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2024年11月 (4)
2024年11月3日(日)、企画展「ゴミうんち展」に関連して、トーク「ゴミうんちの地球史 Deep Time Walk」を開催しました。本展展覧会ディレクターの一人である文化人類学者の竹村眞一の話を聞きつつ地球の歴史を振り返りながら、少し葉の色づき始めたミッドタウン・ガーデンと檜町公園を歩きました。
散歩日和の秋晴れの中、ミッドタウン・ガーデンの芝生広場前からスタート。スタート地点を地球誕生の起点とし、隣接する檜町公園をぐるっと一周して戻ってくる460 mのコースを歩くことで、地球の歴史46億年の長さを体で感じようという企画です。10 m歩くと1億年経過するペースとなるので、人類が猿から分かれて直立歩行を始めたと言われる500万年前は、ゴール地点の50 cm手前となります。ただ数字を聞くだけではなく実際に体感することで、最後の最後で生まれる人類の時間がどれだけ短いか、地球の悠久の歴史が体に残って腑に落ちるだろうと竹村は説明します。
コースの途中で何度か立ち止まり、地球がどのように移り変わっていったのか、竹村はその波乱万丈な歴史について丁寧に話を進めていきます。地球は46億年前に、微惑星が衝突しながらだんだん大きくなり今のような大きさになりました。当時は表面がでこぼこで灼熱地獄の真っ赤な地球だったそうです。やがて海ができて水で覆われた青い地球になり、大陸ができて茶色い地球になり、氷に覆われて白い地球になり、ようやく現在のような緑色の地球になったのは4億年前に生物が海から地上に出てきてからのことでした。
地球の歴史は、生命が進化するたびに新しいゴミやうんちが生まれ、それをどう課題解決するかという戦いの歴史でもあったといいます。長い歴史の中では、私たちが当たり前だと思っている酸素や緑の樹木がやっかいな廃棄物だった時期もありました。「ゴミうんち展」は、自然界にはゴミもうんちも存在しないというコンセプトの展覧会ですが、地球の美しいシステムも最初からできていたわけではなく、ゴミうんちとのせめぎ合いのなかで新たなイノベーションによって循環するようになっていったのだと竹村は語りました。
地球の長い歴史を歩きながら体感し、誕生してからまだ日の浅い私たち人類が現在のゴミうんち問題とどう向き合い、地球にどう影響を与えていくのか、思いを馳せる機会となりました。
地球史や人類史におけるゴミうんち問題について詳しく知りたい方は、本展のコンセプトブック『ゴミうんち:循環する文明のための未来思考』をぜひご覧ください。
2024年10月26日(土)、企画展「ゴミうんち展」に関連して、トーク「都市の緑を歩く:建築家・造園家・研究者と散策する東京ミッドタウン」を開催しました。本展で会場構成を務める大野友資(DOMINO ARCHITECTS)、参加作家である造園ユニットveigの西尾耀輔と片野晃輔の案内のもと、自然豊かなミッドタウン周辺を実際に歩き、その後会場にてトークを行うという盛りだくさんのイベントとなりました。「建築家」「造園家」「研究者」というそれぞれの立場から空間や植生について語り合った、本イベントの様子を紹介します。
* 本イベントは、Tokyo Midtown DESIGN TOUCH 2024「TALK SALON」として開催されました
普段から面白い事象に出合うと、互いに情報を共有し合っているという大野・西尾・片野の3人。イベントのはじめに片野は「専門家とはいえ普通に生活している僕たちが普段どういった目線で街を見ているかをお伝えし、同じ事象を自分だったらどう見るか考える機会にしていただけたら。街を見る視点をお土産のように持ち帰ってほしいです」と話しました。早速、3人の先導で散策がスタートします。
今回の散策はミッドタウン・ガーデンからスタートし、檜町公園の中で大きな池を回遊して、またミッドタウン・ガーデンに戻ってくるというルートでした。 檜町公園内では、池をのぞむ東屋、藤棚、ベンチが集まる休憩所など複数のスポットで立ち止まり、石や木や道など、普段はあまり目に留めないような何気ない要素からもヒントを得て「都市の中の緑」について考察しました。
約30分の散策を終えると、一行は東京ミッドタウン内の会場に移動し、着座でのトークへと移ります。
会場では、事前に現地調査した際に撮っていた複数枚の写真を順番に見ながら、対談形式でトークが繰り広げられていきました。
はじめにスクリーンに映し出されたのは、今回の散策ルートでも地面に多数転がっていたであろう「ミミズの糞塚」を収めた写真です。ミミズの糞は、空気や水分の入る隙間がある団粒構造をしており、生き物が住みやすい環境をつくります。現在開催中の「ゴミうんち展」では、展示作品である井原宏蕗の「made in the ground -MIDTOWN」がまさにミミズの糞塚からつくられた作品となっています。
