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ゴミうんち展 (4)

2024年10月20日(日)、企画展「ゴミうんち展」に関連して、トーク「ゴミうんちを考える」を開催しました。本展でアートディレクターを務める岡崎智弘、企画協力の角尾 舞、会場構成を務める大野友資 (DOMINO ARCHITECTS)と、21_21 DESIGN SIGHTプログラム・マネージャーの中洞貴子が登壇し、企画の始まりから、タイトルの決定、企画チームが「ゴミうんち」をどのように考えながら展覧会をつくりあげてきたかを振り返りました。

左から、中洞、岡崎、大野、角尾。

はじめに岡崎は、2022年の秋に本展の展覧会ディレクターである佐藤 卓から「ゴミをテーマにした展覧会を一緒にやらないか」と声がかかったときのことに触れ、その後、佐藤から「ゴミうんち」という言葉が発表されたときのことを思い起こしながら、その時の衝撃について語りました。驚きと、音のおもしろさ、その言葉がもつパワーを感じたといいます。人の営みや社会、思想と密接に関わるため、視点を広げないと太刀打ちできないテーマであることにすぐに気付き、次に声をかけたメンバーが、大野でした。

大野は、岡崎の考え方や視点、おもしろいことを発見していこうとする姿勢に共感するところが多かったことから「岡崎さんが誘ってくれるなら」と参加を決めたといいます。「会場構成」という肩書であるにも関わらず、出来上がったものを空間の中でどう上手く見せるか、ではなく、どういうものを見せたいかから自分で考え、「ゴミうんち」とは何なのか、という概念から一緒に考えてつくり上げなければならないという役割に気付き、驚いたと話しました。21_21 DESIGN SIGHTの企画展はまずテーマが決まり、チームでリサーチするところから始まります。当館での展覧会に関わるのが3度目となる岡崎は、毎回つくり方が異なる21_21 DESIGN SIGHTのそのような展覧会の制作に大野を巻き込んだと話しました。

その半年後に角尾に声がかかることになりますが、それは、客観的に言葉を整理できる人が必要なタイミングだったといいます。企画チームに参加してほどなく、角尾が「この展覧会は正解を出すものではない」とはっきり言ったことがあったと中洞が振り返りました。21_21 DESIGN SIGHTは多視点を提示する場でありたいと考えていますが、企画チームは、ことさらゴミや環境問題については時に何か一つの考えやあり方を正しいとする方向に傾きがちであることを危惧していました。展覧会の議論が、例えば環境に対するグッドアクションを展示するような方向に振れはじめたところだったので、角尾がそのようにはっきりと方向性を示したことはチームにとってとても良いきっかけになったと言います。

展覧会の制作が進む中で、企画チーム各々が考える「ゴミうんち展」を発表しあったことがありました。それぞれがもつ多様な視点を洗い出すため、だれにも相談せずに自分が考えるゴミうんち展を出し合ったのです。そのときの大野の案から「糞驚異の部屋」や、サンクンコートに庭を設けることが決まっていったと振り返ります。

大野は「ゴミうんちとは何か、と、一言で説明できる言葉はない。そこで、博物館の起こりとされる『驚異の部屋』をモチーフに、ゴミうんちにまつわる情報でパンパンに埋め尽くす部屋をつくることを考えた」と説明します。「ゴミうんち」で思いつくものを皆で持ち寄り展示することで、演繹法的にぼんやりと導き出されるイメージがあるのではないか。自分なりの「ゴミうんち」像を、それぞれのバックグラウンドと重ねて結びつけられるはずだと考え、そういう部屋を展覧会の最初に持ってきたかった。これが「糞驚異の部屋」が生まれた瞬間でした。岡崎もその話を聞いたときに、これは絶対に入れるべきだと思ったと言います。

「糞驚異の部屋」展示検証中の様子。

岡崎は議論が進むにつれて、これはまとまらない展覧会だと感じ始めます。まとまらないことを受け入れながら、その前提でどうデザインしていくか。まとめずにどうまとめていくかが重要だと考えたと話します。そして「ゴミうんち」というワードができたとき、「pooploop」という英語タイトルが決まったとき、それを岡崎がコマ撮りの動画にしてみたとき、それぞれの瞬間に、グイグイっと前に進んで行った感覚があったことを思い起こしました。岡崎は、展覧会のつくり方に正解がないからこそ、杭を打ってそれを頼りに前に進むことでしか、進んでいかない。その瞬間の積み重ねだったと続けます。

