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トランスレーションズ展 −「わかりあえなさ」をわかりあおう (10)

2021年2月27日、企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」に関連して、オンライントーク&ワークショップ「体でつたえる −手で描こう」を開催しました。
トークには、アーティストの南雲麻衣、本展グラフィックデザインを担当する祖父江 慎、参加作家の和田夏実、モデレーターとして企画協力の塚田有那が出演しました。

本イベントでは、手話を用いた研究やプロジェクトを手がける南雲と和田による手話のワークショップを中心に、「体でつたえる」楽しさや、視覚言語がひらくコミュニケーションの可能性についてトークが行われました。

手話に対して「わからない」という怖さや「間違って伝わるかもしれない」という不安があると話した祖父江も、レクチャーを通して視覚言語の楽しさを実感。 ワークショップの中で行われた手話を使ったゲームでは、イマジネーション豊かな手話世界を繰りひろげてイベントを盛り上げました。

また、自身がデザインをやる上でも「目で考えること」を意識していると話す祖父江。
手話について「時間も空間も瞬時に伝えることのできる手話は、デザインとは異なる一種のグラフィック。でも、一方向的なグラフィックとは違って、手話には受けいれる側も存在している」と、送り手と受け手の双方の歩み寄りの大切さを伝えました。

さらに、南雲は「言葉だと説明的になってしまうイメージや情景も、手話なら言葉に縛られずにそのまま伝えることができる。コミュニケーションが必要だからこそ、相手に伝わった瞬間は大きな喜びを感じます」と語りました。

トークの最後には、参加者との質疑応答の中で「非当事者から手話を『素敵』や『おもしろい』と言われることに違和感を抱くことはありますか?」という問いが寄せられました。
ろう者の両親のもとで手話を第一言語として育った和田は「当事者じゃなくても、愛や尊重する気持ちがあれば剥奪にはならないから、そういう近づき方をお互いにしていきたい。幼い頃から様々な人と手話を通したやりとりがしたいと思っていたので、今日はその願いが叶って嬉しい」と思いを述べました。

オンラインで多くの視聴者とつながり、視覚言語や言葉の外にある世界を行き来することで、隔たりをこえたコミュニケーションの可能性や表現のひろがりを体感することのできるイベントとなりました。

特別協賛:三井不動産株式会社

2021年1月21日、企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」に関連して、オンラインイベント「たほいや:架空の辞書あそび」を開催しました。 出演者は、ミュージアムエデュケイターの会田大也、本展企画チームより展覧会ディレクターのドミニク・チェン、企画協力の塚田有那、会場構成を務めたnoiz 田頭宏造、グラフィックデザインを担当した祖父江 慎です。

本イベントでは、出演者全員がプレイヤーとなり、知らない言葉の"それっぽい意味"を考えるゲーム「たほいや」が行われました。

「たほいや」は、広辞苑から選ばれたお題の言葉に対し、プレイヤーが考えた偽の意味と辞書に書かれた本当の意味を並べて、その中から正解を当てて得点を競うゲームです。

第一問目は「ふもうる」というお題でスタートしました。
出演者によって"それっぽく"書かれた意味の中で、どれが辞書にある正解か分かるでしょうか。

1 古文で使用される否定の謙譲語。「−ふもうる。」
2 ジョージア共和国の地名。ワインの原産地として知られる。ソ連崩壊後に西フモールと東フモールに分かれた。
3 北ヨーロッパを中心に発生する暴風雨。6〜7月にかけてしばし発生する。
4 価値がないとされることを行うこと。
5 ユーモアに同じ。

正解は「5」です。

その他にも「おぽっぽ」「せぱたくろお」「まんなおし」「うんたろう」をお題にゲームは盛り上がり、優勝者は会田となりました。 「たほいや」は、今まで知らなかった言葉の意味を知るだけでなく、言葉の背景にある文化や人びとの暮らしを想像するきっかけとなりました。
ぜひ、みなさんも「たほいや」を通して家族や友人と一緒に未知の言葉との出会いを楽しんでみてください。

特別協賛:三井不動産株式会社

2020年11月18日、企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」に関連して、オンライントーク「ことばの海をおよぐ −翻訳家にとっての『翻訳』とは」を開催しました。
トークには、翻訳家の柴田元幸と斎藤真理子、本展ディレクターのドミニク・チェンが出演し、文芸翻訳にまつわる様々なエピソードや思いが語られました。

あなたにとって「翻訳」とは?

ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウンなど数々の現代アメリカ文学の翻訳で知られる柴田は、本展に寄せて、「翻訳」を「快楽の伝達」と定義しました。
この定義について、柴田は「小説や詩など文学の翻訳に対する定義であり、文学そのものの定義といってもよいかもしれない。僕は自分の心が動いた作品しか訳さないし、大切なのは文学による快楽を伝達すること。そのためには、正しく翻訳することだけが価値のすべてではない」と語りました。

一方、韓国で2018年に発表されたベストセラー小説『82年生まれ、キム・ジヨン』など、多くの韓国文学の日本語訳を手がける斎藤は、次のように「翻訳」を定義しました。
「ある作品が、別の地面の上を歩いていくため靴を仕立てること。地質、気候、風土に留意して。」 韓国の歴史や日本との関係性など、言語の外にある文化的背景を意識して翻訳を行うという斎藤は「違う環境に生きている人へ、作品が伝わるための最低条件を整えたい。裸足で歩いていけるかもしれないけど、途中で雨が降るかもしれないし、最後まで伝わらないかもしれない。おせっかいなんです。地名や人名の表記の仕方ひとつにも、たくさんのことを考えます」と、定義に込めた思いを述べました。

トークの後半には、柴田が自身の和訳によるジェームズ・ロバートソンの短編『翻訳の不十分さ』を朗読し、翻訳という行為が困難でありながらも希望を抱く心情を、自らの思いと重ねて解説しました。
続いて、斎藤が朝鮮詩人 李箱の『烏瞰図』と、光州の詩人 パク・ソルメの『もう死んでいる十二人の女たちのために(仮題)』を原語と日本語で朗読し、終わりに視聴者との質疑応答が行われました。
それぞれに異なる翻訳家としての視点を持ちながら、その考え方や方法に共感しあい、多様な翻訳のあり方を提示する本展のテーマにも重なるトークとなりました。

特別協賛:三井不動産株式会社

2020年10月15日、トランスレーションズ展の開幕を翌日に控え、オンライン記者会見を行いました。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、約11ヶ月ぶりとなった新しい展覧会オープンの一幕を、ここで紹介します。

記者会見には、展覧会ディレクターのドミニク・チェンをはじめ、企画協力の塚田有那、会場構成を手がけたnoizより豊田啓介、酒井康介、田頭宏造、グラフィックデザインを担当した祖父江 慎とcozfish 藤井 瑶が出演し、本展での仕事を説明しました。
また、21_21 DESIGN SIGHTディレクターの佐藤 卓、深澤直人、アソシエイトディレクターの川上典李子も出演し、企画チームの面々と意見交換を行いました。

2020年10月16日、いよいよ「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」が開幕します。ここでは、一足先に会場写真を紹介します。

わたしたちは、自分をとりまく世界を感じ、表現して、他者とわかりあおうとします。相手によって、ことばを選んだり、言語を変えたり、ジェスチャーを交えたりして表現しようとするこの過程は、どれも「翻訳」といえるのではないでしょうか。 そして、そのような翻訳を行うとき、わたしたちは少なからず「言葉にできなさ」「わかりあえなさ」を感じます。

本展は、「翻訳」を「コミュニケーションのデザイン」とみなして、そのさまざまな手法や、そこから生まれる「解釈」や「誤解」の面白さに目を向けます。国内外の研究者やデザイナー、アーティストによる「翻訳」というコミュニケーションを通して、他者の思いや異文化の魅力に気づき、その先にひろがる新しい世界を発見する展覧会です。

