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2010年12月 (7)

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第3回

本展を楽しんでいただくには、起点となった「メンフィス」プロジェクト、そして1980年代のデザイン状況を知っていただくことが近道かと考えます。今回はちょっとお勉強モードで。

1980年代

80年代を象徴するコンセプトは「ポストモダン」(「ポストモダニズム」とも言われる)。その言葉通り「~後、~次のモダニズム」という意味です。
20世紀初頭、それ以前の封建的な思想や社会体制に対して、人間の理性に基づいた市民社会や産業システムの実現を目指した「モダニズム」は、アートや文学、音楽などの表現活動にも大きな影響を与えました。建築やデザインも同様に、1919年ドイツ・ワイマールに起こったバウハウスの動き、ル・コルビジェやグロピウスらが起こした近代建築国際会議(CIAM)などは、合理性と機能性の追求という意味において、モダニズムを牽引する原動力であり、現在のデザインの底流にもなっています。

80年代のソットサスデザイン
Photo: Santi Caleca
80年代のソットサスデザイン
Photo: Santi Caleca

ところが第二次世界大戦をへて1970年代も後期になると、工業化が進み、合理や機能、効率を優先するあまり、画一的、均質化しすぎた社会や思想といった人々の風景に対して、モダニズムを超える価値が求められるようになりました。こうした潮流は、都市、建築、デザインにも深く静かに浸透していきました。1981年に創刊されたAXISは、第2号でポストモダニズムを特集。巻頭に「ポストモダニズムはカルチャーの復権する時代であり、自然と都市の共生を目指す時代であり(中略)、変化することの自由さであり、あらゆる形式の寛容さである。複合であり、混和であり、超越であり、遊びの時代である」と、新しいデザインの時代の到来を高らかに宣言しています。

変化を予兆した倉俣とソットサス

このような地殻変動を誰よりも早く敏感に察知していのたが、本展の主人公、倉俣さんとソットサスでした。ソットサスは、1950年代から、当時世界の先端を走っていた事務機メーカー、オリベッティ社のデザインディレクターとして、数々の名作を生み出しました。その代表が、「バレンタイン」です。その一方で、企業からのさまざまな条件をのみこまざるを得ないインダストリアルデザインとは、一線を画した創作活動も行っていました。それらは主にセラミックとガラスを素材とする一点もの。そうしたソットサスの活動を、建築家の磯崎 新氏は「デザインが、機能でもなく、効用でもなく、精神的な物体、あるいは形而上学的な観念の投影だけで意図していく可能性の地平をひらきはじめたのである」と、著書『建築の解体』で述べています。

80年代のソットサスデザイン
バレンタイン by Sottsass
Photo: Alberto Fioraventi

一方、倉俣さんもまた、60年代のアートにインスパイアされ、70年代の知的かつ感覚的操作によって生み出された数々の作品は、決して効率、量産、機能主義に主眼をおいたデザインではありませんでした。 こうして、イタリアと日本という遠い地で、「モダンデザインを超えるデザイン」「デザインとは何か」を探求し続ける二人を結びつけたのが、ソットサスが仕掛けた「メンフィス」だったのです。

メンフィス

「メンフィス」については、すでに多くのサイトがありますので、参考にしていただければと思います。ただし、ソットサスが「メンフィス」を始めた動機について、磯崎 新氏と対談の中で興味深い一説があります。「私たちとしては、(メンフィスを通してデザインを)どこまで解放できるか、例えばどこまで広いボキャブラリーを持つか、その開かれた地平を見たかったんです。そこにどれだけの現実の感覚を持ち込むことができるのかを、そしてあらゆるマテリアルは、知覚、五感、感覚の観点から言えば、同じだと。もしマテリアルに上下関係がないのならば、(中略)そこに貴賤の別はないと思ったんです。(中略、メンフィスでは)非常に下品な言葉、卑猥な言葉だけを使って、非常に美しい詩をつくるようなことをやろうとしたのです」。対して磯崎さんは「(中略)、人は美しいものはこういうものだという考えがあった。ところがあなたは突然その既成概念を砕いたんです」と述べています。

