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「アーヴィング・ペンと私」 vol.14 ジャン・リュック・モンテロッソ
「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせて連載中のリレーインタビュー「アーヴィング・ペンと私」。2011年は、グラフィックデザイナーの佐藤 卓に始まり写真家の加納典明まで、各界で活躍中の写真家、デザイナー、アーティスト、映画監督、小説家、ブロードキャスターなど、13名のクリエーターにご登場頂きました。一覧はこちら
本年最後となる第14回は、フランス・パリのヨーロッパ写真美術館館長、ジャン・リュック・モンテロッソのメッセージをご紹介します。ペンの友人でもあった氏の語る、特別なエピソードに触れてください。
礼儀正しさと優雅さを持ち合わせた、写真界の紳士
──アーヴィング・ペンさんとの出会いについて教えてください。
ジャン・リュック・モンテロッソ(以下、モンテロッソ):
20年前にアーヴィング・ペン氏と出会ったのはピーター・マックギル氏のおかげです。
彼の仕事には大いに敬意をもっていましたし、ペン氏は私にとって20世紀の最も偉大な写真家の一人です。全てが整理整頓された研究室とも言うべきスタジオに私を迎え入れてくれました。まずは彼のきらきら輝く強烈な眼差しに圧倒されました。1時間のインタビューが終わった時には、私は彼の礼儀正しさと優雅さの虜になりました。私にとってペン氏はまさに写真界の紳士です。そして私達はすぐに友人となりました。
──ペンさんの写真について、どのようにお考えですか?
モンテロッソ:彼の写真は彼のイメージそのままです。完璧で、バランスがとれていて、明瞭です。私が彼の名前をヨーロッパ写真美術館の展示室につけずにいられなかったのは、厳格さと美しさを追求する彼の仕事への姿勢が、見習うべき手本だと思えたからです。私達の予想に反して、ペンは画像を作り上げるのではなく、被写体をさらけ出しているのです。
──何か特別なエピソードはありますか?
モンテロッソ:それは親密な時間でした。真っ白なスタジオで、彼の妻リサ・フォンサグリヴ夫人の死から数週間後でした。彼は"妻ではなく自分が死ぬべきだったのに"と呟きながら、私の腕の中に倒れこみました。彼のように慎み深く控えめな男からすると、この涙の分かち合いはまさに心の琴線に触れる瞬間でした。
──最後に、モンテロッソさんのお仕事について教えてください。
モンテロッソ:写真は今日、革命の時期にあり美術館の館長として、私のプロジェクトは出来るだけ適切な方法で、銀板写真からデジタル写真への移行を伝えていくことです。
ジャン・リュック・モンテロッソ Jean-Luc Monterosso
ヨーロッパ写真美術館館長
大学で哲学を専攻したジャン・リュック・モンテロッソは、1996年開館したヨーロッパ写真美術館(パリ)の創設者であり、館長である。1980年に最初のパリ写真月間を、2004年にはヨーロッパ写真月間を始めた。あらゆる出版物に寄稿し、フランスだけでなく海外でも、多数の展覧会のキュレーターを務めた。
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新年は、デザイナーの吉岡徳仁のインタビューで幕を開けます。その後も、ジャスパー・モリソン、深谷哲夫、坂田栄一郎、マイケル・トンプソン、細谷巖など、充実したラインナップを予定しています。