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倉俣作品発掘レポート
展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第4回
新年おめでとうございます。「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展まで、いよいよ1カ月をきりました。今後は展覧会の「Making of」を紹介しながらオープンまでの臨場感を高めていければなと思います。今回は倉俣作品の調査の模様をお届けします。
倉俣作品発掘隊その1:2010年5月11日、イシマル倉庫
現在、倉俣作品の多くはクラマタデザイン事務所ほか、三宅デザイン事務所、イシマル(倉俣デザインの制作・施工をしていた会社)が所蔵、保管しています。なかでも、イシマルの倉庫には完成品だけでなく、実験途中のプロトタイプやサンプル、展覧会向けの一点ものなど貴重な作品が保管されているとのこと。・・・で、プロジェクトメンバー一同はさながらお宝発掘隊の様相で調査に出かけたのでありました。
小雨の降りしきるなか、関東某所にあるイシマルの倉庫へ、いざ! メンバーは、展示デザイン担当の五十嵐久枝さん、イシマル社長の石丸隆夫さん、三保谷硝子社長の三保谷友彦さん、私など総勢10名。広い倉庫にはマニア垂涎の作品が保管されています。さあ、どんな作品が眠っているのでしょうか!
木枠にきっちり収められた割れガラスの板は、1985年「東京:その形と心展」に出展されたのち、アメリカを巡回した倉俣作品。4畳半に構成された割れガラスの中央には炉が切ってあり、どうやら茶室を表現したものらしい。さらに進むと、70年代の「パイプアームチェア」や「01チェア」、80年代のブリヂストンショールームのための椅子など、目も眩むような作品の数々。そんな完成品に混ざって、「Sedia Seduta」の黄色い座の部分、テーブルの天板や足部などのパーツ、塗装や加工のサンプルが空間を埋め尽くしています。このなかから、今回の展示品を厳選していきます。
Photo: Mitsumasa Fujitsuka
Photo: Mitsumasa Fujitsuka
実際にクラマタデザイン事務所の所員だった五十嵐さん、倉俣さんのものづくりを支えていた石丸さんや三保谷さんは、その一つひとつに対する思い出やエピソードを語り合っていました。倉俣作品は、倉俣さんの一方的なアイデアだけでなく、技術の知識や素材の扱いに長けた職人や技術者との丁々発止のなかから生まれていたのですねえ。倉俣さんの思考プロセスや職人さんとのやり取りを、プロトタイプなども交えながら展覧会に仕立てても面白そうですね。今回はできませんけど・・・。
その2:2010年5月12日、都内倉庫
イシマル倉庫の次の日は晴天。今回の目的は、展覧会ブックのなかで倉俣さんの建築空間についてまとめていただく建築家の西沢大良さんと一緒に、倉庫に保管されている図面の発掘です。メンバーは、クラマタデザイン事務所の倉俣美恵子さん、息子さんでデザイナーの倉俣一朗さんなど、総勢6名。あらかじめ西沢さんからリクエストのあった図面(山荘T、カリオカビル、ISSEY MIYAKE 渋谷西武)を一朗さんが倉庫からピックアップしてくれていました。
コンピュータがない時代の図面は、1本の線、一つの文字、すべてが手書きで、倉俣さんの息遣いも感じられるよう。また、作品写真だけでは分からない、倉俣さんの空間へのこだわりや思考プロセス、線や文字に映し出される迷いや勢い・・・そうした「心象風景」が、手描きの図面から浮き上がってきます。東京工業大学の学生時代から倉俣作品に魅了されていたという西沢さんも、直筆図面を見るのは初めて。一朗さんの解説に耳を傾けながら熱心に見入っています。(東京工業大学の教授だった篠原一男さんは、住宅建築の家具の設計を倉俣さんに依頼していますよね)。その様子は図面を通して倉俣さんと対話をしているといった感じで、残念ながら建築家でもデザイナーでもない私には立ち入れない空気があって、西沢さんや一朗さんのような作り手が、ちょっとうらやましいなあと思う瞬間ですね。
さて、この図面発掘調査の結果は、展覧会ブックのなかで西沢さんに「倉俣史朗の建築について」にまとめていただきました。たぶん、倉俣さんの建築空間を真正面に解説・分析した最初の論文かと思います。ぜひ、お読みになってください。
その3:2010年7月30日、クラマタデザイン事務所
この日は、展覧会ブックの撮影も兼ねて倉俣さんのドローイング、ロードゥ・イッセイのため香水瓶のプロトタイプの発掘です。展覧会ブックの編集メンバー、カメラマン、クラマタ事務所の面々など10名ほどがひしめきあいながら、ドローイングやスライドの選定、香水瓶のプロトタイプの確認、撮影など、作業を進めます。その熱気は真夏の戸外よりも暑い!
さて、いよいよ、香水瓶の登場です。大切に木箱にしまわれ、一つひとつ丁寧に薄紙で包まれているプロトタイプたち。アルマイト製のボトル風のもの、ガラス管を渦巻状にしたもの、軽石のようなものなど、倉俣さんが楽しみながらデザインしていた様子が手に取るように伝わってきます。そして試行錯誤の結果、四角のクリスタルガラスの塊の中にぽっかり球体が浮かぶ、現在のロードゥ・イッセイのボトルの形にたどり着きます。当時は量産化が不可能だったこのアイデアが実現したのは20年後。でも、デザインのエッセンスは色褪せることなく、今も輝き続けています。一部は展覧会出展予定です。ぜひ、実物をご覧くださいね。