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ゴミうんち展 (7)

2024年11月10日(日)、企画展「ゴミうんち展」に関連して、展覧会ディレクターズトークを開催しました。本展ディレクターの二人、グラフィックデザイナーの佐藤 卓(21_21 DESIGN SIGHT館長)と、文化人類学者の竹村眞一が対談形式で、改めて本展のテーマについて語りました。

左から、佐藤、竹村。

はじめに佐藤より、本展を企画するにあたって重要な、竹村との出会いから紹介します。約20年前、仕事で同席した竹村から聞いた「牛丼1杯つくるのに使われる水の量は2,000リットル」という驚きの数字。ある試算により、牛を育てる背景や米に必要な水、流通や調理などを含めて算出したものです。ちょうどその頃、計画が始まった21_21 DESIGN SIGHTにディレクターの一人として参加することとなっていた佐藤は、まだ建物もできていないこの場所で「水をテーマに、竹村と展覧会をつくりたい」と強く思い、開館初年度、2007年の企画展「water」として実現しました。佐藤は、今当たり前と思っている目の前の世界が、視点を変えるだけで全く違って見えてくるという体験こそ、新しくできる21_21 DESIGN SIGHTで、デザインの力が発揮される展覧会になると考えたのです。その後、2014年には企画展「コメ展」を佐藤・竹村のディレクションで開催します。「日常」をテーマに、デザインを通じてさまざまなできごとやものごとについて考える場、というコンセプトは、佐藤が2017年に館長となった後も変わらず続いています。
「この世界の成り立ちを深く理解し、アップデートしていくのがデザインであり、色・形ではなく物事の原理への気付きを与えたり、様々な専門分野をつないで統合していくのがデザイナーの仕事」という佐藤の考えに共感したと話す竹村は、21_21 DESIGN SIGHTがそれを表現する場所と考えてきました。

グラフィックデザイナーである佐藤は、自分が仕事として関わる大量生産品が多くの資源を使い、多くのゴミを発生させていることにも関心を寄せてきました。特にゴミ箱に捨てた後は具体的にどうなっているか、生活では見えづらいことから、「ゴミ」を題材にした展覧会ができないか竹村に相談したところ、竹村の返答は「ゴミうんちCO2、それは大切なテーマですね」でした。「ゴミ」に「うんち」がくっついていたのです。タイトルにしたい言葉が決まりました。

次に、本展のコンセプトブックでも紹介されているキーワードを交えながら、本展のベースとなった考え方や情報が竹村より説明されました。人間社会でのリサイクルやサーキュラーエコノミー(循環経済)よりも広げ、ゴミうんちをもっと地球規模のこととして捉えた時、「地球の歴史はゴミうんちとの戦いの歴史である」と竹村は言います。例えば、27億年前、それまで海底火山の熱水噴出孔の熱やミネラルを僅かな栄養として生物が取り合っていた状況から、シアノバクテリアが「光合成」を始めて抜け出したイノベーション。太陽光、水、大気を占めていた二酸化炭素を使ってエネルギーにした光合成で、水を分解した「ゴミ」として排出された酸素は、当時は有害物質でしたが、それを長い時間をかけて資源として活用するよう生物はアップデートし、効率の良い「酸素呼吸」を生み出したのです。大量発生した酸素は、鉄分を錆びさせ海底に沈澱させ鉱床をつくり、またオゾン層形成により生命に有害な紫外線をカットしたことで陸に上がった植物は、長い時間をかけて空中に高く伸びるようになります。しかしこの樹木も、倒れても分解されない、いわば太古の「プラゴミ」だった時代があり、そのまま堆積することで石炭となり現代に活用されます。2億6千万年ほど前からは、樹木の分解できなかった成分を分解するキノコが進化することで、落ち葉や倒木が他の生命の栄養となっていきました。さらに土をつくるミミズの腸管、カビと発酵、虫と花の発展など、辿っていけば、全てがゴミうんちを資源化する歴史であり、「自然界にはゴミもうんちも存在しない」という言葉につながっていきます。

