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青野尚子 (3)

幅が1.35メートルしかないのに、高さが45メートルもある教会。この極端な建築を設計したのが、建築家の石上純也さんです。不思議な形の建物が生まれた理由を聞きました。(聞き手・文:青野尚子)

「Church of the Valley」 © junya.ishigami+associates

「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」には幅が13.5センチ、高さが4.5メートルあるオブジェを出品します。これは実際の建物の10分の1の模型です。つまり、本物の建物は幅が1.35メートル、高さが45メートルになります。

この教会は中国の山東省にあるなだらかな丘の間にある谷に建てられます。両側の丘の高さは20〜30メートル程度。教会は45メートルの高さなので、二つの丘の間に細長いものが屹立するような眺めになるでしょう。

入り口の幅は1.35メートルですから、互いにすれ違うのがやっと、というぐらいのささやかなものです。建物は湾曲しながら奥にずっと伸びていて、進むに従って少しずつ広がっていき、最後のぷっくり膨らんだエリアに祭壇があります。

中に入って見上げると両側にそびえ立つコンクリートの壁が、鋭い峡谷のように見えるはずです。建物の外からは45メートルの教会と丘との間にできるスペースが、本来の丘がつくる谷よりも大きくかつ切り立った谷のように見えると思います。建築の内側と外側に谷のような新しい風景をつくりたい。それがこんな形の教会を設計した一番大きな理由でした。もともとのなだらかな地形に鋭く切り立つ建築を付け加えることで、荘厳さを補強することができると思います。

この教会には屋根がありません。高さ45メートルの壁の上は素通しになっていて、光が入ってきます。入り口は幅が狭いので暗いのですが、歩を進めると少しずつ光が下まで落ちるようになってきて、祭壇があるところではもっとも明るくなります。雨も入ってきますし、見上げると雲が流れていくのも見えるでしょう。キリスト教では光は重要な概念です。見上げると光が真上から降りてくる。この教会では実際の自然環境にはないスケールで光を感じることができるのです。

展覧会に出品する模型はひとつですが、この教会に限らず僕はいつもたくさんの模型をつくります。現場に行って地面に線を引いたり、ドローンで糸をたらして高さを確認したりもします。僕が考える建築はこの教会のように普通にはないプロポーションのものが多いので、他の建築から体感スケールを類推することが難しい。現場で地面に引いた線を見ながら微調整することもあります。こうしてスケール感や太陽光の入り方、周りの景色との関係性を確かめることが重要だと思っています。コンピュータなどを使ったシミュレーションもしますが、やはりリアルな世界が持つ情報量にはかなわないのです。

「Church of the Valley」内観イメージ © junya.ishigami+associates

この教会の他には今、"洞窟のようなレストラン"のプロジェクトを進めています。住居とレストランが一体になった建物です。もともとは「経年変化によって深みを増すような建築にしたい」というオーナーの思いから始まったものでした。年月が経つにつれて崩れて廃墟になっていき、もとの自然に近づいていくような建物です。しかし建築は普通、規格化された部品などを使って工業的な予定調和を前提につくります。建築に限らず手づくりが珍しくなってしまった現代では、オーナーが望む"ぼろぼろと崩れていく雰囲気"を生み出すのは大変なのです。

ここではまず、キッチンやダイニングなど必要な機能をそれぞれのスペースにわりふった洞窟がたくさんある空間の模型をつくりました。穴がいっぱい開けられた地下都市のようなイメージです。それをフォトスキャンして三次元データに変換し、図面にしていく、という手順をとりました。

この図面をもとに、"柱"や"壁"になる部分の地面を掘っていき、できた穴にコンクリートを流し込んで固まったら周りの土をかきだします。するとそこに空洞ができて、部屋になる。土をコンクリートの型枠として使うのです。土がコンクリートの表面に染みこむので、そこには土のテクスチャーや色が転写されます。土という自然がそのまま建築になるわけです。

土を掘る位置や深さは図面に基づいて、現地で光測量(レーザー光線による測量)を行って決めていきます。掘る際には部分的に重機も使いますが、形を整える作業は手でないとできません。アナログな作業に見えますが、フォトスキャンによる三次元データの制作など、最新のテクノロジーがないと実現できないものなのです。新しいもの、古いもの、今使える技術や知識のすべてを動員して建築を組み上げています。

