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「建築家 フランク・ゲーリー展」事前企画 第1回
「フランク・ゲーリーってどんな人?」前編
21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。第1回は、本展の主役であるフランク・ゲーリーについて、その素顔に迫ります。フランク・ゲーリーってどんな人?
フランク・ゲーリー。建築界では知らない人がいないほど有名な名前だが、初めて聞いた、あるいは聞いたことはあるがどんな人かよく知らない、という向きもあるだろう。そこで、ここではゲーリーの人となりをご紹介したい。
フランク・ゲーリーは、1929年にカナダ・トロントで生まれた。父親はセールスマンとして娯楽設備や自動販売機を売ったり、家具づくりをしたり、ボクシングに熱中したりと、あまり安定した生活ではなく、幼い頃は非常に貧しい環境で育ったという。
後にカリフォルニアへ移住。高校を卒業してすぐにトラック運転手になって、夜間学校で学ぶ。後に、「誰からも助けを得られないから、自分でやるしかなかった」と建築プロジェクトの管理方法を学んだいきさつを説明しているが、ゲーリーの自助の精神は、こうした生い立ちの中で早くから植え付けられたもののようだ。
そういう彼も、最初から建築をめざしていたわけではない。夜間学校では化学も勉強した。歴史や微分積分も勉強した。だが、陶芸のクラスが、偶然彼を建築へと導いた。陶芸の先生が、カリフォルニアの建築家ラファエル・ソリアーノに設計を依頼して自邸を建てており、その現場を見に来るようにと誘ってくれたのだ。そこでソリアーノが作業員らに指図をする様子に、ゲーリーはすっかり夢中になった。そして、その後陶芸の先生の勧めで、南カリフォルニア大学(USC)で建築を学ぶのである。
大学へ進学しても、ゲーリーは仕事をしながら学費を稼ぐ苦学生だったが、この時期に多くの建築家を知り、さまざまな建築を見て回った。実は、ゲーリーは幼い頃から絵を描くのが好きで、そんな彼を母や祖母がよく美術館へ連れて行ったという。祖母は、木片を使った町づくりの遊びを何時間も一緒にやってくれた。ゲーリーは、自身の才能を花開かせる道に、ここでしっかりとたどり着いたと言える。大学を卒業したのは、1954年だ。
だが、現在知られているフランク・ゲーリーが生まれるまで、そこからさらに数10年の歳月を待たなければならない。陸軍に徴兵されて関連施設を設計していた時期、ハーバード大学のデザイン大学院で都市計画を学んだ時期、他の建築家の事務所で働いた時期、フランスに渡り、ヨーロッパ中の建築や美術を見て回った時期。そうした時期を経て、ロサンゼルスに自身の建築設計事務所を設立したのが1962年である。
ゲーリーの名前が知られるようになったのは、サンタモニカの自邸だった。自邸はゼロから建てたものではなく、彼が1977年に購入した築60年の住宅が元になっている。何の変哲もないごく普通の住宅の周りに、ゲーリーはトタンの波板や金網を張り巡らせ、木とガラスでスカイライトをつくったりして、前代未聞の増築を施したのだ。
ガラクタのような外観に近隣の住民は眉をしかめ、クライアントは逃げて行った。だが、粗雑な建材を用いながら、最高に美しい空間のコンポジションを実現したゲーリーには、世界中から注目が集まった。希有なものに美を見出し、独自のアイデアによって建物を実現するそのアプローチは、1997年にスペイン・ビルバオに建設されたグッゲンハイム美術館の大きな成功で、世界を納得させてしまう。
現在86歳のゲーリーは、今もほぼ毎日事務所に通い、新たな建築をつくり続けている。
文:瀧口範子