広重の木版画、江戸時代の陶器や屏風、侍たちの装束、日本文学など、これまでにかなり深く日本文化を学ばせてもらいました」

「その後《フィッシュ・ダンス》(1987)というレストランを神戸に設計しました。私としては魚の形そのものだったり、ヘビを模したような建築をやりたいとは思っていなかったのですが、このときはコミュニケーションが崩壊し、クライアントと私の意思の疎通がうまくいかずに、誤解によって建物ができてしまうという奇妙な経験をしました。ベストを尽くしたかったのですが、それが適わなかった。いつかだれかドキュメンタリーをつくってくれたらいい(笑)。私は辞めたかったのです。日本の文化についてはもちろんみなさんのほうがご存知なのですが、私が『辞めたい』と言ったとたんに現場では、それはたいへんだ、面目がつぶれる、そうなればなんて恥ずかしいことかと、かなり騒ぎになったのですが、日本側の建築監修の方々がとても優しく、また私も彼らを傷つけたくない思いで進めました。《フィッシュ・ダンス》は外側から光をあてて街のひとつのオブジェとしようという意図があったのですが、数カ月後に神戸に戻ってきたらなんと内側から照明があてられ、ゴールドに塗られ、目まで描かれているんですよ(笑)。この一件があったから、その後日本から建築設計依頼がこないのかなあと思っているんです。悲しいストーリーでした(笑)」

>>後編へつづく

開催中の21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、見る者をあっと驚かせ、同時に強く魅了するゲーリー建築の発想から完成までを紹介しています。アイデアをかたちに変えることによって、人々に感動を与える建築家の仕事。
本展会期中に、東京都内で開催されている建築にまつわる展覧会にもあわせて足を運び、建築家それぞれの魅力を探ってみてはいかがでしょうか。

森美術館(六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー内スカイギャラリー)
「フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション」

2016年1月1日(金祝)- 2月14日(日)

建築家ノーマン・フォスターによって1967年に設立された「フォスター+パートナーズ(フォスターアンドパートナーズ)」は、世界45カ国で、300のプロジェクトを遂行、日本の国宝建築に相当する英国保護登録建築物最上級グレード1の指定等・輝かしい実績を誇る国際的な建築設計組織です。《スイス・リ本社ビル》や《ドイツ連邦議会新議事堂、ライヒスターク》など、それぞれの都市を訪れたことがある人なら誰もが一度は目にしたことがある現代建築史上の名作を生み出してきた彼らは現在も、アップル新社屋や月面の砂を素材に3Dプリンターで制作する月面住宅など、建築のイノベーションともいえるプロジェクトに次々と取り組んでいます。「伝統と未来」、「人間と環境」といった普遍的なテーマを追求し、革新的なアイデアで建築や都市を創り続ける「フォスター+パートナーズ」。本展では、半世紀に及ぶ彼らの活躍を総合的に紹介していきます。

>>森美術館 ウェブサイト

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、『AXIS』179号に、フランク・ゲーリー氏の表紙インタビューが掲載されました。
本誌は、「建築家 フランク・ゲーリー展 」会期中、21_21 DESIGN SIGHT1階のショップスペースでも販売しています。また、本展ディレクター 田根 剛の表紙インタビューが掲載された『AXIS』176号もあわせて販売中です。ぜひご覧ください。


『AXIS』179号

2015年12月、東京都港区立笄小学校4年生66名が、「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を授業の一環として訪問しました。

はじめに、21_21 DESIGN SIGHTスタッフが本展の構成と展示内容を紹介しました。児童のみなさんは、スタッフの解説を聞きながら会場をくまなく鑑賞します。建築家のアイデアがどのようなかたちで生まれてくるのか、ゲーリー建築の外観と内観のダイナミズムや居心地の良さ、ゲーリーの人物像、さらにはプロジェクトのプロセス模型のかたちや質感に、強く惹きつけられている様子でした。

その後、「すてきなアイデアや心にのこったこと・発見したことを書きましょう」をテーマに、館内を自由にまわりながら思い思いに文章や絵などを綴り、その内容を発表しました。

授業の後半では、安藤忠雄が手がけた21_21 DESIGN SIGHTの建築に注目して、フランク・ゲーリーの建築との違いを観察します。児童のみなさんは実際の建築に触れながら、内部空間の広がりや光の使われ方など、建築家によって異なる特徴が現れているところを見つけて、発表しました。

最後に全員で館外に出て、21_21 DESIGN SIGHTの外観のスケッチを行いました。本展のそこかしこにあったアイデアや、各自の発見したこともスケッチに表現され、かたちや質感がしっかりと捉えられていました。

建築家 フランク・ゲーリーのアイデアに触れた児童のみなさんは、アイデアを持ち続け、実現することの大切さを体感していたようです。この日は21_21 DESIGN SIGHTにとっても、デザインに欠かせない、ものごとをつくりあげることの楽しさと大切さを、港区立笄小学校のみなさんと分かち合うことのできる貴重な機会となりました。

開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、フランク・ゲーリーにまつわる書籍とともに、ゲーリーと親交のある3名が彼の作品や仕事を語るインタビュー映像を閲覧できる図書コーナーを設けています。

21_21 DOCUMENTSでは、そのうちのインタビュー映像「フランク・ゲーリーについて」を紹介。
「ものづくりにゴールはない」と語る建築家 西沢立衛が、世間の常識に挑戦し続けるゲーリーの姿勢と、現在進行形で展開してゆく彼の建築の「創造性」について考えます。

2016年6月24日から開催される21_21 DESIGN SIGHT企画展「土木展」(仮称)の展覧会ディレクター 西村 浩が、1月31日まで水戸芸術館 現代美術ギャラリーで開催中の展覧会「3.11以後の建築」の関連プログラムとして、レクチャー&ワークショップ「展示室を芝生でリノベーション」を開催しました。

「3.11以後の建築」は、建築史家の五十嵐太郎とコミュニティーデザイナーの山崎 亮をゲスト・キュレーターに迎え、東日本大震災後の社会の変化に自分なりの考え方や手法で向き合う21組の建築家の取り組みを紹介する展覧会です。これからの日本において、建築家がどのような役割を果たし、どのような未来を描こうとするのか、批判と期待の両方の視点で構成されています。

建築家の西村 浩と彼の率いる設計事務所ワークヴィジョンズは、展覧会終盤の「建築家の役割を広げる」というコーナーで、<Re-原っぱ>を展示。「空き地が増えるとまちが賑わう?」という逆説的なコンセプトのもと、西村の出身地でもある佐賀市中心部の駐車場等を「原っぱ」にすることで、市街地にこどもからお年寄りまでが集まってくるという実験的な試み「わいわい!!コンテナプロジェクト」を紹介しています。

2015年12月5日に行われたレクチャーでは、はじめに西村が、21世紀という新しい時代における新しいまちづくりや建築のあり方について、ハードとしての建造物には限界があり、仕組みや人というソフトづくりが最も重要であると解説。実験と挑戦、豊かな想像力、そして発想と発明が何よりも大切だと熱く語りました。続くワークショップでは、参加者全員で展示室内に人工芝を敷く作業を行い、芝生を貼るだけで世界が変わるという体験を共有しました。

社会の様々な問題を解決することが建築家の役割であると断言する西村。現在21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have and Idea"」と同様に、発想、発明、そしてアイデアの力の重要性を感じさせる、充実した展覧会とレクチャー&ワークショップでした。

水戸芸術館「3.11以後の建築」

2015年11月7日(土)-2016年1月31日(日)

>>水戸芸術館 ウェブサイト


「3.11以後の建築」展 会場風景
撮影:根本譲
提供:水戸芸術館現代美術センター

開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、フランク・ゲーリーにまつわる書籍とともに、ゲーリーと親交のある3名が彼の作品や仕事を語るインタビュー映像を閲覧できる図書コーナーを設けています。

21_21 DOCUMENTSでは、そのうちのインタビュー映像「フランク・ゲーリーについて」を紹介。
安藤忠雄が、時代と対話しながらつくられ、時代を牽引するフランク・ゲーリーの作品が建築界に与えた影響や、自身とゲーリーとの交流の思い出を語ります。

開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」は、世界的に活躍する建築家 フランク・ゲーリーの「アイデア」に焦点をあて、アイデアが生まれる背景や完成までのプロセスを、数々の模型や、建築空間を体験できるプロジェクションを通して紹介しています。
ここでは本展技術監修を務める遠藤 豊による紹介映像で、会場の様子をご覧いただけます。

開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、フランク・ゲーリーにまつわる書籍とともに、ゲーリーと親交のある3名が彼の作品や仕事を語るインタビュー映像を閲覧できる図書コーナーを設けています。

21_21 DOCUMENTSでは、そのうちのインタビュー映像「フランク・ゲーリーについて」を紹介。
ゲーリーの代表作のひとつである「ウォルト・ディズニー・コンサートホール」の音響設計を手がけた豊田泰久は、設計当時の逸話や、ゲーリーと日本文化の関わりについて語ります。

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」が、イタリアのウェブサイト『domus』に紹介されました。

>>domus


『domus』

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、『Casa BRUTUS』12月号の30ページにわたるフランク・ゲーリー特集の中で、本展ディレクター 田根 剛による展覧会ガイドが掲載されました。


『Casa BRUTUS』12月号

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、フランク・ゲーリーのインタビューが、『casabrutus.com』に掲載されました。

>>casabrutus.com


『casabrutus.com』

21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」の主役、フランク・ゲーリーにスポットを当てた展覧会が都内各地で開催されています。

エスパス ルイ・ヴィトン 東京
「フランク・ゲーリー/ Frank Gehry パリ - フォンダシオン ルイ・ヴィトン 建築展」

2015年10月17日(土)- 2016年1月31日(日)

フランク・ゲーリーの最新作『フォンダシオン ルイ・ヴィトン』は、2014年10月フランス・パリにオープンした文化芸術複合施設です。エスパス ルイ・ヴィトン東京の14回目のエキシビションとなる本展では、「フランスの深い文化的使命感を象徴する壮大な船」とゲーリーが称したこの建築を通して、建築家フランク・ゲーリーとその仕事を辿っていきます。会場では、さまざまな段階の建築模型のほか、完成までに採用された多様な先端技術やドローンを用いて撮影された外観映像、本施設の主軸であるアーティスティックな活動の紹介映像を通してプロジェクトの全貌を公開。フランク・ゲーリーの斬新な創造力と、エスパス ルイ・ヴィトン東京から一望できる東京の建築群との調和が織り成す新たな世界観をご体感ください。

>>エスパス ルイ・ヴィトン 東京 ウェブサイト


© LOUIS VUITTON / YASUHIRO TAKAGI

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、本展ディレクター 田根 剛のインタビューが、『Pen Online』に掲載されました。

>>Pen Online


『Pen Online』

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、本展ディレクター 田根 剛のインタビューが、『和樂』11月号に掲載されました。


小学館『和樂』11月号より

2015年11月14日、建築家 西沢立衛と現代美術家 宮島達男が登壇し、「トークシリーズ『I Have an Idea』第1回 "ぐにゃぐにゃ" 形成と形態について」を開催しました。

対談は、「フランク・ゲーリーを初めて知ったとき」から始まりました。1980年代、大学生の頃に初期のフランク・ゲーリー建築を知ったという西沢に、宮島が「当時の若い建築家への影響は?」と問うと、西沢は「石を削る彫刻のような発想ではなく、日本の木造建築の考え方に近しいゲーリー建築の影響は特に大きかったのではないか」と答えました。 宮島は、スペインでの展覧会に出展した際にビルバオ・グッゲンハイム美術館を見るためにビルバオへ足を運んだといいます。街の中にビルバオ・グッゲンハイム美術館が突然立ち現れる風景は、それまでに見たことのないものでとても驚いたと宮島が語ると、フランク・ゲーリーの名を世に知らしめたビルバオ・グッゲンハイム美術館の特徴は、しかしそれまでのゲーリー建築とかけ離れたものではなかったと西沢は言います。それでも多くの人を惹きつけたビルバオ・グッゲンハイム美術館は、それまで脱構築主義の文脈でばかり語られてきたゲーリー建築が、抜きん出た抽象性を獲得し、自由にゼロから見ることのできる建築になった作品であったろうと語りました。

話題は、本日のテーマである"ぐにゃぐにゃ"という言葉に移ります。フランク・ゲーリーの素晴らしさは、その適確なスケール感にあると言う西沢。かたちの個性として重要な"ぐにゃぐにゃ"は、ともすればデザインの特徴としてのみ想像されがちだが、フランク・ゲーリーは、空間の機能とボリュームを現実的に捉え、必要な空間の区切り、つまり"ぐにゃぐにゃ"の数を割り出すのだと語りました。

