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アート (109)

2017年1月14日、企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」に関連して、トーク「『好奇心』て、どこから来るの?」を開催しました。トークには、脳科学者の茂木健一郎と、グラフィックデザイナーで本展ディレクターの佐藤 卓が登壇しました。

「好奇心」はどのように生まれ、育まれるのでしょうか。茂木は、自我から解放されることだと述べ、自我から解放された時こそが自由で、喜びを感じると見解を続けます。
佐藤は何事にも熱中している時は自我を感じないと述べ、自分自身のグラフィックデザイナーとしての経験を踏まえ、「好奇心」と「個性」について語ります。様々な場面で「自分らしさ」を問われることがありますが、実際に「自分らしさ」を探さなくても、好奇心に満ち溢れて探求している時が最も「その人らしい」と語ります。好奇心をもって様々なものを探し求めることは、自分の感性で方向性も決まるため、見つかったものから自ずと個性が投影されていると見解を述べます。

次に、好奇心が発するためには自他の分裂、自分と対象の関係の成立について、「対話」を例に挙げて語ります。 対話というものは、その人についての意外な事実を見つけることのできる対話が重要なのだと茂木は続けます。その対話を成り立たせるためにはお互いに興味を持ち、それを引き出すことが肝心で、アートとデザインにも共通すると語ります。他人に興味を持ち、知ることで制作者の声が届き作品からも説得力が生まれると両者は続けます。

色々な角度から物事をみることは、「好奇心」というものが原動力になります。
「美意識や感覚の方向性を示すことが人間の役割」と茂木がトークの終盤で語り、デザインやアートの行動の原点を脳科学の視点から探り、新たな共通点を発見するトークになりました。

2016年12月10日、企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」に関連して、トーク「解剖学から考える"美とはどういうものか"」を開催しました。

美術解剖学をはじめとし、西洋美術から漫画までも解剖対象として研究を重ね、芸術の本質は「世界をどう見るか」であると語る美術批評家の布施英利。一方、本展ディレクターの佐藤 卓は、デザインを解剖の手段として、私たちの日常にあふれる数多くの製品を解剖し、各製品の成り立ちを徹底して検証し続けてきました。

「美術」と「デザイン」、異なる分野で活動する二人が、「解剖」「世界を見る」という共通のキーワードから、"美とはどういうものか"考察しました。

2016年10月29日、企画展「デザインの解剖展: 身近なものから世界を見る方法」に関連して、トーク「アートとデザイン」を開催しました。トークには、美術家の大竹伸朗と、グラフィックデザイナーで本展ディレクターの佐藤 卓が登壇しました。

大竹と佐藤は、同じ年に生まれ、幼少時代を同じ街で暮らしました。さらに、のちには二人とも美術大学を目指し、入学しています。トークのはじめに二人は、当時の東京の様子や日本の美術界の状況を、自身の活動を交えながら振り返りました。続いて、大竹は美術家として、佐藤はグラフィックデザイナーとしてそれぞれの視点から、今見ている世界を語ります。幼少時代には近しい思い出を持っている二人ですが、現在の活動や生活、考え方について語り出すと、お互いに驚きや発見も数多く見つかります。

最後には、会場の参加者との間で質疑応答も行われ、私たちの生きる日常は、それを見る視点、解剖する道具によって、さまざまな側面をみせることを実感するトークとなりました。

台湾・台北の松山文創園區 五號倉庫で開催中の21_21 DESIGN SIGHT企画展 in 台北「単位展 — あれくらい それくらい どれくらい?」に関連して、2016年8月20日、中村至男と鈴野浩一によるトークが開催されました。

本展では、2015年に21_21 DESIGN SIGHTで開催した「単位展」に引き続き、中村は展覧会グラフィックを、鈴野は会場構成監修を担当しました。
トークの前半は、二人がこれまでに手がけてきた仕事をそれぞれ写真や映像とともに紹介。その後、東京と台北の「単位展」について語りました。

まずは中村が、企業の社内デザイナーとして働いていた当時にデザインした自宅の引越しを知らせるポストカードに始まり、佐藤雅彦と協働したゲームソフトや「勝手に広告」シリーズ、近年出版された絵本まで様々な仕事を説明。
つづいて鈴野は、禿 真哉とともにトラフ建築設計事務所を設立するきっかけとなったホテル「クラスカ」の客室や、ひとつづきの空間が屋根の高低でゆるやかに区切られた住居、さらには「空気の器」や結婚指輪までを紹介しました。
二人の、自身の肩書きから想像される枠を超えた幅広い活動と、その根底に通じる独特の発想に、会場からは驚きの声があがりました。

トークの後半では、「単位展」におけるそれぞれの仕事を解説しました。途中、本展のメインビジュアル完成に至るまでに生まれた別のデザイン案も紹介するなど、企画秘話も。
鈴野は、展覧会の構成や展示作品が確定する前に完成した中村によるメインビジュアルが、会場構成や什器デザインのアイディアに繋がったといいます。企画チームのメンバーが、自身の担当を超えてつくりあげた本展ならではのエピソードが語られました。

21_21 DESIGN SIGHT企画展 in 台北「単位展 — あれくらい それくらい どれくらい?」は、2015年の東京での「単位展」展示作品に、台湾の企業や作家による作品も加わり再構成されています。
9月16日までの会期中、より多くの人々が本展を訪れて新しいデザインの視点を持ち帰ってくれたら、という二人のメッセージで、トークは締めくくられました。

Photo courtesy of FuBon Art Foundation

社会を支える基盤であり、叡智の結集でありながら、普段は意識されることの少ない土木工学や土木構造物の世界。21_21 DESIGN SIGHTで「土木」をテーマにしようと決めた際、ディレクター一同、これこそがデザインの施設でとりあげるべきテーマであると話し合った経緯があります。生活を支える普段は見えない力、自然災害から生活を守る工夫の歴史について、あるいは現場を支える多くの人々の存在、最新の技術や日本の作業作業のきめ細やかさなど、いつも以上に熱い会話となりました。こうした「土木」をより多くの方々に身近に感じてもらえる機会を、建築家の西村 浩氏がみごとに構成してくれています。

会場でまず出会うのは、見えない土木の存在です。1日あたり300万から400万もの人々が行き交い、乗降客数や規模で世界一にも記録されている新宿駅を始め、渋谷駅、東京駅のメカニズムを可視化するべく「解体」を試みた建築家 田中智之氏のドローイング。アーティストのヤマガミユキヒロ氏は、神戸の六甲山からの街なみと隅田川からの風景を絵画と映像の投影による「キャンバス・プロジェクション」で表現しています。日の出から日没、そして再び日の出を迎えるこれらの美しい風景も、土木あってこそ。そう考えると実に感慨深く、静かに移ろっていく風景に見入ってしまいます。


渋谷駅については、ギャラリー2で紹介されている田村圭介+昭和女子大学環境デザイン学科 田村研究室による「土木の行為 つなぐ:渋谷駅(2013)構内模型」も。複数の鉄道が乗り入れ、地下5階、地上3階という駅の複雑な構造は驚かされるばかり。背後の写真は西山芳一氏の撮影。

工事現場で汗を流す人々の姿もフォーカスされています。21_21 DESIGN SIGHTが土木のテーマで伝えたかったひとつに「支える人々の存在」がありましたが、西村氏も同じ想いを持ってくれていました。とりわけダイナミックな作品は、現在の渋谷の工事現場の音が奏でるラベルの「ボレロ」にあわせて、高度経済成長期に収録された映像と現在の渋谷の工事現場の映像が目にできる「土木オーケストラ」(ドローイングアンドマニュアル)。同じく私の心に響いたのは、溶接、舗装、開削等の作業をする人々の写真「土木現場で働く人たち」(株式会社 感電社+菊池茂夫)です。土木建築系総合カルチャーマガジン「BLUE'S MAGAZINE(ブルーズマガジン)」を知ることもできます。「人」という点では、スイス、ゴッタルドベーストンネルの完成の瞬間を記録した映像での、歓喜する人々の姿も心に残りました(「日本一・世界一」のコーナーで紹介)。

ダム建設で人工湖に沈んだものの、水位の低い季節に目にすることのできるコンクリートアーチ橋「タウシュベツ川橋梁」(北海道上土幌町)を始め、30年間土木写真家として活動する西山芳一氏が撮影したトンネルやダムの壮大さと美しさ。それらの写真を堪能できる展示空間(ギャラリー2)には、「つなぐ、ささえる、ほる、ためる」などのキーワードで、アーティストやデザイナーの作品が紹介されています。

砂を盛ったり掘る行為にあわせて等高線が現われる「ダイダラの砂場」(桐山孝司+桒原寿行)、来場者がダムの水をせき止める「土木の行為 ためる」(ヤックル株式会社)、ビニールのピースを積み上げてアーチ構造をつくる「土木の行為 つむ:ライト・アーチ・ボリューム」(403architecture [dajiba])等々、楽しみながら「土木の行為」を知る作品が揃っているのも「土木を身近に感じてほしい」という西村氏の想いゆえのこと。また、マンホールに入る体験ができる作品「人孔(ひとあな)」(設計領域)、左官職人の版築工法を手で触れながら鑑賞できる「土木の行為 つく:山」(公益社団法人 日本左官会議+職人社秀平組)など、実際の素材、工法を知ることのできる醍醐味も。

身体を使いながら鑑賞できるこれらの幅広い展示に、建築の専門家も関心を寄せています。そのひとり、南カリフォルニア建築大学の夏期プログラムで来日した学生を引率した建築史家の禅野靖司氏の言葉を引用しておきたいと思います。「土木の力を身体性とともに示していること、さらには土木を文化的な脈絡で見直し、専門外の人も好奇心を持って学び楽しむことができるフィールドとして紹介していた点が興味深い。安藤忠雄氏の建築の内部でこのテーマがとり上げられていることも、マテリアルと構造の不可分な関係を意識させ、学生たちには刺激的でした」

そして会場終盤、登場するのは骨太のメッセージです。関東大震災の復興事業の一環であり、近代都市東京のために情熱を注いだエンジニアの姿が伝わってくる永代橋設計圖。さらには、東日本大震災の復興事業の現場を、本展企画協力の内藤 廣氏はじめGSデザイン会議のメンバーが三陸を訪ねる「GS三陸視察2015 映像記録作品『GROUNDSCAPE』」(66分)。とてつもなく大きな存在である自然と私たち人間の関係について。「震災という非日常に備えながら日常を支えるのが「土木の哲学」と西村氏。「土木にはまだまだやるべきことがたくさんあり、考えなくてはいけないことが横たわっている」。自然とどう向き合うべきか。さらにはこれからの幸せとは何であるのか。西村氏が本展から発する深い問いです。

再び巨大駅の解体ドローイングに戻り、六甲山からの眺め、隅田川の景色の作品にもう一度向き合ってみました。巨大駅が滞ることなく機能し、こうした街の風景を「美しい」と感じつつ眺められるのも、身体のすみずみに血が巡っていくかのごとくメカニズムが熟考され、そのための技術も活かされているからこそ。また、ダイナミックで力強く、ひとの暮らしを思う実に繊細な配慮とともにあるのが土木の世界です。土木が生活を支えてきた歴史、支えられている現状を意識しながら、この先の生活のために大切なものとは何か、考えを巡らせることの重要性を実感せずにはいられません。

文:川上典李子
写真:木奥恵三

2016年7月1日より、台北の松山文創園區 五號倉庫にて、21_21 DESIGN SIGHT企画展 in 台北「単位展 — あれくらい それくらい どれくらい?」が開催中です。

旧たばこ工場を改装した会場では、21_21 DESIGN SIGHTで昨春開催した「単位展」を忠実に再現したほか、新たに台北で集めた品々で構成した「1から100のものさし」、台湾のデザイナーらが参加した「みんなのはかり」など、台北展独自の展示も。

会場入口には、21_21 DESIGN SIGHTのコンセプトやこれまでの活動を紹介するコーナーがあり、併設されたショップには、台北展にあわせて制作された新たなオリジナルグッズも加わり、連日多くのお客様で賑わっています。
会期は9月16日まで、会期中無休ですので、台北にお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。

Photo courtesy of INCEPTION CULTURAL & CREATIVE Co., Ltd.

2016年7月16日、「土木展」企画チームと参加作家の崎谷浩一郎、新堀大祐、菅原大輔、橋本健史(403architecture [dajiba])によるトークを開催しました。

まずは「自己紹介 (建築と土木と●●)」をテーマに、土木と建築にまたがって活動する崎谷と新堀、建築の分野で活動をしている菅原、建築とアートの分野で知られる403architecture [dajiba]の各々の仕事内容が語られました。菅原は、仕事を紹介するうえで関わる土木を道具になぞらえ、「土木という道具=原始的であり、最先端の道具」と語りました。

次に「ケンチQ?ドボQ? YES!NO!TALK!」と題し、さまざまな質問に対し、崎谷がつくったYES/NOフラグで応え、その内容を話し合いました。それぞれの仕事で関わることの多いものに関する質問「地形図が好きだ」に対し、YESと応えた新堀は、「風景が出来上がる根拠には歴史がある」と語りました。また「お金が好きだ」という質問にNOと応えた崎谷は、多くの土木は税金によって成り立つものであり、そのお金を好きといって良いのかという疑問を述べました。その他、「有名になりたい」、「整理整頓は苦手である」といった、四者それぞれの仕事上の立場や性格がうかがい知れるような質問もあり、会場を湧かせました。

トークは、最後のテーマ「建築と土木の境界」に移ります。新堀は、両者に境界を設けずに考えるようにしているといいます。右肩上がりに成長していた時代とは違い、分業でなく総合でものごとを捉えなくてはならないと語りました。橋本は、自分とっての理想的な何かだけでなく、それ以外の分野も取りいれていくことで、社会と関わっていくことができるのではないかと続きました。

お互いに関わりながら街をつくってきた、人々の暮らしには欠かせない土木と建築。トークでは、双方に隔たりを設けずに、社会の変化に順応しながら活動する四者それぞれの有り様が現れていました。

2016年6月24日、いよいよ開幕となる企画展「土木展」の会場の様子をいちはやくお届けします。

道路や鉄道、携帯電話やインターネット、上下水道、災害に対する備えなど、私たちの日常生活に必要不可欠な土木。「土木展」は、生活環境を整えながら自然や土地の歴史と調和する土木のデザインについて考える展覧会です。

Photo: 木奥恵三

2016年2月26日より開催となる企画展「雑貨展」。
本企画では、展覧会ディレクター 深澤直人をはじめ企画チームや参加作家、出展者がリサーチを重ね、展覧会をつくりあげていく様子を一部ご紹介します。

2016年2月上旬、「雑貨展」参加作家のWE MAKE CARPETSが本展のために来日しました。WE MAKE CARPETSは、オランダで活躍する3名のユニット。ストローや絆創膏、洗濯バサミなどといった日用品を使って、数々の美しいカーペットを制作する彼らが、「雑貨展」では、日本の雑貨を使って新作を発表します。

3人は2日間かけて、都内のディスカウントストアや百円ショップの大型店舗、ホームセンター、かっぱ橋道具街などを巡りました。店頭に並ぶ数々の「日本の雑貨」の中から、新作の材料となるものを選ぶのです。気になるアイテムは手にとり、大きさや重さ、色のバリエーションまでを見比べて、3人で相談しながら検討をすすめます。

2日間で出会った無数の「雑貨」の中から、3人が最終的に選んだ材料とは? 21_21 DESIGN SIGHTの中庭に、どのようなカーペットが敷き詰められるのでしょうか。

2月28日(日)には、3人が登壇するトーク「WE MAKE CARPETS, the making of -雑貨からカーペットへ-」を21_21 DESIGN SIGHT館内で開催。WE MAKE CARPETSのこれまでの活動から、本展のリサーチ、制作のプロセスまでを多数の写真とともにご紹介します。できたてのカーペットとあわせて、ぜひお楽しみください。

>>第1回 雑貨展キックオフ会議
>>第2回 深澤直人と企画チームによる雑貨選定会
>>第3回 『松野屋行商』制作レポート

デザイナーであり、21_21 DESIGN SIGHTディレクターの一人でもある三宅一生の仕事を紹介する展覧会「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」が、2016年3月16日より国立新美術館で開催されます。

デザイナーの三宅一生は、1970年に三宅デザイン事務所を立ち上げ、つねに次の時代を見すえながら、新しい服づくりの方法論と可能性を示しています。一枚の布と身体との関係を基本に、チームと取り組むさまざまな研究開発から生まれた衣服は、革新性と心地よさをかね備え、私たちの生活を活気づけています。

本展は、国立新美術館における初めてのデザイナーの個展であり、1970年から現在に至る三宅の仕事を紹介する、これまでにない規模の展覧会です。厳選した百数十点の服をテーマに沿って展示し、その根底に貫かれている考え方を明らかにします。年齢や性別、国籍を問わず広く多くの方々に、デザインの楽しさや可能性、そしてものを創り出すことの素晴らしさを感じていただける展覧会となることでしょう。

>>展覧会ウェブサイト


「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」メインヴィジュアル

左:132 5. ISSEY MIYAKE《No. 1ドレス》《No.1 ジャケット》2010年/撮影:岩崎寛
右:132 5. ISSEY MIYAKE《No. 1ドレス》2010年/撮影:岩崎寛

左:ISSEY MIYAKE《フライング・ソーサー Spring/Summer 1994》1993年/撮影:宇土浩二
右:132 5. ISSEY MIYAKE《No. 10 スカート》2010年/撮影:宇土浩二

国立新美術館「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」

2016年3月16日(水)- 6月13日(月)
休館日:火曜日(ただし、5月3日は開館)
会場:国立新美術館 企画展示室2E
開館時間:10:00 - 18:00 金曜日は20:00まで(入場は閉館の30分前まで)
観覧料(税込):当日 1,300円(一般)、800円(大学生)/前売・団体 1,100円(一般)、500円(大学生)

主催:国立新美術館
共催:公益財団法人 三宅一生デザイン文化財団、株式会社 三宅デザイン事務所、株式会社 イッセイ ミヤケ
お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)

>>国立新美術館 ウェブサイト

2015年12月、東京都港区立笄小学校4年生66名が、「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を授業の一環として訪問しました。

はじめに、21_21 DESIGN SIGHTスタッフが本展の構成と展示内容を紹介しました。児童のみなさんは、スタッフの解説を聞きながら会場をくまなく鑑賞します。建築家のアイデアがどのようなかたちで生まれてくるのか、ゲーリー建築の外観と内観のダイナミズムや居心地の良さ、ゲーリーの人物像、さらにはプロジェクトのプロセス模型のかたちや質感に、強く惹きつけられている様子でした。

その後、「すてきなアイデアや心にのこったこと・発見したことを書きましょう」をテーマに、館内を自由にまわりながら思い思いに文章や絵などを綴り、その内容を発表しました。

授業の後半では、安藤忠雄が手がけた21_21 DESIGN SIGHTの建築に注目して、フランク・ゲーリーの建築との違いを観察します。児童のみなさんは実際の建築に触れながら、内部空間の広がりや光の使われ方など、建築家によって異なる特徴が現れているところを見つけて、発表しました。

最後に全員で館外に出て、21_21 DESIGN SIGHTの外観のスケッチを行いました。本展のそこかしこにあったアイデアや、各自の発見したこともスケッチに表現され、かたちや質感がしっかりと捉えられていました。

建築家 フランク・ゲーリーのアイデアに触れた児童のみなさんは、アイデアを持ち続け、実現することの大切さを体感していたようです。この日は21_21 DESIGN SIGHTにとっても、デザインに欠かせない、ものごとをつくりあげることの楽しさと大切さを、港区立笄小学校のみなさんと分かち合うことのできる貴重な機会となりました。

2016年6月24日から開催される21_21 DESIGN SIGHT企画展「土木展」(仮称)の展覧会ディレクター 西村 浩が、1月31日まで水戸芸術館 現代美術ギャラリーで開催中の展覧会「3.11以後の建築」の関連プログラムとして、レクチャー&ワークショップ「展示室を芝生でリノベーション」を開催しました。

「3.11以後の建築」は、建築史家の五十嵐太郎とコミュニティーデザイナーの山崎 亮をゲスト・キュレーターに迎え、東日本大震災後の社会の変化に自分なりの考え方や手法で向き合う21組の建築家の取り組みを紹介する展覧会です。これからの日本において、建築家がどのような役割を果たし、どのような未来を描こうとするのか、批判と期待の両方の視点で構成されています。

建築家の西村 浩と彼の率いる設計事務所ワークヴィジョンズは、展覧会終盤の「建築家の役割を広げる」というコーナーで、<Re-原っぱ>を展示。「空き地が増えるとまちが賑わう?」という逆説的なコンセプトのもと、西村の出身地でもある佐賀市中心部の駐車場等を「原っぱ」にすることで、市街地にこどもからお年寄りまでが集まってくるという実験的な試み「わいわい!!コンテナプロジェクト」を紹介しています。

2015年12月5日に行われたレクチャーでは、はじめに西村が、21世紀という新しい時代における新しいまちづくりや建築のあり方について、ハードとしての建造物には限界があり、仕組みや人というソフトづくりが最も重要であると解説。実験と挑戦、豊かな想像力、そして発想と発明が何よりも大切だと熱く語りました。続くワークショップでは、参加者全員で展示室内に人工芝を敷く作業を行い、芝生を貼るだけで世界が変わるという体験を共有しました。

社会の様々な問題を解決することが建築家の役割であると断言する西村。現在21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have and Idea"」と同様に、発想、発明、そしてアイデアの力の重要性を感じさせる、充実した展覧会とレクチャー&ワークショップでした。

水戸芸術館「3.11以後の建築」

2015年11月7日(土)-2016年1月31日(日)

>>水戸芸術館 ウェブサイト


「3.11以後の建築」展 会場風景
撮影:根本譲
提供:水戸芸術館現代美術センター

2015年11月14日、建築家 西沢立衛と現代美術家 宮島達男が登壇し、「トークシリーズ『I Have an Idea』第1回 "ぐにゃぐにゃ" 形成と形態について」を開催しました。

対談は、「フランク・ゲーリーを初めて知ったとき」から始まりました。1980年代、大学生の頃に初期のフランク・ゲーリー建築を知ったという西沢に、宮島が「当時の若い建築家への影響は?」と問うと、西沢は「石を削る彫刻のような発想ではなく、日本の木造建築の考え方に近しいゲーリー建築の影響は特に大きかったのではないか」と答えました。 宮島は、スペインでの展覧会に出展した際にビルバオ・グッゲンハイム美術館を見るためにビルバオへ足を運んだといいます。街の中にビルバオ・グッゲンハイム美術館が突然立ち現れる風景は、それまでに見たことのないものでとても驚いたと宮島が語ると、フランク・ゲーリーの名を世に知らしめたビルバオ・グッゲンハイム美術館の特徴は、しかしそれまでのゲーリー建築とかけ離れたものではなかったと西沢は言います。それでも多くの人を惹きつけたビルバオ・グッゲンハイム美術館は、それまで脱構築主義の文脈でばかり語られてきたゲーリー建築が、抜きん出た抽象性を獲得し、自由にゼロから見ることのできる建築になった作品であったろうと語りました。

話題は、本日のテーマである"ぐにゃぐにゃ"という言葉に移ります。フランク・ゲーリーの素晴らしさは、その適確なスケール感にあると言う西沢。かたちの個性として重要な"ぐにゃぐにゃ"は、ともすればデザインの特徴としてのみ想像されがちだが、フランク・ゲーリーは、空間の機能とボリュームを現実的に捉え、必要な空間の区切り、つまり"ぐにゃぐにゃ"の数を割り出すのだと語りました。

それぞれのゲーリー建築への印象を通じて、フランク・ゲーリーには彫刻的なアプローチをする一面があるのではないかと、「emotion」という言葉を使いながら語り合う西沢と宮島。
宮島はゲーリーの仕事について、パリのルイ・ヴィトン財団の展覧会で数えきれないほどのゲーリーの建築模型を目にして、ヘンリー・ムーアのスタディを連想したと言います。また、人が入ることのできる「何か」として捉えることのできるゲーリー建築は、ニキ・ド・サンファルやオラファー・エリアソンのアート作品にも互いに通じ合うところがあるのでは、とも述べました。
西沢も、ゲーリーは「人間の入るところ」をつくっているのであり、それが「建築」であることを必須としていないのではないか、と同意します。住まう時点では過去になってしまう建築創造を、現在進行中であるように錯覚させるような迫力がゲーリー建築にはあるとも言う西沢。さらに、ゲーリー建築は建材をきっかけに建物を考え始めているのではないかと自論を述べると、その上で彼の建築には、近代建築史のすべてを見て取れると語りました。

さらに西沢は、ゲーリー自邸を例に挙げると、ゲーリー建築を究極のコラージュでありブリコラージュであると表現しました。日常性を起点に必要なものを集めて組み合わせていったような自邸をはじめとするゲーリー建築は、「誰にも『アイデア』の可能性はある」と示唆しているのでは、と語ります。

話題はゲーリー・テクノロジーへ。西沢は、以前フランク・ゲーリーが来日した際に聴いたエピソードを紹介します。かつては優秀な数学者であるゲーリーの親しい友人が、ゲーリーがアイデアの発想段階でつくったオブジェのようなものを定規で測り、図面に起こしていたのだと、ゲーリー自身が語っていたと言います。宮島は、今やアートの世界でも必然のものとなったデジタル・テクノロジーの例を挙げて紹介した上で、それでも細部には人間の手による表現が必要だと語りました。

トークの終わりには、参加者から「以前、オスカー・ニーマイヤーの建築を"色気がある"と表現していたが、フランク・ゲーリーの建築はどうか」と問われた西沢は、「彼の建築には、日本では善悪の線をひいてしまうようなことでも受け入れる懐の深さがあり、人間的な生命の輝きがあると思う」と答えました。

フランク・ゲーリーの建築を、建築家と現代美術家のそれぞれの視点から語り合った二人の会話は、その魅力を建築としてのものに限定しない広い視点でのトークとなりました。

2015年9月5日、「動きのカガク展」展覧会ディレクターの菱川勢一が、クリエイター集団ライゾマティクスの一員、真鍋大度を会場に迎え、トークイベントを開催しました。その活躍がともに国内外で高く評価される真鍋と菱川。ふたりを取り巻く「動き」をテーマに、これからの「ものづくり」について語り合いました。

メディアアーティストである真鍋と映像作家である菱川。トークは、ふたりの共通の関心事であった「音楽」から始まります。ミュージシャンである両親のもとに育ち、学生のころからDJとしても活躍している真鍋にとって音楽は身近なもの。会場スクリーンで今までの活動をたどっていくと、レーザーの動きを音に変換させるといった初期の試みから、真鍋の「聴覚と視覚の結びつき」への関心を伺うことができました。対する菱川も、「映像」への興味の発端が80年代のミュージックビデオに遡ると語ります。なめらかにつながる音に比べ、映像は1秒間に30コマが限界。映像を制作するにあたって、音と像のズレは悩みの種であるように話すものの、突き詰めていくと大変興味深い「音の魅力」を強調しました。