トークは会場構成の話に移ります。これまで展覧会の会場構成をあまり手がけたことのない大野は、展覧会の会場をつくる施工会社に、展覧会がどういう材料でどのようにつくられているかを丁寧にヒアリングしたといいます。ゴミうんち展の二つ前の企画展「もじ イメージ graphic 展」が閉幕後どう解体されるかを見学し、建築では考えられないスピードで壁が解体され、次の展覧会ができあがっていくことに驚きました。そのスピードの秘密の一つは、壁の下地になっているリースパネルというパネルの存在でした。リースパネルは展覧会の業界の中で循環して(使い回されて)います。そこで、施工会社が所有しているリースパネル300枚を借りて空間をつくり、ゴミうんち展が終わったらまた戻すという発想で会場をつくることができないかと考え始めました。

会場に運び込まれたリースパネル。

本展では既存の300枚に加え、新しいリースパネルも制作しています。本展で役目を終えるパネルもあれば、この展覧会から使い回されていくものもあります。大野には「この展覧会を通して新陳代謝を起こしたい」という考えがありました。循環をテーマにした展覧会をつくる上で、新しいものをつくることを否定することはしたくなかった、と話す大野に対して、角尾は、ゴミがテーマになると物を増やすことに対する罪悪感が先に出てしまうことがあるが、それを完全に否定すると、文化が止まってしまうことになりかねない。そうではないやり方があると模索していた、と続けました。

話は再び「糞驚異の部屋」の制作背景に戻ります。会場設営中に出るゴミも「糞驚異の部屋」で展示されることになり、岡崎は展示品を探して会場中ゴミを探し回ったといいます。また設営中に破棄される予定のものの一部はサンクンコートの作品「漏庭」の造形に使用されました。施工中も話し合いながらつくっていくことができたのは、この展覧会ならではなのかもしれない、と角尾は振り返ります。決まりきっていなかったからこそ、楽しむ余白があった。常に動いていて会期中も変わっていく、会期終了後も変わっていくだろう、という考えが浸透していた。大野は、動的平衡や、新陳代謝のように、常に動いているけど全体像は変わらない、という展覧会なんだろうと話していたと振り返りました。展覧会ディレクターの佐藤、竹村も「動き続ける展覧会にしたい」と常に言っていたと言います。

その他、エントランスバナーからタイトルが消えたこと、本展ならではのキャプションの工夫や、「pooploop popup」、会場内に散りばめられた「うんち句」など、各所に散りばめられた本展を何度でも楽しむことのできる工夫についても紹介されました。トーク参加者からは、遠方から来館したという嬉しい声も聞かれました。当館ならではの展覧会のつくりかたについて隠すことなく語られ、より深く、展覧会の成り立ちと趣旨を理解することのできる機会となりました。

2024年10月18日(金)、企画展「ゴミうんち展」に関連して、本展参加作家である井原宏蕗、また参加作家であると同時に本展の企画協力を務める狩野佑真と吉本天地によるギャラリーツアー「井原宏蕗×狩野佑真×吉本天地」を開催しました。

動物の糞から彫刻作品を制作する井原宏蕗、錆や下水処理汚泥の新たな可能性を提示する狩野佑真、繊維でつくられた苔のインスタレーションや純天然染色の衣服を制作する吉本天地、自然や生物の循環を考察する3人が、参加者とともに実際に会場を周り、自他の作品を超えて展覧会全体を俯瞰しながら解説するツアーとなりました。

最初のロビーにある作品のうち、一行が目に留めたのは井原宏蕗「cycling -black dog-」。等身大の犬が形づくられた彫刻作品ですが、驚くことにその主な構成要素は「犬の糞」です。井原は、動物の糞を漆でコーティングし、乾漆という技法を用いながら糞を接着してその動物の形をつくり出すシリーズを制作しています。作品をつくったきっかけを問われると、井原は、「糞は排泄したあとは忘れられてしまうものですが、その日のコンディションなどに強く関わっていていろんな情報が詰まっています。また動物によって形状が違うのもすごく生々しくて、糞一個一個を見ていると動物がつくった彫刻のように思えました。それを身体に戻してあげたいと考えて作品をつくったのです」と話しました。

左から、吉本、狩野、井原

続いてギャラリー1に入ると、天井まで高く続くパネルに膨大な数のさまざまな「ゴミうんち」にまつわるものが展示されています。壁一面にある700種以上の品々に、参加者も圧倒されている様子。作家3人と一緒にミミズの糞でできたジュエリーやぐるぐる巻いた木の枝、ワニの剥製、サルノコシカケなどを見ることで、世界を構成する「循環」を再認識し、ゴミうんちについての思考を深めるヒントを探ります。