2019年に企画展「虫展」をディレクションした佐藤にとって、虫はデザインのお手本であり、美しいもの。生物的に蝶と蛾に絶対的な区別は無いように、多くの人に刷り込まれている嫌なものや汚いものの見方を変えて見て欲しいと語ります。
ゴミの回収・分別・リサイクル処理を公開し、産業廃棄物の概念や効果を変えていく企業、世界で問題となっている牛糞による「窒素汚染」を、鉄触媒により優良な肥料化する酪農家、排水を98%以上再生して循環利用できる「超節水・循環」型トイレを開発する企業。様々な技術が、日本で生まれて実用化され始めている例などを挙げつつ、竹村は「先端科学や歴史などの研究が日々進み、過去・現在・未来からたくさん学べる今ほど、自分の常識を脱衣しやすい時は無いのでは」と問いかけます。決して楽観的に世界を見ているわけではなく、過多に思える情報にもうまくアクセスして学ぶことで、多様で面白い知識を得ることができる現代をポジティブに捉えて、次にアップデートしていくことができるのではないか。そう思うと、SNSを見ている時間ももったいなく、こんなに楽しい時代はないと竹村は言います。「地球が生命を育んだだけでなく、生命の適応力が地球をアップデートしているとも考えられる。人間も、ものを分解する腸内細菌のような微生物のおかげで生きている。そういうことを、ミュージアムで子どもの頃から知ることができれば、違う未来が来ると思いませんか?」

参加者から「質の高い情報をどうやって得るのか」と言う質問を受けた二人。あらためて本を読むようになったと話す佐藤につづき竹村は、「本とAI」と答えます。そして話はインターネット上の玉石混合の情報に移ります。竹村曰く、ネットに限らずアナログでも、無駄な情報が多くあることは当たり前であり、偏っているよりも健全だと思った方が良い。DNAゲノム解析において、ほとんど意味がないとされていた多くの文字列に、最近の研究では、何かの変化があったときに使えたり、進化の可能性となることがわかってきたことからも、膨大なジャンクを抱えることが創造性、柔軟性、そして適応力なのだと言います。
会場から寄せられた、「街のゴミ箱を撤去してカラスや害虫を寄せ付けないのではなく、むしろその力を有効に使うことを考えたらどうか?」という発言に、クリエイティブな発想だと関心した竹村は、2016年に大隅良典・東京工業大学栄誉教授がノーベル生理学・医学賞を受賞した「オートファジー(自食作用)」(細胞がたんぱく質を分解し再利用する仕組み)を挙げながら、「もっと生物から学べば、人はもっとエレガントな仕組みをつくれそうだし、今はその黎明期にある。20世紀の常識で、21世紀のこれからの若者を縛らないようにする、その最先端の場として21_21 DESIGN SIGHTがあるのではないか」と締め括りました。

2024年11月3日(日)、企画展「ゴミうんち展」に関連して、トーク「ゴミうんちの地球史 Deep Time Walk」を開催しました。本展展覧会ディレクターの一人である文化人類学者の竹村眞一の話を聞きつつ地球の歴史を振り返りながら、少し葉の色づき始めたミッドタウン・ガーデンと檜町公園を歩きました。

散歩日和の秋晴れの中、ミッドタウン・ガーデンの芝生広場前からスタート。スタート地点を地球誕生の起点とし、隣接する檜町公園をぐるっと一周して戻ってくる460 mのコースを歩くことで、地球の歴史46億年の長さを体で感じようという企画です。10 m歩くと1億年経過するペースとなるので、人類が猿から分かれて直立歩行を始めたと言われる500万年前は、ゴール地点の50 cm手前となります。ただ数字を聞くだけではなく実際に体感することで、最後の最後で生まれる人類の時間がどれだけ短いか、地球の悠久の歴史が体に残って腑に落ちるだろうと竹村は説明します。

コースの途中で何度か立ち止まり、地球がどのように移り変わっていったのか、竹村はその波乱万丈な歴史について丁寧に話を進めていきます。地球は46億年前に、微惑星が衝突しながらだんだん大きくなり今のような大きさになりました。当時は表面がでこぼこで灼熱地獄の真っ赤な地球だったそうです。やがて海ができて水で覆われた青い地球になり、大陸ができて茶色い地球になり、氷に覆われて白い地球になり、ようやく現在のような緑色の地球になったのは4億年前に生物が海から地上に出てきてからのことでした。

地球の歴史は、生命が進化するたびに新しいゴミやうんちが生まれ、それをどう課題解決するかという戦いの歴史でもあったといいます。長い歴史の中では、私たちが当たり前だと思っている酸素や緑の樹木がやっかいな廃棄物だった時期もありました。「ゴミうんち展」は、自然界にはゴミもうんちも存在しないというコンセプトの展覧会ですが、地球の美しいシステムも最初からできていたわけではなく、ゴミうんちとのせめぎ合いのなかで新たなイノベーションによって循環するようになっていったのだと竹村は語りました。