それぞれのゲーリー建築への印象を通じて、フランク・ゲーリーには彫刻的なアプローチをする一面があるのではないかと、「emotion」という言葉を使いながら語り合う西沢と宮島。
宮島はゲーリーの仕事について、パリのルイ・ヴィトン財団の展覧会で数えきれないほどのゲーリーの建築模型を目にして、ヘンリー・ムーアのスタディを連想したと言います。また、人が入ることのできる「何か」として捉えることのできるゲーリー建築は、ニキ・ド・サンファルやオラファー・エリアソンのアート作品にも互いに通じ合うところがあるのでは、とも述べました。
西沢も、ゲーリーは「人間の入るところ」をつくっているのであり、それが「建築」であることを必須としていないのではないか、と同意します。住まう時点では過去になってしまう建築創造を、現在進行中であるように錯覚させるような迫力がゲーリー建築にはあるとも言う西沢。さらに、ゲーリー建築は建材をきっかけに建物を考え始めているのではないかと自論を述べると、その上で彼の建築には、近代建築史のすべてを見て取れると語りました。

さらに西沢は、ゲーリー自邸を例に挙げると、ゲーリー建築を究極のコラージュでありブリコラージュであると表現しました。日常性を起点に必要なものを集めて組み合わせていったような自邸をはじめとするゲーリー建築は、「誰にも『アイデア』の可能性はある」と示唆しているのでは、と語ります。

話題はゲーリー・テクノロジーへ。西沢は、以前フランク・ゲーリーが来日した際に聴いたエピソードを紹介します。かつては優秀な数学者であるゲーリーの親しい友人が、ゲーリーがアイデアの発想段階でつくったオブジェのようなものを定規で測り、図面に起こしていたのだと、ゲーリー自身が語っていたと言います。宮島は、今やアートの世界でも必然のものとなったデジタル・テクノロジーの例を挙げて紹介した上で、それでも細部には人間の手による表現が必要だと語りました。

トークの終わりには、参加者から「以前、オスカー・ニーマイヤーの建築を"色気がある"と表現していたが、フランク・ゲーリーの建築はどうか」と問われた西沢は、「彼の建築には、日本では善悪の線をひいてしまうようなことでも受け入れる懐の深さがあり、人間的な生命の輝きがあると思う」と答えました。

フランク・ゲーリーの建築を、建築家と現代美術家のそれぞれの視点から語り合った二人の会話は、その魅力を建築としてのものに限定しない広い視点でのトークとなりました。

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」のプレスプレビューで行われた、フランク・ゲーリーのQ&Aセッションの様子が、『10+1 web site』(LIXIL出版)に掲載されました。
日本文化から受けた影響、建築の道を選ぶまでの経緯、近年の活動などを熱く語るゲーリーの素顔をぜひお楽しみください。

>>10+1 web site


プレスプレビュー当日の様子(Photo: 木奥恵三)

開催中の21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、見る者をあっと驚かせ、同時に強く魅了するゲーリー建築の発想から完成までを紹介しています。アイデアをかたちに変えることによって、人々に感動を与える建築家の仕事。
本展会期中に、東京都内で開催されている建築にまつわる展覧会にもあわせて足を運び、建築家それぞれの魅力を探ってみてはいかがでしょうか。

TOTOギャラリー・間
30周年記念展「アジアの日常から:変容する世界での可能性を求めて」

2015年10月17日(土)- 12月12日(土)

加速度的に日々刻々と日常を取り巻く状況が変動し、明日の姿が見えにくくなっている今、私たちは「建築」にどのような可能性を見いだせるのでしょうか。自然の中の建築を間近に見るヴォ・チョン・ギア、自然と建築のスタディをじかに学ぶチャオ・ヤンとリン・ハオ、建築および日常の与えるさまざまな印象を再現してくれるチャトポン・チュエンルディーモルと大西麻貴+百田有希。本展では、ベトナム、中国、シンガポール、タイ、そして日本と、アジアという共通項で結ばれながらも多様な背景を持つ建築家5組が「アジアの日常」をヒントに、自然と建築と日常の関係を探っていきます。
開設第1回目の展覧会に建築家フランク・ゲーリーを迎えたというTOTOギャラリー・間も、今年で30周年。この機会に足を運んでみてはいかがでしょうか。

>>TOTOギャラリー・間 ウェブサイト

企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」は、世間の常識に挑戦する作品をつくり続ける建築家 フランク・ゲーリーの「アイデア」に焦点をあて、彼の思考と創造のプロセスを、数々の模型や建築空間のプロジェクションを通して辿る展覧会です。
本連載では、ゲーリー建築をより深く理解し、その魅力を一層楽しめる展覧会の見かたを本展企画協力の瀧口範子が解説します。


本展会場風景写真:木奥恵三

本展のテーマは、「アイデア」である。建築家 フランク・ゲーリーが、いかにアイデアを得て、それを発展させていくのか。そのプロセスを数多くのオブジェや模型から感じていただけるはずだ。

だが、アイデアもそれが実現にいたらなければ、ただの思いつきに終わってしまう。誰であれクリエーターの活動の大部分は、アイデアを現実のものにしようとするところに費やされているはずである。ことに、自分にしかないアイデア、まだ誰も目にしたことのないアイデアを、社会や技術の制約を超えて実現するのは簡単なことではない。もちろん、フランク・ゲーリーの場合もしかりだ。

ゲーリー建築を目にしたことのある人ならば、標準的な形態を逸脱したこれら建物がどのように実現されたのか不思議に思うことだろう。特注の建材をたくさん使ったのだろう、金と時間をぜいたくに費やしたのだろう、建設現場では作業員に無理強いをして、慣れない危険な取り付けもさせたのだろう。そう想像してもおかしくない。

ところが、現実はそうでなかったことを教えてくれるのが、ゲーリー・テクノロジーズという技術会社の存在である。展覧会会場では、本展ディレクターの田根 剛と技術監修の遠藤 豊がビジュアルデザインスタジオ WOW(ワウ)の協力のもと制作した映像で、そのアプローチと活動を知ることができる。


本展会場風景写真:木奥恵三

ゲーリーがコンピュータ・テクノロジーに出会ったのは、スイスで設計したヴィトラ・デザイン美術館がきっかけだった。そこにある螺旋階段はゲーリーの図面通りに建設されていたにも関わらず折り目ができ、ゲーリーが求めていた、流れるようなスムーズさを欠いていたのだ。二次元の図面で三次元の建物を表現することの限界を感じたできごとだった。

ゲーリーはその後、航空機の設計で用いられているCATIA(カティア)というソフトウェアを知る。流線で構成される航空機は、壁や屋根のある普通の建築とは違って三次元的なアプローチによってしか設計されない。それをゲーリーは自身の建築に利用してみようとしたのだ。

それを初めて試したのが、スペイン・バルセロナに建てられた「フィッシュ」と呼ばれる巨大な魚の彫刻だった。ここでは、魚の躍動感が硬い鉄骨によってつくり上げられた。コンピュータが鉄骨の組み合わせを詳細にわたって算出したおかげだ。

その後、有名なビルバオ・グッゲンハイム美術館でCATIAを本格的に利用する。踊るような力と複雑な構造を持つこの建築は、ゲーリー事務所がコンピュータ・テクノロジーの潜在力を引き出すことによって実現したものと言える。

ゲーリー事務所は、その時々のプロジェクトに合わせてソフトウェアを洗練させていき、テクノロジー部門は後にゲーリー・テクノロジーズとして独立する。会場の映像では、ゲーリー・テクノロジーズがどう建築のプロセスを変えたのか、それによってどう建築家が力を得たのかが語られる。

たとえば、上述のビルバオ・グッゲンハイム美術館では、鉄骨構造のために6社が入札した際、各社間で入札額の誤差が1%しかなく、しかも予定コストよりも18%も安い額が提示された。コンピュータ・モデルによって部材の情報が詳細にわたるまで共有されたことも理由だが、コスト面、建設面での効率化を図るために、鉄骨設計の最適解を求めてコンピュータ・テクノロジーが用いられた結果である。


左:ゲーリー・テクノロジーズ社「デジタル・プロジェクト」
右:エイト・スプルース・ストリート(アメリカ・ニューヨーク、2011)
Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

また、ニューヨークのエイト・スプルース・ストリートは、高層ビルとしてまれに見る複雑な外壁を持つが、それを構成する10300枚近くの外壁パネルはたった3種類しかない。しかも、特注パネルはそのうちの20%のみ、残りは40%の規格パネル、40%の標準パネルだ。ここでも、デザインとコスト、工期などの最適解をコンピュータによってはじき出したことが背景にある。

ゲーリー建築では、「マスター・モデル」と呼ばれる建築の中央データに、デザイン、設備、建材、建設、工程などのすべての情報が統合されるようにし、コストや工期をコントロールしながらデザインを柔軟に模索できるようになっている。ゲーリーは、そのしくみづくりを行ったと言える。

現在は、建築もコンピュータ・テクノロジーによって大いにサポートされているのは周知のところだ。だが、ゲーリーの場合は、自らの手でそのテクノロジーをつくり上げていったところに、探究心とユニークさが感じられるのである。

文:瀧口範子

>>第1回「建築模型のみかた」
>>第2回「展覧会の見どころ」

企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」は、世間の常識に挑戦する作品をつくり続ける建築家 フランク・ゲーリーの「アイデア」に焦点をあて、彼の思考と創造のプロセスを、数々の模型や建築空間のプロジェクションを通して辿る展覧会です。
本連載では、ゲーリー建築をより深く理解し、その魅力を一層楽しめる展覧会の見かたを本展企画協力の瀧口範子が解説します。

本展は、建築家 フランク・ゲーリーをさまざまな観点から捉えている。完成した作品だけでなく、考える過程や利用する建材、インスピレーションの源など、幅広い側面からゲーリーその人を伝えようとしているのが特徴と言える。
したがって、展覧会会場の中にはいくつもの見どころがある。それを順を追って説明しよう。

まず、1階エントランス部分に設置されているのは、フォンダシオン ルイ・ヴィトンの50分の1の模型だ。この建物は、ルイ・ヴィトンの複合文化施設として2014年秋にパリのブーローニュの森の中に完成したもの。本展では、ゲーリーのアイデアの変遷をテーマとしているために、思考段階でつくられた模型をたくさん展示しているが、同模型は本展では数少ない完成模型である。多重奏する帆がたなびくような実景が窺えるものだ。

階段を下りて地下へ行くと、そこでは壁に投影された映像によってゲーリーの建物が追体験できる。本展で技術監修を務めた遠藤 豊自身が、ロサンゼルス、パリ、ビルバオの3カ所で実際に撮影した3つの建物の様子が、臨場感豊かに味わえるという趣向を楽しんでいただきたい。

その後、ギャラリー1へ。ここは本展の序章とも呼ぶべき空間で、フランク・ゲーリーのパーソナルな側面を伝えようとしている。ロサンゼルスのゲーリー事務所内の、それも彼自身のオフィスから運んできたさまざまなオブジェが、まず目をひくだろう。ただのガラスの塊であったり、アクリル・ブロックを重ねたようなものであったりするが、そんなものが見れば見るほどにキャラクターを帯びてくる。ゲーリーがインスピレーションの源として、そうしたオブジェを身の回りに置いていることの意味が見えてくる。

ここでは、ゲーリーの自邸の映像や模型が見られるほか、本展のテーマ「アイデア」について書かれた「マニフェスト」を読み上げるゲーリー自身の姿が映像で流されている。86歳の今も、新しいアイデアや納得できるかたちを求めて奮闘し、不屈の精神でそれを実現にまで運んでいくフランク・ゲーリーという建築家の一端をかいま見ることができるはずだ。

ギャラリー2へ歩を進めよう。本展でいちばん大きな空間を占めているのは、建築模型の数々である。この展示室では、最近、そして進行中の5プロジェクトに絞って、ゲーリー事務所でつくられてきた模型を展示している。色分けされたブロックで建築のプログラムを構成する段階、それを外壁で覆う段階、外壁の形状と内部空間の関係を模索する段階、建物全体の構成や構造を固めていく段階。そうした各段階で無数のアイデアがテストされているのが、これらの模型から感じられる。ここは、本展の核とも言える部分だ。

同じくギャラリー2では、壁面にも目を向けていただきたい。「アイデアグラム」とは、建築家が発想源とするアイデアをダイヤグラム化したもの。フランク・ゲーリー、そして広く建築家がどんな要素を鑑みながら建築を考えるのかが想像できるだろう。アイデアグラムは、本展ディレクターの田根 剛が作成した。

そのほかにも、この壁面には実際にゲーリー建築で使われている発色チタンが生の素材として展示されている。見る方向によって色が変わる不思議な素材だ。また、そんな素材の表情がよく見える外壁の写真、ゲーリー建築の内部のスタディーをパネル化したコーナーも見どころのひとつである。