80年代のクラマタデザイン
「インペリアル」(1981)
For Memphis
80年代のクラマタデザイン
ハウ・ハイ・ザ・ムーン」(1986)by Kuramata
Photo: Mitsumasa Fujitsuka
80年代のクラマタデザイン
「ミス・ブランチ」(1988)by Kuramata
Photo: Hiroyuki Hirai

倉俣さんもまた、「メンフィス」を通してソットサスとの交流を深めながら、「既成概念を砕く」実験的かつ非日常的なデザインを数多く生み出していきます。今回の「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展では、そんな倉俣作品を堪能いただけます。
私ごとですが、この夏ミラノでたまたま入ったシューズショップの正面に「MEMPHIS INSPIRED」という文字を発見。スタッフにその意味を尋ねると、言葉通り「このショップはメンフィスにインスパイアされたデザインなんだ」とのこと。よく見ると什器や店のつくりは、確かに「メンフィス」を彷彿とさせるものでした。30年たった今でも、地元ではメンフィスが今も息づいているのですね。

メンフィスにインスパイアされたミラノのシューズショップ

また、昨年にはパリで、「メンフィス」30年を記念した展覧会「メンフィス・ブルース」なども開催されました。30年を経て、ヨーロッパでは「メンフィス」や80年代のデザインを振り返る企画がいくつかあるようです。西欧の素晴らしいところは、文化史という文脈で、建築にしろ、デザインにしろ、再考、検証し、定着させていく作業を怠らないこと。デザインや建築に関するミューゼオロジーは、日本が最も学ばなければならない部分でしょう。

80年代の日本のデザイン状況

長くなってしまったので、ちょっと端折ります。80年代は「衣・食」足りた日本人が、ようやく「住」、つまり生活の質や物のデザイン性に注目した時代でした。リビング専門のショップがオープンし、AXISをはじめとしてデザイン誌も創刊されました。1968年にGDP試算でアメリカに次ぐ経済大国となっていた日本は、80年代後期には空前のバブル経済を迎え、まさにデザインの百花繚乱状態。ちょうど、現在の中国のような感じでしょうか。世界中から著名建築家、デザイナーが訪れ、建築、インダストリアル、インテリアデザインなどのプロジェクトを手掛け、TOKYOがパリやロンドン、ニューヨークと並ぶメトロポリスに位置付けられました。クリエイティブでは、三宅一生さんをはじめとしたデザイナー、槇 文彦さん、磯崎 新さん、安藤忠雄さんら日本の建築家、そして倉俣史朗さんらが活躍の場を世界に広げ、日本のクリエイティブ・パワーをプレゼンテーションしてくれたのです。 ...ということで、今回は終了します。次回から「メイキング・オブ・展覧会」をお届けします。

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第4回 へ

川上典李子のインサイト・コラム vol.3

「日本は技術で成り立っている国なので、世界の最先端の技術を追求するのが製造現場の役目。『日々、革新』というと格好良すぎだが、技術の革新、ブラッシュアップを続けている」と帝人ファイバーの工場長。シーンは変わり、布地の適度な柔らかさを実現するべく糸の撚りが細かく調整されている。「日本は人件費も高く、こういう商品をやらないと生き残れない」と、福井の企業、畑岡の技術開発担当者......。

本展作品のひとつに25分のドキュメンタリー映像があります。Reality Lab Project Teamの活動を軸として、展覧会全体を貫くテーマを追った作品『再生・再創造 その先に、何が見えるか』。ドキュメンタリー映像作家の米本直樹と平野まゆに浅葉克己が加わり、本展のために制作されました。カメラを携え、松山、大阪、福井、石川など、全国の製造現場にも足を運んだ米本に、作品完成後、改めて話を聞きました。

再生ポリエステル繊維の製造現場。長年の研究により、半永久的に再生可能な糸が生み出された。
画像は映像作品から

今回の映像制作を通して考えたことについて、米本はこう語ります。「普段、私たちが目にしている身近なものについてどれほど考えたことがあるか、と自らに問いました。三宅一生さんが読まれたという惑星物理学者、松井孝典さんの本を私も読み、たとえば食卓に載る食べ物がどこから来たのか、魚介類はもしかするとアフリカからか、穀物はアメリカから、野菜は中国から......と、目では見えない世界について考えるようになりました」

