Loading...

contents

田中一光とデザインの前後左右 (94)

2015年3月28日(土)に放映されたNHK BSプレミアム「三宅一生 デザインのココチ」が、4月23日(木)10:00-11:00に再放送されます。

21_21 DESIGN SIGHTディレクターの一人である三宅一生が、Reality Lab.の若いスタッフとともに徹底的に試行錯誤を繰り返す創造の現場を番組が4ヶ月に渡り密着取材。目下最大のテーマである132 5. ISSEY MIYAKEの、あるシリーズの構想から完成までのプロセスをつぶさに記録しています。

2010年 企画展「REALITY LAB―再生・再創造」展、2012年 企画展「田中一光とデザインの前後左右」、2013年 企画展「日本のデザインミュージアム実現にむけて展」でも展示された132 5. ISSEY MIYAKEの創造の過程と三宅一生の仕事の現場を、ぜひご覧ください。

>>NHK番組紹介サイト


写真提供:NHK

2015年3月28日(土)14:30-15:30、NHK BSプレミアムにて「三宅一生 デザインのココチ」が放映されます。

21_21 DESIGN SIGHTディレクターの一人である三宅一生が、Reality Lab.の若いスタッフとともに徹底的に試行錯誤を繰り返す創造の現場を番組が4ヶ月に渡り密着取材。目下最大のテーマである132 5. ISSEY MIYAKEの、あるシリーズの構想から完成までのプロセスをつぶさに記録しています。

2010年 企画展「REALITY LAB―再生・再創造」展、2012年 企画展「田中一光とデザインの前後左右」、2013年 企画展「日本のデザインミュージアム実現にむけて展」でも展示された132 5. ISSEY MIYAKEの創造の過程と三宅一生の仕事の現場を、ぜひご覧ください。

>>NHK番組紹介サイト


写真提供:NHK

21_21 DOCUMENTSでは、本展関連プログラムの登壇者と「His Colors」の写真を展覧会の感想とともに紹介します。

Semitransparent Design 菅井俊之
「グラフィックを沢山勉強されてる方が楽しめるのはもとより、そうで無い方でも楽しむ事が出来るほど、田中さんが積み上げてきた数々の作品は、その圧倒的な迫力でエンターテインメントとしても成り立っていた事を体験出来る素晴しい企画展です。」

Semitransparent Design 田中良治
「文脈から切り離された若い世代の方が楽しめるように思います。我々のようなデジタルメインにグラフィックを作っている者にも示唆を与えてくれます。」

水野勝仁
「整然と並んだポスターの回廊を通るのが気分が良かったです。」

Semitransparent Design 柴田祐介
「デジタル的方向性にも及んでいつつ、我々デジタル世代のやり方だけでは表現できない作品群に圧倒されました。」

※企画展「田中一光とデザインの前後左右」では、廣村正彰によるインスタレーション「His Colors」のみ写真撮影が可能です。Twitterでは、ハッシュタグ「#HisColors」でご来館された方の投稿写真もご覧いただけます。

21_21 DOCUMENTSでは、本展関連プログラムの登壇者と「His Colors」の写真を展覧会の感想とともに紹介します。

田中一光さんの「手」を観た思い――鈴木康広
「数々の作品を目の当たりにして、色が物質感をもった素材として新鮮に感じられるとともに、田中一光さんの「手」を観た思いです。展覧会を巡るうちに、学生の頃、一度だけお話をさせて頂いた時のことを思い出しました。僕の稚拙な質問にも肯定的に答えて頂けたことが忘れられません。」

※企画展「田中一光とデザインの前後左右」では、廣村正彰によるインスタレーション「His Colors」のみ写真撮影が可能です。Twitterでは、ハッシュタグ「#HisColors」でご来館された方の投稿写真もご覧いただけます。

21_21 DOCUMENTSでは、本展関連プログラムの登壇者と「His Colors」の写真を展覧会の感想とともに紹介します。

会場全体に色が溢れていた――オールライト工房
「会場全体に色が溢れていたのが印象的でした。
色に哲学をもって、ここまで爽快にコントロールできる方は、後にも先にもいないんじゃないかと思います。
さらに大胆な造形と構成で制作された仕事に、改めて魅了されました。」

※企画展「田中一光とデザインの前後左右」では、廣村正彰によるインスタレーション「His Colors」のみ写真撮影が可能です。Twitterでは、ハッシュタグ「#HisColors」でご来館された方の投稿写真もご覧いただけます。

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

NY. ADC殿堂入りと紫綬褒章受章を祝う会にて

1994年/左より杉本友太郎、田中一光、青地一輿

ファンシーペーパー「ピケ」の商品企画打ち合わせの日に、思いがけなく訪れたサンタクロースと笑顔の田中先生。
この日が、私にとって30年間お世話になってきた田中先生との最後の日になった悲しい思い出の1枚です。

2001年12月/左より田中一光、サンタクロース、伊藤 滉
田中先生監修で商品化したファンシーペーパー「ピケ」の見本帳(特種東海製紙社、旧・特種製紙)

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

飲み屋にいた私を探し出し「お祝いの真っ赤なバラの花束」届く

「毎日デザイン賞」内定時

たった一品だけの「手漉き和紙+最高の金箔」で創られた表彰状

「第一回勝見勝賞」田中一光作 表彰状

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

前をはだけて、少しヤクザなアロハ姿の先生...忘れられません。

夏/伊豆の庭にて/アロハシャツ/撮影:木寺憲吾

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

2013年1月13日、カンバセーション Semitransparent Design、水野勝仁を開催しました。

2012年12月23日、クリスマス・スペシャル 鈴木康広によるトークを開催しました。

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

1964年オランダでの個展からPARISに寄った一光さんと出会えた幸運に感謝。

1992年/石岡瑛子さん、アカデミー賞・衣装デザイン賞受賞のお祝いパーティ/左より田中一光、藤本晴美、浅葉克己、操上和美

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

クーパー・ユニオン校での田中一光展。ルウ・ドーフスマンと田中一光。

1987年/ニューヨーク、クーパー・ユニオン美術大学/左よりルウ・ドーフスマン、田中一光/撮影:浅葉克己

田中一光デザイン室。青山三丁目。タバコはショートホープを吸っていた。

田中一光/撮影:浅葉克己

田中一光デザイン室、新オフィス。グラフィックデザイナーの会合。

左より小池一子、小山英夫、麹谷 宏、田中一光、小島良平、太田徹也、松永 真、石原義久、佐野 寛、青葉益輝、浅葉克己/撮影:浅葉克己

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

21_21 DOCUMENTSでは、本展関連プログラムの登壇者と「His Colors」の写真を展覧会の感想とともに紹介します。

自身でディレクションしたような展覧会――横尾忠則
「一光さん自身でディレクションし、展示構成されたような展覧会。一光さんが観ても満足されると思う」

すべての一光デザインの魅力にあふれた展示――和田 誠
「田中一光さんの色彩感覚、構成力、文字の扱い方、アートディレクション、すべての一光デザインの魅力にあふれた展示です」

※企画展「田中一光とデザインの前後左右」では、廣村正彰によるインスタレーション「His Colors」のみ写真撮影が可能です。Twitterでは、ハッシュタグ「#HisColors」でご来館された方の投稿写真もご覧いただけます。

