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2017年2月 (5)
デザインを通して、日常のできごとやものごと、人びとの営みにかかわるさまざまなことを考え、世界に向けて発信し、提案を行なう場として、2007年3月に開館した21_21 DESIGN SIGHT。以来、34の展覧会を含むプログラムを開催、多くの方々に来場いただきました。
そして10周年を迎える2017年3月、開館以来の活動趣旨をさらに発展させていくため、新たな活動拠点「ギャラリー3」を開設します。
従来の「ギャラリー1」「ギャラリー2」(建物地下の2つの展示室)に続く、「ギャラリー3」では、デザインに触れるスペースとして広く一般の方へ開放するほか、デザイン関係者はもちろん、企業や教育機関、研究機関、各国の文化機関等との密な連携によって、展示やイベント、ワークショップなどさまざまなプログラムを共同で実現させていきます。
今春には「ギャラリー3」のオープニング企画として、10年間の活動をふまえつつ、デザイン、生活、社会の今後を考えるプログラムを予定しています。
2007年の開館から今日までの歩みを大切に、21_21 DESIGN SIGHTでは今後もさらに、デザインの視点で広く周囲に目を向けていく活動を継続していきます。
21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー3
オープン:2017年3月31日
設計:安藤忠雄建築研究所
展示室:109.6㎡(天井高〜4.26m)
構造:RC造一部S造 地上1階
いよいよ明日開幕となる「アスリート展」。開催に先駆け、会場の様子をお届けします。
私たちは、普段の何気ない動作のひとつひとつに生じる「反応し、考え、行動に移す」という一連のプロセスに、身体・思考・環境が相互に影響しあった知覚=センサーを張り巡らせています。アスリートは、日々の鍛錬によって身体能力を高めることはもちろん、自らのセンサーの感度を極限まで研ぎ澄ませることで、自身に起こる微細な変化に気づき、順応し、その能力を最大限に発揮すべき瞬間に、一歩一歩近づいていきます。
本展では、アスリートの躍動する身体を映像や写真で紹介するほか、体感型の展示を通して、アスリートをかたちづくる様々な側面をデザインの視点から紐解いていきます。
トップアスリートの経験を踏まえ様々な活動を行っている為末 大、デザインエンジニアの緒方壽人と研究者/映像作家の菅 俊一との3名を展覧会ディレクターに迎え、様々な分野で活躍する参加作家、企業、団体機関と協働する展覧会となります。 さらなる高みに挑み続ける「アスリート」の鼓動を是非体感してください。
Photo: 木奥恵三
2月17日からスタートする企画展「アスリート展」。これまで第1回、2回と更新してきたディレクター鼎談もいよいよ最終回。締めとなる今回は、展覧会の作品たちを通して来場者にどんなことを伝えたいのか、伝えようと思っているのか、「アスリート展」が目指すものについて話を聞きました。
(構成・文:村松 亮)
日常の動作の中に
アスリートを見出す展覧会
緒方:僕ら3人が目指してきたものって、何もこの世の中に存在していないものを見せてやろうっていうことではないと思うんです。むしろ日常の中に隠された美しさとか面白さとかを再発見して、デザインし直して伝えたい。そういう欲求の方が強いんです。
菅:アスリートにとっては当たり前なことでも、一般の人からすると、未知の領域なことがある。アスリートの方からすると、そんなこと? と思われるような常識や日常をデザインやアートの解釈で捉え直すと、きっとアスリートの方々にとっても新鮮に映るように思います。
ーーアスリートが来場した場合、どんなものを持ち帰ってくれるでしょうね。
為末:アスリート自身が自分たちの捉え方を変えることができる展覧会になると思います。会場でどんなことが起こっているのかをアスリートの目線でいうと、「スポーツの中にある日常動作との類似点を見出している」となりますし、逆に一般の人からの目線でいうと、「日常の動作の中にあるスポーツを見出している」となるわけですから。
菅:どちらにも共通していえるのは、身体がともなうことですね。
為末:それとどちらも「よく考えてみると」っていう枕詞がつくのかもしれない。あくまで無意識の領域のことを深く考えてみた、というアプローチですから。
ーー来場された方にはもし見所を伝えるならば?