話題はそれぞれの最近の関心へと移っていきます。真鍋が取り上げたのは「ドローン」。ダンサーの動きを記録し、それをドローンにインストールすることで、人間とドローンのコラボレーションを可能にしたパフォーマンス作品でも知られているライゾマティクスでありますが、真鍋はそこに次なる可能性「人工知能」を組み込んでみたいと話しました。扱う数が増えれば増えるほどその設定に手間がかかるというドローン。それぞれに人工知能を植え付け独自に判断ができるようにさせることで、実現できるアイデアは大きく広がると考えます。
対して菱川が取り上げたのは「宇宙」。本展でも多くの作品がテーマとして扱う「重力」をはじめ、地球の「当たり前」が通用しない空間において、自分ならどんな作品をつくることができるだろうか。知識は持っていても実態を知り得ない「宇宙」こそを表現するフィールドとして究極目標にしたいと、菱川は熱く語りました。

「動きのカガク」に触れることができるのは本展会場だけに限られません。例えば映像制作の現場には、人が住むことのできるような家をたった数日間で建てることができる建設技術があると菱川は話します。一般にはあまり知られないこの技術を社会福祉に利用したらどうだろう。真鍋が自らの作品に利用してみたいと述べた「宇宙開発」や「医療」に関する技術に至っても、その技術の利用を限られた業界から解き放てるとしたらそこには大きな可能性が広がるという。同様に、メディア・アートの世界で見出された技術も、アートの枠組みを超えて社会に役立てることができるかもしれない。ふたりの会話は弾みます。

真鍋と菱川はともに「組み合わせる」ことができる人は、結果的に「新しいものを生み出す」ことができると結論づけました。身の回りにあるそれぞれ違ったものを、同じ文脈に並べてみると、そこにははじめて見えてくるものがあります。身の回りの情報にアンテナを張り続け、興味を持ったものに常に全力を注ぐ真鍋と菱川。彼らの好奇心ははかりしれません。「ものづくり」のこれからは、そんな好奇心にかかっているのかもしれません。

開催中の企画展「動きのカガク展」とあわせて行ってみたい、さまざまな「カガク」を楽しめるミュージアムをご紹介します。

科学技術館

科学技術の積み重なりによって支えられている私たちの生活。科学技術館では、身近なものから宇宙規模のものまで、私たちをとりまく「カガク」の不思議を、技術の仕組みや発展を紹介することで考えていきます。体験を通して、最先端技術に触れることができる展示室2階『ものづくりの部屋』は、「動きのカガク展」のテーマでもある「ものづくり」に焦点を当て、その面白さについて考える機会を与えてくれます。

>>科学技術館 ウェブサイト

国立科学博物館

地球や生命、科学技術に対する認識を深め、人類と自然、科学技術の望ましい関係について考えていく国立科学博物館では、自然史や科学技術史の資料を豊富に展示しています。地球館2階の体験型展示を多数用意する『科学技術で地球を探る』や、江戸時代以降の日本の科学技術を順に振り返る『科学と技術の歩み』、地球館地下3階の科学にまつわる日本の偉人を紹介する『日本の科学者』の展示など、ここで「カガク」から得られる驚きと発見は、「知ることの面白さ」を呼び起こしてくれるはずです。

>>国立科学博物館 ウェブサイト


写真提供:国立科学博物館

TEPIA 先端技術館

TEPIA先端技術館は、私たちの社会や経済を支えるさまざまな分野の先端技術を、間近で見て、触って、動かすことで、身近なものとして体感できる、新しいスタイルの展示施設です。ロボット技術の未来を考える『テクノロジーパスウェイ』、私たちをとりまく社会と技術の関わり合いを紹介する『テクノロジーショーケース』、体験型展示を通して近未来の暮らしを感じる『テクノロジースタジオ』、ロボットの原理技術を学ぶ『テクノロジーラボ』と4つのゾーンで技術を体感。「カガク」の観点から、未来を考える方法を提示しています。

>>TEPIA 先端技術館 ウェブサイト

日本科学未来館
常設展「未来をつくる」

いま世界で起きていることを科学の視点から理解し未来を考えていく日本科学未来館。日々の素朴な疑問から、最新テクノロジー、地球環境、宇宙の探求まで、さまざまなスケールの科学技術を体験することができます。理想の社会・理想の暮らしを描き出すことによって「豊かさ」を築く方法を考えていく常設展『未来をつくる』では、アイデアをかたちに変えるための技術を紹介。来場者の好奇心をくすぐります。

>>日本科学未来館 ウェブサイト

企画展「動きのカガク展」では、身近な材料と道具でつくられたシンプルな仕組みから最先端のプログラミング技術まで、様々な力によって「動く」作品が、その機構の解説とともに紹介されています。
この連載では、本展企画協力 ドミニク・チェンがそれぞれの作品が見せる「生きている動き」に注目しながら、展覧会の楽しみ方をご提案します。


「動きのカガク展」ポスター(アートディレクション&デザイン 古平正義)

「人間は動き、変化しているものしか知覚できない」。これは生物が物理環境のなかで生存に役立てる情報を能動的に探索する仕組みを説いたアフォーダンス理論で知られる生態心理学を開拓したジェームズ・J・ギブソンの言葉ですが、これは僕たち人間がどのように世界を体験するように進化してきたかを知るための基本的な条件として理解できます。同じく、文化人類学者にしてサイバネティクス(生物と無生物に共通する生命的なプロセスの仕組みの解明を行なう学問)の研究者でもあったベイトソンによる、情報とは「差異を生む差異である」という表現を重ねあわせると、動きこそが違いを生み出す源泉であると解釈することができます。

生物の世界でも、たとえば樹の枝のような身体を持つに至った昆虫が天敵から身を守る時には動きを止めて背景と化すことを擬態といいますが、そのことによって情報を周囲に発信させない、いいかえると「生きていない」という情報を偽装しているわけです。生物としての私たちは「生きているか死んでいるか」ということにとても敏感なセンサーを持っているといえます。このセンサーを通して、私たちは「自分で動いているもの」と「別のものによって動かされているもの」を区別することもできます。このセンサーはとても優秀で、物理的な物体以外のことに対しても機能します。

「動きのカガク展」に集まったデザインからアート、産業から工学研究までに及ぶ作品の数々は、その制作方法から表現方法まで多種多様であり、安易に分類することは難しいでしょう。それでもその全てに通底する一本の軸があるとすれば、それは「生きている動き」を見せてくれる、という点が挙げられます。

考えてみると不思議です。人がつくった仕組みや動きになぜ「生きている」感覚が宿るのか。それはここで展示されている作品が何らかの方法で物理的な法則や生物の規則に「乗っかっている」からです。


上:『アトムズ』岸 遼
下左:『メトログラム3D』小井 仁(博報堂アイ・スタジオ/HACKist)
下右:『水玉であそぶ』アトリエオモヤ

水面の表面張力を指で感じられる『水玉であそぶ』(アトリエオモヤ)は水という身近な存在がアメーバのように離れたり合わさったり美しさを再発見させてくれるし、たくさんの発泡スチロールのボールを宙に浮かせる『アトムズ』(岸 遼)は100円ショップで売っているふきあげ玉のおもちゃと同じベルヌーイの定理を機械的に使って、私たちの身体を常に包囲している空気というものの動き方の不思議さを改めて見せてくれます。寝室のカーテンに差し込む夕暮れの陽光のようなシンプルだけど目を奪われる光の動きをつくる『レイヤー・オブ・エア』(沼倉真理)や様々な形の反射を見せる『リフレクション・イン・ザ・スカルプチャー』(生永麻衣+安住仁史)、布が静かに宙を舞い降りる『そして、舞う』(鈴木太朗)も日々の生活のなかで見つけることのできる光や重力の微細な美しさに気づかせてくれます。他方で、都市というマクロなスケールに視点を移せば、東京メトロの運行情報データを基に地下鉄の動きをまるで人体の血流図のように見せる『メトログラム3D』(小井 仁)から、生物のように脈打つ東京という大都市のダイナミズムをリアルに感じることができるでしょう。

この展覧会が生き生きとした動きに溢れているのは、映像作品『もしもりんご』(ドローイングアンドマニュアル)が見事に見せてくれるように、実写のリンゴに虚構の動きを与えることで、まるでりんごがハエのように飛んでいると感じられるし、ガラスのように木っ端微塵に割れたと感じられる、私たちの感覚のある種のいい加減さに拠っているといえるでしょう。同様に『森のゾートロープ』と『ストロボの雨をあるく』(共にパンタグラフ)は、回転スリットや絵柄のプリントされた傘を手にとって動かすことで、アニメーションという日常的の至るところで見ている表現方法が私たちの眼の解像度の限界に起因していることを身体的に再認識させてくれます。


左:『もしもりんご』ドローイングアンドマニュアル
右:『ストロボの雨をあるく』パンタグラフ

本当に生きているからそのように見えるのではなく、生きているように私たちが感じるから、そう見える。『ISSEY MIYAKE A-POC INSIDE』と『ballet rotoscope』(共に佐藤雅彦+ユーフラテス)は実際の映像と切り離された人間の動きの特徴点を抽出して、観察させてくれます。こうした動きをゲームや映画のCGでモデリングされたキャラクターに付与すれば、まるで生きている本物の人間のように感じるでしょう。


上左:『124のdcモーター、コットンボール、53×53×53センチのダンボール箱』ジモウン
上右:『ISSEY MIYAKE A-POC INSIDE』佐藤雅彦+ユーフラテス
下:『シックスティー・エイト』ニルズ・フェルカー

非生物が生物のように感じられる別の例として、まるで違う惑星の昆虫が密生する峡谷にいるかのような感覚を生んでいる『124のdcモーター、コットンボール、53×53×53センチのダンボール箱』(ジモウン)と、空気で伸縮する巨大な異生物のような『シックスティー・エイト』(ニルズ・フェルカー)、こちらの手の動きを模倣するように回転し続ける巨大な植物のような『動くとのこる。のこると動く。』(藤元翔平)を見ていると、私たちはこの世に存在しない生命の動きをも現出させることができることに気づかせてくれます。また、手元の取っ手の回転運動が目の前の球体の上下運動に変換される『プロジェクト・モーション/サイクル』(東北工業大学 クリエイティブデザイン科 鹿野研究室)も、まるで別の巨きな身体を動かしているような不思議な感覚を生み出しています。


『ロスト #13』クワクボリョウタ

本展には身体的な感覚と共に、複雑な情感を生んでくれる作品も展示されています。来場者が書いた文字をアルゴリズムが分解して再構築した形をロボットが壁面に描き続ける『セミセンスレス・ドローイング・モジュールズ #2(SDM2) - レターズ』(菅野 創+やんツー)は、計算機が意味を解釈する必要なく作動し続けられることをまざまざと見せつけてくれ、私たち人間と人工知能の「知性」の働きの違いについて考えさせられます。高みに立って好きな方向に指をさすと三角錐の頭が一斉に同じほうを向き、しばらくすると反抗してバラバラな向きを見る『統治の丘』(ユークリッド【佐藤雅彦+桐山孝司】)は人間社会の流れに身を委ねるような動き方に対するクールな皮肉に溢れています。そして、光源となる小さな電車が様々な風景の「影像」を壁に映しながら進む『ロスト #13』(クワクボリョウタ)を見ていると、私たちそれぞれが過去に通り過ぎてきた無数の風景に対する懐かしさと、未だ見ぬ光景への憧憬が混然一体となったような感情が生起されます。動きとは物質的な事柄だけを指すのではなく、私たちの心もまた揺れ動きながら変化する対象であるということを改めて想わせてくれます。

この展示に込められたもう一つの大切なメッセージは、こうした動きを自分たちでつくってみることへの誘いです。文章や詩、音楽というものは、ただ読んだり聞いたりするだけではなく、同時に自分たちで書いてみることによって、より豊かな味わいを楽しめるようになります。それは何千年と続いてきた人間の表現するという営為の根底に流れる原理だといえるでしょう。

そのためにも、本展では有孔ボードの作品パネルに、各作品をつくるための道具や素材、そしてどのような原理で動いているのかということを示す解説映像、そして展示ディレクターの菱川勢一がその作品にどうして感動したのかという感想のメモ書きが貼ってあります。これはなるべくつくり手と鑑賞者との境界を取り払い、あなたもぜひつくってみてください、という招待を意味しています。

考えてみれば、現代はインターネットを通じて様々なものづくりのノウハウや方法を知ることができるし、コンピュータを使った表現を学ぶこともますます簡単になってきている、非常に面白い時代だといえます。映像でも物理的な装置でもアルゴリズムでも、手を動かしてみることですぐに覚えられて、仲間と共同しながら社会に面白い表現をぶつけることができます。「学校の図工室」という裏テーマが付された本展を体験して、未来のデザイナー、エンジニアやアーティストとなる老若男女の衝動に少しでも火が点り、家に帰った後にもその火を絶やさず、未知の動きを生み出してくれることに今からワクワクしています。

文:ドミニク・チェン(情報学研究者/IT起業家)
会場風景写真:木奥恵三

企画展「動きのカガク展」とあわせて鑑賞することでより楽しめる展覧会をご紹介します。

埼玉県立近代美術館
動く、光る、目がまわる!キネティック・アート

2015年7月4日(土)- 9月6日(日)

「動く芸術」を意味するキネティック・アートは、終戦後、進歩する科学技術を芸術に取り入れようとする気運のなか、ヨーロッパを中心に盛んに制作されました。その多くは幾何学的な形や線をもとにしているため、はじめは親しみにくい印象を受けるかもしれません。しかし、作品の角度や視点の移動によって思いがけない見え方があらわれるため誰もが楽しめ、見る人と作品の相互の関わりを鮮やかに浮かび上がらせてくれます。

ジョセフ・アルバース、ブルーノ・ムナーリなど先駆的な作家も紹介しながら、主にイタリアで活躍した作家たちの作品を通して、キネティック・アートをふりかえる本展。ほぼ半世紀前のものではあるものの、紹介されている作品が放つレトロな雰囲気には、現代のメディア・アートに通じる先鋭的な感覚をも見出すことができるでしょう。
私たちの感覚に直に訴えかけてくる「動き」のエネルギーは、キネティック・アートが制作された50年前から「動きのカガク展」が紹介する現代まで一貫しているように思えます。

>>埼玉県立近代美術館 ウェブサイト

2015年8月2日に、企画展「動きのカガク展」の参加作家 パンタグラフが講師を務め、関連プログラム「動く!ワークショップ」を開催しました。参加者の子どもたちはゾートロープ(回転のぞき絵)づくりを体験しました。

冒頭では、パンタグラフより江口拓人が、自ら手がけてきた作品を例にコマ撮りアニメーションの特徴を説明。1秒間に15コマの写真をつなげることによって、動きが生まれる模様を伝え、アニメーションのおじいちゃんともいえる「ゾートロープ」を紹介しました。円柱の箱のようなかたちをしたゾートロープは、側面にスリットが入っており、箱を回転したのち、スリットから箱を覗くと中の絵が動いてみえるもの。目の錯覚で生まれる動きの表現に、子どもたちはつよく魅せられている様子でした。

動きの仕組みを理解した後は、ゾートロープの絵を描く作業にうつりました。子どもたちは、パンタグラフの指導のもと、まず12角形のかたちに紙を切り抜いたのち、コマごとに絵を描いていきます。時折、自らつくった絵をゾートロープ上でコマ同士のバランスを見ながら、マーカーや色鉛筆、シールなどで要素を足していきました。

さらに帯状の絵もつくり、先の12角形のものと組み合わせることによって、よりダイナミックな動きを実現しました。子どもたちは、動きの表現のはかり知れない可能性を体験する貴重な1日となりました。

2015年8月2日に、企画展「動きのカガク展」関連プログラム「はんだ付けを体験!オリジナルLEDをつくるワークショップ」を開催しました。「ものづくり」「エレクトロニクス」「プログラミング」を楽しみながら学べる学習工作キット「エレキット」で広く知られる電子工作キットのパイオニア、株式会社イーケイジャパンから内田勝利を講師に迎え、参加者である子どもたちは「はんだ付け」を通して「ものづくり」を体験しました。

ワークショップの始まりは、「光の3原色」についての講習。テレビやスマートフォン、カメラを始めとした、身の回りに溢れるあらゆるデジタル画像の全てが、たった3つの色「赤」「緑」「青」から成り立っているという事実は、子どもたちを強く驚かせます。3色を重ねることで、黄色や水色、紫色へと色の幅を広げることができる。全て重ねると白色に変わる。実際にフルカラーLEDに触れてみることで「色のつくり方」を体感することができました。

3原色を学んだ後は「はんだづけ」実践の始まり。子どもたちは、初めて手にする「はんだごて」におそるおそる電源を入れていきます。練習台の決められた位置にはんだを溶かすという指示に、彼らの表情は真剣そのもの。1・2・3で、こてを構えて、4・5で、はんだを溶かす。講師のカウントに声を合わせながら、何度も繰り返し使い方を練習していきます。

練習が済んだらいよいよ本番、LEDを光らせる仕組みを実際に一からつくっていきます。様々な印が書かれた迷路のようなボードに「抵抗」や「IC」、「スイッチ」など、LEDを光らせるための機能を取り付けていきました。用意された数々のパーツは、どれも小さく、見たこともないような不思議な形ばかり。LEDを点灯させるためには、この細かい作業のひとつひとつをクリアしていかなければなりません。

決められたパーツの全てを取り付けて、参加者全員がやっとの思いでLEDを点灯することができました。完成までの道のりは長かったものの、自分たちの手でもつくり上げられたことでは、参加者にとって大きな自信となったはずです。参加者に「感動」と「ときめき」を与えた「はんだ付け」体験は、日常に潜む「ものづくり」の面白さを再発見する機会となったことでしょう。

企画展「動きのカガク展」では、身近な材料と道具でつくられたシンプルな仕組みから最先端のプログラミング技術まで、様々な力によって「動く」作品が、その機構の解説とともに紹介されています。
この連載では、本展企画協力 ドミニク・チェンがそれぞれの作品が見せる「生きている動き」に注目しながら、展覧会の楽しみ方をご提案します。

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『ロスト #13』クワクボリョウタ

本展には身体的な感覚と共に、複雑な情感を生んでくれる作品も展示されています。来場者が書いた文字をアルゴリズムが分解して再構築した形をロボットが壁面に描き続ける『セミセンスレス・ドローイング・モジュールズ #2(SDM2) - レターズ』(菅野 創+やんツー)は、計算機が意味を解釈する必要なく作動し続けられることをまざまざと見せつけてくれ、私たち人間と人工知能の「知性」の働きの違いについて考えさせられます。高みに立って好きな方向に指をさすと三角錐の頭が一斉に同じほうを向き、しばらくすると反抗してバラバラな向きを見る『統治の丘』(ユークリッド【佐藤雅彦+桐山孝司】)は人間社会の流れに身を委ねるような動き方に対するクールな皮肉に溢れています。そして、光源となる小さな電車が様々な風景の「影像」を壁に映しながら進む『ロスト #13』(クワクボリョウタ)を見ていると、私たちそれぞれが過去に通り過ぎてきた無数の風景に対する懐かしさと、未だ見ぬ光景への憧憬が混然一体となったような感情が生起されます。動きとは物質的な事柄だけを指すのではなく、私たちの心もまた揺れ動きながら変化する対象であるということを改めて想わせてくれます。

この展示に込められたもう一つの大切なメッセージは、こうした動きを自分たちでつくってみることへの誘いです。文章や詩、音楽というものは、ただ読んだり聞いたりするだけではなく、同時に自分たちで書いてみることによって、より豊かな味わいを楽しめるようになります。それは何千年と続いてきた人間の表現するという営為の根底に流れる原理だといえるでしょう。

そのためにも、本展では有孔ボードの作品パネルに、各作品をつくるための道具や素材、そしてどのような原理で動いているのかということを示す解説映像、そして展示ディレクターの菱川勢一がその作品にどうして感動したのかという感想のメモ書きが貼ってあります。これはなるべくつくり手と鑑賞者との境界を取り払い、あなたもぜひつくってみてください、という招待を意味しています。

考えてみれば、現代はインターネットを通じて様々なものづくりのノウハウや方法を知ることができるし、コンピュータを使った表現を学ぶこともますます簡単になってきている、非常に面白い時代だといえます。映像でも物理的な装置でもアルゴリズムでも、手を動かしてみることですぐに覚えられて、仲間と共同しながら社会に面白い表現をぶつけることができます。「学校の図工室」という裏テーマが付された本展を体験して、未来のデザイナー、エンジニアやアーティストとなる老若男女の衝動に少しでも火が点り、家に帰った後にもその火を絶やさず、未知の動きを生み出してくれることに今からワクワクしています。

文:ドミニク・チェン(情報学研究者/IT起業家)
会場風景写真:木奥恵三

企画展「動きのカガク展」とあわせて鑑賞することでより楽しめる展覧会をご紹介します。

開催中の企画展「動きのカガク展」にて紹介されている菅野 創+やんツーの『セミセンスレス・ドローイング・モジュールズ #2(SDM2) - レターズ / SEMI-SENSELESS DRAWING MODULES #2(SDM2) - Letters』。観客や展示室内の状況を取り込みながら、会期を通じて線画の制作が進行される同作品は、2014年に札幌国際芸術祭で発表された『SEMI-SENSELESS DRAWING MODULES』を起点に3部作として発表されています。その姉妹作である2点を現在、茅ヶ崎市美術館とNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]にて鑑賞することができます。

「動きのカガク展」展示中の『#2 -Letters』が、文字データを取り込む「学習」をテーマにした装置であるのに対して、茅ヶ崎市美術館の『#1 -Replicate』は「模倣」を、ICCの『#3 -Portraits』は「偶発性」をテーマに制作。作家の菅野 創とやんツーは、この3つのテーマ「模倣」「学習」「偶発性」を、「創造」を成り立たせる要素であると考えました。人間の創造性の本質に迫る作品群は、「ひと」と「ものづくり」を考えていくための新たな観点を与えてくれるでしょう。

NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
オープン・スペース2015

2015年5月23日(土)-2016年3月6日(日)

NTTインターコミュニケーション・センターのオープン・スペースは、2006年の開始より先進的な技術を用いた芸術表現とコミュニケーション文化の可能性を社会に提示し続けてきました。菅野 創+やんツーの『セミセンスレス・ドローイング・モジュールズ #3(SDM3) - ポートレイト』をはじめ、現代のメディア環境における多様な表現のあり方を紹介する本展では、展示を楽しめるだけではなく、社会をとりまく多様化したメディアやコミュニケーションの在り方について考えるきっかけを得ることができます。

>>NTTインターコミュニケーション・センター ウェブサイト

茅ヶ崎市美術館
夏の福袋'15「正しいらくがき」展

2015年7月19日(日)-8月30日(日)

茅ヶ崎市美術館にて毎年夏に開催されている「夏の福袋」展。今年は「自分⇔他者」をテーマに新進気鋭のアーティスト、菅野 創+やんツーの2人による展覧会が開催されます。本展では、昨年開催された札幌国際芸術祭2014で注目を浴びたドローイングマシン『セミセンスレス・ドローイング・モジュールズ』が描いたドローイングを紹介。地域の小学生・高校生を美術館に招いて公開ワークショップも実施し、本展のために改良されたマシンが新しい模倣絵画を描き上げます。

>>茅ヶ崎市美術館 ウェブサイト

2015年7月18日、企画展「動きのカガク展」本展ディレクターの菱川勢一率いるドローイングアンドマニュアルと、参加作家のアトリエオモヤが登壇し、トーク「クリエイションとテクノロジー」を開催しました。

まず、ドローイングアンドマニュアルより菱川が、これまでの仕事として、NTTドコモのCM「森の木琴」や金沢城でのプロジェクションマッピングを紹介。続いて清水貴栄が、本展の「動きのカガク展 解説アニメーション」を紹介しました。清水は、学術協力の桐山孝司の監修のもと「作品の一番分かりやすい原理を、端的に選び出すのが大変だった」と述べました。さらに、林 響太朗が本展出展作品「もしもりんご」について、アニメーション作家として重要な質量や質感の表現法とともに語りました。

次に、アトリエオモヤより鈴木太朗が、自身の大学生時代に借りた母屋を「アトリエオモヤ」の語源とし、チームのメンバーと住まいを共にしながら活動してきた経緯を語りました。鈴木が、アトリエオモヤの過去の作品を紹介すると、菱川は「楽しめることをひとつのコンセプトとし、デジタルとアナログ表現の違いを作品に昇華している」と感想を述べました。そして、本展の出展作品「水玉であそぶ」について、鈴木は「現象として扱うのは難しいが、制御し作品化していくことに面白さがある」と語りました。

その後、話題はチームでものをつくることに移り、それぞれが自らのチームの特徴を紹介しました。アトリエオモヤは、「先ずいいものをつくりたい」ということを最優先事項に考えており、それぞれのプロジェクトについては、案出しの段階で役割の異なるメンバー5人全員が合意をした上で進めると語りました。ドローイングアンドマニュアルは、清水と林が「菱川と一緒に座っていたり、食事をしていたりすると、プロジェクトを割り当てられる」と語り、それぞれのチームの仕事のアサインとプロセスの違いを述べました。さらに、菱川からの「チームで仕事をする以上、揉めることはないか」という質問に対し、アトリエオモヤの赤川が「同じ空気感で制作しているので、あまり揉めることはない」と述べると、ドローイングアンドマニュアルも、「あまり揉めることはないが、つくっているものに関しては、プロジェクトに関わっていないチームのメンバーに意見を聞く」とお互いの感覚を尊重している旨を語りました。

開催中の企画展「動きのカガク展」展覧会ディレクター 菱川勢一率いるドローイングマニュアルによる展覧会紹介映像が、東京ミッドタウン館内で放映されています。
「つくることは決してブラックボックスになってはいけない」という菱川勢一のメッセージ通り、21_21 DESIGN SIGHT館内で参加作家たちが作品設置をしている様子をご覧いただけます。

また、展覧会場内では、同じくドローイングアンドマニュアルが制作した『動きのカガク展 ドキュメント映像』で、展覧会企画の制作プロセスも紹介しています。
ぜひお楽しみください。

企画展「動きのカガク展」では、身近な材料と道具でつくられたシンプルな仕組みから最先端のプログラミング技術まで、様々な力によって「動く」作品が、その機構の解説とともに紹介されています。
この連載では、本展企画協力 ドミニク・チェンがそれぞれの作品が見せる「生きている動き」に注目しながら、展覧会の楽しみ方をご提案します。

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この展覧会が生き生きとした動きに溢れているのは、映像作品『もしもりんご』(ドローイングアンドマニュアル)が見事に見せてくれるように、実写のリンゴに虚構の動きを与えることで、まるでりんごがハエのように飛んでいると感じられるし、ガラスのように木っ端微塵に割れたと感じられる、私たちの感覚のある種のいい加減さに拠っているといえるでしょう。同様に『森のゾートロープ』と『ストロボの雨をあるく』(共にパンタグラフ)は、回転スリットや絵柄のプリントされた傘を手にとって動かすことで、アニメーションという日常的の至るところで見ている表現方法が私たちの眼の解像度の限界に起因していることを身体的に再認識させてくれます。


左:『もしもりんご』ドローイングアンドマニュアル
右:『ストロボの雨をあるく』パンタグラフ

本当に生きているからそのように見えるのではなく、生きているように私たちが感じるから、そう見える。『ISSEY MIYAKE A-POC INSIDE』と『ballet rotoscope』(共に佐藤雅彦+ユーフラテス)は実際の映像と切り離された人間の動きの特徴点を抽出して、観察させてくれます。こうした動きをゲームや映画のCGでモデリングされたキャラクターに付与すれば、まるで生きている本物の人間のように感じるでしょう。


上左:『124のdcモーター、コットンボール、53×53×53センチのダンボール箱』ジモウン
上右:『ISSEY MIYAKE A-POC INSIDE』佐藤雅彦+ユーフラテス
下:『シックスティー・エイト』ニルズ・フェルカー

非生物が生物のように感じられる別の例として、まるで違う惑星の昆虫が密生する峡谷にいるかのような感覚を生んでいる『124のdcモーター、コットンボール、53×53×53センチのダンボール箱』(ジモウン)と、空気で伸縮する巨大な異生物のような『シックスティー・エイト』(ニルズ・フェルカー)、こちらの手の動きを模倣するように回転し続ける巨大な植物のような『動くとのこる。のこると動く。』(藤元翔平)を見ていると、私たちはこの世に存在しない生命の動きをも現出させることができることに気づかせてくれます。また、手元の取っ手の回転運動が目の前の球体の上下運動に変換される『プロジェクト・モーション/サイクル』(東北工業大学 クリエイティブデザイン科 鹿野研究室)も、まるで別の巨きな身体を動かしているような不思議な感覚を生み出しています。

Vol.3へつづく

文:ドミニク・チェン(情報学研究者/IT起業家)
会場風景写真:木奥恵三

企画展「動きのカガク展」とあわせて、親子で楽しめる展覧会をご紹介します。

東京都現代美術館
おとなもこどもも考える ここはだれの場所?

