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イメージメーカー展 (27)
開催中の企画展「イメージメーカー展」に関連して、本展参加作家 ジャン=ポール・グードのインタビューが、『芸術新潮』9月号に掲載されました。
開催中の企画展「イメージメーカー展」に関連して、本展参加作家 ジャン=ポール・グード特集が、『装苑』10月号に掲載されました。
日本のファッション、美術と工芸を研究し、技術を習得したことが、舘鼻則孝の表現の礎をなしている。一方、フォトグラファーハルは、「東京に住んでいる自分だからこそ表現できることを見つけ、世界に発信していきたい」と創作のモチベーションについて語る。2人は『イメージメーカー展』から何を感じ、今後の展開へとつなげていくのだろうか? 2人の対談を取材した。
──お2人の作品が並ぶこの展示室を見たときの印象を教えてください。
ハル:世界を舞台にして、日本人としてどういう表現をしていくか、と考えて作品を制作している点が共通していると感じました。それと、身体表現ですね。私はカップルの身体を使って画面をつくっていますし、舘鼻さんも、下駄や靴の制作を通じて女性の姿をつくり出しているわけですから。
舘鼻:やはり日本人の表現ということが共通していますよね。ハルさんの作品からは日本のサブカルチャーが見えてくるといわれますが、私の表現もサブカルチャーに変わりありません。海外の文化が日本に入ってきて、それが昇華されて日本の文化として成り立っているということは、要するに伝統的な日本文化からしたらサブカルチャーと呼べますよね。
ハル:私はよく、アングラなカルチャーの世界で活動をしている作家だととらえられていることが多いですけど、今回の展示みたいに、キャリアも長く第一線で活躍されてきた方々と一緒に展示されたのは、自分としても貴重な経験でした。とはいうものの、人の身体や顔が写った写真を切り貼りするグードさんの手法なんかは、世界中にインパクトを与えてグードさんの表現として認識されていますけど、今広告などで使われたら、危険な表現だと受け取られないとも限りませんよね。だから、私の真空パックの作品も「よい子はマネしないでください」といわれるような表現ですが(笑)、エレーヌさんが抵抗なくラインナップしてくれたのかもしれません。
舘鼻:グードさんと会ったときには「キッズ」って呼ばれたんですよ。私は29歳だから、彼からしたら若造ということですよね(笑)。でも、そういうグードさんが回顧展のような形式で過去の作品から新作までを展示していて、その一方で、私やハルさんみたいな、グードさんにとっての「キッズ」の作品が一緒に展示されている。出展作家が少ないグループ展で、こういう年齢やタイプの違う作家が集まるケースはすごく珍しいし、ひとりひとりが違うタイムラインを持っていて、それぞれのストーリーが表現されている今回の企画はとてもおもしろいと思いましたね。展覧会ディレクターの手腕がすごいと純粋に感じました。
──作家のキャリアも表現するメディアも異なりながら、それぞれの表現に共通点が見えるのが『イメージメーカー展』のおもしろさのひとつだと感じました。
ハル:最近、広告の仕事として動画制作をする機会が増えてきているのですが、作品でも動画に挑戦したいと考えているんですね。パッと見て認識できるのが写真の大きな特徴のひとつで、映像はというと、見るためにある程度の積極性が要求されますよね。展覧会では、立ち止まってある程度時間をかける必要があるし、家で見るとしたら、再生しないと見られない。その違いは、表現としての特性の違いにも表れていると思うんです。写真で物語を感じさせ、起承転結を持たせるのだとしたら、それは映像を使ったほうがより伝わるかもしれない。今回、ロバート・ウィルソンさんのビデオポートレートを見たとき、本当にその中間をやっていると感じました。時間経過や動きを表現しつつ、写真のように画面のディテールもきちっと見せている。そういうのを感じられたのはとても興味深かったですね。
──グループ展として、いろいろなタイムラインや時代に応じた表現が見えたことと同時に、舘鼻さんという1人の作家の展示から、西洋と東洋、古典と現代といった要素の連続性と対比が見えてきたのも印象的でした。
舘鼻:自分が日本人のアイデンティティを持っていて、その上で現代的な表現を行うためには、日本の現代性というのがどういうところにあるのか、常に探し続ける必要があります。海外から入ってきた文化が日本で独自の進化を遂げて日本的になっているのも、日本人の編集能力の高さによるものだと思うし、その感性が日本の流行の移り変わりの早さとも結びついているはずです。そういう背景から生まれる最先端なものを海外の人にも伝え、理解してもらうためには、時代や文化的なつながりをきちんと説明する必要があります。ヒールレスシューズの裏付けとして日本の下駄があるわけですし、膝の上まであるレザーのブーツと西洋のルネサンス美術との関係を説明することもできますし、美術の歴史と、日本の歴史と、自分の思考過程とがどのように重なり合っているかを提示することが重要だと考えています。おそらく、今回の展示でその一端を表現することができたのかもしれません。
ハル:インターネットも進化して、過去にどのようなものがつくられていて、世界のどういう場所でどういう生活が行われているのか、などのさまざまな情報を手に入れられるようになりました。つまりある意味で、時代も場所も地ならしされてしまったわけです。写真に関していうと、現在はあらゆるものが撮りつくされてしまった感がありますよね。だからこそ、今まで誰もやっていなかったことをやることが一番大事で、今までに撮られたことのないイメージを見つけたときの驚きも喜びも、とてつもなく大きいと思っています。そして、時代も場所も地ならしされたこの状況を利用すれば、東京で生活しているから得られる感覚で制作した作品を、例えば東京に居ながらにしてニューヨークの人に見てもらうことができるわけです。グローバル化によって、時代や文化のすき間に生まれたローカルで個人的な表現をおもしろがってもらえる土壌が、現代にはあると感じています。
構成・文:中島良平
写真:木奥恵三
展覧会ディレクターのエレーヌ・ケルマシュターは、舘鼻則孝のことを「伝統と未来を見据えてものづくりを行う作家」と、フォトグラファーハルを「カップルをモデルにイメージをつくりあげ、"予想不能"なコンポジションに"愛"を表現するイメージメーカー」と表現する。『イメージメーカー展』では、ふたりの作品が同じ展示室に並べられた。前編と後編の2回にわたる今回のレポート。前編では、それぞれのコメントから2人の表現を紹介する。