「衣類も同様です。私にはこれまでただ身に着けるものとしてしか見えていませんでしたが、誰が、どんな素材を使って、どういう加工をして、どんな思いを込めてこの服に至っているのか、そこに思いを馳せる必要性を知りました。情報が氾濫している今の時代だからこそ、その先にある見えないものにまで目を届かせなければならない......今回の映像では、そんな思いを多くの方々に伝えたいと思ったのです」

製織の現場。加工法が一から検討され、最適な風合いが出るまで幾通りもつくり直された。
画像は映像作品から

本展のタイトルにある「再生、再創造」「REALITY LAB」とは、まさにものづくりに対する姿勢を示す言葉、と米本。

「今回の展覧会に参加したことで『ものづくり』について、改めて深く考えさせられました。私は映像制作というかたちでものづくりに関わる人間ですが、どちらかというと感性だったり、観念という部分でクリアできてしまうところがあります。ところが、衣服など実用的なものはそうはいかない。使いやすさ、品質、美的価値、あらゆる側面での実用性が重視されます。決して『自分が良ければいい』というものではありません」

「また、この映像に登場していただいた方々がデザインにどれほど深い想いを込めてきたのか、取材を通してそのことも伝わってきました。再生・再創造、そしてリアリティ・ラボというキーワードは、まさにその『ものづくり』に必要とされる大切な姿勢を示す言葉だと思います。同時に、実に普遍的なメッセージだと思いました。私が関わるドキュメンタリー映像も、やはり現実の再創造ですし、その意味では現実化の研究を積み重ねなければならないと考えているところです」

そのうえで、日本のものづくりをどう見ていくのか。「映像の副題にもつけましたが、やはり『その先に、何が見えるか』ということが課題だと思う」と米本は強調します。

染織の現場。 黒に深みを増すため微妙に差し色 が加えられる。 最良の風合いを求めて検討が繰り返された。
画像は映像作品から

これまで海外にも何度も足を運び、様々な人々の取材を重ねてきた経験もふまえて、こうも語ってくれました。

「僕はまだ若造ですが、若いなりに現在の日本を見ていると、近視眼的にものごとが進んでいくことに危機感を覚えます。政治も外交も、経済もしかり......原因はやはり、島国ゆえの安心感のようなものなのだと思います。目先を見ていれば自己完結できてしまう気分が、日本にいるとどうしてもあるのではないでしょうか。取材で世界各地を見てきた感覚で日本に改めて目を向けると、その点は否めません」

「現在の日本の、支持を得るためならどんな公約でもする、諸外国に批判されるとすぐに方針を変える、売れるためならいくらでも安さを追求する......これでは先行きは不安です。ただし、そのなかでも可能性が、たとえば世界でも類を見ないこだわりの姿勢、仕事への緻密さ、協調性と思いやりの精神などに宿っていると思います」

「今回、『132 5. ISSEY MIYAKE』のシリーズが実現されたことは、まさにこうした可能性のシンボルと言えるのではないでしょうか。次なる『132 5.』となる活動を、今度は、私たちひとりひとりが行っていかなければならないのだと実感しています」

日常、環境、社会とつながるデザインの意味を改めて考えながら、私たちひとりひとりがこれから先に一体、何を見ていくのか。展覧会のテーマをより深く理解していただけるのが、映像作品「『再生・再創造』その先に、何が見えるか」です。制作の現場を目にできる貴重な映像であることはもちろんのこと、登場人物ひとりひとりの想いが込められた言葉にも、注目ください。

文:川上典李子

vol.1 「132 5. ISSEY MIYAKE」開発ストーリー
vol.2 新しい立体造形を探る、 コンピュータサイエンティスト
vol.3 ドキュメンタリー映像作家米本直樹が考える「再生・再創造」

