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民主的なデザイン

6月19日、「倉俣デザインの未来を語る」と題し、倉俣史朗の作品をリスペクトする若い世代の建築家によるトークが行われました。

冒頭に展覧会ディレクターの関康子より、すでに故人となった倉俣史朗とエットレ・ソットサスの大きな業績や人間性を若い世代に知ってほしい、またその想いを引き継いでほしいとの思いから本展を企画したことが述べられました。
この後はデザインディレクターの岡田栄造が進行役となり、建築家の五十嵐淳、中山英之がそれぞれに倉俣デザインの体験を語ります。

まずは岡田、五十嵐、中山の三人が、どう倉俣の作品に出合ったか。
1970年生まれの岡田と五十嵐、1972年生まれの中山は、倉俣の晩年は大学生で、彼の仕事を現役で見ていた最も若い世代です。
卒業論文も倉俣がテーマだったという岡田は、大学に入って間もなく雑誌の特集を通じて「ミス・ブランチ」を目にし、世界的に大きな評価を得ていることを伝える記事とともに大きな衝撃を受けたと言います。
北海道出身の五十嵐は、同時期に札幌の洋書店でやはり「ミス・ブランチ」が表紙だった書籍を見つけて、理論を超えて感覚に訴える魅力を感じたそうです。
一方中山は、美術の勉強を始めたころに、美術書の専門店で椅子に関する本の中で「ミス・ブランチ」を知り、その本の中で並べられたイームズ(当時はエアメスだと思っていた)等の作品に比べて倉俣作品は謎である、という印象を受けたそうです。
三者とも「ミス・ブランチ」をきっかけに倉俣作品に出会い、その体験を衝撃からスタートさせました。

次に三人が倉俣作品をどう見ているのか、それぞれにベスト3の作品を挙げて語ります。
五十嵐のベスト3は、まず花柄のオフィスチェア(赤いバラの布ばりコクヨ椅子、1988)。これは普段よく見かけるタイプのオフィスチェアの張地を赤いバラ模様の布にしたデザイン。実は倉俣が事務什器のコンサルティングをしていたときのサンプル品で流通はされなかったそうです。しかしオフィスの中で働く人が少しでも自由を感じられるよう使用する人が張地を選べるようにと考えた倉俣の作品からは、デザインが現実にどれだけ自由をもたらすことができるかという強い意志を感じることができると述べました。二番目に選んだのはClub Juddの内装(1969)。スチールパイプを積み上げ、曲げた壁は単一素材の持つピュアな印象から逸脱しています。解釈する者の「誤読」の幅をどれだけ広く持てるか。これを五十嵐は「夢」と表現しました。
三番目は「エドワーズ本社ビルディング」の内装(1969)。蛍光灯の柱を林立させたデザインはこの後の五十嵐の作品にも影響を与えているのではないかと言います。

中山のセレクト一つ目は「Flower Vase #2」。鉄筋コンクリートを例に出し、圧縮に強いコンクリートと伸長に強い鉄を併用することで理想的な素材になったことと同じように、透明なアクリルの中にカラーのアクリルを埋めることで、カラーのアクリル単体より、より強く色を感じることができると述べました。
二番目は「64の本棚」(1972)。これはあらかじめ64に細かく区切られた棚で、使いやすさやフレキシブルの逆をゆく家具。しかし中山は、ものに主導があるような不条理が却って使い手に思考するきっかけを与えるのではないかと言います。
三番目は「ハウ・ハイザ・ムーン」(1986)。通常のソファーが皮張りや布張りであるのに対し、これはメタルのベンチ。なんのためにつくったのだろうという謎を中山は現代美術を参照しながら「ない」を表現したものではないかと述べます。倉俣が語った「一日に座っている時間より座っていない時間の方が多い」言葉を引用しながら椅子に座らないことで座ることを考えさせる椅子だとまとめました。

岡田のベスト3は、まず倉俣の代表作「ミス・ブランチ」。いわゆるモダンなデザインは装飾的要素を削除しストラクチャーのみで構成しているのに対し、「ミス・ブランチ」では表面に施すような花のモチーフを椅子の内部に埋め込み、装飾の構造化に挑んでいると述べました。「ミス・ブランチ」から20年以上たった今、様々な価値観が存在するなかで合理的なものとそうでないものの差がなくなってきているのではないかと指摘。倉俣の作品はこの光景を予見していたのではと驚くとともに、これからのデザイナーの役割について考えさせられると述べました。
二番目は「ラピュタ」(ベッド、1991)。特徴的に細長い形状から、岡田は倉俣の独特の身体性に言及しました。これについて中山は完成形の放棄に対する倉俣の責任の取り方だと述べ、五十嵐も、ベッドはこうあるものとすぐ分かる形を放棄してこそ使い手に自由を与えていると述べました。
三番目は「アモリーノ」(1990)。一見普通のキューピーですが背中の羽を動かしながら回転し、ウインクをする仕掛けになっています。通常、道具は身体の拡張手段としてデザインされているが、このキューピーはそれ自体が意志を持っているよう。無邪気でかわいいだけのはずのキューピーが「あなたをわかっています」とウインクする恐ろしさ。人型ロボットなどを参照しながら「意志を持つもの」がデザインの中に増えている現状もふまえて倉俣はここでも何かを予見していたのではないかと語りました。

トークは次に、倉俣作品とそれぞれ自身の作品との接点に展開。

五十嵐は自身の作品から「矩形の森」(2000)、「大阪現代演劇祭仮設劇場」(2005)を挙げ、これまで空間のなかで邪魔と扱われていた柱の採用、塩化ビニールによる抽象的な外壁の採用を通して使い手の方向性を決定しない空間づくりをしてきたと述べました。
これは続いて発表した中山の設計した北海道の平原でのカフェにも通ずる考えで、建築やデザインそのものに意味や用途を込めるのではなく、環境のなかで使い手が行動するための、きっかけとしてのものづくり。
中山は、この発想を教えてくれたのは倉俣だったと述べました。

さてトークはいったんここで終了。質疑応答に移ります。
トーク中に多く出た「椅子」について、登壇者のそれぞれがデザインする場合は何に注力するかという質問に対して、中山は自分が座ることと自分が座っている状態の全てに意識的でいたいと述べ、五十嵐は建物の天井など体に直接触れない部分に比べて椅子は迷う部分が非常に多いが、感覚的な問題と論理的な問題に優劣をつけずに実現させたい、一方で倉俣の椅子は無限に広がりをもっており今後も目標となるだろうと述べました。

話題がソットサスの「バレンタイン」(1969)に及んだとき、このタイプライターがデザインされた当時、タイピングは女性がオフィスでするものだったが、ソットサスはポータブルなデザインとオフィスらしからぬ赤い色でこの職業に自由を与えたエピソードが出ました。
また、倉俣が「管理者側から考えられているファシスト的なデザインは嫌だ」と述べた話から、岡田は彼らのデザインが用途や状況に束縛されたものではなく、とても「民主的」で、誰にとっても開放されたものであった、と述べ、思想的に引き継ぎながらも現在の社会と関わっていく中でわれわれはデザインを続けていく必要がある、とまとめました。