2012年11月 (22)

「私の一光さん」Vol.52 秋山 育

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

私の個展「ピクチャーレリーフ」は尊敬する田中先生のネーミング。

1986年6月5日/ギンザ・グラフィック・ギャラリー/左より秋山 育、田中一光

セーヌ川船上パーティーにて。パリの空の下、シャンソンの名曲が流れる優雅で夢のような一夜。

1988年9月28日/セーヌ川/左より田中一光、太田徹也、秋山 育

センスを問われるポットラックパーティー。緊張のひとこま。

1988年秋/パリ/田中一光を囲んで

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「私の一光さん」Vol.51 松吉太郎

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

NHK「男の料理」撮影風景

1987年4月/田中一光デザイン室

NHK「男の料理」撮影風景

1987年4月/田中一光デザイン室

バーベキューをスタッフと楽しむ

1990年頃/山中湖・別荘

「Takeo Miji」個展のオープニングでハワイへ行った時ビーチにて

1991年12月/ハワイ

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「私の一光さん」Vol.50 勝井三雄

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

大日本印刷株式会社「CCGA」オープニング式典参加

1994年/左より田中一光、北島義斉(現・副社長)、勝井三雄

「PLEATS PLEASE」プリーツプリーズ+勝井三雄グラフィック展がMDSギャラリーで開かれた。その時のオープニング・パーティー用に特別仕様のチョッキが200着作られ、三宅一生氏の計らいでオープニングに華をそえた。

1997年/MDSギャラリー/左より勝井三雄夫妻、田中一光

「CCGAポスター展」の帰り。楽しい一時。

2000年/郡山市そば屋「隆仙坊」/前列 左より柏木 博、永井一正、早川良雄、田中一光、勝井三雄、二列 左より加藤恒夫、福田繁雄、高橋 平、勝井沙子、「隆仙坊」店主、坂東尚武、三列 左より伊藤 豊、矢野公一

「CCGAギャラリー」オープニング

1994年/CCGAギャラリー/左より伊藤順二、ケネス・タイラー、田中一光、勝井三雄、福田繁雄

第2回世界ポスタートリエンナーレ・トヤマの審査員一同。

1988年/前列 左より粟津 潔、福田繁雄、後列 左より勝井三雄、中村 誠、田中一光、永井一正

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「私の一光さん」Vol.49 長友啓典

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

左より長友啓典、田中一光
1994年2月22日/左より長友啓典、篠山紀信、田中一光

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「私の一光さん」Vol.48 福田秀之

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

草津温泉へのデザイン室忘年会旅行にて。

1997年冬/草津温泉/左より伊藤 豊、迫村裕子、田中一光、デザイン室スタッフ

サルヴァトーレ・フェラガモ展、ウィンドウディスプレーを終えて。

1998年/新宿/左より粟辻麻喜、田中一光、藤本晴美、デザイン室スタッフ

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「私の一光さん」Vol.47 原 研哉

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

パーティー参加への礼状。さりげないハガキに美意識が滲み出ていた。

1994年/祝賀会の礼状

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「私の一光さん」Vol.46 伊藤 豊

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

アポなしで事務所を襲撃!!先生最高の笑顔!

