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私が知るソットサスと倉俣さん

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展が語りかけること 第3回(最終回)

石井裕さんの倉俣メモ

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展もいよいよ佳境です。皆様にはくれぐれもお見逃しないように。
そういえば、あのMIT メディアラボの副所長、石井裕さんが倉俣ファンだということをtwitterで知って、来日中のご多忙の中、展覧会をご案内しました。当初は1時間くらい?と思っていたのが、なんと2時間びっしり。さすが科学者という視点でのご質問や感想をいただき、脳みそがシャッフルしました。後日、見学メモを送ってくれて、これがまたinteresting!一部をご覧ください。
http://twitpic.com/5dabgp

さて、このコラムも今回が最後。なので、私が知る倉俣さんとソットサスを展覧会では紹介できなかった二人のスケッチとともに記そうと思います。

愛にあふれたソットサス

1980年代、六本木AXISは日本のデザインセンター的な存在で、連日、見学にやってきた国内外のデザイナーで大賑わい。中でもソットサスは81年のAXISオープン記念に個展を開催した縁もあり、来日の度に表敬訪問してくれたのです。本展の展示作品「カールトン」は、元はAXISが所有していて、その価値を知らない私たちスタッフはずいぶんひどい扱いをしていました。

1993年のある日、AXIS誌のインタビューでいらしたソットサス(当時76歳)はずいぶん疲れていて、腰かけるなり「失礼だけど、靴を脱いでもよいですか」と聞いてきました。「もちろん、どうぞ・・・」と申し上げると、「ここは日本の我が家だし・・・、靴を脱ぐ日本の習慣は素晴らしい・・・」と一言。彼はこのインタビューで「私の行動が少女を楽ませたり、老婦人を幸せな気持ちにできれば、それで満足。立派なステートメントはいりません」と語っていたのが印象に残っています。

最後にお会いしたのは、1997年の秋頃。三宅一生さんが来日中のソットサスのお誕生会を企画されて、倉俣美恵子さんと娘のハルちゃんを含む数名が集まりました。誕生会と聞いた私はさんざん悩んだ挙句、小さなブーケを贈りました。ソットサスは「ありがとう」と受け取ってそのまま胸ポケットにさしてくださった。ハルちゃんともずいぶん仲良しでした。倉俣さん亡き後も、ソットサスは大親友の愛娘ハルちゃんに愛を与え続けていたのですね。この食事会は和やかで、幸せにあふれた会だったと記憶しています。

エットレ・ソットサスによるドローイング
エットレ・ソットサスによるドローイング

語尾が微妙だった倉俣さん

1980年代倉俣さんのオフィスは乃木坂にあって、時々、AXISの3階にあったフレンチレストランのテラスでランチをしていました。ご挨拶をすると、「こんにちは」ってたれ目でニッコリ答えてくださった。
87年だったかAXIS誌の「ニューマテリアリズム」という特集で倉俣さんに鼎談を申し込んだところ「ニューマテリアリズム・・・ね。少し考えて返事をしてもいいですか?」と言われました。即答いただけると思っていたのが、語尾が微妙だったので、「何かいけないことを言ってしまったのだろうか?」と案じたけど、鼎談は実現しました。雑誌が出てから「関さんの名前でルッキーノにボトルを入れましたから、楽しんでくださいね」とお電話があり、友人を誘って「倉俣さんからのボトルだ!!」と盛り上がったのは、つい先日のようです。88年、KAGU展で初公開された「ミス・ブランチ」。展示会場に倉俣さんがいらして感想を求められ、とっさに「美しすぎて怖い」と感想を述べたら、「そうですか・・・」と一言。その語尾がまた微妙で、私はまたまたいけないことを言ってしまったような気がして、いろいろ思いを巡らせたものです。倉俣さんの言葉も作品も饒舌ではありません。けれど、そこに現れているのは氷山の一角で、その背景には膨大な思考や想いがあることを感じさせます。

先日の6月25日は、三宅一生さんとのトークでした。控え室で雑談中、「そういえば、倉俣さんは、話が一段落ついた頃、『もう一言いいですか』って話し始めるのだけど、実はそこからが本題でね。初めから自分を主張しないところが倉俣さんの魅力だったのだと思う。ソットサスも一言に重みのある人だったなあ」と話してくださいました。私は「三宅さんもそうですよ」と言いかけて、言葉を飲み込みました。

倉俣史朗による「How High the Moon」 のためのドローイング
倉俣史朗による「L'EAU D'ISSEY 」 のためのドローイング

デザインで夢と愛を描く

そんな3人が友情を育めたのは、言葉の少なさを補って余りある「想い」を共有していたからではないか。それは展覧会ブックにも記しましたが、自主自立の精神に立つ3人の活動は、常に体制や権力とは一定の距離を置きながら、自分たちのクリエイションが人々の生命や営みを制約し、規制することに対して細心の注意を払ってきたこと。束縛されない自由と、「デザインとは何か」を問い続ける姿勢であり、人が生きていくうえで欠かすことのできない夢や愛を探求することであったのだと思います。
ITによって、コミュニケーションや創造の可能性は「進化」したけれど、はたして「深化」しているのか?そんなことも考えさせられました。

倉俣史朗とエットレ・ソットサス展、7月18日まで、横尾忠則さん、田中信太郎さんのトークなど、様々な関連プログラムもあります。二人の夢と愛の世界を心いくまでご堪能ください。

関 康子

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