21_21 DESIGN SIGHT 1周年記念講演会「デザイン・トーク」 vol.1 21_21ができるまで
2008年6月20日、21_21 DESIGN SIGHTのオープンから一周年を記念して、ディレクターの三宅一生、佐藤 卓、深澤直人の3人が揃った「デザイン・トーク」が開催されました。進行役はアソシエイトディレクター 川上典李子が務めました。トークの前には、21_21 DESIGN SIGHT設立のきっかけに関わった芸術家イサム・ノグチについて、イサム・ノグチ庭園美術館顧問である新見 隆による特別レクチャーが行なわれました。
- 川上
- 今日は大勢の皆様にお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。21_21 DESIGN SIGHTが開館して1年が過ぎました。多くの方々のご協力、ご参加をいただき、企業の皆様方のご協力もいただきながら、いま、2年目の活動を始めているところです。この1年、私たちディレクターのチームも試行錯誤を繰り返しながら、こういった場所で何をしていったらよいのかというお話を続けてきました。本日はそうしたお話を公開で行なう機会ということで進めていきたいと思います。
- 三宅
- 話がだいぶ前に遡りますが、イサム・ノグチさんのことから始めたいと思います。僕が彼の名前を初めて知ったのは、生まれ育った広島にある有名な橋がきっかけです。この橋をデザインしたのがノグチでして、高校時代に橋を渡って通学していた僕は、そこで初めてデザインとはこういうことなんだと、思ったわけなんです。それからずっと興味をもって彼の仕事を見続けるようになった。ノグチは彫刻家として有名でしたが、《AKARIシリーズ》などすばらしいプロダクトデザインもしていますので、あまりジャンルのない人だなと思って見ていました。
初めてお会いしたのは1978年のアスペンです。デザイン会議があり、僕やイサムさんも呼ばれたのです。その後、安藤忠雄さんとふたりでニューヨークの郊外にあるラトガー・ユニバーシティという学校の講演会に招かれてスピーチをしたのですが、その会場にイサムさんが来てくださった。そこで日本にはデザイン・ミュージアムがないね、という話になった。そんなことがきっかけになってイサムさんととても親しくなったんです。
当時から、同じように親しくさせていただいた方にグラフィックデザイナーの田中一光さんがいました。彼と話すうちに、「日本にはデザインが見られる場所が必要だね」という話題になりました。外国の知り合いに、日本に行ったらどこに行けばよいか、現代の日本を知りたい、日本のデザインがどこで見られるのかと聞かれたらどう答えるかと問われて、僕は「デパートかブティックへ行くしかないね」なんて言ったのです。
一光さんは僕に、「あなたらしいもの、オリジナリティのあるものをつくるということを言うけれど、新しいものは歴史をさかのぼらないとできないんじゃないか」と言い始めた。それで「じゃあ、デザイン・ミュージアムをつくろうよ」ということになって、安藤さんと行政や官庁にあちこち出かけては、デザイン・ミュージアムをつくりませんかと陳情して歩いたのです。ところがなかなか本気にしてもらえなかったんですね。これはまずいなと思っていたのです。
そうこうする一方で、2003年に朝日新聞に「造ろうデザイン・ミュージアム」を寄稿すると多方面から反響があって、ついに2005年にこの21_21 DESIGN SIGHTのプロジェクトが立ち上がったのです。
- 三宅
- いろいろな方々の尽力があり、北山孝雄さんや三井不動産の協力で東京ミッドタウン内に安藤さんの設計によるデザイン施設が実現することになりました。そこで意識したのは、この場所が個人的なものではないということです。つまり、21_21 DESIGN SIGHTは通りに面していて、公園の中にある。だから日常や生活と関連性のあるものをコンセプトに据えるべきだと思い至りました。
こういう考えを共有できるディレクターたちと一緒に仕事ができるとよいなと考え、佐藤 卓さんと深澤直人さんにお話をもちかけました。日本には優秀な方がたくさんいらっしゃいますが、幅広い分野でデザインの面白い仕事をしているということでおふたりに声をかけました。そして、川上さんは非常に愛情をもってデザインを見ていらっしゃるので、アソシエイトとして我々のサポートをお願いしました。
建築設計者の安藤さんにもずいぶん注文を出したのですが、周りの人から、安藤さんはデザイナーのいうことなんて聞かないよって言われて(笑)。まあ、そんなこんなでできあがったのが21_21 DESIGN SIGHTという場所です。
もうひとつ付け加えますと、建物ができあがっていく過程を見ていると、プロセスってすごく面白いなと。だから、我々もプロセスを大切にしようと。佐藤さんと深澤さんからも、美術館のように完成されたものをもってきて展示するのではなく、プロセスを見せる場にしませんかという話がでてきた。普通ならば隠したいところをどんどん見せるという。
さらに、我々ディレクターはデザインをやっている立場なので、デザインを中心におきながら、もっと自由に外を見ることができる視点をもつということを原則としました。
21_21 という名称も、そこが端緒になっています。パーフェクトサイト(20/20)に1プラスで21という名前になったというわけです。
vol.1 21_21ができるまで
vol.2 独自のアプローチを試みた企画展
vol.3 vol.3 21_21における「考える」「つくる」ということ