鮮やかな色をご覧いただくために、「His Colors」のタント紙の張り替えを行いました。実は、タント紙を壁に設置するための枠組部分も、丈夫な紙でつくられています。

インスタレーションの前ではご自由に写真撮影をしていただけます。撮影した写真は、ハッシュタグ「#HisColors」をつけてTwitterに投稿してください。
また21_21 DOCUMENTSでは、本展関連プログラムの登壇者と「His Colors」の写真を展覧会の感想とともに紹介しています。

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

田中一光先生はggg ギンザ・グラフィック・ギャラリーの初代監修者として国内外の作家や来館者の方々との密なる交流を図り、グラフィックデザイン界の活性化に大変貢献されました。

1993年/ggg 第87回「文字からのイマジネーション」展/左より北島義俊、田中一光、森澤嘉昭(株式会社モリサワ相談役)
1996年/ggg 第123回 前田ジョン「かみとコンピュータ」展/左より田中一光、前田ジョン、北島義俊
2000年/ggg 第171回「日宣美の時代」展/左より松永 真、田中一光、北島義俊、永井一正、中村 誠
2001年/ggg 第181回「原 弘のタイポグラフィ」展/左より北島義俊、福田繁雄氏、原 弘夫人、永井一正、田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

「三宅一生さん紫綬褒章受章を祝う会」田中先生自宅で手料理と共に。

1997年11月/田中先生自宅/左より田中一光、皆川魔鬼子、三宅一生、小室知子、安藤忠雄、小池一子

「三宅一生さん紫綬褒章受章を祝う会」のメニュー

1997年11月/田中先生自宅

「三宅一生さん紫綬褒章受章を祝う会」の料理の一部

1997年11月/田中先生自宅

パリ出張の際、昼食後リュクサンブール公園をお散歩

1997年9月/パリのリュクサンブール公園/左より細田 由起子、田中一光

パリ日本文化会館開館記念展「デザインの世紀」関係者の方々と

1997年9月/パリ日本文化会館前/田中一光、藤本晴美、他

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

21_21 DOCUMENTSでは、本展関連プログラムの登壇者と「His Colors」の写真を展覧会の感想とともに紹介します。

時間が経つほど新しくなるデザイン――杉本博司
「田中一光さんは本当に多作な方で、展覧会では人間の一生にどれだけの仕事ができるのかということを、感銘を持って見ることができました。一光さんの仕事は、今のデザインが弱く見えてしまうほど強く、時間が経てば経つほど新しくなるデザインですね」

デザイン界の利休的存在――千 宗屋
「田中一光さんの仕事を改めて拝見し、今の人が現在進行形の仕事として見ることができる、本当に古びないデザインだと感じました。いつ見ても新しく、力強く、普遍的。現代日本デザイン界の基礎となる、いわば利休的存在ですね。日本の伝統の琴線に触れ、古典を再生するデザインだから残るのだと思います」

※企画展「田中一光とデザインの前後左右」では、廣村正彰によるインスタレーション「His Colors」のみ写真撮影が可能です。Twitterでは、ハッシュタグ「#HisColors」でご来館された方の投稿写真もご覧いただけます。

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

新国立劇場オペラ「あやめ」の舞台美術

1998年/新国立劇場/撮影:森下茂行
1998年/新国立劇場/撮影:森下茂行
1998年/新国立劇場/撮影:森下茂行

「JAPAN STYLE」展

1980年/ロンドン/左より田中一光、勝見 勝/撮影:森下茂行

駐日大使サー・フレッド・ウォーナーさんの自宅に招かれて

1980年/ロンドン/撮影:森下茂行

クーパーユニオンのTシャツをプレゼントされ喜ぶ。太田徹也さん、ソール・バスさんと。

1987年/アイブァン・チャマイエフさんの自宅で/撮影:森下茂行

お茶を楽しむ

1999年/撮影:森下茂行
1999年/撮影:森下茂行

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

西武劇場は毎回のように田中一光さんにポスターをお願いしていた。これはすでに決まったものの表現をお願いしたのではなく、この次の芝居の演劇空間がどのようなものであるべきかを、田中一光さんからも発言してもらう、という意図を持っていた。

安部公房 作・演出「友達」ポスター

安部公房、土方 巽と田中一光の三人は、伝統に根ざした現代の演劇空間の共同製作者であったと私は考えている、それはおそらく観客にとっても充実した現代を味わう空間であった。

土方 巽作品「静かな家」ポスター

田中さんに詩集の装幀をお願いしたことがあります。このような小さな仕事でも田中さんらしく感心しました。

『誘導体』著者:辻井 喬、装幀:田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

2012年12月1日、カンバセーション 横尾忠則、和田 誠を開催しました。

21_21 DESIGN SIGHTは、通常火曜日は休館のところ、12月25日(火)は開館します。

■ペア割引
2012年12月22日(土)~25日(火)の4日間、お二人で来館の方は「ペア割引」として入場料の合計より500円を割引いたします。ご友人、パートナー、ご家族とぜひお誘い合わせの上、ミッドタウン・ガーデンのイルミネーションとともに展覧会をお楽しみください。

*通常料金2名分の1回の会計に対し1回のみ割引いたします
*他の割引との併用はできません
入場料については、ご利用案内をご覧ください。

*東京ミッドタウンではイルミネーション観覧のための混雑が予想され、12月21日(金)~25日(火)の16:00~23:00は通行規制によりミッドタウン・ガレリアの通り抜けができません。該当時間内は、外苑東通りより21_21 DESIGN SIGHTとカノビアーノ・カフェ専用遊歩道をご利用ください。
その他の注意事項は東京ミッドタウンのウェブサイトをご覧ください。

■鈴木康広によるトーク
瀬戸内国際芸術祭2010出品作「ファスナーの船」で話題を呼び、ジャンルを超えた発想で美術館のみならず公共空間での活動に取り組んでいるアーティストの鈴木康広。
代表作の一つである「りんごのけん玉」とそれにまつわる様々なエピソードや、最近の活動について語ります。クリスマス連休のひとときを、鈴木康広と共に楽しくお過ごしください。

日時:2012年12月23日(日)14:00-15:30
参加費:無料(ただし、当日の入場券が必要です)
予約受付:ウェブサイトにて受付中、定員に達し次第終了
ご予約・詳細はこちら

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

田中一光さんから頂いた一番大切にしている作品です。

NIHON BUYO POSTER/撮影:八木 保

田中一光さんから頂いた作品で、文字に黒色のバーコ印刷がされています。
頂いたポスターはすべてフレームせずにポートフォリオケースに保管しています。

MORISAWA POSTER/撮影:八木 保

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

『三宅一生の発想と展開 ISSEY MIYAKE East Meets West』出版の打合せを行ったヴェニスの旅。

1977年/ヴェニス/左より田中一光、小池一子

同書に掲載された「刺子ユニット」(三宅一生1976年の作品)を着る三人。

1977年/東京のスタジオ/左より小池一子、田中一光、藤本晴美/撮影:操上和美

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

「田中一光とデザインの前後左右」を見学した港区立青南小学校の5年生93名が、その後の授業で制作し、校内の展覧会で展示された砂絵ポスターのテーマは、「日本をデザインしよう」。全員がみごとに、シンプルな色や形を組み合わせて、自分で考えた伝えたいメッセージを表現していました。ここでは、いくつかの作品を紹介します。