2015年7月18日(土)-10月12日(月・祝)

美術館へようこそ。このまっしろな空間は、わたしたちの想像の助けがあれば、どんな場所にだってなることができます。南の島の海岸。家族の居間。こどもたちの王国。わたしたちの住むまち――。今年の夏休みのこどもたちのための展覧会は、4組の作家たちが、美術館の展示室のなかに、「ここではない」場所への入口を作ります。それらは、言うなれば「社会」と「わたし」の交差点。そこに立って「ここはだれの場所?」と問いかけてみてください。答えを探すうちに、たとえば地球環境や教育、自由についてなど、わたしたちがこれからを生きるために考えるべき問題が、おのずと浮かび上がってくるはずです。
学校に行かなくていい日。美術館で、こどもたちと一緒に、わたしたちの場所をもう一度探してみませんか?

アーティスト:
ヨーガン レール
はじまるよ、びじゅつかん(おかざき乾じろ 策)
会田家(会田誠、岡田裕子、会田寅次郎)
アルフレド&イザベル・アキリザン

>>東京都現代美術館 ウェブサイト

企画展「動きのカガク展」では、身近な材料と道具でつくられたシンプルな仕組みから最先端のプログラミング技術まで、様々な力によって「動く」作品が、その機構の解説とともに紹介されています。
この連載では、本展企画協力 ドミニク・チェンがそれぞれの作品が見せる「生きている動き」に注目しながら、展覧会の楽しみ方をご提案します。


「動きのカガク展」ポスター(アートディレクション&デザイン 古平正義)

「人間は動き、変化しているものしか知覚できない」。これは生物が物理環境のなかで生存に役立てる情報を能動的に探索する仕組みを説いたアフォーダンス理論で知られる生態心理学を開拓したジェームズ・J・ギブソンの言葉ですが、これは僕たち人間がどのように世界を体験するように進化してきたかを知るための基本的な条件として理解できます。同じく、文化人類学者にしてサイバネティクス(生物と無生物に共通する生命的なプロセスの仕組みの解明を行なう学問)の研究者でもあったベイトソンによる、情報とは「差異を生む差異である」という表現を重ねあわせると、動きこそが違いを生み出す源泉であると解釈することができます。

生物の世界でも、たとえば樹の枝のような身体を持つに至った昆虫が天敵から身を守る時には動きを止めて背景と化すことを擬態といいますが、そのことによって情報を周囲に発信させない、いいかえると「生きていない」という情報を偽装しているわけです。生物としての私たちは「生きているか死んでいるか」ということにとても敏感なセンサーを持っているといえます。このセンサーを通して、私たちは「自分で動いているもの」と「別のものによって動かされているもの」を区別することもできます。このセンサーはとても優秀で、物理的な物体以外のことに対しても機能します。

「動きのカガク展」に集まったデザインからアート、産業から工学研究までに及ぶ作品の数々は、その制作方法から表現方法まで多種多様であり、安易に分類することは難しいでしょう。それでもその全てに通底する一本の軸があるとすれば、それは「生きている動き」を見せてくれる、という点が挙げられます。

考えてみると不思議です。人がつくった仕組みや動きになぜ「生きている」感覚が宿るのか。それはここで展示されている作品が何らかの方法で物理的な法則や生物の規則に「乗っかっている」からです。


上:『アトムズ』岸 遼
下左:『メトログラム3D』小井 仁(博報堂アイ・スタジオ/HACKist)
下右:『水玉であそぶ』アトリエオモヤ

水面の表面張力を指で感じられる『水玉であそぶ』(アトリエオモヤ)は水という身近な存在がアメーバのように離れたり合わさったり美しさを再発見させてくれるし、たくさんの発泡スチロールのボールを宙に浮かせる『アトムズ』(岸 遼)は100円ショップで売っているふきあげ玉のおもちゃと同じベルヌーイの定理を機械的に使って、私たちの身体を常に包囲している空気というものの動き方の不思議さを改めて見せてくれます。寝室のカーテンに差し込む夕暮れの陽光のようなシンプルだけど目を奪われる光の動きをつくる『レイヤー・オブ・エア』(沼倉真理)や様々な形の反射を見せる『リフレクション・イン・ザ・スカルプチャー』(生永麻衣+安住仁史)、布が静かに宙を舞い降りる『そして、舞う』(鈴木太朗)も日々の生活のなかで見つけることのできる光や重力の微細な美しさに気づかせてくれます。他方で、都市というマクロなスケールに視点を移せば、東京メトロの運行情報データを基に地下鉄の動きをまるで人体の血流図のように見せる『メトログラム3D』(小井 仁)から、生物のように脈打つ東京という大都市のダイナミズムをリアルに感じることができるでしょう。

Vol.2へつづく

文:ドミニク・チェン(情報学研究者/IT起業家)
会場風景写真:木奥恵三

2015年7月4日、企画展「動きのカガク展」企画協力 ドミニク・チェン、参加作家より鹿野 護(WOW)、菅野 創+やんツー、岸 遼が登壇し、トーク「クリエイションとテクノロジー」を開催しました。

まず、ドミニク・チェンが、展覧会ディレクター 菱川勢一が本展企画初期から繰り返し強調してきた「つくることをブラックボックスにせず、オープンにしたい」というメッセージを紹介すると、3組の作家がそれぞれ、本展展示作品に至るまでの制作過程や自身のクリエイションをその裏側まで語りました。

自身にとって、クリエイションとは人がそのものに興味をもつきっかけとなるような「違和感のある現象」をつくり出すことであり、テクノロジーはそれを実現するための手段であると岸。
続く鹿野は、普段の自身の活動とは違いデジタル・テクノロジーに頼らない素朴な機構による本展展示作品に、東北工業大学の有志の学生と取り組んだ記録を紹介。
菅野 創+やんツーは、無作為に線を描く「SENSELESS DRAWING BOT」に始まり、展示環境や鑑賞者の手書き文字を再構成して線を描く本展展示作品「SEMI-SENSELESS DRAWING MODULES」にたどり着くまでを紹介しました。

会はフリートークに移り、作品と鑑賞者の関係性について菅野 創+やんツーが、反応や展開が予測できる作品ではなく偶然性を重視した作品を制作したいと述べると、岸も、鑑賞者の反応を期待してつくりはじめる自身の方法を更新してみたいと同意しました。鹿野は、モーション・グラフィックの表現において動きを自然に見せるために加えられる様々な工夫が、実際に物体が動くときには、その環境や偶発する要素の中に元々備わっていることに改めて気づいたと語りました。

来場者からの質疑応答では、3組の作家へクリエイションへの初期衝動を問われると、菅野 創+やんツーは、現在取り組んでいる人工知能にクリエイションを実装する試みとしての三部作を紹介。本展展示作品がその第二部であることを説明しました。続いて鹿野は、日常に潜んでいる不思議な現象を自身を含めた人間がどのように認識するのかということに興味があると語りました。岸は、効率化、画一化された「常識的なもの」を疑う自身の視点を述べると、それらを問い直してつくり直すことが自身の衝動であると答えました。

最後に、会場を訪れトークの様子を見守っていた菱川勢一が、登壇者を含めた本展参加作家はいずれも、身近なことに疑問を抱き追求し続ける勇敢な人々であると述べ、日常と地続きにあるその勇敢さを、ぜひ来場者にも持ってもらえればと締めくくりました。

2015年6月20日、本展ディレクターの菱川勢一、学術協力の桐山孝司、参加作家ニルズ・フェルカーによる「オープニング ギャラリーツアー」を開催しました。

ツアー冒頭、菱川より、子どもたちの図工や音楽の授業時間が、近年減ってきており、彼らにデザインやアートを楽しむ機会を設けることができないかという想いが、展覧会のテーマに繋がっていると語られた本展。静謐な美術空間と異なり、音が所々で鳴っていたり、作品に手を触れることができたり、ものづくりの手の内を明かしたりと、来場者の好奇心をくすぐるポイントが多く用意されていると、菱川は続きました。

その後、本展のために来日した作家のニルズが、自身の作品の前で、展覧会に参加するに至った経緯と、自らの来歴について語りました。菱川は、展覧会構想中、参加作家の第一候補としてニルズの名前を挙げており、「オファーが難しいと思っていたが、すぐに3DのCADデータでモデリングをしてくれた」こと、施設の状況に応じ、作品内容を詳細なスケッチとともにニルズ自身が詰めていったことは、絶妙なコンビネーションで多様な作品をつくっているように感じたと述べました。

続いて、菱川と桐山を中心としたギャラリーツアーと移り、会場内の各作品の特徴を菱川が伝え、その作品に合わせて展示をしている「動きのカガク展 解説アニメーション」における、動きの仕組みや原理を桐山が紹介するかたちで進行しました。ツアーは、菱川と桐山による作品紹介を通して、ものが動き出すときの感動に触れるとともに、その仕組みや成り立ちを理解することで、ものづくりの楽しさを体感できる内容となりました。

いよいよ開幕となった企画展「動きのカガク展」。会場の様子をお届けします。

表現に「動き」をもたらしたモーション・デザイン。その技術は、プロダクトをはじめグラフィックや映像における躍動的な描写を可能にし、感性に訴えるより豊かな表現をつくりだしています。
「動き」がもたらす表現力に触れ、観察し、その構造を理解し体験することで、ものづくりの楽しさを感じ、科学技術の発展とデザインの関係を改めて考える展覧会です。

また、本展では「単位展」に引き続き、会場1階スペースを21_21 DESIGN SIGHT SHOPとして無料開放。「動きのカガク展」参加作家や展覧会テーマにまつわるグッズのほか、過去の展覧会カタログや関連書籍など、アーカイブグッズも取りそろえています。展覧会とあわせて、ぜひお楽しみください。

Photo: 木奥恵三

2015年6月19日より開催となる企画展「動きのカガク展」は、「動き」がもたらす表現力に触れ、観察し、その構造を理解し体験することで、ものづくりの楽しさを感じ、科学技術の発展とデザインの関係を改めて考える展覧会です。
本展ディレクターを務めるクリエイティブディレクター 菱川勢一が展覧会に込めた思いを、本展企画協力のドミニク・チェンによるインタビューを通じて紹介します。


「動きのカガク展」ドキュメント映像より(制作:ドローイングアンドマニュアル)

― つくった結果だけではなく、つくる過程までをもオープンにするという考え方はここ10年ほどでインターネットにおけるコンテンツやソフトウェアなどの仕組みやルールがオープン化してきた動きとも呼応していると感じられて、とても興味深いです。そのような開かれた姿勢はアーティストやデザイナーにとってどのような意味を持つと思われますか?

近頃は様々な場面で人とつながることが重要になってきています。そのためにはもっとオープンになって、失敗を恐れたり完璧であろうとはせずに、時にはもっと無責任な話をしてもいい。そして自分がやっていることを無理に社会と繋げなくてもいいと思います。社会的な拠り所のある表現は正論かもしれないけれど、ただそれだけという場合もあるからです。
本当は、アーティストだけではなくて、デザイナーの仕事というものも単価計算できないものだと思うんです。つまり、デザインの仕事にしても本来は、目標と時間単価を決めて粛々と作業する類いの仕事ではなく、何回も試行錯誤や実験を重ねながら、ブレークスルーを発見するまで、時に考え抜いたり、時に遊んだりする創造性が必要となる。その時、一番重要となってくるのはつくり手の説明不可能な情熱や衝動の部分です。21_21の展覧会がこうした想いのオープンな発信源になってほしい。完璧なデザイン論を見せて圧倒する場というよりは、もっと気軽に遊んでいる姿を見せられる空間にしたいですね。


「動きのカガク展」ドキュメント映像より(制作:ドローイングアンドマニュアル)

― プロの作家たちの生の創造性を見ることを通して、子どもや学生がものをつくることに触れることが大事ですね。彼ら彼女たちが成長して、世界とつながりながらものづくりをする姿を想像するとワクワクしてきます。義務教育の現場では図工の授業時間が減少していると聞いていますが、個人的には英語よりも図工の時間を増やした方がグローバルな表現が可能になると考えています。菱川さんはどのような子ども時代をお過ごしでしたか?

僕は父親が町工場を営んでいて、小さいころから工場に転がっている素材を拾って好きなものをつくっていました。周りの大人に手伝ってもらいながら、台車を自分でつくったことを今でも覚えていますが、いま思うと子どもながらにも結構危ない作業をやってましたね(笑)

― それはすごく恵まれた環境でしたね(笑)その幼少期の体験から、現在のクリエイションに活かされていることはなんでしょうか?

図工の大事さとは、まずつくってみたくなることであり、そしてやってみてわかることだと思うんです。そして、何かモノとして出来上がるものだけがデザインの対象ではなく、仕組みやプロセスだってデザインの対象にできる。そこからデザインはテクノロジーやエンジニアリングとつながっていきます。
今日、なにかつくろうと思った時には、たいていの知識や情報はインターネットで検索すればすぐに見つけることができます。でもつくり手の感覚的なものを引き出すには自分自身や他者との対話が必要です。役に立つ/役に立たないという二項対立の思考法では本当に面白いものというのは決して出てこない。
たとえば僕が教えている大学の講義で「知覚方法論」という課目がありますが、その中で「ただのCGの球体にライティングを当てて、いかにエロティックに仕上げるか」という課題を一学期の間、学生に与えたことがあります。最初はピンク色とかスポットライトとか安直でステレオタイプな表現が出てくるんですが、次第にみんな悶々と考えながら、もっときめ細かいテクスチャーや構図の工夫が生まれてきました。こういう時も学生にどうすればいいですかと聞かれても客観的な答えはありません。自問自答して、テーマと対話しながら、面白い表現が生まれていきます。
こういう対話的なプロセスから生まれた表現が世の中を豊かにしていくんだと思います。だから今回の展覧会に込めた未来に向けたビジョンとしては、多種多様な衝動や情熱を持つ人たちがもっと現れて、クリエイティブな領域が社会の中で確固とした産業として立ち上がっていく様子を見たいですね。

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インタビュアー:ドミニク・チェン

2015年5月5日、「単位展」関連イベント「1 Meter Party」を開催しました。
こどもの日であるこの日、本展展示作品「1 Meter Party」の作家 ヘルムート・スミッツが来日し、身長1メートルの子どもたちを迎えてパーティーを開きました。

子どもたちは、この日のために特別に設置された1 Meter Gateを通り抜けてパーティーへ入場します。

会場では、まずヘルムート・スミッツが子どもたちに挨拶しました。
その後、子どもたちは会場に用意された色とりどりの紙や風船、木のブロックを使って、上原かなえ(サルビア工房)とともに様々な1メートルのものをつくりはじめました。
当日は晴天に恵まれ、21_21 DESIGN SIGHTの中庭に出てブロックを1メートルまで積み上げたり、本展参加作家の熊野 亘と一緒に1メートルの風船で遊んだりしました。
最後は、自分でつくった1メートルのガーランドやブロックと一緒に記念撮影した写真を、長さ1メートルの台紙に貼ってアルバムをつくりました。年齢ではなく、身長の節目を祝う「1 Meter Party」の思い出として、それぞれのアルバムを持ち帰り、イベントは終了となりました。

Photo: Gottingham

2015年6月19日より開催となる企画展「動きのカガク展」は、「動き」がもたらす表現力に触れ、観察し、その構造を理解し体験することで、ものづくりの楽しさを感じ、科学技術の発展とデザインの関係を改めて考える展覧会です。
本展ディレクターを務めるクリエイティブディレクター 菱川勢一が展覧会に込めた思いを、本展企画協力のドミニク・チェンによるインタビューを通じて紹介します。


「動きのカガク展」ドキュメント映像より(制作:ドローイングアンドマニュアル)

― 今回の展示を企画された動機について色々と伺っていきたいと思います。この展示ではデザイナーとアーティストの双方がフィーチャーされていますが、この点について意識されていることはありましたか?

デザインとアートを分ける必要はないと思っています。一般的にデザイナーは社会やビジネスとつながっていて、アーティストは自分の感覚で勝負しているとされていますが、その二つはすでに混ざり合っています。例えばブランドデザインなどでは、アートはビジネスの世界にすでに取り込まれている。一方で、デザインの世界は凝り固まっていると感じます。社会性や様々なルールに縛られている、というか。昨今のデザイナーはもっと自由に振舞ってもいいのではないかと思います。
先日「子供達は将来何になりたいか?」という未来の職業人気ランキングをインターネットで見ましたが、デザイナーやアーティストといった職業は30位にも入っていません。本来はスポーツ選手や医者などと並ぶメジャーな職業になってもいいはずです。
私がこの展覧会に込めたのは、シンプルにものをつくる面白さを感じて欲しい、という思いです。アーティストだけどデザインの仕事をしていたり、産業の世界にリーチすることを意識しているアーティストがいたりと、分類不能な人が増えた一方、他方で肩書きに縛られて活動している人たちも多いと感じます。この展覧会に来る人たちにはもっと自由な感覚を掴んで欲しいと思います。

― なるほど。既存の枠組みや分類に縛られずに、とりあえず手を動かしたくなるという衝動を生み出すことがこの展示の目的だと言えるでしょうか。

そうですね。それは何と呼ぶのかわからない、簡単に掴めそうもない感覚です。けれど直感的に面白いと思えるものは、ものをつくる過程の中に確かにあります。特に次世代を担う人たちである学生や子供たちに展覧会を体験してもらって、そのことを感覚的に掴んでもらえればひとつのムーブメントにつながると考えています。だから来場者には展示されている作品を「参考作品」として観てもらいたい。参加している企業にもいろいろと秘密はあるかもしれませんが、そこもオープンにしてもらえたら嬉しいですね(笑)。イメージとしては先輩たちの作品が置いてある学校の図工室みたいな。だから展示だけでなくトークイベント、ワークショップやギャラリーツアーなどを通して「つくる」空気を伝えたいですね。


NTTドコモ WebAD "森の木琴" / NTT DoCoMo "XYLOPHONE"

― 今回は作品を展示するだけでなく、それぞれの制作プロセスや原理の解説を試みていますが、そこにはどういう思いがありますか?

僕も受賞したことのあるカンヌ国際広告祭の「フィルム・クラフト」部門は審査員が全員クリエイターなんです。その部門の受賞作品にアレックス・ローマンの『Third and the Seventh』という非常に面白い映像作品があります。
この映像はGoogle Sketch Up(注:誰でも無償でダウンロードして利用できる3Dモデリングツール)のオープンライブラリから他人がつくったモデルをダウンロードしてきて、それをカスタマイズしてつくった全編フルCG映像なんです。そして自らの編集過程、つまりどうやってつくったかというプロセスを動画にして公開している。
つまりこの作品はオープンにシェアされたものを使って、自分自身の作業もオープンにシェアしながつくられたものです。僕はこれは素晴らしいことだと思いました。
ここには一人で全てつくるのではなくインターネットを通してつながっているみんながひとつのチームだという認識があります。知識やコンテンツは世界中に溢れているけれど、本当に大事なのはそういった素材をいかに料理するか、ということだと思います。つくることは決してブラックボックスになってはいけない。この点は子どもたちだけでなく、展覧会に来る全ての人に伝えたいですね。

後編へつづく

インタビュアー:ドミニク・チェン

私たちが大切に守っていくべき日本の美しさとは何かを考え、日本文化の素晴らしさ、尊さを伝える『和樂』7月号の特別対談。
21_21 DESIGN SIGHTを設計した建築家の安藤忠雄と、ディレクターのひとりである三宅一生が「デザインからひもとく日常の美、日本の美」をテーマに対談を行ないました。日本の美意識や創造力から生まれたデザインを、次の世代につなげていくための試みとしての21_21 DESIGN SIGHTでの活動から、日本初のデザイン・ミュージアム設立への想いを語っています。
ここでは、10ページにわたる特集の一部を紹介します。

いよいよ明日開幕となる「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」。
会場の様子を、いちはやくお届けします。

単位で遊ぶと世界は楽しくなる。単位を知るとデザインはもっと面白くなる。
単位というフィルターを通して、私たちが普段何気なく過ごしている日常の見方を変え、新たな気づきと創造性をもたらす展覧会です。

また、会場1階スペースを、単位にまつわるショップとして無料開放します。展覧会とあわせて、ぜひお楽しみください。

写真:木奥恵三

2015年1月17日、「活動のデザイン展」参加作家、ホンマタカシとマイク・エーブルソンに、グラフィックデザイナーの長嶋りかこを加え、トーク「『視点の転換』のたのしさ」を開催しました。

はじめに各々が自らの活動について紹介しました。
ホンマの本展展示作品「カメラ・オブスキュラ・スタディ ― 青山→六本木、建築で建築を撮る」は、自身が近年続けている「カメラ・オブスキュラ」に対するリサーチの一環でもあります。部屋全体をカメラ化し、そこから覗く風景に映る偶然性をも作品化します。出展作品を含め、その制作プロセスを語りました。

続いて、マイクは人間の手が身体と道具を一体化にさせることについて、テニスラケットを例に挙げつつ、本展展示作品「考える手」は道具と身体の可能性をはかるリサーチが基になっていると述べました。また、日常の視点を変えてみることに対し、車輪の跡から着想を得たノートの制作について語りました。
長嶋は、近年の服づくりを紹介し、ひとから与えられたものを着るのではなく、着る側が様々な解釈をもてるような服を、従来の既製品のサイクルでなく、ひとの気分のサイクルにのれるような服づくりを心がけていると述べました。

後半は、3人が互いに質疑応答する形式となり、ホンマは「リサーチを進めていくうちに自然と表現となる」と話すと、一方で長嶋は「ものが生まれる理由の必然性があるものが良いデザインである」と述べ、主観から離れてものの本質に向き合うこと、さらにはその中で生じる偶発的な出来事も取り込むことが「視点の転換」に繋がるのではないかと示唆に富んだ内容となりました。

現在開催中の企画展「活動のデザイン展」が、イタリアのウェブサイトdomus、日本のウェブサイトJDNに紹介されました。

>>domus "The Fab Mind"

>>JDN 「World Report / 21_21 DESIGN SIGHT 企画展『活動のデザイン展』」

現在開催中の企画展「活動のデザイン展」。本展ディレクターや多彩なプロジェクトを展開する参加作家から、本展へ寄せられたメッセージを通じて、展覧会やそれぞれの活動により深く触れてみてください。

(企画展「活動のデザイン展」会場内作品解説パネルより)
写真の原理そのものに興味を持つ写真家のホンマタカシは、カメラを通して視線の転移や逆転が生み出すコンテクスト(文脈)を作品化します。
撮影の仕組みも見てとれるこの作品は、青山地区のホテルの一室をまるごと露光装置として使い、窓を黒紙で覆いつくし、写真技術の原型であるカメラ・オブスキュラ(「暗い部屋」の意味)にして、六本木方面を撮影したもの。
アナログな制約の多い手法で数日間、天候や外光に左右されながら撮影された写真には、カメラの延長線上としての身体的体験や、技術ではコントロールしきれない感覚的なトーンのおもしろさが現れます。スマートフォンの普及により、私たちの日常には、便利で簡単に撮影できる進化したカメラや小型化された映像デバイスで溢れていますが、ホンマは建築物をカメラ化するという方法で、街中すべてがカメラになりうるという逆説的な仮説をたてて、革新する技術とは対極的で原初的な手軽さや、写真のたのしさを伝えています。

ホンマタカシ Takashi Homma:
写真家。1962年東京生まれ。2011年から2012年にかけて、自身初の美術館での個展「ニュー・ドキュメンタリー」を日本国内3ヵ所の美術館で開催。写真集多数。著書に『たのしい写真 よい子のための写真教室』。2014年1月に続編の『たのしい写真 3 ワークショップ篇』を刊行。現在、東京造形大学大学院 客員教授。

>>「『活動のデザイン展』へのメッセージ」一覧を見る

2014年12月6日、「天文学とデザイン――『星の旋律』を聞くプロジェクト」を開催しました。

はじめに、国立天文台チリ観測所の平松正顕がアルマ望遠鏡について解説。光ではなく、目に見えない電波を通して宇宙や星のデータを観測するアルマ望遠鏡は、世界22ヶ国の国際協力プロジェクトとして、南米チリの標高5000mの場所に設置されています。

続いて、ともに宇宙好きというPARTYの川村真司とQosmoの澤井妙治が、データを生かし、人の五感や感情に訴える作品づくりについて語りました。川村は、円形に靄がかかったデータを忠実にオルゴールのかたちに落とし込むという考え方、澤井は、感情がわきあがるような余白のある音の制作について紹介しました。二人は、オルゴールを解体して構造を学んだことや、回転スピードのシュミレーションを重ねたこと、そしてアクリルのディスクをレーザーカッターで手づくりしたプロセスについて説明しました。

今回の作品のモチーフとなったのは、「ちょうこくしつ座R星」。天文学者の役割とは宇宙や星の物語を描ききることだと語る平松に、川村と澤井は、ぜひオルゴールをアルマ望遠鏡のあるチリに持っていきたいと応じました。

2014年11月29日、織咲 誠と谷尻 誠によるトーク「線の引き方で世界はどう変わる?!」を開催しました。

社会とのデザインの関係を線のあり方で考察する「ライン・ワークス ― 線の引き方次第で、世界が変わる」を出展する織咲。お金をかけず、ものを使わないで機能を変えていく試みとして、自らリサーチを行う彼は、アフガニスタンでの石の上に引いた線で地雷を認識させる地雷標石など、いくつかの例を語り、線による関係性、様々な関係性を見つけていくのがデザインであると述べました。そこに谷尻は、ほとんどのものがつくり手の都合で徐々に効率的になっていったが、それに属さないものとの関わりによって、ものをつくっていくことがこれからのデザインではないかと続き、織咲の活動の意義に触れました。
その後社会一般に話は及び、谷尻は、一見して便利な世の中であるため疑うことがないが、機能性だけに捉われず、ある種ムダなものをも交えた関係性や人々の能動性を促す不便さも必要であると語りました。出展作品に対し、「自分の頭で考えて欲しい」とあえてその多くを語らなかった織咲しかり、世の中の仕組みを各々が俯瞰し、世界をどう見据えるかが、それぞれの立場で語られる内容となりました。

東京・青山のカナダ大使館 E・H・ノーマン図書館では、企画展「活動のデザイン展」に合わせ、本展に出展しているバンクーバーを拠点に活躍する小説家・美術家・デザイナーのダグラス・クープランドのミニ・コーナーが設置されています。
図書館はどなたでも無料でご利用いただけます。ぜひお立ち寄りください。
>>カナダ大使館 E・H・ノーマン図書館ウェブサイト


カナダ大使館 E・H・ノーマン図書館 ダグラス・クープランド ミニ・コーナー

企画展「活動のデザイン展」会場風景/撮影:吉村昌也

2014年11月8日、takram design engineeringの田川欣哉と渡邉康太郎、Kaz米田、牛込陽介によるトーク「未来をクリティカルに問う活動」を開催しました。

ロンドンを拠点にデザイナーとテクノロジストとして活動する牛込は、自身が発表してきた作品がメディアアートの枠組みで評価されることに疑問を持ち、テクノロジーの視点から生活や社会に影響を与えたいとクリティカルデザインを学びました。今回の展示作品「ドローンの巣」と「シェアの達人」をはじめ空想と思索から生まれる世界観そのものをデザインして提示する作品について解説しながら、思い込みを覆し、外の世界に一歩踏み出すアプローチの大切さを語りました。

takram design engineeringの渡邉は、これまでの作品を振り返りながら、思考の枠組みの持ち方の重要性について語りました。Kaz米田は、100年後の荒廃した世界における人間と水との関係を問い直すことから生まれた展示作品「Shenu:百年後の水筒」について、田川は、乾燥地帯に生息する動物の臓器の仕組みの研究から生まれた人工臓器について語りました。

問題解決以前の問題発見に重点を置き、社会と人間の関係を問い続けることでイノベーションの種を見つける、そんな新しい時代のデザインの態度について語り合うトークとなりました。

2014年11月1日、イーヴォ・ファン・デン・バール(ヴァンスファッペン)とマスード・ハッサーニによるトーク「オランダのデザイン ― デザインと社会の広がる関係」を開催しました。

ニコル・ドリエッセンとヴァンスファッペンを設立したファン・デン・バールは、ロッテルダム南部の病院を改装したスタジオを拠点にさまざまな作品制作に取り組む一方、160ヶ国からの移民を抱えるシャロワー地区の住民たちとともに、地域密着型のプロジェクト「DNA シャロワー」を展開しています。

プロジェクトの第1弾となったのが、本展のポスター写真にもなった「ロースさんのセーター」。デザイナーのクリスティン・メンデルツマとロッテルダム市立美術館との恊働で、誰も袖を通すことのなかった560枚に及ぶロースさんのセーターは、本と映像を通して、世界中の人々に知られるようになりました。

アフガニスタン出身のマスード・ハッサーニは、子どもの頃に暮らしたカブール郊外での体験からトークをスタート。諸外国が残して行った地雷に囲まれたもと軍用地の校庭では、脚を失った子どもにも出会ったと言います。子どもの頃に自らつくって遊んだというおもちゃを発想源にした地雷撤去装置について、その開発と実験、検証のプロセスを交えて語りました。

ハッサーニの作品は、ニューヨーク近代美術館に注目されたことから、各国のメディアで取り上げられるようになりました。地雷が無くなれば、豊富な地下資源を利用して、世界で最も豊かな国のひとつになるというアフガニスタン。ハッサーニは、さまざまな活動を通して、プロジェクトへの理解と支援を訴えています。

日常の中の小さな気づきがデザインを生み、ひとつひとつの丁寧な積み重ねで地域や社会の問題解決の糸口が見つかる、そんなヒントに満ちたトークとなりました。

いよいよ開幕を明日に控えた「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた会場の様子を、いちはやくお届けします。

展覧会ディレクターの川上典李子と横山いくこによるギャラリーツアーを開催します。参加作家の特別参加も予定。ぜひご来場ください!