また今回の散策時にも歩いた、檜町公園内の橋を撮影した写真も映し出されました。大野は、橋は一般的には最小限の部材でどのように力を伝えるか、どれだけ長くスパンを飛ばせるかということが重要になるが、檜町公園内の橋はそのような合理性を無視した形になっていることを指摘しました。なぜそのような形になっているのか、またこの橋からどんなことがわかるか、三者三様の目線で読み解いていきます。まず大野が建築的目線として、曲がる部分が多いことで角が生まれるため、たとえ最短ルートで行ったとしても溜まり場ができ、歩く人と檜町公園の景色を眺めたい人の導線を互いに妨げないと分析しました。次に西尾が造園的目線として、檜町公園にあるような「池泉回遊式庭園」という池を中心として回遊できる庭園は、はじめに庭を楽しむための「視点場」を計画してから造られるが、今回取り上げている橋は公園内の池と川を両方見ることができる視点場としての役割を担っているのだろうと話しました。最後に片野が生物学的目線で、石畳とコンクリートの間の目地に木の葉などが落ちていることに着目し、このまま落ち葉を掃除しなければ土ができ、緑地が横断する可能性があることを伝えます。もし繋がれば、緑地がトンネルのような働きをして、一方ともう一方にある生態系が開通して結びつくこともあるだろうと語りました。
この他にも、公園内で見られる石の形や向き、東屋の屋根、舗装、水辺の環境についてなど、写真を見ながら多種多様なテーマでトークを繰り広げた3人。同じものを見ても取り上げる要素がまったく異なることに驚きを覚えつつ、その違いを楽しみ、刺激を受け合っているようです。
日常の中の些細な出来事にもなぜ?という疑問を抱き、探求することで、これまでとは異なる景色を⾒ることができると実感できるひとときとなりました。
2024年10月20日(日)、企画展「ゴミうんち展」に関連して、トーク「ゴミうんちを考える」を開催しました。本展でアートディレクターを務める岡崎智弘、企画協力の角尾 舞、会場構成を務める大野友資 (DOMINO ARCHITECTS)と、21_21 DESIGN SIGHTプログラム・マネージャーの中洞貴子が登壇し、企画の始まりから、タイトルの決定、企画チームが「ゴミうんち」をどのように考えながら展覧会をつくりあげてきたかを振り返りました。
はじめに岡崎は、2022年の秋に本展の展覧会ディレクターである佐藤 卓から「ゴミをテーマにした展覧会を一緒にやらないか」と声がかかったときのことに触れ、その後、佐藤から「ゴミうんち」という言葉が発表されたときのことを思い起こしながら、その時の衝撃について語りました。驚きと、音のおもしろさ、その言葉がもつパワーを感じたといいます。人の営みや社会、思想と密接に関わるため、視点を広げないと太刀打ちできないテーマであることにすぐに気付き、次に声をかけたメンバーが、大野でした。
大野は、岡崎の考え方や視点、おもしろいことを発見していこうとする姿勢に共感するところが多かったことから「岡崎さんが誘ってくれるなら」と参加を決めたといいます。「会場構成」という肩書であるにも関わらず、出来上がったものを空間の中でどう上手く見せるか、ではなく、どういうものを見せたいかから自分で考え、「ゴミうんち」とは何なのか、という概念から一緒に考えてつくり上げなければならないという役割に気付き、驚いたと話しました。21_21 DESIGN SIGHTの企画展はまずテーマが決まり、チームでリサーチするところから始まります。当館での展覧会に関わるのが3度目となる岡崎は、毎回つくり方が異なる21_21 DESIGN SIGHTのそのような展覧会の制作に大野を巻き込んだと話しました。
その半年後に角尾に声がかかることになりますが、それは、客観的に言葉を整理できる人が必要なタイミングだったといいます。企画チームに参加してほどなく、角尾が「この展覧会は正解を出すものではない」とはっきり言ったことがあったと中洞が振り返りました。21_21 DESIGN SIGHTは多視点を提示する場でありたいと考えていますが、企画チームは、ことさらゴミや環境問題については時に何か一つの考えやあり方を正しいとする方向に傾きがちであることを危惧していました。展覧会の議論が、例えば環境に対するグッドアクションを展示するような方向に振れはじめたところだったので、角尾がそのようにはっきりと方向性を示したことはチームにとってとても良いきっかけになったと言います。