ギャラリー2では、ゲーリー・テクノロジーズ(以下GT)の説明も必見である。複雑な曲線からなる自身の建築を実現するため、ゲーリー事務所は三次元モデルなどのコンピュータ技術を早くから利用してきた。その機能をますます洗練させていった結果、現在では建築や設備設計の詳細データを建設業者ら関係者と共有できるようになっただけでなく、工期、コストなども管理下におけるようになった。ここでは、そのGTのなりたちと技術をわかりやすい映像で見せている。

この展示室を出る手前左手に、ゲーリーがこれまでデザインしてきた家具も展示されている。段ボール素材を重ねたチェアは、十分な強度を実現していることが驚きだが、表に現れる美しいパターンも見物である。

ここまでたっぷりとゲーリー建築を目にした後は、ギャラリーを抜けた先にある回廊でゲーリー建築を読み解くもう2つの要素を知ることができる。「魚」と「工場建築」である。「頭と尾を切り落としても、まだ動きを持つ」とゲーリーが夢中になった魚の形状、そして若い頃、自身でカメラに収めた安価な素材で成り立つ工場建築は、現在のゲーリー建築にもつながるエッセンスを含んでいる。

難しくてわかりにくいとも思われていたゲーリー建築は、フランク・ゲーリーという個人の目と手の作業からできあがっていく。それを感じていただければ、本展の見どころは十分に伝わっているだろう。

文:瀧口範子
写真:木奥恵三

>>第1回「建築模型のみかた」
>>第3回「ゲーリー建築を支える技術」

開催中の21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家 フランク・ゲーリー展」では、見る者をあっと驚かせ、同時に強く魅了するゲーリー建築の発想から完成までを紹介しています。アイデアをかたちに変えることによって、人々に感動を与える建築家の仕事。本展会期中に東京都内で開催されている、建築にまつわる展覧会に足を運び、建築家それぞれの魅力を探ってみてはいかがでしょうか。

国立近現代建築資料館
「ル・コルビュジエ×日本 国立西洋美術館を建てた3人の弟子を中心に」

2015年7月21日(土)- 11月8日(日)

西洋建築の模倣に始まり、モダン・ムーブメントを受容する中で独自の発展をとげてきた日本の近現代建築。フランスの建築家ル・コルビュジエの作品と思想が、ここに与えた影響は測り知れません。近代建築界の巨匠であるル・コルビュジエは、日本においてどのように発見・受容、展開されてきたのでしょうか。本展では、パリのアトリエで学んだ3人の弟子、前川國男、坂倉準三、吉阪隆正の活動を探るとともに、日本における唯一のル・コルビュジエ作品『国立西洋美術館』の建設経緯と建築の魅力を紹介します。

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21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家 フランク・ゲーリー展」の主役、「フランク・ゲーリー」にスポットを当てた展覧会が都内各地で開催されています。

GA gallery「フランク・O・ゲーリー×二川幸夫 写真展」

2015年9月19日(土)- 11月8日(日)

編集者であり写真家であった二川幸夫は、建築家フランク・ゲーリーと40年にわたり親交を深めてきたといいます。良いと思った建築には工事中から、完成後も季節ごとに何度も繰り返して、二川はゲーリー建築のほぼ全てに足を運び、その姿をカメラに収め続けました。本展示では、そんな二川の膨大な数に及ぶアーカイブの中から代表作をセレクトし、大判プリントと高解像度4Kモニタで紹介しています。
見る者を圧倒するダイナミックなゲーリーの建築群は、彼を良く知る二川の眼にどのように映ったのでしょうか。二川の眼が切り取ったゲーリー建築のハイライトを、ぜひ体験ください。

>>GA gallery ウェブサイト

いよいよ明日開幕となる「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」。開催に先駆け、会場の様子をお届けします。

建築家 フランク・ゲーリーは、半世紀以上にわたり建築の慣習を覆し、世間の常識に挑戦する作品をつくり続けてきました。見る者を圧倒し印象に強く残り続ける、誰にも真似できない建築。本展では、ゲーリーの創造の原動力「アイデア」に焦点をあて、その思考と創造のプロセスを、新進の建築家 田根 剛をディレクターに迎えて紹介していきます。

会場には、アイデアが詰まった数々の模型をはじめ、建築を体感できるプロジェクション、書籍や映像等を数多く展示。ひとりの人間としてのゲーリーの姿に触れられる「ゲーリーの部屋」も登場します。自由に発想することの楽しさと挑戦し続ける勇気を与えてくれる展覧会にぜひ、足をお運びください。

Photo: 木奥恵三

21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載を企画。会期を間近に控えた今回は、フランク・ゲーリーのマニフェストでも語られ、本展でも数多く展示する「模型」について、そのみかたと建築のプロセスにおける重要性を解説します。


Facebook本社 西キャンパス(アメリカ・メンローパーク 2015年)模型
Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

本展では、フランク・ゲーリーの建築をさまざまな方法で見せている。中でも、数が多いのは模型(モデル)だ。

模型というと、プラモデルとかミニチュアカーなどが頭に浮かぶだろう。建築において模型は、いろいろな意味で重要な役割を果たしている。

よく見るのは、完成予想模型。住宅ならば、「でき上がったら、こんな家になりますよ」というのを形にしてみせるものだ。家の外観がミニチュアでつくられていて、尺度は100分の1など、どの部分でも均一に縮小されている。そのため、家の高さと屋根の大きさ、敷地の中で家が占める割合などを正しく把握できる。屋根を持ち上げて、家の中の部屋割りを確かめることもできるだろう。

さて、建築では完成模型だけでなく、いろいろな種類の模型が多様な目的のためにつくられる。ことにゲーリー事務所では、その数が飛び抜けて多い。本展のテーマになっている「アイデア」も、実はそれに関連しているのである。

模型は、どんな建築であるべきかを探索するためにつくられる。それをスケッチや二次元の図面で行う建築家もいるが、フランク・ゲーリーは最初から三次元の模型でそれを行うことで知られている。


UTS(シドニー工科大学)ドクター・チャウ・チャク・ウィング棟(オーストラリア・シドニー 2014年)模型
Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

UTS(シドニー工科大学)ドクター・チャウ・チャク・ウィング棟(オーストラリア・シドニー 2014年) Photo: Andrew Worssam

最初は、建物のプログラムに基づいて内部をどう構成できるかを考えるための模型がある。プログラムとは、その建物が使われる用途とそれに必要な面積といったことだ。学校ならば、教室、講堂、廊下、食堂などの用途とその面積が最初に定められているだろう。ゲーリー事務所では、そうした用途ごとに色分けしたブロックを積み木のように組み合わせて、最良の構成をさぐる方法論を編み出している。

積み木は何度も重ねたり崩したりを繰り返す。入口から入ってどんな用途が並んでいるのがいいのか、敷地の日照や風景を鑑みるとどこにどんな用途を配置すればいいのか。建物全体として、どんな性質を備えているべきか。そんなことを何通りも試すのだ。

ブロックでだいたいの空間構成が決まれば、今度は外観のかたちを考える。この部分は天井を高くしてトップライトを設けるとか、ダイナミックな表情のある建物にしたいとか、どんな建材を外壁に使いたいといったような要素を、ここで試してみるのだ。ここでも、ゲーリー事務所は紙やプラスチックなどを使いながら、時に先のブロック模型も流用しながら、無数の模型をつくる。

外観ができたからと言って、それで終わりではない。特定の内部空間を、今度はもっと大きな模型をつくってじっくりと検討する。天井の高さ、窓などの開口部の位置と大きさ、空間の広がりなどが模型でわかるようになっている。中に人間大のフィギュアを置いて、人と空間との関係がどんな風になっているのかを確かめることもある。もっと細かく、部材の組み合わせといったものを検討する模型もある。外壁の素材とかたちをもっと詳細に探索するために、さらに模型がつくられる。

こうしてたくさんの模型をつくりながら行われているのは、スケッチや図面、そして頭の中で考えていることが、本当にその通りなのかを確認する作業である。建築には構造があり、外壁があり、中の空間がある。それらが本当に構想した通りになっているのか、それを外観といった全体から、ディテールのレベルにまで落として確認できるのが模型なのだ。建物は完成しないと、そこにいる実体験はわからないのだが、模型はその体験を最大限に代替する手段なのである。

したがって模型は、つくりながらまた考えを進め、また新しい模型をつくっては検討しと、建築の構想に伴走する存在である。ここで模型づくりの労力を惜しんでいては、構想も半ばに終わってしまう。

本展にはたくさんの模型が展示されているのだが、これはゲーリー事務所にある模型のごくごく一部に過ぎない。ゲーリー事務所のあふれるような模型の数は、それだけアイデアを試し、確かめ、また練り直しといった作業が行われたことを示しているのである。

文:瀧口範子

>>第2回「展覧会の見どころ」
>>第3回「ゲーリー建築を支える技術」

21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。本展の主役、フランク・ゲーリーの素顔に迫った第1回、第2回に続き、新進の建築家で本展ディレクターを務める田根 剛についてその活躍を追っていきます。田根 剛ってどんな人?


エストニア国立博物館(2006-2016年完成予定) ©Takuji Shimmura

さて、本展ではディレクターに田根 剛を迎えている。田根は、どんなアプローチでこの展覧会のコンセプトを打ち立てたのか、どうデザインしたのか。いや、そもそも田根 剛とは何者なのか。

田根は、現在パリ在住。2005年、イギリスの建築設計事務所アジャイ・アソシエイツに務めていた当時、イタリア人、レバノン人の友人らとある建築コンペに参加した。エストニアのかつて軍用滑走路だった敷地に博物館をつくるというもので、この3人組は何と最優秀賞を受賞。そこで、パリに渡って3人で建築設計事務所DGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)を設立した。

日本では、2020年東京オリンピック招致に向けて行われた「新国立競技場」の設計コンペで最終選考に残ったことで、DGT.、そして田根の名前を目にした人もいるだろう。彼らの案は、神宮外苑の敷地に盛り土をして山をつくり、その中に競技場が半分埋まっているという構想だった。東京にまるで古墳をよみがえらせたような風景は、大きな話題を呼んだ。


新国立競技場設計競技案(2012)©DGT.

A HOUSE for OISO(2015)©Takumi Ota

展覧会や舞台のデザイン、店舗設計も多く、2014年にはパリのグランパレで開催された『北斎展』の会場デザイン、ミラノ・トリエンナーレでの時計メーカー、シチズンのインスタレーション、虎屋パリの改装デザインなどを手がけた。ちなみに、東京のスパイラルで凱旋展として展示されたシチズンの『LIGHT is TIME』展は、7万2000人の来場者が見に来たほどの盛況だった。

DGT.では現在、20数件のプロジェクトが進行中という。そのうち、日本では美術館、劇場、工場、住宅などが15〜6件、その他は欧州を中心に、NY、香港、レバノンでプロジェクトが進行中。田根は、そのためしょっちゅう日本とフランスとを往復している。今、最も多忙な若手建築家の一人だろう。

「場所の記憶」。自身の建築へのアプローチを、田根はこう説明する。敷地だけでなく、その地域、ひいては国がたどってきた歴史。その痕跡を探し、それを堀り起こしていくことが、彼の建築の第一歩である。そして、建築はその見つけた記憶の上に未来を構想する作業だ。


虎屋パリ(2015)©Takuji Shimmura

LIGHT is TIME(2014) ©Takuji Shimmura

上述したエストニア国立博物館の場合は、かつてソ連が軍事用に使っていた滑走路を取り込むかたちで建物が計画された。過去を未来へつなげるためのアイデンティティーに位置づけた点が評価された。また新国立競技場は、日本に3万基も存在しているのにほとんど海外では知られていない古墳を通して、日本の民族や歴史を感じさせる場所にしたかったという。

その田根は、フランク・ゲーリーをどう捉えているのだろう。
「知れば知るほど、彼の深みに出会う」と田根は言う。建築と同じように、対象を深く理解する作業をゲーリーに対しても行ってきた。

ごく当たり前の既製品素材を使いながら、オリジナルな建築を生み出す力。それをアーティスティックな表現に高めながらも、建設面では無駄を省いて実現にまで押し進めていく。ゲーリーは、建築に関わるあらゆる観点で高度な専門家であり、その建築家としての姿勢に驚くばかりだという。

展覧会では、彼の建築のプロセスに含まれる多くの情報をどう伝えるのか、そこに注力しているという。フランク・ゲーリーのアイデアを、田根がどう見せてくれるのか。ぜひ期待されたい。

文:瀧口範子

>>第1回「フランク・ゲーリーってどんな人?」前編
>>第2回「フランク・ゲーリーってどんな人?」後編

21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。第2回は、人々をあっと驚かせて魅了するゲーリーのユニークな仕事の数々をたどります。フランク・ゲーリーってどんな人?