展覧会ディレクターによるギャラリーツアー

日時:11月1日(土)・2日(日)16:00-17:00、3日(月祝)14:00-15:00
場所:21_21 DESIGN SIGHT
>>詳細はこちら

撮影:吉村昌也

2014年10月24日より開催される「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた本展から、展示作品の一部をご紹介します。


マスード・ハッサーニ 「マイン・カフォン」

「マイン・カフォン」

マスード・ハッサーニ

アフガニスタン出身で、現在はオランダに拠点を置く作家の、幼少時代の体験をもとにつくられた地雷撤去装置。発想の源になったペーパー・トイや、制作背景の映像も展示します。


マスード・ハッサーニ 「マイン・カフォン」

マスード・ハッサーニ「マイン・カフォン」(Photo: Rene van der Hulst)

マスード・ハッサーニ Massoud Hassani:
1983年にアフガニスタンで生まれ1998年にオランダに移住。9歳の頃に溶接技術を学び、自動車整備工として働いた経験を持つ。オランダに移住後、「プロダクトデザイナー」という職業を知り、アイントホーフェン・デザイン・アカデミーに入学。新しいライフスタイルと文化的習慣を身につけた彼は2つの文化の懸け橋となるものを模索することに研究の重点を置いた。2011年に卒業し、現在はアイントホーフェンにある自身のスタジオで、兄のマフムード・ハッサーニ(Mahmud Hassani)と仕事をしている。
http://massoudhassani.blogspot.jp

マスード・ハッサーニがトークに出演します。

「イーヴォ・ファン・デン・バールとマスード・ハッサーニによるトーク」

日時:11月1日(土)14:00-15:30
場所:21_21 DESIGN SIGHT
>>詳細はこちら

>>「活動のデザイン展」展示作品紹介一覧を見る

2014年10月24日より開催される「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた本展から、展示作品の一部をご紹介します。


Humans Since 1982「ア・ミリオン・タイムズ」(Photo: Tim Meier)

「ア・ミリオン・タイムズ」

Humans Since 1982

384個の時計が並んだ作品。プログラミングされた針は、規則的な動きの中から言葉や数字を紡ぎだします。

Humans Since 1982(ヒューマンズ シンス 1982):
1982年スウェーデン生まれのペール・エマニュエルソン(Per Emanuelsson)とドイツ生まれのバスティアン・ビショッフ(Bastian Bischoff)が、2008年、ヨーテボリ大学デザイン工芸学部(HDK)の修士課程在学中にスタジオを設立。2010年より活動拠点をストックホルムに置く。クライアントにはアートコレクターの他、スイスの国際時計博物館、ゴールドマン・サックス、フェンディ、ナイキなど。作品はロンドン、ニューヨーク、パリ、ミラノ、ブリュッセル、ストックホルム、ソウル、ニューデリー、北京などの美術館やギャラリー等で展示されている。
http://www.humanssince1982.com

Humans Since 1982がトークに出演します。

オープニング・デザイナー・リレートーク「活動のデザイン」

日時:10月25日(土)14:00-16:00
場所:21_21 DESIGN SIGHT
>>詳細はこちら


大西麻貴+百田有希/o + h「望遠鏡 のおばけ」

「望遠鏡のおばけ」

大西麻貴+百田有希/o + h

望遠鏡を使った、視点を変える装置。新たな発見と驚きを与える作品です。

大西麻貴+百田有希/o + h:
大西麻貴は1983年生まれ。2006年京都大学建築学科卒業。2008年東京大学大学院修士課程修了。百田有希は1982年生まれ。2006年京都大学建築学科卒業。2008年同大学大学院修士課程修了。2008年より、大西麻貴+百田有希/o + hを共同主宰。建築設計を中心に、インスタレーションやまちづくりまで様々な活動に取り組む。主な作品に「二重螺旋の家」(2011年)、「さとうみステーション」(2013年)等。SDレビュー2007鹿島賞、2012年新建築賞等受賞多数。
http://onishihyakuda.jp

大西麻貴+百田有希/o + hの「視点を変えるイス」が、東京ミッドタウンの芝生広場に登場します。

デザインタッチ2014「スワリの森」

日時:2014年10月17日(金)- 11月3日(月祝)11:00-18:00 ※雨天中止
場所:ミッドタウン・ガーデン 芝生広場
>>詳細はこちら


織咲 誠「Line Works - 線の引き方次第で、世界が変わる」

「Line Works - 線の引き方次第で、世界が変わる」

織咲 誠

「線の引き方」に着目して継続されているリサーチを、約40事例紹介します。

織咲 誠 Makoto Orisaki:
インターデザインアーティスト。「自然力を取り込む知恵」の思索を行い、「物質量やコストに頼らない」利を得るクリエイティブの提唱と実践をしている。思想の形は世界で特許登録され、製品として世に出つつある。展覧会に「瀬戸内国際芸術祭 2013」(小豆島)、2007年「ニュービジョン・埼玉 III──7つの目 × 7つの作法」展(埼玉県立近代美術館)、2005年「BRAUN展」、2004年「FILING展」、1998年「Hole Works」個展(英国ハビタ)など。2002年「ファイル展」企画・構成およびディレクション、2012年「DESIGNTIDE TOKYO 2012」会場構成・制作。「URBANART#1」 大賞および審査員賞、「第14回桑沢賞」等受賞。


織咲 誠がトークに出演します。

「織咲 誠と谷尻 誠によるトーク」

日時:11月29日(土)14:00-15:30
場所:21_21 DESIGN SIGHT

>>「活動のデザイン展」展示作品紹介一覧を見る

2014年10月24日より開催される「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた本展から、展示作品の一部をご紹介します。


アルヴァロ・カタラン・デ・オコン 「ペット・ランプ」(Photo: Studio Alvaro Catalán de Ocón)

「ペット・ランプ」

アルヴァロ・カタラン・デ・オコン

廃棄されたペットボトルを用い、コロンビアとチリの伝統的な素材と手法で編み上げられたランプシェード。制作の手法は日本の茶筅から発想を得ています。


アルヴァロ・カタラン・デ・オコン 「ペット・ランプ」(Photo: Studio Alvaro Catalán de Ocón)

アルヴァロ・カタラン・デ・オコン 「ペット・ランプ」(Photo: Studio Alvaro Catalán de Ocón)

アルヴァロ・カタラン・デ・オコン Alvaro Catalán de Ocón:
1975年、スペイン マドリード生まれ。マドリードで経営学を修めた後、ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーティンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン(プロダクト・デザイン)を卒業。2004年に自身のスタジオをバルセロナに設立、現在はマドリードを拠点とする。彼の作品は近年、ミラノのロッサーナ・オルランディ・ギャラリーで紹介されているほか、世界中で数多く展示されている。ロンドン・デザイン・ミュージアムの「ベスト・プロダクツ・オブ・ザ・イヤー」展(2014年)、CODESPA賞(2013年)、DELTA賞(2004年)、AD賞(2014年)の最優秀新進スタジオ賞など受賞歴多数。
http://catalandeocon.com/ http://www.petlamp.org

アルヴァロ・カタラン・デ・オコンがトークに出演します。

オープニング・デザイナー・リレートーク「活動のデザイン」

日時:10月25日(土)14:00-16:00
場所:21_21 DESIGN SIGHT
>>詳細はこちら

東京ミッドタウンのデザインタッチ・カンファレンスにも出演します。

21_21 DESIGN SIGHT特別講義「PET Lampに見る"活動のデザイン"」

日時:10月26日(日)15:30-17:00
場所:東京ミッドタウン・カンファレンス(ミッドタウン・タワー4F)
>>詳細はこちら

>>「活動のデザイン展」展示作品紹介一覧を見る

2014年10月24日より開催される「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた本展から、展示作品の一部をご紹介します。

「ロースさんのセーター」

DNA Charlois(ディーエヌエー シャロアー)&クリスティン・メンデルツマ/Wandschappen(ヴァンスファッペン)

展覧会ポスターのビジュアルにもなっている、「ロースさんのセーター」。
一人のオランダ人女性によって編み続けられた500枚以上のセーターのうち、60枚を展示します。また、これまでの全セーターを記録したクリスティン・メンデルツマデザインの本とあわせて販売し、プロジェクトの映像も紹介します。


DNA Charlois &クリスティン・メンデルツマ/Wandschappen「ロースさんのセーター」(Photo: Joop Reijngoud)

DNA Charlois &クリスティン・メンデルツマ/Wandschappen「ロースさんのセーター」(Photo: Joop Reijngoud)

DNA Charlois(ディーエヌエー シャロアー)/ Wandschappen(ヴァンスファッペン):
ニコル・ドリエッセン(Nicole Driessens)とイーヴォ・ファン・デン・バール(Ivo van den Baar)は、ビジュアルアーティストで、1999年にアートとデザインの制作会社 Wandschappenを設立。以来、多岐にわたるアート作品、デザイン製品、そして地元ロッテルダム市シャロワーに密着したプロジェクトを手掛けている。そのほか、マルセル・ワンダース、クリスティン・メンデルツマ、ヘラ・ヨンゲリウスといったデザイナーのために、プロトタイプの開発や制作を行っている。
www.wandschappen.nl www.dnacharlois.nl

クリスティン・メンデルツマ Christien Meindertsma:
メンデルツマはデザイナーとして製品と原材料の生涯を追い続ける。最初の本『Checked Baggage』(2004年)に続き、受賞 2作目の本『PIG 05049』(2007年)は、「05049」と呼ばれる名もないブタの様々な部分を原料に驚くほど多くの製品ができることを写真で一挙に集めたものだ。彼女の作品はこれまでに、ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(ロンドン)、クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館(ニューヨーク)で展示された。アイントホーフェン・デザイン・アカデミーを2003年に卒業。
http://www.christienmeindertsma.com

Wandschappenのイーヴォ・ファン・デン・バールがトークに出演します。

「イーヴォ・ファン・デン・バールとマスード・ハッサーニによるトーク」

日時:11月1日(土)14:00-15:30
場所:21_21 DESIGN SIGHT
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日本のファッション、美術と工芸を研究し、技術を習得したことが、舘鼻則孝の表現の礎をなしている。一方、フォトグラファーハルは、「東京に住んでいる自分だからこそ表現できることを見つけ、世界に発信していきたい」と創作のモチベーションについて語る。2人は『イメージメーカー展』から何を感じ、今後の展開へとつなげていくのだろうか? 2人の対談を取材した。

──お2人の作品が並ぶこの展示室を見たときの印象を教えてください。

ハル:世界を舞台にして、日本人としてどういう表現をしていくか、と考えて作品を制作している点が共通していると感じました。それと、身体表現ですね。私はカップルの身体を使って画面をつくっていますし、舘鼻さんも、下駄や靴の制作を通じて女性の姿をつくり出しているわけですから。

舘鼻:やはり日本人の表現ということが共通していますよね。ハルさんの作品からは日本のサブカルチャーが見えてくるといわれますが、私の表現もサブカルチャーに変わりありません。海外の文化が日本に入ってきて、それが昇華されて日本の文化として成り立っているということは、要するに伝統的な日本文化からしたらサブカルチャーと呼べますよね。

ハル:私はよく、アングラなカルチャーの世界で活動をしている作家だととらえられていることが多いですけど、今回の展示みたいに、キャリアも長く第一線で活躍されてきた方々と一緒に展示されたのは、自分としても貴重な経験でした。とはいうものの、人の身体や顔が写った写真を切り貼りするグードさんの手法なんかは、世界中にインパクトを与えてグードさんの表現として認識されていますけど、今広告などで使われたら、危険な表現だと受け取られないとも限りませんよね。だから、私の真空パックの作品も「よい子はマネしないでください」といわれるような表現ですが(笑)、エレーヌさんが抵抗なくラインナップしてくれたのかもしれません。

舘鼻:グードさんと会ったときには「キッズ」って呼ばれたんですよ。私は29歳だから、彼からしたら若造ということですよね(笑)。でも、そういうグードさんが回顧展のような形式で過去の作品から新作までを展示していて、その一方で、私やハルさんみたいな、グードさんにとっての「キッズ」の作品が一緒に展示されている。出展作家が少ないグループ展で、こういう年齢やタイプの違う作家が集まるケースはすごく珍しいし、ひとりひとりが違うタイムラインを持っていて、それぞれのストーリーが表現されている今回の企画はとてもおもしろいと思いましたね。展覧会ディレクターの手腕がすごいと純粋に感じました。

──作家のキャリアも表現するメディアも異なりながら、それぞれの表現に共通点が見えるのが『イメージメーカー展』のおもしろさのひとつだと感じました。

ハル:最近、広告の仕事として動画制作をする機会が増えてきているのですが、作品でも動画に挑戦したいと考えているんですね。パッと見て認識できるのが写真の大きな特徴のひとつで、映像はというと、見るためにある程度の積極性が要求されますよね。展覧会では、立ち止まってある程度時間をかける必要があるし、家で見るとしたら、再生しないと見られない。その違いは、表現としての特性の違いにも表れていると思うんです。写真で物語を感じさせ、起承転結を持たせるのだとしたら、それは映像を使ったほうがより伝わるかもしれない。今回、ロバート・ウィルソンさんのビデオポートレートを見たとき、本当にその中間をやっていると感じました。時間経過や動きを表現しつつ、写真のように画面のディテールもきちっと見せている。そういうのを感じられたのはとても興味深かったですね。

──グループ展として、いろいろなタイムラインや時代に応じた表現が見えたことと同時に、舘鼻さんという1人の作家の展示から、西洋と東洋、古典と現代といった要素の連続性と対比が見えてきたのも印象的でした。

舘鼻:自分が日本人のアイデンティティを持っていて、その上で現代的な表現を行うためには、日本の現代性というのがどういうところにあるのか、常に探し続ける必要があります。海外から入ってきた文化が日本で独自の進化を遂げて日本的になっているのも、日本人の編集能力の高さによるものだと思うし、その感性が日本の流行の移り変わりの早さとも結びついているはずです。そういう背景から生まれる最先端なものを海外の人にも伝え、理解してもらうためには、時代や文化的なつながりをきちんと説明する必要があります。ヒールレスシューズの裏付けとして日本の下駄があるわけですし、膝の上まであるレザーのブーツと西洋のルネサンス美術との関係を説明することもできますし、美術の歴史と、日本の歴史と、自分の思考過程とがどのように重なり合っているかを提示することが重要だと考えています。おそらく、今回の展示でその一端を表現することができたのかもしれません。

ハル:インターネットも進化して、過去にどのようなものがつくられていて、世界のどういう場所でどういう生活が行われているのか、などのさまざまな情報を手に入れられるようになりました。つまりある意味で、時代も場所も地ならしされてしまったわけです。写真に関していうと、現在はあらゆるものが撮りつくされてしまった感がありますよね。だからこそ、今まで誰もやっていなかったことをやることが一番大事で、今までに撮られたことのないイメージを見つけたときの驚きも喜びも、とてつもなく大きいと思っています。そして、時代も場所も地ならしされたこの状況を利用すれば、東京で生活しているから得られる感覚で制作した作品を、例えば東京に居ながらにしてニューヨークの人に見てもらうことができるわけです。グローバル化によって、時代や文化のすき間に生まれたローカルで個人的な表現をおもしろがってもらえる土壌が、現代にはあると感じています。

左より、舘鼻則孝、ジャン=ポール・グード、エレーヌ・ケルマシュター、フォトグラファーハル、三宅 純、マシュー・シャタック

構成・文:中島良平
写真:木奥恵三

プロフィール/
舘鼻則孝:1985年、東京生まれ。15歳のときから独学で洋服や靴の制作を始める。東京藝術大学に進学して絵画や彫刻、染織などを学び、やがて花魁に関する研究に着手し、友禅染めを用いた着物や下駄を制作。2010年、自身のブランド「NORITAKA TATEHANA」を設立。全工程を手作業で完成させる靴が、LADY GAGAなどに愛用されていることでも知られている。

フォトグラファーハル:1971年、東京生まれ。東海大学工学部機械科卒業。2004年に写真集「PINKY & KILLER」発表後、カップルを被写体に撮影を行っている。2011年、2013年にニコンサロンで個展を開催し、海外のグループ展にも参加。写真集に「Pinky & Killer DX」「Couple Jam」「Flesh Love」ほか。並行して広告カメラマンとしても活動を行っている。

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展覧会ディレクターのエレーヌ・ケルマシュターは、舘鼻則孝のことを「伝統と未来を見据えてものづくりを行う作家」と、フォトグラファーハルを「カップルをモデルにイメージをつくりあげ、"予想不能"なコンポジションに"愛"を表現するイメージメーカー」と表現する。『イメージメーカー展』では、ふたりの作品が同じ展示室に並べられた。前編と後編の2回にわたる今回のレポート。前編では、それぞれのコメントから2人の表現を紹介する。

展示室に足を踏み入れると、まず目に入ってくるのが石膏による足が林立するインスタレーション。かつて舘鼻則孝が、1枚の皮革から足のフォルムをかたどったブーツを手がけたことがあり、それを石膏で何足も複製することによってこのインスタレーションは生まれた。人の足の構造をリサーチする標本のようでもあり、また、ロダンなど西洋の近代彫刻家たちによる体のパーツの習作が集積した様子も連想させる。

ファッションデザイナーを目指すときにまず日本のファッションを勉強したという舘鼻は、「自分のルーツにあるのは日本のファッションへの関心であり、そこから展開する前衛的で新しいものづくりを追求している」と語る。「今回はほとんどが新作なんですが、ファッションアイテムである靴と、中庭のサンクンコートに展示されたかんざしがモチーフの大きな彫刻作品、その中間であるインスタレーションやオブジェ、という3つのセクションで構成しています。ここに展示したヒールレスシューズは、日本の下駄にインスパイアされて生まれた作品です。その関係性を見せるために、学生のころにつくり始めた下駄を展示しました。東洋の美術として生まれた日本の靴といえます。日本文化に西洋からの文化が影響を与え、融合することで現在の日本文化が生まれたわけですが、そのような西洋と東洋の対比や、古典と現代表現のつながりを常に意識しています」
足が地面よりも高いところに置かれる日本の下駄を工芸の技術によって洗練させた作品。そしてその対比として、伝統的な技術にインスパイアされ、東洋と西洋の融合を現代のモードに昇華したヒールレスシューズ。舘鼻は日本の花魁を研究することで着物や下駄の文化を知り、最新の表現へと展開させるために、ルネサンスや近代彫刻などの西洋芸術も学んだ。身にまとうものを手がけるために、身体性の研究にも余念がない。多様な表現を行いながら、根底にあるのはひとつの意識だということが展示から伝わってくる。
「日本の文化を世界の人に知ってもらいたい、というのが制作の大きな動機です。それをより現代的で新しい形で行うには、どのような技法や素材を用いるのがいいか。美術にも工芸にも歴史的な時間軸があるので、それを横並びで見て、重なり合う部分を説明しながら紐解いているのが自分にとっての制作活動であり、今回の展示でやりたかったことです」

舘鼻の作品と対面する形で、壁面にはフォトグラファーハルの写真作品が展示されている。色鮮やかな画面に写されているのは、布団圧縮袋に真空パックされたカップルの姿。「カップル2人の距離感がどれだけ近づいてひとつになることができるか、それを表現したい」と、ハルはこれまでのすべての作品に通じる制作動機について語る。「袋の上に寝転がってもらって、関節の位置や体のバランスなどを考えながらカップル2人と私との3人でディスカッションして構図を決めます。そのときに、私が俯瞰でそのフォルムが美しいかどうかを考えますし、実際に袋に入って掃除機で空気を抜くことで予期していなかった構図が生まれもします。1分か2分かけて徐々に空気が抜けていき、最終的に顔にピタッとビニールが貼り付いた時点で呼吸ができなくなるので、そこから10秒カウントダウンしながら、袋をグッと引っ張って服の細かいシワを直したり、腕や足の位置を動かしたりして、1回シャッターを切るわけです。そして、シャッターを切ったと同時に袋を開ける。息ができないので時間との勝負です。完璧にコントロールして同じ構図の真空状態をつくることは二度とできませんし、10秒間という限られた時間でその瞬間を画面に切り取ることに、写真というメディアを使う必然性があると思っています」
画面構成を想定し、カップルとの共同作業で被写体をつくりあげる作業が非常に重要な位置を占める。そうして生まれた作品から、新たにイメージが広がり次の作品のアイデアが生まれるという。圧倒的なインパクトを持つ画面は、その構図とディテールの結びつきによって見るものの目を釘付けにする。
「今回展示した7点のうち、1点は『Flesh Love』という2010年の作品で、もう6点は『Zatsuran』という2012年と2013年に撮影した作品です。カップルの2人と、彼らが普段使っているものや家にあるものを一緒に真空パックしています。2人の持ち物が2人に吸い寄せられた貼り付いている様子を撮影することで、 ふたりが引かれ合うパワーがより高次元で表現できると考えたわけです」

記事の後編では、それぞれが考える日本的な表現や、『イメージメーカー』という展覧会としての独自性などについて語った、舘鼻とハルの対談をレポートする。

構成・文:中島良平
写真:木奥恵三

プロフィール/
舘鼻則孝:1985年、東京生まれ。15歳のときから独学で洋服や靴の制作を始める。東京藝術大学に進学して絵画や彫刻、染織などを学び、やがて花魁に関する研究に着手し、友禅染めを用いた着物や下駄を制作。2010年、自身のブランド「NORITAKA TATEHANA」を設立。全工程を手作業で完成させる靴が、LADY GAGAなどに愛用されていることでも知られている。

フォトグラファーハル:1971年、東京生まれ。東海大学工学部機械科卒業。2004年に写真集「PINKY & KILLER」発表後、カップルを被写体に撮影を行っている。2011年、2013年にニコンサロンで個展を開催し、海外のグループ展にも参加。写真集に「Pinky & Killer DX」「Couple Jam」「Flesh Love」ほか。並行して広告カメラマンとしても活動を行っている。

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会場1階の受付カウンター脇に展示されたハンブルグの若き王子アレクシス・ブロシェクを撮影した作品に始まり、ロバート・ウィルソンのビデオポートレート作品は『イメージメーカー展』会場内に点在する。展覧会ディレクターのエレーヌ・ケルマシュターは、「通路や階段などを歩くたびに空間的な発見がある安藤忠雄さんの建築にオマージュを表し、展示空間を案内する役割を果たせるのと同時に出品作家たちそれぞれが持つ表現世界のリンクを見せようと考えた」と、キュレーションの意図を語る。設営のために来日したクリエイティブ・プロデューサーのマシュー・シャタックに、ビデオポートレートのプロジェクトについて話を聞いた。

「2004年に始まったビデオポートレートは、ファッションのイメージ映像やTVCMと、映画との中間といえるような形態で制作されます。セットに立ち会うスタッフは40人程度。カメラマンやエンジニア、スタイリスト、ヘアメイクなどのチームが集まって撮影が行われるのです。そのプロデュースを私どもの会社で手がけています」
舞台美術家として最初に知名度を高めたロバート・ウィルソンだが、キャリアの早い段階から複数のメディアでの表現をスタートしており、ビデオを使った作品制作の開始も1978年にさかのぼる。『Video 50』という、30秒ほどの映像スケッチを集めて51分ほどの尺に仕上げた作品だ。マシュー・シャタックは、ロバート・ウィルソンが70年代当時から豊かな映像的アイデアを持っていたことを強調する。
「ビデオポートレートのアイデアもずいぶんと以前から持っていましたが、そのアイデアを形にするためには、2000年代まで待つ必要がありました。技術的な問題です。ハイスピード映像も高精細で収録できるビデオカメラの技術、映像のデリケートなつなぎ目を処理できる編集技術、そして何よりもディスプレーの技術。ビデオポートレートの展示にはパナソニックのプラズマモニターを採用しているのですが、このモニターは、カメラでとらえた黒を"本物の黒"として再現してくれる。赤も同様です。そうした色は再現が難しく、以前のテレビ技術だと黒は濃いグレーに過ぎなかったし、赤も濃いオレンジだった。その技術進歩がなければ、ビデオポートレートはいつまでも実現することがなかったでしょう」