港区立青南小学校5年生の見学の様子を21_21 DOCUMENTSでご覧いただけます。
21_21 DOCUMENTS
「港区の小学生が『田中一光とデザインの前後左右』を見学」

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

玉だけのデザインが時代の先駆となった。(1971〜1983年毎年制作)

東洋インキ 1971年カレンダー
東洋インキ 1971年カレンダー

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

116回企画展、蓬田やすひろ展「お江戸でゆらゆら」

1996年1月/ギンザ・グラフィック・ギャラリー/左より田中一光、灘本唯人、蓬田やすひろ

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

私にとっての"宝物"は『日本の文様 花鳥/風月』から無印良品など。 勝手に一光「塾」の生徒と思っています。それは何を見ても何を考える時も、日本人と日本の美意識を忘れないからです。先生の日常の仕事の根底にあるものの感じ方と剣のような鋭さは何故?なぜ?から学んでいます今も...。

ベルリンでの個展「Ikko Tanaka Graphik Design aus Japan」オープニング

2000年9月26日/ベルリン、バウハウス・アーカイヴ・デザインミュージアム
2000年9月26日/ベルリン、バウハウス・アーカイヴ・デザインミュージアム

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

「ニッポンルネサンス」特集。コシノジュンコの新古典主義のページは田中先生自らアートディレクション。1ページ目の着物と柳はコシノジュンコの初めての着物展示会のポスターとして田中先生にデザインして頂いたものです。

『太陽』 1989年2月号掲載
『太陽』 1989年2月号掲載

1985年、アートディレクターの故・田中一光さんと当時渋谷西武にいらした水野誠一さんとで我が家で食事をした時、ひょんなきっかけから「日本人が日本をデザインしようじゃないか」という話が盛り上がりました。その時のお料理がイタリア製の大きなガラスのオブジェにおネギと白身魚のお刺身。それを見て田中一光さんが「これは新古典主義ですな」とおっしゃった。あの時の我が家でのオシャベリが発端となって『月刊太陽』の特集になりそれが後に西武百貨店の「ジャパン・クリエーション=JC」につながっていったのです。

『太陽』 1985年3月号掲載

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

12月4日(火)より、竹中工務店 GALLERY A⁴では、1964年の創刊より田中一光がアートディレクションを手掛けた竹中工務店の季刊誌『approach』の200号を記念して、その半世紀にわたる編集・発刊の全貌を振り返る展示「approach200 1964-2012」を開催しています。

会場には、企画展「田中一光とデザインの前後左右」ディレクター 小池一子のインタビュー映像も紹介されています。
誌面で特集されたテーマを「Design & Art」「Nature & Environment」「People」など6つの分野に分けた展示構成ですが、特に興味深いのは、制作時の資料などのたくさんの書籍群。本をとおして 「approach」誌の特色が伝わる、本好きにはたまらない展覧会です。


「approach200 1964-2012」会場風景

「approach200 1964-2012」会場風景

会期:2012年12月4日(火)~2013年1月31日(木)10:00~18:00
休日:土・日・祝日、年末年始[2012年12月31日(月)~2013年1月4日(金)]
場所:GALLERY A⁴(ギャラリーエークワッド)
   〒136-0075 東京都江東区新砂1-1-1 竹中工務店東京本店1階
   http://www.a-quad.jp/
   *入場無料
【竹中工務店お問い合わせ】
GALLERY A⁴(ギャラリーエークワッド)
TEL 03-6660-6011

2012年12月1日、カンバセーション 杉本博司、千 宗屋を開催しました。

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

上海で、田中一光さんと「カレンダー展」を無事終えて、翌日は蘇州に遊んだ。朝、珍しく朝食に遅れていらした一光さんは少し青い顔をされていた。聞けば、東京から連絡があり、亀倉雄策さんが危篤だと言う。まさかあのお元気な亀倉さんが、と不思議に思った。急遽、翌日の便で帰国することとし、その日は予定通り雨の蘇州を見学した。カメラの前の一光さんは実に堂々として、これからの日本のリーダーに相応しいお姿だった。

1997年5月10日/上海、蘇州

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

新事務所引越し3日間オープニングパーティー。田中事務所特製のハンバーグに先生がソースをかけてお客様に振るまっている様子。3日間大量のハンバーグを朝から仕込んでいました。

1999年5月/田中一光新事務所/左より緒方裕子、田中一光、「青柳」(料亭)お手伝い、田中一光 姪

松吉さんの独立お祝。社員全員で草津温泉へ。その後、年末恒例行事となり、仕事納めのあと毎年草津温泉へ社員旅行へ行っていました。

1996年末/左より緒方裕子、細田 由起子、住友博昭、福田繁雄、田中一光、松吉太郎

スタッフ(緒方)の誕生日会。スタッフの誕生日にごちそうを作ってバースデーパーティーをやってもらいました。田中先生の誕生日会はスタッフでプレゼントを用意してごちそうを作ってお祝をしていました。

1999年3月/左より住友博昭、田中一光、細田 由起子、大内 おさむ、緒方裕子

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

私の個展「ピクチャーレリーフ」は尊敬する田中先生のネーミング。

1986年6月5日/ギンザ・グラフィック・ギャラリー/左より秋山 育、田中一光

セーヌ川船上パーティーにて。パリの空の下、シャンソンの名曲が流れる優雅で夢のような一夜。

1988年9月28日/セーヌ川/左より田中一光、太田徹也、秋山 育

センスを問われるポットラックパーティー。緊張のひとこま。

1988年秋/パリ/田中一光を囲んで

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

NHK「男の料理」撮影風景

1987年4月/田中一光デザイン室

NHK「男の料理」撮影風景

1987年4月/田中一光デザイン室

バーベキューをスタッフと楽しむ

1990年頃/山中湖・別荘

「Takeo Miji」個展のオープニングでハワイへ行った時ビーチにて

1991年12月/ハワイ

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

大日本印刷株式会社「CCGA」オープニング式典参加

1994年/左より田中一光、北島義斉(現・副社長)、勝井三雄

「PLEATS PLEASE」プリーツプリーズ+勝井三雄グラフィック展がMDSギャラリーで開かれた。その時のオープニング・パーティー用に特別仕様のチョッキが200着作られ、三宅一生氏の計らいでオープニングに華をそえた。

1997年/MDSギャラリー/左より勝井三雄夫妻、田中一光

「CCGAポスター展」の帰り。楽しい一時。

2000年/郡山市そば屋「隆仙坊」/前列 左より柏木 博、永井一正、早川良雄、田中一光、勝井三雄、二列 左より加藤恒夫、福田繁雄、高橋 平、勝井沙子、「隆仙坊」店主、坂東尚武、三列 左より伊藤 豊、矢野公一

「CCGAギャラリー」オープニング

1994年/CCGAギャラリー/左より伊藤順二、ケネス・タイラー、田中一光、勝井三雄、福田繁雄

第2回世界ポスタートリエンナーレ・トヤマの審査員一同。

1988年/前列 左より粟津 潔、福田繁雄、後列 左より勝井三雄、中村 誠、田中一光、永井一正

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

左より長友啓典、田中一光
1994年2月22日/左より長友啓典、篠山紀信、田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

草津温泉へのデザイン室忘年会旅行にて。

1997年冬/草津温泉/左より伊藤 豊、迫村裕子、田中一光、デザイン室スタッフ

サルヴァトーレ・フェラガモ展、ウィンドウディスプレーを終えて。

1998年/新宿/左より粟辻麻喜、田中一光、藤本晴美、デザイン室スタッフ

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

パーティー参加への礼状。さりげないハガキに美意識が滲み出ていた。

1994年/祝賀会の礼状

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

アポなしで事務所を襲撃!!先生最高の笑顔!

