Loading...

contents

2016年1月 (9)

2016年1月30日、ゲーリー事務所で経験を積んだ一級建築士の佐藤 類を講師に招き、「ゲーリーの創作プロセスを体験!等身大の模型をつくるワークショップ」を開催しました。

はじめに、本日の講師となる佐藤 類がフランク・ゲーリーの初期の作品や、自身がゲーリー事務所に所属していたときに担当した仕事を紹介しました。ゲーリー建築において「外壁」は非常に重要なデザイン要素のひとつであり、ゲーリー事務所では、大小さまざまな模型を同時進行で制作しながら建物の表情をつくり上げていきます。今回は、チームになってひとつの「壁」をつくりあげることで、ゲーリーの「外壁」のスタディを体験します。

実際の制作に入ると、まずはじめに模型の土台となる段ボールを組み立てていきます。今回使用する素材はどれも、ゲーリー自身も実際に使用するものばかりです。

次に、組み立てた段ボールを積み上げていきます。微妙なうねりを表現するために、仮置きした段ボールに鉛筆で印をつけて調整します。段ボールを重ねる位置が決まったら、印にあわせて両面テープで固定していきます。

最後に、壁の表面に紙を貼りつけると完成です。うねりのある壁のかたちにあわせて貼ったホログラム紙は、角度によって表情が違ってみえてきます。

完成した「壁」の模型は、1月30日の閉館まで会場に展示されました。

2016年2月26日より開催となる企画展「雑貨展」に関連して、『装苑』3月号に、展覧会ディレクター 深澤直人をはじめ、本展企画チームや出展作家のインタビューが掲載されました。また、深澤直人と企画チームが本展で展示する雑貨を選定している様子も紹介されています。


『装苑』3月号

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」のプレスプレビューでは、フランク・ゲーリーのQ&Aセッションが行なわれました。
日本文化から受けた影響、建築の道を選ぶまでの経緯、近年の活動などを熱く語るゲーリーの素顔をぜひお楽しみください。

>>前編へ戻る


プレスプレビュー当日の様子(Photo: 木奥恵三)

──ゲーリーさんが建築家になられた背景や日本との関わりについてのいろいろなお話、エピソードをありがとうございました。そして、代表作や近年の作品、最新作などは展覧会会場でご紹介させていただいておりますが、ゲーリーさんの今後のプロジェクト、これからどのようなことをされていきたいかということをお伺いしてよろしいでしょうか。

「さぁ、わかりません(笑)。ただ私には、建物を建てることに対する中毒症状があると思っています。オフィスの若いメンバーと仕事をするのも好きですし、息子も建築家になるということを決めました。孫娘は1歳になります。韓国系の血が入っているので、みなさんとある意味で近くなったとも思っています。これからなにをしたいかという話になるとまた何時間も必要になるのですが(笑)、私は最近慈善活動に熱心に取り組んでいます。カルフォルニア州には小学校が100校ほどあるのですが、小学校を卒業できずに中途退学してしまう児童がおよそ50%いると言われています。統計的に、ドロップアウトした児童は高い確率で犯罪に手を染め、刑務所で過ごしてしまう。そして皮肉なことに刑務所は児童を受け入れるために準備をしているわけです。こうした状態を受けて、われわれはファースト・レディのミシェル・オバマとともに『TURNAROUND ARTS』というプログラムを立ち上げました。アート系の先生方を学校にいる子どもたちのもとに送り込んで一緒にいろいろな作業をするプログラムで、子どもたちは自分の手でものをつくるということに熱心に取り組むものです。このプログラムは数カ月でかなり成果を上げています」

──幼少期におばあさまと遊ばれた経験は、建築家としてのお仕事に結びついてますでしょうか。

「一緒に床に座ってブロック遊びなどをしていました。祖母がどこまで深く考えていたのかは今となっては分かりませんが、遊びを通して、先入観なしにアイデアを模索し、自分の直感に従って何かをつくりあげていくということを学べたような気がします。祖母の例ではありませんが、私は生徒に教えるときに、まず彼らにサインを書かせているんです。書いてもらったサインをデスクの上に置いて見ると、書く人によって美的な側面がそれぞれ異なっていることが分かります。これは、生徒たちが何かに捉われて意図的に書いたものではなく、自身の手で直感的につくったもの。彼らには『直感を信じる感覚を忘れないで』ともよく話していますね。どこに向かっていくかというような確信を探すのではなく、直感を信じてアイデアを模索するということです。もちろん建物を立てるにあたっては、場所の法規制、現場やエンジニアリングの制約条件等に打ち当たりますが、先入観なしに直感に従いアイデアを模索することの大切さを、祖母がブロック遊びを通して教えてくれたのかもしれません」

──「やりたいのは、新しいアイデアを生むことだけ」とありますが、嫌になる瞬間が必ず来るにも関わらずアイデアを生み続けていくご自身のモチベーションはどこからやって来るのでしょうか?