Google Creative Lab+Studio TheGreenEyl+ドミニク・チェン「 ファウンド・イン・トランスレーション」
エラ・フランシス・サンダース「翻訳できない世界のことば」
ティム・ローマス+萩原俊矢「ポジティブ辞書編集」
本多達也「Ontenna(オンテナ)」
伊藤亜紗(東京工業大学)+ 林 阿希子(NTTサービスエボリューション研究所)+渡邊淳司(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)「見えないスポーツ図鑑」
noiz「東京オリンピック選手村 -縄文2020」
やんツー「鑑賞から逃れる」
シュペラ・ピートリッチ「密やかな言語の研究所:読唇術」
会場全景

撮影:木奥恵三/Photo: Keizo Kioku

現在、開催中の「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」の展覧会ディレクター、田川欣哉と、2020年10月16日から始まる「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」の展覧会ディレクター、ドミニク・チェンによる対談が実施された。
COVID-19の影響で会期が変更となった2つの展覧会だが、偶然にも同世代のディレクター2人にはいくつも共通点が見えてきた。デザインや工学をはじめ、さまざまな領域を横断してきた2人の見つめるビジョンとは。

文・塚田有那(トランスレーションズ展 企画協力)

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──ドミニクさんも田川さんも、デザインとエンジニアリングの両方に精通しながら、多様な分野を行き来されていますよね。異分野間の共創の秘訣はどこにあると思いますか?

田川:多様性はかけ算であり、組み合わせの爆発が起きる可能性だと思っています。けれど多様な人が集まって、すぐに全員が同意することはまれです。結果、互いの領域をつなぐ媒介的な人が守りに入ってしまうこともあります。企業の中でも意見がバケツリレーで伝わっていくうちに判断が鈍っていく現場をよく目にしますね。
そんな時、僕たちはよく「振り子」のメタファーを使うのですが、お互いに緊張感を保って、すぐに合意せず矛盾できる状態を持っておくことが大事だと思うんです。そして自分自身も多重人格的になるというか、あらゆる角度から考えても「YES」と思えるものを選び抜く。1万ある可能性の中からひとつを選ぶスキルが重要になっていくんですね。

ドミニク:最終的に選ぶプロセスまではどう運んでいくのでしょうか?

田川:言葉にしにくいのですが、無理な合意形成をできるだけしない、とかでしょうか。自然とこれだと思えるようなかたちまで追求します。

ドミニク:その選ぶプロセスには、会話だけでなくプロトタイプを実際にかたちにすることも大きく関わっているでしょうね。かたちになることで無意識にもその人の脳内のイメージが出てくるというか。それは「翻訳」の課程にも似ていて、本来イメージが言語化される前から翻訳は始まっていると思うんです。それをどう言葉にするか、かたちにするかによって表れ方が変わってくる。
それと、田川さんの言う「多重人格的になる」という感覚もすごく共感します。実際に僕も英語とフランス語と日本語、話す言語によってテンションが変わるのですが、だからこそ、その違いを面白がれるところもあって。

田川:「誤訳」が面白いんですよね。正しさを追求するだけではなくて、思ってもみないところから生じることに可能性があると思うんです。たとえば、僕は大作マンガを読むときは大体20巻くらいから読み始めるんですよ。そうすると、脳内でその20巻までに至るストーリーが勝手に生まれていくんです(笑)。その空白の部分を補完する面白さがあるなと思っていて。

ドミニク:面白いですね。さらにその「誤訳」をお互いに受け入れ合っていけると良いチーム関係が築ける気がします。どれだけ多様な人々の集まりであっても、全員が翻訳者的になっているときは話の展開が早いんですよね。それを日常生活にも取り入れていくと、普段の何気ない生活の中にもたくさんの気付きがあると思います。