歩みを進めてギャラリー2に入ると、「ゴミうんち」という新しい概念を元に、新たな循環や価値の考察・提案を行う作品の数々が展示されています。

劣化の象徴として普段は忌み嫌われる存在である「錆」に焦点を当てたのが、狩野佑真「Rust Harvest|錆の収穫」です。狩野は、川崎の工業地帯の中に自身のスタジオを構えていたときに、この環境を活かして作品をつくれないかと考えてシャッターの錆に着目したと言います。錆の模様をどうにか残そうと、最初は錆と鉄板を透明な樹脂に封入する方法を試みましたが、結果的には型枠に穴が空いて流れ出てしまい大失敗。落胆してその失敗作を何気なく剥がしていると、錆の粒子だけが鉄板から樹脂側にくっついてくることに気づき、驚きを覚えます。偶然生まれたものでしたが、実験を繰り返すことで安定的に生まれるようになり、現在の作品に繋がっているのです。「元々価値がないと思われているものの価値を見出し、それが面白さ・美しさに気づくきっかけになればと思っていつも制作しています」と狩野は語ります。

続いて、ギャラリー2に限らず会場全体に点在している苔のようなインスタレーションにも目を向けます。「気配 - 覆い」というタイトルが付けられたこれらは吉本天地の作品で、すべて手編みのニットでできています。元々は本物の苔を使ってインスタレーションを行っていた吉本でしたが、美術館で展示をするようになり、館内に有機物を持ち込めないためすべて繊維に置き換えて表現し始めました。今回の展覧会でも、会場内にどう苔が生えるか、どこに苔が生えそうかを自身の感覚・感性で考えて随所に散りばめています。人工物と自然物が曖昧になっていくきっかけとして、境界をなくしていくという重要な役目を担っています。

吉本はこう言います。「会期中に苔を増やしたり、移動させたりと、たまに来たときにケアしています。会場に来ると『ここには生えるはずだな』という場所を見つけたりして、置かなければならないという気持ちになります。」これに対して井原が「生きてる展覧会ですね」と発言すると、続けて狩野も「展示全体として常に変化して、動いている。一般的には展示室に収まったらそこが完成ということがほとんどだと思いますが、今回はそうではないようにしよう、というのも企画チームで話していたテーマの一つでした」と話しました。

撮影:木奥恵三

ギャラリー2の奥の廊下を抜けるとツアーも終盤です。吉本が最後に参加者に伝えたのは、作家3人は、それぞれ錆・糞・苔などと扱う素材に個性はあれど、日常生活の中にあるものを切り口にまったく別の世界に展開していくという点では視点が重なるということ。同年代の3人が互いの活動から刺激を受け合う様子も多く見られ、いつもと違う視点で日常を見る楽しさを分かち合う機会となりました。

2024年9月27日、いよいよ企画展「ゴミうんち展」が開幕します。

世界は循環しています。ひとつのかたちに留まることなく、動き続け、多様に影響し合い、複雑に巡っています。その結果、いわゆる自然界においては、ゴミもうんちもただそのまま残り続けるものはほとんどありませんでした。しかし、いま人間社会では、その両者の存在は大きな問題となっていますし、文化的にもどこか見たくないものとして扱われています。

本展では、身の回りから宇宙までを見渡し、さまざまな「ゴミうんち」を扱います。そして、ゴミうんちを含む世界の循環を 「pooploop」 と捉えます。これまで目を背けてきた存在にもう一度向き合うと、社会問題だけではないさまざまな側面が見えてきました。決して止まることのないこの世界。欠けていたパーツがピタリとはまると、きっと新たなループが巡りはじめます。

ここでは会場の様子を写真で紹介します。

会場風景(ギャラリー2)
会場風景(ギャラリー1)
「糞驚異の部屋」
会場風景(ギャラリー2)
会場風景(ギャラリー2)
会場風景(ギャラリー2)
蓮沼執太「pooploop un-copositions」
会場風景(ギャラリー2)
松井利夫「サイネンショー」
会場風景(ギャラリー2 出口)
吉本天地「気配 - 存在」
会場風景(ロビー)
竹村眞一「未来を覗く窓」

