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ことば (47)

2024年2月10日(土)、企画展「もじ イメージ Graphic 展」に関連して、参加作家、大原大次郎によるライブドローイング with deer revengeを開催しました。

大原は本展で「黒板」という作品を出展しています。黒板が線や立体的な表現で描かれたたくさんの文字で埋め尽くされた作品ですが、本イベントでは、大原が会場内で同シリーズの新作を公開制作しました。まず参加者が、住んでいる市町村名や書いてほしい駅名、地名を付箋に書いていきます。集まった付箋を見ながら、静かに制作が始まりました。

時折定規なども使用しながら、一枚の黒板はどんどん文字で埋め尽くされていきます。参加者は、手元を写すモニターにも注目しながら、食い入るようにその様子を見守りました。

deer revengeによる心地の良い音楽は、作品が完成に向かうにつれて徐々に盛り上がっていきます。

予定されていた2時間ぴったりで、新たな作品が完成しました。

本作品は、本展会期中、B1Fロビーに展示しています。大原によると、書かれた言葉の意味は実は大切ではなく、形やイメージをシンプルに楽しんでもらいたいとのこと。
ぜひ、会場でお楽しみください。

2023年3月3日、いよいよ企画展「The Original」が開幕します。ここでは会場の様子を写真で紹介します。

世の中に深く影響を与えるデザインを「The Original」と定義し、問いかける本展では、デザインの第一線で活躍する3名、土田貴宏、深澤直人、田代かおるによって選ばれた、家具、食器からテキスタイルや玩具など約150点のプロダクトを見ることができます。
会場内壁面のグラフィックには、写真家ゴッティンガムが本展のために撮影した展示品約50点の写真が大きくレイアウトされています。実物と合わせてそれらの写真をご覧いただくことで、肉眼とも異なった視点で各プロダクトの魅力を存分に感じ取っていただけることでしょう。また、一部のプロダクトは、実際の生活で使用する様子を体感できるよう、インテリアデザイナー吉田裕美佳のスタイリングにより部屋のように再現したインスタレーションの中で紹介されています。

本展での「The Original」は、必ずしもものづくりの歴史における「始まり」という意味ではありません。多くのデザイナーを触発するような、根源的な魅力と影響力をそなえ、そのエッセンスが後にまでつながれていくものです。

世界の流行や潮流(トレンド)に適応することではなく、目の前にあるデザインの参照点であり、すべての端緒となる「The Original」をたどること。そしてあらためて見つめなおすことは、デザインの時間を超えた文脈と、それらを生み出したデザイナーたちとのつながりをもたらすでしょう。

会場風景(ギャラリー2)
会場風景(ロビー)
会場風景(ギャラリー1)
会場風景(ギャラリー2)
会場風景(ギャラリー2)
会場風景(ギャラリー2)
会場風景(サンクンコート)
会場風景(ロビー)

撮影:木奥恵三/Photo: Keizo Kioku

2021年7月2日、いよいよ「ルール?展」が開幕します。ここでは、一足先に会場の様子を紹介します。

私たちは、さまざまなルールに囲まれながら暮らしています。それらのルールは今、産業や社会構造の変化などに伴い、大きな転換を迫られています。
この展覧会では、私たちがこれからの社会でともに生きていくためのルールを、デザインによってどのようにかたちづくることができるのか、多角的な視点から探ります。
私たち一人ひとりが、ルールとポジティブに向き合う力を養う展覧会です。

会場風景(ギャラリー2)
早稲田大学吉村靖孝研究室「21_21 to "one to one"」
会場風景(ロビー)
ダニエル・ヴェッツェル(リミニ・プロトコル) 田中みゆき 小林恵吾(NoRA)×植村 遥 萩原俊矢×N sketch Inc.「あなたでなければ、誰が?」
NPO法人スウィング「京都人力交通案内『アナタの行き先、教えます。』」
コンタクト・ゴンゾ「訓練されていない素人のための振付コンセプト003.1(コロナ改変ver. )」
会場風景(ギャラリー2)
一般社団法人コード・フォー・ジャパン「のびしろ、おもしろっ。シビックテック。」
丹羽良徳「自分の所有物を街で購入する」
Whatever Inc.「D.E.A.D. Digital Employment After Death」
石川将也 + nomena + 中路景暁「四角が行く」
高野ユリカ+山川陸「踏む厚み」

撮影:吉村昌也/Photo: Masaya Yoshimura

2021年2月27日、企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」に関連して、オンライントーク&ワークショップ「体でつたえる −手で描こう」を開催しました。
トークには、アーティストの南雲麻衣、本展グラフィックデザインを担当する祖父江 慎、参加作家の和田夏実、モデレーターとして企画協力の塚田有那が出演しました。

本イベントでは、手話を用いた研究やプロジェクトを手がける南雲と和田による手話のワークショップを中心に、「体でつたえる」楽しさや、視覚言語がひらくコミュニケーションの可能性についてトークが行われました。

手話に対して「わからない」という怖さや「間違って伝わるかもしれない」という不安があると話した祖父江も、レクチャーを通して視覚言語の楽しさを実感。 ワークショップの中で行われた手話を使ったゲームでは、イマジネーション豊かな手話世界を繰りひろげてイベントを盛り上げました。

また、自身がデザインをやる上でも「目で考えること」を意識していると話す祖父江。
手話について「時間も空間も瞬時に伝えることのできる手話は、デザインとは異なる一種のグラフィック。でも、一方向的なグラフィックとは違って、手話には受けいれる側も存在している」と、送り手と受け手の双方の歩み寄りの大切さを伝えました。

さらに、南雲は「言葉だと説明的になってしまうイメージや情景も、手話なら言葉に縛られずにそのまま伝えることができる。コミュニケーションが必要だからこそ、相手に伝わった瞬間は大きな喜びを感じます」と語りました。

トークの最後には、参加者との質疑応答の中で「非当事者から手話を『素敵』や『おもしろい』と言われることに違和感を抱くことはありますか?」という問いが寄せられました。
ろう者の両親のもとで手話を第一言語として育った和田は「当事者じゃなくても、愛や尊重する気持ちがあれば剥奪にはならないから、そういう近づき方をお互いにしていきたい。幼い頃から様々な人と手話を通したやりとりがしたいと思っていたので、今日はその願いが叶って嬉しい」と思いを述べました。

オンラインで多くの視聴者とつながり、視覚言語や言葉の外にある世界を行き来することで、隔たりをこえたコミュニケーションの可能性や表現のひろがりを体感することのできるイベントとなりました。

特別協賛:三井不動産株式会社

2021年1月21日、企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」に関連して、オンラインイベント「たほいや:架空の辞書あそび」を開催しました。 出演者は、ミュージアムエデュケイターの会田大也、本展企画チームより展覧会ディレクターのドミニク・チェン、企画協力の塚田有那、会場構成を務めたnoiz 田頭宏造、グラフィックデザインを担当した祖父江 慎です。

本イベントでは、出演者全員がプレイヤーとなり、知らない言葉の"それっぽい意味"を考えるゲーム「たほいや」が行われました。

「たほいや」は、広辞苑から選ばれたお題の言葉に対し、プレイヤーが考えた偽の意味と辞書に書かれた本当の意味を並べて、その中から正解を当てて得点を競うゲームです。

第一問目は「ふもうる」というお題でスタートしました。
出演者によって"それっぽく"書かれた意味の中で、どれが辞書にある正解か分かるでしょうか。

1 古文で使用される否定の謙譲語。「−ふもうる。」
2 ジョージア共和国の地名。ワインの原産地として知られる。ソ連崩壊後に西フモールと東フモールに分かれた。
3 北ヨーロッパを中心に発生する暴風雨。6〜7月にかけてしばし発生する。
4 価値がないとされることを行うこと。
5 ユーモアに同じ。

正解は「5」です。

その他にも「おぽっぽ」「せぱたくろお」「まんなおし」「うんたろう」をお題にゲームは盛り上がり、優勝者は会田となりました。 「たほいや」は、今まで知らなかった言葉の意味を知るだけでなく、言葉の背景にある文化や人びとの暮らしを想像するきっかけとなりました。
ぜひ、みなさんも「たほいや」を通して家族や友人と一緒に未知の言葉との出会いを楽しんでみてください。

特別協賛:三井不動産株式会社

2020年11月18日、企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」に関連して、オンライントーク「ことばの海をおよぐ −翻訳家にとっての『翻訳』とは」を開催しました。
トークには、翻訳家の柴田元幸と斎藤真理子、本展ディレクターのドミニク・チェンが出演し、文芸翻訳にまつわる様々なエピソードや思いが語られました。

あなたにとって「翻訳」とは?

ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウンなど数々の現代アメリカ文学の翻訳で知られる柴田は、本展に寄せて、「翻訳」を「快楽の伝達」と定義しました。
この定義について、柴田は「小説や詩など文学の翻訳に対する定義であり、文学そのものの定義といってもよいかもしれない。僕は自分の心が動いた作品しか訳さないし、大切なのは文学による快楽を伝達すること。そのためには、正しく翻訳することだけが価値のすべてではない」と語りました。

一方、韓国で2018年に発表されたベストセラー小説『82年生まれ、キム・ジヨン』など、多くの韓国文学の日本語訳を手がける斎藤は、次のように「翻訳」を定義しました。
「ある作品が、別の地面の上を歩いていくため靴を仕立てること。地質、気候、風土に留意して。」 韓国の歴史や日本との関係性など、言語の外にある文化的背景を意識して翻訳を行うという斎藤は「違う環境に生きている人へ、作品が伝わるための最低条件を整えたい。裸足で歩いていけるかもしれないけど、途中で雨が降るかもしれないし、最後まで伝わらないかもしれない。おせっかいなんです。地名や人名の表記の仕方ひとつにも、たくさんのことを考えます」と、定義に込めた思いを述べました。

トークの後半には、柴田が自身の和訳によるジェームズ・ロバートソンの短編『翻訳の不十分さ』を朗読し、翻訳という行為が困難でありながらも希望を抱く心情を、自らの思いと重ねて解説しました。
続いて、斎藤が朝鮮詩人 李箱の『烏瞰図』と、光州の詩人 パク・ソルメの『もう死んでいる十二人の女たちのために(仮題)』を原語と日本語で朗読し、終わりに視聴者との質疑応答が行われました。
それぞれに異なる翻訳家としての視点を持ちながら、その考え方や方法に共感しあい、多様な翻訳のあり方を提示する本展のテーマにも重なるトークとなりました。

特別協賛:三井不動産株式会社

2020年10月15日、トランスレーションズ展の開幕を翌日に控え、オンライン記者会見を行いました。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、約11ヶ月ぶりとなった新しい展覧会オープンの一幕を、ここで紹介します。

記者会見には、展覧会ディレクターのドミニク・チェンをはじめ、企画協力の塚田有那、会場構成を手がけたnoizより豊田啓介、酒井康介、田頭宏造、グラフィックデザインを担当した祖父江 慎とcozfish 藤井 瑶が出演し、本展での仕事を説明しました。
また、21_21 DESIGN SIGHTディレクターの佐藤 卓、深澤直人、アソシエイトディレクターの川上典李子も出演し、企画チームの面々と意見交換を行いました。

2020年10月16日、いよいよ「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」が開幕します。ここでは、一足先に会場写真を紹介します。

わたしたちは、自分をとりまく世界を感じ、表現して、他者とわかりあおうとします。相手によって、ことばを選んだり、言語を変えたり、ジェスチャーを交えたりして表現しようとするこの過程は、どれも「翻訳」といえるのではないでしょうか。 そして、そのような翻訳を行うとき、わたしたちは少なからず「言葉にできなさ」「わかりあえなさ」を感じます。

