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『イメージメーカー展』レポート第1回
展覧会ディレクターが展示企画について語る
7月4日(金)に開幕した企画展『イメージメーカー展』。フランスを拠点に活動するキュレーターのエレーヌ・ケルマシュターが企画に携わり、展覧会ディレクターを務める。彼女が、日仏文化交流の推進に勤しむこととなった経緯とは? そして、『イメージメーカー展』の発想はどのように生まれたのか? レポートの第1回として、エレーヌ・ケルマシュターのインタビューをお届けする。
1998年、パリのカルティエ現代美術財団で『ISSEY MIYAKE MAKING THINGS』展が開催された。そのときにアシスタントを務めたのが、エレーヌ・ケルマシュターだった。パリで美術史を学び、キュレーションと文筆業に携わることになった彼女が、初めて日本人作家と仕事をしたのがこのときだったという。
「『MAKING THINGS』展は、MDS(三宅デザイン事務所)のラボラトリーに入り込んだ感覚を体験できるような、とても斬新な展覧会でした。その企画と運営に携わり、一生さんのものづくりに対する姿勢からはとても大きな影響を受けました。私たちには現在何が必要で、未来には何が必要か。一生さんはそれを考えながら新しい制作方法を考案し、テキスタイルを開発し、デザインに対する新しい考え方を生み出し続けています。この展覧会をきっかけに、デザインやものづくりの本質的な意味を考えるようになったのです」
カルティエ現代美術財団ではその後も横尾忠則や杉本博司の展覧会を成功させ、2006年にはついに東京都現代美術館の『カルティエ現代美術財団コレクション展』の担当キュレーターとして東京に1か月滞在することになった。そして、新旧問わず日本文化への興味が深まった彼女は、2007年から在日フランス大使館員として東京に住み始める。奇しくも21_21 DESIGN SIGHT開館の年。毎回の企画展に足を運んだ彼女は、ホワイトキューブの連続とは真逆の発想で生まれた安藤忠雄による建築と、デザインの楽しさを伝えると同時に、デザインへの思考や議論を誘発する展示内容に魅了されたという。
「2012年に大使館の任務を終えてフランスに帰国したとき、すぐに今回の展示の中心作家であるジャン=ポール・グードさんと会いました。『東京であなたの展覧会を開催するなら、21_21 DESIGN SIGHTという、最適なデザイン施設がある』ということを伝えたのです。グードさんは21_21 DESIGN SIGHTの展示内容やコンセプトにとても興味を持ち、グードさんの創作活動のさまざまな側面を紹介したいという私のプランに協力してくださることになりました」
ケルマシュターは、「多くのフランス人は、日常的にグードの作品に囲まれて生活しているようなもの」だと語る。「幼い頃、私は誰が演出したのかなど気にすることもなく、赤と白のボーダーのTシャツを着た子どもが登場するコダックのTVCMに夢中になりました。やがてそのCMを手がけたのがジャン=ポール・グードというクリエイターで、驚くほど多様な創作活動に携わっていることを知りました。1989年にグードさんの演出のもと、フランス革命200周年を祝う大規模なパレードがパリのシャンゼリゼで行われたのですが、学生だった当時に私も現場で見て、本当に強烈な体験だったことを記憶しています。テレビをつければ彼が演出したTVCMが流れ、メトロには百貨店や香水などのポスターが貼られ、その高いクオリティと分野を限定しない自由な表現によって彼は人々の日常にアート表現をもたらしているのです」
グードはあるとき、「自分はアーティストと呼ばれることもあるけど、イラストレーターやデザイナーとしての制作も行っているから、あまりその自覚がない。ただどんな分野のプロジェクトでも共通して、自分は『イメージメーカー』として制作を行っている感覚があるんだ」とケルマシュターに語ったという。その『イメージメーカー』という言葉によって、彼女の視界が開けた。グードと同じスピリットを持つ作家たち、それも、文化も世代も異なる5人を呼び寄せることで、デザインとアートの現代性を提示することができるのではないか。『イメージメーカー展』の企画は、そのようにして形づくられたのだ。
ジャン=ポール・グードに加えて、三宅純、ロバート・ウィルソン、デヴィッド・リンチ、舘鼻則孝、フォトグラファーハルという作家はどのような意図でラインアップされたのか。第2回以降のレポートでは、作家インタビューにエレーヌ・ケルマシュターのコメントを交えながら『イメージメーカー展』の核に迫っていく。
構成・文:中島良平
写真:木奥恵三