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「アーヴィング・ペンと私」 vol.5 平野啓一郎

9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。


人や職業の典型をとらえる収集家のような写真


──平野さんは、ペンさんよりアヴェドンの方がお好きという話を以前どこかで読んだのですが。

平野啓一郎(以下、平野): 
え?そんなこと言ってましたっけ(笑)。アヴェドンはペンのことを一生認めなかったらしいですが、まったく別の才能ですよね。
ペンの写真の世界ってコレクションの世界だと思うんです。「収集」という意味での。写真家は、多かれ少なかれコレクター気質があると思います。風景や人物をどんどんストックしていくわけですから。でも、そのなかでもペンは特に強い。僕が一番よく見たペンの作品は『Small Trades』のシリーズ。普通の町中にいる様々な職業の人のポートレートを撮っているんですが、あれをずっと見ていると昆虫標本とか、街のおもちゃキットにある消防士さんとかパン屋さんとかお肉屋さんのような、そんなものを思い浮かべるんです。全部同じ背景にして、フォーマットはまったく同じだけれどコンテンツがちょっとずつ違うものを集める、写真家の快感が写真に表れているような気がするんです。

その職業の典型を際立たせるポイントとしては「姿勢」があると思います。ペンは被写体に道具を持たせているんですよ。新聞を配るとか、バケツとか、牛乳瓶とか、カメラの前で、ある職業の典型を演じるのは難しいと思いますが、道具を持つことによって、いつもの振る舞いができる。一方で、著名人のポートレートを見ると、パン屋とかの職業ではなくそこに本人の個性が出てくる。コクトーであり、マイルスでありピカソ、同じフォーマットの中からその人そのものが浮かび上がってくる。アーティストだから自分を演じきれる、それはさすがだと思います。ペンの写真を見ているとそれがすごくよくわかるんです。

──三宅一生さんとのコラボレーションの作品でも、同じ白バックのフォーマットで多くの服が撮られています。

そうですね。「収集家」としての感覚が一生さんの作品を撮って行く時にもあったんだと思います。ペンが街で働く人を撮っている時は、すでに知られているジャンルの職業の典型をコレクションしていった、あるいはアーティストの典型的な表情を撮っていた。そういう意味では、一生さんの服はまったく見たことがなかったものなんじゃないかと思う。それを同じ白バックというフォーマットで一つずつ撮っていく時に、すごく面白かったんだと思うんですよ。だって、この服は「新種」でしょ?蝶々とかで言ったら。驚きを持ってコレクションの撮影に挑んでいたのだと思います。

──平野さんの近況を教えてください。

講談社の雑誌モーニングで小説の連載を始めました。タイトルは『空白を満たしなさい」っていうもので、よくアンケートとかテストとかで、「次の空白を満たしなさい」というのがあると思うんですが、その言葉が全体のストーリーを引っ張っていくような小説です。震災があって、親しい人が亡くなったり、突然周りに大きな空白ができたりして、生きて行くためにはその空白を満たしなさいというプレッシャーがあると思うんですが、そうすること自体がいいのかどうかということも含めて、「空白を満たしなさい」という言葉について問えればと思っています。ぜひ手に取ってみてください。

(聞き手:上條桂子)

2011年11月25日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに平野啓一郎が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「存在とかたち」の動画を見る



Keiichiro Hirano
写真:小嶋淑子

平野啓一郎 Keiichiro Hirano

小説家
1975年愛知県生れ。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、2002年発表の大長編『葬送』をはじめ、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。著書は『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』、『ド-ン』、『かたちだけの愛』『モノローグ(エッセイ集)』、『ディアローグ(対談集)』など。2011年9月1日より、『モーニング』にて長篇小説『空白を満たしなさい』連載開始。

『空白を満たしなさい』

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