本展は、「翻訳」を「コミュニケーションのデザイン」とみなして、そのさまざまな手法や、そこから生まれる「解釈」や「誤解」の面白さに目を向けます。国内外の研究者やデザイナー、アーティストによる「翻訳」というコミュニケーションを通して、他者の思いや異文化の魅力に気づき、その先にひろがる新しい世界を発見する展覧会です。

Google Creative Lab+Studio TheGreenEyl+ドミニク・チェン「 ファウンド・イン・トランスレーション」
エラ・フランシス・サンダース「翻訳できない世界のことば」
ティム・ローマス+萩原俊矢「ポジティブ辞書編集」
本多達也「Ontenna(オンテナ)」
伊藤亜紗(東京工業大学)+ 林 阿希子(NTTサービスエボリューション研究所)+渡邊淳司(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)「見えないスポーツ図鑑」
noiz「東京オリンピック選手村 -縄文2020」
やんツー「鑑賞から逃れる」
シュペラ・ピートリッチ「密やかな言語の研究所:読唇術」
会場全景

撮影:木奥恵三/Photo: Keizo Kioku

現在、開催中の「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」の展覧会ディレクター、田川欣哉と、2020年10月16日から始まる「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」の展覧会ディレクター、ドミニク・チェンによる対談が実施された。
COVID-19の影響で会期が変更となった2つの展覧会だが、偶然にも同世代のディレクター2人にはいくつも共通点が見えてきた。デザインや工学をはじめ、さまざまな領域を横断してきた2人の見つめるビジョンとは。

文・塚田有那(トランスレーションズ展 企画協力)

>> 前編に戻る

──ドミニクさんも田川さんも、デザインとエンジニアリングの両方に精通しながら、多様な分野を行き来されていますよね。異分野間の共創の秘訣はどこにあると思いますか?

田川:多様性はかけ算であり、組み合わせの爆発が起きる可能性だと思っています。けれど多様な人が集まって、すぐに全員が同意することはまれです。結果、互いの領域をつなぐ媒介的な人が守りに入ってしまうこともあります。企業の中でも意見がバケツリレーで伝わっていくうちに判断が鈍っていく現場をよく目にしますね。
そんな時、僕たちはよく「振り子」のメタファーを使うのですが、お互いに緊張感を保って、すぐに合意せず矛盾できる状態を持っておくことが大事だと思うんです。そして自分自身も多重人格的になるというか、あらゆる角度から考えても「YES」と思えるものを選び抜く。1万ある可能性の中からひとつを選ぶスキルが重要になっていくんですね。

ドミニク:最終的に選ぶプロセスまではどう運んでいくのでしょうか?

田川:言葉にしにくいのですが、無理な合意形成をできるだけしない、とかでしょうか。自然とこれだと思えるようなかたちまで追求します。

ドミニク:その選ぶプロセスには、会話だけでなくプロトタイプを実際にかたちにすることも大きく関わっているでしょうね。かたちになることで無意識にもその人の脳内のイメージが出てくるというか。それは「翻訳」の課程にも似ていて、本来イメージが言語化される前から翻訳は始まっていると思うんです。それをどう言葉にするか、かたちにするかによって表れ方が変わってくる。
それと、田川さんの言う「多重人格的になる」という感覚もすごく共感します。実際に僕も英語とフランス語と日本語、話す言語によってテンションが変わるのですが、だからこそ、その違いを面白がれるところもあって。

田川:「誤訳」が面白いんですよね。正しさを追求するだけではなくて、思ってもみないところから生じることに可能性があると思うんです。たとえば、僕は大作マンガを読むときは大体20巻くらいから読み始めるんですよ。そうすると、脳内でその20巻までに至るストーリーが勝手に生まれていくんです(笑)。その空白の部分を補完する面白さがあるなと思っていて。

ドミニク:面白いですね。さらにその「誤訳」をお互いに受け入れ合っていけると良いチーム関係が築ける気がします。どれだけ多様な人々の集まりであっても、全員が翻訳者的になっているときは話の展開が早いんですよね。それを日常生活にも取り入れていくと、普段の何気ない生活の中にもたくさんの気付きがあると思います。

──昨今は社会のダイバーシティがよく注目されますが、デザインの視点からできることは何だと思いますか。

田川:みんな、自分の予測した未来を求めていると思うんです。その分、予測しないことが起こると摩擦も生まれる。けれど、予測もしなかったことが起こることを楽しむことはできるし、そのきっかけをつくるのがデザインの面白いところだと思います。

ドミニク:多様性って認めるものではなく、つくっていくものだと思うんですよね。より深く違いを知ることで、自分のほうが変化していくんです。そうした注意を向けていくこと、家族の中にも差異はあるし、㊙展のように創造のプロセスを観察することで見つかる発見もある。生物進化の過程には多様なDNAのゆらぎが重要だと言われますが、差異から生まれる多様さを楽しんでいきたいですね。

現在、開催中の「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」の展覧会ディレクター、田川欣哉と、2020年10月16日から始まる「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」の展覧会ディレクター、ドミニク・チェンによる対談が実施された。
COVID-19の影響で会期が変更となった2つの展覧会だが、偶然にも同世代のディレクター2人にはいくつも共通点が見えてきた。デザインや工学をはじめ、さまざまな領域を横断してきた2人の見つめるビジョンとは。

文・塚田有那(トランスレーションズ展 企画協力)

──まずは2つの展覧会を読み解くにあたって、それぞれ企画が立ち上がった背景から教えていただけますか。

田川欣哉(以下、田川):元々の企画は、僕もメンバーである「日本デザインコミッティー」を紹介する展覧会としてスタートしました。コミッティーは1953年から、グッドデザインを世の中に広げるために長く活動してきた有志の会で、メンバーはそれぞれの分野で精力的に活動してきたクリエイターが集まっています。
その展覧会をつくるにあたって、21_21 DESIGN SIGHTという実験や発見を促すような場所で何ができるかを考えました。そこで出た課題のひとつが、デザイナーの世代間ギャップを越えること。たとえば、若手デザイナーたちのもつデジタルの感度と、大御所世代の卓越した職人的なセンスの間には一見するとひらきがあります。けれど、ものごとがアウトプットされる前の、最も人間的な「創造の瞬間」は普遍のはず。そうした無数にある創造の原点の中から、観る人の中で何かが発火していくといいなと思いました。そこから「原画を見せる」という企画に発展していったんです。

ドミニク・チェン(以下、ドミニク):「トランスレーションズ展」の場合は、21_21から「翻訳」というテーマで相談をいただいたことから始まりました。「翻訳」というと言語の問題のように感じられますが、ディスカッションを進めるうちに、そもそもは他者とコミュニケーションをするための道具であり、デザインの本質といえるのではないかと考えるようになったんです。そう考えていくと、言語翻訳のプロでなくても、日常会話の中に「翻訳」は介在していますし、同じ言語を話す人同士でも、言葉にならない感情や感覚を伝えようと試行錯誤することもある。それらをすべて「翻訳」と捉えて、まだまだ開拓しきれていない翻訳の可能性を探っていきたいと思うようになりました。

──企画のコアとなったのはどんな部分なのでしょうか。

田川:デザイナーというのは本来完成されたものを提示することが仕事なので、アイデアレベルの原画を見せたことがある人なんてほとんどいないんですね。メンバーの中には、「途中段階のプロセスを見て何が面白いのか? 鑑賞者向けに理解の補助線を引いた方がいいのでは?」という声もありました。けれど、クリエーションの現場はいつだってカオスで、文脈づけられるものはないと思うんです。あえて説明なしにそのままを出していただくことにしました。そこが㊙展のコアといえますね。

ドミニク:作家を神話性から解放し、ナレッジをシェアしていく方向ですよね。㊙展はそれを若い人に向けて見せているのがいいなと思っていて。僕が教えている学生などを見ていると、みんなネット経由でものの作り方やプロセスをよく学んでいるんですよ。神秘のベールに包まれてきたのが近代的な作家像だとすると、プロセスをシェアしていくのは21世紀的なものづくりといえそうですね。

田川:それでも、参加デザイナーの中には搬入期間中に何度も他の作家の展示を隈なくチェックする方もいて(笑)。普段の見せ方ではない分、お互いを意識されていたのがまた良い刺激になりましたね。

ドミニク:今回つまり田川さんはボクシングでいうところのレフェリーで(笑)、リングを設定し、あとは様子を見守ることに徹したと。
先ほど田川さんは「観た人の中で何かが発火する」と表現されましたが、それはトランスレーションズ展にも通じる考えだなと思いました。展覧会の副題にした「『わかりあえなさ』をわかりあおう」というフレーズには、「わからない」から生じる摩擦や差異から、新たに発火する刺激があるというコンセプトが込められています。わからないからこそ面白い。この「わかりあえなさ」を色々な角度から価値付けていきたいと思いました。

>> 後編につづく

2020年10月16日に開幕となる企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」。「翻訳=トランスレーション」をテーマに、言葉の不思議さや、そこから生まれる「解釈」や「誤解」の面白さを体感し、互いの「わかりあえなさ」を受け容れあう可能性を提示する展覧会です。
開催に先駆けて2020年1月15日、メンバーシップやパートナーの方限定のスペシャルトークイベントを開催しました。登壇したのは、展覧会ディレクターのドミニク・チェン、企画協力の塚田有那、会場構成を務めるnoizの豊田啓介、グラフィックデザインの祖父江 慎です。また、参加作家である清水淳子が参加し、対話や議論をその場で絵にするグラフィック・レコーディングにより、トークをリアルタイムでビジュアル化しました。

まずは、チェンが本展の主題である「翻訳」について話しました。
日本でフランス国籍者として生まれ、幼稚園から在日フランス人学校に通っていたチェンは、幼い頃よりフランス語と日本語が入り混じった環境の中で翻訳を身近なものとして体験してきました。また、7つの国と地域の言葉を使い分ける多言語話者である父の存在によって、言語は固定されたものではなく文脈に応じて交換可能なものと認識していったと言います。
「トランスレーションズ展」という展覧会タイトルには、「翻訳=トランスレーション」に"S"をつけて複数形とすることで、正確さが求められる通常の翻訳だけでなく、そこからこぼれ落ちる誤訳や誤解の面白さといった多様な翻訳のあり方を肯定する意味が込められていると語りました。

次に、チェンと塚田がともにボードメンバーとして参加した情報環世界研究会について話は及びました。
情報環世界研究会とは、人間は言語や文化や取り巻く情報環境によってそれぞれ異なる世界を生きているとして、現代における情報やコミュニケーションのあり方を探ったプロジェクトです。
本展では、情報環世界という考え方を取り入れて、人と人との間に常に存在する「わかりあえなさ」や、そこから生じる摩擦や分断を「翻訳」を通して共感しあうことができないかと考えます。そして、言語だけでなく視覚や文化など非言語的な翻訳から、サメと人、微生物と人といった異種間のコミュニケーションまで様々な「翻訳」の試みを紹介します。
塚田は、想像力と技術を用いた多様な翻訳のかたちを提示することで、「わかりあえなさ」とどう向き合い、楽しむことができるのかを考えるきっかけとなってほしいと本展への思いを語りました。

トークの最後には、豊田と祖父江が本展におけるそれぞれの仕事についてコメントをしました。
グラフィックデザインを手がける祖父江は、わかりにくさをも楽しんでほしいという思いから、あえて統一性のないメインビジュアルにしたと言います。背景に描かれたイラストには、目や鼻や口などの身体的な部位に見えるかたちとともに「みえる」「かぐ」「しゃべる」などの動詞をランダムに散りばめることで、ものの見え方は一つじゃないことを表現したとし、本展に寄せて「真実は一つではなく、真実はいっぱいということです」と言葉を締めくくりました。