「そうですね、どこから来るんでしょうね(笑)。私の友人でもある三宅一生さんは布でプリーツをつくりましたが、私はこれについて、布で人間性を表す試みであるように感じています。大きなもの、小さなもの、様々な領域にアイデアを当てはめて行った結果、最終的に、美しく、着心地の良い服に辿り着いたのだと思います。アイデアは様々な領域にどんどん進化して展開していきますが、だからといって、もともとあった『人間らしさ』を服で表現することで人々に届けるというアイデアの根にあるものは全く変わりません。その結果として、私のようなファッショニスタでも何でもない人間にとっても着心地が良いと思えるような美しい服をつくりあげることができたのだろうと思っています。進化のなかにも一貫性を持ち続けることが、例えば三宅一生さんの服でしたら、人間性が表現されていて、楽しくて、人々の手に届きながらも誰も真似できない、美しくユニークな服を可能にするのではないかと考えます」

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」のプレスプレビューでは、フランク・ゲーリーのQ&Aセッションが行なわれました。
日本文化から受けた影響、建築の道を選ぶまでの経緯、近年の活動などを熱く語るゲーリーの素顔をぜひお楽しみください。


プレスプレビュー当日の様子(Photo: 木奥恵三)

──みなさまこんにちは。本日は「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」にご来場いただきありがとうございます。これより、開催に合わせてご来日いただきましたフランク・ゲーリーさんによるQ&Aセッションを始めたいと思います。まずはゲーリーさんから一言お願いいたします。

「ハロー」

「一言ということでしたので(笑)。この21_21 DESIGN SIGHTのディレクター三宅一生さんとは長年の友人であり、建築家の田根剛さんには今回の展覧会ディレクターを務めていただきました。そしてこの展覧会を、同じく古い友人である安藤忠雄さんの建築のなかで行なうことができることをとてもうれしく、光栄に思っています」

「私はとても日本を愛しています。建築の歴史、音楽や文学などの芸術の歴史が好きで、若い頃は多くのものに触れ、多くのことを学びました。私は雅楽をやります。『イーン、クリン、クリン』の『クリン、クリン』のパートをやっているんです(笑)。このパートを完璧に演奏するためには呼吸をどのようにすればいいのか、日本の師が私に教えてくれました。日本にも、世界中のほかの国にも、建築や芸術の歴史は遺産として根付いています。そしてわれわれは遺産とまったく同じ創造を繰り返すのではなく、現代という時代の文脈のなかで、新たな作品をつくりだしていこうと考えているわけですが、そこに遺産のコピーではない人間的な新たな建築、街を築いていこうとすることが大事だと思います。残念ながら、アジア各国や、アメリカ、イギリス、フランスや世界のどこへ行っても、モダニストの作品のなかにはそういうアプローチをなかなか見ることができません。それがどのような理由からなのかは私にはわかりません。ですが、歴史を理解し、人間性を感じられるような建築を復興させたいと思っています。それはつまり、コピーではなく、現代における新しい言語を探していくということです」

──21_21 DESIGN SIGHTでは、本展を「建築家 フランク・ゲーリー展」と銘打っております。「建築の展覧会である前に、建築家の展覧会であるからだ」と、ディレクターの田根さんはおっしゃっていますが、ゲーリーさんが建築家になられたきっかけと、これまでたどってこられた建築家としての道のりについてお話をお聞かせいただけますか。