アレクシス・ブロシェクを被写体とする作品は、ステージと緞帳の背景に、スーツ姿で動物のマスクをかぶった姿がまず画面に映し出される。そして、マスクを脱いで現れるのは、11歳の少年の姿。作品は『イメージメーカー展』という異世界へと誘う導入装置となる。そして、歌手のマリアンヌ・フェイスフルや俳優のスティーブ・ブシェミ、中国人初のノーベル賞作家である高行健(ガオ・シンジェン)、ヤマアラシのボリスや犬のセリーヌ、モナコのカロリーヌ王女といったように、被写体がさまざまであるばかりか、演出方法もそのトーンも多様に制作された7点が展示されている。
「ウィルソンの表現の特徴のひとつは、時間の使い方にあるといえます。舞台作品においても、とても時間がゆっくりと流れる作品があります。早い時間の流れでは浮かび上がらない事実、気づくことのできない事柄と出会うことができる、という考えでそのように時間が使われているのです。ビデオポートレートも同様の考えで、基本的にゆっくりした時間が流れ、静かで、荘厳で、いくつもの意味のレイヤーがかかった作品として制作されています。しかし、ウィルソンは犬のセリーヌを用いて制作しているように、シリアスな作品を手がける一方で、コミカルで笑えるような作品も制作しています。多様なメディアで制作を行い、作品のトーンも均一化することなく制作を続ける。それがロバート・ウィルソンというアーティストの制作姿勢の大きな特徴だといえるでしょう」

構成・文:中島良平
写真:木奥恵三

プロフィール/
ロバート・ウィルソン:舞台美術家・演出家兼ヴィジュアル・アーティストとして世界で最も有名な人物の一人。ダンス、ムーブメント、照明、彫刻、音楽、テキストなど、さまざまな芸術媒体を自由に統合して表現を行う。アメリカ芸術文化アカデミーの会員であり、フランスの芸術文化勲章最高位の「コマンドゥール」を受章している。ニューヨーク州ウォーターミルにあるパフォーミング・アーツの実験ラボ、ウォーターミル・サンターの創立者兼芸術監督。

マシュー・シャタック:クリエイティブ・プロデューサー、Dissident Industries Inc. 創業者。ロバート・ウィルソンのビデオポートレート・シリーズのほかにも、ドキュメンタリー映画『カート・コバーン アバウト・ア・サン』『ビューティフル・ルーザーズ』、蔡國強のビデオインスタレーション作品『Fallen Blossoms』など、数々の映像プロジェクトのプロデュースに携わっている。

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21_21 DESIGN SIGHTの地下1階に下りると、すぐ右手の壁面に展示されているのがデヴィッド・リンチのリトグラフ作品の数々だ。『マルホランド・ドライブ』や『インランド・エンパイア』といった作品で、現実と幻想のシームレスな世界を描ききった映画監督であり、音楽や絵画、写真などメディアを超えた表現活動を続けるデヴィッド・リンチについて、展覧会ディレクターのエレーヌ・ケルマシュターに話を聞いた。

2007年にパリのカルティエ現代美術財団で、デヴィッド・リンチの絵画、デッサン、写真、短編映像などを集めた大回顧展『The Air is on Fire』が開催された。そのときに彼が訪れたのが、モンパルナスのアトリエ「IDEM」。ピカソやマティスの作品も生み出されたこのアトリエでリンチはリトグラフに魅了され、毎年訪れて制作を行うようになったという。エレーヌ・ケルマシュターは次のように語る。
「リンチの表現に通底しているのは、夢のような幻想性を強烈なイメージに刻み付けている点。彼は映画監督として圧倒的に有名ですが、元々は画家を志していて素晴らしいドローイングを手がけます。映画においては音楽も自ら制作していて、すべてを結びつけて自分の世界を表現するイメージメーカーと呼ぶことができます。そして、常に実験を繰り返しています。リトグラフは彼にとって、石とインクを使用した実験だといえるでしょう。そうした実験と表現を通じて、彼は人間の内面世界へと導いてくれる。人々の見えざる内面をイメージとして描き出しているのです」
リンチが手がける作品では、ときとしてステージや緞帳が象徴的な役割を果たしている。異世界と日常空間をつなぐ装置として。今回、リンチの作品が壁面に並ぶ空間には、24点のリトグラフと対面する形でロバート・ウィルソンのビデオポートレイト作品も1点展示されている。彼もまた、舞台表現を通じて得た技術とインスピレーションをもとに、ビデオポートレイトという手法で人々の内面世界を浮かび上がらせている。そうした表現のリンクを発見することも、『イメージメーカー展』の楽しみのひとつだ。

構成・文:中島良平
写真:木奥恵三

プロフィール/
デヴィッド・リンチ:1946年モンタナ州生まれ。映画監督、脚本家、音楽家、画家、写真家、デザイナーとして活躍。『イレイザー・ヘッド』『エレファント・マン』といった初期作品がカルト映画として人気を集め、以後、『ブルーベルベット』や『ワイルド・アット・ハート』などスキャンダラスな表現を続ける。近年の『インランド・エンパイア』まで映画も制作する一方、分野を超えて作品を手がけており、日本では2012年にラフォーレミュージアム原宿でも個展が開催された。

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ジャン=ポール・グードの新作インスタレーションで音楽を担当したのが三宅 純。ジャズトランぺッターとして活動を開始し、1980年代より数々のCM音楽の作曲、2000年代以降はピナ・バウシュやフィリップ・ドゥクフレといった振付家の舞踏作品、またヴィム・ヴェンダースや大友克洋の映像作品に参加するなど、ジャンルを横断しながら生まれるサウンドの独自の響きが国際的に高い評価を受けている音楽家だ。2005年に拠点をパリに移したとき、最もコラボレーションをしてみたいと考えた作家のひとりがジャン=ポール・グードだった。そして初対面のとき、「ふたりとも丈の短いパンツだったからすぐに友だちになれたんですよ」と笑う。

「国境が地続きでいくつかの国と接していて、色々な場所に近くて移動しやすく、コラボレーションをしたいアーティストたちがたくさん通過する世界の"ハブ"のような街がいい」と考え、2005年に三宅 純はパリを拠点に選んだ。パリに移るとすぐに、思いがけずもグードから舞台作品の音楽をつくってもらえないかと相談を受けた。「彼にまつわる3人のミューズの舞台作品をつくりたい、と相談を受けたのが最初の出会いです。その作品は結局実現しなかったのですが、それ以来、彼に広告音楽を頼まれたり、私がアルバムジャケットのデザインをお願いしたり、ギャラリー・ラファイエットの広告に私が出たり、色々と交流があって、3年ほど前に今回のインスタレーションの話が出ました」
パリの装飾美術館で回顧展を終えたグードは、そこに展示したファリーダをモデルとする巨大な立体作品を動くインスタレーションにしたいと考え、三宅に相談をした。三面鏡のような装置を前にして回転するフィギュアが、無限にその像を増殖させていくようなアイデアなどをグードが語り、三宅はイメージを膨らませた。そして、ふとした雑談の内容が、最も三宅をインスパイアしたという。
「ジャン=ポールがファリーダと付き合っていたときに、一緒に飛行機に乗ってアラビア文字が書かれた彼女の写真を見ていたら、"私の父親はモロッコの音楽界の重鎮なんだ"と、隣の乗客が話しかけてきたそうなんです。その人はユダヤ系だったようで、"お前はワルツというものを知っているか? あれはユダヤ人がつくったんだぞ"という話を始めたのだと。ユダヤの民族はいろんな国に居住しているので、いろんな音楽のスタイルにあわせて変化しながら独自の表現をつくる、非常に音楽的才能のある人たちだと私は常々思っていて、ジャン=ポールの話を自然なこととして納得しました。単なる雑談のひとつだったんですが、それをきっかけに私はその歴史の流れを感じられるような音楽をイメージしました。ワルツが発展していった過程、もしくは、血が混じっていった過程を音楽にしたらどうかなと思ったのが最初だったのです」

ジャズトランぺッターとして活動を始めた三宅は、やがて、作曲家としてジャズの領域に留まらない活躍を続けることになる。「ジャズの場合はテーマがあってアドリブをするけど、他の人がソロ演奏をしているときに暇なんですよ」と冗談めいた話から、作曲活動のきっかけを語る。
「最初はトランペットを吹くことがモチベーションだったわけですが、ライブを続けるうちに、サウンド全体への興味が大きくなりました。それが高じて色々な曲を書くようになったんですが、トランペットだとジャズというカテゴリーに留まっていたのに、サウンド全体を考えるとそこから大きく逸脱できることに悦びを覚えました。演奏することはもちろんとてつもなく魅力的です。しかし当事者になると、全体が見えないジレンマがあります。逆に全体を見ようとすると、当然演奏には参加できません。だからときどきその両方をやるわけです」

さまざまな分野で音楽を手がけ続ける三宅が、初めて舞台作品を手がけたのが奇しくもロバート・ウィルソンの作品だった。その体験は三宅の以後の創作活動にとても大きな影響を与えた。
「各国からいろんなアーティストやスタッフが集まって、ひとつの目的に向かってチームで走るというのが、ミュージシャンとして活動してきたなかであまりなかった光景で、とても美しいものだと感じました。劇場の舞台袖や緞帳裏でストレッチをしているダンサーがいたり、楽屋に緊張感あふれる役者がいたり、そういう風景も含めて劇場は素敵だと思ったんです。そこにはたくさんの記憶が自然と宿っている気もしました。あとは、デヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』に出てくる"シレンシオ"という不思議な劇場にも衝撃を受けました。口パクで謎のパフォーマンスが行われている劇場で、観客はそのパフォーマンスの滑稽さを理解していながら、偽らざる涙を流しているんです。光景として、まさにあんなことが起こるような劇場をつくってみたかったんです」 2013年にリリースされたアルバム『Lost Memory Theatre act-1』は、失われた記憶への思いが音楽で表現された作品だ。これまでにもコラボレーションを行ってきた演出家の白井 晃がこの作品に惚れ込み、舞台化した作品を8月21日から31日まで神奈川芸術劇場(KAAT)で上演する。そこで生まれる音楽と舞台作品の新たな関係にも期待が高まる。
「私は言葉にできない心象風景や心情のレイヤーを音楽にしてきました。たったひとつの音だけで千の言葉以上のものを伝えられる事もある。そして、音楽体験には現実にはない時間が流れる瞬間もあると考えます。なぜ自分が音楽をしているかというと、言葉にできない心象風景や心の動きをレイヤーにして、ひとつの音でも何も語らずに何かを伝えられる、そして、音楽体験によって現実ではない時間が流れる場合もあると考えているからです。音楽の様式だけを考えると、もう飽和してからかなり長いというか、どのジャンルも一応飽和点まで行って重箱の隅をつついている状態です。その異種交配というか、すべてのジャンル様式を横断しながら表現するなかに日本人としてのアイデンティティが出てくるかもしれないし、もしかしたら、新しいオリジナルなものが創りだせるかもしれない。新しいものだけを目指すというよりも、過去の宝に封じ込められたものを掘り起こしつつ、それをいかに自分なりに展開させられるかというのが私のライフワークなのかもしれません」

構成・文:中島良平
写真:木奥恵三

プロフィール/
三宅 純:作曲家。日野皓正に見出され、バークリー音楽大学に学ぶ。ジャズトランぺッターとして活動開始後、ジャンルにとらわれない独自のスタイルで作曲家としても頭角を現す。CM、映画、アニメ、ドキュメンタリー、コンテンポラリーダンスなど多くの作品に関わり、カンヌ国際広告映画祭など受賞歴も多数。ピナ・バウシュ、ヴィム・ヴェンダース、ロバート・ウィルソン、オリバー・ストーン、大友克洋など、多くの表現者たちとコラボレート作品を残している。

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2014年7月26日、本展参加作家で作曲家の三宅 純と演出家で俳優の白井 晃を迎えたトーク「音楽と舞台のイメージメーカー」を開催しました。進行は、ジャーナリストの生駒芳子が務めました。

三宅がパリに拠点を移した際、最初にコラボレーションをしたいと思っていた人物が本展のメイン作家、ジャン=ポール・グードでした。三宅は、グードの展示作品「三人の女神たち」のための楽曲に、彼が愛した女性たちが鏡の中で踊るイメージと、ワルツが発祥の地アラビアから音楽の都ウィーンまで、大陸を横断しながら変遷していくイメージを重ねたと語ります。

白井は15年以上前に三宅のCM音楽を偶然耳にし、その空間を切り裂くような音に心を掴まれ、神奈川芸術劇場アーティスティック・スーパーバイザー就任当初から、三宅との共同作業が脳裏から離れなかったと言います。二人は今回、台本ではなく、音楽からスタートして新しいイメージをつくるという実験的な舞台「Lost Memory Theatre」に挑戦します。

21世紀は言葉以上のコミュニケーションが求められる「イメージの世紀」だと考える生駒は、ジャンルを超えた人々が集って様々な実験を繰り返す21_21 DESIGN SIGHTは、バウハウスのような存在であると語ります。三宅は今後も「失われた記憶の劇場」の音楽表現というライフワークを続けたい、白井は、神奈川芸術劇場を新しい可能性を広げる場にしたいと語りました。

まさに音楽と演劇のイメージメーカーである三宅 純と白井 晃の「舞台裏」を存分に語り合ったトーク。展覧会と劇場で、日々変化する表現のプロセスを、ぜひ目撃してください。

アーティスト、イラストレーター、広告デザイナーなど、肩書きを限定できないような幅広い活動を続けるジャン=ポール・グードは、自らを「イメージメーカー」と表現する。その創作活動の原点にあるのは、ダンサーであった母親から幼いころに受けたダンスのレッスンで芽生えた、身体とその動きへの興味であり、思い描いたイメージを画面に留めるドローイングへの愛だという。ジャン=ポール・グードに話を聞いた。

「アフリカ人の多くが優れたリズム感を持って生まれてくるように、日本人の多くはグラフィックへの優れた感覚を持って生まれてくるように私は感じています。街を歩いていてもあらゆる場面で魅力的な視覚表現と出会うことができるし、優秀なデザイナーも数多い。三宅一生さんも、私は傑出したグラフィックデザイナーだと思っています。グラフィックへの類い稀なセンスから、独自の服を手がけています。そのような日本という国で、しかも三宅さんがディレクターを務めるこの会場で展示ができるのは本当に光栄なことです」
柔和な笑顔で、今回の展示が実現した感想をこう語るジャン=ポール・グード。長い創作キャリアのなかからキュレーターのエレーヌ・ケルマシュターとともに展示作品を選び、企画を練り上げていく過程で、グードの作品のグラフィカルな側面と、被写体の身体性にこだわる姿勢にフォーカスする展示構成に方向付けられていった。そして、展示のメインとして、彼の人生に大きな影響を与えた『3人の女神』をモチーフとする作品を集結させた。

70年代後半から80年代にパートナーであったグレース・ジョーンズ。80年代から90年代にパリで成功を収め、こちらも私生活をともにしたファリーダ。そして、現在の妻であり、やはりモデルとして数々の広告ビジュアルにも登場するカレン。アフリカ系ジャマイカ人のグレース、アルジェリアがルーツのアラブ系であるファリーダ、韓国系アメリカ人であるカレン。多様な文化に対してオープンで、手法もモチーフも分け隔てなく表現に取り入れるグードの姿勢を象徴するかのような、3人の女性との出会いが彼をインスパイアした。
「ここにいる3人の女性は、いわゆるクラシックな意味での美しい女性とは違うかもしれません。しかし、彼女たちはとても美しい。そのエッセンスを写真や映像、立体に表現して、多くの人に見てもらいたいというある種のエゴが制作のモチベーションとなりました。グレースは身長が高く足も長いのですが、首が短いので写真を切り貼りし、引き伸ばすことでその美しさを強調しようとしました。ファリーダは、アラブ文化を背景に持つ『千夜一夜物語』のような美しいイメージをワルツの映像で表現しようとしました。そしてカレン。私は彼女と20年前に出会い、現在は大きな子どももいる母親になりましたが、いつでも彼女はファンタジーのような存在です。私が抱く彼女たちのイメージを写真や映像などに留めたい、その衝動が私を創作に導くのです」

『イメージメーカー展』で、グードは壮大な野心を持って新作に挑んだ。それが展示室中央に展開する機械仕掛けのインスタレーション『見ざる、言わざる』と『聞かざる』だ。
「最初に思い描いたのは、舞踏室をつくること。私のキャラクターがワルツを踊る舞踏室を作品にしたいと考えたのです。そこで大事な要素が音楽です。音楽とダンスする体の関係をどのように見せるか、人ではなく人形が音楽にあわせて動くことで、見る人々の感情を揺さぶり、楽しませることができるか。そこが私にとって大きな挑戦でした。私が愛した3人の女性に特別な衣裳を着せ、三宅 純さんというこれまでにも一緒に仕事をしてきた素晴らしい音楽家に音楽を手がけてもらいました。今回の作品で"動く彫刻"とも呼べるインスタレーションに手応えを感じましたし、ここからさらに規模も大きくしながら発展させられたら素晴らしいと考えています」

ジャン=ポール・グードのキャリアにおいて、作品には本当に多様なモチーフが登場する。1989年にパリのシャンゼリゼ通りで開催したフランス革命200周年記念パレードを手がけたときは、かつて見たバレエ・リュスの作品『パレード』のイメージから発想を広げた。写真を切り貼りして身体の部位を変形させ、被写体の美を強調する「カットアップ」の手法には、ジャコメッティなどかつてのアーティストがどのように人体の美を表現しようとしたか、という美術史的な要素がひとつのきっかけにもなった。そして現在も、機械仕掛けのインスタレーションの展開を思い描くように、いつでも新しいものに対して貪欲で、常に前進する姿勢を見せる。ジャン=ポール・グードの作品が展示された地下空間に足を踏み入れると、その革新的な表現を目と耳で、そして全身の感覚で一種のファンタジーとして体感できるはずだ。

構成・文:中島良平
写真:木奥恵三

プロフィール/
ジャン=ポール・グード:1960年代初頭にイラストレーターとしてパリで活動を開始。1970年代には米『エスクァイア』誌のアートディレクターを務め、1989年にはパリで国家的イベントであるフランス革命200周年記念パレードを手がけて大盛況を収める。コダック、シャネル、ギャルリー・ラファイエットなどの広告は世界各地で広く親しまれている。

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2014年7月19日、「イメージメーカー展」参加作家の舘鼻則孝によるトーク「展示を語る/日本文化と伝統芸術の未来」を開催しました。

トークは二部に渡って構成され、第一部では、舘鼻の生い立ちと作家になった経緯が語られました。歌舞伎町で銭湯を営む家系に生まれた舘鼻は、シュタイナー教育に基づく人形作家である母親の影響のもと、幼い頃から「欲しいものは自分でつくる」ことを覚えたと言います。そして、東京藝術大学で絵画や彫刻を学び、後年は染織を専攻し、花魁に関する研究とともに日本の古典的な染色技法である友禅染を用いた着物や下駄の制作をすることとなります。この背景には世界で活躍するファッションデザイナーになるために、まずは自分にしか出来ないことを武器にすべく、日本のファッションを勉強してから世界に出ようという想いがあったと語りました。そして、卒業制作では新しい感覚を与えるものをつくるべくドレスと、のちに「ヒールレスシューズ」と呼ばれる靴を制作。花魁の高下駄から着想を得たこの靴は、古典と現代を融合させた独自の美が打ち出されたものでした。

第二部では、本展作品について語られました。コンピュータグラフィックを利用してアクリルを削り出した「フローズンブーツ」や、鋳物メーカー能作の職人たちとの恊働によって制作した作品「ヘアピン」のプロセスを紹介。「日本の文化を新しいかたちで世界に発信してゆく」ことを自らの大義とする舘鼻の世界の深さを伺い知ることのできる貴重な時間となりました。

2014年7月5日、ジャン=ポール・グードとエレーヌ・ケルマシュターによるオープニングトーク「イメージメーカー」を開催しました。

はじめにケルマシュターが、異分野を融合させて創作に取り組み、クリエーションの垣根を拡げるという展覧会のコンセプトを解説。「イメージメーカー」の代表格であるグードの幼少期から話を始めました。
パリでブティックを営む家に生まれた父とアメリカ人ダンサーの母。グードのDNAにはファッション、音楽、動きが潜んでいました。幼少期を過ごしたパリ郊外の街には植民地博物館があり、ファサードにはアフリカ、アラブ、アジアの女性が描かれていたと言います。

話は続いて、グードの三人の女神たち−−−グレース・ジョーンズ、ファリーダ、カレンとの出会いと恋に移ります。常にグードのインスピレーション源である女性たちがどんなに美しいかを伝えようと、彼は様々な作品をつくり、同時にショービジネスやファッションの世界を変革してきました。
ファッションに興味は持ちながらも、「愛する女性のための服しかつくれない。あらゆる女性のための服はつくれない」というグード。三人の女神をモデルにした本展のメイン作品は、平和のアレゴリーでもあると語りました。

「イメージには、目に見える映像と頭に浮かぶ印象というふたつの意味があり、その両方をつくるのがイメージメーカーの仕事」というグード。クリエイティビティよりもマーケティングが重視され、ポエジーよりも結果ばかりが求められる現代の広告業界を疑問視しながら、これからの時代をつくる人々に、「ものごとに良く耳を傾け、目を凝らし、考え、努力しよう」と、力強いメッセージを投げかけました。

ケルマシュターは、開館以来のファンであるという21_21 DESIGN SIGHTで展覧会を開催する喜びを語りながら、来場者が現代を問い、未来を想像できる展覧会になればと、トークを締めくくりました。

7月4日(金)、いよいよ企画展「イメージメーカー展」が開幕します。

ファンタジックな想像の世界をつくり出すこと、様々なクリエイティブな分野を融合させること、そして今ここにある世界について語りながら、人々を全く違った世界へ連れだすこと......。本展では、日仏文化交流に精通したキュレーターのエレーヌ・ケルマシュターを展覧会ディレクターに迎え、広告の世界に革命をもたらしたジャン=ポール・グードを中心に、国内外で活躍するイメージメーカーたちによる作品を展示します。

<展覧会の見どころ>

希代のイメージメーカー、ジャン=ポール・グードの世界にメインギャラリーが変貌
グードの創作は次元を超越し、見る者を想像の世界へといざないます。本展では、プライベートな生活での出会いが色濃く反映された機械仕掛けの彫刻「見ざる」「言わざる」「聞かざる」が一番の見どころ。会場では、彼が崇拝する「3人の女神」たち―グレース・ジョーンズ、ファリーダ、カレンをモデルにした人形が、三宅 純作曲の音楽に合わせて踊ります。さらに、グードが手掛けたパリの地下鉄内のデパート広告を16台のモニターを連結して再現したビデオインスタレーションや、写真コラージュ「形態学的改良」シリーズ、ドローイングなどを展示し、自らの世界観を大胆に表現します。

「ヒールレスシューズ」によって世界に名を知らしめた、舘鼻則孝の新たな側面を公開
彫刻、オブジェ、靴の全てが融合された舘鼻の「ヒールレスシューズ」は、履くことによって身体のラインを一変させます。その発想源には花魁の高下駄や日本の伝統文化があります。本展のために、舘鼻は制作プロセスとともに新作の靴と下駄を発表。また、身体構造にインスピレーションを得た石膏作品「アイデンティティーカラム」やアクリル製の彫刻「フローズンブーツ」、さらには大型のかんざしを屋内外に展示します。なお、地下ロビーには「ヒールレスシューズ」試着コーナーも設置します。

あらゆる分野を横断するイメージメーカーたちによる、活気ある世界の物語
舞台演出家として名高いロバート・ウィルソンの「ビデオポートレート」シリーズを日本初公開。本展のために作品プロデューサーが来日し、21_21 DESIGN SIGHTの建築空間に新たな"舞台"をつくりだします。また、映画、写真、絵画と様々な分野で活躍するデヴィッド・リンチは、自らの心象風景を映しとったリトグラフ24点を出展。さらに、フォトグラファーハルは、カップルを真空パックして撮影した「Flesh Love」と新シリーズ「Zatsuran」を紹介します。日仏文化交流に精通したキュレーター、エレーヌ・ケルマシュターのディレクションにより、国内外屈指のイメージメーカーたちの作品が一堂に集い、活気ある世界の物語を繰り広げます。

Photo: 木奥恵三

2014年7月4日より、いよいよ開催される「イメージメーカー展」。開幕を間近に控えた本展の参加作家と、それぞれの作品の見どころを紹介します。

フォトグラファーハル

工学部機械科卒業という異色の経歴を持つ写真家のフォトグラファーハルは、学生時代から異文化に興味を持ち、中東やインドへの旅を通じて写真への情熱を育みました。写真は、旅の先々で出会う人々と恥じらいや言語の壁を超えてコミュニケーションする鍵だったのです。大学卒業後は広告制作会社で写真の技術を磨き、セレブリティやファッションアイコンの撮影を通して、テーマは次第に人物に絞られていきました。

ハルの撮影する写真には、愛と平和という人類の普遍的なテーマのもと、年齢や性別、人種、外見など、ありとあらゆる違いを超えたカップルが登場します。2004年、狭い空間でカップルを撮影した「Pinky & Killer」に始まるシリーズは、より狭小でプライベートなバスタブの中で撮影する「Couple Jam」に発展。さらには、カップルを真空パックして撮影する「Flesh Love」に展開しました。
本展では、「Flesh Love」のほか、カップルが愛してやまない日用品を一緒に真空パックした新シリーズ「Zatsuran」より、近作計7点をご紹介します。

「私はカップルを密着させ一体化させる事で愛のパワーを視覚化しようと試み続けている。その密着させる手段の一つとしてカップルを真空パックすることにした。袋の中では呼吸が出来ないのでその状態は数秒しか保てない。だからその様子を写真に収めて行く。そしてさらに強い愛を表現する方法は無いか試行錯誤していたときに、一生を終えた星がビックバンを起こしその後収縮してブラックホールになり、あらゆる物を吸い寄せるという話を思い出した。そこで二人が生活する上で身の回りにある物たちをもろごと真空パックしてみることにした。スタジオに家の物をすべて持ち込む事は出来ないのでパックされる物は彼らに取捨選択され、そこからも彼らの個性がより凝縮していく。一緒にパックされた物等はカップルの共通言語で真空パックし密着されるという事は新たなカップルの愛の表現の形である。また、入れる物の選択や配置はするものの、空気を抜く過程で 計算外の動きをするため偶然性が極めて高い。その様子は一見雜乱としている様だが自然界の仕組みのように必然性と秩序があると思う。これは2人の雜乱とした小宇宙なのである。」------フォトグラファー・ハル

