contents
2012年1月 (13)
「REALITY LAB ― 再生・再創造」展(2010年開催)で展示された、三宅一生+Reality Lab Project Teamによる衣服「132 5. ISSEY MIYAKE」が、ロンドンのデザインミュージアムの「第5回デザイン・オブ・ザ・イヤー」にノミネートされました。
デザイン・オブ・ザ・イヤーは、産業界の専門家がその年の世界のデザインから最も革新的で魅力的なデザインを選ぶ「デザイン界のオスカー」ともいわれる賞で、すべてのノミネート作品は、2月8日から7月15日までデザインミュージアムで行われる展覧会で紹介されます。なお、受賞作品は4月24日に発表されます。
展覧会詳細:http://designmuseum.org/exhibitions/2012/designs-of-the-year-2012
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
寝ても覚めてもアーヴィング・ペンだった
──ペンさんの写真の第一印象をお聞かせください。
細谷 巖(以下、細谷):
僕は1953年に18歳でデザイナーとしてライトパブリシティに入社しました。当時から、会社では「ライフ」「ルック」「エスクァイア」「マッコールズ」「セブンティーン」などのアメリカンマガジンを購入していて、それらのエディトリアル・デザインのすごさに驚嘆したものです。写真・イラストレーション・タイポグラフィなどがとても美しくて、勉強になりました。そして、ファッション誌の「ヴォーグ」でアーヴィング・ペン、「ハーパース バザー」でリチャード・アヴェドンの写真を知りました。
アヴェドンは動的で、ペンは静的なイメージだった。
特にペンさんのポートレート写真を初めて見た時あまりにも素晴らしいので、ちょっとオーバーな言い方かもしれませんが「幸せとはこういうことなんだ」って思ったんです。
それは個人的な感受性のことかもしれませんが、いいものを見た時には幸福感を感じるでしょう。それからはペンさんの撮られた写真が気になって気になって、まさに「寝ても覚めてもアーヴィング・ペン」になってしまいました。
──ペンさんの写真のどういうところが胸に響いたのでしょう?
細谷:カメラマンではない僕が、どうしてそんなにすごいと感じたのかというと、ペンさんの写真はライティングのすばらしさはもとより、形を重要視しているからだと思いました。ペンさんのポートレイト写真はオブジェクトのように写真を撮られます。形=デザインだから、私から見ると、ペンさんの写真はすごくデザイン的に見えたのです。そしてエレガンスとディグニティを感じました。
ペンさんは若い頃、 画家になろうとしていたらしいのですが、アレクセイ・ブロドヴィッチのもとでデザインと写真の師事を受けたのち、「ヴォーグ」の仕事に入り、アーティストでありアートディレクターであるアレクサンダー・リーバーマンに会って、とても感化されたのではないかと思うんです。画家の素養があるから、ペンさんの風景写真はモネやスーラの印象派の絵のようです。静物写真はセザンヌやジョルジョ・モランディを思い起こさせます。
──ペンさんはさまざまな作品を撮られていますが、どちらがお好きですか?
