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2011年6月 (3)

6月25日、展覧会ディレクター関 康子と三宅一生によるトークが行われました。

三宅は倉俣史朗、エットレ・ソットサスの二人と友人だっただけでなく、店舗やオフィスの家具など倉俣史朗に多くを依頼、また私生活ではソットサスデザインの日常品を使い込んでおり、二人の人間性とデザインをもっともよく知る人物のひとり。そんな三宅はまず、倉俣史朗とエットレ・ソットサスの展覧会を21_21 DESIGN SIGHT で開催することになった経緯について語りました。

1991年に倉俣史朗が逝去、それからすぐにグラフィックデザイナーの田中一光も亡くなった頃、パリ・ポンピドゥーセンターで行われた「日本のデザイン」展に三宅は大きく影響を受けたといいます。日本でもデザインと日常がつながる場があるべきだと考え、各所の協力を得て2007年に21_21 DESIGN SIGHT を設立。若い世代に向けて、すでに亡くなった友人たちの仕事を紹介したい、そこから日常性や社会性を持ったデザインについて考える場になってほしいとの思いがあった、と三宅。その頃から倉俣史朗の展覧会は構想していたが、設立五年目にしてようやく実現。三宅は、デザインには回顧展はふさわしくない、倉俣の展覧会も回顧展ではなく現在進行形のものとしたかったの思いから、倉俣とソットサスの深い友情に基づくデザインをテーマに展覧会を構成してほしいと関に依頼した、と述べました。

次に、スライド画像を参照しながら、二人の仕事と三宅の仕事との接点が語られました。
三宅が倉俣の仕事をはじめに意識したのは、パリでの衣服の勉強を終え、日本に戻ってきた1971年の「カリオカビルディング」内のカフェでした。当時の喫茶店は天井が低く薄暗い名曲喫茶やシャンソン喫茶が主流で、このカフェの天井の高さ、色の強さによる印象は強烈だったそうです。
その後、イッセイミヤケとして青山の「フロムファースト」にフラッグショップを立ち上げた1976年から、内装を倉俣に依頼。パリ・サンジェルマンのショップ(1983)、ロンドンでの展覧会(1985)、銀座松屋のショップ(1983)、ニューヨークのデパート「バーグドーフグッドマン」のショップ(1984)...と倉俣による空間が増えるなかで、倉俣はさまざまな素材や手法を実現させていきました。
そのひとつは、本展でも展示されている「スターピース」。最初に見た三宅に「やられたなあ」と言わしめた、ガラスの破片を人工大理石に散らばせたこの素材は、銀座松屋の店舗で初めて試みられたものです。ニューヨークの「バーグドーフグッドマン」ではコカコーラの瓶を用いたスターピースがつくられ、アメリカの店舗ならではと考えた倉俣の遊び心がうかがえます。

切り込みを入れたスチール版を線状に引きのばしたエキスパンドメタル素材(出展作品「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」に使用)もイッセイミヤケの店舗から生まれました。

ドレープを使った三宅の作品「ウォーターフォール」。直接的な影響の少ない倉俣と三宅の仕事の中で、唯一同時期に同じモチーフが使われた例

ここで関からの、倉俣が三宅に対して制作の方向や説明のプレゼンはあったか?との質問に、三宅は倉俣に一任していたと答えました。それは倉俣の感覚を全面的に信頼していたから。中には渋谷西武(1987)のように店内を暗くしつらえたため買い物客が店の外に出て服の色を確認するといった場面もあったが、それも楽しい思い出となっている、と回想しました。
また、実は高所とガラスが苦手だという三宅。しかし神戸リランズゲイト(1986)の割れガラスを使用した店舗は非常に気に入り、ガラスへの恐怖心がなくなったとのエピソードも。

しかしデパート内の店舗の宿命として、数年で改装や入替えが行われるため、現在倉俣による内装を当時のまま見ることができるのは、イッセイミヤケ青山MENのみだそうです。
倉俣は本展で展示されているようなプロダクトだけではなくインテリアデザイナーとしても素晴らしかった、と三宅。現存するうちにぜひ倉俣の空間を体験してほしいと述べました。

そしてトークはいよいよ「もうひとつの倉俣・ソットサスデザイン」へ。
一般になかなか目にすることはできない二人のデザインの紹介です。

三宅のデザインスタジオには倉俣デザインのデスクが多くあります。倉俣による家具は美しいけれど実用的ではなかったとの評判もあるが、という関に対して、通常の事務用デスクとは一風異なるのではじめは戸惑うが、使いづらいことはなかったと三宅。サイズ感が絶妙でシンプルながらに用途をさまざまに展開できる実用性を備えていたと答えました。