「それについては、4時間ほどお時間をいただいてもよいでしょうか(笑)。小さい頃は気がつきませんでしたが、いまから振り返ると私の父、母、私が置かれていた時代の状況は、なにかものをつくることへのヒントに溢れていた時代だったと思います。幼年時代は貧しく、困難な時代でした。私はあるとき、ロサンゼルスでトラックの運転手をしていました。そのときは、ユニヴァーシティではなく、ロサンゼルス・シティ・カレッジの夜間に通っていて、数学や科学をはじめ、とにかく当時興味を持っていたコースを受けていました。しかしながら、なかなか成績は上がりません。一度、興味を持って勉強していたコースで『F』(落第点)をとったがあって、とにかくそのことに頭にきたのでもう一度同じコースを履修して、今度は『A』をとりました。そのコースをとったのが、建築家になることになる、最初のひとつのレンガだったと思います。友人のひとりにラジオ・アナウンサーがいて、なんだかおもしろそうだなあと思って、私もラジオのアナウンサーになろうとしたのですが、声質がダメだったのですね。結局この夢はあきらめました」

「あるときカレッジで製図のコースをとりまして、これについてはかなり上手くて成績もよく、先生がさらに続けたらどうかと励ましてくれました。これが2つめに積んだレンガでした。この段階ではまだ建築を学ぶには至っておらず、夜学を続けながら、次に陶芸のコースをとりました。恥ずかしくてその頃の作品をお見せすることはできませんが。先生だって恥ずかしく思っていたはずです(笑)。ただ、先生は私のことを気に入ってくれて、スチューデント・アシスタントになったらどうかと誘ってくれました。先生は清の時代のとても美しいセルリアンブルーの陶器をつくることができる人でした。あるとき、先生が器を釜に入れて焼いて仕上がった作品がとてもきれいで、どうやってこの器をつくったのか、偶然じゃないのかと聞いたところ、『これからは偶然できたとしても自分がつくったと言いなさい』と言われました。そういう教えややりとりが鮮明に思い出されます。」

「この陶芸の先生は自宅をカリフォルニアの建築家であるラファエル・ソリアーノに依頼して建てていました。ソリアーノにはミニマリスト的素養があり──安藤忠雄さんにも通じるところがあると感じますが──美しい建築をつくる建築家です。建設現場で彼に会って話をしていたときのことですが、彼は私に『フランク・ロイド・ライトは好きになるなよ』と言うんです。そこで数時間作業を見ていたら、今度は陶芸の先生から『君は建築のコースをとったらどうだ、いいアイデアだろ』と勧められました」

「その後私は南カルフォルニア大学の夜間コースに移り、毎週月曜日に開かれているプロジェクトに参加しました。成績が良かったものですから、2年生をスキップさせてくれました。2年目の最初の学期が終わったときでした。大学の建築コースの先生が私をオフィスに呼んでこう言いました。『フランク、私には君がなにになるべきかわからないけれども、建築家にはなるもんじゃないぞ』。それでも私はその後大学を卒業し、建築の世界のなかに留まりました。先生とはその後時折顔を合わせることがありましたが、先生は『わかっている、もうなにも言うな』と言いました(笑)」

「第二次大戦が終わる頃、アメリカのGIや建築家が伊勢神宮や桂離宮などの日本の建築を見て、たいへん感銘を受けていました。1950年代のロサンゼルスは、木造のトラックハウスが戸建住宅の代わりになっていて、粉末石膏を塗ったような外観のトラックハウスが何マイルも続く風景をつくっていました。そういう時代にアメリカは日本の古建築の美しさに出会ったわけです。スキー事故で惜しくも亡くなったゴードン・ドレイク(Gordon Drake、1917−51)や、ハーウェル・ハミルトン・ハリス(Harwell Hamilton Harris、1903−90)などが現代的な木造建築を遺していますが、ここにも日本の影響が見られます」

「木造建築における日本建築の影響は、個々の魅惑的な作品のレベルを超えて存在しており、私の初期の作品を含めて、かなり日本風のものと感じられる作品がたくさんあったのです。フランク・ロイド・ライトやチャールズ&ヘンリー・グリーン(Charles Sumner Greene、1868−1957/Henry Mather Greene、1870−1954)、バーナード・メイベック(Bernard Ralph Maybeck、1862−1957)などの『マスター・アーキテクト』と呼ばれる建築家の作品にはやはり日本の建築から派生したスタイルを感じます」

「日本の国宝を展示するロサンゼルス・カウンティ美術館でデザインをしたことがあるのですが、このときも私は日本の文化からの影響を感じていました。例えば葛飾北斎や歌川広重の木版画、江戸時代の陶器や屏風、侍たちの装束、日本文学など、これまでにかなり深く日本文化を学ばせてもらいました」