清水淳子「トランスレーションズ展プレイベントのグラフィック・レコーディング」(2020年1月15日)
展覧会ディレクター ドミニク・チェン、企画協力 塚田有那によるスペシャルトークの様子を、本展参加作家 清水淳子がグラフィックレコーディングでまとめた。

「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」の会場から、26名の参加作家のうち5名による作品の一部をピックアップ。プロダクト、グラフィック、建築など、多様なデザイン領域の第一線で生まれたものの原点が、それぞれどのように表現されているのか、デザインジャーナリストの土田貴宏が考察します。

乳酸菌飲料「ヤクルト」は、日本に暮らす人なら誰でも目にしたことがあるでしょう。その容器は、日本のインテリアデザイナーの草分けである剣持 勇と、彼が設立したデザイン事務所で代表を長年務める松本哲夫によって、1968年にデザインされました。松本さんは日本デザインコミッティーの現役メンバーの最年長のひとりで1929年生まれ。当時は事務所のチーフデザイナーとして、それまでガラス瓶入りだったヤクルトを、プラスチックの容器へと一新しました。

本展のポスターやフライヤーに使われ、会場でも象徴的に展示されているのは、ヤクルト容器をデザインする過程で試作された石膏模型(復元)です。近年は、こうした立体のデザインでは、コンピュータで制作したデータを3Dプリンタで出力し、形状を検証するのが一般的です。しかし当時は、石膏、木、粘土などを素材に手作業で試作を行うことが広く行われていました。現在に比べると、試作にも慎重さが求められたに違いありません。飲み物の容器としては異例の小さなサイズや、日常的な使用にふさわしい丈夫さとコストなど、制約も大きかったはずです。明確な個性をもちながら、やがてスタンダードな存在となったヤクルトの形は、当時から変わらず今も親しまれています。その認知度の高さは、2010年に立体商標として認められたことによっても証明されました。

1986年にパッケージを変更し、日本のティシューの定番になっているのが、グラフィックデザイナーの松永 真がデザインした「スコッティ」です。この年に実施された国際コンペを松永さんが勝ち取り、かつてない洗練されたデザインが誕生しました。ただしコンペでは、本来、パッケージに花柄と既存のロゴを使うことが条件だったといいます。松永さんは思い切って自分の感性に従い、条件に反したデザインを提案。結果、見事に採用が決まります。「花が本来持っている優しさ、柔らかさ、好感度」を、7文字のアルファベットによる新しいロゴに移行したのだと、松永さんは自著『松永真、デザインの話。』で語っています。この本は本展会場のライブラリーコーナーで読むことができます。

松永さんは、スコッティの他にも「カルビー」「ブレンディ」「ベネッセ」など多くのブランドのロゴをデザインしているグラフィック界の大ベテランです。たとえばカルビーのロゴは、スタジアムの広告スペースなどに掲示された際、見る角度によって文字の形が変わることも考慮して、縦横のバランスが検討されたようです。

「㊙展」の中でひときわ圧巻なもののひとつが、建築家の隈 研吾のコーナーです。展示ケースの内部を埋め尽くしているのは、隈さん自身による膨大な量の走り書き。その上には、今年、完成するJR高輪ゲートウェイ駅のためのバリエーション豊かな試作模型がいくつも並んでいます。

折り重なっている手書きのメモには、雑誌への寄稿文らしきものとともに、「La Kagu」「スタバ」「富山クレオン」といった、隈さんが設計に携わった物件の名前が読めます。世界各国で多数のプロジェクトを同時進行している彼は、自身の考えをこのようなメモで事務所のスタッフに伝達し、それをもとに設計が進んでいくのです。つまりこのメモが、隈さんの創造の基点となる"原画"。一連のメモから伝わってくるのは、あふれるような発想の力と思考のスピードで、その勢いを受け止めて一緒に展示してあるような試作模型が生まれます。ちなみにメモの文章をすべて正確に読解できるスタッフは、事務所にひとりしかいないそうです。

La Kagu ©Keishin Horikoshi / SS Tokyo
スターバックスコーヒー 太宰府天満宮表参道店 ©Masao Nishikawa

暮らしに根づいた家具や生活用品を多くデザインする小泉 誠の展示ケースは、隈 研吾とは対象的に、静かな時間の流れを感じさせます。そこに置かれたキャプションには「デザインの素は、つくり手の技と心意気、そして創意工夫した過去の形が手本です」とあります。小泉さんは、自身によるプロダクトや試作品と区別せずに、古道具と呼んでいいオブジェをいくつも並べました。古びたものがもつ、機能と結びついた形や、使い込まれた表情、無駄のなさが生む美しさ。彼のデザイナーとしての魅力が、そのような要素と深いところで結びついていることがわかります。

「㊙展」はそもそも、すぐれたデザインの原点にあるインスピレーションを、幅広い世代の人々で共有しようと企画された展覧会です。インスピレーションは、時には手描きのスケッチの最中に、時には試作の過程に、つくり手の中に舞い降りてきます。小泉さんの場合、それは過去に人々が生み出したものとの対話の中にあるのかもしれません。時を経たオブジェと彼自身によるデザインが併置されることで、シンプルなフォルムが語りかけてくるように感じます。

電子体温計「けんおんくん」Photo by Koji Miura

プロダクトデザイナーの柴田文江は、日本デザインコミッティーのメンバーの中でも若い世代にあたります。代表作のひとつである電子体温計「けんおんくん」の試作では、形状の検討に3Dプリンタが使われました。柴田さんは、もともと手描きのスケッチをほとんど用いることなく大半のデザインを行うといいます。手で粘土をこねて形をつくり出すのに相当する作業を、コンピュータの中で3Dデータを加工しながら行うのです。その結果を手にとって検証するため使うのが、3Dプリンタで出力したグレーのモデル。現在は3次元のデータを扱うアプリケーションの発展により、こうしたプロセスで形態の完成度を高めるデザイナーが増えています。この進め方には、データをメーカーと共有し、そのまま製造に活かせるというメリットがあります。

そのため、柴田さんの展示ケースには"原画らしきもの"があまり見当たりません。しかし完成したデザインには、柴田さんらしいラインがはっきりとあり、人間性さえ伝わってくる気がします。デザインのためのツールが時代や世代によって変わっても、つくり手と最終的な形態は密接に結びついているのです。

「㊙展」では他にも芸術家、工芸家、評論家など、計26名の多様な領域で活躍する作家の作品が展示され、それぞれのクリエイションの原点にあるものを伝えます。そのセレクトや構成も参加作家ごとに趣向が凝らされ、各々の世界観を垣間見せてくれます。何度、足を運んでも、新しい発見があるに違いありません。

文/写真・土田貴宏

2019年12月7日、企画展「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」に関連し、ギャラリートーク/原画解説「照明デザインのマル秘」を開催しました。照明デザイナーであり、日本デザインコミッティーのメンバーでもある面出 薫によるイベントです。

「光のデザインは時を視覚化すること」と語る面出。灯りを必要とする夜間だけでなく、24時間という1日の流れのなかで、音や匂いなど見えない要素も考慮し、最終的な気配をつくることを自らの仕事としていると言い、照明デザインのプロセスを、本展会場にて展示されているスケッチや模型とともに紹介しました。
そして、東京駅丸の内駅舎の保存・復原ライトアップのプロジェクトでは、「和やかな景色」をテーマとし、面出曰く「美人の薄化粧」のように、光と影のグラデーションやコントラストにこだわるほか、素材に合わせて照明を変えるなど、現場でも細かい造作を行ったと説明しました。

面出は、言葉だけでなく、描いたものをクライアントや自身のデザインチームに共有することで、コミュニケーションを円滑に進めることができると語ります。面出が「感動したら、よくみてその理由を考える。その後絵に描いたり、言葉に残したりする行為が自らのスケッチ」と言うように、面出のプロジェクトに対する想いや考えを、他者と共有し、実現するための"熱量"が参加者に伝わるイベントとなりました。

デザイナーたちが、デザインの過程において生み出すスケッチや図面、模型。それらは、多くの人々の目に触れる完成品に比べて、あまり光が当てられません。しかし、そんな「秘められた部分」にこそ、デザインの大切なエッセンスは刻まれています。

2019年11月22日、いよいよ開幕となる企画展「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」では、日本デザインコミッティーに所属する幅広い世代の現メンバー26名によるスケッチ、図面、模型、メモといった多様な「原画」を紹介します。それらを間近で目にすることは、今後のものづくりを担う人々にとって、刺激と示唆にあふれた体験になることでしょう。

展覧会ディレクターにはデザインエンジニアであり、日本デザインコミッティーの最も若い世代に属する田川欣哉を迎え、世代や領域が異なる人々の結節点となり、日本の出会いんの豊かな蓄積を未来の創造へと活かすきっかけになることを目指します。

会場風景(ロビー)
View of Lobby
「原画が生まれるところ」(映像:ドローイングアンドマニュアル)
"Where Original Ideas Are Born" (Film Production: DRAWING AND MANUAL)
会場風景(ギャラリー2)
View of Gallery 2
松本哲夫 展示風景
Exhibit view (Tetsuo Matsumoto)
新見 隆 展示風景
Exhibit view (Ryu Niimi)
隈 研吾 展示風景
Exhibit view (Kengo Kuma)
「作家たちの椅子」
"Chairs Designed by Committee Members"

撮影:吉村昌也/Photo: Masaya Yoshimura

2019年3月10日、「ユーモアてん。/SENSE OF HUMOR」の開催に先駆けて、参加作家 ダミアン・プーランによる子ども向けワークショップが、アンスティチュ・フランセ東京にて行われました。

フランス人アーティスト ダミアン・プーランは、デザインと建築の間を手探りし、神道、部族や紋章の記号に影響を受けながら、領域を超えた創作を行っています。「ユーモアてん。/SENSE OF HUMOR」で展示している「People Power」は、様々なプロテストソングのタイトルを、グラフィカルな旗に転換させた作品です。
このワークショップでは「私の音楽を見て、私たちの話を聞いて」と題し、子どもたちが自ら好きな曲を選び、その曲にまつわるものや聴いたときの気持ちをあらわす旗をつくりました。

ダミアン・プーラン「People Power」2018年

ワークショップは曲選びから始まりました。子どもたちは、選んだ曲に込められたメッセージや、曲を聴いたときの気持ちを保護者と話し合い、旗のイメージを思い描きます。

旗のイメージが掴めたら、曲名や歌詞、音色などに基づいて色画用紙を切り取り、台紙に貼っていきます。旗を通してどのような想いを伝えたいかプーランとも話しながら、子どもたちは制作を進めました。

それぞれ出来上がった旗を手に、プーランに曲名と旗の特徴を伝えます。最後には記念撮影も行いました。
ワークショップを通して、プーランと日本で暮らす子どもたちとの間に、豊かな交流が生まれました。

ダミアン・プーランは、「ユーモアてん。/SENSE OF HUMOR」にて「People Power」の他にも作品を展示しています。プーランが卓球台に、錯視を誘発するようなグラフィックを施した新作「Disruptive Thought」では、実際に卓球を楽しむことができます。ぜひお楽しみください。

2019年3月15日、浅葉克己ディレクション 企画展「ユーモアてん。/SENSE OF HUMOR」が開幕します。

時代を牽引し続けるアートディレクター 浅葉克己にとって、コミュニケーションにおける最も大切な感性のひとつが「ユーモア」です。 本展では、浅葉が国内外から集め、インスピレーションを得てきた資料やファウンド・オブジェとともに、ユーモアのシンパシーを感じているデザイナーやアーティストの作品を一堂に集めます。

時代や国を超えたユーモアのかたちと表現を一望することで、私たちは日々のお営みのなかにある身近なユーモアを見つめ直すことになるでしょう。そして、そこにあるユーモアの感性こそが、デザインやものづくりにおいて重要な、コミュニケーションの本質のひとつと言えるのかもしれません。

撮影:鈴木 薫

開催中の企画展「民藝 MINGEI -Another Kind of Art展」で、テキスト執筆を担当した猪飼尚司が、本展の企画に深く携わり感じたこと、考えたことを全2回でお伝えします。
第1回は、猪飼がどのように民藝に向き合い、したためたのか、その姿勢を語ります。

21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「民藝 MINGEI -Another Kind of Art展」は、すでにご覧いただけましたでしょうか?