2001年12月/田中事務所/左より田中一光、サンタクロース、伊藤 滉

ブラジル展に向う途中、トランジット中にハーバーへ行きました。ここからまだ12時間かかりました。

サンフランシスコ/左より伊藤 豊、田中一光

ミラノ展の準備中にスイスへ移動。展示準備中のひとときです。

左より伊藤 豊、田中一光、ブルーノ・モングッツィ

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「私の一光さん」Vol.45 麹谷 宏

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

帰省中の二人の故郷奈良の小路谷写真館(麹谷実家)にて。

1960年/奈良・小路谷写真館/左より田中一光、麹谷 宏

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「私の一光さん」Vol.44 紀国憲一

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

山中湖、Vハウスにて。

1975年/山中湖・Vハウス ベランダ/左より田中一光、紀国 有、紀国憲一
山中湖・Vハウス/田中一光、堂本尚郎夫妻、紀国一家
紀国家 山中湖 山荘

忘れられない思い出がある。1977年、N.Y.で一光さんに誘われキース・ジャレットの演奏を聴きにいった。深夜2時からの演奏というのにビレッジ・バンガードは満員。演奏が終わると興奮した聴衆はしつこく手拍子でアンコールを要求した。ところが聴衆を静止したジャレットは意外にも不機嫌な態度で、「私は今この一時間の演奏に全身全霊を捧げた。演奏が終わった私の体は、魂もエネルギーも抜けた蟬の殻だ。そんな私にあなた方はまだ演奏を強要するのか」と開き直り、アンコールには応えず、彼は自分の創作活動への精神的、感覚的、肉体的な血みどろの努力について長々と語り始めた。
私はその夜のジャレットに感動した。ひとつの演奏に完全燃焼するすさまじい集中力、そして半端なコンディションで安易に聴衆におもねることをしない頑固さ。秀れたアーティストが自己を新しい創造に駆り立て、完全に向かうプロセスへの徹底したリゴリズム。私は毅然としたキース・ジャレットの姿に、なぜか一光さんを重ね合わせていた。

1976年/西武美術館/「アメリカ美術の30年展」図録(表紙 ジャクソン・ポロック「ナンバー27」の部分)

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「私の一光さん」Vol.43 迫村裕子

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

先生の大回顧展オープニングの後。クリエイティヴな闘いの後、お互いを讃える至福の瞬間。

1997年10月5日/ミラノ
左よりステファーニア・リッチ(サルヴァトーレ・フェラガモ美術館館長)、田中一光、迫村裕子
撮影:伊藤 豊

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「私の一光さん」Vol.42 太田徹也

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

閑静な住宅地にあった青山一丁目時代の仕事場で、田中一光(33才)先生の話に聞き入る太田徹也(左・22才)。

1963年10月/田中一光仕事場/左より太田徹也、田中一光

青山通りを眺望できる青山三丁目交差点にあったA・Yビル8階で仕上りを見る田中一光(36才)と太田徹也(25才)。当時は身なりに厳しく仕事中でもワイシャツとネクタイを着用。