──昨今は社会のダイバーシティがよく注目されますが、デザインの視点からできることは何だと思いますか。

田川:みんな、自分の予測した未来を求めていると思うんです。その分、予測しないことが起こると摩擦も生まれる。けれど、予測もしなかったことが起こることを楽しむことはできるし、そのきっかけをつくるのがデザインの面白いところだと思います。

ドミニク:多様性って認めるものではなく、つくっていくものだと思うんですよね。より深く違いを知ることで、自分のほうが変化していくんです。そうした注意を向けていくこと、家族の中にも差異はあるし、㊙展のように創造のプロセスを観察することで見つかる発見もある。生物進化の過程には多様なDNAのゆらぎが重要だと言われますが、差異から生まれる多様さを楽しんでいきたいですね。

現在、開催中の「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」の展覧会ディレクター、田川欣哉と、2020年10月16日から始まる「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」の展覧会ディレクター、ドミニク・チェンによる対談が実施された。
COVID-19の影響で会期が変更となった2つの展覧会だが、偶然にも同世代のディレクター2人にはいくつも共通点が見えてきた。デザインや工学をはじめ、さまざまな領域を横断してきた2人の見つめるビジョンとは。

文・塚田有那(トランスレーションズ展 企画協力)

──まずは2つの展覧会を読み解くにあたって、それぞれ企画が立ち上がった背景から教えていただけますか。

田川欣哉(以下、田川):元々の企画は、僕もメンバーである「日本デザインコミッティー」を紹介する展覧会としてスタートしました。コミッティーは1953年から、グッドデザインを世の中に広げるために長く活動してきた有志の会で、メンバーはそれぞれの分野で精力的に活動してきたクリエイターが集まっています。
その展覧会をつくるにあたって、21_21 DESIGN SIGHTという実験や発見を促すような場所で何ができるかを考えました。そこで出た課題のひとつが、デザイナーの世代間ギャップを越えること。たとえば、若手デザイナーたちのもつデジタルの感度と、大御所世代の卓越した職人的なセンスの間には一見するとひらきがあります。けれど、ものごとがアウトプットされる前の、最も人間的な「創造の瞬間」は普遍のはず。そうした無数にある創造の原点の中から、観る人の中で何かが発火していくといいなと思いました。そこから「原画を見せる」という企画に発展していったんです。

ドミニク・チェン(以下、ドミニク):「トランスレーションズ展」の場合は、21_21から「翻訳」というテーマで相談をいただいたことから始まりました。「翻訳」というと言語の問題のように感じられますが、ディスカッションを進めるうちに、そもそもは他者とコミュニケーションをするための道具であり、デザインの本質といえるのではないかと考えるようになったんです。そう考えていくと、言語翻訳のプロでなくても、日常会話の中に「翻訳」は介在していますし、同じ言語を話す人同士でも、言葉にならない感情や感覚を伝えようと試行錯誤することもある。それらをすべて「翻訳」と捉えて、まだまだ開拓しきれていない翻訳の可能性を探っていきたいと思うようになりました。

──企画のコアとなったのはどんな部分なのでしょうか。

田川:デザイナーというのは本来完成されたものを提示することが仕事なので、アイデアレベルの原画を見せたことがある人なんてほとんどいないんですね。メンバーの中には、「途中段階のプロセスを見て何が面白いのか? 鑑賞者向けに理解の補助線を引いた方がいいのでは?」という声もありました。けれど、クリエーションの現場はいつだってカオスで、文脈づけられるものはないと思うんです。あえて説明なしにそのままを出していただくことにしました。そこが㊙展のコアといえますね。

ドミニク:作家を神話性から解放し、ナレッジをシェアしていく方向ですよね。㊙展はそれを若い人に向けて見せているのがいいなと思っていて。僕が教えている学生などを見ていると、みんなネット経由でものの作り方やプロセスをよく学んでいるんですよ。神秘のベールに包まれてきたのが近代的な作家像だとすると、プロセスをシェアしていくのは21世紀的なものづくりといえそうですね。