現代のデザインやものづくりを中心に執筆活動を行ってきた私にとって、本展への参加はひとつのチャレンジでもありました。

以前から交流のあったディレクターの深澤直人さんと日本民藝館学芸員の古屋真弓さんからお声がけいただいたことはとても嬉しかったのですが、正直に言うと、どのように頭を動かし、文章にまとめればよいのかすぐに想像することができず、躊躇したところがありました。

撮影:吉村昌也

一般的に「展覧会テキスト」と言えば、作品の読み解き方を記しているもの。通常ならば、作品が生まれた時代の社会情勢などに照らし合わせながら順序立て、作家がどのようにコンセンプトのもとに技法を編み出し、どのようなプロセスを経て製作に至ったのかなど、作品や作家の背景が明確に理解するためのヒントがそこには隠されています。

しかしながら、民藝には解説の指針となる具体的な資料が存在しません。全国の民藝関連の施設に収蔵されている作品も見ても、箱書きもなく、作者不詳のものが多くあります。同時にそれらがいったいどのような関連性を持っているかを判断するのも困難です。

私も過去に何度となく民藝について執筆する機会はあったものの、それは誰かしらの取材をベースにしたものであり、実際に自分が正面をきって民藝というものと対峙したことはありませんでした。もちろん本展は深澤直人というディレクターの思考をベースに考えられたものであり、すべてを私だけの力で一から執筆する必要はありませんでしたが、一つ一つのセクションを体系化し、文章としてどのように表せば良いのかと思考を巡らせる必要があったのです。

しかし、実際にプロジェクトを進めていく段階で、深澤さんや古屋さんをはじめとした関わるスタッフの方々が、とても素直な感覚で作品と向き合っていることに気づいたとき、自分のなかにも民藝に対する明確な態度が生まれてきました。

結果として私は解説をするのではなく、来場者と同じ感覚で作品を鑑賞する、もしくは状況を傍観しているような感覚で、文章を仕上げていくことに決めました。

実際に会場内に掲げられているパネルに目を通していただけば分かると思いますが、その内容は展示の風景をありのままに捉えたものであり、ときに来館者に問いかけるような文体になっています。

展覧会における文章としては、みなさんにとって少し物足りないものに感じるかもしれません。しかしながら、私にとってこれも民藝、ひいてはものづくりや暮らしと正直に向き合うための一つの方法論だと考えています。

撮影:吉村昌也

猪飼尚司


©永禮賢

いかい・ひさし:
大学でジャーナリズムを専攻後、渡仏。1996年帰国し、フリーランスとして活動を開始。現在は、デザイン分野を中心に、国内外で取材を行う。雑誌『Casa Brutus』『Pen』『MILK JAPON』のほか、企業のブランドブックや展覧会テキスト、地場産業プロジェクトのサポートなどを手がける。

2018年9月25日、企画展「AUDIO ARCHITECTURE:音のアーキテクチャ展」の会場で小山田圭吾(Cornelius)、堀江博久、大野由美子、あらきゆうこがライブ演奏を行う「LIVE AUDIO ARCHITECTURE × 8」を開催しました。

本展のために、展覧会ディレクターの中村勇吾が作詞、小山田が作曲を手がけた新曲『AUDIO ARCHITECTURE』。展覧会では、幅24メートルの大型スクリーンに、8組の気鋭の作家が、それぞれに楽曲を解釈して制作した映像が繰り返し流れています。このイベントでは同じスクリーンの上で、楽曲を8つの映像に合わせて繰り返し演奏することを試みました。

演奏するごとに微妙に違うこの曲を楽しんでほしい、という小山田の後、いよいよ演奏開始です。
楽曲の構造に着目した映像作品に、歌声や楽器の音色が重なっていくと、より立体的な音の構築物(アーキテクチャ)が見えてくるようです。さらに、さまざまな角度から楽曲を捉えた映像作品とともに、同じ楽曲の印象も変化していくように感じられました。

音楽、映像と、Wonderwall 片山正通によるダイナミックな空間が一体となり、いつもの会場とはまた違った"AUDIO ARCHITCTURE"を味わう特別な時間となりました。

Photo: Atsushi Nakamichi (Nacása & Partners Inc.)

2018年6月29日、いよいよ企画展「AUDIO ARCHITECTURE:音のアーキテクチャ展」が開幕となります。

私たちが普段なにげなく親しんでいる音楽は、音色や音域、音量、リズムといった要素によって緻密にデザインされた構築物(アーキテクチャ)であると言えます。しかし日常の中でその成り立ちや構造について特別に意識する機会は少ないのではないでしょうか。

本展では、ウェブ、インターフェース、映像の分野で活躍する中村勇吾を展覧会ディレクターに迎え、ひとつの「音楽建築空間」の構築を試みます。ミュージシャンの小山田圭吾(Cornelius)が書き下ろした新曲『AUDIO ARCHITECTURE』を、気鋭の作家たちがそれぞれに解釈した映像作品を制作。展覧会のグラフィックデザインは、北山雅和(Help!)が手掛けました。

Wonderwall 片山正通がデザインしたダイナミックな空間、音楽、映像が一体となった会場で、音楽への新鮮な視点を発見してください。

Photo: Atsushi Nakamichi (Nacása & Partners Inc.)

21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3では、2017年12月6日から25日までアルテック(Vitra株式会社)主催による「FIN/100」が開催されています。

2017年、フィンランドは独立100周年を迎えました。本プログラムでは、これまでと今のフィンランドデザインを牽引するブランドが一堂に会し、この記念すべき年を祝います。

会期中には、「100のできごと」と題し、デザイン、ファッション、音楽、教育、アート、経済、文学など幅広い分野のトークやワークショップ、大小さまざまなできごとが起こります。それらのできごとを通して、フィンランドの文化や生活、歴史や価値観に触れる機会を、ぜひお楽しみください。

Photo: Petri Artturi Asikainen

2016年7月1日より、台北の松山文創園區 五號倉庫にて、21_21 DESIGN SIGHT企画展 in 台北「単位展 — あれくらい それくらい どれくらい?」が開催中です。

旧たばこ工場を改装した会場では、21_21 DESIGN SIGHTで昨春開催した「単位展」を忠実に再現したほか、新たに台北で集めた品々で構成した「1から100のものさし」、台湾のデザイナーらが参加した「みんなのはかり」など、台北展独自の展示も。

会場入口には、21_21 DESIGN SIGHTのコンセプトやこれまでの活動を紹介するコーナーがあり、併設されたショップには、台北展にあわせて制作された新たなオリジナルグッズも加わり、連日多くのお客様で賑わっています。
会期は9月16日まで、会期中無休ですので、台北にお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。

Photo courtesy of INCEPTION CULTURAL & CREATIVE Co., Ltd.

2015年7月4日、企画展「動きのカガク展」企画協力 ドミニク・チェン、参加作家より鹿野 護(WOW)、菅野 創+やんツー、岸 遼が登壇し、トーク「クリエイションとテクノロジー」を開催しました。

まず、ドミニク・チェンが、展覧会ディレクター 菱川勢一が本展企画初期から繰り返し強調してきた「つくることをブラックボックスにせず、オープンにしたい」というメッセージを紹介すると、3組の作家がそれぞれ、本展展示作品に至るまでの制作過程や自身のクリエイションをその裏側まで語りました。

自身にとって、クリエイションとは人がそのものに興味をもつきっかけとなるような「違和感のある現象」をつくり出すことであり、テクノロジーはそれを実現するための手段であると岸。
続く鹿野は、普段の自身の活動とは違いデジタル・テクノロジーに頼らない素朴な機構による本展展示作品に、東北工業大学の有志の学生と取り組んだ記録を紹介。
菅野 創+やんツーは、無作為に線を描く「SENSELESS DRAWING BOT」に始まり、展示環境や鑑賞者の手書き文字を再構成して線を描く本展展示作品「SEMI-SENSELESS DRAWING MODULES」にたどり着くまでを紹介しました。

会はフリートークに移り、作品と鑑賞者の関係性について菅野 創+やんツーが、反応や展開が予測できる作品ではなく偶然性を重視した作品を制作したいと述べると、岸も、鑑賞者の反応を期待してつくりはじめる自身の方法を更新してみたいと同意しました。鹿野は、モーション・グラフィックの表現において動きを自然に見せるために加えられる様々な工夫が、実際に物体が動くときには、その環境や偶発する要素の中に元々備わっていることに改めて気づいたと語りました。

来場者からの質疑応答では、3組の作家へクリエイションへの初期衝動を問われると、菅野 創+やんツーは、現在取り組んでいる人工知能にクリエイションを実装する試みとしての三部作を紹介。本展展示作品がその第二部であることを説明しました。続いて鹿野は、日常に潜んでいる不思議な現象を自身を含めた人間がどのように認識するのかということに興味があると語りました。岸は、効率化、画一化された「常識的なもの」を疑う自身の視点を述べると、それらを問い直してつくり直すことが自身の衝動であると答えました。

最後に、会場を訪れトークの様子を見守っていた菱川勢一が、登壇者を含めた本展参加作家はいずれも、身近なことに疑問を抱き追求し続ける勇敢な人々であると述べ、日常と地続きにあるその勇敢さを、ぜひ来場者にも持ってもらえればと締めくくりました。

企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」では、「みんなのはかり」と題し、各界で活躍する8名の方に、「単位」「はかり」をテーマに思い入れのあるものをご出展いただきました。ここでは、それぞれの「はかり」に込められた思いやエピソードを、会場写真とともに紹介します。

写真:木奥恵三

「8ugust」 葛西 薫

なかなか英語の月名が覚えられず困っていたが、あるとき妙案が浮かんだ。頭文字を数字に置き換えるのだ。そうしたら、その字面が記憶に残り、以来、12ヶ月、すべての月名がスラスラと言えるようになった。(なかでも、字面として、8ugustはとても美しいと思った)

「みんなのはかり」参加作家

葛西 薫
木内 昇
クライン ダイサム アーキテクツ
作原文子
高山なおみ
皆川 明
Jasper Morrison
柳本浩市

いよいよ明日開幕となる「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」。
会場の様子を、いちはやくお届けします。

単位で遊ぶと世界は楽しくなる。単位を知るとデザインはもっと面白くなる。
単位というフィルターを通して、私たちが普段何気なく過ごしている日常の見方を変え、新たな気づきと創造性をもたらす展覧会です。

また、会場1階スペースを、単位にまつわるショップとして無料開放します。展覧会とあわせて、ぜひお楽しみください。

写真:木奥恵三

現在開催中の企画展「活動のデザイン展」が、イタリアのウェブサイトdomus、日本のウェブサイトJDNに紹介されました。

>>domus "The Fab Mind"

>>JDN 「World Report / 21_21 DESIGN SIGHT 企画展『活動のデザイン展』」

東京・青山のカナダ大使館 E・H・ノーマン図書館では、企画展「活動のデザイン展」に合わせ、本展に出展しているバンクーバーを拠点に活躍する小説家・美術家・デザイナーのダグラス・クープランドのミニ・コーナーが設置されています。
図書館はどなたでも無料でご利用いただけます。ぜひお立ち寄りください。
>>カナダ大使館 E・H・ノーマン図書館ウェブサイト


カナダ大使館 E・H・ノーマン図書館 ダグラス・クープランド ミニ・コーナー

企画展「活動のデザイン展」会場風景/撮影:吉村昌也

いよいよ開幕を明日に控えた「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた会場の様子を、いちはやくお届けします。

展覧会ディレクターの川上典李子と横山いくこによるギャラリーツアーを開催します。参加作家の特別参加も予定。ぜひご来場ください!