川上典李子のインサイト・コラム vol.2

リアリティ・ラボ・プロジェクト・チームが服のパターンを研究・開発するなかで、三谷 純の研究を生かしたことは、前回のコラムで触れました。今回は、コンピュータサイエンティスト、三谷の研究について紹介しましょう。平坦な素材を折ることで形づくられる立体造形の数理的研究が専門です。

「子どもの頃からペーパークフラフトが大好きでした」と三谷。精密機械を専攻していた東京大学大学院での学位論文もペーパークラフトに関する内容だったそうです。一枚の紙で造形をつくる折り紙の研究は5年前から。立体的な折り紙の研究は2年前から続けられています。

本展のための作品『Spherical Origami』。WOWとの共作。

「架空の形を自由に表現できるCGとは異なり、実在する紙で制作できるという点が求められます。ある種の幾何学的な制約が生じますが、それゆえにチャレンジすべき興味深いテーマです」。オリジナルのソフトウェアで展開図を検討。展開図を折り、造形をつくりあげるまでの一連の過程が研究対象です。

三谷ならではの造形の特色は、「曲線折り」の技法が含まれること。仮想空間における一本の軸を中心として、折れ線を回転させて立体が形づくられるのです。WOWとのコラボレーションとなる本展出展作品『Spherical Origami(スフェリカル・オリガミ)』では、一枚の紙が一体どのように折りあげられていくのか、ダイナミックなCG映像にも注目ください。

21_21 DESIGN SIGHTでも紹介している新作のひとつが、『ホイップクリームの3連結』。手作業で図面を描くのがまさに困難な、曲線の集合から構成される立体造形の一例です。「平面に敷きつめられる正多角形は、正三角形、正四角形、正六角形。この作品では展開図と立体形状の両方が正六角形を連結した構造になるように工夫しました」。螺旋を描きながら伸びるタワー、『3段重ねボックス』も新作のひとつ。多数のひだがもたらす陰影の美しさにも三谷のこだわりがあります。

『ホイップクリームの3連結』、2010年。
『3段重ねボックス』、2010年。『Spherical Origami』映像から。実際の立体造形を会場でぜひご覧ください。

「数式で表現できる形はコンピュータ上で構築可能です。ですが、実際に紙でつくれるのかどうかは、手を動かして確かめてみないとなりません。実際に折る場合には素材の厚みや、自分の指の動きなどの物理的な状況が加わってきますから」。本展会場では2年間の試作品、約300点もあわせて紹介しています。三谷が教鞭をとる筑波大学の研究室で保管していた貴重な試作の数々です。

三谷は現在、次なる研究も進行中。軸対称ではない立体造形の考察です。

最新の研究から。軸対称ではない曲線による立体造形。

無造作に折られた紙に見えるかもしれませんが、すべての曲線が計算で導きだされている画期的な立体造形です。「幾何学的な対称性を持たない曲線で折ったものです。このような形を設計することは今もなお難しい課題で、具体的な設計技法は確立されていません。その課題を、最近自分で開発したソフトウェアで試みてみました。有機的な曲線のネットワークから生まれる形を導出したものです」

すべてが、「表現の可能性を拡げるための研究」。「コンピュータの中で折り紙の造形を様々にシミュレートしていると、過去に多くの折り紙アーティストが見出してきたパターンを再発見することもあります。その一方で、自分でも予測しなかった新しい造形に驚かされることも少なくありません。今後も、今までに見たことのない造形を、一枚の紙で実現させていきたい」。 その想いとともに、三谷の研究はさらに続いていきます。

文:川上典李子

vol.1 「132 5. ISSEY MIYAKE」開発ストーリー
vol.2 新しい立体造形を探る、コンピュータサイエンティスト
vol.3 ドキュメンタリー映像作家米本直樹が考える「再生・再創造」

川上典李子のインサイト・コラム vol.1

本コラムでは、「REALITY LAB――再創・再創造」展の作品について少し詳しく紹介していきます。今回は、「132 5. ISSEY MIYAKE」(以下、「132 5.」)をとり上げましょう。三宅一生が社内若手スタッフらと結成したReality Lab Project Teamによる作品です。