展示室に足を踏み入れると、まず目に入ってくるのが石膏による足が林立するインスタレーション。かつて舘鼻則孝が、1枚の皮革から足のフォルムをかたどったブーツを手がけたことがあり、それを石膏で何足も複製することによってこのインスタレーションは生まれた。人の足の構造をリサーチする標本のようでもあり、また、ロダンなど西洋の近代彫刻家たちによる体のパーツの習作が集積した様子も連想させる。
ファッションデザイナーを目指すときにまず日本のファッションを勉強したという舘鼻は、「自分のルーツにあるのは日本のファッションへの関心であり、そこから展開する前衛的で新しいものづくりを追求している」と語る。「今回はほとんどが新作なんですが、ファッションアイテムである靴と、中庭のサンクンコートに展示されたかんざしがモチーフの大きな彫刻作品、その中間であるインスタレーションやオブジェ、という3つのセクションで構成しています。ここに展示したヒールレスシューズは、日本の下駄にインスパイアされて生まれた作品です。その関係性を見せるために、学生のころにつくり始めた下駄を展示しました。東洋の美術として生まれた日本の靴といえます。日本文化に西洋からの文化が影響を与え、融合することで現在の日本文化が生まれたわけですが、そのような西洋と東洋の対比や、古典と現代表現のつながりを常に意識しています」
足が地面よりも高いところに置かれる日本の下駄を工芸の技術によって洗練させた作品。そしてその対比として、伝統的な技術にインスパイアされ、東洋と西洋の融合を現代のモードに昇華したヒールレスシューズ。舘鼻は日本の花魁を研究することで着物や下駄の文化を知り、最新の表現へと展開させるために、ルネサンスや近代彫刻などの西洋芸術も学んだ。身にまとうものを手がけるために、身体性の研究にも余念がない。多様な表現を行いながら、根底にあるのはひとつの意識だということが展示から伝わってくる。
「日本の文化を世界の人に知ってもらいたい、というのが制作の大きな動機です。それをより現代的で新しい形で行うには、どのような技法や素材を用いるのがいいか。美術にも工芸にも歴史的な時間軸があるので、それを横並びで見て、重なり合う部分を説明しながら紐解いているのが自分にとっての制作活動であり、今回の展示でやりたかったことです」
舘鼻の作品と対面する形で、壁面にはフォトグラファーハルの写真作品が展示されている。色鮮やかな画面に写されているのは、布団圧縮袋に真空パックされたカップルの姿。「カップル2人の距離感がどれだけ近づいてひとつになることができるか、それを表現したい」と、ハルはこれまでのすべての作品に通じる制作動機について語る。「袋の上に寝転がってもらって、関節の位置や体のバランスなどを考えながらカップル2人と私との3人でディスカッションして構図を決めます。そのときに、私が俯瞰でそのフォルムが美しいかどうかを考えますし、実際に袋に入って掃除機で空気を抜くことで予期していなかった構図が生まれもします。1分か2分かけて徐々に空気が抜けていき、最終的に顔にピタッとビニールが貼り付いた時点で呼吸ができなくなるので、そこから10秒カウントダウンしながら、袋をグッと引っ張って服の細かいシワを直したり、腕や足の位置を動かしたりして、1回シャッターを切るわけです。そして、シャッターを切ったと同時に袋を開ける。息ができないので時間との勝負です。完璧にコントロールして同じ構図の真空状態をつくることは二度とできませんし、10秒間という限られた時間でその瞬間を画面に切り取ることに、写真というメディアを使う必然性があると思っています」
画面構成を想定し、カップルとの共同作業で被写体をつくりあげる作業が非常に重要な位置を占める。そうして生まれた作品から、新たにイメージが広がり次の作品のアイデアが生まれるという。圧倒的なインパクトを持つ画面は、その構図とディテールの結びつきによって見るものの目を釘付けにする。
「今回展示した7点のうち、1点は『Flesh Love』という2010年の作品で、もう6点は『Zatsuran』という2012年と2013年に撮影した作品です。カップルの2人と、彼らが普段使っているものや家にあるものを一緒に真空パックしています。2人の持ち物が2人に吸い寄せられた貼り付いている様子を撮影することで、 ふたりが引かれ合うパワーがより高次元で表現できると考えたわけです」
記事の後編では、それぞれが考える日本的な表現や、『イメージメーカー』という展覧会としての独自性などについて語った、舘鼻とハルの対談をレポートする。
構成・文:中島良平
写真:木奥恵三
開催中の企画展「イメージメーカー展」に関連して、本展参加作家 ジャン=ポール・グードのインタビューが、『Casa BRUTUS』9月号に掲載されました。
会場1階の受付カウンター脇に展示されたハンブルグの若き王子アレクシス・ブロシェクを撮影した作品に始まり、ロバート・ウィルソンのビデオポートレート作品は『イメージメーカー展』会場内に点在する。展覧会ディレクターのエレーヌ・ケルマシュターは、「通路や階段などを歩くたびに空間的な発見がある安藤忠雄さんの建築にオマージュを表し、展示空間を案内する役割を果たせるのと同時に出品作家たちそれぞれが持つ表現世界のリンクを見せようと考えた」と、キュレーションの意図を語る。設営のために来日したクリエイティブ・プロデューサーのマシュー・シャタックに、ビデオポートレートのプロジェクトについて話を聞いた。
「2004年に始まったビデオポートレートは、ファッションのイメージ映像やTVCMと、映画との中間といえるような形態で制作されます。セットに立ち会うスタッフは40人程度。カメラマンやエンジニア、スタイリスト、ヘアメイクなどのチームが集まって撮影が行われるのです。そのプロデュースを私どもの会社で手がけています」
舞台美術家として最初に知名度を高めたロバート・ウィルソンだが、キャリアの早い段階から複数のメディアでの表現をスタートしており、ビデオを使った作品制作の開始も1978年にさかのぼる。『Video 50』という、30秒ほどの映像スケッチを集めて51分ほどの尺に仕上げた作品だ。マシュー・シャタックは、ロバート・ウィルソンが70年代当時から豊かな映像的アイデアを持っていたことを強調する。