撮影:木奥恵三/Photo: Keizo Kioku

デザインを通じてさまざまなものごとについてともに考え、私たちの文化とその未来のビジョンを共有し発信していくイベントシリーズ、21_21 クロストーク。今回はその第7回として、2024年7月21日(日)に、東京ミッドタウン・デザインハブにて展覧会ディレクターズバトン「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」×「ゴミうんち展」を開催しました。

9月8日(日)まで開催する企画展「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」の展覧会ディレクター山中俊治と、9月27日(金)から始まる企画展「ゴミうんち展」の展覧会ディレクター佐藤 卓、竹村眞一が登壇し、モデレーターは両展覧会で企画協力を務める、デザインライターの角尾 舞が務めました。

左から、佐藤、竹村、山中

まずはじめに山中から「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」の概要を紹介しました。

本展は科学者とデザイナーが出会うことで生まれる「未来のかけら」をテーマにしています。特に企業においては、研究者が開発した新しい技術や素材はデザイナーと共に商品化され、最終的に製品やサービスという形で私たちのもとに届きます。山中はいつも、そのように研究者とデザイナーが出会い、新しい技術や素材を前にして盛り上がった瞬間が最高におもしろいと考えてると話し、製品になる以前の、通常は公開されないそのような瞬間を発表する活動を、仲間たちと共に20年ほど前から始めていると話しました。

本展の開催のきっかけは、2022年に東京大学生産技術研究所にて、山中の退官前最後の展覧会として開催された「未来の原画」展に佐藤が訪れたことでした。トークでは佐藤が展示作品でもある「自在肢」を特別に体験する様子が動画で紹介されました。「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」はその企画をさらに広げ、デザイナー・クリエイターと科学者・技術者を新たに出会わせて制作された作品を加えたものです。

佐藤が「自在肢」を体験する様子を紹介。左から、山中、角尾

佐藤は、本展を鑑賞した感想として、小さな頃に虫を探していたこと、枝一本でどう遊ぶかを触っているうちに発見すること。そんな、日頃忘れがちなことを思い出させてくれた気がすると述べました。

山中は、科学とは「おもしろい」「不思議」「なんでだろう」と感じる体験がベースになっていることに間違いないといいます。例えば川に葉っぱを流してみるように、なんの役に立つかはわからないけれど、おもしろがって何かをやってみること、やってみて「すごい!」と思う瞬間を体験することが基本にあるといい、自身も60年間ずっとそんなことをやってきている気がすると話しました。そして、学校では学生たちにも常に、何の役に立つかを考えるのを一回やめて、なんかワクワクする、なんか惹かれる、引っかかる、という気持ちを大事にして研究してみてほしいと伝えている。何の役に立つかは、やっているうちに見つかるもの。とりあえず役に立たないものをつくろうと伝えていると言います。

竹村が感想を続けます。竹村と21_21 DESIGN SIGHTとの関わりは、2007年に佐藤 卓ディレクションの企画展「water」にコンセプト・スーパーバイザーとして関わったことから始まります。「water」は、水をテーマにした企画展というより、水という視点で世界を捉え直すという企画だったと当時を振り返ります。その7年後には「コメ展」で、今度は展覧会ディレクターという立場で佐藤と共に展覧会を企画し、佐藤と竹村が率いる企画展は今回が3回目となります。

竹村は、山中が骨の美しさを愛でるのみならず、義手義足にしてもそうだが、自分の手でデザインをしているという点について触れました。生命の構造や機能に匹敵しうるものを目指してつくっているのだと思うと言い、人間はつくることでより深く理解する生き物だと思うと話しました。

科学やデザインの営みも、現在の技術が生命を模した機械までつくれるようになったからこそ、自然や生命のすごさを改めて思い知らされ、気付かされていると話しました。そして、つくることは、より深く理解すること。「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」の展示作品は、全てその営みであるように感じると続けました。

話題は科学者とデザイナーにとっての「美」に移ります。山中は、つくってみて初めてわかることがすごく多いと話し、ありとあらゆる自然の美しさは、生命の生存機能に依存している。美とはそういうものだと思っている、と続けます。つまり、根本的には自然には機能美しか存在しない。私たちが美しいと思うものは、基本的には生命が生き残るためにつくってきた模様や形なのだと説明しました。

折り紙や螺旋、言語やDNAなども例に挙げながら、竹村は、複雑系科学がデザインにもたらしたことはある意味革命的であると続けます。山中は、科学者が美しいと思っている瞬間はなかなか簡単には伝わらない。本展ではそれをうまく伝えたいと考えたと説明しました。