田川:それでも、参加デザイナーの中には搬入期間中に何度も他の作家の展示を隈なくチェックする方もいて(笑)。普段の見せ方ではない分、お互いを意識されていたのがまた良い刺激になりましたね。

ドミニク:今回つまり田川さんはボクシングでいうところのレフェリーで(笑)、リングを設定し、あとは様子を見守ることに徹したと。
先ほど田川さんは「観た人の中で何かが発火する」と表現されましたが、それはトランスレーションズ展にも通じる考えだなと思いました。展覧会の副題にした「『わかりあえなさ』をわかりあおう」というフレーズには、「わからない」から生じる摩擦や差異から、新たに発火する刺激があるというコンセプトが込められています。わからないからこそ面白い。この「わかりあえなさ」を色々な角度から価値付けていきたいと思いました。

>> 後編につづく

2020年10月16日に開幕となる企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」。「翻訳=トランスレーション」をテーマに、言葉の不思議さや、そこから生まれる「解釈」や「誤解」の面白さを体感し、互いの「わかりあえなさ」を受け容れあう可能性を提示する展覧会です。
開催に先駆けて2020年1月15日、メンバーシップやパートナーの方限定のスペシャルトークイベントを開催しました。登壇したのは、展覧会ディレクターのドミニク・チェン、企画協力の塚田有那、会場構成を務めるnoizの豊田啓介、グラフィックデザインの祖父江 慎です。また、参加作家である清水淳子が参加し、対話や議論をその場で絵にするグラフィック・レコーディングにより、トークをリアルタイムでビジュアル化しました。

まずは、チェンが本展の主題である「翻訳」について話しました。
日本でフランス国籍者として生まれ、幼稚園から在日フランス人学校に通っていたチェンは、幼い頃よりフランス語と日本語が入り混じった環境の中で翻訳を身近なものとして体験してきました。また、7つの国と地域の言葉を使い分ける多言語話者である父の存在によって、言語は固定されたものではなく文脈に応じて交換可能なものと認識していったと言います。
「トランスレーションズ展」という展覧会タイトルには、「翻訳=トランスレーション」に"S"をつけて複数形とすることで、正確さが求められる通常の翻訳だけでなく、そこからこぼれ落ちる誤訳や誤解の面白さといった多様な翻訳のあり方を肯定する意味が込められていると語りました。

次に、チェンと塚田がともにボードメンバーとして参加した情報環世界研究会について話は及びました。
情報環世界研究会とは、人間は言語や文化や取り巻く情報環境によってそれぞれ異なる世界を生きているとして、現代における情報やコミュニケーションのあり方を探ったプロジェクトです。
本展では、情報環世界という考え方を取り入れて、人と人との間に常に存在する「わかりあえなさ」や、そこから生じる摩擦や分断を「翻訳」を通して共感しあうことができないかと考えます。そして、言語だけでなく視覚や文化など非言語的な翻訳から、サメと人、微生物と人といった異種間のコミュニケーションまで様々な「翻訳」の試みを紹介します。
塚田は、想像力と技術を用いた多様な翻訳のかたちを提示することで、「わかりあえなさ」とどう向き合い、楽しむことができるのかを考えるきっかけとなってほしいと本展への思いを語りました。

トークの最後には、豊田と祖父江が本展におけるそれぞれの仕事についてコメントをしました。
グラフィックデザインを手がける祖父江は、わかりにくさをも楽しんでほしいという思いから、あえて統一性のないメインビジュアルにしたと言います。背景に描かれたイラストには、目や鼻や口などの身体的な部位に見えるかたちとともに「みえる」「かぐ」「しゃべる」などの動詞をランダムに散りばめることで、ものの見え方は一つじゃないことを表現したとし、本展に寄せて「真実は一つではなく、真実はいっぱいということです」と言葉を締めくくりました。