「その後《フィッシュ・ダンス》(1987)というレストランを神戸に設計しました。私としては魚の形そのものだったり、ヘビを模したような建築をやりたいとは思っていなかったのですが、このときはコミュニケーションが崩壊し、クライアントと私の意思の疎通がうまくいかずに、誤解によって建物ができてしまうという奇妙な経験をしました。ベストを尽くしたかったのですが、それが適わなかった。いつかだれかドキュメンタリーをつくってくれたらいい(笑)。私は辞めたかったのです。日本の文化についてはもちろんみなさんのほうがご存知なのですが、私が『辞めたい』と言ったとたんに現場では、それはたいへんだ、面目がつぶれる、そうなればなんて恥ずかしいことかと、かなり騒ぎになったのですが、日本側の建築監修の方々がとても優しく、また私も彼らを傷つけたくない思いで進めました。《フィッシュ・ダンス》は外側から光をあてて街のひとつのオブジェとしようという意図があったのですが、数カ月後に神戸に戻ってきたらなんと内側から照明があてられ、ゴールドに塗られ、目まで描かれているんですよ(笑)。この一件があったから、その後日本から建築設計依頼がこないのかなあと思っているんです。悲しいストーリーでした(笑)」

>>後編へつづく

デザイナーであり、21_21 DESIGN SIGHTディレクターの一人でもある三宅一生の仕事を紹介する展覧会「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」が、2016年3月16日より国立新美術館で開催されます。

デザイナーの三宅一生は、1970年に三宅デザイン事務所を立ち上げ、つねに次の時代を見すえながら、新しい服づくりの方法論と可能性を示しています。一枚の布と身体との関係を基本に、チームと取り組むさまざまな研究開発から生まれた衣服は、革新性と心地よさをかね備え、私たちの生活を活気づけています。

本展は、国立新美術館における初めてのデザイナーの個展であり、1970年から現在に至る三宅の仕事を紹介する、これまでにない規模の展覧会です。厳選した百数十点の服をテーマに沿って展示し、その根底に貫かれている考え方を明らかにします。年齢や性別、国籍を問わず広く多くの方々に、デザインの楽しさや可能性、そしてものを創り出すことの素晴らしさを感じていただける展覧会となることでしょう。

>>展覧会ウェブサイト


「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」メインヴィジュアル

左:132 5. ISSEY MIYAKE《No. 1ドレス》《No.1 ジャケット》2010年/撮影:岩崎寛
右:132 5. ISSEY MIYAKE《No. 1ドレス》2010年/撮影:岩崎寛

左:ISSEY MIYAKE《フライング・ソーサー Spring/Summer 1994》1993年/撮影:宇土浩二
右:132 5. ISSEY MIYAKE《No. 10 スカート》2010年/撮影:宇土浩二

国立新美術館「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」

2016年3月16日(水)- 6月13日(月)
休館日:火曜日(ただし、5月3日は開館)
会場:国立新美術館 企画展示室2E
開館時間:10:00 - 18:00 金曜日は20:00まで(入場は閉館の30分前まで)
観覧料(税込):当日 1,300円(一般)、800円(大学生)/前売・団体 1,100円(一般)、500円(大学生)

主催:国立新美術館
共催:公益財団法人 三宅一生デザイン文化財団、株式会社 三宅デザイン事務所、株式会社 イッセイ ミヤケ
お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)

>>国立新美術館 ウェブサイト

開催中の21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、見る者をあっと驚かせ、同時に強く魅了するゲーリー建築の発想から完成までを紹介しています。アイデアをかたちに変えることによって、人々に感動を与える建築家の仕事。
本展会期中に、東京都内で開催されている建築にまつわる展覧会にもあわせて足を運び、建築家それぞれの魅力を探ってみてはいかがでしょうか。

森美術館(六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー内スカイギャラリー)
「フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション」

2016年1月1日(金祝)- 2月14日(日)