展覧会ディレクターによるギャラリーツアー

日時:11月1日(土)・2日(日)16:00-17:00、3日(月祝)14:00-15:00
場所:21_21 DESIGN SIGHT
>>詳細はこちら

撮影:吉村昌也

2014年10月24日より開催される「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた本展から、展示作品の一部をご紹介します。


ジョセフィン・ヴァリエ「リビング・アーカイヴ」

「リビング・アーカイヴ」

ジョセフィン・ヴァリエ

スウェーデンと日本からパンを焼くための天然酵母を集め、その酵母にまつわる個々のストーリーや知識をアーカイヴし、展示によって共有することを試みるプロジェクト。近隣のパン屋さんとのコラボレーションも行います。


ジョセフィン・ヴァリエ「リビング・ アーカイヴ」(Photo: Frosty/Gustav Karlsson Frost)

ジョセフィン・ヴァリエ「リビング・ アーカイヴ」(Photo: Frosty/Gustav Karlsson Frost)

ジョセフィン・ヴァリエ Josefin Vargö:
エクスペリエンス・デザイナー。1982年ストックホルム生まれ。人生の半分を日本、米国、英国、ポーランド、アフリカで過ごす。ヴァリエは、人々、場所、オブジェクトを結びつける新たなプラットフォーム、体験、プロセスをデザインし、現在は、中心的な素材として食品を取り上げている。 2008年ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーティンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインを卒業、2011年ストックホルムのコンストファック芸術工芸デザイン大学を卒業。現在はストックホルムに自身のスタジオを構えるほか、エクスペリエンス・デザイン・プラットフォームUNDERVERK(アンダーヴェルク)の共同設立者でもある。クライアントには、ナイキ、メディアサーフ、ロスキルド・フェスティバル、ビッグステュディオなどがある。
http://www.josefinvargo.com http://www.levandearkivet.josefinvargo.com

ジョセフィン・ヴァリエがトークに出演します。

「ジョセフィン・ヴァリエによるトーク」

日時:11月2日(日)14:00-15:30
場所:21_21 DESIGN SIGHT
>>詳細はこちら

>>「活動のデザイン展」展示作品紹介一覧を見る

7月4日(金)、いよいよ企画展「イメージメーカー展」が開幕します。

ファンタジックな想像の世界をつくり出すこと、様々なクリエイティブな分野を融合させること、そして今ここにある世界について語りながら、人々を全く違った世界へ連れだすこと......。本展では、日仏文化交流に精通したキュレーターのエレーヌ・ケルマシュターを展覧会ディレクターに迎え、広告の世界に革命をもたらしたジャン=ポール・グードを中心に、国内外で活躍するイメージメーカーたちによる作品を展示します。

<展覧会の見どころ>

希代のイメージメーカー、ジャン=ポール・グードの世界にメインギャラリーが変貌
グードの創作は次元を超越し、見る者を想像の世界へといざないます。本展では、プライベートな生活での出会いが色濃く反映された機械仕掛けの彫刻「見ざる」「言わざる」「聞かざる」が一番の見どころ。会場では、彼が崇拝する「3人の女神」たち―グレース・ジョーンズ、ファリーダ、カレンをモデルにした人形が、三宅 純作曲の音楽に合わせて踊ります。さらに、グードが手掛けたパリの地下鉄内のデパート広告を16台のモニターを連結して再現したビデオインスタレーションや、写真コラージュ「形態学的改良」シリーズ、ドローイングなどを展示し、自らの世界観を大胆に表現します。

「ヒールレスシューズ」によって世界に名を知らしめた、舘鼻則孝の新たな側面を公開
彫刻、オブジェ、靴の全てが融合された舘鼻の「ヒールレスシューズ」は、履くことによって身体のラインを一変させます。その発想源には花魁の高下駄や日本の伝統文化があります。本展のために、舘鼻は制作プロセスとともに新作の靴と下駄を発表。また、身体構造にインスピレーションを得た石膏作品「アイデンティティーカラム」やアクリル製の彫刻「フローズンブーツ」、さらには大型のかんざしを屋内外に展示します。なお、地下ロビーには「ヒールレスシューズ」試着コーナーも設置します。

あらゆる分野を横断するイメージメーカーたちによる、活気ある世界の物語
舞台演出家として名高いロバート・ウィルソンの「ビデオポートレート」シリーズを日本初公開。本展のために作品プロデューサーが来日し、21_21 DESIGN SIGHTの建築空間に新たな"舞台"をつくりだします。また、映画、写真、絵画と様々な分野で活躍するデヴィッド・リンチは、自らの心象風景を映しとったリトグラフ24点を出展。さらに、フォトグラファーハルは、カップルを真空パックして撮影した「Flesh Love」と新シリーズ「Zatsuran」を紹介します。日仏文化交流に精通したキュレーター、エレーヌ・ケルマシュターのディレクションにより、国内外屈指のイメージメーカーたちの作品が一堂に集い、活気ある世界の物語を繰り広げます。

Photo: 木奥恵三

2月28日(金)、いよいよ企画展「コメ展」が開幕します。

コメは、私たちの暮らしにとても身近で、日々の生活に欠かせないものです。日本では、コメを中心とした食文化を深めつつ、稲作の歴史とともに様々な文化が発展してきました。

本展では、私たちの文化の根幹をなすコメのありようを新鮮な目で見つめ直していきます。そして、その未来像を来場者の皆様とともに考えていきます。

佐藤 卓、竹村真一ディレクションによる「コメ展」に、ぜひご来場ください。

撮影:淺川 敏

2012年2月18日に行われた、小林康夫(東京大学大学院総合文化研究科 教授)、中島隆博(東京大学大学院総合文化研究科 准教授)と土屋昌明(専修大学経済学部 教授)によるトーク「文字となって羽ばたく―東アジアの伝統から」の動画をご覧頂けます。


現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。

衣服と写真と文字 動くボディについて考える

──今回の展示をご覧になってお考えになったことをお聞かせください。

小林康夫(以下、小林):
以前に一生さんが、自分が最も影響を受けたのはイサム・ノグチとアーヴィング・ペンだというお話をされていました。その時にイサム・ノグチは造形の原点としてよくわかるんですが、ペンさんは何故なんだろうという疑問がありました。また一生さんは、そのときペンさんに作品を見てもらうことが重要なんだ、ペンさんの眼差しを通じて自分が自分に引き戻されるんだともおっしゃっていました。ペンさんのカメラによる眼差しを通じて、自分の作り出した作品を見ることで、初めてもうひとつの自分に出会える。それは弁証法というか、そういう自他の回路が働いていると思ったんです。そのことを表象文化論という観点から掘り下げてみたいと思ったわけですね。

つまり展覧会でペンさんと一生さんの協同作品を見ていく時に、ペンさんの世界は、文字というか書の世界につながっていくのでは、とひらめいたんです。中国には「書は人なり」という言葉があるらしいのですが、その人とは身体でもある。服は形であるとしても、それは「身体」の形、人間のボディの問題になるわけですね。一生さんのデザインは、いつも素材においても新しい挑戦をしていますが、その基には動く身体感覚がある。身体を隠すわけでもなく、飾るわけでもない。身体は動きであるという認識ですね。「動くボディ」としての形、それが原点にあるのではないか。それが、古来の文字のあり方とつながってくるんじゃないかと考えたんです。今回の展示では、大地から立ち上がった文字が空に飛んで行こうとしているような、そんな印象も受けました。

──来週開催予定のトークについて教えてください。

小林:トークでは、中国哲学の中島隆博先生と土屋昌明先生のお二方をお招きして、「文字」「書」という切り口からアーヴィング・ペンさんの写真と一生さんの服について論じてみたいと思っています。一生さんの服とペンさんの写真を「文字」や「書」から読み解くことで、どういう世界に広がっていくか、いくつか書の作品などをお見せしつつお話してみたいと思っています。どこに着地するかはまだわかりませんが、一生さんとペンさんという二人の出会いが、人類学的なスケールで見えてくるのではないかと思います。

(聞き手:上條桂子)

2012年2月18日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに小林康夫が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「文字となって羽ばたく―東アジアの伝統から」の動画を見る

Yasuo Kobayashi

小林康夫 Yasuo Kobayashi

東京大学大学院総合文化研究科 教授
1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻博士課程満期退学。パリ第10大学記号学科博士号取得。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授(表象文化論専攻)、グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」拠点リーダー。著書に、『不可能なものへの権利』(89年)、『無の透視法』(89年)、『起源と根源』(91年)、『光のオペラ』(94年)、『身体と空間』(95年)、『出来事としての文学』(95年)、『建築のポエティクス』(97年)、『大学は緑の眼を持つ』(97年)、『思考の天球』(98年)、『青の美術史』(99年)、『表象の光学』(03年)、『知のオデュッセイア』(09年)、『歴史のディコンストラクション』(10年)。ほか、編著、翻訳多数。



「アーヴィング・ペンと私」一覧リストを見る

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展が語りかけること 第3回(最終回)

石井裕さんの倉俣メモ

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展もいよいよ佳境です。皆様にはくれぐれもお見逃しないように。
そういえば、あのMIT メディアラボの副所長、石井裕さんが倉俣ファンだということをtwitterで知って、来日中のご多忙の中、展覧会をご案内しました。当初は1時間くらい?と思っていたのが、なんと2時間びっしり。さすが科学者という視点でのご質問や感想をいただき、脳みそがシャッフルしました。後日、見学メモを送ってくれて、これがまたinteresting!一部をご覧ください。
http://twitpic.com/5dabgp

さて、このコラムも今回が最後。なので、私が知る倉俣さんとソットサスを展覧会では紹介できなかった二人のスケッチとともに記そうと思います。

愛にあふれたソットサス

1980年代、六本木AXISは日本のデザインセンター的な存在で、連日、見学にやってきた国内外のデザイナーで大賑わい。中でもソットサスは81年のAXISオープン記念に個展を開催した縁もあり、来日の度に表敬訪問してくれたのです。本展の展示作品「カールトン」は、元はAXISが所有していて、その価値を知らない私たちスタッフはずいぶんひどい扱いをしていました。

1993年のある日、AXIS誌のインタビューでいらしたソットサス(当時76歳)はずいぶん疲れていて、腰かけるなり「失礼だけど、靴を脱いでもよいですか」と聞いてきました。「もちろん、どうぞ・・・」と申し上げると、「ここは日本の我が家だし・・・、靴を脱ぐ日本の習慣は素晴らしい・・・」と一言。彼はこのインタビューで「私の行動が少女を楽ませたり、老婦人を幸せな気持ちにできれば、それで満足。立派なステートメントはいりません」と語っていたのが印象に残っています。

最後にお会いしたのは、1997年の秋頃。三宅一生さんが来日中のソットサスのお誕生会を企画されて、倉俣美恵子さんと娘のハルちゃんを含む数名が集まりました。誕生会と聞いた私はさんざん悩んだ挙句、小さなブーケを贈りました。ソットサスは「ありがとう」と受け取ってそのまま胸ポケットにさしてくださった。ハルちゃんともずいぶん仲良しでした。倉俣さん亡き後も、ソットサスは大親友の愛娘ハルちゃんに愛を与え続けていたのですね。この食事会は和やかで、幸せにあふれた会だったと記憶しています。