清水淳子「トランスレーションズ展プレイベントのグラフィック・レコーディング」(2020年1月15日)
展覧会ディレクター ドミニク・チェン、企画協力 塚田有那によるスペシャルトークの様子を、本展参加作家 清水淳子がグラフィックレコーディングでまとめた。

2020年10月16日よりはじまる企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」
この特別寄稿では、本展オープンに先駆け、展覧会ディレクター ドミニク・チェンが自身の半生と翻訳について語ります。前編では、いくつもの言語が飛び交う環境を出自にもつチェンが培ってきた「翻訳」や、自身の「翻訳欲」の遍歴をたどります。

わたしの家では、幼い頃から「翻訳」が日常生活を満たしていました。アジア、ヨーロッパ、アメリカに散り散りになった父方の家族と会う時、そこでは英語、フランス語、台湾語、ベトナム語、そして日本語が飛び交っていたのです。わたし自身は東京生まれの東京育ちですが、幼稚園からフランス人学校に通い、授業中はフランス語、放課後は日本語を話して過ごしました。
このような家庭環境で育ったせいか、言語とは唯一無二のものではなく、時と場合によって複数を使い分けるものという認識が自然に生まれました。そして同時に、ある言語で表せられる感情は、必ずしも他の言語に翻訳できないというもどかしさも味わったのです。中学からはパリに移り住み、大学はカリフォルニアで過ごして、その後は日本に戻ってきましたが、どこで生活していても自分が帰属すべき「母語」がひとつに確定しない、という感覚と共に生きてきました。

言語と言語のあいだには、翻訳が不可能となる際(きわ)と、不思議と意味が通じあうあわいの、二つの領域が存在します。大人になるまでには、越えることのできない言語の境界に翻弄されてきましたが、表現活動を行うようになってからは「いい加減」に意味が通じることを徐々に楽しめるようになってきました。
もうひとつ、わたしの翻訳観に大きな影響を与えたのが、子どもの頃から抱えている吃音の症状でした。話したい言葉は頭のなかでプカプカ浮かんでいるのに、どうしても声にならない。そこで仕方なく採られた戦略が、別の言葉に言い換えることでした。同じ言語内の、もっと発音しやすい類語や縁語を瞬時に検索する癖がついたわけですが、何気ない言葉を吐くという日常の些細なコミュニケーションのひとつひとつが翻訳行為だと言えます。
だからわたしは、人の話を聞いたり、本を読んだりすることが大好きになりました。誰が何語で話していようと、内容そのものへの興味に加えて、当人が「何を翻訳しようとしているのか」というプロセスにも関心を持つようになったのです。
ある人が任意の言語で話している時、その人は自分の体験を通じて感じたことを、相手の知っている言葉に「翻訳」して話している。同時に、その翻訳行為から常にこぼれ落ちる意味や情緒もある。その隙間をなんとか埋めようとする仕草に、翻訳する人固有の面白さが表出する。すると、たとえ吃音に悩まされていなかったとしても、誰しもが表現のもどかしさを生きているのだと実感するようになり、人と話すことがとても楽になったのです。

誰かに何かを話したい、伝えたいと強く思う時、わたしは自分の感覚を翻訳しようとしています。それには世間話のような、他愛のない会話も含まれるが、非常に強い「翻訳欲」に駆られる時もあります。わたしは、誰に頼まれるわけでもなく、一人で勝手に、徹夜をしてでも、あるテキストを別の言語に翻訳したくなるのです。たとえば、フランスの哲学者のインタビュー映像や、パリの爆破テロの際に妻を喪(うしな)った男性のFacebookの投稿、子どもの頃から聴いてきたフランス語のラップの歌詞、シュールレアリズムの詩人ゲラシム・ルカの朗読など、さまざまな表現を衝動的に日本語に訳してきました。その一部は公開し、一部は誰にも見せずに手元に取ってあります。そういう時に私を突き動かしている動機の正体は、それ自体が目的の「翻訳欲」としか呼びようのないものなのです。