建築家ノーマン・フォスターによって1967年に設立された「フォスター+パートナーズ(フォスターアンドパートナーズ)」は、世界45カ国で、300のプロジェクトを遂行、日本の国宝建築に相当する英国保護登録建築物最上級グレード1の指定等・輝かしい実績を誇る国際的な建築設計組織です。《スイス・リ本社ビル》や《ドイツ連邦議会新議事堂、ライヒスターク》など、それぞれの都市を訪れたことがある人なら誰もが一度は目にしたことがある現代建築史上の名作を生み出してきた彼らは現在も、アップル新社屋や月面の砂を素材に3Dプリンターで制作する月面住宅など、建築のイノベーションともいえるプロジェクトに次々と取り組んでいます。「伝統と未来」、「人間と環境」といった普遍的なテーマを追求し、革新的なアイデアで建築や都市を創り続ける「フォスター+パートナーズ」。本展では、半世紀に及ぶ彼らの活躍を総合的に紹介していきます。

>>森美術館 ウェブサイト

現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、『AXIS』179号に、フランク・ゲーリー氏の表紙インタビューが掲載されました。
本誌は、「建築家 フランク・ゲーリー展 」会期中、21_21 DESIGN SIGHT1階のショップスペースでも販売しています。また、本展ディレクター 田根 剛の表紙インタビューが掲載された『AXIS』176号もあわせて販売中です。ぜひご覧ください。


『AXIS』179号

2016年1月9日、建築家 青木 淳と映画プロデューサー・小説家 川村元気が登壇し、「トークシリーズ『I Have an Idea』第4回 "どっかん" ゲーリーとはだれか?」を開催しました。

まず、本展において象徴的なゲーリーの「マニフェスト」について触れ、ゲーリーのアイデアが実現されるまでのプロセスについて、両者が語りました。「マニフェスト」での、模型をつくっては嫌いになるというフランク・ゲーリー自身の言葉を受け、川村は「つくることは最高の自己肯定。それと同じくらいに嫌いになることを、ゲーリーはやっていると知り、ほっとする」と語りました。

続いて、テーマの"どっかん"へと話は移ります。ゲーリー建築のような大規模かつ独創的なフォルムを生みだすためには、「クライアント、予算、時間。さらには、偶然もどこまで引き受けるか。実はかなり切り詰める」ことが必要であると青木。"どっかん"は緻密な計算式に基づくものであり、ゲーリーが自ら立ち上げた「ゲーリー・テクノロジー」の技術が、それを可能にしていると続きました。その飽くなき挑戦が、現実をフィクション化してしまうような、完成度の高い建築をつくりあげることができると、青木、川村ともに凄みを感じているようでした。

トーク中、川村が、映画のアイデアを実現するために、現実の環境や他者との関わりによって生じるジレンマは、建築のプロセスと似ているとも語った今回。終了時にて、青木が述べた「ゲーリーは建築だけでなく、ものをつくっていくことに真っ当な見本のようである」という言葉が、ゲーリーの優れた普遍性を言い表しているようでした。

2015年12月、東京都港区立笄小学校4年生66名が、「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を授業の一環として訪問しました。

はじめに、21_21 DESIGN SIGHTスタッフが本展の構成と展示内容を紹介しました。児童のみなさんは、スタッフの解説を聞きながら会場をくまなく鑑賞します。建築家のアイデアがどのようなかたちで生まれてくるのか、ゲーリー建築の外観と内観のダイナミズムや居心地の良さ、ゲーリーの人物像、さらにはプロジェクトのプロセス模型のかたちや質感に、強く惹きつけられている様子でした。

その後、「すてきなアイデアや心にのこったこと・発見したことを書きましょう」をテーマに、館内を自由にまわりながら思い思いに文章や絵などを綴り、その内容を発表しました。

授業の後半では、安藤忠雄が手がけた21_21 DESIGN SIGHTの建築に注目して、フランク・ゲーリーの建築との違いを観察します。児童のみなさんは実際の建築に触れながら、内部空間の広がりや光の使われ方など、建築家によって異なる特徴が現れているところを見つけて、発表しました。

最後に全員で館外に出て、21_21 DESIGN SIGHTの外観のスケッチを行いました。本展のそこかしこにあったアイデアや、各自の発見したこともスケッチに表現され、かたちや質感がしっかりと捉えられていました。

建築家 フランク・ゲーリーのアイデアに触れた児童のみなさんは、アイデアを持ち続け、実現することの大切さを体感していたようです。この日は21_21 DESIGN SIGHTにとっても、デザインに欠かせない、ものごとをつくりあげることの楽しさと大切さを、港区立笄小学校のみなさんと分かち合うことのできる貴重な機会となりました。