2001年12月/田中事務所/左より田中一光、サンタクロース、伊藤 滉

ブラジル展に向う途中、トランジット中にハーバーへ行きました。ここからまだ12時間かかりました。

サンフランシスコ/左より伊藤 豊、田中一光

ミラノ展の準備中にスイスへ移動。展示準備中のひとときです。

左より伊藤 豊、田中一光、ブルーノ・モングッツィ

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

帰省中の二人の故郷奈良の小路谷写真館(麹谷実家)にて。

1960年/奈良・小路谷写真館/左より田中一光、麹谷 宏

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

山中湖、Vハウスにて。

1975年/山中湖・Vハウス ベランダ/左より田中一光、紀国 有、紀国憲一
山中湖・Vハウス/田中一光、堂本尚郎夫妻、紀国一家
紀国家 山中湖 山荘

忘れられない思い出がある。1977年、N.Y.で一光さんに誘われキース・ジャレットの演奏を聴きにいった。深夜2時からの演奏というのにビレッジ・バンガードは満員。演奏が終わると興奮した聴衆はしつこく手拍子でアンコールを要求した。ところが聴衆を静止したジャレットは意外にも不機嫌な態度で、「私は今この一時間の演奏に全身全霊を捧げた。演奏が終わった私の体は、魂もエネルギーも抜けた蟬の殻だ。そんな私にあなた方はまだ演奏を強要するのか」と開き直り、アンコールには応えず、彼は自分の創作活動への精神的、感覚的、肉体的な血みどろの努力について長々と語り始めた。
私はその夜のジャレットに感動した。ひとつの演奏に完全燃焼するすさまじい集中力、そして半端なコンディションで安易に聴衆におもねることをしない頑固さ。秀れたアーティストが自己を新しい創造に駆り立て、完全に向かうプロセスへの徹底したリゴリズム。私は毅然としたキース・ジャレットの姿に、なぜか一光さんを重ね合わせていた。

1976年/西武美術館/「アメリカ美術の30年展」図録(表紙 ジャクソン・ポロック「ナンバー27」の部分)

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

先生の大回顧展オープニングの後。クリエイティヴな闘いの後、お互いを讃える至福の瞬間。

1997年10月5日/ミラノ
左よりステファーニア・リッチ(サルヴァトーレ・フェラガモ美術館館長)、田中一光、迫村裕子
撮影:伊藤 豊

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

閑静な住宅地にあった青山一丁目時代の仕事場で、田中一光(33才)先生の話に聞き入る太田徹也(左・22才)。

1963年10月/田中一光仕事場/左より太田徹也、田中一光

青山通りを眺望できる青山三丁目交差点にあったA・Yビル8階で仕上りを見る田中一光(36才)と太田徹也(25才)。当時は身なりに厳しく仕事中でもワイシャツとネクタイを着用。

1966年5月/A・Yビル 田中一光デザイン事務所/左より田中一光、山下秀男、太田徹也

『The Rice Cycle』の本で撮影前の細かい打合せ。麻布・パークスタジオ。田中一光(44才)太田徹也(33才)と写真家・石元泰博(53才)。

1974年3月/左より石元泰博、太田徹也、田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

田中一光パーティーにて。

1995年3月22日/東京会館/左より内藤 廣、田中一光

マッカリーナ建設現場にて。

1998年冬/リストランテ・マッカリーナ/左より原田 勲、真狩村・八田村長、内藤 廣、田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