私たちをとりまく社会は大きく変化しており、環境や資源の問題を始め、様々な課題を抱えています。「けれどただ批判をしているだけでなく、課題をしっかり見据えながら、行動をしていこう」と三宅は考えました。「XXIc.―21世紀人」展(2008年)の準備段階に遡るリサーチがその後も引き続き行われ、「10年先、20年先、さらに先」を考えた素材研究が始まりました。チームのひとり、テキスタイルエンジニア、菊池 学の専門知識も生かされています。

こうした活動のなかでチームが出会ったのが、本展会場でも展示している帝人ファイバーの再生素材(ファイバー)でした。同社は世界で唯一、ポリエステル素材を純度の高い状態で再生する技術を実現させています。文字通りのリサイクル、すなわち循環型リサイクルシステムを継続できる画期的なしくみです。

全国の工場、服づくりの産地をReality Lab Project Teamと訪ねるなどの研究を行いながら、三宅は、同社の再生ポリエステル繊維を手にとり、「もっといい素材になる!」と興味を持ったと語ります。そのファイバーに独自の工夫を凝らしながら、国内の製織会社や染織会社とつくった布地が、「132 5.」には用いられています。

環境をふまえた素材の選択、製造の手法を考えることは、今やデザイン、ものづくりの大前提となること。それだけにリサイクル素材を用いていることを強く打ち出した衣服ではありませんが、三宅一生が長く取り組んでいる「一枚の布」がそうであるように、「132 5.」の衣服も、一本の糸の段階、生地の探究から始まっているのです。

特色はもちろん素材だけではありません。一枚の布地からどう立体造形をつくるのかを探っていたReality Lab Project Teamは、今回のスタートとなる形(「No.1」)を考案した後、コンピュータグラフィックスの分野で形状モデリングを専門とする三谷 純(筑波大学准教授)に出会います。曲線を特色とする立体造形を設計、一枚の紙から自身の手で立体造形をつくっている三谷の研究をインターネット上で目にしたのがきっかけでした。

Reality Lab Project Teamで次に進められたのが、三谷のソフトウェアを活用した衣服の基本形の研究です。ソフトウェアを活用して設計図を作成、まずは紙で三次元造形を手で折って造形を形づくります。次にそれらの立体造形が平面になるよう、上から力を加えるようにたたみます。

三谷のソフトウェアを生かした立体造形と、それをたたんだ状態

とはいえ、立体にするべく考えられた設計図とそこから生まれた立体造形は、そのままで簡単に平面(2次元)にたたむことはできません。そのための新たな折り目を加えるなどの工夫が必要でした。どこを折るか、また、衣服とする場合にはどこに切り込みを入れるのか、ここで生かされたのがパターン・エンジニアとして活躍する山本幸子の経験です。

折りたたみの数理に基づく地のパターンを最大に生かしながら、服づくりの経験が最大に生かされた服。日本各地の工場の技が生かされた服が、こうしてついに完成しました。折りたたまれた造形の一部を手にとり、持ち上げるようにしていくと、スカートやジャケットが立ち上がるように現われます。同じパターンでも、布地のサイズ違いや組み合わせ方の応用で、ドレスやジャケットになる、という具合に展開していきます。

左は折りたたまれた「No. 1」、右は「No. 1」の折りを用いている「IN-EI」

現在、Reality Lab Project Teamではこれらの衣服と同じ折りたたみのパターンを生かした照明器具「IN-EI ISSEY MIYAKE」の開発も進行中で、会場ではそのプロトタイプも展示しています。素材は再生ポリエステルペーパー。強度を得る工夫を始め、改良がさらに重ねられているところです。

本展会場では、「132 5.」の衣服をボディで紹介すると同時に、平面から立体へ、立体から平面へと姿を変える衣服の様子をパスカル・ルランの映像で目にできるようになっています。また、毎週土曜日午後、館内でReality Lab Project Teamによるプレゼンテーションを行っています。ダイナミックに変化する造形の醍醐味をじかに体感ください。

文:川上典李子

vol.1 「132 5. ISSEY MIYAKE」開発ストーリー
vol.2 新しい立体造形を探る、 コンピュータサイエンティスト
vol.3 ドキュメンタリー映像作家米本直樹が考える「再生・再創造」