「ビデオポートレートのアイデアもずいぶんと以前から持っていましたが、そのアイデアを形にするためには、2000年代まで待つ必要がありました。技術的な問題です。ハイスピード映像も高精細で収録できるビデオカメラの技術、映像のデリケートなつなぎ目を処理できる編集技術、そして何よりもディスプレーの技術。ビデオポートレートの展示にはパナソニックのプラズマモニターを採用しているのですが、このモニターは、カメラでとらえた黒を"本物の黒"として再現してくれる。赤も同様です。そうした色は再現が難しく、以前のテレビ技術だと黒は濃いグレーに過ぎなかったし、赤も濃いオレンジだった。その技術進歩がなければ、ビデオポートレートはいつまでも実現することがなかったでしょう」
アレクシス・ブロシェクを被写体とする作品は、ステージと緞帳の背景に、スーツ姿で動物のマスクをかぶった姿がまず画面に映し出される。そして、マスクを脱いで現れるのは、11歳の少年の姿。作品は『イメージメーカー展』という異世界へと誘う導入装置となる。そして、歌手のマリアンヌ・フェイスフルや俳優のスティーブ・ブシェミ、中国人初のノーベル賞作家である高行健(ガオ・シンジェン)、ヤマアラシのボリスや犬のセリーヌ、モナコのカロリーヌ王女といったように、被写体がさまざまであるばかりか、演出方法もそのトーンも多様に制作された7点が展示されている。
「ウィルソンの表現の特徴のひとつは、時間の使い方にあるといえます。舞台作品においても、とても時間がゆっくりと流れる作品があります。早い時間の流れでは浮かび上がらない事実、気づくことのできない事柄と出会うことができる、という考えでそのように時間が使われているのです。ビデオポートレートも同様の考えで、基本的にゆっくりした時間が流れ、静かで、荘厳で、いくつもの意味のレイヤーがかかった作品として制作されています。しかし、ウィルソンは犬のセリーヌを用いて制作しているように、シリアスな作品を手がける一方で、コミカルで笑えるような作品も制作しています。多様なメディアで制作を行い、作品のトーンも均一化することなく制作を続ける。それがロバート・ウィルソンというアーティストの制作姿勢の大きな特徴だといえるでしょう」
構成・文:中島良平
写真:木奥恵三
開催中の企画展「イメージメーカー展」に関連して、本展参加作家 ジャン=ポール・グードのインタビューが、『ソトコト』9月号に掲載されました。
また、ウェブサイトでもインタビューの一部が紹介されています。
>>『ソトコト』ウェブサイト
開催中の企画展「イメージメーカー展」に関連して、本展参加作家 ジャン=ポール・グードのインタビューが、『HARPER'S BAZAAR』(USA)8月号に掲載されました。
21_21 DESIGN SIGHTの地下1階に下りると、すぐ右手の壁面に展示されているのがデヴィッド・リンチのリトグラフ作品の数々だ。『マルホランド・ドライブ』や『インランド・エンパイア』といった作品で、現実と幻想のシームレスな世界を描ききった映画監督であり、音楽や絵画、写真などメディアを超えた表現活動を続けるデヴィッド・リンチについて、展覧会ディレクターのエレーヌ・ケルマシュターに話を聞いた。
2007年にパリのカルティエ現代美術財団で、デヴィッド・リンチの絵画、デッサン、写真、短編映像などを集めた大回顧展『The Air is on Fire』が開催された。そのときに彼が訪れたのが、モンパルナスのアトリエ「IDEM」。ピカソやマティスの作品も生み出されたこのアトリエでリンチはリトグラフに魅了され、毎年訪れて制作を行うようになったという。エレーヌ・ケルマシュターは次のように語る。
「リンチの表現に通底しているのは、夢のような幻想性を強烈なイメージに刻み付けている点。彼は映画監督として圧倒的に有名ですが、元々は画家を志していて素晴らしいドローイングを手がけます。映画においては音楽も自ら制作していて、すべてを結びつけて自分の世界を表現するイメージメーカーと呼ぶことができます。そして、常に実験を繰り返しています。リトグラフは彼にとって、石とインクを使用した実験だといえるでしょう。そうした実験と表現を通じて、彼は人間の内面世界へと導いてくれる。人々の見えざる内面をイメージとして描き出しているのです」
リンチが手がける作品では、ときとしてステージや緞帳が象徴的な役割を果たしている。異世界と日常空間をつなぐ装置として。今回、リンチの作品が壁面に並ぶ空間には、24点のリトグラフと対面する形でロバート・ウィルソンのビデオポートレイト作品も1点展示されている。彼もまた、舞台表現を通じて得た技術とインスピレーションをもとに、ビデオポートレイトという手法で人々の内面世界を浮かび上がらせている。そうした表現のリンクを発見することも、『イメージメーカー展』の楽しみのひとつだ。
構成・文:中島良平
写真:木奥恵三
開催中の企画展「イメージメーカー展」が、7/20発行の『SANKEI EXPRESS on the first Sunday』に掲載されました。
ジャン=ポール・グードの新作インスタレーションで音楽を担当したのが三宅 純。ジャズトランぺッターとして活動を開始し、1980年代より数々のCM音楽の作曲、2000年代以降はピナ・バウシュやフィリップ・ドゥクフレといった振付家の舞踏作品、またヴィム・ヴェンダースや大友克洋の映像作品に参加するなど、ジャンルを横断しながら生まれるサウンドの独自の響きが国際的に高い評価を受けている音楽家だ。2005年に拠点をパリに移したとき、最もコラボレーションをしてみたいと考えた作家のひとりがジャン=ポール・グードだった。そして初対面のとき、「ふたりとも丈の短いパンツだったからすぐに友だちになれたんですよ」と笑う。
「国境が地続きでいくつかの国と接していて、色々な場所に近くて移動しやすく、コラボレーションをしたいアーティストたちがたくさん通過する世界の"ハブ"のような街がいい」と考え、2005年に三宅 純はパリを拠点に選んだ。パリに移るとすぐに、思いがけずもグードから舞台作品の音楽をつくってもらえないかと相談を受けた。「彼にまつわる3人のミューズの舞台作品をつくりたい、と相談を受けたのが最初の出会いです。その作品は結局実現しなかったのですが、それ以来、彼に広告音楽を頼まれたり、私がアルバムジャケットのデザインをお願いしたり、ギャラリー・ラファイエットの広告に私が出たり、色々と交流があって、3年ほど前に今回のインスタレーションの話が出ました」