緒方:21_21の展覧会のつくり方が他のギャラリーや展覧会場ともっとも違うのは、スタート時にキーワードしかないということです。その"アスリート"という言葉がひとつあって、リサーチをしていく。今回であれば大学教授から専門家から関係施設や競技者まで、膨大なリサーチを通して全体像が徐々に見えてくる。そのプロセスごと作品化して展示しているので、展示作品の何が目玉というわけでもないですし、むしろ、全体の流れとしてひとつの作品となっているのだと思います。
菅:ゴールがわかっていない。これが面白かったところですよね。分かりきったテーマで、ゴールが見えるならきっと僕らがやる必要はなかったと思いますから。未知の領域のものをデザインし直しているので、まだ誰も具現化していないものをつくっている。そして僕ら自身も会期当日を迎えるまで、できあがるのを楽しみにしているところです。
ディレクターズ紹介 3
2月17日からスタートする企画展「アスリート展」。そのディレクター鼎談の第2回目を更新。「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」にて実施された為末によるランニング講座で汗を流した直後に、アスリートが得る喜びの本質とは何かについて迫りました。
(構成・文:村松 亮)
アスリートが体感する
本能的な喜びとは
緒方:アスリートには大なり小なり、大一番というのがありますよね。それがトップアスリートとなれば、4年に1回となって、その一瞬で過ぎ去ってしまうピークに対してコンディションを整え、トレーニングを重ねていく。大歓声に包まれて、競う相手がいて、時間の制約もあって、もっとも意識しなくてはならない本番の場面で、今度はいかに無意識になって、いつも通りの力を発揮できるかという(笑)。
ーー意識的な場面でいかに無意識でやるか、と。
為末:おっしゃる通り、そんなことが実際にオリンピックや世界大会になるとあるんですね。アスリートが日々行っているトレーニングとは、意図して何かをやろうとして、うまくいったかの判定基準を振り返り、何がその結果に影響したのかを考えながら、また新しいものを試していく。そんなサイクルだと思うんです。身体の方は比較的にビデオなどもあってわかりやすいんですけど、それが心の世界となると、突然わかりづらくなります。「なんか力が出せなかった気がする」そんな曖昧な心理を振り返って、スタート前にどんな心の状態だったのかを考える。結局、掴めないで引退してしまう選手も少なくないかもしれません。掴めている選手であれば、どうもこういう風に入るとうまくいく、それを分かっていますから。正しい力を出せる心の状態があるかというと、そういうことでもないんです。
緒方:自分を知る、それ自体に長けているんでしょうね。
菅:アスリートにとっては、自己記録が出たときと、自分の身体を思った通りにコントロールできたとき、どちらの喜びが大きいんでしょうか。
為末:つまらない答えになりますけど、それもタイプによりますね。面白いのは、すごく勝ちたい。なんでもいいから勝ちたいという選手は、やっぱり勝つ。一方で勝ち負け以前に、自分自身がどこまでいけるのか、そういうことにこそ興味を持っていて自分をコントロールすることに喜びを得ている選手もいますから。そして僕が思う、アスリートが最も体感している原始的な喜びとは、"連動感"だと思うんです。例えば、駅のホームでおじさんが傘でゴルフのスウィングをしますよね? ピタっと一連の動作がハマると快感だったりします。できなかったことができるようになる瞬間もそうですし、何かこうしっくりきたときに感じる、生き物としての純粋な喜びみたいなもの。究極、みながそれを求めていくのではないかって思うんです。
菅:そうした原始的な喜びがないと、何事も続けられないですよね。そもそも本能的な喜びがベースにあって、だんだん喜び自体が、競争による勝ち負けといったような社会性を帯びていくわけですが、きっとその先には、また徐々に本能的な喜びにシフトしていくときがくるんでしょうね。
ディレクターズ紹介 2
2月17日からスタートする企画展「アスリート展」。この日、展覧会ディレクターをはじめとする企画チームは「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」に集まった。ディレクターのひとりである為末大によるランニング講座を特別に受講するためだ。