展覧会の制作が進む中で、企画チーム各々が考える「ゴミうんち展」を発表しあったことがありました。それぞれがもつ多様な視点を洗い出すため、だれにも相談せずに自分が考えるゴミうんち展を出し合ったのです。そのときの大野の案から「糞驚異の部屋」や、サンクンコートに庭を設けることが決まっていったと振り返ります。
大野は「ゴミうんちとは何か、と、一言で説明できる言葉はない。そこで、博物館の起こりとされる『驚異の部屋』をモチーフに、ゴミうんちにまつわる情報でパンパンに埋め尽くす部屋をつくることを考えた」と説明します。「ゴミうんち」で思いつくものを皆で持ち寄り展示することで、演繹法的にぼんやりと導き出されるイメージがあるのではないか。自分なりの「ゴミうんち」像を、それぞれのバックグラウンドと重ねて結びつけられるはずだと考え、そういう部屋を展覧会の最初に持ってきたかった。これが「糞驚異の部屋」が生まれた瞬間でした。岡崎もその話を聞いたときに、これは絶対に入れるべきだと思ったと言います。
岡崎は議論が進むにつれて、これはまとまらない展覧会だと感じ始めます。まとまらないことを受け入れながら、その前提でどうデザインしていくか。まとめずにどうまとめていくかが重要だと考えたと話します。そして「ゴミうんち」というワードができたとき、「pooploop」という英語タイトルが決まったとき、それを岡崎がコマ撮りの動画にしてみたとき、それぞれの瞬間に、グイグイっと前に進んで行った感覚があったことを思い起こしました。岡崎は、展覧会のつくり方に正解がないからこそ、杭を打ってそれを頼りに前に進むことでしか、進んでいかない。その瞬間の積み重ねだったと続けます。
トークは会場構成の話に移ります。これまで展覧会の会場構成をあまり手がけたことのない大野は、展覧会の会場をつくる施工会社に、展覧会がどういう材料でどのようにつくられているかを丁寧にヒアリングしたといいます。ゴミうんち展の二つ前の企画展「もじ イメージ graphic 展」が閉幕後どう解体されるかを見学し、建築では考えられないスピードで壁が解体され、次の展覧会ができあがっていくことに驚きました。そのスピードの秘密の一つは、壁の下地になっているリースパネルというパネルの存在でした。リースパネルは展覧会の業界の中で循環して(使い回されて)います。そこで、施工会社が所有しているリースパネル300枚を借りて空間をつくり、ゴミうんち展が終わったらまた戻すという発想で会場をつくることができないかと考え始めました。
本展では既存の300枚に加え、新しいリースパネルも制作しています。本展で役目を終えるパネルもあれば、この展覧会から使い回されていくものもあります。大野には「この展覧会を通して新陳代謝を起こしたい」という考えがありました。循環をテーマにした展覧会をつくる上で、新しいものをつくることを否定することはしたくなかった、と話す大野に対して、角尾は、ゴミがテーマになると物を増やすことに対する罪悪感が先に出てしまうことがあるが、それを完全に否定すると、文化が止まってしまうことになりかねない。そうではないやり方があると模索していた、と続けました。
話は再び「糞驚異の部屋」の制作背景に戻ります。会場設営中に出るゴミも「糞驚異の部屋」で展示されることになり、岡崎は展示品を探して会場中ゴミを探し回ったといいます。また設営中に破棄される予定のものの一部はサンクンコートの作品「漏庭」の造形に使用されました。施工中も話し合いながらつくっていくことができたのは、この展覧会ならではなのかもしれない、と角尾は振り返ります。決まりきっていなかったからこそ、楽しむ余白があった。常に動いていて会期中も変わっていく、会期終了後も変わっていくだろう、という考えが浸透していた。大野は、動的平衡や、新陳代謝のように、常に動いているけど全体像は変わらない、という展覧会なんだろうと話していたと振り返りました。展覧会ディレクターの佐藤、竹村も「動き続ける展覧会にしたい」と常に言っていたと言います。
その他、エントランスバナーからタイトルが消えたこと、本展ならではのキャプションの工夫や、「pooploop popup」、会場内に散りばめられた「うんち句」など、各所に散りばめられた本展を何度でも楽しむことのできる工夫についても紹介されました。トーク参加者からは、遠方から来館したという嬉しい声も聞かれました。当館ならではの展覧会のつくりかたについて隠すことなく語られ、より深く、展覧会の成り立ちと趣旨を理解することのできる機会となりました。
2024年3月29日(金)から9月8日(日)まで開催した企画展「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」の記録映像を21_21 DESIGN SIGHT公式 Vimeoアカウントにて公開しています。
映像:渡辺 俊介