地球の長い歴史を歩きながら体感し、誕生してからまだ日の浅い私たち人類が現在のゴミうんち問題とどう向き合い、地球にどう影響を与えていくのか、思いを馳せる機会となりました。

地球史や人類史におけるゴミうんち問題について詳しく知りたい方は、本展のコンセプトブック『ゴミうんち:循環する文明のための未来思考』をぜひご覧ください。

2024年10月26日(土)、企画展「ゴミうんち展」に関連して、トーク「都市の緑を歩く:建築家・造園家・研究者と散策する東京ミッドタウン」を開催しました。本展で会場構成を務める大野友資(DOMINO ARCHITECTS)、参加作家である造園ユニットveigの西尾耀輔と片野晃輔の案内のもと、自然豊かなミッドタウン周辺を実際に歩き、その後会場にてトークを行うという盛りだくさんのイベントとなりました。「建築家」「造園家」「研究者」というそれぞれの立場から空間や植生について語り合った、本イベントの様子を紹介します。
* 本イベントは、Tokyo Midtown DESIGN TOUCH 2024「TALK SALON」として開催されました

左から、片野、西尾、大野。

普段から面白い事象に出合うと、互いに情報を共有し合っているという大野・西尾・片野の3人。イベントのはじめに片野は「専門家とはいえ普通に生活している僕たちが普段どういった目線で街を見ているかをお伝えし、同じ事象を自分だったらどう見るか考える機会にしていただけたら。街を見る視点をお土産のように持ち帰ってほしいです」と話しました。早速、3人の先導で散策がスタートします。

今回の散策はミッドタウン・ガーデンからスタートし、檜町公園の中で大きな池を回遊して、またミッドタウン・ガーデンに戻ってくるというルートでした。 檜町公園内では、池をのぞむ東屋、藤棚、ベンチが集まる休憩所など複数のスポットで立ち止まり、石や木や道など、普段はあまり目に留めないような何気ない要素からもヒントを得て「都市の中の緑」について考察しました。

約30分の散策を終えると、一行は東京ミッドタウン内の会場に移動し、着座でのトークへと移ります。

会場では、事前に現地調査した際に撮っていた複数枚の写真を順番に見ながら、対談形式でトークが繰り広げられていきました。
はじめにスクリーンに映し出されたのは、今回の散策ルートでも地面に多数転がっていたであろう「ミミズの糞塚」を収めた写真です。ミミズの糞は、空気や水分の入る隙間がある団粒構造をしており、生き物が住みやすい環境をつくります。現在開催中の「ゴミうんち展」では、展示作品である井原宏蕗の「made in the ground -MIDTOWN」がまさにミミズの糞塚からつくられた作品となっています。

「ミミズの糞塚」を撮影した写真を見ながらトークする3人。

また今回の散策時にも歩いた、檜町公園内の橋を撮影した写真も映し出されました。大野は、橋は一般的には最小限の部材でどのように力を伝えるか、どれだけ長くスパンを飛ばせるかということが重要になるが、檜町公園内の橋はそのような合理性を無視した形になっていることを指摘しました。なぜそのような形になっているのか、またこの橋からどんなことがわかるか、三者三様の目線で読み解いていきます。まず大野が建築的目線として、曲がる部分が多いことで角が生まれるため、たとえ最短ルートで行ったとしても溜まり場ができ、歩く人と檜町公園の景色を眺めたい人の導線を互いに妨げないと分析しました。次に西尾が造園的目線として、檜町公園にあるような「池泉回遊式庭園」という池を中心として回遊できる庭園は、はじめに庭を楽しむための「視点場」を計画してから造られるが、今回取り上げている橋は公園内の池と川を両方見ることができる視点場としての役割を担っているのだろうと話しました。最後に片野が生物学的目線で、石畳とコンクリートの間の目地に木の葉などが落ちていることに着目し、このまま落ち葉を掃除しなければ土ができ、緑地が横断する可能性があることを伝えます。もし繋がれば、緑地がトンネルのような働きをして、一方ともう一方にある生態系が開通して結びつくこともあるだろうと語りました。

「檜町公園内の橋」を撮影した写真。

この他にも、公園内で見られる石の形や向き、東屋の屋根、舗装、水辺の環境についてなど、写真を見ながら多種多様なテーマでトークを繰り広げた3人。同じものを見ても取り上げる要素がまったく異なることに驚きを覚えつつ、その違いを楽しみ、刺激を受け合っているようです。
日常の中の些細な出来事にもなぜ?という疑問を抱き、探求することで、これまでとは異なる景色を⾒ることができると実感できるひとときとなりました。