ビルバオ・グッゲンハイム美術館(スペイン・ビルバオ 1997年)
FMGB Guggenheim Bilbao Museoa, 2015 (Photo: Erika Barahona Ede)

フランク・ゲーリーの名前を世界に知らしめることになった、スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館とはどんな建物なのだろうか。

この建物は、バスク地方の首都であるビルバオの再建を目指してコンペが開かれて実現したものである。旧市街の端、ネルヴィオン川沿いに位置して伸びやかに建つこの建築は、何と言っても踊るような動きのある金属の外観が特徴だ。金属に光が反射する様子や、ガラス、石といった多様な素材との組み合わせが、目を飽きさせない。

驚きは内部でも待っている。高さ約50メートルのアトリウムでは、白い壁やガラス壁面が彫刻のようにうねり、未知のアートへと誘う入口になっている。また、それぞれの展示室や通路は、従来の美術館とはかけ離れた動的で躍動感のある空間になっている。

この美術館体験を一度でいいから味わいたいと、1997年の竣工以来多くの観光客がビルバオへ押し寄せた。建築によって町おこしが成功するという「ビルバオ効果」という言葉まで生まれたほど、人々にショックを与えた建物だ。

ゲーリーには、こうした大きな驚きを与えた建物作品がいくつもある。ウォルト・ディズニー・コンサートホール(ロサンゼルス)、エクスペリエンス・ミュージック・プロジェクト(シアトル)、そして最近竣工したフォンダシオン ルイ・ヴィトン(ルイ・ヴィトン財団美術館)(パリ)などがそうだ。これらの場所では、音楽やアートを伸び伸びと楽しむための空間のあり方を体感できるだろう。


ウォルト・ディズニー・コンサートホール(アメリカ・ロサンゼルス 2003年)
Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

ルイ・ヴィトン財団(フランス・パリ 2014年) Photo: Iwan Baan

その一方、研究のための場のデザインもある。マサチューセッツ工科大学(MIT)のスタータ・センター(ボストン)、シドニー工科大学(UTS)チャウ・チャク・ウィング棟などは、研究環境の可能性を模索して、人々の関係性や、物理的、視覚的な空間の広がりなどを考察した例である。

社屋も設計している。DZ銀行(ベルリン)、インターネット会社のIACのビル(ニューヨーク)があり、またFacebook本社(シリコンバレー)では、延床面積4万平米という、広大で平らなユニークな仕事空間を生み出した。

他にも高層住居、個人邸など、手がけるプロジェクトは多様である。だが、どれにおいても緻密なプログラム検討から始まり、手作業による無数の模型製作を経て、高度なコンピュータのプラットフォームを用いて、竣工にいたるまでデザイン、コスト、工期、建設がコントロールされていくという、ゲーリーが生み出した特異なプロセスが共通している。

アイデア、手作業、生のイマジネーション、感触のある素材、そして高度なコンピュータ・テクノロジー。これらが合体しているのが、他にはないゲーリー建築の大きな特徴である。

文:瀧口範子

>>第1回「フランク・ゲーリーってどんな人?」前編
>>第3回「田根 剛ってどんな人?」

21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。第1回は、本展の主役であるフランク・ゲーリーについて、その素顔に迫ります。フランク・ゲーリーってどんな人?


Photo by John B. Carnett/Bonnier Corporation via Getty Images

フランク・ゲーリー。建築界では知らない人がいないほど有名な名前だが、初めて聞いた、あるいは聞いたことはあるがどんな人かよく知らない、という向きもあるだろう。そこで、ここではゲーリーの人となりをご紹介したい。

フランク・ゲーリーは、1929年にカナダ・トロントで生まれた。父親はセールスマンとして娯楽設備や自動販売機を売ったり、家具づくりをしたり、ボクシングに熱中したりと、あまり安定した生活ではなく、幼い頃は非常に貧しい環境で育ったという。
後にカリフォルニアへ移住。高校を卒業してすぐにトラック運転手になって、夜間学校で学ぶ。後に、「誰からも助けを得られないから、自分でやるしかなかった」と建築プロジェクトの管理方法を学んだいきさつを説明しているが、ゲーリーの自助の精神は、こうした生い立ちの中で早くから植え付けられたもののようだ。

そういう彼も、最初から建築をめざしていたわけではない。夜間学校では化学も勉強した。歴史や微分積分も勉強した。だが、陶芸のクラスが、偶然彼を建築へと導いた。陶芸の先生が、カリフォルニアの建築家ラファエル・ソリアーノに設計を依頼して自邸を建てており、その現場を見に来るようにと誘ってくれたのだ。そこでソリアーノが作業員らに指図をする様子に、ゲーリーはすっかり夢中になった。そして、その後陶芸の先生の勧めで、南カリフォルニア大学(USC)で建築を学ぶのである。

大学へ進学しても、ゲーリーは仕事をしながら学費を稼ぐ苦学生だったが、この時期に多くの建築家を知り、さまざまな建築を見て回った。実は、ゲーリーは幼い頃から絵を描くのが好きで、そんな彼を母や祖母がよく美術館へ連れて行ったという。祖母は、木片を使った町づくりの遊びを何時間も一緒にやってくれた。ゲーリーは、自身の才能を花開かせる道に、ここでしっかりとたどり着いたと言える。大学を卒業したのは、1954年だ。

だが、現在知られているフランク・ゲーリーが生まれるまで、そこからさらに数10年の歳月を待たなければならない。陸軍に徴兵されて関連施設を設計していた時期、ハーバード大学のデザイン大学院で都市計画を学んだ時期、他の建築家の事務所で働いた時期、フランスに渡り、ヨーロッパ中の建築や美術を見て回った時期。そうした時期を経て、ロサンゼルスに自身の建築設計事務所を設立したのが1962年である。


ゲーリー自邸(アメリカ・サンタモニカ 1979年)Photo: Tim Street・Porter/OTTO

ゲーリーの名前が知られるようになったのは、サンタモニカの自邸だった。自邸はゼロから建てたものではなく、彼が1977年に購入した築60年の住宅が元になっている。何の変哲もないごく普通の住宅の周りに、ゲーリーはトタンの波板や金網を張り巡らせ、木とガラスでスカイライトをつくったりして、前代未聞の増築を施したのだ。

ガラクタのような外観に近隣の住民は眉をしかめ、クライアントは逃げて行った。だが、粗雑な建材を用いながら、最高に美しい空間のコンポジションを実現したゲーリーには、世界中から注目が集まった。希有なものに美を見出し、独自のアイデアによって建物を実現するそのアプローチは、1997年にスペイン・ビルバオに建設されたグッゲンハイム美術館の大きな成功で、世界を納得させてしまう。

現在86歳のゲーリーは、今もほぼ毎日事務所に通い、新たな建築をつくり続けている。

文:瀧口範子


ゲーリーオフィス(アメリカ・ロサンゼルス)Image Courtesy of Gehry Partners, LLP

>>第2回「フランク・ゲーリーってどんな人?」後編
>>第3回「田根 剛ってどんな人?」

2015年10月16日に開幕となる企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」。

「君たち、オレのマニフェストを知ってるか」はじめて面会したゲーリー氏は最初にそう言い出しました。
ゲーリーは一夜の思いつきや、ちっぽけな発想、一瞬の閃きによって建築をつくりません。大量の模型をつくっては壊し、壊してはつくり上げる輝かしいプロジェクトの数々。
アイデアを信じるゲーリーの本音のマニフェストを聞いたとき、 この展覧会のコンセプトは決まりました。」(展覧会ディレクター 田根 剛のメッセージより)

ウォルト・ディズニー・コンサートホール竣工の際に発表されたマニフェスト(2003年)を、再びゲーリー自身が読み上げる様子を本展のために撮りおろしました。真面目な表情で読み上げられる本音のマニフェストには、ひとりの建築家が闘ってきた道のりを垣間みることができます。

編集:LUFTZUG

フランク・ゲーリーのマニフェスト

まずアイデアが浮かぶ。しょうもないけど気に入る。模型をつくって嫌いになるまで見続けて、それから違う模型をつくることで、最初のしょうもないアイデアを別の見方でみる。するとまた気に入る。でもその気持ちは続かない。部分的に大嫌いになって、再び違う模型をつくってみると、全然違うけど気に入る。眺めているうちに、すぐに嫌いになる。直しているうちに新しいアイデアが浮かんで、そっちの方が気に入るけど、また嫌いになる。でもまんざらでもない。
どうするか? そう、また模型をつくって、次から次へとつくる。模型を保管するだけでも膨大な費用がかかる。でもどんどん続ける。次から次へと進めるうちに、ほら見ろ、最高傑作だ。
輝かしく、安上がりで、今までに見たことがないものだ。だから誰も気に入らない。

悔しくて死にたくなる。ところが、神様がメッセンジャーを送り込んで皆に催眠術をかけるので、皆気に入る。そしてアイデアを盗もうとする。模型も盗んで行こうとする。頭脳や魂まで持って行こうとする。でも踏ん張って、絶対にくれてやらない。
やりたいのは、新しいアイデアを生むことだけ。たった一人で新しい模型をつくり続けたい。保管するのに膨大な金がかかるので、こんなことをしていると模型の倉庫代で破産する。
これは偉大な歴史。伝説でもあり本当のことなんだ。
この続きがどうなるかと言えば、皆が嫉妬し始める。嫉妬が彼らに努力するよう仕向けるならばいいけれど、大半は壊すためにがんばる。そこんとこが厄介。

2015年5月29日、「単位展」作品の「無印良品の単位」制作チームより、良品計画生活雑貨部企画デザイン室 室長の矢野直子と建築家の佐野文彦、無印良品のアドバイザリーボードで21_21 DESIGN SIGHTディレクターの深澤直人を迎え、「深澤直人と無印良品と佐野文彦のギャラリートーク」を開催しました。

冒頭にて、深澤は「当初単位展というテーマを聞き、確固たる単位をイメージするも、自分なりの単位があるのではないかと思った」と語り、本展企画進行の前村達也が、深澤の共著『デザインの生態学』にて述べられている、ものや道具に対して身体があらかじめ反応してしまう感覚を、日常の暮らしにおける単位に置き換えるようにリサーチを行なったと続きました。

尺貫法から導き出され、無印良品の基準寸法を決めるきかっけとなり、現在の無印良品のモジュールの基礎となっている「ユニットシェルフ」を用い、居住空間をつくり上げた「無印良品の単位」。これ見よがしに何かをつくるのではなく、生活における必然性のなかでものをつくり出す無印良品のスタンスと、建築家 佐野文彦の生活に根付いた単位が、ひとつの作品として結びつくプロセスが語られました。

そして日本の生活における単位として、佐野が自ら経験した数寄屋大工のフィジカルな単位感に触れると、矢野は余白があることで生まれる豊かな空間づくりを挙げ、深澤は「決まっているモジュールで隙き間を埋めるのではなく、周辺環境をどうするかで、空間の豊かさが生まれる」と続きました。単位は、揃えてしまおうというところに価値があるのではなく、ゆるやかに人間をつなぐところに真価があるのではないかと、トークは示唆に富んだ内容となりました。

私たちが大切に守っていくべき日本の美しさとは何かを考え、日本文化の素晴らしさ、尊さを伝える『和樂』7月号の特別対談。
21_21 DESIGN SIGHTを設計した建築家の安藤忠雄と、ディレクターのひとりである三宅一生が「デザインからひもとく日常の美、日本の美」をテーマに対談を行ないました。日本の美意識や創造力から生まれたデザインを、次の世代につなげていくための試みとしての21_21 DESIGN SIGHTでの活動から、日本初のデザイン・ミュージアム設立への想いを語っています。
ここでは、10ページにわたる特集の一部を紹介します。

企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」は、多くの企業・団体との恊働により実現しました。ここでは、様々な分野で私たちの生活を支える「企業の単位」にまつわるエピソードを、本展会場写真とともにご紹介します。


「単位展」展示作品『無印良品の単位』佐野文彦+無印良品
Photo: 木奥恵三

株式会社 良品計画 小山裕介、岡本和士
Ryohin Keikaku Co., Ltd. Yusuke Koyama, Kazuaki Okamoto

― 本展展示作品に生きている無印良品の「単位」は何ですか

無印良品の商品において追究しているテーマのひとつに「モジュール」があります。
本展示では、そのモジュールを単位として表現しようと考え、無印良品が持つモジュールの中心であるユニットシェルフと、シェルフに収まるように設計された商品群を使って無印良品の単位を表現しました。

― あなたのお仕事でよく使う単位を教えてください

製造小売業にとって大切な単位として「SKU」という単位があります。※SKU...最小管理単位 (Stock Keeping Unit) の略。
商品で良く使われる言葉としてシリーズという単語がありますが、シリーズは一つでも、カラーやバリエーション展開が10個あれば10SKUとなります。SKUが多ければ多い程、お客様は悩み、何が本当に欲しいのか分からなくなり、製造する側も在庫が余分に増え、無駄な商品が多く生まれる可能性があります。
無印良品において、SKUは極力少なく開発しようという想いがあります。
それは、余分な要素を極力減らす事で、なるべく省資源、省エネルギー、これでいいと思える最適な商品づくりに繋がると考えているからです。