60年代、70年代、80年代の各時代を倉俣とともに過ごした藤塚光政、近藤康夫、榎本文夫を迎え、展覧会ブックの出版を記念して行われたプレイベント。はじめに、ゲストそれぞれが各年代の倉俣作品ベスト3を発表。藤塚は、「構造を光に、光を構造に」と発想を転換し「ものの存在を消しながら存在させる、重力から開放された」倉俣の仕事について、60年代を中心に解説。近藤は、自身も強いショックを受けたという70年代の空間・インテリアデザインを紹介し、当時作品に名前をつけなかった倉俣の仕事ぶりに触れ「ものを残すという考え方はなく、精神性を残したかったのでは」と語りました。80年代をともに過ごした榎本は『ミス・ブランチ』や通称『オバQ』、「割れガラス」や「スターピース」を使った晩年の代表作を通して、「素材ありきではなく、表現したいもののために素材を探した」倉俣の「究極のデザイン」について説明しました。

出演者:(左より)関 康子、榎本文夫、近藤康夫、藤塚光政

続いて、本展ディレクターの関 康子が、倉俣が唯一の師と仰ぎ尊敬した展覧会のもう一人の主人公、エットレ・ソットサスの半生と仕事を紹介。代表作『バレンタイン』は「現在で言うところのiPhoneやiPadに匹敵する斬新なデザイン」であったなど分かりやすい解説から、大量生産・大量消費社会に疑問を持ち「単なる産業の奴隷になりたくない」と亡くなる間際までデザインの可能性を探り、デザイナーが社会にどう責任を持つべきかを問い続けた巨匠、ソットサスの思想や姿勢を浮き彫りにしました。

最後に、倉俣作品を10倍楽しむために、榎本は「素材」、近藤は「寸法」、藤塚は「ディテール」をキーワードに列挙。関は、本展を企画した三宅一生の「Not Period(これが始まり)」というキーワードに触れました。21世紀も10年が過ぎ、時代が大きく転換する現在、二人のデザイナーのメッセージは私たちに何を伝えているのか。来年2月、倉俣の没後20年を機に開催される本展が、ますます楽しみになるトークでした。

本展では自身の研究でもある立体造形と、WOWの映像によるコラボレーション作品での参加となる三谷 純。館内で立体折り紙を使ったワークショップを行いました。

小さい頃に、一度は触れたことがあるであろう「折り紙」。まず三谷は、鶴などおなじみの造形から、形を変えてさまざまな研究対象や作品となり、世の中に発表されていると紹介。世界で最も複雑と言われている折り紙や物理学者の研究、三谷の研究など動画も交えて折り紙の歴史を学びました。その後会場を移動して、実際の展示作品も参加者と一緒に鑑賞。展覧会参加へのきっかけを話しました。
席に戻ると、いよいよ制作がスタート。はじめに3種のオーナメント用に3枚の白い紙が参加者に配布されます。紙にはそれぞれ違った折り線が入っており、三谷主導のもとに簡単な形から折っていきます。見本はあれど曲線折りに戸惑いを見せる参加者たちは、三谷の丁寧なデモンストレーションによって、完成に近づけていきました。ときには大人が子どもに教わる場面もあり、テーブルごとに和気あいあいとワークショップは進みました。
最後は完成したオーナメントを持って全員で記念撮影。会場はひと足早いクリスマスのにぎやかな雰囲気に包まれました。

展覧会ディレクター 関 康子によるウェブコラム
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第2回

第2回目は、本展の主人公である倉俣史朗とソットサスのデザイン交流についてです。

二人ってどんな人?