一方自宅ではソットサスによるデザインのカトラリーを愛用。出展作品「カールトン」や「バレンタイン」に見られる陽気で印象的なデザインと対照的に、このカトラリーはいたってアノニマスで使いやすくデザインされています。
自宅用にカトラリーを探していたが過剰なデザインのものばかりで気に入ったものが見つけられないでいたとき、アレッシィのショーウィンドウで「しっかりとしたデザインだ」と目に入ったのが、実はソットサスによるものだったと三宅。関も、倉俣やソットサスのデザインは一見非現実的だが実用性をふまえたうえでの夢の世界の表現だ、と述べました。

トークの終盤は恒例の質疑応答。三宅に会場の参加者から質問が寄せられました。
そのうち、次の世代のクリエイターに求めることはなにか?という質問に対し、三宅は、自分のいる環境の問題について考えてほしいし、それが出発点となってほしい。ものづくりをしなければ生活は成り立たないが、これからはデザイナーだけではなく、みんなでものづくりをする時代だ。次の世代の人にはものをつくる力を自覚してほしいと述べました。

最後に関が、展覧会の作品とトーク内で紹介した「もうひとつの」作品たちを振り返り、倉俣・ソットサス・三宅のデザインに対する言葉を引用しながらトークをまとめます。

ソットサス
「デザインとは物ではなく生活に形を与えるものであり、生活や社会の空白をうめるもの」

倉俣
(本人はシャイで定義のような言葉を言いたがらなかった。これは建築家の伊東豊雄が倉俣とソットサスを指した言葉)
「何をデザインするかではなく、デザインとは何かを問いかける人」

三宅
「一枚の布、そしてその布と人間との関係を追及」

三者ともデザインについて、自由にかつ厳しく向き合ったと関。グローバリズムや情報化の波の中でのものづくりは大変な時代であるが、デザイナーは経済に助力するだけでなく、人間の未来をひらき生活の足場を固める役割がある、と述べました。

会場にはこの日、三宅が持ち込んだ倉俣によるテーブルやソファ、ソットサスのカトラリー、またこの日は会場に来ることのできなかった倉俣の友人であるイラストレーターの黒田征太郎のメッセージボードと、倉俣による子ども用チェアが特別に展示され、トークに集まった多くの来場者は、トーク終了後も二人のデザインの魅力を楽しんでいました。

6月19日、「倉俣デザインの未来を語る」と題し、倉俣史朗の作品をリスペクトする若い世代の建築家によるトークが行われました。

冒頭に展覧会ディレクターの関康子より、すでに故人となった倉俣史朗とエットレ・ソットサスの大きな業績や人間性を若い世代に知ってほしい、またその想いを引き継いでほしいとの思いから本展を企画したことが述べられました。
この後はデザインディレクターの岡田栄造が進行役となり、建築家の五十嵐淳、中山英之がそれぞれに倉俣デザインの体験を語ります。

まずは岡田、五十嵐、中山の三人が、どう倉俣の作品に出合ったか。
1970年生まれの岡田と五十嵐、1972年生まれの中山は、倉俣の晩年は大学生で、彼の仕事を現役で見ていた最も若い世代です。
卒業論文も倉俣がテーマだったという岡田は、大学に入って間もなく雑誌の特集を通じて「ミス・ブランチ」を目にし、世界的に大きな評価を得ていることを伝える記事とともに大きな衝撃を受けたと言います。
北海道出身の五十嵐は、同時期に札幌の洋書店でやはり「ミス・ブランチ」が表紙だった書籍を見つけて、理論を超えて感覚に訴える魅力を感じたそうです。
一方中山は、美術の勉強を始めたころに、美術書の専門店で椅子に関する本の中で「ミス・ブランチ」を知り、その本の中で並べられたイームズ(当時はエアメスだと思っていた)等の作品に比べて倉俣作品は謎である、という印象を受けたそうです。
三者とも「ミス・ブランチ」をきっかけに倉俣作品に出会い、その体験を衝撃からスタートさせました。