2024年10月20日(日)、企画展「ゴミうんち展」に関連して、トーク「ゴミうんちを考える」を開催しました。本展でアートディレクターを務める岡崎智弘、企画協力の角尾 舞、会場構成を務める大野友資 (DOMINO ARCHITECTS)と、21_21 DESIGN SIGHTプログラム・マネージャーの中洞貴子が登壇し、企画の始まりから、タイトルの決定、企画チームが「ゴミうんち」をどのように考えながら展覧会をつくりあげてきたかを振り返りました。

左から、中洞、岡崎、大野、角尾。

はじめに岡崎は、2022年の秋に本展の展覧会ディレクターである佐藤 卓から「ゴミをテーマにした展覧会を一緒にやらないか」と声がかかったときのことに触れ、その後、佐藤から「ゴミうんち」という言葉が発表されたときのことを思い起こしながら、その時の衝撃について語りました。驚きと、音のおもしろさ、その言葉がもつパワーを感じたといいます。人の営みや社会、思想と密接に関わるため、視点を広げないと太刀打ちできないテーマであることにすぐに気付き、次に声をかけたメンバーが、大野でした。

大野は、岡崎の考え方や視点、おもしろいことを発見していこうとする姿勢に共感するところが多かったことから「岡崎さんが誘ってくれるなら」と参加を決めたといいます。「会場構成」という肩書であるにも関わらず、出来上がったものを空間の中でどう上手く見せるか、ではなく、どういうものを見せたいかから自分で考え、「ゴミうんち」とは何なのか、という概念から一緒に考えてつくり上げなければならないという役割に気付き、驚いたと話しました。21_21 DESIGN SIGHTの企画展はまずテーマが決まり、チームでリサーチするところから始まります。当館での展覧会に関わるのが3度目となる岡崎は、毎回つくり方が異なる21_21 DESIGN SIGHTのそのような展覧会の制作に大野を巻き込んだと話しました。

その半年後に角尾に声がかかることになりますが、それは、客観的に言葉を整理できる人が必要なタイミングだったといいます。企画チームに参加してほどなく、角尾が「この展覧会は正解を出すものではない」とはっきり言ったことがあったと中洞が振り返りました。21_21 DESIGN SIGHTは多視点を提示する場でありたいと考えていますが、企画チームは、ことさらゴミや環境問題については時に何か一つの考えやあり方を正しいとする方向に傾きがちであることを危惧していました。展覧会の議論が、例えば環境に対するグッドアクションを展示するような方向に振れはじめたところだったので、角尾がそのようにはっきりと方向性を示したことはチームにとってとても良いきっかけになったと言います。

展覧会の制作が進む中で、企画チーム各々が考える「ゴミうんち展」を発表しあったことがありました。それぞれがもつ多様な視点を洗い出すため、だれにも相談せずに自分が考えるゴミうんち展を出し合ったのです。そのときの大野の案から「糞驚異の部屋」や、サンクンコートに庭を設けることが決まっていったと振り返ります。

大野は「ゴミうんちとは何か、と、一言で説明できる言葉はない。そこで、博物館の起こりとされる『驚異の部屋』をモチーフに、ゴミうんちにまつわる情報でパンパンに埋め尽くす部屋をつくることを考えた」と説明します。「ゴミうんち」で思いつくものを皆で持ち寄り展示することで、演繹法的にぼんやりと導き出されるイメージがあるのではないか。自分なりの「ゴミうんち」像を、それぞれのバックグラウンドと重ねて結びつけられるはずだと考え、そういう部屋を展覧会の最初に持ってきたかった。これが「糞驚異の部屋」が生まれた瞬間でした。岡崎もその話を聞いたときに、これは絶対に入れるべきだと思ったと言います。

「糞驚異の部屋」展示検証中の様子。

岡崎は議論が進むにつれて、これはまとまらない展覧会だと感じ始めます。まとまらないことを受け入れながら、その前提でどうデザインしていくか。まとめずにどうまとめていくかが重要だと考えたと話します。そして「ゴミうんち」というワードができたとき、「pooploop」という英語タイトルが決まったとき、それを岡崎がコマ撮りの動画にしてみたとき、それぞれの瞬間に、グイグイっと前に進んで行った感覚があったことを思い起こしました。岡崎は、展覧会のつくり方に正解がないからこそ、杭を打ってそれを頼りに前に進むことでしか、進んでいかない。その瞬間の積み重ねだったと続けます。

