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「横尾忠則:The Artists」から放たれるエネルギー

「緊張と不安のなかにあるときこそがアートの出番。閉塞状態を切り拓いていくことができるのが、まさにアートの創造力なのです」。21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3で10月17日まで開催中の『横尾忠則:The Artists』展に際してのインタビューで、横尾はそう語ってくれた。

カルティエ現代美術財団の主催となり、21_21 DESIGN SIGHTは特別協力として関わっている本展で紹介しているのは、同財団と関わりの深いアーティストを横尾が描いた肖像画の数々だ。これまでの作品でも横尾は、自身の姿をはじめ、三島由紀夫や谷崎潤一郎、「自身のミューズ」と述べる原 節子など、古今東西の人物を描いてきた。また、瀬戸内寂聴の新聞連載「奇縁まんだら」の挿絵として巨匠作家の姿を表現、他にも日本の作家を描く肖像画シリーズも手がけてきた。

こうした横尾がパリのカルティエ現代美術財団のゼネラルディレクターであるエルベ・シャンデスからの依頼を受け、同財団を会場として個展として作品を披露したのは2006年のこと。その後、財団と関わりの深いアーティストの肖像画を描く機会も得て、すでに100名以上の人々を描いている。アーティスト、デザイナー、建築家だけでなく、音楽家や科学者、哲学者、映画監督も含まれるなど、同財団を巡る多彩な人々の存在は何とも興味深い。

と同時に、これほどまでに幅広い人々、一人ひとりとの特色をとらえる横尾の表現世界には驚かされてしまう。作品のサイズは全て同じであるものの、表現の手法は異なり、人物名の記載の手法も大胆なほどに違っている。「同じタッチ、同じスタイルで描くというのは僕にとってはものすごく難しいというか、ほとんど不可能なのです」。本展に際してのインタビューでの横尾のことばだ。

「一人ひとり人格も違いますから、絵の様式が変わっていくのは僕にとっては自然なこと。また今回のポートレイトに限らず、僕の絵はテーマごとに表現が変わり、10点描くと10のスタイルとなる。定めた主題のもとに自身の様式を続けるアーティストとは異なり、ひとつの作品を描き終わると次の表現はがらりと変わります」

こうも語ってくれた。
「いま描いた絵がすべてとは思わず、この次の表現があるんじゃないかと。そして次を描くと、いやこれじゃない、もっと別の表現があるはず、と......」

「いかなるものごとも完成するということはありえず、どのような場合もプロセスやそのなかでの変化が大事です。人間は皆、生まれてくるときに未完の状態で生まれてきて、短い一生のなかで努力を重ねていく。絵を描くときに未完であるというのは当然のことで、未完こそが創造なのです」

ISSEY MIYAKEのパリコレクションのインビテーションを制作するなど、三宅一生とは長く親交を温めている横尾。本展では三宅の姿を描いた2枚が展示されている。(うち1枚写真左から2つ目)
昨年からのコロナ禍において横尾はアトリエで絵画制作に没頭する日々を送る。最新の肖像画は、現代アーティストとして活躍しているダミアン・ハースト。(写真左から3つ目) この作品を描く様子は、会場内で紹介しているインタビュー映像に収められている。

未完とは途切れることのない創造の力

横尾忠則は1960年、日本デザインセンターに入社。1967年の『デザイン』誌に田中一光が横尾に会った時のことを記した文章があり、横尾の自伝『ぼくなりの遊び方、行き方』でも引用されている。田中をはじめ、永井一正や宇野亜喜良らと制作を共にした日本デザインセンターを1964年に退社。その後さらにデザイナーとしての才能を発揮し、1972年にはニューヨーク近代美術館において、現存のグラフィックデザイナーとしては初めてとなる個展が開催されて注目を集めた。

そのニューヨーク近代美術館で、1980年、横尾は人生を変える出会いを経験する。訪れたピカソの展覧会を目にした2時間後、「画家になろう」と決意したのだった。前出の自伝にはこの時を振り返る次の文章も収められている。

「自由な表現が鑑賞者をここまで解き放つピカソの芸術性とは一体何者なのだろう。僕は別にピカソのようなスタイルの絵を描こうとは想わないが、でき得ればピカソのような生き方、つまり創造と人生の一体化が真に可能ならそれに従いたいと思ったのである」。「いい方を換えれば行為自体を目的とする遊びこそが、人生と芸術のなすべきことではないかと直感したのだった」

当時から40年となる現在、現在の横尾を知る好機となるのが、現在、東京都現代美術館で開催中の「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」展(2021年10月17日まで)だ。同展について本人は、『何を描くか』という主題ではなく、『いかに描くか』、いや、それともー、という曖昧さを見せたかった」と説明する。この曖昧さとは枠を設けるのではなく、可能性としてもたらされる余白のことでもあるのだろう。

そして21_21 DESIN SIGHTギャラリー3で開催中の本展でも、「常に変化は必要、作品も未完であり続けたい」と考える横尾の世界をまさに体感できる作品を目にできる。そうあるべき、といった枠を設けることとは無縁のところで、力むことなく絵筆を手にとり対象となるその人を表現することに没頭している横尾の姿が伝わってくる。グラフィックデザインとアートの枠を軽やかに超えるかのような空気にも満ち、まさに横尾の真骨頂が発揮されている。

横尾の「外部への関心」についてはかつて三島由紀夫も触れていたことがあるが、139点の肖像画からは、さまざまな出会いを歓迎し、そのつど新鮮な心でキャンバスに向かうアーティストの姿が鮮明に浮かびあがってくる。既存の枠に縛られることで大切なことを見失ってしまうことのないよう、周囲に目と心を向けることの重要性をも教えてくれる。デザインの視点を大切にするとともにジャンルの垣根を超えた対話とともにある活動を続ける21_21 DESIGN SIGHTの精神と共通する点を感じずにはいられない。

創造の力で歩み続ける人々の存在に刺激をうけ、「大切なのはプロセス。未完は創造」という心で横尾が描いた肖像画に鼓舞される。さらには「自由とは遊び」と語る横尾のユーモアの視点も作品のそれぞれに滲み出ていて、その眼ざしにも心を奪われてしまうのだ。

映像作家 岡本憲昭による映像を会場で紹介。横尾は自作マスク姿で答えてくれた。横尾がこのマスクを最初に制作したのは1969年、33歳のときだった。 横尾はまた、肖像画や写真など、かつて制作した作品にマスクをコラージュしたマスクアート「WITH CORONA」に2020年5月からとり組み、すでに800作品以上を制作。今春にはシリーズ名を「WITHOUT CORONA」に変えてさらに制作を継続している。

インタビュー映像はこちらからもご覧いただけます
展覧会の展示デザインも横尾の情熱や表現の力を伝える。本展キュレーションはカルティエ現代美術財団のエルベ・シャンデス、ベアトリス・グルニエ。

文:川上典李子
撮影:吉村昌也