今年、新潮社から刊行された著書『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』は、わたしの翻訳欲の遍歴をまとめた本です。わたしはこれまで、自然言語間の翻訳から始まり、非言語的な芸術やデザインの表現を経由し、情報技術のプログラミング言語を学んできました。すべて、まだ表現されていない感情を象(かたど)るための新たな「言葉」を生み出す活動です。その途上で、子どもが生まれたことによって、自分がいなくなった後の世界を想像するための「言葉」を探す過程を記述しました。本書のメインタイトル「未来をつくる言葉」は、この探索のプロセスを指しています。そして副題では、本来的に翻訳不可能な「わかりあえなさ」、つまり各々に生起する固有の意味や感情を、たとえ分断があるとしてもわかちあうためのコミュニケーションの在り方を喚起しようとしたのです。

ドミニク・チェン『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』
湧き上がる気持ちをデジタルで表現するには?
この「翻訳」で多様な人が共に在る場をつくる
−気鋭の情報学者が新たな可能性を語る。
ドミニク・チェンの思考と実践、そのうねりが一冊に。
発行|新潮社・1,800円+税・208頁(電子書籍版も発売中)
装丁|GRAPH=北川一成と吉本雅俊
編集|足立真穂(新潮社)

>> 後編につづく

初出:yom yom(新潮社)vol.60 2020年2月号「翻訳人生――『未来をつくる言葉』」
このテキストは上記初出記事を基にして21_21 DESIGN SIGHT用に改訂したものです。

2020年10月16日よりはじまる企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」
この特別寄稿では、本展オープンに先駆け、展覧会ディレクター ドミニク・チェンが自身の半生と翻訳について語ります。後編では、「わかりあえなさ」から出発するコミュニケーションのあり方、そして同展のコンセプトや展示作品に触れます。

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今日、社会に流通する情報量は増え続け、「いいね」やリツイートといったSNSの論理によって表面的な共感が拡散しています。一方で、同じ街や国に住んでいる者同士にとっても、深いレベルで理解しあえる包摂的なコミュニティの姿は、いまだ蜃気楼のようにおぼろげではないでしょうか。このような状況で、情報技術と人間存在を対立軸で捉える議論は多くあります。他方でインターネットは人の認知を拡げ、それまではアクセスできなかった知識を開放し、他者や世界との新たなつながり方を顕在化させてきました。情報という概念を、ただの事実の羅列としてのデジタル・データではなく、思考を「かたちづくるもの(in-formatio)」と捉えれば、言葉と文字という人類が最初に獲得した「情報技術」とコンピュータをつなげて考えられるようになります。
現在、瞬間的に理解可能なコミュニケーションが社会的に推奨されています。しかし、そのような拙速な方法では、ノイズやエラーといった本質的な価値の源泉が捨象されるだけでしょう。逆に、わかりやすさ、わかりあえるという信念に飛びつくのではなく、わかりあえなさから出発することはできないでしょうか。すぐに解決したり乗り越えようとはせず、ただ互いの差異を受け容れあい、いつか他者の一部が自己を形成していることに気付ける、そのような「未来の言葉」を探したいと思うのです。
わたしはこれまで、子どもの誕生に際して変化した死生観に着想を得て、不特定多数の人々が遺言を執筆するプロセスを集めた作品「Last Words / TypeTrace」や、発酵微生物とコミュニケーションしながら共生するためのインタフェース「NukaBot」といったプロジェクトに携わってきました。それらはどれも、人工知能やインターネットを活用しながらも、遅くて、非効率だけど、互いの気配や息遣いに注意を向きあうための「言語」です。人が、使う言葉によって、そしてその言葉の中で、かたちづくられるとすれば、わたしたちは自らが望む姿に変化していくための言葉を生み出すこともできるはずです。それはしかし、自分や他者を他律的に変えてしまおうとする計画であってはなりません。他者との自然な交わりのなかで、自ずから、相互に変わるべくしていつのまにか変わっている。そのような自然のプロセスを生きるための「言語」の姿を浮き上がらせたいと思います。そのためには、異質な他者同士が互いの言葉を翻訳しあうことが必要になるでしょう。