次に三人が倉俣作品をどう見ているのか、それぞれにベスト3の作品を挙げて語ります。
五十嵐のベスト3は、まず花柄のオフィスチェア(赤いバラの布ばりコクヨ椅子、1988)。これは普段よく見かけるタイプのオフィスチェアの張地を赤いバラ模様の布にしたデザイン。実は倉俣が事務什器のコンサルティングをしていたときのサンプル品で流通はされなかったそうです。しかしオフィスの中で働く人が少しでも自由を感じられるよう使用する人が張地を選べるようにと考えた倉俣の作品からは、デザインが現実にどれだけ自由をもたらすことができるかという強い意志を感じることができると述べました。二番目に選んだのはClub Juddの内装(1969)。スチールパイプを積み上げ、曲げた壁は単一素材の持つピュアな印象から逸脱しています。解釈する者の「誤読」の幅をどれだけ広く持てるか。これを五十嵐は「夢」と表現しました。
三番目は「エドワーズ本社ビルディング」の内装(1969)。蛍光灯の柱を林立させたデザインはこの後の五十嵐の作品にも影響を与えているのではないかと言います。

中山のセレクト一つ目は「Flower Vase #2」。鉄筋コンクリートを例に出し、圧縮に強いコンクリートと伸長に強い鉄を併用することで理想的な素材になったことと同じように、透明なアクリルの中にカラーのアクリルを埋めることで、カラーのアクリル単体より、より強く色を感じることができると述べました。
二番目は「64の本棚」(1972)。これはあらかじめ64に細かく区切られた棚で、使いやすさやフレキシブルの逆をゆく家具。しかし中山は、ものに主導があるような不条理が却って使い手に思考するきっかけを与えるのではないかと言います。
三番目は「ハウ・ハイザ・ムーン」(1986)。通常のソファーが皮張りや布張りであるのに対し、これはメタルのベンチ。なんのためにつくったのだろうという謎を中山は現代美術を参照しながら「ない」を表現したものではないかと述べます。倉俣が語った「一日に座っている時間より座っていない時間の方が多い」言葉を引用しながら椅子に座らないことで座ることを考えさせる椅子だとまとめました。

岡田のベスト3は、まず倉俣の代表作「ミス・ブランチ」。いわゆるモダンなデザインは装飾的要素を削除しストラクチャーのみで構成しているのに対し、「ミス・ブランチ」では表面に施すような花のモチーフを椅子の内部に埋め込み、装飾の構造化に挑んでいると述べました。「ミス・ブランチ」から20年以上たった今、様々な価値観が存在するなかで合理的なものとそうでないものの差がなくなってきているのではないかと指摘。倉俣の作品はこの光景を予見していたのではと驚くとともに、これからのデザイナーの役割について考えさせられると述べました。
二番目は「ラピュタ」(ベッド、1991)。特徴的に細長い形状から、岡田は倉俣の独特の身体性に言及しました。これについて中山は完成形の放棄に対する倉俣の責任の取り方だと述べ、五十嵐も、ベッドはこうあるものとすぐ分かる形を放棄してこそ使い手に自由を与えていると述べました。
三番目は「アモリーノ」(1990)。一見普通のキューピーですが背中の羽を動かしながら回転し、ウインクをする仕掛けになっています。通常、道具は身体の拡張手段としてデザインされているが、このキューピーはそれ自体が意志を持っているよう。無邪気でかわいいだけのはずのキューピーが「あなたをわかっています」とウインクする恐ろしさ。人型ロボットなどを参照しながら「意志を持つもの」がデザインの中に増えている現状もふまえて倉俣はここでも何かを予見していたのではないかと語りました。

トークは次に、倉俣作品とそれぞれ自身の作品との接点に展開。

五十嵐は自身の作品から「矩形の森」(2000)、「大阪現代演劇祭仮設劇場」(2005)を挙げ、これまで空間のなかで邪魔と扱われていた柱の採用、塩化ビニールによる抽象的な外壁の採用を通して使い手の方向性を決定しない空間づくりをしてきたと述べました。
これは続いて発表した中山の設計した北海道の平原でのカフェにも通ずる考えで、建築やデザインそのものに意味や用途を込めるのではなく、環境のなかで使い手が行動するための、きっかけとしてのものづくり。
中山は、この発想を教えてくれたのは倉俣だったと述べました。

さてトークはいったんここで終了。質疑応答に移ります。
トーク中に多く出た「椅子」について、登壇者のそれぞれがデザインする場合は何に注力するかという質問に対して、中山は自分が座ることと自分が座っている状態の全てに意識的でいたいと述べ、五十嵐は建物の天井など体に直接触れない部分に比べて椅子は迷う部分が非常に多いが、感覚的な問題と論理的な問題に優劣をつけずに実現させたい、一方で倉俣の椅子は無限に広がりをもっており今後も目標となるだろうと述べました。

