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企画展「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」
展覧会ディレクター 伊藤俊治インタビュー Vol. 1

2018年2月23日、企画展「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」が開幕した。展覧会ディレクターを務めるのは、数々の著書や展覧会企画で知られる写真評論家で美術史家の伊藤俊治。「写真都市」という言葉に込めた意味とは? ウィリアム・クラインが出発点となった理由とは? 展覧会ディレクターのインタビューから、企画の全体像を紐解いていく。(文・聞き手:中島良平)

「写真の誕生時期には諸説ありますが、1820年前後には写真の原型ができあがっていたと言われています。それからおよそ200年の年月が経って、写真には技術的な進化が起こり、写真独自の表現の展開も生まれてきました。21_21 DESIGN SIGHTから、ウィリアム・クラインと写真にフォーカスした展覧会を行いたいという意向を受けて、私は、これからの変化を予兆するような展覧会を実現できたら刺激的だと考えたのです」

そう語る伊藤俊治が、最初に思い浮かんだのが、1956年にクラインが衝撃的なデビューを飾った写真集『Life Is Good & Good for You in New York: Trance Witness Revels(邦題:ニューヨーク)』だった。

ウィリアム・クライン「Gun 1, New York 1955 (painted contact 2000)」

その背景には、1984年に上梓した自身初の単著『写真都市−CITY OBSCURA 1830→1980』で綴ったように、写真技術と近代都市との発展の関係性がある。

「近代都市の発生と写真の発明は、ほとんど同時期にシンクロしながら展開してきました。ニューヨークが両大戦間に変貌するプロセスをとらえたベレニス・アボットや、20世紀初頭に転換するパリを撮影したウジェーヌ・アジェなどといった写真家たちと都市の発展との関わりについて、そして、ウィリアム・クラインもまたエポックメイキングな都市ビジョンとそのイメージを作ったということを本に書きました。ニューヨークに始まり、ローマ、モスクワ、東京、パリなど世界の都市を巡って撮影した彼の刺激的なイメージは、多くの写真家やアーティストに強い影響を与えたのです」

地下ロビー展示風景

展覧会場の地下1階に足を運ぶと、最初の展示空間で目に飛び込んでくるのが、壁一面を覆うニューヨークのスカイスクレイパーの写真『Atom Bomb Sky, New York 1955』だ。林立するビルが墓標のようだと表現されることもあり、空の向こうに広がる光の輪が彼岸へと、あるいは次世紀へと誘うような強烈なイメージを伊藤は「過去も現在も未来も一つのイメージに圧縮したような感覚をもたらす」と表現する。

「まずクラインさんは膨大な数の写真を撮っていて、写真集だけでも何十冊も作っているので、写真のプリントだけを壁面に展示するような、従来の写真展の方法とは一線を画したいという狙いがありました。それで、スカイスクレイパーのイメージをメインにして、その周りに、彼が初めてデジタル撮影した最近作の『BROOKLYN+KLEIN』を初めとする写真集の現物や、実際に撮影に利用したデジタルカメラの実機などを展示しました」

企画展の出発点となったウィリアム・クラインの表現。次の展示室には、CMやMVに始まり、実験的なショートフィルムなども手がける気鋭の映像作家TAKCOMが、クラインによる数々の素材を組み合わせたインスタレーション作品を空間全体に展開する。

Vol. 2 に続く