「モリサワ'82ショウ」の懇親パーティー。

1982年7月/東京・ホテルグランドパレス

日本文化デザイン会議「企業文化デザイン賞」受賞の感謝の集いで。

1988年3月/大阪・ロイヤルホテル

写植発明60周年記念『文字の博物館』出版記念パーティーで。

1984年7月/東京・ホテルオークラ/左より田中一光、亀倉雄策

「モリサワ賞・国際タイプフェイスコンテスト」審査会で。

1999年10月/東京・モリサワ本社/マシュー・カーター、アラン・チャン、田中一光、五十嵐 威暢、他

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

ホンジュラス、コパン遺跡でモリサワカレンダー撮影の合間にランチ。

1996年/ホンジュラス、コパン遺跡/左より田中一光、八杉佳穂、池田 暢、金子正剛

gggでの展覧会ルウ・ドーフスマン展のために来日した、田中一光さんの旧友のルウ・ドーフスマンさんとともに。

1987年/ggg 第16回 ルウ・ドーフスマンとCBSのクリエイティブワークス展/左より田中一光、金子正剛、ルウ・ドーフスマン

メキシコINAHで行なわれた「田中一光展」の打ち上げにて。

メキシコシティー/左より金子正剛、徳永明美、田中一光、ロトルフォ・ストレーター

ミラノでの田中一光展会場設営中に一休み。後のベニヤ板に見えるのは茶室となる。

ミラノ田中一光展会場/左より金子正剛、田中一光、迫村裕子、Martina Fuga

ミラノ田中一光展会場設営。

ミラノ田中一光展会場/左から金子正剛、田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

田中さんは『話の特集』表紙を担当中。

左より原 弘、麹谷 宏、田中一光/撮影:矢崎泰久

『話の特集』の執筆者紹介欄にご本人お気に入りの写眞を提供いただいた際の写眞です。

田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

田中一光ディレクション「粟辻博」展、1968年に私がデザインした「フリーフォームチェア(テキスタイル:粟辻 博)に座っている様子。

2000年/目黒区美術館「粟辻博展一色彩と空間のテキスタイル」/左より田中一光、内田 繁

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

田中一光さんとの話し合いからできた竹尾研究所の企画展。

1990年/株式会社 竹尾研究所、第一回企画展「SELF-IMAGE」オープニング

紙には食い入る程の熱い想いや厳しさも、人には優しい眼差し。

1990年/左より竹尾榮一(株式会社 竹尾 3代目社長)、田中一光

創業100周年に次の100年を見据え101色を創り上げた。

1999年/田中一光監修、色彩計画「マーメイド」101色

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

初釜。茶懐石料理でお客様をおもてなしする亭主の田中先生。

1994年1月/田中一光自宅/左より田中一光、徳永明美

送別会をして頂きました。先生と数少ない2ショットの宝物の写真。

1995年9月/青山のレストラン「KIHACHI」/左より徳永明美、田中一光

思い出の夕食。海外でのマナーも全て田中先生に教えて頂きました。

1995年12月/ニューヨークのレストラン「HAPPY CIPRIANI」/左より池田 暢、徳永明美、田中一光、五十嵐 卓

お茶会のあと、先生の見立てのキース・へリングの掛け軸の前で。

2000年/田中一光主催、京都のお茶会/左より島本理佳、徳永明美、田中一光、木田安彦、他/撮影:畠山 崇

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

一光先生初の御来窯。大勢での楽しい夕餉のひととき、味のてなおし中。

1993年頃/左から田中一光、麹谷 宏/撮影:住友博昭

先生の親友であったイサム・ノグチ邸訪問。特別なお出迎えをいただきました。

1996年/左から濱中月村、早野威男、田中一光、迫村裕子

ノグチ氏は邸内にある作品(墓石)に分骨され眠っておられるそう。先生にとっては墓参の旅でもありました。

1996年/撮影:住友博昭

こんな迷惑をかけた事もありました。感動もいっぱい。

1995年頃

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

マティスの版画を見てご満悦な先生

1989年4月4日/田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

当時('89)日本アイビーエムの広報宣伝の指導をいただいていた。

1989年6月7日/NewYork、チャック・フランシスのスタジオ/左から田中一光、向 秀男、廣瀬禎彦 他

その関係でIBM本社を訪問された時のスナップ。

1989年6月9日/NewYork郊外の街角にて/左から廣瀬禎彦、田中一光、向 秀男

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

♪お殿様でも家来でも〜♪と歌って居た頃の一光さん。多分18才。

1947年/京都市立美術専門学校アトリ座公演『呪』
1960年頃/粟辻 博宅/左から緒方規矩子、田中一光

筆者作品集の為。

2001年/田中一光のアトリエにて/左から緒方規矩子、田中一光
2001年/田中一光のアトリエにて/左から緒方規矩子、田中一光
2001年/田中一光のアトリエにて/左から緒方規矩子、田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

10月上旬、港区立青南小学校の5年生93名が来館して「田中一光とデザインの前後左右」を見学しました。会場では、大きく拡大されたポスター作品と、いくつかのテーマについてのスタッフの説明をとおして、これまで描いてきた「絵」とは違う方法でのポスター表現を感じ取ります。最後は各自が自由に鑑賞しながら、気になる作品について気付いたことをメモしました。

この体験をふまえ、その後の授業で「これからの日本」についてそれぞれの思いを表現する砂絵を制作し始めた5年生たち。田中一光の作品の持つ力を、展覧会の会場で実物を観て直接吸収することで、「色や形に注目し、考えを表現する」という一歩進んだ課題に自然に取り組めたようです。完成した砂絵は、校内の展覧会で展示されます。

校内の展覧会の様子と、いくつかの作品を21_21 DOCUMENTSでご覧いただけます。
21_21 DOCUMENTS「小学5年生たちのポスター作品」

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

雑誌撮影で郷土料理・奈良のソーメン料理を先生手作りで(打ち上げ)。

1980年代/山中湖・Vハウス/左から編集者、小山英夫、田中一光

ベランダで朝食の時間です。先生の手料理です。

1990年代前半/山中湖・三明別荘/左から長友啓典、小林 薫、木田安彦、田中一光、小山英夫

いい気持ちの小山がフレーフレー田中と応援団風にエールをおくっている風景。うれしそうな先生。

左から田中一光、細田 由起子、熊倉桂三、小島利之、松吉太郎、小山英夫

Vハウスから、朝夕に真正面に富士山が見えました。

1990年代前半/山中湖・Vハウス/撮影:小山英夫
山中湖・Vハウス/左から住友博昭、粟辻夫妻、内藤恒方、田中一光、小山英夫

外でバーベキュをよくやりました。

1977年8月5日、6日/山中湖・Vハウス/左から田中一光、小山直之、小山 泰

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

田中先生がベネチアビエンナーレの受賞記念で作って下さった香合です。

2012年7月31日/田中一光作の香合

「ひょっとしたらものすごいものかもしれない」とおっしゃっていました。中国のお土産です。

2012年7月31日/田中一光中国のおみやげの皿

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

アートディレクターとして無印良品の産みの親であり、多くの才能と出会わせていただいた。
モノづくりでもたくさんのご指導をいただいたが、このスケジュール帳は、先生自らデザインされ「これなら、いつからでも使えて、売れ残りや売り不足も心配ありませんから、その分、お安くして下さい。」とおっしゃりながら提供いただいた。 

無印良品クラフトノート・スケジュール(1992年発売、デザイン:田中一光)/Copyright(c)Ryohin Keikaku Co., Ltd

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

なつかしい一光さん  海上雅臣

1964年7月〜1971年3月まで銀座・壹番館洋服店の3階に僕は壹番館画廊を開いた。この画廊は、当時まだ素材や技法別に画廊が存在していたのに対し、現代美術は、もっと自由な形で発表することに意味があると考え、それを目的にこの画廊は開いた。1962年に僕はパリに行き、その地の画廊のあり方を見てきた。
ビルの借り賃を払うため、年52週のうち半分を貸画廊、半分は支持する作家の発表展の為に使った。貸画廊の展示期間は1週間、僕の企画展は2週間。このようにふりわけたので、ジャーナリストの人達は、2週間の展示の時には、積極的に取材してくれた。一光さんもよく壹番館画廊に通ってくれた。
あるとき僕に、壹番館画廊のアルバムを本に作りたい、協力させてくださいと言った。その時僕は貸画廊で使ってくれた人達に、企画展だけのアルバムを作っては気の毒と思い遠慮したが、今になってみると大変惜しいことをした。一光さんは純粋な気持であたたかく見守ってくれていたのだ。その期待に応えなかった僕の優柔不断さを残念に思う。あの時一光さんのデザインで、銀座における僕の活動をアルバムとして残されていたら...と今にしてつくづく思う。
一光さんはなつかしい存在だが、手元に写真は一枚もない。
一光さんは僕が井上有一を推していることに共感して一字大作を買ってくれた。一光さんの突然の死は僕を驚かせ、いろいろな事を思い出させた。

(テキストは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

一光先生他、錚々たるメンバーで披いた初釜でした。

1997年/京都・嵐山吉兆/田中一光 撮影:畠山 崇

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

2012年10月20日、デザイナー 祖父江 慎によるカンバセーション「あいまいな日本文字と一光さん」を開催しました。

田中一光と実際に対面したことや仕事をしたことはないが、田中は色見本帳やファンシーペーパーの開発、ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)の開設など、現在のデザインの場を整えた重要な人物だと語る祖父江。「宿命的なのは日本の文字である」という田中の言葉を引用し、数ある田中の仕事から文字を使った作品を、独自にリサーチした資料を交えながら、「一光さんと日本文字のたたかい」として紹介しました。

祖父江は、1953年から年代順に田中のポスター作品を紹介しながら、田中一光初期の作品にみられる特徴「正方形構成や区切り」「たくさんの色」「ぼかし」が、後期には「柔らかく」「あいまい」になっていくことに言及。また、印字の手法としては活字や写植から自身の書体「光朝」体をつくり、一方で筆文字や墨戯を多用したことなどを解説し、本展でもご覧いただける田中一光の文字の探求の軌跡を辿りました。