トークは会場構成の話に移ります。これまで展覧会の会場構成をあまり手がけたことのない大野は、展覧会の会場をつくる施工会社に、展覧会がどういう材料でどのようにつくられているかを丁寧にヒアリングしたといいます。ゴミうんち展の二つ前の企画展「もじ イメージ graphic 展」が閉幕後どう解体されるかを見学し、建築では考えられないスピードで壁が解体され、次の展覧会ができあがっていくことに驚きました。そのスピードの秘密の一つは、壁の下地になっているリースパネルというパネルの存在でした。リースパネルは展覧会の業界の中で循環して(使い回されて)います。そこで、施工会社が所有しているリースパネル300枚を借りて空間をつくり、ゴミうんち展が終わったらまた戻すという発想で会場をつくることができないかと考え始めました。

会場に運び込まれたリースパネル。

本展では既存の300枚に加え、新しいリースパネルも制作しています。本展で役目を終えるパネルもあれば、この展覧会から使い回されていくものもあります。大野には「この展覧会を通して新陳代謝を起こしたい」という考えがありました。循環をテーマにした展覧会をつくる上で、新しいものをつくることを否定することはしたくなかった、と話す大野に対して、角尾は、ゴミがテーマになると物を増やすことに対する罪悪感が先に出てしまうことがあるが、それを完全に否定すると、文化が止まってしまうことになりかねない。そうではないやり方があると模索していた、と続けました。

話は再び「糞驚異の部屋」の制作背景に戻ります。会場設営中に出るゴミも「糞驚異の部屋」で展示されることになり、岡崎は展示品を探して会場中ゴミを探し回ったといいます。また設営中に破棄される予定のものの一部はサンクンコートの作品「漏庭」の造形に使用されました。施工中も話し合いながらつくっていくことができたのは、この展覧会ならではなのかもしれない、と角尾は振り返ります。決まりきっていなかったからこそ、楽しむ余白があった。常に動いていて会期中も変わっていく、会期終了後も変わっていくだろう、という考えが浸透していた。大野は、動的平衡や、新陳代謝のように、常に動いているけど全体像は変わらない、という展覧会なんだろうと話していたと振り返りました。展覧会ディレクターの佐藤、竹村も「動き続ける展覧会にしたい」と常に言っていたと言います。

その他、エントランスバナーからタイトルが消えたこと、本展ならではのキャプションの工夫や、「pooploop popup」、会場内に散りばめられた「うんち句」など、各所に散りばめられた本展を何度でも楽しむことのできる工夫についても紹介されました。トーク参加者からは、遠方から来館したという嬉しい声も聞かれました。当館ならではの展覧会のつくりかたについて隠すことなく語られ、より深く、展覧会の成り立ちと趣旨を理解することのできる機会となりました。

2024年10月18日(金)、企画展「ゴミうんち展」に関連して、本展参加作家である井原宏蕗、また参加作家であると同時に本展の企画協力を務める狩野佑真と吉本天地によるギャラリーツアー「井原宏蕗×狩野佑真×吉本天地」を開催しました。

動物の糞から彫刻作品を制作する井原宏蕗、錆や下水処理汚泥の新たな可能性を提示する狩野佑真、繊維でつくられた苔のインスタレーションや純天然染色の衣服を制作する吉本天地、自然や生物の循環を考察する3人が、参加者とともに実際に会場を周り、自他の作品を超えて展覧会全体を俯瞰しながら解説するツアーとなりました。

最初のロビーにある作品のうち、一行が目に留めたのは井原宏蕗「cycling -black dog-」。等身大の犬が形づくられた彫刻作品ですが、驚くことにその主な構成要素は「犬の糞」です。井原は、動物の糞を漆でコーティングし、乾漆という技法を用いながら糞を接着してその動物の形をつくり出すシリーズを制作しています。作品をつくったきっかけを問われると、井原は、「糞は排泄したあとは忘れられてしまうものですが、その日のコンディションなどに強く関わっていていろんな情報が詰まっています。また動物によって形状が違うのもすごく生々しくて、糞一個一個を見ていると動物がつくった彫刻のように思えました。それを身体に戻してあげたいと考えて作品をつくったのです」と話しました。