僕の建築は「そこまでやるか」という展覧会のタイトルの通りに見えるかもしれません。実際に手間もかかっています。ではなぜ「そこまでやる」のか。そう聞かれたら僕は「新しい風景や空間が見たいから」と答えます。建築はできあがったものすべてが自分の内側から出てくるわけではありません。たとえばレストランなら「年を経てよくなっていくもの」というオーナーの意向がありました。敷地によっていろいろな制限を受けることもあります。もし自分一人ですべてを考えていたらそういった方向にはならないかもしれません。何をつくるのか、完全にわかっているわけではないからこそ、今まで見たことのない新しい風景を見てみたい。

ですから、常に先のことは考えていますが、何か具体的なものを目指しているわけではなく、見えない先のものを目指しています。ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエら20世紀半ばまでの建築家たちは一つの解答を共有し、一つの未来を見据えていました。それは社会が抱える問題が今より切迫したリアルなものであり、みんなが一つのゴールを共有していたからです。しかし現代では価値観が多様化し、何を未来と呼ぶのか、その意味や考え方が人によって違います。一つの仮想的な未来を提案してもリアリティは伴わない。建築をつくりたいと思う人のそれぞれに異なる価値観と向き合っていかなければ、現実性のあるものをつくりだすのは難しい。僕が「そこまでやる」背景にはそんな理由もあるのです。

いしがみじゅんや:
1974年、神奈川県出身。東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修士課程修了、妹島和世建築設計事務所を経て2004 年、石上純也建築設計事務所を設立。主な作品に「神奈川工科大学 KAIT工房」など。2008年ヴェネチア・ビエンナーレ第11回国際建築展・日本館代表、20 10年豊田市美術館で個展『建築のあたらしい大きさ』展などを開催。日本建築学会賞、2010年ヴェネチア・ビエンナーレ第12回国際建築展金獅子賞(企画展示部門)、毎日デザイン賞など多数受賞。

クリストとジャンヌ=クロードの《フローティング・ピアーズ》から始まった「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」。この展覧会タイトルに合ったダイナミックな作品をつくる作家は誰だろう? そう考えたとき、真っ先に名前が上がったのがダニ・カラヴァンでした。中でも本展でその模型とスケッチが展示される《大都市軸》は長さ3キロ以上、制作期間37年間という、まさに「そこまでやるか」のスケールです。彼の壮大な作品には、彼独自の哲学がありました。(文:青野尚子)

ダニ・カラヴァン「大都市軸」(1980年〜現在) © Lionel Pagés

ダニ・カラヴァンはイスラエル出身、1960年代から活躍する"彫刻家"です。自らそう名乗っています。ただし彼の"彫刻"は美術館の館内に収まるものだけではありません。砂漠や海辺の岸壁、公園、美術館の庭などさまざまなところにつくられた彼の彫刻は大きさが数十メートルから、数百メートルになることも珍しくありません。

彼の代表作の一つがパリ郊外、セルジー・ポントワースという新興住宅地につくられた《大都市軸》です。RER(高速地下鉄)の駅を降りると「展望塔」という高い塔が見えてきます。そこからパリの中心部に向けて歩いて行くと12本の白い列柱があります。橋桁(はしげた)の下に円形劇場がある赤い橋を渡ると、湖の中に白いピラミッドが姿を見せます。歩いていくと次々と現れるシンプルで幾何学的な形態に、なぜか心が洗われるような気持ちになります。「都市軸」とはパリの中心を貫く大通りのこと。近代のパリはこの「都市軸」を文字通り、軸として発展してきました。

今回は出品されませんが、スペインの地中海沿い、フランスとの国境に近いポルト・ボウという小さな町の海辺にある《パッサージュ ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ》も印象深い作品です。波が打ち寄せる岸壁にコールテン鋼の細長い箱が、海に向かって落ちるようにつくられています。中には人が一人か二人通れるぐらいの巾の急な階段があり、その先で波が砕けて白い泡をたてるのが見えます。下に向かって階段を降りるとガラスの板に阻まれてその先へは進めません。ガラスには「有名な人々よりも、名もない人々の記憶に敬意を払うほうが難しい」という文章が刻まれています。ここはドイツの思想家、ベンヤミンがナチスの手を逃れてたどり着いた終焉の地。狭くて暗い通路を海に向かって降りていくその身体体験が、近代史のさまざまな側面を感じさせます。

これらの作品に限らず、カラヴァンの作品には四角錐や円錐、円柱、角柱など基本的で抽象的な形態がよく登場します。階段や球、門のような形も彼が多く使う形です。色も白や茶など、控えめな無彩色が中心です。このことについてカラヴァンは、本展の打ち合わせで次のように言っていました。
「自然には豊かな色や形がある。ごくベーシックな色や形を使うことで自然との対比を見せたい」

