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エットレ・ソットサス随筆集 "SCRITTO DI NOTTE" より

ある晩、私たちは三宅一生さんのスタジオに行きました。夕暮れ時で、街には夕闇が迫り、明かりが灯り始めていました。冷たい風が吹き、社員は皆帰った後でした。一生さんはまだ仕事が残っていると言って、部屋から出て行きました。残った私たちは大型テレビでフィルムを少々見た後、上階にある大きくてがらんとした部屋に行きました。白くて静かで、木製の長い床板が貼ってある部屋でした。部屋の真ん中に、一人の日本人女性が身じろぎもせずに立っていました。とても美しい女性で、顔を白塗りにし、豊かな黒髪をたたえ、前髪を額に垂らし、東洋的な黒い瞳をしていました。非常に大きな、インディゴ・ブラックのドレスを身にまとっています。肩には巨大なパッドが入っていて、パンツは袋のようにゆったりしていますが、裾は足首にぴったりフィットしています。その姿は東洋の彫像や護衛の侍のようで、切腹や戦闘の装束を思わせます。偉大でエロティックな古代の女王です。彼女はバレエのようにゆっくり腕を動かし始め、徐々に向きを変えた後、再び静止しました。そして、あふれんばかりの女性らしさを自身の内にみなぎらせていました。そうしてゆっくりお辞儀をした後、広いフロアの向こう側へと去って行きました。私もまた何も言わず、身じろぎもしないままでした。実際、感動して言葉が出なかったのです。一生さんは彼特有の少年のような笑顔を浮かべて、私を見ました。「してやったり」とでも言いたげな表情でした。
その間にすっかり日が暮れて、倉俣史朗さんが到着していました。私たちは倉俣さんと一緒に、彼が設計した寿司屋に行きました。店は黒ずくめで禅の要素が感じられ、赤い脂松(やにまつ)でできた艶やかなカウンターがありました。何時間もかけてあらゆる種類の寿司を食べたほか、かにみそなど、とても変わったものも食べました。当然お酒もずいぶん飲み、酔っぱらってディスコに行ったのですが、その後どうなったかは分かりません。覚えているのは、大勢の人々で混雑した午前3時の大通りで見た光景です。何百万もの電球やネオンといったライトやタクシーのサインが、光り輝いて燃え上がる河のように見えたのです。 そしてはるか頭上にあるセメント製の高架道路が、その河を脅かしているように見えました。

完璧なものを失うということは、常に起こります。魔法を見つけられなくなってしまうということも、常に起こります。私は昔、朝早く森でラズベリーを摘んだものですが、例えばそんな時間がそれに当たります。ありふれた想い出ですが、かつて存在し、失ってしまった完璧なものに対する個人的な想い出に、とても郷愁を感じます。実際、私は個人的な郷愁に取り憑かれているとともに、遠く太古の時代まで遡る公共の歴史に対する郷愁にも、どうやら取り憑かれているようです。その理由は、特別で完璧なものの一部は既に永久に失われてしまった、ということを痛感しているからです。私たちは様々なものを捨て続け、さよならを言い続けています。多分、課題は、完璧なものを新たに創作しようと努力することでしょう。とにかくあらゆる瞬間は完璧なものであり、完璧にすることができるのだと、考える努力をすることです。つまり、永久に郷愁を感じ続けることができる完璧なものを新たに創造することこそが、永遠の課題なのです。

エットレ・ソットサス