フォトグラファーハル「Flesh Love #27, Lim & Kyohei」2010年
フォトグラファーハル「Zatsuran #06, PinQ & Pomco」2012年
フォトグラファーハル「Zatsuran #63, miRo & Kazuya」2013年

2014年7月4日より、いよいよ開催される「イメージメーカー展」。開幕を間近に控えた本展の参加作家と、それぞれの作品の見どころを紹介します。

デヴィッド・リンチ

映画監督として知られるデヴィッド・リンチは、画家を目指してペンシルベニア美術アカデミーで学び、若い頃から絵画や写真、アニメーションや立体作品など、様々な方法で独自の表現活動を続けてきました。現在も映画監督としてはもちろん、写真家、音楽家、画家、デザイナーとして分野を超えて活躍しています。リンチは多岐にわたる活動を通じて、神秘的であると同時に心をかき乱すような、奇妙であると同時に詩的でもある宇宙を創出しています。

2007年、パリのカルティエ現代美術財団で、リンチの絵画、デッサン、写真、短編映像を集めた大回顧展「The Air is on Fire」が開催された際、彼はパリのモンパルナスにあるリトグラフのアトリエ「IDEM」に遭遇します。そこでは、ピカソやマティス、シャガールらの作品を生み出した印刷機が、今も稼働しています。それ以降、リンチはこのアトリエで毎年リトグラフを制作しています。本展では、物質の歓喜と実験的試みへの探究心が波打った彼のリトグラフ作品24点を、カルティエ現代美術財団から特別にお借りして展示します。

「これにより、リトグラフという全く新しい世界、魔法のようなリトグラフの世界、石の魔法の世界が開かれた。この発見は、実にすばらしい出来事だった。リトグラフという水路が切り開かれ、さまざまなアイデアが流れ出し、それが百枚ほどのリトグラフへと結実した。リトグラフとは、使用する石、制作する場所、制作者のコンビネーションであり、この雰囲気からこれらのアイデアが生まれてくる。この出会いが、手を生きた道具に変え、偶然の要素、手さぐりの試みの可能性を引き出してくれる」------デヴィッド・リンチ

なお、6月25日から7月14日まで、渋谷ヒカリエの8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama Galleryで、IDEMの機械と裸婦をモチーフにした写真シリーズ「NUDE - ATELIER IDEM 2012」と近作のリトグラフを中心とした「デヴィッド・リンチ展」が開催されます。あわせてご覧ください。

Photo Idem Paris
Photo Idem Paris
David Lynch "Man in the Rain" 2008
©2014 Collection Foundation Cartier pour l'art contemporain. All Rights Reserved
David Lynch "Spider Bites Man with Resulting Image" 2008
©2014 Collection Foundation Cartier pour l'art contemporain. All Rights Reserved

関連情報
「デヴィッド・リンチ展」

会期:2014年6月25日(水)-7月14日(月)
時間:11:00-20:00
場所:8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama Gallery
入場料:無料
>>ウェブサイト

David Lynch "I go to my house" 2012, courtesy item editions ©David Lynch

2014年7月4日より、いよいよ開催される「イメージメーカー展」。開幕を間近に控えた本展の参加作家と、それぞれの作品の見どころを紹介します。

ロバート・ウィルソン

『ニューヨーク・タイムズ』紙に「実験演劇界の巨匠であり、舞台での時間と空間使いにおける探求者」と評されたロバート・ウィルソンは、舞台美術家・演出家兼ヴィジュアル・アーティストとして世界で最も名高い人物の一人です。ダンス、ムーブメント、照明、彫刻、音楽、テキストなど、様々な芸術媒体を自由に統合して型破りな舞台作品を創作している彼は、まさに本展のテーマにぴったりのイメージメーカーです。
圧倒的な美意識で見る者の感情をかきたてるイメージをつくりだし、世界中の観客と批評家から絶賛されるウィルソン。彼の素描、絵画、彫刻作品はまた、世界各地で繰り返し展示され、数えきれないほどのプライベートコレクションや美術館に収められています。

本展では、ウィルソンの多岐にわたる創造性がいかんなく発揮された「ビデオポートレート」シリーズを日本初公開します。照明、衣装、メイク、振り付け、ジェスチャー、テキスト、声、セット、物語など、あらゆる芸術の手法が完璧に融合した作品は、映画のように時の流れを感じさせつつも「凍った瞬間」を捉える写真の要素もあわせもつ、まさにウィルソンの「決定的作品」と呼ぶにふさわしいものです。
本作は、会場に応じたサイトスペシフィックな展示も大きな見どころのひとつ。今回は、クリエイティブプロデューサー マシュー・シャタックの来日により、安藤忠雄の建築空間との奇跡のコラボレーションが実現しました。

ノイエ・ギャラリー、グラーツ(オーストリア)
シンガポール国立美術館、シンガポール
ウォーターミル・センター、ウォーターミル(アメリカ)

マシュー・シャタックが出演する関連プログラム

ギャラリーツアー「ロバート・ウィルソン ビデオポートレート」
日時:2014年7月4日(金)18:00-19:30
出演:マシュー・シャタック(クリエイティブプロデューサー)、エレーヌ・ケルマシュター(キュレーター)
>>詳細ページ

2月28日(金)、いよいよ企画展「コメ展」が開幕します。

コメは、私たちの暮らしにとても身近で、日々の生活に欠かせないものです。日本では、コメを中心とした食文化を深めつつ、稲作の歴史とともに様々な文化が発展してきました。

本展では、私たちの文化の根幹をなすコメのありようを新鮮な目で見つめ直していきます。そして、その未来像を来場者の皆様とともに考えていきます。

佐藤 卓、竹村真一ディレクションによる「コメ展」に、ぜひご来場ください。

撮影:淺川 敏

企画展「日本のデザインミュージアム実現にむけて展」は、来場者の皆様をデザインミュージアムの"入口"へと誘う展覧会です。
ウェブサイト上の本連載では、会場を離れ、各界で活躍する方々が未来のデザインミュージアムにぜひアーカイブしたいと考える"個人的な"一品をコメントとともに紹介します。
展覧会と連載を通じて、デザインの広がりと奥行きを感じてください。

>>「私の一品」一覧リストを見る

2013年7月27日、「カラーハンティング展 色からはじめるデザイン」関連プログラム「想像する色彩」を開催しました。

まず林は本展を「色について考える、なぜこの色なのかに立ち戻る展覧会」と言い、展示作品「ライオンシューズ」を例にとり、環境における色の違いについて、ギリシア彫刻の経年による退色に触れました。そして話は後半に進み、ゴッホをテーマに彼独自の色世界に聞き手をいざないました。ゴッホの作風がめまぐるしく変化したことに対し、彼が純粋に環境の変化を受けとめることによって、色のあり方もその都度変えていたと述べました。

「ゴッホが自身の色のあり方に向き合ったように、展覧会にいらっしゃる方々も、展示作品を通して自分の色のあり方に想いを馳せてほしい」と話を結びました。

2013年7月13日、伊賀公一によるトーク「カラーユニバーサルデザイン」を開催しました。

伊賀はまず、光、目、脳の3つがあってはじめて人が色を認識すること、人類の色の見え方は多種多様であることなど、色覚についての基本を丁寧に解説しました。続いて、色覚や色弱者についての研究を社会に還元するために自身も設立に参画した、カラーユニバーサルデザイン機構の活動を紹介しました。

また、参加者に色弱者の色覚を疑似体験できる眼鏡を配布し、人にはそれぞれ色の見え方に特徴があり誰一人として同じではないこと、カラーユニバーサルデザインの必要性を、身近な事例を通して実感できるトークとなりました。

2012年3月24日に行われた、マイケル・クロフォード(カートゥーニスト)によるトーク「『ニューヨーカー』誌カートゥーニストとしての30年」の動画をご覧頂けます。


2012年3月24日に行われた、坂田栄一郎(写真家)、亀井武彦(アーティスト)によるトーク「サプライズ・オブ・ニューヨーク」の動画をご覧頂けます。


2012年2月18日に行われた、小林康夫(東京大学大学院総合文化研究科 教授)、中島隆博(東京大学大学院総合文化研究科 准教授)と土屋昌明(専修大学経済学部 教授)によるトーク「文字となって羽ばたく―東アジアの伝統から」の動画をご覧頂けます。


2011年11月26日に行われた、写真家の広川泰士とアートディレクターの 廣村正彰によるトーク「写真×デザインの事」の動画をご覧頂けます。


2011年11月18日に行われた、アーティストの日比野克彦によるトーク「イメージが結実する瞬間」の動画をご覧頂けます。


9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


平櫛田中とアーヴィング・ペンと三宅一生の共通点


──展示をご覧いただいた感想をお聞かせください。

日比野克彦(以下、日比野):
アーヴィング・ペンの写真は、ポスターとしてすごく心に残ってる写真ではあるんだけど、その裏側を知らなかった。なので今回の展示で一生さんとのやりとりや、スケッチが見られたのはよかった。制作過程を見ていると、お互いにスポッとツボにハマったんだろうなということがわかる。きっとペンさんは、スケッチを描き始める瞬間には、スタイリングやヘアメイク、照明といったすべての絵が、すでに出来がっていたんじゃないかな。

ちょうど21_21 DESIGN SIGHTに来る前に、藝大美術館の彫刻の展覧会で平櫛田中の木彫作品を見たんですが、1本の木をいろんな方向から彫り続けて、ある地点でピタッと手が止まる。外から彫り出したのではなく、もともと木の中にあったかたちが浮かび上がってきたような。そんな印象を受けました。それは、ペンの写真にも通じるところがあって、目の前にある状況を切り取るのではなく、状況を作り出してそれを留めておく。そのための手法として写真を用いているのではないかと思います。

ペンさんと一生さんの仕事にも、田中の彫刻にあるような、ぴったりと焦点が合っていてブレがない、そんな印象が伝わってきました。

──日比野さんの最近の活動を教えてください。

日比野:最近は船を作っていて。10月30日に京都の舞鶴港で着水式をするんです。これは「種は船」というプロジェクト(http://maizuru-rb.jp/)で、「明後日朝顔プロジェクト」をやっている時に朝顔の種は船の形に似ているという着想からスタートしたものです。2007年に金沢で種の形を船にするところから始まり、船を作って海に浮かべるところまできました。今年から舞鶴で、自走する本物の船をつくり、来年出航する予定です。

あとは、東京都文化発信プロジェクトの「TOKYO FUTURE SCKETCH BOOK(http://www.tokyofuturesketch.jp/)」というワークショップをやっています。大きなスケッチブックに東京の未来を描くというものです。

(聞き手:上條桂子)

2011年11月18日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに日比野克彦が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「イメージが結実する瞬間」の動画を見る



Katsuhiko Hibino

日比野克彦 Katsuhiko Hibino

アーティスト/東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授
1958年岐阜市生まれ。東京藝術大学在学中の1983年に、段ボールを素材とした作品で日本グラフィック展グランプリを受賞、一躍脚光を浴びる。その後、舞台空間・パブリックアート、パフォーマンスなどの身体・言語を媒体とした作品など表現の領域を広げ、1996年ベネチアビエンナーレに出品。国内外で個展を多数開催する。2000年以降は表現者の視点だけでなく、受け取り手が感じ取る力を引き出すような作品をワークショップの手法で制作する。また、アートとスポーツの文化的視点からの融合を目指して日本サッカー協会理事を務めている。

『TANeFUNe』

「アーヴィング・ペンと私」一覧リストを見る

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展が語りかけること 第1回


4月9日、子どものためのワークショップ「カチナをつくろう!」を開催。小雨の降るなか、元気な子どもたち15人ほどが集まってくれました。今回は、アーティストの佐藤文香さんが講師を引き受けてくれました。

本展では、の最晩年のアートピース「カチナ」を20点展示しています。カチナとは「ネイティブアメリカンが信仰する超自然的な存在で、カチナドールはそれらをかたどったもの」で、人々の想像力を駆り立てるこの人形は、近年ではアートとして評価されており、ジョージ・ネルソン、猪熊弦一郎など、「カチナ」にインスパイアされた作家は多く、ソットサスもその一人。彼は1950年代、ジョージ・ネルソンからの誘いで1年ほどアメリカに滞在しており、その時に「カチナ」の存在を知ったのです。そして最晩年に自分のためのカチナをスケッチの残し、アートピースとして実現する前に亡くなりました。

今回のワークショップでは、まず、子どもたちにカチナとは何かを知ってもらい、子どもたち一人ひとりにとってのカチナを、目をつむって、耳をすまして、想像してもらうことから始めました。それをさまざまな用紙をコラージュして自由に表現してもらいます。

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ソットサスの描いたカチナの前で。

大人同様、子どもにとっても自分の気持ちや思いを表現することはとっても大切。表現の仕方は、遊びでも、運動でも、音楽でも、お友達とのおしゃべりでも何でもOK。でも、時には、自分の心と向き合って、試行錯誤しながら、じっくり何かを作り込んでいくという時間を過ごすことで思わぬ発見があるかもしれません。今回のワークショップでも、佐藤文香さんやお父さんお母さんが見守る中で、子どもたちが魅力的な作品をたくさん作ってくれました。このワークショップに参加してくれた子どもたちのなかから、将来、ソットサスや倉俣さんに負けない、素敵なアーティストやデザイナーが生まれてくれれば...と願わずにはいられません。

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会場は21_21 DESIGN SIGHT 内のサンクンコートに面したスペース。
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床には、色とりどり、いろんな種類の用紙が。
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講師をつとめたアーティスト佐藤文香と参加者。
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一緒に来たお父さん、お母さん、兄弟たちも作品作りに参加。
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1時間ほどで、たくさんのカチナが完成。お家のカチナ、水族館や動物園のカチナ、楽器のカチナなど、どれも魅力的なカチナばかりです。
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最後に、子どもたち一人ひとりが自分のカチナの発表を行いました。

関 康子

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展が語りかけること 第2回 へ

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本展参加作家でもある、REBIRTH PROJECTによるトーク。代表を務める伊勢谷友介と、今回の展示作品のアートディレクター藤元明を迎えて行いました。

変化する時代に、社会の中で山積みとなっている多く問題に対して、行動していこうというREBIRTH PROJECTでは、さまざまなプロジェクトが進行中です。始めに伊勢谷と各プロジェクトスタッフから2008年から行っている事例を紹介しました。「衣・食・住」にカテゴリー分けされた中には、Leeとのコラボレーション「LeeBIRTH PROJECT」や、新潟での米づくり、立て替え中の住居から出た廃材を使った家具など。
そして後半は伊勢谷自身の気づきから、現在の活動のきっかけを自ら語りました。旅の中で、「人生で最大の発見」をしたと話す伊勢谷、人間の生き方や本質を考えたそうです。人や環境といった周囲があるから生きていることを実感し、生き残るためにできることを探す、という姿勢がそのままREBIRTH PROJECTのコンセプトにもなっています。
藤元から今回の作品に関する解説も。現在の多面的なリサイクルの考え方に合わせた5種類の提案を、グラフィックの意図など表現方法も含めて、それぞれ説明を行いました。
最後には会場との質疑応答も実施。教育や、今後の活動に関する質問に参加者は熱心に耳を傾け、会場全体が熱く充実した時間となりました。

ワークショップ「心臓ピクニック」



講師を務めたのは、参加作家の渡邊淳司と安藤英由樹、振付師でダンサーの川口ゆいと慶応義塾大学講師の坂倉杏介のチーム。本ワークショップのために開発した特別な機器を使って、自分の心臓の音をじっくり味わうワークショップです。聴診器と振動スピーカーが組み合わされた黒いキューブを手のひらに置くと、まるで自分の心臓が体から切り離されて、独立した存在になってしまったように感じます。この機器を使って、他の参加者の心臓音を感じてみたり、自己紹介をしてみたり。ワークショプ後半では、青空の下、ピクニック気分で、運動をしたり寝転がったり、お菓子を食べたりホラー絵本を読んだりしながらそれぞれの心臓の音の変化を体験し、普段味わうことの少ない自分の心臓への慈しみを感じるひと時になりました。ワークショップが終了し、機器の振動が止まっても、いつまでも愛おしそうにボックスを手放せない参加者たちでした。

「あなたの表情はあなたのものか」



真鍋大渡による一日体験展示は少人数によるワークショップの形で行われました。
まず研究者と一緒に行っているというプロジェクト概要を説明し、実際に筋電位センサーを貼る体験から始まります。少量とはいえ顔面に電流が流れ、勝手に頬が持ち上がったり、ウィンクをしてみたり。電流による強制的な表情操作に、参加者同士で「結構痛いかも」「ちくちくを越えるとよく動く」など、アドバイスし合いました。スタッフの見本や一通りのテストが終わると、いよいよ2人1組で本番です。こめかみや頬、目頭、顎など顔面16ヶ所にパッチを貼り、2分間の音楽に合わせてパフォーマンスを行いました。
パフォーマンスを行っている間、ものづくりに対する参加者からの質問に「考えてから、作るまでが長い、思いつくのが大変」だと、真鍋が答える場面も。参加者との近しい距離の中で、人とシンクロするメディアアートを作っていきたいと今後についても語りました。パフォーマンスを終えて席に戻る参加者には興奮の表情が浮かび、互いを戦友と認め合うような密なコミュニケーションが生まれた時間でした。

属性に無頓着な自分、それに執着する社会。

この展覧会のテーマは、「属性」という、日常ではあまり使われない言葉です。「属性」の意味を辞書に問えば、最初に、

【属性】ぞくせい
1. その本体が備えている固有の性質・特徴 (『大辞林』より)

という簡明な説明が与えられます。例えば、あなたの身体的属性には、身長・体重・皮膚や髪の色・血液型・性別・年齢・体躯・顔つき・声など、限りない項目が挙げられるでしょう。また、社会的属性には、名前を始めとして国籍・住所・職業・所属・地位・人間関係などが挙げられます。その他、癖や持ち物なども、あなたの属性に含まれます。

キーワードは属性



あなたより、あなたのことを知っている社会

静脈認証や虹彩認証などの最新の生体認証技術は、従来、判別が不可能だった身体的属性をも正確に取得することを可能にしました。一方、人は相変わらず、普通の状態では、自分の姿や声さえも客観的に捉えることはできません。社会の方は、その取得環境と保存環境を日に日に整えつつあり、近い将来、場面によっては、社会の方があなたより、あなたの事を知っているという状況も生まれかねません。そう考えると、取得した属性データをうまく使えば、個人個人に細かく対応したサービスや堅固なセキュリティの確保という方向も見えてきますが、悪用すれば、過度な個人の監視や犯罪という方向も容易に想像できます。
この展覧会では、現在、あなたの属性が、あなたの知らないうちに、社会にどのように扱われているのか、さらには、あなたも意識していない、あなたのどんな属性がこれから社会に認識されていくのかを、作品を通じて知ることができます。そして、単なる技術展示にとどまらず、作品化することによって、属性の未来を可能性だけでなく危険性も含めて鑑賞してもらうことを目的のひとつとしています。



あなたの属性は、本当にあなたのものか。

さらに、辞書には「属性」の意味として、興味深い項目が次のように示されています。

【属性】ぞくせい
2. それを否定すれば事物の存在そのものも否定されてしまうような性質 (『大辞林』より)

例えば、自分の紹介に使う名刺も、その人にとっては名前や所属が載っている属性のひとつです。もし、自分の名刺を目の前で折られたり破られたりしたら、どんな気持ちになるでしょうか。まるで自分を否定されたかのように感じ、怒りさえ生まれてくるはずです。また、何かの間違いで、自分の籍や名前が無くなっていたとしたら、自分の存在が無いかのように社会は扱うはずですし、自分自身も自分の存在について希薄さを感じたり、逆にある種の自由さすら感じることが予想されます。
この展覧会では、自分の属性である声・指紋・筆跡・鏡像・視線・記憶などをモチーフにした作品を展示しています。そこでは、この2番目の意味での属性が、私たちが今まで得ることができなかった感情を引き起こします。さらには、自分にとって、自分とはわざわざ気にするような重要な存在ではなかったという事柄や、自分をとりまく世界と自分との関係も分かってきます。

この展覧会のテーマである「属性」と作品群を通じて、人間と社会の未来がどうなるのか、人間と世界の在り方は本来どうであるのかを来場者ひとりひとりに感じ取ってもらい、そして多くの疑問を持ち帰ってもらい、その疑問をかざしつつ、これからの自分と社会を見つめていってほしいと、私は考えています。

(補記)
本展覧会はあなたの身長や指紋や筆跡などの属性が展示作品に取り込まれ、作品化されることによって生まれる表象を鑑賞していただきたいために、そのような個人情報をその場で提供していただくことになります。(もちろん、希望者に限りますが)
しかし、この展覧会の『属性の今を考えることによって、人間の未来・社会の未来を考える』という主旨に基づき、敢えてそのような展示を行っていることを是非ご理解いただきたく思います。

展覧会ディレクター 佐藤雅彦

川上典李子のインサイト・コラム vol.6

今回も引き続き、デザインの現状に詳しい人物に「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展(以降、「ポスト・フォッシル」展)の感想をうかがいます。ご登場いただくのは、東京ミッドタウン・デザインハブの企画を担当する、財団法人 日本産業デザイン振興会の酒井良治さん。サステナブルデザイン国際会議にも長年携わり、日本のデザインを取り巻く状況を俯瞰する提案など、幅広い視点で企画に取り組んでいます。

東京ミッドタウン・デザインハブ、「日本のデザイン2010」展。4/8〜5/9。主催はデザインハブ。キュレーターを務めたのは黒崎輝男、柴田文江、曽我部昌史、八谷和彦、廣村正彰の5氏。Photo: Nacása & Partners Inc.
東京ミッドタウン・デザインハブ、「世界を変えるデザイン展」。5/15〜6/13。主催は世界を変えるデザイン展実行委員会、アクシスギャラリーでも同時開催に。Photo courtesy of JIDPO

「ポスト・フォッシル」展と同時期、デザインハブでは2つの展覧会を開催していました。そのひとつ、「日本のデザイン2010」展の趣旨を酒井さんはこう語ります。
「日本のデザイン状況を総覧できないだろうかという考えから始まり、キュレーションを依頼した5氏と議論しました。その議論をふまえ、デザインはどちらに向かうのか、ということを示し、また、その解釈を紹介できないかと考えました」。

そこに示されたキュレーターの着眼点と「ポスト・フォッシル」展に共通点を感じたという酒井さん。「同様の問いかけが同時期になされたことに、興味を持ちました」。
「たとえば、食。私たちの展覧会で『食と学びのデザイン』の分野を担当したのは黒崎輝男さんでしたが、『ポスト・フォッシル』展でも同様の視点を感じました。『何を食べるのか、何を知識として吸収するのか』と、自分たちの思考、身体は深くつながっている。そして、人々の関心や志向が、私たちが生きていくことの根源に向かっていること。日本に限らず、世界的に、生き方や暮らし方を考え直そうとしている時代の現われだと思います」。

「この『食』や『農』にも関連しますが、私たちの展覧会では『地域とデザイン』も含みました。キュレーションは建築家の曽我部昌史さんです。北海道から九州まで4名の首長を訪ねた曽我部さんは、各地における意欲的な地域自立の計画と実際の試みに焦点をあて、地域の自治体が自らビジネスモデルを築くことによって独自性を実現していく状況を紹介してくれました。曽我部さん自身の関心とそこに示された地域の状況も、『ポスト・フォッシル』展に共通するものを感じたひとつです」。

こうした「地域」に関連し、「ポスト・フォッシル」展参加作家の活動環境に、ある特色があることを少し補足しておきましょう。それは、活動拠点を都市から離れた場所に設け、制作に励むデザイナーが多数含まれていること。欧州、とりわけオランダの若手デザイナーのこうした生活スタイルは、リー・エデルコートの関心のひとつでもあるのです。
エデルコートは述べています。「若手デザイナーの多くが、住まいやスタジオを地方に構え、スタジオの仲間や友人たちと家族のような関係を築きながら、制作に没頭している。一方で、作品はインターネットを通して国際的に発信される。活動はよりローカル、活動はよりグローバル。興味深い21世紀の仕事の仕方が始まっている」と。

セルトーヘンボスにスタジオと住居を移転したマーティン・バース。自然のもとでスタッフと制作に励む。Photo © Noriko Kawakami

さて、酒井さんが関わるデザインハブでの今春のもうひとつの展覧会は「世界を変えるデザイン」展でした。発展途上国に暮らす人々の課題をデザインがどう解決できるのか、各国のプロジェクトや既に実現されている品々を紹介する内容です。ここでも「ポスト・フォッシル」展との共通点を感じるところがあったと、酒井さんは振り返ります。

「若いデザイナーやエンジニアらの自発的な提案活動です。発展途上国の課題を解決する品々やプロジェクトを紹介したこの展覧会では、日本の若手デザイナーやエンジニアから、『オープンソース』に注目し、自ら行動をおこしている様子が報告されました。
オープンソースとは、ある課題に対するデザインを公開し、必要な物を必要な場所でつくれるようにするもの。特定の場所で特定の製造業が物をつくり、使われる場所に運搬していくという従来型の製造方法とは異なる考えの提案です。デザインハブでも、3Dプリンターを活用することで必要な場所でプロダクトを製造できるマサチューセッツ工科大学(MIT)の『ファブ・ラボ』を紹介しましたが、こうしたナレッジベースのものづくりも今後の可能性のひとつです」。

「そして、このことに関連して言えば、『ポスト・フォッシル』展にも、同様の新しい考え方を備えた作品があったと思います。私が最も興味を持ったのは、ピーター・マリゴールドの『スプリット・ボックス』です。4つに分割した丸太を四角形の角に配することで棚をつくるという彼の作品は、いかなる地域の、いかなる種類の木材でも実現可能。オープンソースとしてのプロダクトの好例としても、見ることができるのではないでしょうか。展覧会には他にもデザイナーの発想や視点がうかがえる作品が含まれ、意味ある提案がなされていると思いました」。

「ポスト・フォッシル」展会場より。『スプリット・ボックス』ピーター・マリゴールド(1974年英国生まれ)。

「デザイナーは何を考えるのか。今まさに重要な時期」と酒井さん。「日本の産業とデザインの関係も、これまで以上に深い思考が求められる時代になっていくでしょう」。

「デザインが、まだ見ぬ考えに形を与え、ものごとのやりとりに最適なルールを整えるものであるとするならば、デザインならではの『ものごとのまとめ方』が期待される場が、急速に増えていることを感じます。そして、もうひとつ。デザインハブでのこれら2つの展覧会に合計2万人以上もの来場者があったことは、デザイナーに限らずあらゆるジャンルで活動する方々が、デザイン的な考え方を、自らの思考や行動の拡張の手段として、わりとすんなり受け入れていることの現われであると思います」。

デザインならではの視点でものごとをまとめる活動の意味や可能性を、時代の動きをふまえ、文化や立場の違いを超えて、さらに考えていくこと。「ポスト・フォッシル」展は6月27日で閉幕しますが、デザインの可能性やデザインの今後に考えを巡らせる活動に、会期という枠はもちろんありません。若いデザイナーたちの試みも始まったばかりです。

文:川上典李子


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川上典李子のインサイト・コラム vol.2

「私は決して悲観主義者ではありませんが、現代とは、20世紀になされてきた様々なことを"オーバーホール"すべき時代であるのだと強く感じています。社会のシステムそのものも再考すべき時期を迎えています。真の意味でサバイバルできるシステムづくりが必要であり、そのためにも発想の転換が求められている。活動の軸として、"人間"そしてヒューマニティの観点からの考察を忘れてはなりません」。リー・エデルコートが4月の来日時に述べていました。

