Loading...

contents

21_21放談 vol.2 三宅一生×佐藤 卓 「現代ニッポン・コンビニ・考」前編

21_21 Image Photo


21_21 DESIGN SIGHT ディレクターによる放談、第2回をお届けします。今回は、いまやニッポンの日常に欠かせない存在となったコンビニエンス・ストア(以下コンビニ)に出かけ、買い物をして、生活のなかのデザインについて語り合いました。

自宅の延長にある店


佐藤
今の日本で、コンビニは生活のなかで重要な一部を占める存在になっています。ものを買うだけではなくて、銀行のATMや宅急便を使ったり、郵便ポストがあったり、税金を払ったり。ここまでくると、その存在を否定することは難しくなってきています。だから、コンビニについて、どうすればもっといい方向に向けられるかを考えることには意味があると思うんです。今日は美術館のように、デザイン館のように、コンビニを見学してきましたよね。普段はなかなか、これほどじっくり見ることはないと思うのですが、一生さんはどうでしたか。
三宅
若い人にとっては必要不可欠な場所になっていますよね。毎日コンビニに行くと言う人が90%くらいいる。何を買うの? と聞くと、朝はお茶や水、夜は明日の朝食べるものを買うということです。コンビニに行くことが完全に生活のリズムになっている。僕自身は毎日は行かないんですが、今回はこういう機会があったのでいろいろ行ってみました(笑)。
一般的なお店と比べると、コンビニはお客さんの要望や気持ちと向き合って商品を薦めるということではないですね。お客さん自身がなにが欲しいかがわかっているからそういう必要はない。今日行った「ナチュラルローソン」は、お客さんが自由に品定めできるようにいろんな工夫、見せる工夫をちゃんとしていたように思いました。お客さんの気持ちをよく読んでますね。たとえば、相手がどんな人でどのくらいの分量を求めているのか、ということを見極めたうえでの商品陳列がなされている。だから、商品がどんなことをこちらに訴えているかを見るのが楽しく感じられました。
佐藤
考えてみますと、都市型の生活をしている人というのは狭いところに住んでいて、家賃も高い。そうすると、家のなかにいろいろなものを大量には貯蔵できないので、必要なものをそのつど、手に入れる。つまり、コンビニがある意味では自宅の一部化しているというような気がします。たとえば家で雑誌を読むのではなく、コンビニの棚で読む。そういう意味で、暮らしが変わってきている。そのことによって、ゴミが増えるなどのいろいろな問題が発生するんですが、一概に悪いことだけじゃないようにも思えるんです。日本のコンビニは普段の生活と密接に関係しているからこそ、たとえばひとつひとつの商品の量までも、デザインの要素になっている。小さい商品ならば目につくように見せなければいけないなど、日本的な、こまやかな神経や工夫が、見え隠れしているような感じがします。
三宅
これからは、店の空間のつくりかたや空気感みたいなものまでも計算する必要が出てくるんじゃないでしょうか。冷房の効かせ方もほどよくして心地よい空間をつくるという配慮も含めてね。今日行ったところは、ちょうど僕らがいたときに乳母車を引いたお母さんが入ってきたけれど、乳母車でも買い物ができる通路の広さというのもいいことですよね。店のなかも気配りの効いた配列をしている。いわば、工夫がデザイン化されている。
やさしいパッケージ・デザイン


佐藤
(ドレッシングを取り上げて袋から出しながら)これ、お使いになったことはおありですか? これはなかなか良くできてまして。このまま、こうやってむいて、ぐるっと...(パッケージを人差し指と中指、親指でつまんでみせる)。
さらにこうやって...(逆側に折り曲げると、真ん中に切れ目が入り、ドレッシングが絞り出される)。
三宅
すごいですねえ(笑)。
佐藤
これはパテントを取っていますけれども、優れていますね。
三宅
しかしこういう細かい仕組みは、日本人が考えたことなんでしょうね。冷蔵庫に入れておくと賞味期限が気になるからどんどん捨ててしまいますが、そういう心配がないですね、この商品なら。
パッケージ・デザイン
写真左:最後の一滴までも無駄なくだせるんです(佐藤)
写真右:これ、ペットフードですよ。人間用に負けないほどパッケージが凝ってます(三宅)


佐藤
(別の袋を取り上げて)せんべいでは、当たり前になっている小分け。一枚一枚別々になっています。
三宅
これがいいんですよ。これがひとつの袋に入っていたとしたら、しまいにはぜんぶ食べちゃうもの。シケないしね。ひとつ食べたらこれでおしまいと、人間が人間をしつけるというかね。今日は1枚だけでおしまいにしようってね、思える。
佐藤
もしかすると海外からは、日本のパッケージは過剰包装で資源を無駄にしているという意見が、短絡的には出ると思うんです。でも日本の食文化、日本人の繊細な神経など、パッケージには背景があるわけです。そう簡単には切り捨てられない"やさしさ"って、こういうパッケージのありかたにもあるんじゃないでしょうか。
三宅
過剰包装の問題は別として、パッケージが小分けされているというのはですね、日本の文化として古くからある、ものをほんとうに大切にするというところからきている。いまは大量消費の時代だからつい忘れがちだけれども、相手のために必要なことをやるというのは、日本らしい繊細さですね。
佐藤
最近の食品のパッケージは、和風化している傾向がありますね。筆文字などで商品名を表現していたりします。
三宅
和のものだからかもしれないけれど、親しみやすいというか。これは、蜂蜜ラベンダーのソープですか(石けんのパッケージを指さす)。
佐藤
新聞紙で包んでいるような雰囲気を出していて、この考え方はなかなか新鮮。
三宅
どこから開ければいいのかな。
佐藤
ここで開けるんじゃないかな。
三宅
開けるときに破るという感覚は感心しないんだけどな。(結局、破くしかないことがわかり)ちょっと、残念だな。
佐藤
そうか、そうか。これは開けると中身がビニール袋に入っている。それは香りという難しい問題があるからですね。包装としては紙だけで成立しているんだけど、香りが出てしまうとほかの商品に影響が出てしまう。こういうことまでを、パッケージ・デザイナーは考えなければならないんですよね。

放談vol.2 後編へつづく