1966年5月/A・Yビル 田中一光デザイン事務所/左より田中一光、山下秀男、太田徹也

『The Rice Cycle』の本で撮影前の細かい打合せ。麻布・パークスタジオ。田中一光(44才)太田徹也(33才)と写真家・石元泰博(53才)。

1974年3月/左より石元泰博、太田徹也、田中一光

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「私の一光さん」Vol.41 内藤 廣

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

田中一光パーティーにて。

1995年3月22日/東京会館/左より内藤 廣、田中一光

マッカリーナ建設現場にて。

1998年冬/リストランテ・マッカリーナ/左より原田 勲、真狩村・八田村長、内藤 廣、田中一光

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「私の一光さん」Vol.40 森澤嘉昭

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

「モリサワ'82ショウ」の懇親パーティー。

1982年7月/東京・ホテルグランドパレス

日本文化デザイン会議「企業文化デザイン賞」受賞の感謝の集いで。

1988年3月/大阪・ロイヤルホテル

写植発明60周年記念『文字の博物館』出版記念パーティーで。

1984年7月/東京・ホテルオークラ/左より田中一光、亀倉雄策

「モリサワ賞・国際タイプフェイスコンテスト」審査会で。

1999年10月/東京・モリサワ本社/マシュー・カーター、アラン・チャン、田中一光、五十嵐 威暢、他

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「私の一光さん」Vol.39 金子正剛

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

ホンジュラス、コパン遺跡でモリサワカレンダー撮影の合間にランチ。

1996年/ホンジュラス、コパン遺跡/左より田中一光、八杉佳穂、池田 暢、金子正剛

gggでの展覧会ルウ・ドーフスマン展のために来日した、田中一光さんの旧友のルウ・ドーフスマンさんとともに。

1987年/ggg 第16回 ルウ・ドーフスマンとCBSのクリエイティブワークス展/左より田中一光、金子正剛、ルウ・ドーフスマン

メキシコINAHで行なわれた「田中一光展」の打ち上げにて。

メキシコシティー/左より金子正剛、徳永明美、田中一光、ロトルフォ・ストレーター

ミラノでの田中一光展会場設営中に一休み。後のベニヤ板に見えるのは茶室となる。

ミラノ田中一光展会場/左より金子正剛、田中一光、迫村裕子、Martina Fuga

ミラノ田中一光展会場設営。

ミラノ田中一光展会場/左から金子正剛、田中一光

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「私の一光さん」Vol.38 矢崎泰久

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

田中さんは『話の特集』表紙を担当中。

左より原 弘、麹谷 宏、田中一光/撮影:矢崎泰久

『話の特集』の執筆者紹介欄にご本人お気に入りの写眞を提供いただいた際の写眞です。

田中一光

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「私の一光さん」Vol.37 内田 繁

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田中一光ディレクション「粟辻博」展、1968年に私がデザインした「フリーフォームチェア(テキスタイル:粟辻 博)に座っている様子。

2000年/目黒区美術館「粟辻博展一色彩と空間のテキスタイル」/左より田中一光、内田 繁

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「私の一光さん」Vol.36 竹尾 稠

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

田中一光さんとの話し合いからできた竹尾研究所の企画展。

1990年/株式会社 竹尾研究所、第一回企画展「SELF-IMAGE」オープニング

紙には食い入る程の熱い想いや厳しさも、人には優しい眼差し。

1990年/左より竹尾榮一(株式会社 竹尾 3代目社長)、田中一光

創業100周年に次の100年を見据え101色を創り上げた。

1999年/田中一光監修、色彩計画「マーメイド」101色

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「私の一光さん」Vol.35 徳永明美

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

初釜。茶懐石料理でお客様をおもてなしする亭主の田中先生。

1994年1月/田中一光自宅/左より田中一光、徳永明美

送別会をして頂きました。先生と数少ない2ショットの宝物の写真。

1995年9月/青山のレストラン「KIHACHI」/左より徳永明美、田中一光

思い出の夕食。海外でのマナーも全て田中先生に教えて頂きました。

1995年12月/ニューヨークのレストラン「HAPPY CIPRIANI」/左より池田 暢、徳永明美、田中一光、五十嵐 卓

お茶会のあと、先生の見立てのキース・へリングの掛け軸の前で。

2000年/田中一光主催、京都のお茶会/左より島本理佳、徳永明美、田中一光、木田安彦、他/撮影:畠山 崇

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「私の一光さん」Vol.34 濱中月村

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一光先生初の御来窯。大勢での楽しい夕餉のひととき、味のてなおし中。

1993年頃/左から田中一光、麹谷 宏/撮影:住友博昭

先生の親友であったイサム・ノグチ邸訪問。特別なお出迎えをいただきました。

1996年/左から濱中月村、早野威男、田中一光、迫村裕子

ノグチ氏は邸内にある作品(墓石)に分骨され眠っておられるそう。先生にとっては墓参の旅でもありました。

1996年/撮影:住友博昭

こんな迷惑をかけた事もありました。感動もいっぱい。

1995年頃

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「私の一光さん」Vol.33 住友博昭

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

マティスの版画を見てご満悦な先生

1989年4月4日/田中一光

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「私の一光さん」Vol.32 廣瀬禎彦

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

当時('89)日本アイビーエムの広報宣伝の指導をいただいていた。

1989年6月7日/NewYork、チャック・フランシスのスタジオ/左から田中一光、向 秀男、廣瀬禎彦 他

その関係でIBM本社を訪問された時のスナップ。

1989年6月9日/NewYork郊外の街角にて/左から廣瀬禎彦、田中一光、向 秀男

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「私の一光さん」Vol.31 緒方規矩子

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

♪お殿様でも家来でも〜♪と歌って居た頃の一光さん。多分18才。

1947年/京都市立美術専門学校アトリ座公演『呪』
1960年頃/粟辻 博宅/左から緒方規矩子、田中一光

筆者作品集の為。

2001年/田中一光のアトリエにて/左から緒方規矩子、田中一光
2001年/田中一光のアトリエにて/左から緒方規矩子、田中一光
2001年/田中一光のアトリエにて/左から緒方規矩子、田中一光

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