日本では、ソットサスといえば、オリベッティ社の真っ赤なタイプライター「バレンタイン」(1969)、アレッシィ社のテーブルウエア(70年代~)、発表と同時にセンセーションを呼んだ「メンフィス」(1981)の一連の家具やオブジェが知られています。けれども、ソットサスの才能はプロダクトデザインや建築だけにとどまりません。
彼は、抽象画を描き、世界中を撮影して写真集『METAPHORS』を出版し、『二分の一世紀』と題した雑誌を構想し、『TERAZZO』(90年代)の編集・出版、ガラスや陶器製のアートピースの制作、展覧会の企画、「メンフィス」のようなデザインプロジェクトのプロデュースなど、その興味と活動は多岐にわたり、同時代のデザイナーや建築家を牽引していたのです。その様子は、『建築の解体』(磯崎新著)にも記されています。

『TERAZZO』by Sottsass

さらに驚くのはそのエネルギー。「メンフィス」を立ち上げたのは63歳のときで、同年、自分の子どもほどの20代の若者たちと「ソットサス&アソシエイツ」を設立。その情熱はとどまるところを知らず、89歳のときに「...でも働くこと、これが一番好きだな。アシスタントが毎日ここに来て、僕のデザインしたものをモデルに具現化してくれる。それはとても楽しいよ」と語っているのです。まさに「生きること=創造すること」を体現した人物。

一方、1955年に桑沢デザイン研究所を卒業後、「三愛」に就職してデザイナーとして活動を始めた倉俣さんは、松屋のインテリアデザイン室を経て65年に独立し、クラマタデザイン事務所を設立。その後、60年代は当時のミニマルアートに触発された作品やアーティストとの共作を、70年代には既成概念に対する矛盾やアイロニーとしての表現を、そして80年代に入ると、なにものにも束縛されない自由で夢のような世界を創造するようになります。

「光の椅子」(1969)
Photo: Takayuki Ogawa
「硝子の椅子」(1976)
Photo: Takayuki Ogawa
「アクリル・スツール」(1990)
Photo: Kishin Shinoyama

対照的な表現

そんな二人の交流が深まったきっかけが「メンフィス」。後にソットサスは二人の関係をこのように語っています。
「お互いに側にいて、見つめているだけで、言いたいことがわかる、そんな関係でした。非常に不思議で神秘的な、言葉を介さない橋が二人の間にはかけられていたという風に言えるでしょう」。
けれども二人が生み出すデザインは対照的でした。

エスプリヨーロッパ by Sottsassとエスプリアジア by Kuramata(1985-1986)
Photo: Mitsumasa Fujitsuka

ソットサス:
「彼(倉俣)はもっとはかないものを表現しようとして、私はもっと重たくて固定したものをつくろうとしました」。
「私自身は、イデオロギー的なるものに依存している、西欧的な機能主義から脱出したいと思っていました 」。
「私は倉俣史朗に対して俳句を例によく使います。彼は壊れやすいもの、次の瞬間には消えてしまうような短い感情、情感を詠む」。
「光です。物質じゃなくて、光によってモノは形を持つんだということを、倉俣さんは理解していた」。

一方、倉俣さんも作品同様、素敵な言葉をたくさん残しています。

倉俣:
「触れられるものが素材ではなく、匂いや光みたいなものまで、僕の中では素材としてあるのかもしれません」。
「好きな言葉に『音色』がある。トーンで色を感じとりイメージするという日本の感性は素晴らしいと思う。色から音を感じること。人々が音を目で楽しみながら空間と同質化できれば」 。
「アクリルは非常にセクシーな素材です。ガラスの冷たい面と木の温かみのある手触りがあります。視覚的には軽やかな印象を与えます」。
「椅子を機能で語るならば、座っていることを忘れるくらい心地よい椅子をデザインできれば成功だ。私はそうではない。ある種の健全な緊張感を与えたい、見るだけで刺激を感じてほしい」。

イル・パラッツォ内のバージビッボ by Sottsass(1989)とオブローモフ by Kuramata
Photo: Mitsumasa Fujitsuka

ふだん、二人はデザインについて語り合うことはほとんどなかったといいます。けれども作品を通してデザインの対話を楽しんでいたのです。「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展では、二人の心の交感、デザインのキャッチボールの模様を体感していただければと考えます。

ロードゥイッセイ by Sottsass(2009)とロードゥイッセイ by Kuramata(2008)
Photo: Luc Monnet(Left), Daniel Jouanneau(Right)

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展への道 第3回 へ