― 無印良品らしさにつながる「単位」があれば教えてください

無印良品では日本の住宅に使われている「尺貫法」を元に、基本となる寸法を定め、大型家具から小物の収納用品に至るまで当てはめて設計しています。
その結果、無印良品の収納は無理なくきれいに収まり生活空間に溶け込みます。

― 無印良品の中にある、「単位」によって生まれる景色を教えてください

無印良品の収納箱には、木、布、紙、樹脂、竹など様々な素材のものがありますが、全て共通の基準寸法で出来ているので素材の違うアイテム同士でも自由自在に組み合わせることができ、きれいに収めることができます。

― 「単位展」ご来場者へのメッセージをお願いします

無印良品が建築家・佐野文彦さんの感性に触れ、これまでの無印良品にはなかったひとつの表現の作品となっております。収納と生活空間が一体化した壁のない空間は、日本建築の伝統的な考え方に対する無印良品としての変わらない尊敬の念と、これからの生活空間への提案を表現しています。
様々な角度から、鳥の目、虫の目でご覧いただき何かを感じ取っていただけたら幸いです。

株式会社 良品計画 Ryohin Keikaku Co., Ltd.
無印良品は1980年、当時の流通業界をけん引してきた堤 清二とグラフィックデザイナーの田中一光という、ふたりの思想の交感から誕生しました。
商品開発の基本は、生活の基本となる本当に必要なものを、本当に必要なかたちでつくること。そのために、素材を見直し、生産工程の手間を省き、包装を簡略にしました。この方針が時代の美意識に合い、シンプルで美しい商品が長く愛されてきました。

企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」では、「みんなのはかり」と題し、各界で活躍する8名の方に、「単位」「はかり」をテーマに思い入れのあるものをご出展いただきました。ここでは、それぞれの「はかり」に込められた思いやエピソードを、会場写真とともに紹介します。


写真:木奥恵三

「ヒューマンスケールの計り」 クライン ダイサム アーキテクツ

私達は無意識に自分のいる空間を計っている。建築家として空間をデザインする際、身近なオフィスで寸法を感じ、大きさを再確認する。クライアントには、彼らが馴染みのある身の回りの物を使いながらスケールを感じてもらう。

展示模型では、オフィスのサイズを以下のものと比較している。
- アルテックの椅子
- オフィスデスク
- 畳
- ミニカー
- ラッシュ時の山手線車両

「みんなのはかり」参加作家

  1. 葛西 薫
  2. 木内 昇
  3. クライン ダイサム アーキテクツ
  4. 作原文子
  5. 高山なおみ
  6. 皆川 明
  7. Jasper Morrison
  8. 柳本浩市

企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」開始前の2014年11月より、多摩美術大学環境デザイン学科の実技課題として、「単位展」の会場構成をインテリアコースの学生30名が考えました。学生たちは、本展会場構成の監修を担当したトラフ建築設計事務所の鈴野浩一と、TONERICO:INC.代表でデザイナーの米谷ひろしの指導のもと、各々の考える「単位展」の空間を提案しました。
21_21 DESIGN SIGHTの休館日を使った中間発表などを経て、2015年1月には、展覧会企画チームが多摩美術大学を訪れ、成果の最終発表となる講評会が開かれました。

この度、講評会で選出された5作品が、多摩美術大学 八王子キャンパスで展示されます。30分の1模型やCGイメージを通して、コンセプトの構築から最終的な展示空間の落とし込みまでそれぞれ違う、個性ある5つの「単位展」をお楽しみください。

日時:2015年4月21日(火)- 25日(土)9:00〜20:30(最終日は15:00まで)
場所:多摩美術大学 八王子キャンパス デザイン棟1階ギャラリー

また、多摩美術大学環境デザイン学科では、学生たちが課題に取り組む様子をブログに記録しています。ぜひご覧ください。
>>多摩美術大学環境デザイン学科によるブログ
「多摩美術大学環境デザイン学科 × 単位展」


講評会の様子(2015年1月)

現在開催中の企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」に関連して、本展覧会グラフィック 中村至男と本展会場構成監修 鈴野浩一の対談が、『MdN』5月号に掲載されました。
http://www.mdn.co.jp/di/MdN/?asid=3381


『MdN』5月号

いよいよ明日開幕となる「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」。
会場の様子を、いちはやくお届けします。

単位で遊ぶと世界は楽しくなる。単位を知るとデザインはもっと面白くなる。
単位というフィルターを通して、私たちが普段何気なく過ごしている日常の見方を変え、新たな気づきと創造性をもたらす展覧会です。

また、会場1階スペースを、単位にまつわるショップとして無料開放します。展覧会とあわせて、ぜひお楽しみください。

写真:木奥恵三

2015年1月12日、建築家で「活動のデザイン展」参加作家でもある長坂 常と大西麻貴+百田有希/o + hによるトーク「建築家の視点と『活動のデザイン』」を開催しました。

本展で、修理・修繕することで誰かの課題を解決する「フィックスパーツ」に参加した長坂は、このプロジェクトでは、まず「建築家として自分のカラーを主張することを求められているのではない」自分の立ち位置について考えたと話し、他人の課題との出会いから、展示している「ムーヴァブル・シェルフ」ができるまでの過程を解説しました。

続いて、大西麻貴+百田有希/o + hも、それ自体が鑑賞されるというよりも、会場に置かれた他作品の見え方を変える仕掛けとして、作品で会場構成に関わる意図で「望遠鏡のおばけ」「長い望遠鏡」をつくり始めたという話から、今回の作品につながるこれまでのプロジェクトや制作の様子を、写真やスケッチを紹介しながら説明しました。

対談はこの日が初めてという長坂とo + hの二人がそれぞれの仕事場を紹介しながら、どちらも元々ガレージがあった場所を、通りや街に開いた空間として使っているという共通点で話が盛り上がりました。長坂が「色々なノイズがある中で、どう社会と接していくかというところに可能性を感じる」と語ると、o + hの二人も「街と繋がり、その関係を続けていく」「外と内が続く場所で、問題に出会うことが解決の第一歩」と応じ、予め結論を決めてしまうのではなく、そのつど関係性のなかで前向きに互いの距離を探りながら課題を解決していくことの重要性など、ものづくりに対する姿勢にも両者の共通点が見えるトークとなりました。

2014年11月29日、織咲 誠と谷尻 誠によるトーク「線の引き方で世界はどう変わる?!」を開催しました。

社会とのデザインの関係を線のあり方で考察する「ライン・ワークス ― 線の引き方次第で、世界が変わる」を出展する織咲。お金をかけず、ものを使わないで機能を変えていく試みとして、自らリサーチを行う彼は、アフガニスタンでの石の上に引いた線で地雷を認識させる地雷標石など、いくつかの例を語り、線による関係性、様々な関係性を見つけていくのがデザインであると述べました。そこに谷尻は、ほとんどのものがつくり手の都合で徐々に効率的になっていったが、それに属さないものとの関わりによって、ものをつくっていくことがこれからのデザインではないかと続き、織咲の活動の意義に触れました。
その後社会一般に話は及び、谷尻は、一見して便利な世の中であるため疑うことがないが、機能性だけに捉われず、ある種ムダなものをも交えた関係性や人々の能動性を促す不便さも必要であると語りました。出展作品に対し、「自分の頭で考えて欲しい」とあえてその多くを語らなかった織咲しかり、世の中の仕組みを各々が俯瞰し、世界をどう見据えるかが、それぞれの立場で語られる内容となりました。

企画展「日本のデザインミュージアム実現にむけて展」は、来場者の皆様をデザインミュージアムの"入口"へと誘う展覧会です。
ウェブサイト上の本連載では、会場を離れ、各界で活躍する方々が未来のデザインミュージアムにぜひアーカイブしたいと考える"個人的な"一品をコメントとともに紹介します。
展覧会と連載を通じて、デザインの広がりと奥行きを感じてください。

制作:YAMAGIWA

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2013年5月19日、「デザインあ展」関連プログラム「デザインの人1『働き方を考える』」を開催しました。

展覧会ディレクター 佐藤 卓をナビゲーターに、働き方研究家の西村佳哲、コミュニティデザイナーの山崎 亮をゲストに迎え、熱いトークを繰り広げました。

インテリアデザインが自らの出自であったという西村は、オフィスのあり方を考えるリサーチから、働き方の研究を開始したと言います。働くことにおいて、「成果は目的でなく結果にすぎない。結果でなく、そのための状況や環境をつくる」ことこそが大事であると述べ、いくつかの事例を紹介しました。

そして、「コミュニティエンパワーメント」、すなわち地域社会をデザイン的な思考によって、その地域に本来備わっている力を引きだすことが自らの仕事であるという山崎。彼は地域住民の主体性を促し、過程において自然と出来上がるコミュニティ(動き)こそが最も大切であると述べました。

続いて、議題は西村と山崎が共に仕事において、常に「聞き手」であることに移りました。西村は、「発信能力よりも受信能力の高い人の多い方が社会にとっては良い」と言います。これは、山崎が地域社会で交錯した人々の想いを、外の立場からニュートラルに聞き取り、人々の行動に結びつける過程に現れています。

そして、話は「これからの働き方」へと移りました。山崎の会社スタッフは各々が個人事業主であり、予算配分の残額が個人収入となるため、各々でスキルを上げてゆくとのこと。また西村は、自社を立ち上げる際、クライアントありきでなくメーカーとしてプロダクトもつくることにしたそう。そして、佐藤は自らが21_21 DESIGN SIGHTのディレクターであることを例に、グラフィックデザイナーというカテゴリーに留まらず活動していることを述べました。

トークの終わりに、佐藤は「新しいことは何でもやってみるのが良い」と話を締めました。

国立新美術館「カリフォルニア・デザイン1930-1965 -モダン・リヴィングの起源-」展との共同企画として、"ハウス・オブ・カード"を使ったワークショップを、2013年4月27日「デザインあ」展の会場内で開催しました。

"ハウス・オブ・カード"(House of Cards)は、ミッドセンチュリーの代表的デザイナー、チャールズ&レイ ・イームズが1952年にデザインした組み立てて遊ぶカードで、糸巻きやボタンなど身近なモティーフをカラフルなパターンとしてとらえているのが特徴です。

ワークショップでは、カードのアイデアを元に、ご来場のみなさまがつくった「デザインあ展」のオリジナル"ハウス・オブ・カード"をつかって、本展参加作家の岡崎智弘と寺山紀彦(studio note)が家をつくりました。

映像制作:岡崎智弘

2012年3月3日に行われた、坂 茂(建築家)によるトーク「『アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue』展+ポンピドゥー・センター・メス+災害支援活動」の動画をご覧頂けます。


Gallery 2
会場風景(撮影:吉村昌也)

6画面の大型プロジェクションでアーヴィング・ペンの写真を投影しているギャラリー2の展示で使用されている椅子は、本展の会場構成を担当した坂 茂が、フィンランドを代表するインテリアメーカー アルテックのためにデザインした10 UNIT SYSTEM。

その名に示されるように、10点のL字ユニットから構成されています。会場では椅子や背もたれのないスツールとして使用していますが、このほかにもテーブルのフレーム等、いろいろなかたちに組み立てることができます。簡単に組立および解体が可能でもあり、さまざまな組みあわせによって、独自の空間プランをつくり出せます。

また、使用されている素材はUPM ProFi という再生プラスチックと再生紙の混合材です。これはペットボトルなどに使用される粘着ラベルの製造過程でうまれる端材を原料としており、このうちリサイクルされた素材が占める割合はおよそ60%。プラスチックと木の繊維の特徴を兼ね備え、耐久性に優れ湿度や紫外線による影響も受けにくいため、屋内外を問わず幅広い場面で使用することができます。さらに、素材を再度製造工程でリサイクルすることや有害物質を出さず焼却することもでき、製品のライフサイクルを通して環境に負荷が少ない方法が実現されています。

www.artek.fi

10 UNIT SYSTEM

「安藤忠雄/仕事学のすすめ〜自ら仕事を創造せよ〜」

NHK教育テレビ(Eテレ)
全4回 午後22:25 〜 22:50 毎週水曜日

第1回:3月7日放送、3月14日再放送
第2回:3月14日放送、3月21日再放送
第3回:3月21日放送、3月28日再放送
第4回:3月28日放送、4月2日、5日再放送

番組ホームページ

建築家の安藤忠雄が「混迷の時代にこそいかにして自ら仕事を創造するか」ということについて語り、その仕事を振り返る全4回に渡る番組です。
第3回(3月21日放送、3月28日再放送)の中で安藤は、21_21 DESIGN SIGHTの着想から完成までのプロセスを通して、三宅一生との出逢いを振り返り、そのやりとりから生まれた想いを語ります。