カラヴァンは「私の作品は人がいないと成立しない」とも言います。彼の彫刻と人、そこを訪れた人どうしの関係性に彼は興味を持っています。 「《ネゲヴ記念碑》では子どもたちがよく、よじ登って遊んでいる。私のアートはそうやって感じて欲しいんだ」
《大都市軸》ではジョギングに励む人が大勢います。周囲に広がる森に整備された遊歩道と合わせて自転車で走り回ったり、犬を散歩させる人も。つくり始められてから40年近く、すっかり人々の生活に馴染んでいる様子が伺えます。

ダニ・カラヴァン「ネゲヴ記念碑」(1963〜1968年) © Micha Peri

彼の作品は日本にもあります。札幌芸術の森美術館にある《隠された庭への道》は同館の彫刻庭園につくられた、小高い丘に点々と続く作品。白コンクリートによる作品には雪や音など、移ろっていくものも使われています。霧島アートの森の《ベレシート(初めに)》は小高い丘に突き出したコールテン鋼の通路の中を歩いていく作品。入り口に立つとその先に光が見え、先端まで行くと緑のパノラマが広がります。奈良県の《室生山上公園芸術の森》は野外劇場にもなるオブジェなどを散策できる公園です。

会場では作品キャプションの「素材」にも注目してみてください。普通なら「鉄」「コンクリート」などと書かれているものですが、カラヴァンの作品ではときに「陽光」や「風」も「素材」として挙げられていることがあります。刻々と移り変わっていく自然の要素も彼にとっては重要な素材の一つなのです。

《隠された庭への道》では「Void (ma)」という素材も挙げられています。これは日本語の「間(ま)」からとったもの。物と物の間の何もない空間や、音と音の間の無音に特別な意味を見出す感性です。
「ヴォイド(間)は実在するものより重要なんだ」とカラヴァンは言います。《隠された庭への道》の門のような造形や噴水、白い円錐の間にある「間」にこそ、重要なものが隠されているのです。

彼の作品は訪れるたびに発見があります。歩く、よじのぼる、階段を降りる、そんな体験をしながら感じる日の光や風、その風に揺れる木の葉が見るものの中に新しいものを見つけてくれる。だからカラヴァンの作品はいつも新鮮なのです。

ダニ・カラヴァン:
1930年にテルアビブで生まれたカラヴァンは、1960年代初頭から、演劇、ダンス、オペラの舞台装置をデザインし、バットシェバ舞踏団(Bat Sheva Dance Company)、マーサ・グレアム(Martha Graham)、ジャン・カルロ・メノッティ(Gian Carlo Menotti)の作品に参加してきた。その一方で、エルサレムのクネセト(国会)本会議場において石壁のレリーフを手掛けるとともに、自身初のサイトスペシフィックな環境彫刻であるネゲヴ記念碑をベエルシェバ近郊に制作した。これは、環境芸術およびサイトスペシフィック彫刻における画期的作品となった。以降、イスラエル、ヨーロッパ、米国、韓国、日本などで環境彫刻の制作を依頼されている。これまでに世界中の多くの美術館で展覧会を行い、イスラエル賞(彫刻部門)や、芸術界のノーベル賞にあたる日本の高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。テルアビブとパリで生活し、制作を行っている。

ミヒャエル・ヘフリガー(ルツェルン・フェスティバル総裁)を発起人として、磯崎 新とアニッシュ・カプーア、梶本眞秀らが協働でデザインした移動式のコンサートホール《ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ》。推進役となった梶本眞秀さんは音楽イベントの企画を手がける「KAJIMOTO」の代表です。アーク・ノヴァが生まれ、東北3カ所で膨らんで音楽が奏でられるまでを聞きました。(聞き手・文:青野尚子)

磯崎 新によるスケッチ

このプロジェクトは思いつきというと変ですが、「こうしたらどうだろう」という小さなアイディアがいろいろな出会いによって連鎖反応がおき、こんなに大きな形になったものなんです。今から振り返るとほんとうに不思議な気持ちになりますね。

始まりは2011年3月12日、東日本大震災の翌日に友人のミヒャエル・ヘフリガーからかかってきた電話でした。彼が率いるルツェルン祝祭管弦楽団とはそれまでも何度か、私のプロモーションで来日公演をしてもらったりしてきた旧知の仲だったんです。彼は震災の被害をとても心配してくれて「何かできることはないか」と言ってくれました。そのとき、とっさに音楽で人々を勇気づけてもらうようなことはできないか、と考えたんです。でも震災から1、2年経ってからでなければ、みんなも音楽を聞こうという気持ちにはならないだろう。そう思って、建築家の磯崎 新さんに相談しました。実はヘフリガーのお母さんが建築家で、以前から磯崎さんのファンだったんです。ルツェルン祝祭管弦楽団のシンポジウムに来てもらうなど、磯崎さんとヘフリガーとは交流もありました。