細谷:ファッション写真やポートレートが有名ですが、私は静物写真や、いろいろな国を訪れたルポルタージュ的な写真が好きです。作品集の「MOMENTS PRESERVED」がすごく好きで、それは記憶に残された瞬間、その一瞬を記憶に残すことなのだと思います。「写真を撮ることは時間を撮ること」だと言ったカメラマンがいましたが、まさにその通りだと思います。
ペンさんの写真を見ていると、写真はビジュアル・コミュニケーション(視覚言語)だということがよく解ります。カメラの背後にある「感情」と「知性」が見事に表現されています。
──細谷さんの最近のお仕事を聞かせてください。
細谷:私が今までに本や雑誌などに書いた雑文的なものをまとめて『hosoyaの独り言』というタイトルで白水社さんから春に出版する予定です。
(聞き手:上條桂子)
2012年2月4日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに細谷 巖が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「寝ても覚めてもアーヴィング・ペンだった」の動画を見る
細谷 巖 Gan Hosoya
アートディレクター
1935年神奈川県生まれ。1953年神奈川工業高校工芸図案科卒。同年ライトパブリシティ入社。現在代表取締役会長。東京アートディレクターズクラブ会長。日本グラフィックデザイナー協会会員。受賞=日宣美展特選(1955、56年)。東京ADC金賞・銀賞(1959年)。毎日産業デザイン賞(1963年)。日宣美展会員賞(共同制作、1967年)。ADC会員最高賞(1971、78、84、88年)。朝日広告最高賞(1988年)。日本宣伝賞山名賞(1990年)。紫綬褒章(2001年)。作品展=グラフィックデザイン展「ペルソナ」(松屋銀座、1965年)。細谷巖アートディレクション展(GAギャラリー、1988年)。タイム・トンネル:細谷巖アートディレクション1954→展(クリエイションギャラリーG8/ガーディアン・ガーデン、2004年)。クリエイターズ展(世田谷美術館、2006年)。ラストショウ:細谷巖アートディレクション展(ギンザ・グラフィック・ギャラリー、2009年)。主な作品集・著書=『イメージの翼・細谷巖アートディレクション』(1974年)。『イメージの翼2・GAN HOSOYA ART DIRECTION』(1988年)。『細谷巖のデザインロード69』(2004年)。『クリエイターズ』(2006年)。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。韓国の雑誌Art & Culture Magazineにてご紹介いただきました。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
60年代のNYで体験したペンとアヴェドンとの交流
──坂田さんは実際にペンさんとお会いされているんですよね?その際のエピソード等をお聞かせいただきたいと思います。
坂田栄一郎(以下、坂田):
1960年代と、NYから帰ってきてからですから70年代後半で全部で3回お会いしました。最初はアーヴィング・ペンが日本で展覧会をやった時です。とても静かな方でね。展覧会のレセプションで「ペンさん挨拶を」と言われたとき、さっとマイクの前に立って何か一言しゃべるのかと思ったら「サンキュー」、それだけ。ビックリしました! 僕はアヴェドンのところに4年いましたが、アヴェドンとはとにかく対照的な人ですよね。だけどアヴェドンとペンは仲が良くて、よく電話で喋ってました。もちろん何を話しているかは分かりませんが(笑)。
──そうなんですね。素敵なエピソードです。ほかにはどんな交流がありましたか?
坂田:筆の話があります。当時、NYに日系の写真家でペンのアシスタントをされていたカズ・イノウエさんという方がいて、僕がNYにいた時にはヘアスタイリストの奥さまにお世話になっていたんですね。僕が帰国後に奥さまが日本にいらして、ペンが印画紙を作るために材料を塗る筆を探していると。そこで彼女を浅草にお連れして何本か見繕ったんです。その数年後にペンが日本に来たので会いに行って、きっと覚えていないだろうと思ったので、カズ・イノウエさんと仲良くしていたんだという話をしたら「ああ、あなたが筆を探してくれた人ですね、ありがとう!」って言われたんですよ。そんな小さなことまで覚えていてくださったんだ、と感激したことを覚えています。
──坂田さんはペンさんとアヴェドンという対照的な巨匠お二人を知っていらっしゃるわけですが、ご自身の写真にはどんな影響がありましたか? 坂田さんの撮影現場の雰囲気はどちらに近いですか?
坂田:そこはアヴェドンですね。静かだと間がもたない(笑)。昔は人の心に入り込んで撮るのが怖くてなかなかできなかった。でもペンみたいに静かに撮るというのは自分らしくない。そう、今思い出したけど、昔アヴェドンに「君は道を間違えたんじゃないの? だってキミはジェリー・ルイスみたいじゃないか」って(笑)。今考えると、的を射た言葉だったなと思いますね。
──坂田さんの最近のお仕事を教えてください。AERAの表紙はもっともたくさんの方が見ていらっしゃると思いますが。世界有数の著名人たちを撮影されていますが、やはり坂田さんでも緊張されますか?