是非ご覧下さい。

トークの様子


6月19日、「倉俣デザインの未来を語る」と題し、倉俣史朗の作品をリスペクトする若い世代の建築家によるトークが行われました。

冒頭に展覧会ディレクターの関康子より、すでに故人となった倉俣史朗とエットレ・ソットサスの大きな業績や人間性を若い世代に知ってほしい、またその想いを引き継いでほしいとの思いから本展を企画したことが述べられました。
この後はデザインディレクターの岡田栄造が進行役となり、建築家の五十嵐淳、中山英之がそれぞれに倉俣デザインの体験を語ります。

まずは岡田、五十嵐、中山の三人が、どう倉俣の作品に出合ったか。
1970年生まれの岡田と五十嵐、1972年生まれの中山は、倉俣の晩年は大学生で、彼の仕事を現役で見ていた最も若い世代です。
卒業論文も倉俣がテーマだったという岡田は、大学に入って間もなく雑誌の特集を通じて「ミス・ブランチ」を目にし、世界的に大きな評価を得ていることを伝える記事とともに大きな衝撃を受けたと言います。
北海道出身の五十嵐は、同時期に札幌の洋書店でやはり「ミス・ブランチ」が表紙だった書籍を見つけて、理論を超えて感覚に訴える魅力を感じたそうです。
一方中山は、美術の勉強を始めたころに、美術書の専門店で椅子に関する本の中で「ミス・ブランチ」を知り、その本の中で並べられたイームズ(当時はエアメスだと思っていた)等の作品に比べて倉俣作品は謎である、という印象を受けたそうです。
三者とも「ミス・ブランチ」をきっかけに倉俣作品に出会い、その体験を衝撃からスタートさせました。

五十嵐淳、中山英之


次に三人が倉俣作品をどう見ているのか、それぞれにベスト3の作品を挙げて語ります。
五十嵐のベスト3は、まず花柄のオフィスチェア(赤いバラの布ばりコクヨ椅子、1988)。これは普段よく見かけるタイプのオフィスチェアの張地を赤いバラ模様の布にしたデザイン。実は倉俣が事務什器のコンサルティングをしていたときのサンプル品で流通はされなかったそうです。しかしオフィスの中で働く人が少しでも自由を感じられるよう使用する人が張地を選べるようにと考えた倉俣の作品からは、デザインが現実にどれだけ自由をもたらすことができるかという強い意志を感じることができると述べました。二番目に選んだのはClub Juddの内装(1969)。スチールパイプを積み上げ、曲げた壁は単一素材の持つピュアな印象から逸脱しています。解釈する者の「誤読」の幅をどれだけ広く持てるか。これを五十嵐は「夢」と表現しました。
三番目は「エドワーズ本社ビルディング」の内装(1969)。蛍光灯の柱を林立させたデザインはこの後の五十嵐の作品にも影響を与えているのではないかと言います。

中山のセレクト一つ目は「Flower Vase #2」。鉄筋コンクリートを例に出し、圧縮に強いコンクリートと伸長に強い鉄を併用することで理想的な素材になったことと同じように、透明なアクリルの中にカラーのアクリルを埋めることで、カラーのアクリル単体より、より強く色を感じることができると述べました。
二番目は「64の本棚」(1972)。これはあらかじめ64に細かく区切られた棚で、使いやすさやフレキシブルの逆をゆく家具。しかし中山は、ものに主導があるような不条理が却って使い手に思考するきっかけを与えるのではないかと言います。
三番目は「ハウ・ハイザ・ムーン」(1986)。通常のソファーが皮張りや布張りであるのに対し、これはメタルのベンチ。なんのためにつくったのだろうという謎を中山は現代美術を参照しながら「ない」を表現したものではないかと述べます。倉俣が語った「一日に座っている時間より座っていない時間の方が多い」言葉を引用しながら椅子に座らないことで座ることを考えさせる椅子だとまとめました。

岡田のベスト3は、まず倉俣の代表作「ミス・ブランチ」。いわゆるモダンなデザインは装飾的要素を削除しストラクチャーのみで構成しているのに対し、「ミス・ブランチ」では表面に施すような花のモチーフを椅子の内部に埋め込み、装飾の構造化に挑んでいると述べました。「ミス・ブランチ」から20年以上たった今、様々な価値観が存在するなかで合理的なものとそうでないものの差がなくなってきているのではないかと指摘。倉俣の作品はこの光景を予見していたのではと驚くとともに、これからのデザイナーの役割について考えさせられると述べました。
二番目は「ラピュタ」(ベッド、1991)。特徴的に細長い形状から、岡田は倉俣の独特の身体性に言及しました。これについて中山は完成形の放棄に対する倉俣の責任の取り方だと述べ、五十嵐も、ベッドはこうあるものとすぐ分かる形を放棄してこそ使い手に自由を与えていると述べました。
三番目は「アモリーノ」(1990)。一見普通のキューピーですが背中の羽を動かしながら回転し、ウインクをする仕掛けになっています。通常、道具は身体の拡張手段としてデザインされているが、このキューピーはそれ自体が意志を持っているよう。無邪気でかわいいだけのはずのキューピーが「あなたをわかっています」とウインクする恐ろしさ。人型ロボットなどを参照しながら「意志を持つもの」がデザインの中に増えている現状もふまえて倉俣はここでも何かを予見していたのではないかと語りました。

トークは次に、倉俣作品とそれぞれ自身の作品との接点に展開。

五十嵐は自身の作品から「矩形の森」(2000)、「大阪現代演劇祭仮設劇場」(2005)を挙げ、これまで空間のなかで邪魔と扱われていた柱の採用、塩化ビニールによる抽象的な外壁の採用を通して使い手の方向性を決定しない空間づくりをしてきたと述べました。
これは続いて発表した中山の設計した北海道の平原でのカフェにも通ずる考えで、建築やデザインそのものに意味や用途を込めるのではなく、環境のなかで使い手が行動するための、きっかけとしてのものづくり。
中山は、この発想を教えてくれたのは倉俣だったと述べました。

トークの様子


さてトークはいったんここで終了。質疑応答に移ります。
トーク中に多く出た「椅子」について、登壇者のそれぞれがデザインする場合は何に注力するかという質問に対して、中山は自分が座ることと自分が座っている状態の全てに意識的でいたいと述べ、五十嵐は建物の天井など体に直接触れない部分に比べて椅子は迷う部分が非常に多いが、感覚的な問題と論理的な問題に優劣をつけずに実現させたい、一方で倉俣の椅子は無限に広がりをもっており今後も目標となるだろうと述べました。

話題がソットサスの「バレンタイン」(1969)に及んだとき、このタイプライターがデザインされた当時、タイピングは女性がオフィスでするものだったが、ソットサスはポータブルなデザインとオフィスらしからぬ赤い色でこの職業に自由を与えたエピソードが出ました。
また、倉俣が「管理者側から考えられているファシスト的なデザインは嫌だ」と述べた話から、岡田は彼らのデザインが用途や状況に束縛されたものではなく、とても「民主的」で、誰にとっても開放されたものであった、と述べ、思想的に引き継ぎながらも現在の社会と関わっていく中でわれわれはデザインを続けていく必要がある、とまとめました。

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2月11日、建築家 磯崎 新と、インターネットによる公募から選ばれた井上真吾、松原 慈、溝口至亮、Nosigner、鈴木清巳5人を登壇者に迎え、展覧会特別シンポジウムが行われました。

まずは本展ディレクターであり、今回はモデレーターも務める関から展覧会や、倉俣史朗とエットレ・ソットサスの生涯や仕事の軌跡について紹介。その後シンポジウムは2部構成で進みます。

関から話し手のバトンが渡されると、第一部は磯崎による「ポスト・フェスティウム(祭りの後に)――エットレ/シローの1975年」と題したレクチャーがスタート。磯崎はメンフィスが始まる前の時代、倉俣とエットレが何をしていたのか、どんな付き合いがあったのか、その時代を同じく過ごした目線で語りました。
レクチャーの中では、ソットサスと倉俣がそれぞれ参加していた展覧会についても紹介。1976年「MAN Trance FORMS」展でそれまでしていたような「デザインをしたくない」といってソットサスが出展した写真作品は、「芸術的ではなく、ただの写真であった」といいます。一方、1978年「間」展に磯崎たっての希望で参加した倉俣は、出来たばかりの硝子同士の接着技術を使って、硝子の板で瞑想の部屋を作りました。
60年代にはどれだけ目立つかが「デザイン」だったが、70年代は「自分自身とデザインを批評しながら追い詰めていく」という、複雑な思想をもったジェネレーションだったと、彼らを見ていた磯崎はのちに理解したといいます。
それからソットサスと倉俣のプロダクトを、磯崎自身の作品や現代の作家の作品と比較しながら紹介。メンフィス以前の時代から30年後の今、当時のものづくりの姿勢を復活させようとしている人たちがいるようだ、と磯崎は締めくくりました。

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磯崎のレクチャーが終わると、5人の登壇者も登場。第二部は自らの活動や開発を発表した後、磯崎に質問をするかたちで始まりました。

当時と現代との違いや、似ている点、その中であるべき姿勢を語り合う中で、磯崎は倉俣やソットサスとのエピソードも披露。毎日1個ずつデザインをしていかないと追いつかないほど忙しかったという倉俣や、ソットサスとのユニークな会話の思い出に、会場からは笑い声も聴こえました。「現代に生きていたら2人は何をすると思いますか?」という質問に「昔と同じことをやるか、やらないかどっちかだろうと思う」と答えた磯崎。ものづくりに関わる環境や社会状勢が変化している中で知的に想像するのは難しいといいます。2人がいた時代を想像しながら、現代のこれから見据える登壇者たちの発言に、磯崎は大きく頷きました。

最後に関から、展覧会のキーとなっている1980年代がどのような時代だったかを質問。磯崎は「ポストモダンの時代に進む中間で、近代を否定しながらも次を見通せていたわけでもない、ごちゃごちゃとした時代だった」と答えました。かつての環境や情勢、デザインへの思考が、30年後に再びメジャーとなる「30年サイクル」の存在を説くと、倉俣やソットサスと過ごした80年代から30年たったのは今であると提言。以前と同じことをそのまま繰り返すのではなく、次に時代を作らなければならないのは君たちだ、と力強いエール送りました。
登壇者の背中をおす温かな拍手に包まれて、シンポジウムは終了となりました。



現在、各地で活動している「ポスト・フォッシル」なものづくりを行うクリエイターを迎えたトークシリーズ。1回目の出演は建築家の藤本壮介です。



藤本が今回のトークのテーマに挙げたのは「プリミティブ・フューチャー」。今までの建築を自由に発想して「再構築」するということを、これから自身の建築に取り入れたいといいます。クリエイターは日々、素材や用途を問い直しながらものづくりに取り組むものであるとし、本展を通して、素材や作品の成り立ちに関してさまざまな問いが会場にあふれているのを感じ、「勇気をもらった」というエピソードも。



これまでの建築作品をモニターに映しながら、トークは進んでいきます。森の中に建つキューブ状の家や、東京の路地をイメージさせる部屋のある子どものための精神医療施設、いくつもの家が積み重なったような集合住宅、拡張する本棚をイメージした大学図書館など、ロケーションも多様です。

何もデザインしていないような、人間のためにしつらえられていない洞窟でも、きっかけがあれば如何様にも住むことができてしまう。そんな無限の可能性を持った建築ができれば、と藤本は語ります。化石燃料時代の機械を組み立てるような人間のための建築の先、未来に建つ住まいを想像できる充実した時間となりました。



4月11日土曜日午後、2回にわたり、建築家 安藤忠雄によるギャラリートークが開催されました。 21_21 DESIGN SIGHT の建築を設計した安藤は、今回の「U-Tsu-Wa/うつわ」展の会場構成も手がけ、展示のみどころについても話しました。

建築の分野に限らずさまざまな世界で活躍している安藤は、都市とは「緑」と「文化」があって成立するものだとの意見。ヨーロッパにみられる都市には活気のある文化施設があり、東京も是非、文化施設を大切にして欲しい。日本を「チャンスのある国」、外国人に対して「開かれた国」にし、誰でもチャンスを求めて日本に来るような「文化の国」にすべきだと語りました。

各回200名程の方にお集りいただき、トークの後にはサイン会も行い、大変にぎわいのある土曜日の午後となりました。

安藤忠雄の会場構成

両掌ですくいあげた、小さな宇宙----三宅一生が3作家のうつわから感じとった「宇宙」の空間表現は、安藤忠雄の手に託されました。それは、かつて自らが出会った感動のかたちを、次の時代の担い手たちに、ガラス越しではなく、直接届けたいという想いからです。