続いて佐藤と竹村が「ゴミうんち展」の企画主旨について説明します。21_21 DESIGN SIGHTは日常における様々なものごとをテーマに展覧会を開催しています。まずテーマを見つけて、何ができるかを探っていくという実験的な場でもあります。今回佐藤がテーマとして扱いたいと考えたのが「ゴミ」でした。グラフィックデザイナーとして大量生産品のデザインに関わっていて、大量に資源を使い、それが大量にゴミ箱に捨てられることになることから、佐藤の頭の中には常に「ゴミ」の問題があり、どうすればいいかと考えていました。デザイナーもそうした視点を持たなければならないと考えて、2001年から「デザインの解剖」というプロジェクトを個人的にスタートさせました。まずは目の前にあるものがどうやってできているのかを、デザインの視点で徹底的に解剖し、知るところから始める。そして、どうできているかを知った後は、それがどこにいくのかを考える必要があります。

21_21 DESIGN SIGHTとして独自の視点で何かできないか、デザインの視点で、考えるきっかけをつくることができないだろうかと、佐藤は竹村に声をかけました。するとすぐさま竹村から「ゴミ」「うんち」「CO2」という三つのワードが出てきたのです。「CO2」の存在は随分前から社会的に問題となっていますが、ゴミとうんちがくっついた「ゴミうんち」というフレーズに、佐藤はビビビと衝撃を受けたと話します。そして話はどんどん広がり、非常におもしろいと感じたと話しました。佐藤は、山中と同じように竹村も非常に前向きに課題を捉え、それに対して具体的に人は何ができるかを前向きに語ってくれたと言います。

続けて竹村は、ゴミうんちの問題は自分にとっては「未開」そのものだと話しました。江戸時代にはゴミをアップサイクルして、100万都市を運営した実績があるのに、そこから相当後退している。窒素やリンをリサイクルしていたことも、数値をもって再評価されているにもかかわらず、人間の社会や文明は前進するばかりではないと説明します。現代は排泄物は水で流して忘れられるし、非常に便利だが、排泄物は長い「社会の腸管」を通って遠くに運んで処分しているだけで、希少な資源であるにも関わらずリサイクルできていない点で、未開の文明だと話しました。

自然が最初から完璧だったかというと、実はそうでもないことが、地球の歴史が紐解かれるにつれ明らかになってきています。廃棄物を再利用するような地球規模でのイノベーションはこれまで度々起こり繰り返されてきました。廃棄物問題をクリエイティブに解決してきた積み重ねの結果であるともいえます。忘却の対象にしてきたうんちは、腸内細菌層の宝庫として、「ブラウンジェム(茶色い宝石)」とも言われ、再評価されています。次の地球の循環OSを更新することが、私たち人類に今託されているミッションだと、竹村は説明します。そのメインテーマの一つが「ゴミうんち」であり、これからの5年、10年の最初の一歩になればいいと続けました。

山中は2007年の企画展「water」を振り返ります。「water」では、水について壮大な視点で語るところから、水滴のかわいさを語るところまでと、そのコントラストがすごかった。それが展覧会の幅を広げていることを、二人の話を聞きながら思い出したと話しました。牛丼一杯をつくるのに、2,000リットルもの水が使われているという展示がありましたが、その視点がとてもわかりやすいビジュアルで示されていました。「ゴミうんち展」もそのように、フィジカルでおもしろい部分と、ゴミうんちにまつわる壮大なストーリーが合わさった、ディテールから宇宙規模の話まで幅の広い展覧会になるだろうと期待している、と続けました。

例えば宇宙ごみや発酵の世界など、展覧会の準備をしていると勉強しなければならないことが山ほど立ちはだかっている、と佐藤は話します。諦めるのではなく立ち向かい、チームとともにどこまでできるのかを探っていて、おもしろくて仕方ない。ゴミうんちという視点で世の中を見てみると、今まで見えていなかったものが見えてくると言いいます。「『water』のときは世の中を水で見た。樹木は立ち上がる水だ、とは竹村さんの言葉だ。今は微生物で世の中を見ようとしている。そういった新たな視点を、展覧会に来てくれた人にもって帰ってもらって、日常生活の中で良い形で生かされて、発酵されると嬉しい」と話しました。

トークの最後には、「ゴミうんち展」のメイングラフィックのデザインに込められた意味や、コンセプトブックについても紹介もされました。話題は多岐に渡り、2時間ではとても語り尽くすことのできない、深いテーマに触れるトークとなりました。