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二人が出会った『メンフィス』と80年代のデザイン

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第3回

本展を楽しんでいただくには、起点となった「メンフィス」プロジェクト、そして1980年代のデザイン状況を知っていただくことが近道かと考えます。今回はちょっとお勉強モードで。

1980年代

80年代を象徴するコンセプトは「ポストモダン」(「ポストモダニズム」とも言われる)。その言葉通り「~後、~次のモダニズム」という意味です。
20世紀初頭、それ以前の封建的な思想や社会体制に対して、人間の理性に基づいた市民社会や産業システムの実現を目指した「モダニズム」は、アートや文学、音楽などの表現活動にも大きな影響を与えました。建築やデザインも同様に、1919年ドイツ・ワイマールに起こったバウハウスの動き、ル・コルビジェやグロピウスらが起こした近代建築国際会議(CIAM)などは、合理性と機能性の追求という意味において、モダニズムを牽引する原動力であり、現在のデザインの底流にもなっています。

80年代のソットサスデザイン
Photo: Santi Caleca
80年代のソットサスデザイン
Photo: Santi Caleca

ところが第二次世界大戦をへて1970年代も後期になると、工業化が進み、合理や機能、効率を優先するあまり、画一的、均質化しすぎた社会や思想といった人々の風景に対して、モダニズムを超える価値が求められるようになりました。こうした潮流は、都市、建築、デザインにも深く静かに浸透していきました。1981年に創刊されたAXISは、第2号でポストモダニズムを特集。巻頭に「ポストモダニズムはカルチャーの復権する時代であり、自然と都市の共生を目指す時代であり(中略)、変化することの自由さであり、あらゆる形式の寛容さである。複合であり、混和であり、超越であり、遊びの時代である」と、新しいデザインの時代の到来を高らかに宣言しています。

変化を予兆した倉俣とソットサス

このような地殻変動を誰よりも早く敏感に察知していのたが、本展の主人公、倉俣さんとソットサスでした。ソットサスは、1950年代から、当時世界の先端を走っていた事務機メーカー、オリベッティ社のデザインディレクターとして、数々の名作を生み出しました。その代表が、「バレンタイン」です。その一方で、企業からのさまざまな条件をのみこまざるを得ないインダストリアルデザインとは、一線を画した創作活動も行っていました。それらは主にセラミックとガラスを素材とする一点もの。そうしたソットサスの活動を、建築家の磯崎 新氏は「デザインが、機能でもなく、効用でもなく、精神的な物体、あるいは形而上学的な観念の投影だけで意図していく可能性の地平をひらきはじめたのである」と、著書『建築の解体』で述べています。

80年代のソットサスデザイン
バレンタイン by Sottsass
Photo: Alberto Fioraventi

一方、倉俣さんもまた、60年代のアートにインスパイアされ、70年代の知的かつ感覚的操作によって生み出された数々の作品は、決して効率、量産、機能主義に主眼をおいたデザインではありませんでした。 こうして、イタリアと日本という遠い地で、「モダンデザインを超えるデザイン」「デザインとは何か」を探求し続ける二人を結びつけたのが、ソットサスが仕掛けた「メンフィス」だったのです。

メンフィス

「メンフィス」については、すでに多くのサイトがありますので、参考にしていただければと思います。ただし、ソットサスが「メンフィス」を始めた動機について、磯崎 新氏と対談の中で興味深い一説があります。「私たちとしては、(メンフィスを通してデザインを)どこまで解放できるか、例えばどこまで広いボキャブラリーを持つか、その開かれた地平を見たかったんです。そこにどれだけの現実の感覚を持ち込むことができるのかを、そしてあらゆるマテリアルは、知覚、五感、感覚の観点から言えば、同じだと。もしマテリアルに上下関係がないのならば、(中略)そこに貴賤の別はないと思ったんです。(中略、メンフィスでは)非常に下品な言葉、卑猥な言葉だけを使って、非常に美しい詩をつくるようなことをやろうとしたのです」。対して磯崎さんは「(中略)、人は美しいものはこういうものだという考えがあった。ところがあなたは突然その既成概念を砕いたんです」と述べています。

80年代のクラマタデザイン
「インペリアル」(1981)
For Memphis
80年代のクラマタデザイン
ハウ・ハイ・ザ・ムーン」(1986)by Kuramata
Photo: Mitsumasa Fujitsuka
80年代のクラマタデザイン
「ミス・ブランチ」(1988)by Kuramata
Photo: Hiroyuki Hirai

倉俣さんもまた、「メンフィス」を通してソットサスとの交流を深めながら、「既成概念を砕く」実験的かつ非日常的なデザインを数多く生み出していきます。今回の「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展では、そんな倉俣作品を堪能いただけます。
私ごとですが、この夏ミラノでたまたま入ったシューズショップの正面に「MEMPHIS INSPIRED」という文字を発見。スタッフにその意味を尋ねると、言葉通り「このショップはメンフィスにインスパイアされたデザインなんだ」とのこと。よく見ると什器や店のつくりは、確かに「メンフィス」を彷彿とさせるものでした。30年たった今でも、地元ではメンフィスが今も息づいているのですね。

メンフィスにインスパイアされたミラノのシューズショップ

また、昨年にはパリで、「メンフィス」30年を記念した展覧会「メンフィス・ブルース」なども開催されました。30年を経て、ヨーロッパでは「メンフィス」や80年代のデザインを振り返る企画がいくつかあるようです。西欧の素晴らしいところは、文化史という文脈で、建築にしろ、デザインにしろ、再考、検証し、定着させていく作業を怠らないこと。デザインや建築に関するミューゼオロジーは、日本が最も学ばなければならない部分でしょう。

80年代の日本のデザイン状況

長くなってしまったので、ちょっと端折ります。80年代は「衣・食」足りた日本人が、ようやく「住」、つまり生活の質や物のデザイン性に注目した時代でした。リビング専門のショップがオープンし、AXISをはじめとしてデザイン誌も創刊されました。1968年にGDP試算でアメリカに次ぐ経済大国となっていた日本は、80年代後期には空前のバブル経済を迎え、まさにデザインの百花繚乱状態。ちょうど、現在の中国のような感じでしょうか。世界中から著名建築家、デザイナーが訪れ、建築、インダストリアル、インテリアデザインなどのプロジェクトを手掛け、TOKYOがパリやロンドン、ニューヨークと並ぶメトロポリスに位置付けられました。クリエイティブでは、三宅一生さんをはじめとしたデザイナー、槇 文彦さん、磯崎 新さん、安藤忠雄さんら日本の建築家、そして倉俣史朗さんらが活躍の場を世界に広げ、日本のクリエイティブ・パワーをプレゼンテーションしてくれたのです。 ...ということで、今回は終了します。次回から「メイキング・オブ・展覧会」をお届けします。

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