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トーク 「倉俣史朗と格闘した職人たち」

3月5日、倉俣史朗のものづくりの実現に欠かせない石丸隆夫(株式会社イシマル代表取締役)と三保谷友彦(株式会社三保谷硝子店代表取締役)、クラマタデザイン事務所で多くの創造の瞬間に立ち会ってきた近藤康夫(デザイナー)と五十嵐久枝(インテリアデザイナー)を迎え、素材、技術、加工について語り尽くす「倉俣史朗と格闘した職人が語る、モノづくりの現場」が行われました。

1986年にクラマタデザイン事務所に入社し「現場とともに育ってきた」という五十嵐は、オープン前日に突貫工事を行ったショップデザインの「産みの苦しみ」などを例にあげ、職人とだけでなく、クライアントとの信頼関係も強かった倉俣の姿を語りました。倉俣は、床から壁、天井、建具や家具に至るまで一枚でつくられたように見せるなど、「素材の規格や目地に捕われたくない」という思いが人一倍強かったといいます。

パレスサイドビルの看板を図面なしで制作して以来、倉俣のプラスチック作品全てを担当した石丸は、名作「ミス・ブランチ」の制作秘話を披露。当初は生花で実験をしたが、色・形ともに良い結果が出せなかったため、アクリルと相性の良い造花を探し、最終的に一番安い染料と布でつくったバラを五十嵐が見つけてきたエピソードなど、「最初から最後まで、材料を互いに集めて研究しあってきた」という倉俣との関係について語りました。

ガラスを天井や扉、棚に使う倉俣との仕事から、それまであまり興味の持てなかったガラスの仕事に「やる気が出た」という三保谷は、ガラスの緊張感を見事に表現した「硝子の椅子」や、「ガラスが一番きれいな瞬間は割れるとき」という会話から生まれた「割れ硝子」の作品群を紹介。「苦しい、悩む、でも楽しい」職人の理想と現実について話すとともに、シャレやオチが大好きだったという倉俣の人間的な一面も語りました。

70年代にクラマタデザイン事務所に務めた近藤は、プラスチックやガラス、木、金属など、素材ごとに「自分を理解したうえでいろんなことにチャレンジしてくれる人が近くにいる」状況が、倉俣にとってこの上なく心地よかったのではと語ります。何より自分のペースに巻き込むのが上手だったという倉俣から、デザインや時代において「感動」がどれほど重要か、そして作品を見た人が何を考え、どう感じるかを大切にすることを学んだといいます。

倉俣の残した言葉で印象的だったのは、「観念的にならない方が良い」(五十嵐)、「これからはガラスがアクリルの真似をする」(三保谷)、「材料に頼ってデザインしたらダメ」(近藤)、「江戸っ子で行こうね」(石丸)。トークの司会を務めた本展ディレクターの関 康子は、「デザインにおいて、根源的な喜びが機能を超えなければならない」という倉俣の言葉が展覧会をつくるうえで大切だったと語り、倉俣はその「根源的な喜び」を、生きること、そしてつくることの両方に見出していたのではないかと、熱気に満ちたトークを締めくくりました。