発展性に富むヴァイアブルデザインは、いかに実現されていくのか。そのことを考えるヒントとして、教育の現場に再び目を向けることにします。ストックホルムの国立芸術工芸デザイン大学(コンストファック)が4月のミラノサローネで行っていた「The Savage Mind(野生の思考)」展。フランスの社会人類学者、クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009年)が1960年代に記した『野生の思考』をふまえ、書名をそのままタイトルに掲げた展覧会でした。これからのデザイナーは、課題や目的に熱心に取り組み、集中する能力を持ち備える「科学者」であると同時に、「器用人」でなくてはならない。教育の現場から発せられたメッセージです。

さらにはあらゆるコンタクトやネットワークを駆使しながら、広い社会のなかでの立ち位置を見つけていくことが求められる、との考えも同展の趣旨には含まれていました。こうした想いが、最新技術、最新素材をいたずらに追求するのではなく、既存の手法や原始的、原初的な方法に興味を抱いた学生の作品を通して、あるいは詩的な方法で素材や時代の方向性を探る作品を通して示されました。リー・エデルコートが「ポスト・フォッシル」との言葉を用いて着目する今日の若手デザイナーたちの、ある動きとの共通点も伝わってきます。

「The Savage Mind」展より。Curated by Ikko Yokoyama

それにしてもなぜ今、野生の思考なのでしょうか。その意味に考えを巡らせること自体に、大きな意味がありそうです。参考まで、コンストファックの学長を務めるイーヴァル・ビヨルクマンが、展覧会に際して発していたコメント(原文英語)を全文転載しておきます。

「我々が現代的であるか否かに関わらず、今日我々が生きている時代は、人類の創世記から脈々と続く流れの延長線上にあります。クロード・レヴィ=ストロースは自著『野生の思考』で、石器時代の未開人たちと今日の我々の考え方の間には根本的な相違はないと述べました。」

「このことはデザイナーの仕事にも大いに関係があると思います。現代のデザインは、概して現代科学と密接な関係にあるとはいえ、デザイナーの仕事とは長年の問題や概念や素材に新たに取り組み直すべく、深い森の中に新たな地平を切り拓くこと。そして、構造から事象を創造し、また事象の力を借りて構造を創造することです。つまりデザイナーには、科学に精通していると同時に、幅広い内容をオールマイティにこなす器用人であることが要求されるのです。」

「我々人間は意味を求める生き物で、デザインとはまさにものごとの意味を照らしだす仕事ですが、しかしその意味が、今の時代が生みだしたものなのか、それとも遥か昔からあるものなのかは問題ではありません。なぜなら、我々の考え方は必ずしも新しいものではないからです。新しいのは、その考え(方)の用い方なのです。」

「The Savage Mind」展より。Curated by Ikko Yokoyama

ここではもうひとつの事例として、レヴィ=ストロースさながら人類学的な視点でつくられたある製品を取り上げてみます。大手家具メーカーであるVitra(ヴィトラ)が今春発表したもので、チリの建築家、アレハンドロ・アラヴェナのデザインによる「Chairless(チェアレス)」。パラグアイのアヨレオ族が座るために使用している、綿素材の長い布地に着想を得ています。

長く"椅子"を持たない生活を送ってきたアヨレオ族。彼らの経済状況では入手できるものに限りがあるという現状もさることながら、たとえ "椅子"が購入できるとしても、遊牧民である彼らには"椅子"を所有する必要性は低いものだったのです。また彼らの祖先は、"椅子"がこの世に使われる以前からこの布を使って暮らしていたのです。「座る」という行為、それもいかに快適に座るのかという人の欲求について考えた40代の建築家と提案のフィージビリティをとらえた企業との出会いによって、かつてなかったプロダクトが完成したのでした。

写真左:Vitra社「Chairless」の開発に影響を及ぼしたアヨレオ族の布。地面に腰を下ろすとき私たちは無意識に脚に両手を回すが、そうした本能的ともいえる人の行為が形になったもの。
Photo © Jose Zardini & Walter Biedermann
Photo courtesy of hhstyle.com
写真右:壁によりかからずに長時間座る姿勢を保つことができる「Chairless」。ヴィトラ社の他製品の製造で生じる端材が本製品製造に活用されるなど、製造方法にも特色がある。
Photo © Vitra(www.vitra.com), Photo courtesy of hhstyle.com


両手を脚にまわす行為の代わりに紐を使う。腰をおろした床や大地そのものが、いわゆる"椅子"の一部になるという発想です。膝を両腕で抱える状態とは異なり、紐を使うことで両手を自由に使うこともできます。「座るという行為をより原始的でミニマムな道具に近づける。そのためにはすでにある物から不必要な要素を削除していく方法を考える人もいるかもしれないが、アヨレオ族の紐もこの製品も、物から抽出されて完成したのではない。むしろゼロの地点から必要最小限の要素を加えたところに完成した」とヴィトラ社。「原点は物(椅子)ではなく、人間の身体とその動作」。気鋭建築家との恊働のうえ、"人"そのものを洞察したプロダクト。量産製品の開発を行う企業の興味深い提案です。

文:川上典李子


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展覧会も開幕2日目を迎えた4月25日、来日中の本展アシスタントディレクター、フィリップ・フィマーノによるギャラリーツアーが行われました。

ツアーは会場1階からスタート。まず本展のコンセプト構想の経緯、総勢71組の参加作家たちのさまざまな作品には、問題意識や制作方法、素材の共通性があることを紹介。
「黒」を基調とした作品が並ぶ1階ではポスターにも使用されているアトリエ・ファンリースハウトの「ファミリー・ランプ」を始め、作品ひとつひとつを説明。未来の家族のあり方や、動物との関わりの重要性、手をつかったものづくりといった本展のテーマについて解説しました。



階段を降りると、次は「地下ホール」。レザーを用いた作品や動物を模した作品を通して、アニミズム的な自然との繋がりに気付かされます。「ギャラリー1」はナチュラルな色や木、ガラスといった素材、制作過程に即興性を取り入れた作品を中心としたエリア。ちょうど会場を訪れていたアーティストのニコラ・ニコロフ(スタジオ・リ・クリエーション)と、ガラス作家のタニヤ・セーテルが自ら作品を解説する場面も。



彫刻の庭のように構成された「ギャラリー2」には、ものづくりの過程や素材の研究を重視した作品や、未来のテーブルをイメージさせる作品たちが並びます。それぞれの作家の意図を丁寧に説明しながら、ツアーは進みました。フィリップ・フィマーノが宝石箱のようなイメージと語る、メタリックな作品を集めた「アネックス」エリアを抜け、ギャラリーツアーは終了。その後、フィマーノや作家たちに直接参加者から質問をする様子も見られ、展覧会を広く深く知ることができる充実した時間となりました。

ノルウェーでのタニヤ・セーテルによる子どもワークショップの様子
タニヤ・セーテルのフードアート

続いて登場したのは、ノルウェーのアーティスト、タニヤ・セーテル。アイスランドの火山噴火を見て、ガラスがいかに自然な素材であるかを再認識したと言います。ミニマルな表現を追い求めていたセーテルは、ある時機能性に飽き始め、手づくりを懐かしく感じます。子どもの絵からガラス作品を制作したり、フードアーティストとともに吹きガラスの熱を用いた料理に挑戦したり。良いアイデアを他の人と共有することで、より良いものができると語りました。

インドでのカーリン・フランケンスタインの作品

スウェーデンから来日したアーティストのカーリン・フランケンスタインは、窯が与えるセラミックのサイズ制限に不満を感じていました。3年前にインドを訪れた際、現地の伝統的な日干しレンガの技法に出会い、ストレスのない制作活動に入れたと言います。展示作品では、牛糞を用いた荒々しい素材とサロン風の形で、緊張感を表現したというフランケンスタイン。自然とプロダクトとの関わりについて、多くの対話を生み出すプロセスが大切だと語りました。

会場の様子

最後にリー・エデルコートが再び登壇し、ポスト・フォッシル時代の「生きた証」である二人のアーティストに拍手を送りました。希望、愛、想像力、健全な暮らし、視野の広さ、謙虚さ、冒険心、共有の概念を備えた、新しい世紀の新しい作家たち。展覧会のオープンに合わせて来日した7人のクリエーターを、アシスタント・ディレクターのフィリップ・フィマーノがユーモアたっぷりに紹介しました。会場からも、作品のサイズからエデルコートの夢まで興味深い質問が飛び交い、展覧会のオープンにふさわしい熱気に満ちたひとときとなりました。


PART1 「ポスト・フォッシル」が意味するもの
PART2 新世代の作家たち

会場でのリー・エデルコート

「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展の開幕となる4月24日、本展ディレクターのリー・エデルコートと参加作家のタニヤ・セーテル、カーリン・フランケンスタインによるオープニングトークが行われました。
エデルコートはまず、本展の企画のきっかけとなった三宅一生のキーワードを紹介。それは、デザインの次の時代を切り開こう、という願いを込めた「break(ブレーク)」でした。

会場入口に展示されている「ドゥー・ヒット」や展覧会のポスターにもなった「ファミリー・ランプ」など、象徴的な作品を例にあげながら、消費者が制作プロセスに関わり、アートとデザインの境界が消え、新しい家族のあり方が模索される「ポスト・フォッシル」時代のものづくりについて丁寧に解説。
展覧会のタイトルには、「アフター・フォッシル」、「ネオ・フォッシル」という二つの意味を込めたと語ります。

マライン・ヴァンデルポル「Do hit」
アトリエ・ファンリースハウト「Family Lamp」

原始的な素材の可能性に耳を傾け、表現は概して控えめ。人間と自然や動物の関わりを探求し、リサイクル、リユース素材を活かし、即興性を取り入れる。美よりも制作プロセスを重視してプロダクトに魂を吹き込み、人々が愛着を持てるデザイン。

ナチョ・カーボネル「Evolution Collection」(会場写真)

理論と感覚に橋をかけ、手をつかった仕事を再評価し、化石燃料時代の次を担う新世代の作家たち。今年4月のミラノサローネでエデルコートが最も感動したという、ナチョ・カーボネルをはじめとした様々な作品のスライドを上映しながらの説明でした。


PART1 「ポスト・フォッシル」が意味するもの
PART2 新世代の作家たち

ディレクターからのメッセージ

大転換の時代が到来しました。
社会は今や前世紀と永遠に決別しようとしています。今日では問題視されたり疑問が示されたり、破綻をきたしている創造行為におけるさまざまな決まりごと、理論的な諸ルール、さまざまなスティグマ(汚点)を断ち切るために。そして、物質至上主義を脱却し、代わりに、慎ましく地に足がつき、組み立て直された状況を実現するために。

ここ数十年で最悪の金融危機の余波を受けて、流麗華美な、デザインのためのデザインの時代は終わりを告げています。新世代のデザイナーたちは、彼らのルーツをたどり直し、自分たちの地球を今一度清め、時には世の始まりにも遡りながら人類の歴史を研究しています。

このプロセスを通して、彼らは自分たちのデザインを考案し、具体化していきます。素材はまさに自然でサステイナブル(持続可能)なものを中心とし、とりわけ木材や皮革、パルプやファイバー、あるいは土や火を好みながら、現代の穴居人さながらにシェルターやさまざまな道具、手づくりの機械類を新たにデザインし、つくり直しています。また、古代のさまざまな儀式を、より簡素な、しかしながら満ち足りて充実したライフスタイルを創出するべく再解釈しています。明日のフレッド・フリントストーン(*1)のように。

骨格構造は、生物の生長過程に倣った太古の住居や千年来のさまざまな造形物を特徴づけます。また、手吹きガラスや手焼きのうつわが未来の食卓を彩り、いつしか食されなくなっていた野菜や地元で収穫された旬の食べ物が盛られ、さらなるスローフードが提案されることでしょう。

素材は概して地味で慎ましいものとなるでしょうが、しかしながらこの世代のデザイナーたちは、地球が大地に秘める富、すなわち鉱物や合金やクリスタルの利用にも誘なわれ、艶、そして時には輝きまでをも、これら一連のフォッシル(化石)のようなコンセプトとクリエーションに付加します。これらのデザインでは、じきに復活する運命にあるアルテ・ポーヴェラ(*2)の本質に共鳴するところも、時に見ることができるでしょう。
こうした動きの主要素となっているのは"自然"です。ここでは自然はもはや無邪気で情熱的なエコロジー言語の文脈では用いられていませんが、しかし、さらに新しい時代にふさわしい成熟した哲学として用いられています。提起されるべき問題を、提起すること......。


より豊かになるために、より少ないものでやっていけるでしょうか?
デザインは魂を持ち、それゆえ生気に満ちたものとなりうるでしょうか?
人はより意味ある消費の方法を見つけられるでしょうか?
私たちは、過去と決別し、新たな未来を創造できるでしょうか?

リー・エデルコート



*1 アメリカのテレビアニメ「原始家族フリントストーン(原題:The Flintstones)」の主人公。
*2 1960年代後半にイタリアで起こった芸術運動で、美術評論家であるジェルマーノ・チェラントの命名。原義は「貧しい芸術」。セメントなどの工業素材、石や木などの自然の素材を用いた作品が生まれた。

展覧会ポスター


「もし何らかの理由でニューヨークに住むことが出来なくなったら、東京に住みたいです。」生前のジャンヌ=クロードがよく口にした言葉だ。世界中の情報が集まる都市に魅力を感じ、また働き過ぎの日本人に自らの姿を重ねての事だったのだろう。その気持ちはクリストも同じだろう。
東京で十数年ぶりに開かれる二人の展覧会が、古くからのファンだけでなく、ものづくりの新しい発信地である六本木に集まる観客の心を掴むことに期待したい。

柳 正彦



クリストとジャンヌ=クロードこそ、現代美術のヒーローとよぶにふさわしい。最初はだれもが、不可能、と思う。それを十数年もの歳月をかけ、徐々に人々に理解させ、賛同者を増やし、ついにはその都市の市長をも虜にし実現してしまう彼らの情熱と魅力。プロジェクトのスケールの大きさはもとより、そこへ到るまでのプロセスも感動的だ。柳正彦さんはじめ、たくさんの協力者の力をひとつに集め、皆で実現へ向けて取り組む姿は、いつも大らかで、希望に満ち溢れている。

三宅一生

サマースクール「デザインのコツ」:体育A



ひびのこづえは、現在伊丹市立美術館と春日美術館で開催中のキタイギタイ展の、てぬぐいにもなるポスターから話を始めました。
展覧会は「骨」展に通じるところがあり、様々な生物の形をした服や家具が展示されているそうです。
ひびのは「NHK教育 からだであそぼ」での衣装デザインとセットを手がけており、体の部位をテーマとした映像を紹介しました。

ひびのは、制作時には自分のひらめきや感性を大事にすると言います。衣装では少しグロテスクな部分があってもストレートに表現するようにしているとのこと。
例えば「ほねほねワルツ」という骨がテーマの映像では、白黒の骨がプリントされた衣装を着て踊るダンサーのために、真っ赤なステージを用意しました。それは、骨の周りには血があることを瞬時に感じたからだと話します。
他にも、血管の模様がプリントされた全身タイツに心臓や肺などの臓器をモチーフとした小物を組み合わせるなど、多くのユニークな衣裳をつくっています。番組中ではダンサーの森山開次がそれを着て踊りました。後半は友人でもあるコンドルズ主宰・振付家・ダンサーの近藤良平が登場し、ひびのが野田英樹作・演出の舞台「パイパー」で近藤のためにデザインした衣裳を近藤が着て説明をするという豪華な共演が実現。



ひびのは、ダンサーのために衣裳をつくると、服を着た時の体の動きについてのフィードバックを得やすく、服と体の密接な関係がリンクしやすく、デザインが決まりやすいと話しました。

サマースクール「デザインのコツ」:美術



デザイナーでも科学者でもない立場だからこそ、美術館や博物館とはデザイン、サイエンス、エンジニアリングという三者の接点になりうるのではないかという切り口で語った西野嘉章。
東京大学総合研究博物館に着任し博物館と展示のあり方を考え続けてきた経緯の中で、ものの存在の背景にある「リアルさ」が感動につながると言います。持参したイノシシの骨と石器を来場者に触らせながら、生物が痕跡を残した証明としての骨、また100万年の間同じ形が保たれていた人工物として石器を紹介しました。更に、実物のハンドアックス(石器時代の手斧)を見せながら、自然界に存在しない「対称性」をつくったことが人間の創造力の大きな進歩を指し示していること、ものを認識し頭の中でイメージして形を創造するという行為こそ人間が最初に持った美意識ではないかと問いかけました。



そして、自然界に存在する知恵をクリエーションに生かしていくためのデザインの意義についてふれ、アートとサイエンスの中間にこそ新しい何かが生まれるのではないかと語りました。型にはまった区分ではなく、「定義されないもの」こそが興味深いという考えから、「美術」以外は受け入れないという従来の美術館の体制を壊し、新しい文脈を生み出していくことが重要なのではないかと語る西野。「〜にあらず」という姿勢の重要性や豊かさを通して、既存の概念や枠組みにとらわれずに文化を創造していくことの大切さを教えてくれました。

サマースクール「デザインのコツ」:社会



3時限目「社会」の授業では、本展ディレクターの山中俊治が、身の回りのものの形と構造、そしてそれらと社会とのつながりを体感するためのスケッチ教室を開催しました。

まず参加者それぞれが鶏を描いてみることからスタート。人間の脳は特徴を抽象化して記憶している場合が多いため、何も見ずに鶏を描くには、たとえば足の仕組みを考えて描くと描きやすいと山中は指摘します。画家が物体のディテールを細かく見るのは、その物体の仕組みや構造を正確に捉えるという目的があるのです。次に、「公共空間にあるもの」を題材に、信号、そして普段私たちが使用しているSUICAの自動改札機を描きました。山中は、SUICAの形状の説明に加え、10年前にJR東日本に依頼されて始動したSUICAの開発プロセスについて、映像とともに語りました。開発や制作にあたり丁寧な実験をすることでデザインが社会性を獲得するとし、デザインとアートの違いにも触れました。



続いて、大根おろし器。山中はGマークを受賞したOXO社の大根おろし器の開発の経験を通して「私達が知っているもの、いつも使っているものを丁寧に観察していくこと」こそが、道具に変化をもたらすきっかけと成りうると言います。
最後は、山中が参加者の質問とリクエストに応えて人間の走る姿や手、自動車等を描くコツを披露しました。



4月25日(土)、南伊豆を拠点に活動する陶芸家 塚本誠二郎と三宅一生によるクリエイターズトーク3「ものづくりと環境」が行われました。

塚本は学生時代に旅した伊豆に魅了され、その後東京で見た陶芸展で「ものの後ろ側に人が感じられる焼き物の可能性」に注目。伊豆に居を構えて38年。陶芸においては、「成分が均一でない伊豆の土が、焼くことでたわんでいく表情」が魅力だと語りました。自身が暮らす環境を軸に様々な作品を制作し、近年は陶芸だけでなく、幅広い表現方法で作家活動を行っています。

東京のギャラリーで塚本の仕事に出会った三宅は、後に作品が「自然のままにごろごろと」並ぶ伊豆の自宅兼工房を訪れ、「生活の中で日本や地球全体が抱える環境の問題と対峙しながら、とどまることのないアイディアと独自の方法で表現を続けている」塚本の人柄に感動したと言います。

美しい海と山を抱える伊豆の自然の中で、「山をがりがりと削るような、機械を使う人間の力」が及ぼす影響を痛感するという塚本。三宅は「ものづくりをする我々は、常に時代と社会について考える必要がある」と語りました。満員の会場には、塚本のうつわや家具が特別に展示され、ものづくりと環境について多くを考える機会となりました。


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塚本誠二郎 展 
2009年5月18日(月) - 30日(土)
12:00 - 19:00 (最終日17:00まで)日曜休廊
巷房ギャラリー
104-0061 東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル3F Tel/Fax 03-3567-8727

次々に変身していく姿がユニークな東信の展示作品「LEAF MAN」。今度はなんとお正月バージョンとなって登場します。
今回は、お正月の飾りとして使われる松やしめ縄を使い、「謹賀新年」を演出すべく大胆に変身予定です。
会場の中で新年のお祝いムードを盛り上げる「LEAF MAN」。1月3日より、皆さまのお越しをお待ちしております。

12月20日、クリスマスを前に、21_21 DESIGN SIGHTにたくさんのリーフキッズが登場しました。写真は、「セカンド・ネイチャー」展参加作家のひとりで、フラワーアーティストの東信によるこども向けワークショップ「リーフキッズになろう!」の様子です。

東信
モデル気分でフィッティング
集合写真
東信と十人十色のリーフキッズ

ワークショップではまず、東のイラスト入り特製カタログで、ペラ、レザーファン、イタリアンルスカスなど、この日に使う10種類以上の草葉についてお勉強。こどもたちは、めずらしい草葉を手に取ったり、においを嗅いだりしながら、自分のオリジナルマントのための材料を選びます。続いて、緑色に染められたネットに草葉をからめながら、思い思いに制作を始めました。

東はこども達一人一人に丁寧に声をかけながら、「茎が長いものからからめていく」ことなど、制作のコツを伝授。「地道な作業だな」とつぶやくこどもには、「じゃないとリーフキッズになれないよ」と、特有のユーモアで返します。東によるマントのフィッティングには、こどもたちもモデル気分で応じました。

あっという間に制作時間が終了し、完成したマントをまとったリーフキッズは、東の作品「LEAF MAN」と一緒に記念撮影。孔雀の羽のように華やかなマント、簑のようにぎっしりと葉が編み込まれたマントなど、十人十色のリーフキッズ。ワークショップ終了後には、マントを着たまま帰るこどももいるなど、大満足の様子でした。

11月中旬に登場したクリスマスバージョンの「LEAF MAN」が、12月24日、25日限定でさらに華やかに変身します。今回は、スターアニスやリンゴのオブジェを使い、色鮮やかにクリスマス気分を演出。2日間しか見ることのできない「LEAF MAN」、ぜひお見逃しなく。

現在開催中の吉岡徳仁ディレクション「セカンド・ネイチャー」展で展示されている東信の作品「LEAF MAN」。実は毎週少しずつ変わっているのです。そのリーフマンが11月18日、クリスマスバージョンへと変身しました。その模様をレポートします。


午前10時、東信とそのスタッフが集まり、リーフマンの模様替えがスタート。東のイメージスケッチをもとに、4時間を費やしながらクリスマスバージョンへと変身していきました。

イメージスケッチ
変身
足部分


今回は、ひばや杉、コニファーなどクリスマスシーズンによく見かける植物を使い、華やかに変身。実つきのヒバ、大きな松かさを使った演出もあります。

「LEAF MAN」では作品に用いる植物の種類が予め決められているため、他の植物で表現したのは今回が初めて、と東。季節にあわせて変身するリーフマンは、東にとって初めての実験的な試みなのです。21_21 DESIGN SIGHTで、今しか見ることができないスペシャルなリーフマン、12月24、25日にはさらにバージョンアップして登場する予定です。ぜひお見逃しなく。

公開制作の様子


何百枚もの白紙をカットし積み上げて、うごめくような起伏のある作品を生み出している安部典子。10月25日には「形としての時間」と題して、21_21 DESIGN SIGHTで公開制作を行いました。4時間半に渡る公開制作の間、一枚一枚フリーハンドでカットされた紙を積み重ねて完成した凹と凸の一組の作品「Work No. 2121, 102508」は、「Second Nature」の文字をかたどったもの。この作品に安部は、「文字を切ることからはじめ、文字をそこから自由にしていくことで、純粋に形だけにしていこうと思った」とのこと。これは、「半分は人間が、もう半分は自然がつくる」という吉岡徳仁の出展作品にも通じるものなのです。

そして、公開制作終了後に行われた上條昌宏(本展企画協力)とのトークでは、安部典子が今の作風にたどり着くまでの経緯や、作品に込めた想い、現在の活動について語られ、今回のイベントのタイトル「形としての時間」についても触れられました。安部にとって「形」とは、「時間が形になる木の年輪のように、形(作品)は見えない時間の流れを視覚化したもの」であるとのこと。確かに完成した作品には、言葉では表現しきれない時間の流れと自然の起伏が刻まれていました。

アットホームな雰囲気の中で行われた公開制作。参加された方は、どんどん積み上がって形になっていく作品に不思議そうに見入ったり、気軽に質問をしたりと、たくさんの交流がうまれた場となりました。

Work No. 2121, 102508

8月17日、「祈りの痕跡。」展ディレクターの浅葉克己によるスペシャルガイドツアーが行われました。ツアーは、居庸関のハタキで頭の埃を払うことから始まります。最初のコーナー「痕跡」では、棟梁であった神前弘が80歳から毎日つくり続けた『おじいちゃんの封筒』約700点や、ポスタービジュアルにもなっている大嶺實清の『家 〜風の記憶シリーズ〜』、木田安彦『不動曼陀羅』などに出会います。人に「怒った顔が不動明王に似ている」と言われたことから、余った絵具で自画像のつもりで描き始めたという木田の「増殖する絵画」は650点。作家は、1000点できたらまた1から描き始めようと考えているそうです。

次のコーナー「文字の世界」では、まず、浅葉が日常の出来事やアイデアスケッチを書き留めた『浅葉克己日記』を鑑賞し、7年分の日記から、浅葉の創造の軌跡を辿ることができます。杉浦康平『文字の靈力(れいりき)』では、「春」という文字を着る小袖や「福」という文字を飲む酒器など、一風変わった文字を楽しみながら、その豊かな広がりを感じられます。浅葉が吉村作治の協力で古代エジプト王の名前を重さ1トンの御影石に刻んだ『ヒエログリフ』、同じく楠田枝里子協力の『ナスカ・パルパの地上繪』などで、古代人のコミュニケーションに思いを巡らせた後は、「アジアは文字の宝庫」という浅葉が17年間中国の奥地、麗江に通い続けて研究したトンパ文字の新作『トンパ教典「黒白戦争」』が登場します。世界で唯一の「生きている象形文字」から、数千年間手書きでのみ伝えられてきた物語を読み解きます。また、今では失われたカードもあるという『トンパタロット』や、浅葉の貴重なコレクションである『トンパ教典』も、その秘められたエピソードが聞き逃せない展示品です。

この他にも、円空の「護法神」、長さ13mもある江戸時代の万能守「九重守」など、最後の展示品である服部一成『おみくじ』まで、見どころたっぷりの本展を、ディレクター自らによるユーモアあふれる解説でめぐるスペシャルガイドツアーに、参加者は大満足の様子でした。次回のスペシャルガイドツアーは、9月7日(日)を予定しています。ぜひ、ディレクター自身の解説を体験してみて下さい。

7月20日、現在開催中の展覧会「祈りの痕跡。」のオープニングリレートーク、「『祈りの痕跡。』プロダクションノート」が開催されました。このトークは、ディレクターの浅葉克己が参加作家の大嶺實清、服部一成、石川直樹とリレー形式で展覧会開催までの足跡を辿るというもの。まずは浅葉克己が、「誰が最初にあと痕をつけたのか」という問いかけが本展の出発点になったことを披露し、展覧会開催までの濃密な準備期間の秘話を公開しました。