dividual inc.「Last Words / TypeTrace」
遠藤拓己とのユニットdividual inc.の作品。あいちトリエンナーレ2019に出展、SNS上では「#10分遺言」のハッシュタグを用いて2300人から遺言の執筆プロセスを集めた。
Ferment Media Research「NukaBot v3」
発酵デザイナー小倉ヒラク、研究者ソン・ヨンア、プロダクトデザイナー守屋輝一、三谷悠人、関谷直任と共同で研究開発を行っている。ぬか床の中に棲む無数の微生物たちの発酵具合を音声に翻訳するこのロボットは、トランスレーションズ展にも出展される予定

以上のように「翻訳」について考えながら、21_21 DESIGN SIGHT企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」の展覧会ディレクターを務めています。今は、参加アーティストやデザイナー、研究者の作品展示を通して、来場者の「翻訳」の定義が変化したり、増えたりしていける展示空間を目指しています。
展覧会の全体的な流れとしては、まずは自然言語の翻訳を体感することから始まります。Google社と協同で、機械翻訳の情報処理過程を体験的に理解できるインスタレーションを制作しているほか、多言語話者が作るクレオール〔混合言語の一種〕、「翻訳不可能な言葉」の多言語データベースといった自然言語をテーマにした作品が並びます。続いて、非言語の感覚同士の翻訳が登場する。モールス信号や手話を使った翻訳、スポーツを別の行為に翻訳するプロジェクト、そして言葉にしづらいモヤモヤを会話とグラフィックレコーディングによって解きほぐすワークショップ映像が展示されます。そして後半では人間と微生物や動植物といった、人間以外の存在との間での翻訳をイメージさせられる展示構成になっています。

ペイイン・リン「言葉にならないもの−第4章:個人的な言語」
複数の言語が話される家庭や環境では、意思疎通において、言語が混ざり合う。そうして生成された言語を「クレオール」と呼ぶ。本映像作品では、クレオールを用いる人々が、自らの物語を紡ぎ、語る様子を紹介する。
伊藤亜紗(東京工業大学)+林 阿希子(NTTサービスエボリューション研究所)+渡邊淳司(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)「見えないスポーツ図鑑」
プロアスリートの感覚を誰でも追体験できるよう、日用品を使った動作に翻訳するプロジェクト。画像は、手ぬぐいを用いた柔道観戦体験の様子。

二度の延期を経てようやく開催される本展の開始が今から待ち遠しいです。来場者の皆さんにも「翻訳」の広がりを想像し、「わかりあえなさをつなぐ」可能性を実感してもらえるように、引き続き展示の準備を進めていきます。

初出:yom yom(新潮社)vol.60 2020年2月号「翻訳人生――『未来をつくる言葉』」
このテキストは上記初出記事を基にして21_21 DESIGN SIGHT用に改訂したものです。

写真:望月 孝

ドミニク・チェン:
1981年生まれ。博士(学際情報学)。特定非営利活動法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現・コモンスフィア)理事、公益財団法人Well-Being for Planet Earth理事、NPO soar理事。NTT InterCommunication Center[ICC]研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現在は早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系准教授。一貫してテクノロジーと人間の関係性を研究している。2008年度IPA(情報処理推進機構)未踏IT人材育成プログラムにおいて、スーパークリエイターに認定。日本におけるクリエイティブ・コモンズの普及活動によって、2008年度グッドデザイン賞を受賞。著書に『謎床』(晶文社)、『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』(フィルムアート社)など多数。訳書に『ウェルビーイングの設計論:人がよりよく生きるための情報技術』(BNN新社)など。