左から、吉本、狩野、井原

続いてギャラリー1に入ると、天井まで高く続くパネルに膨大な数のさまざまな「ゴミうんち」にまつわるものが展示されています。壁一面にある700種以上の品々に、参加者も圧倒されている様子。作家3人と一緒にミミズの糞でできたジュエリーやぐるぐる巻いた木の枝、ワニの剥製、サルノコシカケなどを見ることで、世界を構成する「循環」を再認識し、ゴミうんちについての思考を深めるヒントを探ります。

歩みを進めてギャラリー2に入ると、「ゴミうんち」という新しい概念を元に、新たな循環や価値の考察・提案を行う作品の数々が展示されています。

劣化の象徴として普段は忌み嫌われる存在である「錆」に焦点を当てたのが、狩野佑真「Rust Harvest|錆の収穫」です。狩野は、川崎の工業地帯の中に自身のスタジオを構えていたときに、この環境を活かして作品をつくれないかと考えてシャッターの錆に着目したと言います。錆の模様をどうにか残そうと、最初は錆と鉄板を透明な樹脂に封入する方法を試みましたが、結果的には型枠に穴が空いて流れ出てしまい大失敗。落胆してその失敗作を何気なく剥がしていると、錆の粒子だけが鉄板から樹脂側にくっついてくることに気づき、驚きを覚えます。偶然生まれたものでしたが、実験を繰り返すことで安定的に生まれるようになり、現在の作品に繋がっているのです。「元々価値がないと思われているものの価値を見出し、それが面白さ・美しさに気づくきっかけになればと思っていつも制作しています」と狩野は語ります。

続いて、ギャラリー2に限らず会場全体に点在している苔のようなインスタレーションにも目を向けます。「気配 - 覆い」というタイトルが付けられたこれらは吉本天地の作品で、すべて手編みのニットでできています。元々は本物の苔を使ってインスタレーションを行っていた吉本でしたが、美術館で展示をするようになり、館内に有機物を持ち込めないためすべて繊維に置き換えて表現し始めました。今回の展覧会でも、会場内にどう苔が生えるか、どこに苔が生えそうかを自身の感覚・感性で考えて随所に散りばめています。人工物と自然物が曖昧になっていくきっかけとして、境界をなくしていくという重要な役目を担っています。

吉本はこう言います。「会期中に苔を増やしたり、移動させたりと、たまに来たときにケアしています。会場に来ると『ここには生えるはずだな』という場所を見つけたりして、置かなければならないという気持ちになります。」これに対して井原が「生きてる展覧会ですね」と発言すると、続けて狩野も「展示全体として常に変化して、動いている。一般的には展示室に収まったらそこが完成ということがほとんどだと思いますが、今回はそうではないようにしよう、というのも企画チームで話していたテーマの一つでした」と話しました。

撮影:木奥恵三

ギャラリー2の奥の廊下を抜けるとツアーも終盤です。吉本が最後に参加者に伝えたのは、作家3人は、それぞれ錆・糞・苔などと扱う素材に個性はあれど、日常生活の中にあるものを切り口にまったく別の世界に展開していくという点では視点が重なるということ。同年代の3人が互いの活動から刺激を受け合う様子も多く見られ、いつもと違う視点で日常を見る楽しさを分かち合う機会となりました。

2024年9月27日、いよいよ企画展「ゴミうんち展」が開幕します。

世界は循環しています。ひとつのかたちに留まることなく、動き続け、多様に影響し合い、複雑に巡っています。その結果、いわゆる自然界においては、ゴミもうんちもただそのまま残り続けるものはほとんどありませんでした。しかし、いま人間社会では、その両者の存在は大きな問題となっていますし、文化的にもどこか見たくないものとして扱われています。

本展では、身の回りから宇宙までを見渡し、さまざまな「ゴミうんち」を扱います。そして、ゴミうんちを含む世界の循環を 「pooploop」 と捉えます。これまで目を背けてきた存在にもう一度向き合うと、社会問題だけではないさまざまな側面が見えてきました。決して止まることのないこの世界。欠けていたパーツがピタリとはまると、きっと新たなループが巡りはじめます。

ここでは会場の様子を写真で紹介します。

会場風景(ギャラリー2)
会場風景(ギャラリー1)
「糞驚異の部屋」
会場風景(ギャラリー2)
会場風景(ギャラリー2)
会場風景(ギャラリー2)
蓮沼執太「pooploop un-copositions」
会場風景(ギャラリー2)
松井利夫「サイネンショー」
会場風景(ギャラリー2 出口)
吉本天地「気配 - 存在」
会場風景(ロビー)
竹村眞一「未来を覗く窓」