話題がソットサスの「バレンタイン」(1969)に及んだとき、このタイプライターがデザインされた当時、タイピングは女性がオフィスでするものだったが、ソットサスはポータブルなデザインとオフィスらしからぬ赤い色でこの職業に自由を与えたエピソードが出ました。
また、倉俣が「管理者側から考えられているファシスト的なデザインは嫌だ」と述べた話から、岡田は彼らのデザインが用途や状況に束縛されたものではなく、とても「民主的」で、誰にとっても開放されたものであった、と述べ、思想的に引き継ぎながらも現在の社会と関わっていく中でわれわれはデザインを続けていく必要がある、とまとめました。

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展が語りかけること 第2回

根源的な喜びとは?

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展の主題は、「夢見る人が、夢見たデザイン」。倉俣さんの約30年、ソットサスの60年以上に及ぶ創作活動を経て辿りついた作品を通して、機能性や効率性を追求する文明としてのデザインというよりも、むしろ、人が生きるうえで欠かすことのできない愛や夢など精神性を探求する文化としてのデザインを再考すること。それは、二人が残した作品だけでなく、言葉や文章を読み込むことによって得ることのできた主題でした。

たとえば、倉俣さんのこんな言葉......
「ソットサスと出会って以来、私はある種の使命を確信しています。それは機能を実用性から切り離し、デザインにおける美と実用性の真の一体性を理解させることです。デザインにおいて、根源的な喜びが機能を超えなければならないと......」
ここにある「根源的な喜び」とは何なのでしょう?

あるいは、ソットサスもこんな言葉を残しています。
「現代文明には、アイロニー、神秘、謎、曖昧性をさけ、ありとあらゆる瞬間に、生命の中で、あらゆることについて絶対的価値を知るものだという前提があるんです。私にとって生活、生命というのは、知ることのできない問題なんです」

ITというツールを得た私たちは、世界中で起きていること、情報や知識を何でも知りたいし、理解したい......という衝動に駆られています。しかし、そのことが、果たして幸福につながるのだろうか? あるいは、白か黒か、0か1か、売れるか売れないか、勝つか負けるか、デザインがこうした土壌にのってしまっていいのだろうか?
2人の作品や言葉の中に、そんなメッセージをくみ取ってしまうのです。

会場風景
会場風景

かたちの向こう側にあるもの

三宅一生さんは、ソットサスデザインのカトラリーを愛用しています。何でもない当たり前のデザイン。ナイフとフォークと言って、だれもが思い浮かべる究極のかたちをしたもので、三宅さんは初めソットサスデザインとは知らずに、アレッシィのウィンドウにあったカトラリーの美しさに思わず足をとめてしまったそうです。そんな三宅さんに対して、ソットサスは生前、こんな話を聞かせてくれたとか。「紙コップでワインを飲んだら、ただそれだけ。クリスタル製のグラスだったら? グラスの扱いに注意するだろう。 そうした意識や振る舞いこそが大切なんだ」。そのソットサスはあるレクチャーで「デザイナーの仕事は、製品にかたちを与えるのではなく、人々の生活にかたちを与えること」と述べています。

一方、倉俣作品については、建築家の伊東豊雄さんが「倉俣作品はかたちではなく、状態を表そうとしていた。倉俣さんの作品は空間を表現していたのではないか」と語っています。二人のデザインが「かたちの向こう側にあるもの」を見つめていたのではないかと感じます。

アレッシィ社のためにデザインされたソットサスのカトラリー

さて、「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展は、倉俣さんの70年代の作品「ソラリス」とソットサスのインダストリアルデザインの名品「バレンタイン」を展示に加え、7月18日まで会期延長となり、関連プログラムをいくつか追加いたします。

6月25日はいよいよ三宅一生さんの登場です。倉俣さんの人柄とクリエイティビティに魅了され、仕事場のインテリアや家具のデザインを依頼、日常生活でも倉俣作品を愛用している三宅さんが、現物を持ち込んで雑誌などには紹介されていない「ANOTHER KURAMATA / SOTTSASS DESIGN」について、使い手という立場から語ります。そこには三宅さんだけが知っているエピソードや、倉俣史朗、そしてソットサスのもうひとつの姿があるに違いありません。
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関 康子

イッセイミヤケのオフィス

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