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2月17日からスタートする企画展「アスリート展」。この日、展覧会ディレクターをはじめとする企画チームは「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」に集まった。ディレクターのひとりである為末大によるランニング講座を特別に受講するためだ。
春先より始動したこの展覧会ができるまでの様は、為末ら専門家たちによってまかれた"アスリートを形成する種"を、緒方と菅が新しいカタチで芽生えさせ、参加作家とともに育てていくというものだった。今回もそれら積み重ねてきたアプローチの一環で人が走るための肉体構造を体感するというものだ。
ここではこうして会期目前まで頭と身体とで"アスリート"を掘り下げてきた3名による鼎談をお届けしよう。
(構成・文: 村松 亮)
アスリートというフィルターを通して
人間を理解したい
ーーでは、みなさん簡単に自己紹介から。
菅:普段は、人間の認知のメカニズムを背景に、どうやったら新しい体験や視覚表現を生み出して社会に提案できるかというテーマで研究を行っているので、今回の展覧会のテーマでもある、アスリートという身体や心理をコントロールする象徴のような存在を紐解いていくことは、非常に興味深いです。身体や心を使いこなした結果、人はどんなことを起こせるのか、その可能性を示せればいいなと思っています。
緒方:これまで21_21の展覧会には作家として参加させてもらっていたので、今回ははじめてディレクターという立場で関わらせてもらっています。普段はTakramというクリエイティブ集団に所属していて、デザインとエンジニアリングの両方をできる人材として様々なプロジェクトに関わっていて、常日頃、専門外の新しい領域の物事を読み解いていくという作業が多いので、今回もその一環として捉えていますね。
為末:スポーツを通じて人間を理解すること。これは競技者の頃から、僕が興味をもって取り組んでいる軸みたいなものです。これまで漠然と捉えていた、スポーツの世界における疑問や違和感を今回はデザインやアートという手法で翻訳し直し伝えてみようという試み。例えば、アスリートが体験するゾーンの世界。これをどう展覧会で伝えようか、そんなディスカッションはとても新鮮でしたね。
ーーどうして競技者の頃から為末さんは「人間を理解したい」と思っていたんですか。
為末:現役時代の体験と紐付けていくと、スポーツとは、いかに自分自身をコントロールしていくか、できるかに尽きます。かと言って、すべてが自発的にあるわけではなくて、アフォーダンスじゃないですけど、外界からの影響で引き出されるものがでてくる。やる気が出て練習をすると思いきや、グラウンドに行って走り出して初めてやる気がでてくることもあって。心が先にたつのか、身体が先にたつのか。そういうこともよく考えていましたね。
菅:アスリートがどういう思考で、どういう認知で生きているのか。これまではテレビなどのメディアを通じて、断片的にしか知り得なかった要素を、デザインの力によって体験してもらうことで、きっと、アスリートに対する見方の解像度が上がると思います。それは、私自身がまさに展覧会の制作を通じて感じたことでもあります。例えば一歩歩くだけでどれだけの筋肉量を使っているのか、走る上で重心の位置を変えるだけでこれだけ速さが変わるのか。歩くという日常的に意識しない行為そのものにも発見がありました。あまりにも日常的過ぎる動作なので、意識する機会が全くないんですよね。きっとアスリートがどれだけの解像度の中で身体を操作しているのかも、スポーツ中継を見ているだけではわからない領域のことなのだと思います。
緒方:歩くこと、走ること。こうした無意識にも人間が行える行為を、アスリートの人たちは、どれだけ意識して意図したとおりに正しく動かせるか。一回、自分の中で分解して意識化したものを今度は無意識にそれができるようになるまでトレーニングを繰り返す。これがアスリートが日々鍛錬していることなんでしょうね。
ーーすべてのアスリートが自覚してプレイしているわけではないんでしょうしね。
為末:まさに自分の行為を理解できていることと、身体で表現できていることは必ずしもイコールではない。自分のやっていることを知っている選手と知らない選手がいる。そして知っているからといって必ずしもハイパフォーマスを発揮できるかというとそういうわけでもない。細部に入っていく奇跡的なタイミングで行っていることを、ガツンという感じですの一言ですべて説明してしまうこともあるので(笑)。だから、面白いし、それこそ真なり、とも思いますしね。