坂田:次の展覧会までは時間があるから、皆さん毎週ご覧いただけるのだとAERAの表紙かな。もうやり始めて23年経つんですが、最初の6年は緊張しましたね。だってアラファト議長とか国賓級の人ばかりなんだもん。でも、僕はジェリー・ルイスだから(笑)。現場を楽しくすることには自信がある、だからインタビューよりも先に撮影してくれっていつも言われちゃうんです。
(聞き手:上條桂子)
2012年3月24日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに坂田栄一郎と亀井武彦が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「サプライズ・オブ・ニューヨーク」の動画を見る
坂田栄一郎 Eiichiro Sakata
写真家
東京都生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、ライトパブリシティへ入社。66年渡米。リチャード・アヴェドンに師事。70年に独立。個展「Just Wait」で注目される。主な写真集に『注文のおおい写真館』『amaranth』『PIERCING THE SKY-天を射る』など。 「AERA」誌の表紙写真を創刊以来23年撮り続けている。1993年には、アルル国際写真フェスティバルで写真展・ワークショップを開催。アルル名誉市民賞を受賞した。2005年「PIERCING THE SKY-天を射る」で第24回土門拳賞、日本写真協会作家賞を受賞。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。ベルギーの雑誌 tl.magにてご紹介いただきました。
2012年1月14日に行われた、株式会社解体新社代表の深谷哲夫とクリエイティブディレクターの澁谷克彦によるトーク「対峙する思想・美・デザイン」の動画をご覧頂けます。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。イタリアの雑誌CORRIERE DELLA SERA STYLE MAGAZINEにてご紹介いただきました。
執筆は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のパオラ・アントネッリ氏です。
2011年12月10日に行われた、アーヴィング・ペン財団アソシエイトディレクターのヴァジリオス・ザッシーと21_21 DESIGN SIGHTアソシエイトディレクターの川上典李子によるトーク「アーヴィング・ペンのもとで」の動画をご覧頂けます。
2011年12月23日に行われた、フォトグラファーの加納典明とジャーナリストの生駒芳子によるトーク「静物写真について」の動画をご覧頂けます。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
ニューヨークの空気を深く吸い、独自の黄金律で再構築した人
──深谷さんは、ペンさんがご活躍されていた当時ニューヨークにいらっしゃったそうですね。
深谷哲夫(以下、深谷):
ペンさんは、もう当時から神みたいな存在でしたよね。いまもそうですが、当時のニューヨークという街はそれ自体がメディアというか、クリエイティブに関しては特に世界中に影響を与える街でした。街自体がすごくフラッシー(派手)でいい意味でのヴァニティ(虚飾)があった。そんな街でペンさんは一線を画していて、本当にシンプルで素朴な存在だったように思います。
──ペンさんの撮影に立ち会われたことがあるそうですが、スタジオの雰囲気はいかがでしたか?
深谷:当時のニューヨークのファッションフォトグラファーのスタジオと言えば、ファッションエディターたちが集まって、ランチにはゴージャスなケータリングが来て、というのが一般的だったのですが、ペンさんのスタジオはそうではない。シンプルのひと言に尽きますね。サイズも決して大きい方ではなく、本当に必要最小限のものしかない、そこで偉大なる自然光のもとで撮影を行う、そんなスタジオでした。シャッターを切る瞬間に大切なもの、それがはっきりとペンさんの中でわかっているから、それ以外は必要としないんだろうなと思いました。私が立ち会った撮影は、一生さんの服の写真なので、きちんとライティングを作り込んだものでしたが、ごく普通のセッティングだったと記憶しています。
──ペンさんと直接触れ合って影響を受けたことは?