パリの装飾美術館で回顧展を終えたグードは、そこに展示したファリーダをモデルとする巨大な立体作品を動くインスタレーションにしたいと考え、三宅に相談をした。三面鏡のような装置を前にして回転するフィギュアが、無限にその像を増殖させていくようなアイデアなどをグードが語り、三宅はイメージを膨らませた。そして、ふとした雑談の内容が、最も三宅をインスパイアしたという。
「ジャン=ポールがファリーダと付き合っていたときに、一緒に飛行機に乗ってアラビア文字が書かれた彼女の写真を見ていたら、"私の父親はモロッコの音楽界の重鎮なんだ"と、隣の乗客が話しかけてきたそうなんです。その人はユダヤ系だったようで、"お前はワルツというものを知っているか? あれはユダヤ人がつくったんだぞ"という話を始めたのだと。ユダヤの民族はいろんな国に居住しているので、いろんな音楽のスタイルにあわせて変化しながら独自の表現をつくる、非常に音楽的才能のある人たちだと私は常々思っていて、ジャン=ポールの話を自然なこととして納得しました。単なる雑談のひとつだったんですが、それをきっかけに私はその歴史の流れを感じられるような音楽をイメージしました。ワルツが発展していった過程、もしくは、血が混じっていった過程を音楽にしたらどうかなと思ったのが最初だったのです」
ジャズトランぺッターとして活動を始めた三宅は、やがて、作曲家としてジャズの領域に留まらない活躍を続けることになる。「ジャズの場合はテーマがあってアドリブをするけど、他の人がソロ演奏をしているときに暇なんですよ」と冗談めいた話から、作曲活動のきっかけを語る。
「最初はトランペットを吹くことがモチベーションだったわけですが、ライブを続けるうちに、サウンド全体への興味が大きくなりました。それが高じて色々な曲を書くようになったんですが、トランペットだとジャズというカテゴリーに留まっていたのに、サウンド全体を考えるとそこから大きく逸脱できることに悦びを覚えました。演奏することはもちろんとてつもなく魅力的です。しかし当事者になると、全体が見えないジレンマがあります。逆に全体を見ようとすると、当然演奏には参加できません。だからときどきその両方をやるわけです」
さまざまな分野で音楽を手がけ続ける三宅が、初めて舞台作品を手がけたのが奇しくもロバート・ウィルソンの作品だった。その体験は三宅の以後の創作活動にとても大きな影響を与えた。
「各国からいろんなアーティストやスタッフが集まって、ひとつの目的に向かってチームで走るというのが、ミュージシャンとして活動してきたなかであまりなかった光景で、とても美しいものだと感じました。劇場の舞台袖や緞帳裏でストレッチをしているダンサーがいたり、楽屋に緊張感あふれる役者がいたり、そういう風景も含めて劇場は素敵だと思ったんです。そこにはたくさんの記憶が自然と宿っている気もしました。あとは、デヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』に出てくる"シレンシオ"という不思議な劇場にも衝撃を受けました。口パクで謎のパフォーマンスが行われている劇場で、観客はそのパフォーマンスの滑稽さを理解していながら、偽らざる涙を流しているんです。光景として、まさにあんなことが起こるような劇場をつくってみたかったんです」
2013年にリリースされたアルバム『Lost Memory Theatre act-1』は、失われた記憶への思いが音楽で表現された作品だ。これまでにもコラボレーションを行ってきた演出家の白井 晃がこの作品に惚れ込み、舞台化した作品を8月21日から31日まで神奈川芸術劇場(KAAT)で上演する。そこで生まれる音楽と舞台作品の新たな関係にも期待が高まる。
「私は言葉にできない心象風景や心情のレイヤーを音楽にしてきました。たったひとつの音だけで千の言葉以上のものを伝えられる事もある。そして、音楽体験には現実にはない時間が流れる瞬間もあると考えます。なぜ自分が音楽をしているかというと、言葉にできない心象風景や心の動きをレイヤーにして、ひとつの音でも何も語らずに何かを伝えられる、そして、音楽体験によって現実ではない時間が流れる場合もあると考えているからです。音楽の様式だけを考えると、もう飽和してからかなり長いというか、どのジャンルも一応飽和点まで行って重箱の隅をつついている状態です。その異種交配というか、すべてのジャンル様式を横断しながら表現するなかに日本人としてのアイデンティティが出てくるかもしれないし、もしかしたら、新しいオリジナルなものが創りだせるかもしれない。新しいものだけを目指すというよりも、過去の宝に封じ込められたものを掘り起こしつつ、それをいかに自分なりに展開させられるかというのが私のライフワークなのかもしれません」
構成・文:中島良平
写真:木奥恵三
2014年8月2日、映像作家・脚本家・写真家・作詞家の菱川勢一を招き、トーク「イメージを生み出す」を開催しました。
あらゆるフィールドを跨ぎ、既成の枠組みにとらわれることのない作家として知られる菱川。それは、既存の表現方法や分野を超えた自由な創造を行なう作家が集う本展と相通じます。トーク序盤では自身が歩んできた道について述べられました。菱川は高校卒業後放浪し、レコード会社を経てニューヨークに渡ったのち、映像からデザインの世界に入り、帰国後友人たちと共にグラフィックと映像を手がけるデザインスタジオ DRAWING AND MANUALを設立。そこで菱川は「モーショングラフィックス」と呼ばれる表現で名を知られるようになりました。次いで彼のデザインスタジオの話となり、手がけてきた作品の数々を映像トレーラーで紹介し、いくつか象徴的な作品の話に移りました。
誰もが知っている大きな仕事という枠と「大衆」というテーマについて、「見てくださる、楽しんでくださる人々が多様であるということ」の難しさに触れながら、NTTドコモのCM「森の木琴 - Xylophone」では、全長44mに及ぶ木琴を用い、球が木琴を転がる様をワンテイクで収めるべく50回撮ったというエピソードに始まり、国宝をアニメーション化したというNHK大河ドラマ「功名が辻」でのオープニング映像や、同局スペシャルドラマ「坂の上の雲」や同局大河ドラマ「八重の桜」などの制作背景に及びました。「名前や体裁に拘らず、やりたいことがあれば今すぐやる。いい作品にはいいエピソードが残る」と菱川は結び、会場はダイナミックなイメージが生まれる現場となりました。