会場風景
Photo: Hiroshi Iwasaki
会場風景
Photo: Hiroshi Iwasaki

安藤忠雄が描いたのは、「水面に映える夜空の星」。水盤や粉砕ガラスの上に、3作家が持って生まれた星座----ルーシー・リィー(魚座)、ジェニファー・リー(獅子座)、エルンスト・ガンペール(牡羊座)----をなぞるように、うつわを浮かべました。2万8千個のガラス瓶を敷き詰めた水盤が、壁面に設えた滝のかすかな音とともに、会場内に静かな緊張感を生み出しています。子どもの頃に見た川の美しさを、いつか違うかたちで表現したいと考えていた安藤。会場の水の流れに対峙するように、サンクンコートには青々とした麦が生い茂っています。

安藤忠雄のギャラリーツアーが行われました。
ギャラリーツアーは、4月にも予定されています。


「U-Tsu-Wa/うつわ」展の見どころ vol.3 へ

安藤忠雄


安藤建築の中で、会場構成も安藤自身が手がけた「U-Tsu-Wa/うつわ」展。当日はたくさんの方がトークを聞くために集まりました。トークでは、三宅一生の服づくりのコンセプト"一枚の布"から着想を得てつくられた21_21 DESIGN SIGHTの建築についての話を交えながら、今回の会場構成のポイントについて語られました。

可会場風景
会場風景

今回の会場構成について安藤は、「三作家の高い美意識を際だたせるような演出を考えた」とし、「水」を使った演出にもついても触れました。小さい頃に見た川の美しさが忘れられず、その美しさを違う形に置き換えたいと常々考えていたという安藤。今回の演出では、水を使いながら「視覚だけなく、聴覚にも訴えるものにしたかった」とのこと。壁面に水を流す演出によって三作家の力強くも静謐な世界観を表現したかった、とその思いを語りました。

ルーシー・リィー、ジェニファー・リー、エルンスト・ガンペール。三人のアーティストのつくる〈うつわ〉には、生活文化としてのデザインの可能性が、実に豊かに示されている。

とりわけ、ルーシー・リーの作品は、一つ一つが前世紀の百年を陶芸に賭けて生き抜いた彼女の人生の結晶のようだ。モダニズム造形美の極みともいうべき、優雅に研ぎ澄まされたフォルム。美しさと同時に温かみを感じさせる、微妙でデリケートな陶器の素材感。あの白に輝く器たちの透明感は一体何なのかと、彼女の作品を目にするたび、不思議な感動を味わう。

展覧会では、彼女らのみずみずしい感性がより直接的に伝わるような空間演出を考えた。展示室内に水盤をつくり、その水の上に作品を浮かべる。流れる水という空白を介して、その静と動の狭間で、美しいうつわと対峙するという展示構成だ。訪れる人が、作品を通じて、それをつくった作家の心を感じられるような、展覧会になればと思う。

安藤忠雄

会場風景
Photo: Hiroshi Iwasaki
ワークショップ風景


11月30日、ガーデナーのディビット・ポラードと建築家の和久倫也によるこども向けワークショップ「小枝でまちを作ろう!」が開催されました。

ポラードと和久は、この夏から、国立や奥多摩などで採集してきた木の枝を使って家を作るプロジェクト「Natural House」を行ってきました。今回のワークショップは参加者がこの家を中心に見える景色をスケッチし、そこから自由に建物や乗り物を枝で表現し、街を作り上げるというもの。制作用に東京ミッドタウン内で集めた枝も特別に加えられました。2人がこの日のために21_21 DESIGN SIGHTのテラスに建てた家には、イチョウ・カエデ・サクラなどの枝が使われ、使い終わったトマト缶で枝と枝をつなぐアイデアに、来場者は驚きの様子でした。

こどもたちは真剣な様子で枝を選び、ポラードと和久に手伝ってもらいながら制作を行っていました。次第に周りで見ていた父兄も制作に参加し、色とりどりのテープやネットや洗濯バサミなどで飾り付けをし、個性的で賑やかな街が完成していきました。会場では、青空の下、親子の楽しそうな笑い声が響いていました。

ワークショップ風景


「枝のさまざまなかたちや質感を直接肌で感じてもらいたい。そこからインスピレーションを受け、デザインした街を自分の手で作り上げることでこどもの創造性が高まるのではないか」とポラードと和久。

私たちのすぐそばにある自然について改めて考えるきっかけを与える今回のワークショップは、展覧会のテーマ「セカンド・ネイチャー」につながっていました。

21_21 DESIGN SIGHT 建築についての安藤忠雄のことばから

...かつて、ポール・ヴァレリイとポール・クローデルが対話し、「世界中の民族の中で滅びては困る民族がいるとしたらそれは日本人だ」と言ったことがあります。私はそれを、日本人の固有の美意識を滅ぼしてはならないということだと解釈しています。美意識には、たとえば責任感とか正義感といったものも含まれます。なかでも人や自然に対する礼儀、生きていくことへの礼儀。あるいは、ものをしっかりと見つめることもそうでしょう。

ところが、1960年代に高度成長期を迎えると、お金が儲かればいい、お金があれば豊かになれるという考えが主流になり、かつての美意識はどこかに消えてしまった。東京の街を見ればわかります。美しさを求めた景観ではありません。経済効率を優先した結果ですよ。
かつてイサムノグチさんとお会いした時、「ニッポンの美意識を取り戻さなければならない」と言われていました。
私と三宅一生さんとのつきあいは、35年くらいになるでしょうか。
「デザインという美意識の中に賭けている」と言っていた田中一光さんと3人で、いつかデザイン・ミュージアムを作ろうと話をしていた、そういった経験が、今に繋がっているという思いもあります。

日本が持つべき顔とは、美意識のある国としての顔ではないか。これを実現するために21_21 DESIGN SIGHTという考え方が必要だと思っています。

...経済効率一辺倒で無計画につくられた日本の都市へのアンチテーゼとして。もっと都市を美しくという意識をもって、私はこの21_21 DESIGN SIGHTに参加しています。

展覧会ポスター

21_21 DEISGN SIGHTは5感を使って「見る」場所


佐藤
普通、デザインの場合はメディアが規定されてからスタートするじゃないですか。でも21_21ではスタート地点がまったく違う。どこへ落とし込むかは自由なんです。そういうアプローチの仕方は普段していないことだと思うのです。だから脳がすごく活性化されるというのはあります。
深澤
やっぱりデザイナーって、あるお題を与えられたところで発想していくというトレーニングばかりをしているので、いざ、自発的にやってみようとしてもなかなか簡単にはできない。一方でアーティストというのは自発的に発想する、自分の目でものを見るということを常にトレーニングしている。
三宅
そういういろいろな人たちが一緒になってワークショップをすることで対話が生まれ、葛藤が生まれる。それが意外な才能の発見につながるのだと思います。
川上
「チョコレート」は、参加者のワークショップの積み重ねによって展覧会がつくられているわけですが、工業デザインからファッション、広告、グラフィック、メディアアートなど、通常であれば一堂に集まることはまれな、さまざまなジャンルの人びとによるワークショプとなっているのも特色です。発想の展開から素材の具体的な扱いまで、ほかの参加者から大きな刺激を受けているという声も聞かれ、お互いの交流や意見交換も、ますます活発になっていますね。
深澤
展覧会をやるときには、何がここに足を運んでくれる人たちの喜びになるのかということを考えないわけにはいきません。「チョコレート」でやろうとしていることも結局はそこです。で、私なりに考えますと、21_21というのはまったく未知の場でどんなイベントをやっているのかも想像がつかない。もちろん「チョコレート」と言われても、さっぱりわからない。展覧会にやってくる人はそのような場に放り出されるわけです。そうすると、おそらく目の前に展開されている状況を自分なりに一生懸命理解しよう、解釈しようと脳が動き出す。それはコンピュータが高速で回転するような感じです。それがある歯車とカチッとはまってくれたらその瞬間に全部理解できるんだけど、まったくかみ合わないという状態ができたときに、人は「なんなんだ、なんなんだ?」と探り続ける。

できれば「チョコレート」展では、この「なんなんだ?」の連続の果てに、カコンと歯車にはまる瞬間がくるようにしたいですね。最初から簡単にその人の論理でわかってしまうものはつまらない。もしかすると人によってはその歯車にはまらないかもしれないし、ある人はスコーン!とはまるかもしれない。そのはまる瞬間が自分の新しい感触だから、ものすごくインパクトのある気づきになる。それを「チョコレート」だけではなく、次の企画展でもやっていく。

デザインとアートを比較したとき、それらが見せている発想や表現がどこまでロジックに落とせるか、落とせないかというところがアートとデザインの分かれ目になっているのではないかなと思ったりもします。もっといえば、受け手のとまどわせ方に違いがある。いつかはだれもが必ず理解できるようなヒントを作品に与えておくか、ある種の謎、わからなさを作品にとどめたままにしておくのかというところに両者の境目があると思います。そのきわどい境界を楽しむ場所が21_21であると考えています。簡単にはわからない、だからこそ今まで体験したことのない驚きや発見や感動がある。つまり新しいセンサーを立たせてくれるところ、それが21_21の魅力ではないでしょうか。
佐藤
僕たちは目の前にいろいろなものを見てますよね。一番重要なのは、目を閉じたときに、その自分の記憶の中に残っていくものっていうのがずっとあるわけですが、その方が自分との関係においては本質的で重要なのです。そこにこそリアリティがある。これからの時代は、目の前に見えているものを信じるのではなく、こうした記憶に深く根ざしているものを起点にする、大切にすることが新しい気づきにつながるのだと思います。
深澤
記憶を、脳に張り付いているものを呼び出して、ここにある現実を理解しようとするんだけど、それが繋がりにくいというところがあってところどころ迷う。それはある種とても高いレベルの欲求なんじゃないかと思います。これは意識して志していないと、脳の歯車がカチッとはまらないかもしれない。でも子供みたいな人だとスッと入ってきちゃったりする場合もある。
佐藤
人の感覚というのはものすごく豊かなもので、それは誰もが基本的にもっているものなのに、普段は意外と使われていない。もしくは気がつかない。
深澤
視覚(目)で情報を得るという経験が圧倒的に多いのが今の世の中。だけどほんとうは、ほかの4つのセンサー(聴覚、嗅覚、触覚、味覚)だって見るという行為に密接につながっている。21_21ではフィジカルな展示空間をつくることですべてのセンサーを稼働させ、今まで得られなかったものを得てもらいたいですね。
三宅
21_21では展覧会やプログラムそれぞれにおいてさまざまな試みを計画しているのですが、それらを実現させることによって、展覧会というもののあり方も変えられるのではないかなと思っています。オープン時の特別企画でも、会期の後半ではウィリアム・フォーサイスによるビデオインスタレーションが、安藤建築の見方を一変させてくれるでしょうし、夏休みには狂言、落語、1人芝居などを行なう。つまり、いろんな人が関わることで新しい状況をつくりだしていく。人間がいれば必ずいろいろなものがつきまとってくるものですからね。そうやって自分たちを未知の環境に投げ出していって、どうなるかみるのが面白いところではないかと思うのです。

2006年12月4日 東京ミッドタウン内、21_21 DESIGN SIGHTにて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/ナカサ&パートナーズ 吉村昌也

ディレクターズ


21_21 DESIGN SIGHTの建物は、エントランスを抜けて地下のギャラリーに達すると、外観からは思いもつかないダイナミックな空間が広がっています。ギャラリーは大小あわせて2つ。それを示すサインは照明によってコンクリートの壁面に映し出される、1と2の数字のみ。ギャラリーのほか、サンクンコートあり、秘密めいた通路ありの空間で3月30日から始まる、21_21 DESIGN SIGHTのプログラムにどうぞご期待ください。

放談一覧リストへ

2006年12月、竣工間近の21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)をディレクターが訪れ、ほぼ完成した建物を見学しました。実際の空間を見ながら行なわれた今回のディレクターズ放談は、意気高揚しつつも21_21およびデザインの核心に迫る内容となりました。


