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かたちの向こう側にあるもの
展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展が語りかけること 第2回
根源的な喜びとは?
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展の主題は、「夢見る人が、夢見たデザイン」。倉俣さんの約30年、ソットサスの60年以上に及ぶ創作活動を経て辿りついた作品を通して、機能性や効率性を追求する文明としてのデザインというよりも、むしろ、人が生きるうえで欠かすことのできない愛や夢など精神性を探求する文化としてのデザインを再考すること。それは、二人が残した作品だけでなく、言葉や文章を読み込むことによって得ることのできた主題でした。
たとえば、倉俣さんのこんな言葉......
「ソットサスと出会って以来、私はある種の使命を確信しています。それは機能を実用性から切り離し、デザインにおける美と実用性の真の一体性を理解させることです。デザインにおいて、根源的な喜びが機能を超えなければならないと......」
ここにある「根源的な喜び」とは何なのでしょう?
あるいは、ソットサスもこんな言葉を残しています。
「現代文明には、アイロニー、神秘、謎、曖昧性をさけ、ありとあらゆる瞬間に、生命の中で、あらゆることについて絶対的価値を知るものだという前提があるんです。私にとって生活、生命というのは、知ることのできない問題なんです」
ITというツールを得た私たちは、世界中で起きていること、情報や知識を何でも知りたいし、理解したい......という衝動に駆られています。しかし、そのことが、果たして幸福につながるのだろうか? あるいは、白か黒か、0か1か、売れるか売れないか、勝つか負けるか、デザインがこうした土壌にのってしまっていいのだろうか?
2人の作品や言葉の中に、そんなメッセージをくみ取ってしまうのです。
かたちの向こう側にあるもの
三宅一生さんは、ソットサスデザインのカトラリーを愛用しています。何でもない当たり前のデザイン。ナイフとフォークと言って、だれもが思い浮かべる究極のかたちをしたもので、三宅さんは初めソットサスデザインとは知らずに、アレッシィのウィンドウにあったカトラリーの美しさに思わず足をとめてしまったそうです。そんな三宅さんに対して、ソットサスは生前、こんな話を聞かせてくれたとか。「紙コップでワインを飲んだら、ただそれだけ。クリスタル製のグラスだったら? グラスの扱いに注意するだろう。 そうした意識や振る舞いこそが大切なんだ」。そのソットサスはあるレクチャーで「デザイナーの仕事は、製品にかたちを与えるのではなく、人々の生活にかたちを与えること」と述べています。
一方、倉俣作品については、建築家の伊東豊雄さんが「倉俣作品はかたちではなく、状態を表そうとしていた。倉俣さんの作品は空間を表現していたのではないか」と語っています。二人のデザインが「かたちの向こう側にあるもの」を見つめていたのではないかと感じます。
さて、「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展は、倉俣さんの70年代の作品「ソラリス」とソットサスのインダストリアルデザインの名品「バレンタイン」を展示に加え、7月18日まで会期延長となり、関連プログラムをいくつか追加いたします。
6月25日はいよいよ三宅一生さんの登場です。倉俣さんの人柄とクリエイティビティに魅了され、仕事場のインテリアや家具のデザインを依頼、日常生活でも倉俣作品を愛用している三宅さんが、現物を持ち込んで雑誌などには紹介されていない「ANOTHER KURAMATA / SOTTSASS DESIGN」について、使い手という立場から語ります。そこには三宅さんだけが知っているエピソードや、倉俣史朗、そしてソットサスのもうひとつの姿があるに違いありません。
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関 康子