質疑応答の時間には、「DTPの時代の今、文字について若い人たちにどんなことを教えているのか?」という質問に答えて「実は、若い人には文字好きが多い。コンピュータが普及して手書き文字を使うことが少なくなった近年、文字が身近に感じにくくなってしまった若い人たちの中では、手書きへの欲求が高まってきている」と話しました。
田中一光の仕事を、文字を軸に様々な視点から見つめなおす機会となりました。

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

月刊『室内』連載「現代の職人」の撮影。

1990年4月/AYビル 田中一光デザイン事務所
1990年4月4日/ggg銀座 田中一光展/田中一光、松永 真 撮影・写真提供:藤塚光政
1994年1月18日14:00〜16:00/AYビル 田中一光デザイン事務所/田中一光、福田秀之 撮影・写真提供:藤塚光政
田中一光、鈴木政紀、太田徹也 撮影・写真提供:藤塚光政

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

毎年恒例、酉の市のお参り。スタッフ全員にも小さな熊手を。

1998年または1999年11月(酉の日)/浅草・鷲神社/田中一光、事務所スタッフ

ベルリンでの個展前に、坂 茂氏設計の日本館を見にハノーバー万博へ。

2000年3月/ドイツ・ハノーバー/矢野公一(大日本印刷)、スタッフ、田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

現在開催中の企画展「田中一光とデザインの前後左右」が『デザインノート』45号にて掲載されました。

『デザインノート』45号

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

1946年/京都市立美術専門学校時代
1946年/京都市立美術専門学校時代
1946年/京都市立美術専門学校時代
1946年/京都市立美術専門学校時代
1946年/京都市立美術専門学校時代

アトリエ座公演ペレアスとメリザント。田中さんは老王アルケル。

1946年/京都市立美術専門学校時代

カネボウ入社当時。どのスナップにも二人が並んでいます。

1946年/京都市立美術専門学校時代

カネボウ入社当時。どのスナップにも二人が並んでいます。

1946年/京都市立美術専門学校時代

ツーショットの写真の中で一番気に入っています。

2000年9月24日/ニューヨーク

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

2012年10月13日、「田中一光とデザインの前後左右」展カンバセーション 三宅一生+Reality Lab.を開催しました。

はじめに、三宅一生と小池一子が登壇し、田中一光との出会いや仕事について語りました。田中一光の発案で制作されたという書籍『三宅一生の発想と展開 ISSEY MIYAKE East Meets West』(1978年、平凡社)は、日本の産地から生まれる世界服、ISSEY MIYAKEを「人間的に共鳴する人々に着てもらいたい」という三宅の思いをベースに、様々な人々が関わり、田中の強いビジュアルの編集力によってまとめられたといいます。

撮影:吉村昌也

次に、今回の特別出展者、Reality Lab.のメンバーを紹介。菊池学(テキスタイル・エンジニア)、山本幸子(テクニカル・エンジニア)を中心に、ベテランと若手のスタッフが参加する研究開発チームです。

「僕らの仕事には、職人や日本の技術との協力が欠かせない」(菊池)と言うように、再生ポリエステルからつくられるが職人の加工技術によって新たなテキスタイル素材に生まれ変わり、立体折り紙のアルゴリズムと服の構造を生かした折り畳みの技術によって、新たな衣服「132 5. ISSEY MIYAKE」が誕生する過程を説明しました。

続いて若手のスタッフ、板倉、河原、塩ノ谷、高橋が、展覧会に特別出展した「IKKO TO LONDON」について、実際のサンプルや衣服を用いながら、田中のグラフィックデザインに着想を得て、衣服がつくられる様子を語りました。最後に、現在進行中のもう一つのプロジェクト「陰翳 IN-EI ISSEY MIYAKE」も紹介しました。

撮影:吉村昌也

Reality Lab.設立時に、三宅から「アップサイクル」というテーマを与えられたと菊池は言います。それは「リサイクルとは全く異なる。『創造』を入れることが最も重要であり、よりよいもの、より幸福価値のあるものをつくること」(菊池)。このテーマが田中のデザイン世界と交わり、新しい価値が生まれるプロセスに、小池は「一光さんが生きていると感じた」とトークを締めくくりました。

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

西武劇場からフリーになり、時折いただく寸評は勇気の素でした!

一光先生からのお葉書と「VIONNET」の本

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」と関わりの深い2つの展覧会が、東京ミッドタウン内の会場で開催されています。

東京ミッドタウン・デザインハブ第36回企画展
「ムサビのデザイン 武蔵野美術大学のデザインコレクションと教育」

(東京ミッドタウン・デザインハブ)

武蔵野美術大学が今年4月に東京ミッドタウン・デザインハブの構成機関に加わったことを記念して開催される本展では、武蔵野美術大学 美術館・図書館の、約 40,000 点を超えるデザインコレクションより選ばれた、ポスター、椅子、雑誌、工業製品、椅子という時代を色濃く反映する媒体を通して、1950年代から70年代までの30年間を見つめ直します。田中一光のポスター作品や、数多くの同時代の名品を、「田中一光とデザインの前後左右」展と合わせてぜひご覧ください。

「ムサビのデザイン 武蔵野美術大学のデザインコレクションと教育」会場風景/写真:三本松 淳

ダイアグラム教育 太田徹也の教育の軌跡/明日を予測する情報のカタチとデザイン
(武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジ)

「田中一光とデザインの前後左右」で企画協力をしている太田徹也が講師となり、武蔵野美術大学が実施したカリキュラム「ダイアグラムデザイン」。太田の指導のもとで「いかにデータを自分のものとし、制作者として個性とオリジナリティを自問し、文字・色彩・形態の選択と解釈を行うのか」という問いについて、学生たちは作品制作を通して考察を続けてきました。この「ダイアグラム」教育の現場を紹介します。

ダイアグラム教育 太田徹也の教育の軌跡/明日を予測する情報のカタチとデザイン ポスター

会場:東京ミッドタウン・デザインハブ、武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジ
   東京都港区赤坂9-7-1 ミッドタウン・タワー5階
会期:2012年10月5日[金]-11月4日[日] 11:00 - 19:00(会期中無休)
入場料:無料

【お問い合わせ】
武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジ
TEL:03-3470-7221
http://d-lounge.jp/

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

一光さん、後輩の京都芸大連(連長木田安彦)と徳島の阿波踊へ。

1978年8月13日/徳島/名物阿波踊京都芸大連

祇園祭宵山見物の一光さん。

1985年7月15日/祇園祭鉾町/木田安彦、田中一光

お好み焼き大好き人間の一光さん。

1990年/木田安彦宅/木田安彦、田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

1977年私が毎日デザイン賞を受けた折、一光さんは「一生さん、本をつくりましょう!」と。あれよあれよという間に編集の分室をしつらえ作業がスタート。翌年完成したのが『三宅一生の発想と展開 ISSEY MIYAKE East Meets West』(平凡社)の本。