深谷:ものをいかに多面的にそれぞれの面を深く見るかっていうことですよね。一人の人間から湧き出る個人史へのまなざし、民族学的なまなざし、あるいは、街に流れる現代美術的なインスピレーションをもって花やタバコの吸い殻等を見つめるまなざし、向き合ったものを、普遍的な美しさに再構築しえる可能性とその素晴らしさを、学ばせて頂きました。彼は時代が変わって行くなかで、ニューヨークという街の時代感覚をしっかりと受け止めながら、それをご自分の完璧な黄金比という独自の言語にして再構築するんですね。単に街とその時代をインスピレーションとすることに卓越していただけでなく、そもそもすごくニューヨーク的な人だったと言えるかもしれない。
──深谷さんが最近携わっているプロジェクトを教えてください。
深谷:コンフィデンシャルなものが多くてなかなか言えないのだけれど、ブランド開発や再構築などに携わっています。日本特有の文脈になっていて、世界で分かりにくい、評価されにくい手仕事や技術やクリエイティブが山のようにあると思っています。その価値を高めて世界に発信していけるような、そんなブランドや製品を作っていきたいです。日本の製品力やブランドの魅力を、今の時代の価値として理解してもらうことに、もっと積極的に取り組んでいきたいですね。
(聞き手:上條桂子)
2012年1月14日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに深谷哲夫が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「対峙する思想・美・デザイン」の動画を見る
深谷哲夫 Tetsuo Fukaya
株式会社 解体新社 代表
1956年 東京生まれ
1979年 慶応義塾大学法学部法律学科卒業
1979年 ニューヨーク在住 東京=ニューヨーク間で活動
ワーナーブラザーズ契約ミュージシャンとしてニューヨーク中心に音楽活動
同時期に、東京でブルータス・アソシエイト・エディター、フリーランス・フォトグラファーとして活動
1990年 東京にて株式会社解体新社を設立。
ブランド開発、メディア制作、市場分析などを主に手がける。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。イタリアDomusのウェブサイトにてご紹介いただきました。
http://www.domusweb.it/en/design/pennmiyake-visual-dialogue/
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
加工が盛んな現代だからこそ際立つ、銀塩写真の力
──アーヴィング・ペンさんの写真との最初の出会いは、いつ頃ですか?
ジャスパー・モリソン(以下、モリソン):
1976年前後に『Worlds in a Small Room』が出版された直後、家族の誰かがその写真集を買って来ました。それがペンの写真との初めての出会いで、その本に感銘を受けました。私自身、写真に興味を持ち始めたところだったので、非常に印象深かったのです。ペンの写真はどれもごまかしが一切なく、美しい真実だけがそこにありました。
──ペンさんの写真について、どのようにお考えですか?
モリソン:彼の写真は、今でも力を完全に保っていると思います。ひょっとするとPhotoshopなどのソフトウェアによる写真の加工が盛んな現代の方が、インパクトが強まっているのではないでしょうか。彼の静物写真が特に好きで、実はスチールブロックを撮影した写真を1枚買ったばかりです。
──何か具体的なエピソードはありますか?
モリソン:アーヴィング・ペンには知り合いのような強い親近感を覚えますが、会ったことは一度もありません。こうしたエピソード以外に特筆すべきものが、ひとつだけあります。それは21_21 DESIGN SIGHTで「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展のオープニングに参加したことです。そこで私は、真実性、ユーモア、天性のビジュアルセンス、独創性というペンの作品の特徴を、強く再認識しました。
──最後に、最近のお仕事について教えてください。
モリソン:『Jasper Morrison au Musée』というタイトルの小さな本が、近々完成します。ボルドー装飾芸術美術館での展覧会に関する本で、17~18世紀のアンティークコレクションに私がデザインしたプロダクトを組み込むという企画でした。様々な作品をそれらの「先祖」と組み合わせるという試みは、素晴らしい経験でした。今は普段どおり椅子のプロジェクトを4~5件手がけている他、靴やテレビや鋳鉄製の鍋など、様々なプロダクトの仕事にも取り組んでいます。