2014年7月26日、本展参加作家で作曲家の三宅 純と演出家で俳優の白井 晃を迎えたトーク「音楽と舞台のイメージメーカー」を開催しました。進行は、ジャーナリストの生駒芳子が務めました。
三宅がパリに拠点を移した際、最初にコラボレーションをしたいと思っていた人物が本展のメイン作家、ジャン=ポール・グードでした。三宅は、グードの展示作品「三人の女神たち」のための楽曲に、彼が愛した女性たちが鏡の中で踊るイメージと、ワルツが発祥の地アラビアから音楽の都ウィーンまで、大陸を横断しながら変遷していくイメージを重ねたと語ります。
白井は15年以上前に三宅のCM音楽を偶然耳にし、その空間を切り裂くような音に心を掴まれ、神奈川芸術劇場アーティスティック・スーパーバイザー就任当初から、三宅との共同作業が脳裏から離れなかったと言います。二人は今回、台本ではなく、音楽からスタートして新しいイメージをつくるという実験的な舞台「Lost Memory Theatre」に挑戦します。
21世紀は言葉以上のコミュニケーションが求められる「イメージの世紀」だと考える生駒は、ジャンルを超えた人々が集って様々な実験を繰り返す21_21 DESIGN SIGHTは、バウハウスのような存在であると語ります。三宅は今後も「失われた記憶の劇場」の音楽表現というライフワークを続けたい、白井は、神奈川芸術劇場を新しい可能性を広げる場にしたいと語りました。
まさに音楽と演劇のイメージメーカーである三宅 純と白井 晃の「舞台裏」を存分に語り合ったトーク。展覧会と劇場で、日々変化する表現のプロセスを、ぜひ目撃してください。
アーティスト、イラストレーター、広告デザイナーなど、肩書きを限定できないような幅広い活動を続けるジャン=ポール・グードは、自らを「イメージメーカー」と表現する。その創作活動の原点にあるのは、ダンサーであった母親から幼いころに受けたダンスのレッスンで芽生えた、身体とその動きへの興味であり、思い描いたイメージを画面に留めるドローイングへの愛だという。ジャン=ポール・グードに話を聞いた。
「アフリカ人の多くが優れたリズム感を持って生まれてくるように、日本人の多くはグラフィックへの優れた感覚を持って生まれてくるように私は感じています。街を歩いていてもあらゆる場面で魅力的な視覚表現と出会うことができるし、優秀なデザイナーも数多い。三宅一生さんも、私は傑出したグラフィックデザイナーだと思っています。グラフィックへの類い稀なセンスから、独自の服を手がけています。そのような日本という国で、しかも三宅さんがディレクターを務めるこの会場で展示ができるのは本当に光栄なことです」
柔和な笑顔で、今回の展示が実現した感想をこう語るジャン=ポール・グード。長い創作キャリアのなかからキュレーターのエレーヌ・ケルマシュターとともに展示作品を選び、企画を練り上げていく過程で、グードの作品のグラフィカルな側面と、被写体の身体性にこだわる姿勢にフォーカスする展示構成に方向付けられていった。そして、展示のメインとして、彼の人生に大きな影響を与えた『3人の女神』をモチーフとする作品を集結させた。
70年代後半から80年代にパートナーであったグレース・ジョーンズ。80年代から90年代にパリで成功を収め、こちらも私生活をともにしたファリーダ。そして、現在の妻であり、やはりモデルとして数々の広告ビジュアルにも登場するカレン。アフリカ系ジャマイカ人のグレース、アルジェリアがルーツのアラブ系であるファリーダ、韓国系アメリカ人であるカレン。多様な文化に対してオープンで、手法もモチーフも分け隔てなく表現に取り入れるグードの姿勢を象徴するかのような、3人の女性との出会いが彼をインスパイアした。
「ここにいる3人の女性は、いわゆるクラシックな意味での美しい女性とは違うかもしれません。しかし、彼女たちはとても美しい。そのエッセンスを写真や映像、立体に表現して、多くの人に見てもらいたいというある種のエゴが制作のモチベーションとなりました。グレースは身長が高く足も長いのですが、首が短いので写真を切り貼りし、引き伸ばすことでその美しさを強調しようとしました。ファリーダは、アラブ文化を背景に持つ『千夜一夜物語』のような美しいイメージをワルツの映像で表現しようとしました。そしてカレン。私は彼女と20年前に出会い、現在は大きな子どももいる母親になりましたが、いつでも彼女はファンタジーのような存在です。私が抱く彼女たちのイメージを写真や映像などに留めたい、その衝動が私を創作に導くのです」
『イメージメーカー展』で、グードは壮大な野心を持って新作に挑んだ。それが展示室中央に展開する機械仕掛けのインスタレーション『見ざる、言わざる』と『聞かざる』だ。
「最初に思い描いたのは、舞踏室をつくること。私のキャラクターがワルツを踊る舞踏室を作品にしたいと考えたのです。そこで大事な要素が音楽です。音楽とダンスする体の関係をどのように見せるか、人ではなく人形が音楽にあわせて動くことで、見る人々の感情を揺さぶり、楽しませることができるか。そこが私にとって大きな挑戦でした。私が愛した3人の女性に特別な衣裳を着せ、三宅 純さんというこれまでにも一緒に仕事をしてきた素晴らしい音楽家に音楽を手がけてもらいました。今回の作品で"動く彫刻"とも呼べるインスタレーションに手応えを感じましたし、ここからさらに規模も大きくしながら発展させられたら素晴らしいと考えています」
ジャン=ポール・グードのキャリアにおいて、作品には本当に多様なモチーフが登場する。1989年にパリのシャンゼリゼ通りで開催したフランス革命200周年記念パレードを手がけたときは、かつて見たバレエ・リュスの作品『パレード』のイメージから発想を広げた。写真を切り貼りして身体の部位を変形させ、被写体の美を強調する「カットアップ」の手法には、ジャコメッティなどかつてのアーティストがどのように人体の美を表現しようとしたか、という美術史的な要素がひとつのきっかけにもなった。そして現在も、機械仕掛けのインスタレーションの展開を思い描くように、いつでも新しいものに対して貪欲で、常に前進する姿勢を見せる。ジャン=ポール・グードの作品が展示された地下空間に足を踏み入れると、その革新的な表現を目と耳で、そして全身の感覚で一種のファンタジーとして体感できるはずだ。
構成・文:中島良平
写真:木奥恵三
開催中の企画展「イメージメーカー展」に関連して、本展参加作家 ジャン=ポール・グードのインタビューが、『ハーパーズ バザー』9月号に掲載されました。