安藤建築の魅力は空間を体験することで見えてくる


深澤
建物を見ると、やはりインスパイアされますね。実際の空間の中に身をおくと、そこでしか出てこない発想というのが浮かんできます。すでに第1回企画展のプロジェクトはかなり具体的なところまで進行してきています。が、こうしてできあがった建物を前にして、はじめてそうの空間に事物をインストールすること、この場所でどのような展覧会をするのかということがリアリティを帯びてきますよね。
佐藤
安藤さんの建築って、まず外から見るじゃないですか、そうすると、小さめの量感で個性的なかたちをしている。でも、中に入ると外側からは想像できない空間が広がっている。図面や模型で見ていたときには、そのことがどんな感覚を我々に与えるのか、想像がつきませんでしたが。安藤建築は、内部を歩くと空間がどんどん変化していくので、その空間をどう活かしていくかということが問われるんじゃないかという気はします。触発されますよね、あの空間は。
深澤
たぶん21_21を訪れる人は、行なわれているイベントが目当てということもあるけれど、建築的な魅力を味わいたいという願望も抱いているでしょうから、両方を堪能できれば二重の喜びがある。そういう意味で21_21という場所は、安藤さんの建物の魅力とそこで展開されているコンテンツによって成立するのだと思います。両方を活かさなくてはならないというのは、面白い試みですね。
佐藤
今はまだがらんとしていて何もない空間ですが、21_21がスタートうすると、観客は展示物がおかれ状態の空間しか見られないということになります。いわゆる"素"の空間が、展覧会と展覧会を縫うようなタイミングで見られるようなプログラムを計画するのもよいですね。というのは、何もない空間を見るといろんな発想や感覚が得られると思うのです。
深澤
オープン時に行なう特別企画「安藤忠雄/2006年の現場 悪戦苦闘」がまさにそれですよね。
三宅
安藤さんはもともと建物を"素"、ヌードで見せたい人ですからね。そういうことができる建物はあまり多くない。安藤さんの建築は、ちょっと動いただけでほんとうに見え方が違う。それから外部に対する配慮もある。特別企画ではすべての空間を素の状態で見せるわけではなく、模型建設過程の写真などを展示して、完成までのプロセスも紹介します。
川上
展示スペース以外の空間も面白いですよね。階段のまわりなど。それがうまく見せられるとたしかに良いですね。以前、安藤さんが"豊かな余白"について何かでおっしゃっていたことがあります。日本の美術や書道同様、建築や都市にも"余白の可能性"というのがすごくあるんだよと。そうしたスペースは、使う側としては大変に触発されます。もっとも、展覧会があるときというのはそれこそ建物のすみずみまで使ってイベントをしたり設置をしてしまうかもしれないけれども、展示スペース以外のところも含めて何もない状態を見ていただける機会があると良いですよね。
三宅
企画のアイディアが上手くいかないときはそれでいこうか。

 (一同爆笑)

佐藤
安藤建築は、やっぱり挑戦的ですよ。結果がわかりきっているものはやらない。問題提起をして「どうだ」というようなところがある。あなたはここでどんな体験をしますか、という問題を常に投げかけているのだと思います。
三宅
この21_21 DESIGN SIGHTの建物は遊歩道にすぐ面しているんですよね。直島の美術館やホテルにしても、村に面していたり、風景や水に面していたりする。だから僕は、安藤さんの建物そのものに加えて、建築の中から見る風景とか、建物に上がって見る外の景色というのにいつも感動するんですよ。直島に行ったときも、「景色がいいですね」って言っちゃったんです(笑)。僕は、安藤さんはずいぶん変わったなあと思います。もちろん、住吉の長屋のころからそこに生きる人びとや生活者の視点であることは変わらない。最近はさらに発展して、植物の緑を使って安藤忠雄の建築をずっと街に広げていくような発想が出てきている。表参道ヒルズも低層建築ですが、屋上に上ると街路樹の緑とつながっています。ああいう視点をもてる人はなかなかいないと思います。
深澤
圧倒的に体験的な空間ですよね。オブジェクトじゃない。
川上
特別企画の後には、深澤直人ディレクションによる第1回企画展「チョコレート」が開催されます。
深澤
チョコレートというテーマを発表したあと、何人かが「チョコレート!?」っていうリアクションを返してきました。このような「いったい、なんなんだろう?」という感じをある程度来場者側に抱かせつつ展覧会をスタートするのは悪くないですね。

ただ誤解されないように気をつけなければいけないのは、ここではあくまでも私たち人間が日常の世界をどう捉えているかということを見せていくのが主眼であって、チョコレートのデザインを披露するわけではないということです。チョコレートは21_21の視点を見せるためのきっかけのことばにすぎないので、ふたを開けたらいろいろなものがでてくるはずです。

実際、さまざまな作品ができあがりつつあるのですが、それらを見ていると、かなり楽しめるものになるのではないかと思います。4月から始まる展覧会にぜひ足をお運びくださいと言いたいですね。「チョコレートを通して世界を見るっていうのはこういうことなのか」という感じが、そこで初めてわかっていただけるのではないかと思います。
佐藤
「チョコレートSight」ということですね。

放談vol.4 後編へつづく

21_21 Image Photo


21_21 DESIGN SIGHT ディレクターによる放談シリーズ、第3回目をお届けします。三宅一生と深澤直人が、東京タワーの大展望台から東京の街を眺めながら、都市、文化、デザインについて対話します。

エッフェル塔と東京タワー


三宅
東京タワーに昇るのは、実ははじめてなんです。長年東京に暮らしていて、近くまでは来るんだけど、なんか照れくさいっていうかね。
深澤
僕は今回で2回目位です。あんまり来ないですよね。
三宅
そうですね。高いところに上がるということなら、高層ビルと同じだろうと思っちゃって、意外と来ないものですね。
深澤
東京タワー、どんな感じですか。僕はノスタルジックな感じがしますけど。あとは、なんていうのかな、非日常的な東京というかね。
三宅
たしかにね。僕の場合、高いところに昇りたくなるのは、日本にいたくない、でも外国に行くのはいや、という時(笑)。そういう気分になると、東京の高層ビルの上の方に昇ったりします。
東京タワー
写真左:展望台から東方向を見下ろす。増上寺が見える。
写真右:展望解説ボードを見る深澤(左)と三宅(右)。ボードには東京の景観説明や建物の説明などがタッチパネル形式であらわれる。


深澤
東京タワーができたばかりのころって、ご存知ですか。
三宅
僕は高校の時に上京したんだけど、そのときはちょうど建設中だったのかな。このタワーは1958年にできているんですよね。
深澤
58年ですか。僕が生まれてすぐだな。
三宅
その当時は、パリのエッフェル塔のような高い鉄塔が建ったんだということで、もの凄く話題になっていました。こうして上ってみると、エッフェル塔とはずいぶんと趣が違いますが。
深澤
パリのエッフェル塔を参考にしたのは確かでしょうね。
三宅
そうですね。やっぱり、日本の文化そのものが元来、どこかから発想を引っぱってきているというところがありますよね。最近の例ですと、自由の女神をお台場にもってきたりとかね。
深澤
外来文化の歴史が長いから、日本人にはそういう発想がしみついているのかもしれませんね。とはいえ、やはり公共のものとなると、個人資本でつくるにせよよく考えないと、とんでもない問題になります。
公共にひらかれた建造物が良いものになれば、住む環境も文化的に高まるような気がします。けれども、回りをみてみますと、どうも日本は遅れをとっているような感じがしないでもない。三宅さんご自身は、21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)を立ち上げる際に、そういった東京の街への影響をどのように考えていらしたんですか。
三宅
日本では欧米に比べると、とりたてて文化がどうとか、美がどうとかはあまり言いません。そもそも文化や美というのは日本人にとってはいわずもがなというか、暗黙の了解の上に成り立っていたものだと思うのです。戦後は、社会がどんどん制度化され、高度成長などもあって、文化や美は時代に応じて都合のいいように解釈されて現在に至っているという気がします。だから、21_21ができることで、われわれだけでなく、みんながそういったこと、つまり文化や美の今と昔の違いなどに意識的になれるとしたらいいなと思いますね。
東京らしさ、イコール、ローカル?インターナショナル?


深澤
日本が鎖国していた時代について考えてみると、国自体で完結しようという、その知恵みたいなものはかなり発達していたんでしょうね。自分なりに思うのですが、都市や文化やデザインをはじめ、いろいろな考え方というのは、非常に高いレベルで完成していたような気がします。それが文明開化の波にさらされたり、戦争があったり近代化が促進するうちに崩れてしまい、カオスになった。今また、当初の完成された地点に戻ろうとしているんだろうけど、かなり難しいと思います。
三宅
そうですね。日本人が戦後の荒廃から立ち直るために、オリンピックやら万博やら、いろいろなことをやってきて今に至ったのだと思うけれども、やっぱり、どこかちぐはぐです。日本独特の、なにか大切なものを失いつつあると思うんです。
21_21 は、生活を楽しむことにも、生きることにも、デザインはつながっているということを伝える場所になればいいなと思います。オブジェをつくったり、ものをつくったりというのは同時進行的におこなわれるけれども、それだけじゃないんだということです。広く社会のことなども考えていけるといいですね。
深澤
外国で仕事をしていると感じるのですが、いま世界中が均一化してきている気がします。単純に考えると、僕らがパリに行けばパリらしくあってほしいし、ミラノに行けばミラノらしくあってほしい。逆に外国の方が日本に来れば日本らしくあってほしいって思うんじゃないでしょうか。けれども実際は、日本に住む人たちは逆を望んでいる。日本はパリらしくミラノらしくニューヨークらしいみたいな(笑)。インターナショナル化するということを誤解しているような気がするんです。僕自身は、もっとローカルな魅力みたいなものをつくっていければいいと思うのです。最近、外国の仕事が増えれば増えるほど感じるのですが、いわゆる京都・奈良的な日本というだけの解釈ではなく、東京なら東京らしさみたいなものをもっと考えていく必要があると思います。
三宅
僕なども、西洋的なというか、グローバライズされたものの対極にあるもの、日本的なものが面白いと思いますね。

放談vol.3 後編へつづく

安藤忠雄


21_21 DESIGN SIGHTの設計を手がける建築家・安藤忠雄氏。氏はこれまで数多くの文化施設設計にたずさわってきましたが、21_21 DESIGN SIGHTの設立には特別な思いがあります。今、なぜ21_21 DESIGN SIGHTなのか、その思いを語っていただきました。



今、必要な日本の顔とは――

仕事柄、世界各地を飛び回っていろいろな方と接していますと、しばしば「日本には顔がない」と言われます。「顔が見えない国」と。経済は顔が見えているどころか、もうずいぶん長い間リーダーシップを取っています。けれども。私はもうひとつ日本の顔が欲しいと思う。

日本は世界でも珍しく大衆文化をしっかりと根づかせてきた国です。江戸時代から続く文楽、歌舞伎、浮世絵、俳句など、そういった文化を支えているのは、生活を楽しむという美意識だと思うのです。

その文化の奥には、日本の自然観がある。生活のなかで、つねに感動をもって春夏秋冬に接してきた。これはヨーロッパなどと比べてもとても珍しい感情で、日本人の感受性の高さを示していると思うんですね。

...かつて、ポール・ヴァレリイとポール・クローデルが対話し、「世界中の民族の中で滅びては困る民族がいるとしたらそれは日本人だ」と言ったことがあります。私はそれを、日本人の固有の美意識を滅ぼしてはならないということだと解釈しています。美意識には、たとえば責任感とか正義感といったものも含まれます。なかでも人や自然に対する礼儀、生きていくことへの礼儀。あるいは、ものをしっかりと見つめることもそうでしょう。

ところが、1960年代に高度成長期を迎えると、お金が儲かればいい、お金があれば豊かになれるという考えが主流になり、かつての美意識はどこかに消えてしまった。東京の街を見ればわかります。美しさを求めた景観ではありません。経済効率を優先した結果ですよ。

かつてイサムノグチさんとお会いした時、「ニッポンの美意識を取り戻さなければならない」と言われていました。
私と三宅一生さんとのつきあいは、35年くらいになるでしょうか。
「デザインという美意識の中に賭けている」と言っていた田中一光さんと3人で、いつかデザイン・ミュージアムを作ろうと話をしていた、そういった経験が、今に繋がっているという思いもあります。

日本が持つべき顔とは、美意識のある国としての顔ではないか。これを実現するために21_21 DESIGN SIGHTという考え方が必要だと思っています。

建築写真
PHOTO: MASAYA YOSHIMURA/NACASA&PARTNERS, INC.
鉄板の屋根が設置される 2006年6月10日撮影


美意識をもった建築

21_21 DESIGN SIGHTの建築を説明するならば、やはり巨大な一枚の鉄板による造形ということに大きな意味があると思います。日本の高い技術力を象徴するものと言えるからです。

建築写真
PHOTO: MASAYA YOSHIMURA/NACASA&PARTNERS, INC.
屋根を設置する前の入念な準備作業 2006年5月30日撮影


鉄板は膨張と厚さの問題があります。それをクリアして造形する技術、解析する技術の両方が必要です。設計が現実のものとなるのは、高い技術力が現場にあるからこそなのです。

また、工事には欠かせないスケジュール管理、日本人はこの点に優れているのです。たとえば、日本の新幹線はめったに遅れない。私はイタリアでミラノとベニスをよく往復しますが、20分くらい遅れるのは当たり前のことです。でも誰も何も言いません。

スケジュール管理が優れているということは、品質管理が優れているということにもつながる。それらはすべて心、美意識からきているのです。この心を取り戻すために、21_21 DESIGN SIGHTは役立たなくてはならない。

そして経済効率一辺倒で無計画につくられた日本の都市へのアンチテーゼとして。もっと都市を美しくという意識をもって、私はこの21_21 DESIGN SIGHTに参加しています。



2006年6月22日 東京ミッドタウン内にて収録
構成/カワイイファクトリー ポートレート撮影/五十風一晴