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「アーヴィング・ペンと私」 vol.17 深谷哲夫

現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


ニューヨークの空気を深く吸い、独自の黄金律で再構築した人


──深谷さんは、ペンさんがご活躍されていた当時ニューヨークにいらっしゃったそうですね。

深谷哲夫(以下、深谷):
ペンさんは、もう当時から神みたいな存在でしたよね。いまもそうですが、当時のニューヨークという街はそれ自体がメディアというか、クリエイティブに関しては特に世界中に影響を与える街でした。街自体がすごくフラッシー(派手)でいい意味でのヴァニティ(虚飾)があった。そんな街でペンさんは一線を画していて、本当にシンプルで素朴な存在だったように思います。

──ペンさんの撮影に立ち会われたことがあるそうですが、スタジオの雰囲気はいかがでしたか?

深谷:当時のニューヨークのファッションフォトグラファーのスタジオと言えば、ファッションエディターたちが集まって、ランチにはゴージャスなケータリングが来て、というのが一般的だったのですが、ペンさんのスタジオはそうではない。シンプルのひと言に尽きますね。サイズも決して大きい方ではなく、本当に必要最小限のものしかない、そこで偉大なる自然光のもとで撮影を行う、そんなスタジオでした。シャッターを切る瞬間に大切なもの、それがはっきりとペンさんの中でわかっているから、それ以外は必要としないんだろうなと思いました。私が立ち会った撮影は、一生さんの服の写真なので、きちんとライティングを作り込んだものでしたが、ごく普通のセッティングだったと記憶しています。

──ペンさんと直接触れ合って影響を受けたことは?

深谷:ものをいかに多面的にそれぞれの面を深く見るかっていうことですよね。一人の人間から湧き出る個人史へのまなざし、民族学的なまなざし、あるいは、街に流れる現代美術的なインスピレーションをもって花やタバコの吸い殻等を見つめるまなざし、向き合ったものを、普遍的な美しさに再構築しえる可能性とその素晴らしさを、学ばせて頂きました。彼は時代が変わって行くなかで、ニューヨークという街の時代感覚をしっかりと受け止めながら、それをご自分の完璧な黄金比という独自の言語にして再構築するんですね。単に街とその時代をインスピレーションとすることに卓越していただけでなく、そもそもすごくニューヨーク的な人だったと言えるかもしれない。

──深谷さんが最近携わっているプロジェクトを教えてください。

深谷:コンフィデンシャルなものが多くてなかなか言えないのだけれど、ブランド開発や再構築などに携わっています。日本特有の文脈になっていて、世界で分かりにくい、評価されにくい手仕事や技術やクリエイティブが山のようにあると思っています。その価値を高めて世界に発信していけるような、そんなブランドや製品を作っていきたいです。日本の製品力やブランドの魅力を、今の時代の価値として理解してもらうことに、もっと積極的に取り組んでいきたいですね。

(聞き手:上條桂子)

2012年1月14日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに深谷哲夫が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「対峙する思想・美・デザイン」の動画を見る



Tetsuo Fukaya

深谷哲夫 Tetsuo Fukaya

株式会社 解体新社 代表
1956年 東京生まれ
1979年 慶応義塾大学法学部法律学科卒業
1979年 ニューヨーク在住 東京=ニューヨーク間で活動
ワーナーブラザーズ契約ミュージシャンとしてニューヨーク中心に音楽活動
同時期に、東京でブルータス・アソシエイト・エディター、フリーランス・フォトグラファーとして活動
1990年 東京にて株式会社解体新社を設立。
ブランド開発、メディア制作、市場分析などを主に手がける。



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