1977年/田中デザイン分室で打合せ風景。左より田中一光、小池一子、三宅一生
1978年/『三宅一生の発想と展開 ISSEY MIYAKE East Meets West』 平凡社
Model: Iman Abdulmajid
1978年/『三宅一生の発想と展開 ISSEY MIYAKE East Meets West』 平凡社より
着る人:左頁 白洲次郎、北村みどり、右頁 白洲正子/撮影:操上和美

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

現在開催中の企画展「田中一光とデザインの前後左右」が、イタリアのウェブサイトdomusに紹介されました。
http://www.domusweb.it/it/design/ikko-tanaka-tra-futuro-e-passato-oriente-e-occidente/


domus

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

スポーツの苦手な先生は、すごく緊張したという。ルソン島にて。

1975年頃/フィリピンルソン島

静岡の伊東重度センターにまで様子を見にきてくれた。

1988年/静岡県伊東市

個展をやったとき、特別サービスをいってサインをしてくれたもの。

2000年/東京新宿

下手くそな個展であっても見にきてくれた先生がなつかしい。

2000年/東京新宿

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

「日本のデザイン展--伝統と現代」の準備のためモスクワへ。

1984年/モスクワ/左から田中一光、小山英夫、川上元美

門司港ホテルのオープニングセレモニーの後荻市を訪れる。

1998年/荻市大屋窯/左から川上元美、田中一光、濱中月村

粟辻 博邸にて茶会。

1997年/粟辻 博邸/左から佐村憲一、近藤康夫、川上元美、田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

ニューヨーク/左から杉本貴志、田中一光
アムステルダムの鴨料理の店、ブラックシープ/左から柴田成敏、杉本貴志、田中一光、木田安彦
赤坂の春秋/左から杉本貴志、太田徹也、田中一光
渋谷SEIBUの内部/左から小川隆之、田中一光、杉本貴志、小池一子

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

2012年9月29日、「田中一光とデザインの前後左右」展オープニングトーク「祝福された時間と創作」を開催しました。

本展ディレクターの小池一子はまず、「過去の偉業だけではなく、今この時代に何を提案できるか」を考えてまとめたという展覧会コンセプトを解説。戦後のモノクロームの社会から色のある美しい生活世界を思い描き、創作に生きた、田中一光の「祝福された時間」について語りました。
本展で会場構成とグラフィックデザインを手掛けた廣村正彰は、田中一光デザイン室で過ごした11年間を振り返り、「その時代時代で田中先生が何を考え、仕事を通して社会とどのように接してきたか、『前後左右』の『前』(=Future)をいかに展示するか」を熟考したと話しました。

続いて、田中一光の作品やデザイン室の資料を保管する「DNP文化振興財団」でのリサーチプロセスを紹介。小池は「このアーカイブがあってこそ実現した展覧会」とアーカイブの重要性を説き、廣村は「給与明細や鉛筆の一本一本まできちんと保管している」アーカイブのあり方に、驚きとともに敬意を表しました。
廣村はまた、手書きから活字、写植、フォントまで、「デザイン人生を通して文字に強い興味を持ち続けた」田中の姿を、展覧会ポスターの「T」(光朝)と「一」(活字)で表現したと語りました。1960年代に田中と出会い、芝居好きで意気投合したという小池は、「アートディレクターは、イタリアンオペラのアリアを聴いて、劇場を出たら屋台でおでんをつっつくようなダイナミックさを持つこと」という田中の言葉を紹介しました。

トーク後半は、田中の代表作として知られる5点のポスターを中心に、様々なエピソードを交えながら展開。田中がスタッフに突然紙を切るよう指示し、四角や三角、丸など、最も基本的な造形から生み出した傑作「Nihon Buyo」などの例をあげ、手作業から新しい発想や展開が生まれるデザインプロセスの可能性を示唆しました。
また、展覧会では紹介しきれなかった「田中一光デザイン室のお昼ご飯」(小池)や、「仕事の前にお礼状、料理、本棚の整理」(廣村)をしていたという田中の素顔にも触れました。満員の会場は、何よりも人が好きで、人が集まって創造する場づくりに情熱を傾けた、田中一光の暖かさに包まれました。

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

1995年4月/磐梯熱海温泉/CCGA現代グラフィックアートセンターオープニング後

(キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

写真館で家族写真。戦後、時代が変わりこの様な風習は無くなりました。

1939年/奈良市/左から田中一光、父、田中成典、母、次男

お墓参り。1980年母が亡くなり奈良から鎌倉に墓を移して以来、年5回のお参りを22年間欠かさず私達の小さな車で通い続けました。

1992年3月/鎌倉/左から森野千絵、田中一光、田中友美子、田中成典

恒例の「元日のお祝い」。これも途切れる事もなく、自作の料理を加えて続けられました。

1993年1月/自宅1階/左から田中成典、田中一光、田中清子、森野千絵

別荘でバーベキュー。別荘半月亭の横で、一光製バーベキュー調理中。

1994年5月/山中湖/左から田中成典、田中友美子、田中清子、田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

土門 拳『文楽』打合せ。田中先生のご提案に笑顔で意思表示する土門氏。

1972年6月/麹町土門氏宅/左から武智鉄二、田中一光、浜田桂子(後姿)、土門 拳、駸々堂 谷口常雄

土門 拳『文楽』打合せ。田中先生は本のイメージを語り続けた。

1972年6月/麹町土門氏宅/左から駸々堂 谷口常雄、浜田桂子、土門 拳(後姿)、武智鉄二、田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

バンコクのガラス工場と、チェンマイ奥地の草木染工房を視察しました。

1988年秋/バンコク、タイ

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

モリサワカレンダー「人間と文字」の撮影でイスラエルへ行った時、死海を見渡す岡で、向かい側はヨルダン、50℃以上の暑さでした。

1987年/死海、イスラエル/左から田中一光、金子正剛、広川泰士、現地ガイド、矢島文夫教授

モリサワカレンダーの次のテーマ「アラベスク」のリサーチでイスタンブールへ、トプカプ、ブルーモスク等を見学、朝ホテルから出た所で熊の芸人達にバッタリ。

1987年/イスタンブール、トルコ/田中一光

散歩中に不思議な木を発見、田中さんに入って頂いて。

1987年/イスタンブール、トルコ/田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

企画展「田中一光とデザインの前後左右」が始まりました。
日本を代表するデザイナー、田中一光の貴重な書籍やポスター作品をはじめ、本展で初公開となる田中一光デザイン室のアーカイブの数々を紹介しています。

展覧会ディレクターは小池一子、会場構成とグラフィックデザインは廣村正彰。
Semitransparent Design、三宅一生+Reality Lab.、廣村正彰が、田中一光の創作に触発されて制作した新作もお見逃しなく!