2014年7月19日、「イメージメーカー展」参加作家の舘鼻則孝によるトーク「展示を語る/日本文化と伝統芸術の未来」を開催しました。
トークは二部に渡って構成され、第一部では、舘鼻の生い立ちと作家になった経緯が語られました。歌舞伎町で銭湯を営む家系に生まれた舘鼻は、シュタイナー教育に基づく人形作家である母親の影響のもと、幼い頃から「欲しいものは自分でつくる」ことを覚えたと言います。そして、東京藝術大学で絵画や彫刻を学び、後年は染織を専攻し、花魁に関する研究とともに日本の古典的な染色技法である友禅染を用いた着物や下駄の制作をすることとなります。この背景には世界で活躍するファッションデザイナーになるために、まずは自分にしか出来ないことを武器にすべく、日本のファッションを勉強してから世界に出ようという想いがあったと語りました。そして、卒業制作では新しい感覚を与えるものをつくるべくドレスと、のちに「ヒールレスシューズ」と呼ばれる靴を制作。花魁の高下駄から着想を得たこの靴は、古典と現代を融合させた独自の美が打ち出されたものでした。
第二部では、本展作品について語られました。コンピュータグラフィックを利用してアクリルを削り出した「フローズンブーツ」や、鋳物メーカー能作の職人たちとの恊働によって制作した作品「ヘアピン」のプロセスを紹介。「日本の文化を新しいかたちで世界に発信してゆく」ことを自らの大義とする舘鼻の世界の深さを伺い知ることのできる貴重な時間となりました。
『イメージメーカー展』レポート第1回
展覧会ディレクターが展示企画について語る
7月4日(金)に開幕した企画展『イメージメーカー展』。フランスを拠点に活動するキュレーターのエレーヌ・ケルマシュターが企画に携わり、展覧会ディレクターを務める。彼女が、日仏文化交流の推進に勤しむこととなった経緯とは? そして、『イメージメーカー展』の発想はどのように生まれたのか? レポートの第1回として、エレーヌ・ケルマシュターのインタビューをお届けする。
1998年、パリのカルティエ現代美術財団で『ISSEY MIYAKE MAKING THINGS』展が開催された。そのときにアシスタントを務めたのが、エレーヌ・ケルマシュターだった。パリで美術史を学び、キュレーションと文筆業に携わることになった彼女が、初めて日本人作家と仕事をしたのがこのときだったという。
「『MAKING THINGS』展は、MDS(三宅デザイン事務所)のラボラトリーに入り込んだ感覚を体験できるような、とても斬新な展覧会でした。その企画と運営に携わり、一生さんのものづくりに対する姿勢からはとても大きな影響を受けました。私たちには現在何が必要で、未来には何が必要か。一生さんはそれを考えながら新しい制作方法を考案し、テキスタイルを開発し、デザインに対する新しい考え方を生み出し続けています。この展覧会をきっかけに、デザインやものづくりの本質的な意味を考えるようになったのです」
カルティエ現代美術財団ではその後も横尾忠則や杉本博司の展覧会を成功させ、2006年にはついに東京都現代美術館の『カルティエ現代美術財団コレクション展』の担当キュレーターとして東京に1か月滞在することになった。そして、新旧問わず日本文化への興味が深まった彼女は、2007年から在日フランス大使館員として東京に住み始める。奇しくも21_21 DESIGN SIGHT開館の年。毎回の企画展に足を運んだ彼女は、ホワイトキューブの連続とは真逆の発想で生まれた安藤忠雄による建築と、デザインの楽しさを伝えると同時に、デザインへの思考や議論を誘発する展示内容に魅了されたという。
「2012年に大使館の任務を終えてフランスに帰国したとき、すぐに今回の展示の中心作家であるジャン=ポール・グードさんと会いました。『東京であなたの展覧会を開催するなら、21_21 DESIGN SIGHTという、最適なデザイン施設がある』ということを伝えたのです。グードさんは21_21 DESIGN SIGHTの展示内容やコンセプトにとても興味を持ち、グードさんの創作活動のさまざまな側面を紹介したいという私のプランに協力してくださることになりました」
ケルマシュターは、「多くのフランス人は、日常的にグードの作品に囲まれて生活しているようなもの」だと語る。「幼い頃、私は誰が演出したのかなど気にすることもなく、赤と白のボーダーのTシャツを着た子どもが登場するコダックのTVCMに夢中になりました。やがてそのCMを手がけたのがジャン=ポール・グードというクリエイターで、驚くほど多様な創作活動に携わっていることを知りました。1989年にグードさんの演出のもと、フランス革命200周年を祝う大規模なパレードがパリのシャンゼリゼで行われたのですが、学生だった当時に私も現場で見て、本当に強烈な体験だったことを記憶しています。テレビをつければ彼が演出したTVCMが流れ、メトロには百貨店や香水などのポスターが貼られ、その高いクオリティと分野を限定しない自由な表現によって彼は人々の日常にアート表現をもたらしているのです」
グードはあるとき、「自分はアーティストと呼ばれることもあるけど、イラストレーターやデザイナーとしての制作も行っているから、あまりその自覚がない。ただどんな分野のプロジェクトでも共通して、自分は『イメージメーカー』として制作を行っている感覚があるんだ」とケルマシュターに語ったという。その『イメージメーカー』という言葉によって、彼女の視界が開けた。グードと同じスピリットを持つ作家たち、それも、文化も世代も異なる5人を呼び寄せることで、デザインとアートの現代性を提示することができるのではないか。『イメージメーカー展』の企画は、そのようにして形づくられたのだ。
ジャン=ポール・グードに加えて、三宅純、ロバート・ウィルソン、デヴィッド・リンチ、舘鼻則孝、フォトグラファーハルという作家はどのような意図でラインアップされたのか。第2回以降のレポートでは、作家インタビューにエレーヌ・ケルマシュターのコメントを交えながら『イメージメーカー展』の核に迫っていく。
構成・文:中島良平
写真:木奥恵三
『イメージメーカー展』レポート
7月4日(金)に開幕した企画展『イメージメーカー展』。
展覧会について、展示作品について、本展ディレクターや参加作家へのインタビューを通じて、より深くお楽しみいただけます。
構成・文:中島良平
写真:木奥恵三
- 『イメージメーカー展』レポート第1回