エットレ・ソットサスによるドローイング
エットレ・ソットサスによるドローイング

語尾が微妙だった倉俣さん

1980年代倉俣さんのオフィスは乃木坂にあって、時々、AXISの3階にあったフレンチレストランのテラスでランチをしていました。ご挨拶をすると、「こんにちは」ってたれ目でニッコリ答えてくださった。
87年だったかAXIS誌の「ニューマテリアリズム」という特集で倉俣さんに鼎談を申し込んだところ「ニューマテリアリズム・・・ね。少し考えて返事をしてもいいですか?」と言われました。即答いただけると思っていたのが、語尾が微妙だったので、「何かいけないことを言ってしまったのだろうか?」と案じたけど、鼎談は実現しました。雑誌が出てから「関さんの名前でルッキーノにボトルを入れましたから、楽しんでくださいね」とお電話があり、友人を誘って「倉俣さんからのボトルだ!!」と盛り上がったのは、つい先日のようです。88年、KAGU展で初公開された「ミス・ブランチ」。展示会場に倉俣さんがいらして感想を求められ、とっさに「美しすぎて怖い」と感想を述べたら、「そうですか・・・」と一言。その語尾がまた微妙で、私はまたまたいけないことを言ってしまったような気がして、いろいろ思いを巡らせたものです。倉俣さんの言葉も作品も饒舌ではありません。けれど、そこに現れているのは氷山の一角で、その背景には膨大な思考や想いがあることを感じさせます。

先日の6月25日は、三宅一生さんとのトークでした。控え室で雑談中、「そういえば、倉俣さんは、話が一段落ついた頃、『もう一言いいですか』って話し始めるのだけど、実はそこからが本題でね。初めから自分を主張しないところが倉俣さんの魅力だったのだと思う。ソットサスも一言に重みのある人だったなあ」と話してくださいました。私は「三宅さんもそうですよ」と言いかけて、言葉を飲み込みました。

倉俣史朗による「How High the Moon」 のためのドローイング
倉俣史朗による「L'EAU D'ISSEY 」 のためのドローイング

デザインで夢と愛を描く

そんな3人が友情を育めたのは、言葉の少なさを補って余りある「想い」を共有していたからではないか。それは展覧会ブックにも記しましたが、自主自立の精神に立つ3人の活動は、常に体制や権力とは一定の距離を置きながら、自分たちのクリエイションが人々の生命や営みを制約し、規制することに対して細心の注意を払ってきたこと。束縛されない自由と、「デザインとは何か」を問い続ける姿勢であり、人が生きていくうえで欠かすことのできない夢や愛を探求することであったのだと思います。
ITによって、コミュニケーションや創造の可能性は「進化」したけれど、はたして「深化」しているのか?そんなことも考えさせられました。

倉俣史朗とエットレ・ソットサス展、7月18日まで、横尾忠則さん、田中信太郎さんのトークなど、様々な関連プログラムもあります。二人の夢と愛の世界を心いくまでご堪能ください。

関 康子

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展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 続編

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展がオープンして2ヵ月近くがたちましたが、会期を延長して7月18日まで開催しております。倉俣史朗とソットサスの作品を直接見ることのできるまたとない機会、何度でもご覧いただきたいと思います。一度は終了したウェブコラム「倉俣史朗とエットレ・ソットサス展への道」ですが、今回は「続編」として、展覧会をさらに楽しんでいただくための2つのトピックスをご紹介します。


トピックス1:倉俣さんの言葉

本展では、倉俣作品は1980年代以降の代表的な家具や小物を中心に65点ほどが展示されています。その中から、生前の倉俣さんが作品について自ら書き記したテキストやインタビューをご紹介しましょう。これらの文章を念頭に作品をご覧いただくと、また別の世界が広がりそうです。

Begin the Beguine

(略)85年にヨゼフ・ホフマンのデザインした椅子を燃やして作品をつくったことがあるんです。
トーネットの有名な曲げ木の椅子にスチールをどんどん巻きつけ、その接点を全部溶接し、最後に木部に油をしめらせ燃してしまい、外のスチールだけを残したんですが、椅子を燃やした時、いかに椅子が身体的であるかということを痛切に実感しました。 それまでは観念的にとらえていたんですが......、もう二度とつくりたくないと思いました。
(『CHANCE』1988年 Summer No.7)

展覧会場風景、ビギンザビギン
Photo: Masaya Yoshimura

Terazzo

2年前、六本木・アクシスビルの地下の店舗の床にステンレスのチップ入りテラゾーを使いました。それと同時に、カラーガラスのくずや、透明ガラスや、コーラーのビンのくずを入れていろいろと試作を続け、結局、小型トラック1ぱい分ぐらい作ってみました。
友人たちはいろんな感想を言ってくれます。透明のものを「地獄」とか、カラーガラスのものを「極楽」とか、職人さんは「スターピース」と名付けてくれました。ぼくにとっては、すべて「記憶の破片」です。
(『商店建築』1983年5月号 No359)

How High the Moon

高速道路のフェンスや工事現場で使われるエキスパンドメタル。銅メッキを施したこの椅子は、まったく違う表情を持ち、視覚的にも重量的にも無重力を指向する。(中略)
この椅子で試みたことは、従来の椅子の形態はそのままにして、ボリュームを消し去り、物理的にも、視覚的にも軽く、風が遊び抜ける。在ってないようなもの......
意識・無意識のうちに無重力願望が、僕がものを造る時の下敷きになっているのかもしれません。そういう意味でこれは、「無重力願望の椅子」といえるでしょう。
(『家庭画報』1987年3月号)

トワイライトタイム

このテーブルの脚部は安価なエキスパンドメタルを円錐に近い形にし、強度を保たせ、それにクロームメッキを施し、末端を硝子に10mmさしこみ接着剤で固定したものです。脚部がトップの硝子を単に支えるという、従属的な或は迎合的な関わりではなく、たがいに無関係な状態において自立することを試みたもの。そのために脚部とトップの硝子の接合部を極端に省略することを計りました。(この施工は三保谷硝子の名人芸によるものです)
(『室内』 1985年11月号 No.371)

展覧会場風景、ハウ・ハイ・ザ・ムーンとトワイライトタイムのあるゾーン
Photo: Masaya Yoshimura

Miss Blanche

この椅子には、ディテールがありません。いや、全体がディテールとお考えください。
これは、T・ウイリアムスの『欲望という名の電車』のミス・ブランチ・デュボアへのオマージュです。
(『室内』1989年1月号No.409)

展覧会場風景、ミス・ブランチ
Photo: Masaya Yoshimura

コパカバーナ

It altogether brilliantly materializes the conjugation of functionality, wit, humour and modernity. It is a new vision of a very traditional handbag. It succeeds, without altering its image, in giving shelter to a series of little secret trawers wthich pile up in waves of pink leather, only keeping from the original model a formal reference for future use.
(『PETITES ARCHITECTURES NOMADES』展 カタログ 1998年 Gallerie Yves Gastou, Paris)

Laputa

(アンドレア)ブランジはこの未来の家のプロジェクトに対して、彼の他8人の新しいデザインの代表者たちを集めた。彼ら各々がパラッツォストロッツィの中の空の部屋に、未来の"住"の質を表現することを意図としたひとつひとつのドメスティックな風景、舞台装置を実現させた。(中略)
僕には精神的ルールは無い。それについて考えたこともない。僕は意識からもまた自由でありたい。
僕は何も無しで生きたい。家もなく、故郷もなく、何もない。家は僕にとっては空虚だ。現代の家々はほとんどの場合記号やしるしであふれかえっている。
空虚というのは記号論ではなく認識コードが欠けたという意味です。
(『La Nazione』紙 1911年1月 文化欄)

展覧会場風景、ラピュタのあるコーナー
Photo: Masaya Yoshimura

いかがでしたか? 倉俣さんの言葉......。作品同様、機知に富んでいて、素敵ですね。


トピックス2:キッズ用ワークシート

本展の来場者には、たくさんのご家族連れ、お子様もいらっしゃいます。デザイン展というと、「子どもにはちょっと分かりづらい?」「子どもが一緒だとゆっくり見学できない」とお考えの子育ての世代の方も多くいらっしゃるでしょう。でも、本展では、心配ご無用!子どもも楽しく展覧会が楽しめる「キッズ用ワークシート」を用意しております。私事で恐縮ですが、10年前に友人と会社を立ち上げ、子どもの遊びと教育のための商品企画や編集の仕事もしているのですが、エデュケーショナルトイの代表的なものに「パターン遊び」があります。動物や乗り物などの具体的なモノのかたちをあてたり(下図参照)、三角、丸、四角など幾何学を使ってさまざなパターンを作って遊んだりします。

展覧会ツール「これ、どこにあるのかな?さがしてみよう!」
パターン遊具のひとつ、スイス・ネフ社のアニマルパズル
©ニキティキ


本展では、子どもも十分楽しめるソットサスのカチナシリーズ、美しいシルエットの倉俣作品がたくさん展示されているので、このパターン遊びを応用したワークシートを作ってみました。これを手に、ご家族で作品とグラフィックをマッチングして遊んでいただけるという仕掛けになっています。シートは本サイトからアウトプットもできますし、展覧会受付にて配布しています。子どもがデザインに出会うきっかけになってくれればうれしいです。
4月9日(土)に、こども向けワークショップ「カチナをつくろう!」も行います。
皆様のご参加をお待ちしております。

関 康子

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展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第2回

第2回目は、本展の主人公である倉俣史朗とソットサスのデザイン交流についてです。

二人ってどんな人?

日本では、ソットサスといえば、オリベッティ社の真っ赤なタイプライター「バレンタイン」(1969)、アレッシィ社のテーブルウエア(70年代~)、発表と同時にセンセーションを呼んだ「メンフィス」(1981)の一連の家具やオブジェが知られています。けれども、ソットサスの才能はプロダクトデザインや建築だけにとどまりません。
彼は、抽象画を描き、世界中を撮影して写真集『METAPHORS』を出版し、『二分の一世紀』と題した雑誌を構想し、『TERAZZO』(90年代)の編集・出版、ガラスや陶器製のアートピースの制作、展覧会の企画、「メンフィス」のようなデザインプロジェクトのプロデュースなど、その興味と活動は多岐にわたり、同時代のデザイナーや建築家を牽引していたのです。その様子は、『建築の解体』(磯崎新著)にも記されています。

『TERAZZO』by Sottsass

さらに驚くのはそのエネルギー。「メンフィス」を立ち上げたのは63歳のときで、同年、自分の子どもほどの20代の若者たちと「ソットサス&アソシエイツ」を設立。その情熱はとどまるところを知らず、89歳のときに「...でも働くこと、これが一番好きだな。アシスタントが毎日ここに来て、僕のデザインしたものをモデルに具現化してくれる。それはとても楽しいよ」と語っているのです。まさに「生きること=創造すること」を体現した人物。

一方、1955年に桑沢デザイン研究所を卒業後、「三愛」に就職してデザイナーとして活動を始めた倉俣さんは、松屋のインテリアデザイン室を経て65年に独立し、クラマタデザイン事務所を設立。その後、60年代は当時のミニマルアートに触発された作品やアーティストとの共作を、70年代には既成概念に対する矛盾やアイロニーとしての表現を、そして80年代に入ると、なにものにも束縛されない自由で夢のような世界を創造するようになります。

「光の椅子」(1969)
Photo: Takayuki Ogawa
「硝子の椅子」(1976)
Photo: Takayuki Ogawa
「アクリル・スツール」(1990)
Photo: Kishin Shinoyama