Photo: Masaya Yoshimura

9月21日より開催の企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

(桑沢デザイン研究所)卒業の時「もう君達とは商売敵だ」と驚かされた...が。

1988年頃/国際文化会館/北川佳子、田中一光、青葉益輝、遠藤 享 他

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

9月21日より開催の企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

1950年代、一光さんとよく会って話し込んだ。

1950年代/永井一正の仕事部屋/左から田中一光、永井一正

一光さんが東京に移るので見送りに。

1950年代/大阪駅/左から田中一光、永井一正

一光さんと福田繁雄さんと私の個展で。

1989年/ギンザ・グラフィック・ギャラリー/左から福田繁雄、永井一正、田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

9月21日より開催の企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

亀倉雄策 73才、田中一光 58才、松永 真 48才。イッセイ・ミヤケのポスター展にて。

1988年6月13日/ggg 第28回イッセイ・ミヤケのポスター展「I.I.I. at GGG」オープニング/左から亀倉雄策、田中一光、松永 真

田中一光 60才、松永 真 50才。全国カレンダー展の審査会にて。

1990年12月12日/全国カレンダー展審査/左から田中一光、松永 真

松永 真の個展のオープニングにて。田中一光 70才、松永 真 60才。

2001年3月5日/ggg 第178回「松永 真、ディテールの競演」展 オープニング/左から松永 真、田中一光

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

9月21日より開催の企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

鋭い眼光で射る 一光先生。

1979年11月22日

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

9月21日より開催の企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

田中先生は、ISSEY MIYAKEのコレクションを必ず観にいらして、クリエイションのことをご理解くださいました。
うつくしいもの、美味しいもの、楽しいことを大事にされ、そしていつもユーモアのあるお言葉をくださいました。
この日は見たこともない友人達の姿をみて、ほんとうに心から楽しまれていらっしゃいました。

1980年/三宅デザイン事務所六本木オフィス/左から皆川摩鬼子、ダニエラ・モレラ(Daniela Morera)、田中一光、北村みどり、石岡瑛子、小池一子

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

9月21日より開催の企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。

1975年頃から亡くなられる迄、一光さんはバー・ラジオに通って下さいました。
セカンド・ラジオにて、店主 尾崎が生けた花。

1993年頃/セカンド・ラジオ/撮影:操上和美

『デザインの前後左右』(田中一光著)の「もてなしの美学」にある尾崎が生けた花とモンローの絵です。

1993年頃/「バー・ラジオ」で所有していたウォーホール作品「マリリン・モンロー」(キャンバス地にシルクスクリーン)をもとにつくったダイレクトメール用のはがき

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

9月21日より開催の企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。
本サイトと、展覧会会期中の会場でご覧いただけます。

Metropolitan Opera(メトロポリタン歌劇場)100周年記念にマツダ株式会社と坂東玉三郎公演を実施、『TAMASABURO IN NEW YORK』発行。

1984年4月/メトロポリタン劇場/左から瀬底 恒、篠山紀信、田中一光

窓庵茶会初釜の亭主として茶人の石元滋子さんを正客に招く。

1996年1月/窓庵/左から田中一光、石元泰博夫妻

茅ヶ崎「太陽の郷」入居後の瀬底さんが一度だけ外出した先は、長年の友人のいる田中一光デザイン室だった。

1998年6月/田中一光デザイン室/左から太田徹也、瀬底 恒、田中一光、他

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

9月21日より開催の企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。
本サイトと、展覧会会期中の会場でご覧いただけます。

CD盤BOXSET「モダンジャズの時代」(Sony Music House)解説本収録・対談の様子。

1999年/左から田中一光、児山紀芳

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

9月21日より開催の企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。
本サイトと、展覧会会期中の会場でご覧いただけます。

第20回造本装幀コンクール(1985年)で受賞。会員故デザインは無料。

民族藝術学会誌『民族藝術』第1巻の表紙カバー(構成:田中一光)

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

9月21日より開催の企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。
本サイトと、展覧会会期中の会場でご覧いただけます。

伝説のフランス三ツ星レストランツアー。パリのホテルに集合。

1986年初夏/左から粟辻 博、日暮真三、粟辻早重、田中一光、麹谷 宏

ニースからパリへの途上。一日三食一週間フランス料理。

1986年初夏/左から麹谷 宏、田中一光、粟辻早重、日暮真三

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

9月21日より開催の企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。
本サイトと、展覧会会期中の会場でご覧いただけます。

リクルート・タイムトンネル4回展 「佐藤晃一の研究」展の初日。

1996年8月20日/旧ガーディアンガーデン/田中一光
1996年8月20日/旧ガーディアンガーデン/左から佐藤晃一、小島良平、田中一光、水上 寛
1996年8月20日/旧ガーディアンガーデン/左から佐藤晃一、小島良平、田中一光、仲條正義

(コメント、キャプションは全て提供者による)

「私の一光さん」一覧リストを見る

9月21日より開催の企画展「田中一光とデザインの前後左右」にあわせ、生前の田中一光を知る多数の方々よりお寄せいただいた、貴重な思い出の写真や資料を連載で紹介します。
本サイトと、展覧会会期中の会場でご覧いただけます。

Vol.1
佐藤晃一
Vol.2
日暮真三
Vol.3
木村重信
Vol.4
児山紀芳
Vol.5
水上町子
Vol.6
尾崎浩司
Vol.7
北村みどり
Vol.8
操上和美
Vol.9
松永 真
Vol.10
永井一正
Vol.11
遠藤 享
Vol.12
広川泰士
Vol.13
木内雅雄
Vol.14
浜田桂子
Vol.15
田中成典
Vol.16
高橋 平
Vol.17
杉本貴志
Vol.18
川上元美
Vol.19
斎藤日出男
Vol.20
三宅一生
Vol.21
木田安彦
Vol.22
東海晴美
Vol.23
粟辻早重
Vol.24
山本 寛
Vol.25
藤塚光政
Vol.26
島本理佳
Vol.27
海上雅臣
Vol.28
金井政明
Vol.29
千住 博
Vol.30
小山英夫
Vol.31
緒方規矩子
Vol.32
廣瀬禎彦
Vol.33
住友博昭
Vol.34
濱中月村
Vol.35
徳永明美
Vol.36
竹尾 稠
Vol.37
内田 繁
Vol.38
矢崎泰久
Vol.39
金子正剛
Vol.40
森澤嘉昭
Vol.41
内藤 廣
Vol.42
太田徹也
Vol.43
迫村裕子
Vol.44
紀国憲一
Vol.45
麹谷 宏
Vol.46
伊藤 豊
Vol.47
原 研哉
Vol.48
福田秀之
Vol.49
長友啓典
Vol.50
勝井三雄
Vol.51
松吉太郎
Vol.52
秋山 育
Vol.53
緒方裕子
Vol.54
上條喬久
Vol.55
小嶋茂子
Vol.56
コシノジュンコ
Vol.57
蓬田やすひろ
Vol.58
川上嘉瑞
Vol.59
小池一子
Vol.60
八木 保
Vol.61
辻井 喬
Vol.62
森下茂行
Vol.63
細田 由起子
Vol.64
北島義俊
Vol.65
浅葉克己
Vol.66
藤本晴美
Vol.67
黒田泰蔵
Vol.68
中西元男
Vol.69
杉本 友太郎
展覧会ポスター

9月21日より、企画展「田中一光とデザインの前後左右」を開催します。

戦後から経済成長期へ。激しい時代を伸びやかに生き抜いた、日本を代表するデザイナー 田中一光。その視線は伝統の継承から未来の洞察、東と西の国々との交流など田中自身の言う「デザインの前後左右」にわたっていた。同時代のクリエイターや企業家とともに練り上げた仕事の数々をアーカイブから紹介し、未来への示唆を探っていきます。

>>詳細はこちら