撮影:木奥恵三/Photo: Keizo Kioku

デザインを通じてさまざまなものごとについてともに考え、私たちの文化とその未来のビジョンを共有し発信していくイベントシリーズ、21_21 クロストーク。今回はその第7回として、2024年7月21日(日)に、東京ミッドタウン・デザインハブにて展覧会ディレクターズバトン「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」×「ゴミうんち展」を開催しました。

9月8日(日)まで開催する企画展「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」の展覧会ディレクター山中俊治と、9月27日(金)から始まる企画展「ゴミうんち展」の展覧会ディレクター佐藤 卓、竹村眞一が登壇し、モデレーターは両展覧会で企画協力を務める、デザインライターの角尾 舞が務めました。

左から、佐藤、竹村、山中

まずはじめに山中から「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」の概要を紹介しました。

本展は科学者とデザイナーが出会うことで生まれる「未来のかけら」をテーマにしています。特に企業においては、研究者が開発した新しい技術や素材はデザイナーと共に商品化され、最終的に製品やサービスという形で私たちのもとに届きます。山中はいつも、そのように研究者とデザイナーが出会い、新しい技術や素材を前にして盛り上がった瞬間が最高におもしろいと考えてると話し、製品になる以前の、通常は公開されないそのような瞬間を発表する活動を、仲間たちと共に20年ほど前から始めていると話しました。

本展の開催のきっかけは、2022年に東京大学生産技術研究所にて、山中の退官前最後の展覧会として開催された「未来の原画」展に佐藤が訪れたことでした。トークでは佐藤が展示作品でもある「自在肢」を特別に体験する様子が動画で紹介されました。「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」はその企画をさらに広げ、デザイナー・クリエイターと科学者・技術者を新たに出会わせて制作された作品を加えたものです。

佐藤が「自在肢」を体験する様子を紹介。左から、山中、角尾

佐藤は、本展を鑑賞した感想として、小さな頃に虫を探していたこと、枝一本でどう遊ぶかを触っているうちに発見すること。そんな、日頃忘れがちなことを思い出させてくれた気がすると述べました。

山中は、科学とは「おもしろい」「不思議」「なんでだろう」と感じる体験がベースになっていることに間違いないといいます。例えば川に葉っぱを流してみるように、なんの役に立つかはわからないけれど、おもしろがって何かをやってみること、やってみて「すごい!」と思う瞬間を体験することが基本にあるといい、自身も60年間ずっとそんなことをやってきている気がすると話しました。そして、学校では学生たちにも常に、何の役に立つかを考えるのを一回やめて、なんかワクワクする、なんか惹かれる、引っかかる、という気持ちを大事にして研究してみてほしいと伝えている。何の役に立つかは、やっているうちに見つかるもの。とりあえず役に立たないものをつくろうと伝えていると言います。

竹村が感想を続けます。竹村と21_21 DESIGN SIGHTとの関わりは、2007年に佐藤 卓ディレクションの企画展「water」にコンセプト・スーパーバイザーとして関わったことから始まります。「water」は、水をテーマにした企画展というより、水という視点で世界を捉え直すという企画だったと当時を振り返ります。その7年後には「コメ展」で、今度は展覧会ディレクターという立場で佐藤と共に展覧会を企画し、佐藤と竹村が率いる企画展は今回が3回目となります。

竹村は、山中が骨の美しさを愛でるのみならず、義手義足にしてもそうだが、自分の手でデザインをしているという点について触れました。生命の構造や機能に匹敵しうるものを目指してつくっているのだと思うと言い、人間はつくることでより深く理解する生き物だと思うと話しました。

科学やデザインの営みも、現在の技術が生命を模した機械までつくれるようになったからこそ、自然や生命のすごさを改めて思い知らされ、気付かされていると話しました。そして、つくることは、より深く理解すること。「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」の展示作品は、全てその営みであるように感じると続けました。

話題は科学者とデザイナーにとっての「美」に移ります。山中は、つくってみて初めてわかることがすごく多いと話し、ありとあらゆる自然の美しさは、生命の生存機能に依存している。美とはそういうものだと思っている、と続けます。つまり、根本的には自然には機能美しか存在しない。私たちが美しいと思うものは、基本的には生命が生き残るためにつくってきた模様や形なのだと説明しました。

折り紙や螺旋、言語やDNAなども例に挙げながら、竹村は、複雑系科学がデザインにもたらしたことはある意味革命的であると続けます。山中は、科学者が美しいと思っている瞬間はなかなか簡単には伝わらない。本展ではそれをうまく伝えたいと考えたと説明しました。

