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オープニングトーク 「ソットサスの生きた時代とデザイン」

Photo: Guido Cegani

2月5日に、オープニングトーク「ソットサスの生きた時代とデザイン」が行われました。

トークは、「シロウとエットレと一緒の、雲のようにふんわりとした幸せな思い出に満ちた東京。二人のいない東京を訪れるのは不思議でさみしい」というエットレ・ソットサスのパートナー、バルバラ・ラディーチェ・ソットサスの挨拶から始まりました。

バルバラは、半年前に出版されたソットサスの自伝から、三宅一生や倉俣史朗も登場する、東京について書かれた文章の一節を紹介しました。

続いて、イタリアデザインに詳しい佐藤和子が登壇。戦後のモダンデザインの黄金時代を経て、社会と密接に関わる建築学生だったソットサスが、古い時代の分析から新しい世界を見通し、バルバラとともに「メンフィス」を立ち上げるまでのプロセスを、時代背景や空気感を交えて解説しました。

バルバラは、「メンフィス」のルーツを60年代にまでさかのぼり、消費者主義への批判から「人々は何をするべきか、人々はなぜデザインをするのか」を徹底的に追求したソットサスの、コンセプチュアルな活動を紹介。人類の運命とは、人間の権利とは、動物が求めるものとは何かを問う、デザインと建築への長い「瞑想」を経て、ソットサスはそれを実践にうつす時を迎えます。

1980年、デザインはプロトタイプではなく、生産・販売されなくてはならないとの考えから、ソットサスは国際的なグルーブ「メンフィス」を結成。デザインの新しい考え方や可能性を探求する展覧会を続けます。「椅子ではなく新しい座り方を模索した」ソットサス。一度も立ち止まることなく、常に新しいことに挑戦し続けた彼の姿を、バルバラは次の言葉で締めくくりました。

「私はコンパスで描いた円よりも、手で描いた円に守られている―エットレ・ソットサス」



続いて会場との質疑応答。展示作品の「カチナ」については、「デザインはグッドラック(幸運)をもたらすべき」と考えていたソットサスが、ホピ族の守り神を通して未知なる世界へ一歩近づきたかったのではと語るバルバラ。プライベートでは、「優しく、強く、好奇心にあふれ、人とは違う視点や視野を持っていた。人生を楽しむことが大好きで、でも仕事がないとナーバスになるほど仕事を愛していた」人物だったそう。

「メンフィス」を主導したソットサスについてのトークにふさわしく、会場は日本語、英語、イタリア語の飛び交う国際的で温かいムードに包まれました。