対照的な表現

そんな二人の交流が深まったきっかけが「メンフィス」。後にソットサスは二人の関係をこのように語っています。
「お互いに側にいて、見つめているだけで、言いたいことがわかる、そんな関係でした。非常に不思議で神秘的な、言葉を介さない橋が二人の間にはかけられていたという風に言えるでしょう」。
けれども二人が生み出すデザインは対照的でした。

エスプリヨーロッパ by Sottsassとエスプリアジア by Kuramata(1985-1986)
Photo: Mitsumasa Fujitsuka

ソットサス:
「彼(倉俣)はもっとはかないものを表現しようとして、私はもっと重たくて固定したものをつくろうとしました」。
「私自身は、イデオロギー的なるものに依存している、西欧的な機能主義から脱出したいと思っていました 」。
「私は倉俣史朗に対して俳句を例によく使います。彼は壊れやすいもの、次の瞬間には消えてしまうような短い感情、情感を詠む」。
「光です。物質じゃなくて、光によってモノは形を持つんだということを、倉俣さんは理解していた」。

一方、倉俣さんも作品同様、素敵な言葉をたくさん残しています。

倉俣:
「触れられるものが素材ではなく、匂いや光みたいなものまで、僕の中では素材としてあるのかもしれません」。
「好きな言葉に『音色』がある。トーンで色を感じとりイメージするという日本の感性は素晴らしいと思う。色から音を感じること。人々が音を目で楽しみながら空間と同質化できれば」 。
「アクリルは非常にセクシーな素材です。ガラスの冷たい面と木の温かみのある手触りがあります。視覚的には軽やかな印象を与えます」。
「椅子を機能で語るならば、座っていることを忘れるくらい心地よい椅子をデザインできれば成功だ。私はそうではない。ある種の健全な緊張感を与えたい、見るだけで刺激を感じてほしい」。

イル・パラッツォ内のバージビッボ by Sottsass(1989)とオブローモフ by Kuramata
Photo: Mitsumasa Fujitsuka

ふだん、二人はデザインについて語り合うことはほとんどなかったといいます。けれども作品を通してデザインの対話を楽しんでいたのです。「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展では、二人の心の交感、デザインのキャッチボールの模様を体感していただければと考えます。

ロードゥイッセイ by Sottsass(2009)とロードゥイッセイ by Kuramata(2008)
Photo: Luc Monnet(Left), Daniel Jouanneau(Right)

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第3回 へ

本展にパソコンのデスクトップ展示でご協力をいただいている歌人の穂村 弘を迎え、トークイベントを行いました。
人はそれぞれパソコンのデスクトップを使いやすいように配置しているもの。それは現代における書斎の机上と呼べるのではないでしょうか。本棚や冷蔵庫など、他にも人の「属性」が見えるものを例に挙げ、実は今回の展示協力に最初は抵抗があったことを教えてくれた穂村。日本人だと余計にその傾向があるのではないかと語ります。
今回のトークは「言葉と属性」というテーマのもと、前半は言語化以前の属性について、穂村が考える言語化が難しい「属性」の例をあげながらトークは進みます。中央線沿線には主体的な女性が多い、アマチュアの歌人は名前に「月」と入れたがるなど、ユニークなエピソードに会場は笑いに包まれました。後半は穂村が配布した短歌の例を読みながら解説を行い、短歌の裏に隠された歌人の細かな「属性」の発見に思わずふきだしたり、納得させられたり、楽しいひとときとなりました。

川上典李子のインサイト・コラム vol.5

会期が今週末までとなった「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展(以降、「ポスト・フォッシル」展。今回は、デザインに詳しいエディターの橋場一男さんに、本展の感想をうかがいます。

──本展で感じたことを自由にお聞かせください。

橋場一男(以下、橋場):
展覧会を見てまず思ったのは、「言葉」、でした。無限の音色を使える音楽家や、あらゆる色、形、質感を駆使できる造形作家と違い、「言葉」で表現がなされる文学は、不自由さゆえに独自の発展を遂げてきました。「言葉」は使われるうちに手垢にまみれ、歓迎せざるイメージが付着し、記号化し、それ自体の「美しさ」や名づけの「神々しさ」はずいぶん昔に失われています。それでも美しい詩が詠まれ、すばらしい文学が生まれている。

文学にもモダニズム文学があり、アバンギャルドな文学もあります。いずれも、意識する、しないに関わらず、言葉同士の組み合わせによる反応を通して、「言葉」が生まれた瞬間の神々しさや禍々しさをいかに取り戻すかに挑んでいるのだと思います。

たとえばダダやロシア・フォルマリズムや未来派など、言葉の表現と視覚表現はかつて同時代を生きていたのに、気がつくと「言葉」は表現のムーブメントそのものではなく、ムーブメントの批評や解説にしか使われないようになっています。表現者が大量の言葉を選び、組み合わせ、駆使することに面倒になってしまったのか、現代的な表現では言葉を使うということ自体が難しくなってしまったのか。理由はよくわかりません。

デザインも本来自由なものだったはずなのに、いつしか「言葉」という既製の素材に縛られる文学のような表現になってしまったのでしょうか。既成の「言葉」の順列組み合わせの中で、現代デザインは成り立っていると言えるのかもしれません。デザインは、「言葉の表現」が歩んできた歴史を追体験しているように見えるのです。

もちろん、言葉を使わざるをえない不自由な枠の中ですばらしいデザインを世に送り出しているデザイナーもいらっしゃいますし、手垢のついた言葉を逆に利用するデザイン提案もあるでしょう。今日のデザインの枠組の中で美しい「詩」を書いているデザイナーも多くいらっしゃいます。後世に残るデザインとなるものです。......こうした現状のなか、この「ポスト・フォッシル」展は、私に、言語学者ヴィクトル・シクロフスキーの「言葉の復活」を思い起こさせました。

橋場一男さん(エディター)が見た「ポスト・フォッシル」展

『鳥類相』マールテン・コルク&フース・クスターズ(1980年生まれ、1979年生まれ、オランダ在住)。

──ロシア・フォルマリズムの代表的な人物、シクロフスキーと、現代の若手デザイナー......その関係をさらに詳しくお聞かせいただけますか。

橋場:彼は記しています。「人類最古の詩的創造は、言葉の創造であった。新しく生を享けた言葉は生気にあふれ、イメージ豊かであったにもかかわらず、今では言葉は滅び、言語はさながら墓場と化している......」。ロシア・フォルマリズムのこの言語学者は、そこで言語を解体し、ザーウミという、新しくまっさらな「超意味言語」をつくり出す航海に旅立ちます。

少々褒めすぎかもしれませんが、「ポスト・フォッシル」展の作家たちは、「言葉」という既製の理念と質量で構築される「現代のデザイン」の不自由さから逃れるために、ザーウミのような原初的な響きや形、「超意味、超言葉」を、求めているようにも思えました。ロシア・アヴァンギャルドでもプリミティヴィズム(原始主義)がとなえられていた時期があり、ザーウミも少なからずその影響をうけていると思われます。......さらに私が興味を持ったのは、本展が人々の心にどう深く残っていくか、ということ。ここからデザインの生成変形文法みたいな研究も始まるかもしれません。

──展覧会のなかで、印象に残った作品はどれですか。

橋場:これまでの話に照らしあわせて言えば、まさに超意味、超言語をたたえた力強い作品を見ることができました。『鳥類相』、『ドメイン』、『フラグメンツ・オブ・ネイチャー』、『土が描く風景』、『テーブル・コンパニオン』、『ロック・フュージョン』......清々しさを感じた作品もあります。そして、小さな展示空間の木の匂い。あの空気感は、あれだけで何かを伝えていました。

橋場一男さん(エディター)が見た「ポスト・フォッシル」展

『土が描く風景』アトリエNL、ロニ・ファンライスワイク
「ポスト・フォッシル」展会場より

橋場一男さん(エディター)が見た「ポスト・フォッシル」展

『ドメイン』ハーム・レンシンク(1980年生まれ、オランダ在住)
「ポスト・フォッシル」展会場より


──本展に多く含まれているような現代の若手デザイナーの活動、あるいは彼らをとりまく現状を橋場さんはどう見ていらっしゃるのでしょうか。

橋場:このコラムのvol.1でも触れられていたように、欧州連合の誕生にともなう共通通貨の誕生で様々な文化背景を持つ人々の交流が促されたことは、21世紀のデザインに大きな影響を与えたと思います。一方、欧州連合の誕生後、自国文化の教育予算を大幅に増やした国もあるように、異文化理解促進の反作用として故国の文化の地層を掘り起こす機運も高まっている。自国の文化としての手工業への関心が高まっている状況や、他国の手工芸文化を学びやすい状況になってもいます。

さらに注目すべきは、欧州統合と機を同じくして発展したインターネットです。受発注や宣伝の道具、新たな販路として、結果的にデザイナーのセルフプロデュースのハードルを下げました。ある意味でデザインが生産から自由になったのです。本展の作品群もこうした近年の西欧の状況と無関係ではないと思います。キーワードは、自由、でしょうか。

ですが自由だからといって、一発芸的な表現や、ただ無邪気なだけではいけない。圧倒されるほどの作品は一体どうやって生まれるのだろうかと、いつも考えてしまいます。芸術家で建築家、デザイナーのウーゴ・ラ・ピエトラが、かつて「ドッピア・アニマ」について語ってくれたことがありました。彼は、イタリア芸術職人の手に宿るイタリアのものづくりの歴史や精神でデザインを解放しようと試み、デザイナーと職人の二つのアニマ(魂、心、生命)を持ち備えた作品群を目指し、活動を行いました。現代の若手デザイナーの活動も、そうした上質な内容として発展していくことを期待せずにはいられません。

「答」は往々にして入り口にあるものです。「ポスト・フォッシル」展を目にしながら、同時に、「入り口」に遡ってみたいという想いが強くなってきました。また、日本にとってのポスト・フォッシルとは何かを考えてみたいところです。

橋場一男さん(エディター)が見た「ポスト・フォッシル」展

『ロック・フュージョン』アリック・レヴィ(1963年イスラエル生まれ、フランス在住)
「ポスト・フォッシル」展会場より

橋場一男さん(エディター)が見た「ポスト・フォッシル」展

『フラグメンツ・オブ・ネイチャー』レックス・ポット(1985年生まれ、オランダ在住)
「ポスト・フォッシル」展会場より

まとめ:川上典李子

橋場一男(はしば かずお、1961年 - )
雑誌『LIVING DESIGN』創刊に関わり、2003年まで同誌チーフ・エディター。2005年『Luca』編集長。2005年、ドイツ、シュツットガルトのアカデミア・シュロス・ソリチュードのデザイン部門フェロー。2006年に帰国、現在はフリーランスのエディター、ライターとして活動中。

川上典李子のインサイト・コラム vol.6 へ

サマースクール「デザインのコツ」:国語 「デザインと言語」



サマースクール初日、2時限目は「国語」。講師はグラフィックデザイナーの佐藤卓。
「自分がデザイナーになろうと思ったきっかけは単純で、学科ができないから美術の道へ進んだ。なのに何故"国語"が回ってきたのか」という冒頭の佐藤のコメントに、会場は笑いに包まれました。
今回の「骨」展のビジュアルをはじめ、実際に佐藤がデザインした「明治 おいしい牛乳」、「ロッテ キシリトールガム」「大正製薬 ゼナ」などの商品パッケージを例に、デザインにおける言葉という「骨」の重要性を語りました。
例えば「キシリトールガム」では「デンタル」など、あるキーワードを「骨」としてデザインを進めていくという言語化の過程、その曖昧さゆえ感性に委ねられる言葉は使わないなど、デザインと言語の密接な関係について明快に説明する佐藤。