浅葉は、沖縄で活動する陶作家、大嶺實清のアトリエを訪ねた際、家のかたちをした小さな陶の数々に興味を引かれました。これらは、「土は原土が好き」という大嶺が、日々の制作の最後に「余った土をひょい、ひょいと、ワンタッチでぽんっと置いて、へらでぱっぱっとしただけのかたち」。沖縄に古来存在するという、生と死の中間にある「祈り」の世界のかたちを次代に伝えていきたいという、大嶺の願いをあらわした作品です。

浅葉克己×大嶺實清


グラフィックデザイナーの服部一成は、オフセット印刷の4原色(CMYK)を用いて新たな表現に取り組んだ『視覚伝達』の延長線の新作を、という浅葉克己のお題に、「吉や凶といった文字に自分の運命をゆだねるという、僕らの生活に遊びとして入り込んでいる『おみくじ』」で応じました。照明デザインの藤本晴美とともに、照明の色が変わることで作品の色調が変化するという、グラフィック史上まれに見る展示を完成させました。さて、この展覧会は、吉と出るか、凶とでるか。

浅葉克己×服部一成


冒険家として名高い石川直樹と「地球文字探険家」浅葉克己を結びつけたのは、石川による写真集『NEW DIMENSION』。この写真集から、「これこそ祈りの痕跡」という思いで、2点の写真作品を出展しました。パタゴニアの「NEGATIVE HANDS」とよばれる壁画は、今から千年以上も前に、人びとが洞窟の壁面に手を押しつけ、壁にむかって顔料を口で吹き付けてできた「手の痕跡」です。石川は、そこには「壁の向こう側の世界への祈りがあったのではないか」と考え、洞窟から見た遠い湖の写真とともに展示しました。

浅葉克己×石川直樹


文字通り、浅葉克己が脚で探した地球発アート。ぜひ会場でお楽しみください。

「地球文字探検家」浅葉克己ディレクションによる「祈りの痕跡。」展が、本日より開催されています。
本展では、"文字とは、「伝えたい」という祈りにも似た、人の強い思いの究極の形である"というアートディレクター、浅葉克己の考え方を通して、地球に残されたさまざまな表現を紹介しています。
文字通り、浅葉克己が脚で探した「祈りの痕跡」の数々をお楽しみ下さい。

また、明日午後2時より、オープニング・リレートーク「『祈りの痕跡。』プロダクションノート」が行われます。本展ディレクターの浅葉克己が参加作家の大嶺實清、服部一成、石川直樹とリレー形式で語る、展覧会開催までの秘められた足跡。 展覧会が二重、三重にも楽しめる、個性豊かなリレートークに、ぜひご参加ください。

展覧会ポスター

20日、国立新美術館講堂において21_21 DESIGN SIGHTのオープン1周年を記念した『デザイン・トーク』が開催されました。三宅一生、佐藤 卓、深澤直人の3ディレクターによるトークの前には、スペシャル企画として、イサム・ノグチ庭園美術館学芸顧問の新見 隆にイサム・ノグチの人と作品についても簡単なレクチャーをしていただきました。

新見隆


約20分という短い時間ながら、イサム・ノグチが広い意味で20世紀のモダニズムを越えようとした芸術家であり、西洋近代彫刻の代表ともいうべきブランクーシに師事しながらも、みずからは東洋的な思想を彫刻表現に取り入れた新たな造形を生み出したことなど、スライドを交えた解説はとても興味深いものでした。

続いて行われたデザイン・トークはアソシエイトディレクター川上典李子を司会に、開館までの経緯やこの1年の活動について、ディレクターたちがそれぞれコメントを発表。これからの21_21 DESIGN SIGHTはどうなっていくべきかなど刺激的な意見も飛び出しました。

川上典李子、佐藤 卓
三宅一生、深澤直人


トークの後は次回展『祈りの痕跡。』展のディレクターであるアートディレクターの浅葉克已が登場、展覧会の内容について紹介しました。手旗信号などを交えたパフォーマンスで会場は大いに盛り上がりました。

なお、この「デザイン・トーク」の模様を記録した映像を1時間に再編集し、上映会を開催することが決定しました。来場いただけなかった方、ぜひこの機会をお見逃しなく! 
(詳細は関連イベント情報をご覧ください)

イサム・ノグチ・スペシャル 一覧リスト へ

このレクチャーは、2008年6月20日(金) 国立新美術館 講堂にて開催された21_21 DESIGN SIGHT 1周年記念講演会「デザイン・トーク」中で行なわれました。

21世紀人展とコレスポンダンス


こんにちは、新見です。イサム・ノグチさんの美術館が10年前に立ち上がりまして、そこの顧問をしております。今日は三宅一生さんから、少しお話をしろと依頼を受けて参りました。今回三宅さんが、ディレクターとして立ち上げられた『XXIc. --21世紀人』展を見せていただいたのですが、大変感動しました。その印象から始めたいと思います。その前に申し添えますと、僕は三宅さんが、1930年代、ノグチの若い頃の、中国でのこの仕事をほんとうに偶然、さまざまな奇縁に導かれるようにして発見されて、ここから展覧会を発想されたということを聞いております。

さて、僕の受けた印象というのは、簡単な言葉なのですが、「万物照応」ということです。これは新羅万象が響き合って、動物などの生きもの、小さな花、それから風や宇宙、そういうものが響き合っているという意味です。英仏語ですと「コレスポンダンス」という訳語になります。普通は手紙をやりとりしたり、話をしたりという意味に使います。このコレスポンダンス、万物照応というのは、19世紀末のフランス象徴派を主導したボードレールという人が、芸術文化の根幹にある概念ということで提唱した言葉です。それが150年後の今、21世紀になって、大事なのではないかという時代がやってきたように思います。

ごく簡単に申しますと、20世紀は近代主義、文明などと言いながら、単に生活が利便になればよいんだというようなことで科学や技術が発展してきました。僕らはその利点を受けてきたわけですが、一方で環境問題、戦争、民族間の抗争、食糧の危機など、さまざまな問題を背負ってきたと思います。近代主義が始まったのは19世紀の半ばですが、その時代にボードレールが「芸術と文化の根幹は、新羅万象と響き合う自然の心」と「肉体」というふうに捉えた。

今回の展覧会では、三宅さんご自身も再生紙を使った、非常にバロック的というかアジア的というか、「東洋のバロック」とでもいうものを感じさせるような空間を、素晴らしいインスタレーションで実現されていました。ほかにもティム・ホーキンソンさんの《ドラゴン》、デュイ・セイドさんの《スティック・マン》などにも東洋的なものを感じました。そういう意味で展覧会全体が「アジアのバロック」という感じがしたのですね。それらを通して三宅一生さんからの強烈なメッセージとして、「コレスポンダンス」という概念を僕は受け取りました。

ポストモダニストとしてのイサム・ノグチ


前置きはこのくらいにして、本題のノグチの話に入りましょう。《スタンディング・ヌード・ユース》です。制作されたのは1930年、若い頃ですね、ノグチという人は1904年生まれで88年に亡くなられましたから、まさに20世紀をそのまま生きた----明治の終わりからずっと、大正、昭和と生きてこられた方ともいえます。ひとつ、ちょっと乱暴なアイディアを話したいのですが、イサム・ノグチはポストモダン的な人だったと僕は思います。
ポストモダンというと、70年代以降に様式折衷的に起こった、デザインや建築の一原理だと勘違いしている人がとても多い。しかしそうではなく、ポストモダンはもっと大きな概念です。いわば文明の進化論的な、利便になればよい、文明さえ発達すればよい、ものさえつくれば人間幸せになるんだという、そういう文明進化論的な考え方に対して、非常に懐疑的で批判的で、反省的な視座として始まった運動です。

倉俣史朗さん、磯崎新さん、三宅さんなどの方々が、そのなかにおられたわけですけれど、ポストモダンという思想や運動は終わったわけではなく、実は今から考えなくてはならないものだと思うのです。現代社会はさまざまな問題を抱えていますから、そのなかでのものづくりを考えていかなくてはいけない。その最たる人がノグチだったと思います。

ノグチの仕事を御存知の方もおられるでしょう。あかりのデザイン、陶器、それから公園や庭を手がけました。あかりは、岐阜の提灯を世界ブランドに立ち上げて世界発信した、最も成功した日本のプロダクトデザインのひとつといってよいと思います。

2005年がノグチ生誕101年で、亡くなられて17年でした。彼は亡くなる前に、札幌の郊外のゴミ捨て場だったモエレ沼に行き、「おもしろいから、ここを庭にしよう」と考えて、壮大なパークをつくられた。こういった、晩年の自然とコラボレーションした仕事は、ノグチが21世紀の僕たちにプレゼントしたものといってもよいと思います。

《モエレ沼公園》で彼が考えていたのは、子供が遊んでいる、恋人たちが話をしている、それからいろんな人が憩っている、噴水が、遊具があって、山があって、ピラミッドがあって、植生があって、ということですね。壮大な一種の大地ですが、それを設計されたわけです。ですからそのなかには、デザインの問題も建築も時間も風も場も、空間もある。すべてのものをそこに取り入れたのです。これが「ノグチがポストモダン的である」と僕がいった理由です。

東洋的な循環世界、豊かな空虚


ノグチの作品は、世界中の美術館に収蔵されていますけれど、実は彼が一番嫌ったのはホワイトキューブです。パッキリして、力があって、いわばエリート主義的でマッチョな、白いモダニズムの空間です。そのなかに置かれて、ドラマティックな主役として見られる彫刻を、ノグチは拒否したところがありました。それで自ら自然のなかに出ていって、庭をつくったり、それから自然との時間と空間と風とか、自然とか山とか光とかそういうものとコラボレーションする新しい彫刻を考えた。そのひとつが最後の作品、モエレ沼の公園なのです。

香川県の牟礼町には自宅とアトリエがあって、晩年の20年間はそこを使っておられました。現在そのままのかたちで美術館にしていますが、そこに「エナジーボイド」という作品があります。これは、あまりに高速度でエネルギーが廻っているから、そのなかが真空で抜かれるという状態を作品化したものです。僕らはエネルギーの中心の空虚と言っています。彼はブランクーシのような近代彫刻のチャンピオンから習ったわけですけど、それを超えて東洋と西洋を融合した。

ノグチが好きなのは円環構造というか、世界が全部循環して元に戻ってくる有様です。西洋にもありますが、主に東洋の思想にある、虚無ではない豊かな空虚といったものが好きで、そういう造形をされた。人間の身体のなかにも、そういう循環構造がある。漢方の目で見た人間の身体といえばわかりやすいかもしれません。

ノグチは日米混血の人でありましたから、大変つらい思いをしました。政治的にも制度的にも疎外された、孤独な人でした。ですから彼は制度や近代といったものが大嫌いでした。好きなものは古代的なものですね。人間の歴史を超えた、マチュピチュ、マヤの遺跡、ストーンヘンジやピラミッドなど。モエレ沼に行ってご覧になるとわかると思いますが、ノグチはそれらをコピーしたのではありません。今日僕らが世界遺産として知っている、人間の原風景というか、原芸術というか、おそらく芸術にもなってない、元の姿のものが、そのまま21世紀のかたち、ノグチが考えて感じたかたちとして現れてきている。これがイサム・ノグチの素晴らしさであり、モエレ沼のすごさであると思うのです。


新見 隆(にいみ りゅう、1958年 - )
広島県出身。 慶應義塾大学文学部フランス文学科卒業。1982年から1999年2月まで、西武美術館・セゾン美術館の学芸員として、展覧会の企画を担当。 イサム・ノグチ庭園美術館学芸顧問。インディペンデント・キュレーター。千葉大学教育学部大学院美術専攻、慶應義塾大学理工学部、東京造形大学比較造形学科などの講師を経て、1999年より武蔵野美術大学芸術文化学科教授。

講演会の後半では、いくつかのキーワードを軸にディレクターたちがそれぞれの考えを述べました。21_21 DESIGN SIGHTの今後について、活発な意見交換が行われ、盛況のうちにトークを終了しました。

深澤直人


川上
21_21 DESIGN SIGHTの現在と今後について「考える、つくる」という観点から進めていきたいと思います。ディレクターとして、この1年はどんなことを考え、感じられたのかについて、順に話していただけますか。深澤さんからお願いします。
深澤
我々ディレクターの会話や、あるいは展覧会を見た感想を寄せてくださったなかでしばしば登場したのは、「我々がやっているのは、デザインなのか、アートなのか」ということでした。この問いに、明確な答えを出すというより、私たちがおぼろげながら感じている共通点があると思います。
近年の問題として、人間の身体と心が乖離してしまったことがあると思うんです。身体が自発的に環境に調和しようと働いて、人間は自然体になった時に喜びを感じる。生きているという実感を得る。でも、実際はそれがなかなかできないことが、悲哀やドラマや、自己を知るきっかけになって、デザインやアートの根源になるんじゃないかと思うのです。つまり私たちの脳、心は、いまの環境をコントロールできない悲哀みたいなものを、なんとなく感じてるんですよね。だから21_21DESIGN SIGHTという場も、結果的にその問題に収束していく。だれもが調和を取り戻していきたいという願望があると感じています。

最近思ったのですが、人間の無意識の選択というのは、すべて生きることにつながっている。人間の心理だけが、秩序を失い混乱させてしまう。自然に復帰する、人間らしさを取り戻していくという大きな流れのなかで、クリエイティブな活動をしていく場所ーーそれが21_21 DESIGN SIGHTであると定義づけています。

さきほどの水展のお話にもありましたが、卓さんがおっしゃったように、我々はやっぱりほとんど知らないんですよね。自分自身のことも、人間であることも。それに気づくようなことを誰かがやらないと。その感動こそ、僕らが目指すところなのかなと思います。
佐藤卓


川上
佐藤さんの「考える、つくる」で、今後、大切になっていくことについて、どのように考えていらっしゃいますか。
佐藤
いまデザインはどのメディアでも取り上げられています。でも、見ていますと「もの」のデザインが取り上げられて語られることが多いようです。視覚的におもしろいものっていうのは、取りあげやすいですから。でも実は、「もの」のデザインの奥には「こと」がある。そして我々は「もの」を通して「こと」をつくることをやっているんだと思っています。一生さんも「ことのデザイン」とおっしゃっていますが、たとえばそれは「もの」と人の関係のあいだで、なにが起きているかを考えることですよね。そうすると、深澤さんが言われたように、人の側でなにを受け取っているのかっていうことを、よく観察し見ていかないと、ものの周辺で起きていることの本質は見えてこない。
人とものの関係、デザインと人の関係はどうなっているのかを、検証したり探っていくことって、意外といままでされてこなかったんじゃないかという気します。たとえば、人が目で見たときに、頭のなかで記憶や体験と照らし合わせたりしながら、一体なにが起きているのだろうと。そういうことを考えていくと、デザインの問題としてどんなことにもテーマを設定できるんです。僕の場合はやはり、グラフィックデザインやコミュニケーションデザインをやってきて得たデザインの技術を、そこで活かせないだろうかと考えるわけですね。
川上
たしかに、ものの周辺に目を向ける活動は、多くの方がデザインに興味をもっている今という時代にこそ、まさに必要なことなのだと思います。三宅さんのお考えはいかがですか。
三宅
いくつかのおもしろい現象はあると思いますけど、今という時代は、売るためのデザインや広告を競いあっているような部分もあるのではないかとも感じます。フランス語でデランジュというのは人を惑わすということですが、僕が2000年に自分のデザイン活動を変えたのも、デザイナーがデランジャー、惑わす存在なのかと、とても疑問を感じ始めたからなんです。
もっとみんなの普通の生活に目を向けなきゃいけない、ないしは新しい方法論を考えなきゃいけないんじゃないかと思ったわけです。そのころに藤原大と一緒にA-POCを始めた関係もありまして、新しいチームで仕事をした。そして僕が思ったのは、どんどん自由にしていかないと前に行けないよ、ということでした。
ディレクター4人


三宅
この21_21 DESIGN SIGHTも、プロレスじゃないけれど、リングにしても良いのでは、と思っています。今日いらしてる方たちにも、この場所をだれもが参加できるリングのように考えていただいて、こんなことをやってみたいとか、こんなものが欲しいということを自由に言ってもらえたら、より活気のある楽しい場所になるんじゃないかなと思っているのです。今回のトークが、国立新美術館が我々に場所を提供してくださって実現したのも、相互関係やコミュニケーションがとても重要になってきたひとつの象徴だろうと思うんですけれども、今後我々も逆のかたちでやりたいなと思っています。
佐藤
ちょっといいでしょうか。僭越なのですが、僕は三宅一生さんの直感力に、衝撃を受けているんです。直感力って身体性なわけで、まさにその、リングで闘い合うっていうのはそういうことだと思うんですが、いまの世の中っていうのはどちらかっていうと理詰めで説得していかなきゃいけないと。それをなんとかしたらどうっていうのが、「XXIc.-21世紀人展」なんじゃないかって思ったりしてね。どうでしょう、深澤さん。
深澤
そうですよね。「XXIc.-21世紀人」は、直感のかたまりみたいなものかもしれない。一生さんの仕事の仕方は、僕のやり方と全然違うので、僕も圧倒的に驚く部分が大きいです。
川上
おふたりはそうおっしゃっていますが、三宅さん、いかがでしょう。
三宅
嬉しいですけれど、照れくさくもあります。それよりも、21_21 DESIGN SIGHTにいらしてくださる外国の方とお話していて痛感するのは、日本の文化の伝統を理解したうえで、もっと積極的に日本のものづくりを考え直していくことなんです。そして、その記録を、アーカイヴをつくっていくこと、同時にキュレーターなど、人材を育てていくことに着手しなければいけないですね。それは我々だけの力でできることではなく、やはり日本という国のレベルで、国が許容力をもってこの動きに参加していただきたいと思っています。
川上
そうですね。21_21 DESIGN SIGHTというひとつの場が生まれたことをきっかけに、様々な立場の方々と意見交換をしてきたいですね。今日は21_21 DESIGN SIGHTをリングにしてもいい、という話も出ましたが、デザインについて、表現するという行為について、つくるという意味そのものについて、枠を超えて多くの方々とさらに意見を交わしていく機会を、今後も引き続きつくっていきたいと思います。今日はありがとうございました。


2008年6月20日国立新美術館・講堂にて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/五十嵐一晴


vol.1 21_21ができるまで
vol.2 独自のアプローチを試みた企画展
vol.3 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ

参加作家の鈴木康広さんによるクリエイターズトークが、15日に行われました。鈴木さんの作品《始まりの庭》に感動したモデルのKIKIさんが特別出演。梅雨の中休みの晴天に恵まれた日曜の午後のひととき、日常の何でもないことにも「発見」があり、それを伝えることが大切と語る二人のトークに、会場には爽やかな感動が広がりました。冷水の入ったコップの回りにつく水滴からヒントを得て今回の作品を発想した鈴木。目に見えない空気中の水を、結露として視覚化。普通は敬遠される結露を作品に取り込んだことに対し、KIKIさんは「驚きました。少しでも楽しみかたを探る方がいいですね」とコメント。

やがて、ノグチ作品《スタンディング・ヌード・ユース》を初めて見たときの感動と発見へと話は続きました。日本人の父と米国人の母を持つノグチのアイデンティティの葛藤が、この作品にも表れていると感じたのはKIKIさん。「人としてのリアルさがあり、凄いと思いました。細い線が輪郭に、太い線は陰、骨、血液のように見えました。この2つの線が両方あってはじめて人に見えるように思います」。鈴木は、「イサムさんが26歳の時の作品と聞いて、身近に感じました。技術的にも凄いラインで描かれている。自分が美大に入って、作品を創ることがどういうことかわからない時期があったけど、やがて自分を確認することだと気付きました。イサムさんの20代もそんな時代だったのかなあと」。
みなさんは、ノグチ作品からどんな発見がありましたか。

イサム・ノグチ・スペシャル vol.7 へ

14日、三宅一生作《21世紀の神話》の制作スタッフによるクリエイターズトークが行われました。今回は、作品に使用した再生紙の制作で協力を得た滝製紙所の瀧英晃さんをゲストに迎えました。滝製紙所は福井県で伝統的な越前和紙を制作している会社です。今回の制作にあたり瀧さんは、「普段の仕事からは考えもつかない内容に戸惑いを感じながらも、こういった形で和紙がいろいろな人の目に触れる機会を得られたことが嬉しかった」とのこと。
イサム・ノグチの作品については、「手漉きと機械漉きの和紙が異なるように、実際に手を動かしてつくられたものは人に訴えかける圧倒的なパワーを持っている」と話していました。
スライドや制作物を用いたプロセスの説明の後には紙漉き体験も行われ、子どもから海外の方まで多くの方が参加し、会場は活気に満ちていました。

イサム・ノグチ・スペシャル vol.6 へ

13日、参加作家のISSEY MIYAKE Creative Roomによるクリエイターズトークが行われました。DYSON A-POCシリーズと本展でのインスタレーションについて、もの作りのプロセスを語ったのは、パターン担当の中谷学とテキスタイル担当の平尾万里英です。記録映像と図を示しながらのトークから、わくわくしながらもの作りを進めてきた情熱が伝わってきました。話題はイサム・ノグチ作品に及び、「彫刻家としての格闘のプロセスがあったからこそ、あれほどまでの立体感をもつ絵画が生まれてきたのだと思う。自分たちも頑張らなければ」と中谷。平尾は、「初めて見たとき、力強さが強く印象に残りました。展示用のボディを制作する際には負けないように元気なものを作ろうと思いました」とのこと。ノグチ作品《スタンディング・ヌード・ユース》のパワー、ぜひ何度でも体験してください。

イサム・ノグチ・スペシャル vol.5 へ

6日午後行われた出品作家デュイ・セイドによるギャラリートークでは、本展が本邦初公開のイサム・ノグチ作品について詳しく語られました。作品はノグチが26歳のときに中国で描いたもの。日本にいる父に会うことを拒絶された彼が、日本に行く代わりに北京へ赴き、中国のピカソと呼ばれた水墨画の大家に師事して描いたとされています。自作の《スティックマン》は、この《スタンディング・ヌード・ユース》を見ながら制作したというデュイ。イサムの作品が精神の純粋性の象徴であるとするならば、自身の作品は身体の純粋性の象徴であると語りました。

彼の作品は、木の枝を組み合わせて作った立体的な線による彫刻作品です。枝は紙の原料となるコウゾという木の表皮を剥いだ後に廃棄されるものを使っています。心臓や血管が透けて見えるその彫像は、人間の体内をも可視化される現代を投影しています。照明効果によって壁に映った《スティックマン》の影は、《スタンディング・ヌード・ユース》を覗いているようです。晩年のノグチは、「20代でなければ、このような絵は描けなかっただろう」と言ったそうです。太い筆をコントロールして描くためにはそうとうな筋力がいるからです。作品が生まれる偶然と必然を思い知らされるようなエピソードに、トークに参加した30人余りの観客の皆さんも、納得してうなずいていました。

イサム・ノグチ・スペシャル vol.4 へ

『21世紀人』展に出品中のイサム・ノグチ作品《スタンディング・ヌード・ユース》。彫刻家のノグチが1930年に北京に滞在した際に水墨で描いた裸体画です。
彼の水墨画はすべてこの時に描かれたもので、100点あまり存在します。中でも、178.5×900cmという大型の《スタンディング・ヌード・ユース》は、スケールにおいても、男性の裸体立像の完成度においても傑出した作品です。
この作品が日本で初公開されているのが本展です。
今後の公開はまったく未定ですから、イサム・ノグチのファンならずともこの機会にぜひ見ておきたい作品です。

イサム・ノグチ・スペシャル vol.3 へ

世界の美術館に先駆け、初公開中のイサム・ノグチ作《スタンディング・ヌード・ユース》をもっと深く知るために、21_21 DESIGN SIGHT公式ウェブサイトは、本日よりイサム・ノグチ スペシャルと称し、さまざまなレポートをお届けします。そこでさっそくですが、今週のイサム・スペシャルなイベントのお知らせです。
出品作家デュイ・セイドが6月6日(金)15時よりギャラリートークを行います。
デュイ・セイドは出品作《スティックマン》を制作するにあたって、ノグチの作品にオマージュを捧げたと言います。ギャラリートークでは、彼が《スタンディング・ヌード・ユース》と初めて出会ったときの衝撃や、自作とノグチ作品との比較などについて語ります。

イサム・ノグチ・スペシャル vol.2 へ

『21世紀人』展は、アート作品ありデザイン作品ありの多彩な出品作を、「これからの人間の未来」という一つの大きな物語にまとめあげた展覧会。どんな物語なのかを教えてくれるのがギャラリーツアーです。21_21 DESIGN SIGHTのボランティアスタッフが、金・土・日の午後3時からおこなっています。会期も折り返 し地点を過ぎ、スタッフの語りもなかなか堂に入ってきました。ぜひ、会場に足 を運んで実際に体験してみてください。展覧会が10倍おもしろくなります。

ギャラリーツアー

去る5月24日土曜日の午後、参加作家のひとり、デュイ・セイドのトークが開催されました。オープニング後、一旦ニューヨークに帰国したデュイは一ヶ月ぶりに来日し、自作「スティックマン」につながる身体表現の歴史について語りました。あい変わらずの優しい笑顔に再会できて、スタッフ一同大感激でした。また翌日は、予定になかったギャラリーツアーも買って出てくれました。会場構成も手がけた彼だけに、解説は展覧会全体にまでおよびました。

デュイ・セイドのギャラリーツアー

21_21 DESIGN SIGHT 第3回企画展のテーマは「21世紀人」です。かつて未来と呼ばれた21世紀に、いま、わたしたちはたくさんの問題とともに暮らしています。ディレクターの三宅一生はさまざまなリサーチをおこない、想像力を働かせました。そして、誰もが感じている疑問や課題に向きあいながら新しい表現にとりくんでいる国内外の作家とともに展覧会をつくりあげます。会場を訪れた人たちと一緒に考え、最後には希望を感じられる――。そうした展覧会をめざしています。「XXIc. ―21世紀人」展がこれからのものづくりや暮らしについて考えるひとつの「きっかけ」となればと願っています。

展覧会ポスター

21_21 DESIGN SIGHTでは、落語や狂言など日本独自の芸能を取り上げたサマープログラム「落狂楽笑 LUCKY LUCK SHOW」を開催いたします。人間や生活を独特な視点で捉える落語や狂言は、観る人を喜ばせ、驚きを与える娯楽として日本人の間で長く親しまれてきました。その姿勢は、日常に根ざしたテーマを取り上げ、新たな視点や発想を提示していく21_21 DESIGN SIGHTのあり方と通底するものがあります。今回のプログラムでは、芸能の世界において常に新しい表現を追求し続ける演者たちを招き、今までにない試みを行います。演者は、世代を超えて親しまれる狂言を目指す茂山狂言会、落語の可能性を拡げていく桂小米朝と柳家花緑、そして風刺あふれる一人芝居を極めるイッセー尾形の4組。それぞれ衣装は気鋭の若手デザイナーが担当します。また、舞台美術をはじめとした一連のアートディレクションを手がけるグラフィックデザイナー北川一成が、会場の一部を使いアートワーク「落狂楽笑by北川一成」を発表。大人も子供も楽しめるプログラムIと大人向けのプログラムⅡを用意しました。ファミリーで、お友達同士で、21_21 DESIGN SIGHTの夏をご堪能ください。

展覧会ポスター