私が磯崎さんにお話ししたところ、彼が画期的なアイデアを出してくれました。被害を受けたエリアは青森から福島まで約200キロに及びます。一つホールをつくってもみんなには行き渡らない。移動式のホールをつくって各地を巡回すれば、その土地の人々に楽しんでもらえる、というものでした。

さらに磯崎さんの友人でアーティストのアニッシュ・カプーアがそのときパリで、丈夫なビニールのような素材を使った巨大なアート作品を展示している。彼に協力してもらったらどうだろう、というのです。さっそくパリに飛んで、カプーアさんの作品を見てきました。グラン・パレという大きな建物の全体に広がるようなダイナミックな作品に圧倒され、ぜひお願いしたいと思いました。でもカプーアさんも世界的に有名なアーティストで、いつも忙しい。恐る恐るお聞きしたところ、「困っている人に勇気を、ということだったらいつでもいいですよ」と快諾してもらえました。

2013年、松島での開催の様子

この《ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ》はこれまで宮城県松島と仙台、福島市の3カ所で公演を行ってきました。ルツェルン祝祭管弦楽団のメンバーによる室内楽などクラシック音楽だけでなく、ジャズやミュージカル、能など幅広いプログラムを実施しています。能の公演では狩野了一さんのシテで『鶴』を上演してもらいました。白い鶴が復興を象徴する不死鳥のように見えたのが印象的でしたね。

公開レッスンなど、聴衆の方に参加してもらえるワークショップも多数、開催しています。地元の子どものオーケストラとプロの音楽家が同じステージに立つワークショップでは、技量の高い演奏家のすぐ隣で演奏することで飛躍的に上達します。雅楽の楽器や和太鼓などを体験できるワークショップもしました。管楽器などはともかく、太鼓は叩けばすぐ音が出ると思う方も多いでしょう。でも最初はなかなか思うような音が出ないのです。子どもたちにとってはそんなことも発見だったのではないでしょうか。

私たちは通常、大小のコンサートホールで公演を行うことが多いのですが、《アーク・ノヴァ》はそれらとはまったく違う空間でした。そこではいつも不思議なことが起こります。松島でのある公演では、終了後も一人残って天井を見上げる子どもがいました。「何してるの?」と聞くと、「ここはとても気持ちがいい。誰がつくったの?」と言うんです。スイスのオーケストラの人たちだよ、と答えると何か感じるものがあったようで、またそのまま天井を見上げていました。遠いスイスの人たちが心配してくれている、そのことを実感してくれたとしたら私も役に立てたのかもしれない、そんな充実感を覚えました。

アーク・ノヴァ 内観

《アーク・ノヴァ》では、終演後に演奏者とお客さんとがハグしあうようなことも自然に起こります。大きくカーブした、包まれるような空間の中では他の場所とは違う特別な一体感が生まれるようです。ステージと客席が近いせいもあるかもしれません。今はインターネットのおかげで遠くのものごとも知ることができるようになりましたが、だからこそ人が集まって同じ空気を吸う、そこで起きていることを共有することってとても大切だと思います。音楽なら歴史に残る名演奏もあれば、失敗しちゃった、ということもある。それも含めて知らない人どうしが出会うこと、通じ合うことが重要なんです。

2015年、福島での開催の様子

私たちの仕事は音楽ホールがないとできません。でも《アーク・ノヴァ》があれば、それを運んでいって演奏することができる。りっぱなホールがなくても可能性はたくさんあることを教えてくれます。音楽のあり方が変わる、将来はこうなる、ということを啓示してくれます。

ロシアの文豪、ドストエフスキーは小説「白痴」の登場人物に「美は世界を救う」と言わせています。若い頃は大げさだな、と思っていました。今もいろいろな解釈があると思いますが、芸術には人の心を支える力がある。私もそのことを実践している"つもり"です。音楽を通じて聞く人に何かを届ける。そこに少しでも近づいていければと思っています。

ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ:
2013年から3年間、松島・仙台・福島の3都市にて行われた、音楽の箱舟「アーク・ノヴァ(ラテン語で新しい方舟の意)」。東日本大震災を受けて、スイスのクラシック音楽祭ルツェルン・フェスティバルから寄せられた友情が、コンテナトラックに載せて移動することができる可動式のコンサートホールと、そこで行われる音楽祭として形となった。約500人収容のホールにて、クラシックを中心とした音楽会や教育プログラムなど、様々なイベントが行われた。