また、日本語は擬音語や擬態語などの表現が豊かであるという視点から、自身が企画・アートディレクションを手がける番組「にほんごであそぼ」も取り上げられました。日本語の古くからの語彙の素晴らしさや、ひらがなの形の不思議さを今のこども達に伝えたいというコンセプトのアニメーションからは改めて言葉による表現の広がりを感じさせられました。

9月14日、「祈りの痕跡。」展ディレクター浅葉克己が東洋占術家の真矢茉子(まやまこ)をゲストに迎え、「トンパタロット トーク&占い」が行われました。

浅葉克己×真矢茉子


トンパタロットは浅葉と真矢が2001年に中国麗江(レイコウ)にある東巴(トンパ)文化研究所を訪れた際に偶然発見したもので、トンパ(シャーマン)は日常的に占いなどで生計を立てており、こうした占いの道具を持っているそうです。真矢が身につけていた女性トンパの衣装には、お守りの北斗七星をモチーフにした丸い刺繍が7個ついており、トンパタロットの裏面にも同じ模様がついています。カードは本来全部で33枚あるそうですが、29枚しか発見できず、さらにコピーをする際にヒューズが飛んでしまいコピー機が動かなくなったというエピソードも披露。
浅葉はこの時、トンパタロットが持つ不思議な力を確信し、残りの4枚にはとても恐ろしいことが書いてあるのではないかと思ったそうです。
トークの後は、真矢がトンパタロットによる占いを行い、来場者がトンパの世界を実際に体験。参加者はよく当たると大満足の様子でした。

トンパタロット占い


21日(日)にも、真矢茉子によるトンパタロット占いや、浅葉克己によるギャラリーツアーなどを予定しておりますので、ぜひ会場に足を運んでみて下さい。

8月23日、「祈りの痕跡。」展ディレクター浅葉克己によるワークショップ「浅葉克己のウキウキ トンパお習字教室」が行われました。

ワークショップの様子


トンパ文字は、中国西南地方麗江(レイコウ)の納西(ナシ)族のあいだで、約1,000年前から使われ続けている希少な象形文字です。お習字を始める前に、浅葉が麗江とさらに奥地のトンパ文字の本拠地である白地(ハクチ)村を訪れた際の映像を見たり、会場に展示されている浅葉作品の『トンパ教典「黒白戦争」』、実物のトンパ教典などを見て、文字への理解を深めます。納西族は自然と共に生きる世界観を持ち、特に木の文化を大切にしているそうです。今回のお題である、納西族に伝わる格言「根が丈夫なら木は倒れない。谷が深ければ泉は涸れない」はそういった世界観を表したもので、浅葉が大好きな格言のひとつだそうです。

展覧会を見た後は、いよいよお習字を始めます。まずは、筆遣いの練習として「永」の文字を書きます。この文字には、とめ、はね、はらい、楷書の全ての要素が入っていて、練習に最適だそうです。参加者の多くは久しぶりのお習字で、最初は思うように書けない人も、浅葉の指導でだんだんと滑らかな筆運びになっていきました。
次に、格言に使われているトンパ文字を一文字ずつ書いていきます。参加者に配られたお手本には、トンパ文字を美しく簡単に書けるようにと、浅葉がこの日のために考えた書き順が記されており、初めて書くのにきれいなトンパ文字が書けると好評でした。

最後は、掛け軸用の長い大きな半切紙に清書し、完成した格言を一同に並べます。ずらりと並んだ格言を前に「普段、長い時間集中して書道をする経験はなかなかないので、いい経験になったのではないか。これからも書くことを続けて欲しい。」と浅葉。参加者も実際に書くことによりトンパ文字への愛着がわき、文字の奥深さを感じたと話していました。

8月17日、「祈りの痕跡。」展ディレクターの浅葉克己によるスペシャルガイドツアーが行われました。ツアーは、居庸関のハタキで頭の埃を払うことから始まります。最初のコーナー「痕跡」では、棟梁であった神前弘が80歳から毎日つくり続けた『おじいちゃんの封筒』約700点や、ポスタービジュアルにもなっている大嶺實清の『家 〜風の記憶シリーズ〜』、木田安彦『不動曼陀羅』などに出会います。人に「怒った顔が不動明王に似ている」と言われたことから、余った絵具で自画像のつもりで描き始めたという木田の「増殖する絵画」は650点。作家は、1000点できたらまた1から描き始めようと考えているそうです。

次のコーナー「文字の世界」では、まず、浅葉が日常の出来事やアイデアスケッチを書き留めた『浅葉克己日記』を鑑賞し、7年分の日記から、浅葉の創造の軌跡を辿ることができます。杉浦康平『文字の靈力(れいりき)』では、「春」という文字を着る小袖や「福」という文字を飲む酒器など、一風変わった文字を楽しみながら、その豊かな広がりを感じられます。浅葉が吉村作治の協力で古代エジプト王の名前を重さ1トンの御影石に刻んだ『ヒエログリフ』、同じく楠田枝里子協力の『ナスカ・パルパの地上繪』などで、古代人のコミュニケーションに思いを巡らせた後は、「アジアは文字の宝庫」という浅葉が17年間中国の奥地、麗江に通い続けて研究したトンパ文字の新作『トンパ教典「黒白戦争」』が登場します。世界で唯一の「生きている象形文字」から、数千年間手書きでのみ伝えられてきた物語を読み解きます。また、今では失われたカードもあるという『トンパタロット』や、浅葉の貴重なコレクションである『トンパ教典』も、その秘められたエピソードが聞き逃せない展示品です。

この他にも、円空の「護法神」、長さ13mもある江戸時代の万能守「九重守」など、最後の展示品である服部一成『おみくじ』まで、見どころたっぷりの本展を、ディレクター自らによるユーモアあふれる解説でめぐるスペシャルガイドツアーに、参加者は大満足の様子でした。次回のスペシャルガイドツアーは、9月7日(日)を予定しています。ぜひ、ディレクター自身の解説を体験してみて下さい。

8月3日(日)、東京ミッドタウンホールにて、「知の編集者」松岡正剛と「地球文字探険家」浅葉克己によるスペシャルトーク「動く文字、定める文字」が開かれました。

浅葉克己×松岡正剛


「文字はいつも体の動きと対応している」という松岡は、文字の身体性についての考え方を披露し、「人は常に"跡"を残している。その"跡"を大事にして行くかどうかによって、文化は変わってくる」と語りました。また、「一本の線で地球を表していきたかった」という浅葉は、22歳の頃、1mmの中に10本の線を引くことに成功した秘話を公開し、「書いていると発見することがある」と、日課である書や制作日誌を紹介しました。
トークの後半では、中国の殷墟(インキョ)で発見された甲骨文字から、漢字の成立に大胆な解釈を加え、21世紀の文字の世界を切り開いたと言われる漢字学者の故白川静博士のビデオを鑑賞。300人を超える来場者は、「文字とは命がけのもの」という漢字の源流に思いを馳せました。松岡と浅葉がこれからのデザインについて議論し、手旗信号で締めくくられたトークは、大きな拍手につつまれました。

また、トークの後には、「祈りの痕跡。」展 特別関連冊子「魂跡抄(コンセキショウ)」の発売記念サイン会が行われました。松岡と浅葉がディレクションし、出展作家をはじめとした古今東西の人びとによる多様な痕跡をあつめた「魂跡抄(コンセキショウ)」は、限定1000部の発行です。ぜひ会場で、手にとってご覧ください。

魂跡抄 魂跡抄

7月20日、現在開催中の展覧会「祈りの痕跡。」のオープニングリレートーク、「『祈りの痕跡。』プロダクションノート」が開催されました。このトークは、ディレクターの浅葉克己が参加作家の大嶺實清、服部一成、石川直樹とリレー形式で展覧会開催までの足跡を辿るというもの。まずは浅葉克己が、「誰が最初にあと痕をつけたのか」という問いかけが本展の出発点になったことを披露し、展覧会開催までの濃密な準備期間の秘話を公開しました。

浅葉は、沖縄で活動する陶作家、大嶺實清のアトリエを訪ねた際、家のかたちをした小さな陶の数々に興味を引かれました。これらは、「土は原土が好き」という大嶺が、日々の制作の最後に「余った土をひょい、ひょいと、ワンタッチでぽんっと置いて、へらでぱっぱっとしただけのかたち」。沖縄に古来存在するという、生と死の中間にある「祈り」の世界のかたちを次代に伝えていきたいという、大嶺の願いをあらわした作品です。

浅葉克己×大嶺實清


グラフィックデザイナーの服部一成は、オフセット印刷の4原色(CMYK)を用いて新たな表現に取り組んだ『視覚伝達』の延長線の新作を、という浅葉克己のお題に、「吉や凶といった文字に自分の運命をゆだねるという、僕らの生活に遊びとして入り込んでいる『おみくじ』」で応じました。照明デザインの藤本晴美とともに、照明の色が変わることで作品の色調が変化するという、グラフィック史上まれに見る展示を完成させました。さて、この展覧会は、吉と出るか、凶とでるか。

浅葉克己×服部一成


冒険家として名高い石川直樹と「地球文字探険家」浅葉克己を結びつけたのは、石川による写真集『NEW DIMENSION』。この写真集から、「これこそ祈りの痕跡」という思いで、2点の写真作品を出展しました。パタゴニアの「NEGATIVE HANDS」とよばれる壁画は、今から千年以上も前に、人びとが洞窟の壁面に手を押しつけ、壁にむかって顔料を口で吹き付けてできた「手の痕跡」です。石川は、そこには「壁の向こう側の世界への祈りがあったのではないか」と考え、洞窟から見た遠い湖の写真とともに展示しました。

浅葉克己×石川直樹


文字通り、浅葉克己が脚で探した地球発アート。ぜひ会場でお楽しみください。

「地球文字探検家」浅葉克己ディレクションによる「祈りの痕跡。」展が、本日より開催されています。
本展では、"文字とは、「伝えたい」という祈りにも似た、人の強い思いの究極の形である"というアートディレクター、浅葉克己の考え方を通して、地球に残されたさまざまな表現を紹介しています。
文字通り、浅葉克己が脚で探した「祈りの痕跡」の数々をお楽しみ下さい。

また、明日午後2時より、オープニング・リレートーク「『祈りの痕跡。』プロダクションノート」が行われます。本展ディレクターの浅葉克己が参加作家の大嶺實清、服部一成、石川直樹とリレー形式で語る、展覧会開催までの秘められた足跡。 展覧会が二重、三重にも楽しめる、個性豊かなリレートークに、ぜひご参加ください。

展覧会ポスター

7月19日から開催の次回展覧会「祈りの痕跡。」展プレイベントとして、ディレクター浅葉克己によるトーク「地球文字探険!」が28日に行われました。地球文字探険家として世界中の文字の謎を追う旅をしている浅葉さんが辿り着いた文字の数々と、それらの文字たちをモチーフにした浅葉さんの作品を紹介しました。

浅葉克己


浅葉さんが文字の世界に引き込まれたのは19歳の時、「文字は実際に書かないとだめ」という書の先生の言葉に感銘を受け、「一日一圖」を目標に、筆を取って書を書くことを毎日の日課にしているそうです。「祈りの痕跡。」展ロゴや浅葉さんの数々の作品に登場する「浅葉文字」は、コンピューターのグラフィックに手書きの要素を加えて完成し、実際に書くことによって見る人により「伝えたい」という気持ちが届くという浅葉さんの思いからつくられています。
展覧会には、そうした人に何かを「伝えたい」という祈りにも似た強い気持ちが込められた痕跡の数々が出展されます。浅葉さんの痕跡である、10年分の日記も必見です。
最後は手旗信号パフォーマンスを披露し、会場は大きな拍手で包まれました。