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「建築家 フランク・ゲーリー展」事前企画 第3回
「田根 剛ってどんな人?」
21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。本展の主役、フランク・ゲーリーの素顔に迫った第1回、第2回に続き、新進の建築家で本展ディレクターを務める田根 剛についてその活躍を追っていきます。田根 剛ってどんな人?
さて、本展ではディレクターに田根 剛を迎えている。田根は、どんなアプローチでこの展覧会のコンセプトを打ち立てたのか、どうデザインしたのか。いや、そもそも田根 剛とは何者なのか。
田根は、現在パリ在住。2005年、イギリスの建築設計事務所アジャイ・アソシエイツに務めていた当時、イタリア人、レバノン人の友人らとある建築コンペに参加した。エストニアのかつて軍用滑走路だった敷地に博物館をつくるというもので、この3人組は何と最優秀賞を受賞。そこで、パリに渡って3人で建築設計事務所DGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)を設立した。
日本では、2020年東京オリンピック招致に向けて行われた「新国立競技場」の設計コンペで最終選考に残ったことで、DGT.、そして田根の名前を目にした人もいるだろう。彼らの案は、神宮外苑の敷地に盛り土をして山をつくり、その中に競技場が半分埋まっているという構想だった。東京にまるで古墳をよみがえらせたような風景は、大きな話題を呼んだ。
展覧会や舞台のデザイン、店舗設計も多く、2014年にはパリのグランパレで開催された『北斎展』の会場デザイン、ミラノ・トリエンナーレでの時計メーカー、シチズンのインスタレーション、虎屋パリの改装デザインなどを手がけた。ちなみに、東京のスパイラルで凱旋展として展示されたシチズンの『LIGHT is TIME』展は、7万2000人の来場者が見に来たほどの盛況だった。
DGT.では現在、20数件のプロジェクトが進行中という。そのうち、日本では美術館、劇場、工場、住宅などが15〜6件、その他は欧州を中心に、NY、香港、レバノンでプロジェクトが進行中。田根は、そのためしょっちゅう日本とフランスとを往復している。今、最も多忙な若手建築家の一人だろう。
「場所の記憶」。自身の建築へのアプローチを、田根はこう説明する。敷地だけでなく、その地域、ひいては国がたどってきた歴史。その痕跡を探し、それを堀り起こしていくことが、彼の建築の第一歩である。そして、建築はその見つけた記憶の上に未来を構想する作業だ。
上述したエストニア国立博物館の場合は、かつてソ連が軍事用に使っていた滑走路を取り込むかたちで建物が計画された。過去を未来へつなげるためのアイデンティティーに位置づけた点が評価された。また新国立競技場は、日本に3万基も存在しているのにほとんど海外では知られていない古墳を通して、日本の民族や歴史を感じさせる場所にしたかったという。
その田根は、フランク・ゲーリーをどう捉えているのだろう。
「知れば知るほど、彼の深みに出会う」と田根は言う。建築と同じように、対象を深く理解する作業をゲーリーに対しても行ってきた。
ごく当たり前の既製品素材を使いながら、オリジナルな建築を生み出す力。それをアーティスティックな表現に高めながらも、建設面では無駄を省いて実現にまで押し進めていく。ゲーリーは、建築に関わるあらゆる観点で高度な専門家であり、その建築家としての姿勢に驚くばかりだという。
展覧会では、彼の建築のプロセスに含まれる多くの情報をどう伝えるのか、そこに注力しているという。フランク・ゲーリーのアイデアを、田根がどう見せてくれるのか。ぜひ期待されたい。
文:瀧口範子