展覧会ディレクターが展示企画について語る - 『イメージメーカー展』レポート第2回
「体と動きのドローイングからすべてが始まる」
ジャン=ポール・グード - 『イメージメーカー展』レポート第3回
「音楽とは言葉にならない心象風景を表現するもの」
三宅 純 - 『イメージメーカー展』レポート第4回
デヴィッド・リンチのキーワードは「夢」と「実験」 - 『イメージメーカー展』レポート第5回
21_21 DESIGN SIGHTの建築と呼応する
ロバート・ウィルソンのビデオポートレートの展示 - 『イメージメーカー展』レポート第6回
舘鼻則孝とフォトグラファーハルの表現世界 - 『イメージメーカー展』レポート第7回(最終回)
舘鼻則孝とフォトグラファーハルによる対談
開催中の企画展「イメージメーカー展」が、『コマーシャル・フォト』8月号に掲載されました。
2014年7月5日、ジャン=ポール・グードとエレーヌ・ケルマシュターによるオープニングトーク「イメージメーカー」を開催しました。
はじめにケルマシュターが、異分野を融合させて創作に取り組み、クリエーションの垣根を拡げるという展覧会のコンセプトを解説。「イメージメーカー」の代表格であるグードの幼少期から話を始めました。
パリでブティックを営む家に生まれた父とアメリカ人ダンサーの母。グードのDNAにはファッション、音楽、動きが潜んでいました。幼少期を過ごしたパリ郊外の街には植民地博物館があり、ファサードにはアフリカ、アラブ、アジアの女性が描かれていたと言います。
話は続いて、グードの三人の女神たち−−−グレース・ジョーンズ、ファリーダ、カレンとの出会いと恋に移ります。常にグードのインスピレーション源である女性たちがどんなに美しいかを伝えようと、彼は様々な作品をつくり、同時にショービジネスやファッションの世界を変革してきました。
ファッションに興味は持ちながらも、「愛する女性のための服しかつくれない。あらゆる女性のための服はつくれない」というグード。三人の女神をモデルにした本展のメイン作品は、平和のアレゴリーでもあると語りました。
「イメージには、目に見える映像と頭に浮かぶ印象というふたつの意味があり、その両方をつくるのがイメージメーカーの仕事」というグード。クリエイティビティよりもマーケティングが重視され、ポエジーよりも結果ばかりが求められる現代の広告業界を疑問視しながら、これからの時代をつくる人々に、「ものごとに良く耳を傾け、目を凝らし、考え、努力しよう」と、力強いメッセージを投げかけました。
ケルマシュターは、開館以来のファンであるという21_21 DESIGN SIGHTで展覧会を開催する喜びを語りながら、来場者が現代を問い、未来を想像できる展覧会になればと、トークを締めくくりました。
7月4日(金)、いよいよ企画展「イメージメーカー展」が開幕します。
ファンタジックな想像の世界をつくり出すこと、様々なクリエイティブな分野を融合させること、そして今ここにある世界について語りながら、人々を全く違った世界へ連れだすこと......。本展では、日仏文化交流に精通したキュレーターのエレーヌ・ケルマシュターを展覧会ディレクターに迎え、広告の世界に革命をもたらしたジャン=ポール・グードを中心に、国内外で活躍するイメージメーカーたちによる作品を展示します。
<展覧会の見どころ>
希代のイメージメーカー、ジャン=ポール・グードの世界にメインギャラリーが変貌
グードの創作は次元を超越し、見る者を想像の世界へといざないます。本展では、プライベートな生活での出会いが色濃く反映された機械仕掛けの彫刻「見ざる」「言わざる」「聞かざる」が一番の見どころ。会場では、彼が崇拝する「3人の女神」たち―グレース・ジョーンズ、ファリーダ、カレンをモデルにした人形が、三宅 純作曲の音楽に合わせて踊ります。さらに、グードが手掛けたパリの地下鉄内のデパート広告を16台のモニターを連結して再現したビデオインスタレーションや、写真コラージュ「形態学的改良」シリーズ、ドローイングなどを展示し、自らの世界観を大胆に表現します。
「ヒールレスシューズ」によって世界に名を知らしめた、舘鼻則孝の新たな側面を公開
彫刻、オブジェ、靴の全てが融合された舘鼻の「ヒールレスシューズ」は、履くことによって身体のラインを一変させます。その発想源には花魁の高下駄や日本の伝統文化があります。本展のために、舘鼻は制作プロセスとともに新作の靴と下駄を発表。また、身体構造にインスピレーションを得た石膏作品「アイデンティティーカラム」やアクリル製の彫刻「フローズンブーツ」、さらには大型のかんざしを屋内外に展示します。なお、地下ロビーには「ヒールレスシューズ」試着コーナーも設置します。
あらゆる分野を横断するイメージメーカーたちによる、活気ある世界の物語
舞台演出家として名高いロバート・ウィルソンの「ビデオポートレート」シリーズを日本初公開。本展のために作品プロデューサーが来日し、21_21 DESIGN SIGHTの建築空間に新たな"舞台"をつくりだします。また、映画、写真、絵画と様々な分野で活躍するデヴィッド・リンチは、自らの心象風景を映しとったリトグラフ24点を出展。さらに、フォトグラファーハルは、カップルを真空パックして撮影した「Flesh Love」と新シリーズ「Zatsuran」を紹介します。日仏文化交流に精通したキュレーター、エレーヌ・ケルマシュターのディレクションにより、国内外屈指のイメージメーカーたちの作品が一堂に集い、活気ある世界の物語を繰り広げます。
Photo: 木奥恵三
2014年7月4日より、いよいよ開催される「イメージメーカー展」。開幕を間近に控えた本展の参加作家と、それぞれの作品の見どころを紹介します。
フォトグラファーハル
工学部機械科卒業という異色の経歴を持つ写真家のフォトグラファーハルは、学生時代から異文化に興味を持ち、中東やインドへの旅を通じて写真への情熱を育みました。写真は、旅の先々で出会う人々と恥じらいや言語の壁を超えてコミュニケーションする鍵だったのです。大学卒業後は広告制作会社で写真の技術を磨き、セレブリティやファッションアイコンの撮影を通して、テーマは次第に人物に絞られていきました。
ハルの撮影する写真には、愛と平和という人類の普遍的なテーマのもと、年齢や性別、人種、外見など、ありとあらゆる違いを超えたカップルが登場します。2004年、狭い空間でカップルを撮影した「Pinky & Killer」に始まるシリーズは、より狭小でプライベートなバスタブの中で撮影する「Couple Jam」に発展。さらには、カップルを真空パックして撮影する「Flesh Love」に展開しました。