春先より始動したこの展覧会ができるまでの様は、為末ら専門家たちによってまかれた"アスリートを形成する種"を、緒方と菅が新しいカタチで芽生えさせ、参加作家とともに育てていくというものだった。今回もそれら積み重ねてきたアプローチの一環で人が走るための肉体構造を体感するというものだ。
ここではこうして会期目前まで頭と身体とで"アスリート"を掘り下げてきた3名による鼎談をお届けしよう。
(構成・文: 村松 亮)
アスリートというフィルターを通して
人間を理解したい
ーーでは、みなさん簡単に自己紹介から。
菅:普段は、人間の認知のメカニズムを背景に、どうやったら新しい体験や視覚表現を生み出して社会に提案できるかというテーマで研究を行っているので、今回の展覧会のテーマでもある、アスリートという身体や心理をコントロールする象徴のような存在を紐解いていくことは、非常に興味深いです。身体や心を使いこなした結果、人はどんなことを起こせるのか、その可能性を示せればいいなと思っています。
緒方:これまで21_21の展覧会には作家として参加させてもらっていたので、今回ははじめてディレクターという立場で関わらせてもらっています。普段はTakramというクリエイティブ集団に所属していて、デザインとエンジニアリングの両方をできる人材として様々なプロジェクトに関わっていて、常日頃、専門外の新しい領域の物事を読み解いていくという作業が多いので、今回もその一環として捉えていますね。
為末:スポーツを通じて人間を理解すること。これは競技者の頃から、僕が興味をもって取り組んでいる軸みたいなものです。これまで漠然と捉えていた、スポーツの世界における疑問や違和感を今回はデザインやアートという手法で翻訳し直し伝えてみようという試み。例えば、アスリートが体験するゾーンの世界。これをどう展覧会で伝えようか、そんなディスカッションはとても新鮮でしたね。
ーーどうして競技者の頃から為末さんは「人間を理解したい」と思っていたんですか。
為末:現役時代の体験と紐付けていくと、スポーツとは、いかに自分自身をコントロールしていくか、できるかに尽きます。かと言って、すべてが自発的にあるわけではなくて、アフォーダンスじゃないですけど、外界からの影響で引き出されるものがでてくる。やる気が出て練習をすると思いきや、グラウンドに行って走り出して初めてやる気がでてくることもあって。心が先にたつのか、身体が先にたつのか。そういうこともよく考えていましたね。
菅:アスリートがどういう思考で、どういう認知で生きているのか。これまではテレビなどのメディアを通じて、断片的にしか知り得なかった要素を、デザインの力によって体験してもらうことで、きっと、アスリートに対する見方の解像度が上がると思います。それは、私自身がまさに展覧会の制作を通じて感じたことでもあります。例えば一歩歩くだけでどれだけの筋肉量を使っているのか、走る上で重心の位置を変えるだけでこれだけ速さが変わるのか。歩くという日常的に意識しない行為そのものにも発見がありました。あまりにも日常的過ぎる動作なので、意識する機会が全くないんですよね。きっとアスリートがどれだけの解像度の中で身体を操作しているのかも、スポーツ中継を見ているだけではわからない領域のことなのだと思います。
緒方:歩くこと、走ること。こうした無意識にも人間が行える行為を、アスリートの人たちは、どれだけ意識して意図したとおりに正しく動かせるか。一回、自分の中で分解して意識化したものを今度は無意識にそれができるようになるまでトレーニングを繰り返す。これがアスリートが日々鍛錬していることなんでしょうね。
ーーすべてのアスリートが自覚してプレイしているわけではないんでしょうしね。
為末:まさに自分の行為を理解できていることと、身体で表現できていることは必ずしもイコールではない。自分のやっていることを知っている選手と知らない選手がいる。そして知っているからといって必ずしもハイパフォーマスを発揮できるかというとそういうわけでもない。細部に入っていく奇跡的なタイミングで行っていることを、ガツンという感じですの一言ですべて説明してしまうこともあるので(笑)。だから、面白いし、それこそ真なり、とも思いますしね。