ジャスパー・モリソン Jasper Morrison
デザイナー
1959年ロンドン生まれ。ロンドンにあるキングストン美術学校のデザイン科を卒業した後(1979~82年。デザインで文学士号取得 )、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)大学院に進学(1982~85年。デザインで修士号取得 )。1984年に奨学金を得てベルリン芸術大学に留学。1986年、ロンドンで自身のオフィスOffice for Designを設立。
Jasper Morrison Ltd.は現在3箇所にデザインオフィスを構えており、ロンドン本社の他、パリと東京にもオフィスがある。テーブルウェア、キッチン用品から家具、照明、衛生陶器、電子機器、電化製品に至るまで、多岐にわたるデザインを提供。最近は腕時計や時計もデザインしている。また都市計画プロジェクトにも、随時取り組んでいる。2005年に深澤直人氏と共に「Super Normal」プロジェクトを立ち上げる。2011年にオンラインショップJasper Morrison Limited Shopをオープンした。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
揺るぎない「強さ」がある
圧倒的な力を持った、ペンさんの写真
──吉岡さんは、ちょうど本展の作品に登場するコレクションの時代に三宅デザイン事務所にいらっしゃいましたが、その際のエピソードなどをお伺いできれば。
吉岡徳仁(以下、吉岡):
そうですね。まさに、ペンさんのクリエーションに触れたのは、一生さんを通じてのことでした。一生さんからペンさんの写真を見せてもらったり、北村みどりさんから撮影の時のお話を聞いたりしていました。ちょうど自分がパリコレで帽子を担当していた時に作品を撮影していただきました。ペンさんに撮っていただいた帽子のカットは、後に購入して宝物にしています。また、一生さんに「ニューヨークを見てきなさい」と言われたことがあり、ペンスタジオにもお邪魔しました。残念ながら撮影を見ることはできなかったのですが、服の説明をする時に横に座って話を聞いていました。すごく穏やかで寡黙な方だった、という印象です。
──ペンさんの写真から、どんな印象を受けますか?
吉岡:僕のデザインした帽子ではないのですが、有名なエピソードがあって、パンを使ってデザインされた帽子があったのですが、輸送の時にパンにカビが生えてしまったんです。その帽子が届いた時に、ペンさんが「カビが美しい」とおっしゃって、カビが生えたままの帽子を撮影されました。それがすごくペンさんを象徴している話だなと思いました。
ペンさんの写真は、ただ美しい、というだけではなくて、破壊されたり腐ったりという「生の瞬間」に美を見出していて、その表現にものすごい力がある。これだけのパワーを持った写真を撮る方に、出会ったことがありません。
撮影風景を見た方というのはすごく限られていますが、すごく暗いところで撮影をするとモデルさんから聞きました。シャッタースピードが遅いからモデルも動かないでいなければならない、それが大変だったという話を聞いたことがあります。
──吉岡さんがペンさんの写真から影響を受けたことは?
吉岡:強さです。一番難しいところだと思いますが、何もしないで強いもの、そこに行き着くまでの経過が見えないようなものがすごいと思います。そこを目指していきたいです。
──吉岡さんの最近のお仕事を教えてください。
吉岡:今年、オルセー美術館がリニューアルしたのですが、その際のリノベーションプロジェクトで「Water block」が印象派ギャラリーに設置されています。マネやルノワール、ドガ、セザンヌといった印象派の巨匠たちが並ぶギャラリーに置かれ、実際に座って絵画鑑賞をすることができます。パリを訪れる方はぜひお立ち寄りください。
(聞き手:上條桂子)
吉岡徳仁 Tokujin Yoshioka
デザイナー
1967年生まれ。2000年吉岡徳仁デザイン事務所設立。プロダクトデザインから建築、展覧会のインスタレーションなど、デザインの領域を超える作品はアートとしても高く評価されている。
数々の作品がニューヨーク近代美術館、オルセー美術館などの世界の主要美術館で永久所蔵品、常設展示されている。Design Miami / Designer of the Year 2007、A&W Architektur & Wohnen/Designer of the Year 2011受賞。TBS系ドキュメンタリー番組「情熱大陸」への出演、アメリカNewsweek誌日本版による「世界が尊敬する日本人100人」にも選出されている。
www.tokujin.com