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「アーヴィング・ペンと私」 vol.9 広川泰士

9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。

オリジナルプリントから圧倒的な強さが漂う

──広川さんの中で印象に残っているペンさんの作品とはどちらのシリーズになりますか?

広川泰士(以下、広川):
1980年に京都の国立近代美術館で開催された「浪漫衣装展」のカタログ撮影を小池一子さんから頼まれた時に、小池さんから参考に渡されたのが『Inventive Paris Clothes』でした。それまでもペンの作品は好きで見ていたんですが、こういう写真は初めてで。新鮮だったんです。たぶんペンのスタジオで撮ったんだと思いますが、頭と足ギリギリのところでトリミングされている狭い感じとか、独特なバックドロップの感じを非常によく覚えています。

あとは、80年代の終わりにNYのPace/Macgillギャラリーでペンの回顧展があったんです。その時にオリジナルのヴィンテージプリントを初めて見て衝撃を受けました。当たり前の話なんですけど、全然古びてなかったんです。ついこのあいだ焼いたようなクオリティで、アーカイブっていうのはこういうものなのだと思い知らされました。もう一目瞭然というか。ガーンと心に入ってくる。「恐れ入りました」って感じで。

その時に、写真家が死んでも作品は残るんだっていうこと、もちろんペンはまだその時はお元気だったんですが、そしてプリントは常に完璧にアーカイブ処理をしておかなきゃいけないんだっていうことを学んだわけですよ。まあ、僕なんかは足元にも及ばないとは思うんだけど、自分が生きているうちに出来る限り完璧にしようって肝に銘じました(笑)。

──ペンさんの写真に学んだことがあったら教えてください。

広川:写真一般は全部そうなんですが、シャッターを押す時がすべて。絵画だとそこは塗りつぶして直せるかもしれませんが、写真はそれができないんで。その時しかできないもの。それはペンに学んだかどうかはわかりませんが、ペンの写真を改めて見て、一瞬の重みを感じました。

──最後に、広川さんの最近のお仕事を教えてください。

広川:いまこのような形で注目を集めるのも複雑な気持ちですが(苦笑)、18年前に発表していた原発のシリーズ『STILL CRAZY』をいくつかのギャラリーで展示しました。今再び見せるべきだと思いました。他には、作品というわけではないのですが、相馬と気仙沼の避難所や仮設住宅にいる人たちの家族の写真を撮ってご本人たちにプレゼントするプロジェクトや、避難所の子どもたちに「写ルンです」を渡して写真を写してもらい一緒に写真展をするプロジェクト等を通して、自分なりに東北とかかわっています。

(聞き手:上條桂子)

2011年11月26日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに広川泰士が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「写真×デザインの事」の動画を見る



Taishi Hirokawa

広川泰士 Taishi Hirokawa

写真家
1950年神奈川県生まれ。1974年より写真家として活動開始。東京工芸大学芸術学部教授。広告写真、TVコマーシャルなどで活躍する一方、世界各都市での個展、美術展への招待出展多数。講談社出版文化賞、ニューヨークADC賞、文部科学大臣賞、経済産業大臣賞、日本写真協会賞、日本映画テレビ技術協会撮影技術賞、A.C.C.ゴールド賞、A.C.C.ベスト撮影賞、他受賞。プリンストン大学美術館、ロサンゼルスカウンティ美術館、サンフランシスコ近代美術館、フランス国立図書館、ミュンヘンレンバッハハウス美術館、神戸ファッション美術館、東京都写真美術館、他に作品がコレクションされている。
http://hirokawa810.com/

「避難所の家族、福島県 相馬市 2011年6月8日」

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