続いて佐藤と竹村が「ゴミうんち展」の企画主旨について説明します。21_21 DESIGN SIGHTは日常における様々なものごとをテーマに展覧会を開催しています。まずテーマを見つけて、何ができるかを探っていくという実験的な場でもあります。今回佐藤がテーマとして扱いたいと考えたのが「ゴミ」でした。グラフィックデザイナーとして大量生産品のデザインに関わっていて、大量に資源を使い、それが大量にゴミ箱に捨てられることになることから、佐藤の頭の中には常に「ゴミ」の問題があり、どうすればいいかと考えていました。デザイナーもそうした視点を持たなければならないと考えて、2001年から「デザインの解剖」というプロジェクトを個人的にスタートさせました。まずは目の前にあるものがどうやってできているのかを、デザインの視点で徹底的に解剖し、知るところから始める。そして、どうできているかを知った後は、それがどこにいくのかを考える必要があります。

21_21 DESIGN SIGHTとして独自の視点で何かできないか、デザインの視点で、考えるきっかけをつくることができないだろうかと、佐藤は竹村に声をかけました。するとすぐさま竹村から「ゴミ」「うんち」「CO2」という三つのワードが出てきたのです。「CO2」の存在は随分前から社会的に問題となっていますが、ゴミとうんちがくっついた「ゴミうんち」というフレーズに、佐藤はビビビと衝撃を受けたと話します。そして話はどんどん広がり、非常におもしろいと感じたと話しました。佐藤は、山中と同じように竹村も非常に前向きに課題を捉え、それに対して具体的に人は何ができるかを前向きに語ってくれたと言います。

続けて竹村は、ゴミうんちの問題は自分にとっては「未開」そのものだと話しました。江戸時代にはゴミをアップサイクルして、100万都市を運営した実績があるのに、そこから相当後退している。窒素やリンをリサイクルしていたことも、数値をもって再評価されているにもかかわらず、人間の社会や文明は前進するばかりではないと説明します。現代は排泄物は水で流して忘れられるし、非常に便利だが、排泄物は長い「社会の腸管」を通って遠くに運んで処分しているだけで、希少な資源であるにも関わらずリサイクルできていない点で、未開の文明だと話しました。

自然が最初から完璧だったかというと、実はそうでもないことが、地球の歴史が紐解かれるにつれ明らかになってきています。廃棄物を再利用するような地球規模でのイノベーションはこれまで度々起こり繰り返されてきました。廃棄物問題をクリエイティブに解決してきた積み重ねの結果であるともいえます。忘却の対象にしてきたうんちは、腸内細菌層の宝庫として、「ブラウンジェム(茶色い宝石)」とも言われ、再評価されています。次の地球の循環OSを更新することが、私たち人類に今託されているミッションだと、竹村は説明します。そのメインテーマの一つが「ゴミうんち」であり、これからの5年、10年の最初の一歩になればいいと続けました。

山中は2007年の企画展「water」を振り返ります。「water」では、水について壮大な視点で語るところから、水滴のかわいさを語るところまでと、そのコントラストがすごかった。それが展覧会の幅を広げていることを、二人の話を聞きながら思い出したと話しました。牛丼一杯をつくるのに、2,000リットルもの水が使われているという展示がありましたが、その視点がとてもわかりやすいビジュアルで示されていました。「ゴミうんち展」もそのように、フィジカルでおもしろい部分と、ゴミうんちにまつわる壮大なストーリーが合わさった、ディテールから宇宙規模の話まで幅の広い展覧会になるだろうと期待している、と続けました。

例えば宇宙ごみや発酵の世界など、展覧会の準備をしていると勉強しなければならないことが山ほど立ちはだかっている、と佐藤は話します。諦めるのではなく立ち向かい、チームとともにどこまでできるのかを探っていて、おもしろくて仕方ない。ゴミうんちという視点で世の中を見てみると、今まで見えていなかったものが見えてくると言いいます。「『water』のときは世の中を水で見た。樹木は立ち上がる水だ、とは竹村さんの言葉だ。今は微生物で世の中を見ようとしている。そういった新たな視点を、展覧会に来てくれた人にもって帰ってもらって、日常生活の中で良い形で生かされて、発酵されると嬉しい」と話しました。

トークの最後には、「ゴミうんち展」のメイングラフィックのデザインに込められた意味や、コンセプトブックについても紹介もされました。話題は多岐に渡り、2時間ではとても語り尽くすことのできない、深いテーマに触れるトークとなりました。