本展では、「Flesh Love」のほか、カップルが愛してやまない日用品を一緒に真空パックした新シリーズ「Zatsuran」より、近作計7点をご紹介します。
「私はカップルを密着させ一体化させる事で愛のパワーを視覚化しようと試み続けている。その密着させる手段の一つとしてカップルを真空パックすることにした。袋の中では呼吸が出来ないのでその状態は数秒しか保てない。だからその様子を写真に収めて行く。そしてさらに強い愛を表現する方法は無いか試行錯誤していたときに、一生を終えた星がビックバンを起こしその後収縮してブラックホールになり、あらゆる物を吸い寄せるという話を思い出した。そこで二人が生活する上で身の回りにある物たちをもろごと真空パックしてみることにした。スタジオに家の物をすべて持ち込む事は出来ないのでパックされる物は彼らに取捨選択され、そこからも彼らの個性がより凝縮していく。一緒にパックされた物等はカップルの共通言語で真空パックし密着されるという事は新たなカップルの愛の表現の形である。また、入れる物の選択や配置はするものの、空気を抜く過程で 計算外の動きをするため偶然性が極めて高い。その様子は一見雜乱としている様だが自然界の仕組みのように必然性と秩序があると思う。これは2人の雜乱とした小宇宙なのである。」------フォトグラファー・ハル
2014年7月4日より、いよいよ開催される「イメージメーカー展」。開幕を間近に控えた本展の参加作家と、それぞれの作品の見どころを紹介します。
舘鼻則孝
まだ20代という若さの舘鼻則孝は、歌舞伎町で銭湯「歌舞伎湯」を営む家系に生まれました。人形作家である母親の影響で幼い頃から手でものをつくることを覚え、15歳の時から服や靴の制作を独学で始めました。東京芸術大学で絵画や彫刻を学んだ後、染織を専攻し、花魁に関する研究とともに日本の古典的な染色技法である友禅染を用いた着物や下駄を制作しました。
2010年、大学卒業とともに自身のブランド「NORITAKA TATEHANA」を立ち上げ、自らのアプローチによりレディー・ガガの専属シューメーカーとなります。全ての工程が手仕事により完成される靴は、ファッションの世界にとどまらずアートの世界でも注目され、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館やニューヨークのメトロポリタン美術館などに永久収蔵されています。
本展では、代表作「ヒールレスシューズ」のシリーズを制作プロセスとともに展示するほか、下駄やブーツ、ヘアピンなど、多数の新作を発表します。注目は、身体に関する舘鼻の研究と造形力が存分に発揮されたインスタレーション「アイデンティティーカラム」。彫刻ともオブジェとも捉えられる、舘鼻の新境地をご堪能ください。
なお、地下ロビーには、「ヒールレスシューズ」試着コーナーを設けます。
舘鼻則孝が出演する関連プログラム
トーク「展示を語る/日本文化と伝統芸術の未来」
日時:7月19日(土)14:00-15:30
出演:舘鼻則孝
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2014年7月4日より、いよいよ開催される「イメージメーカー展」。開幕を間近に控えた本展の参加作家と、それぞれの作品の見どころを紹介します。
デヴィッド・リンチ
映画監督として知られるデヴィッド・リンチは、画家を目指してペンシルベニア美術アカデミーで学び、若い頃から絵画や写真、アニメーションや立体作品など、様々な方法で独自の表現活動を続けてきました。現在も映画監督としてはもちろん、写真家、音楽家、画家、デザイナーとして分野を超えて活躍しています。リンチは多岐にわたる活動を通じて、神秘的であると同時に心をかき乱すような、奇妙であると同時に詩的でもある宇宙を創出しています。
2007年、パリのカルティエ現代美術財団で、リンチの絵画、デッサン、写真、短編映像を集めた大回顧展「The Air is on Fire」が開催された際、彼はパリのモンパルナスにあるリトグラフのアトリエ「IDEM」に遭遇します。そこでは、ピカソやマティス、シャガールらの作品を生み出した印刷機が、今も稼働しています。それ以降、リンチはこのアトリエで毎年リトグラフを制作しています。本展では、物質の歓喜と実験的試みへの探究心が波打った彼のリトグラフ作品24点を、カルティエ現代美術財団から特別にお借りして展示します。
「これにより、リトグラフという全く新しい世界、魔法のようなリトグラフの世界、石の魔法の世界が開かれた。この発見は、実にすばらしい出来事だった。リトグラフという水路が切り開かれ、さまざまなアイデアが流れ出し、それが百枚ほどのリトグラフへと結実した。リトグラフとは、使用する石、制作する場所、制作者のコンビネーションであり、この雰囲気からこれらのアイデアが生まれてくる。この出会いが、手を生きた道具に変え、偶然の要素、手さぐりの試みの可能性を引き出してくれる」------デヴィッド・リンチ
なお、6月25日から7月14日まで、渋谷ヒカリエの8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama Galleryで、IDEMの機械と裸婦をモチーフにした写真シリーズ「NUDE - ATELIER IDEM 2012」と近作のリトグラフを中心とした「デヴィッド・リンチ展」が開催されます。あわせてご覧ください。
関連情報
「デヴィッド・リンチ展」
2014年7月4日より、いよいよ開催される「イメージメーカー展」。開幕を間近に控えた本展の参加作家と、それぞれの作品の見どころを紹介します。
ロバート・ウィルソン
『ニューヨーク・タイムズ』紙に「実験演劇界の巨匠であり、舞台での時間と空間使いにおける探求者」と評されたロバート・ウィルソンは、舞台美術家・演出家兼ヴィジュアル・アーティストとして世界で最も名高い人物の一人です。ダンス、ムーブメント、照明、彫刻、音楽、テキストなど、様々な芸術媒体を自由に統合して型破りな舞台作品を創作している彼は、まさに本展のテーマにぴったりのイメージメーカーです。
圧倒的な美意識で見る者の感情をかきたてるイメージをつくりだし、世界中の観客と批評家から絶賛されるウィルソン。彼の素描、絵画、彫刻作品はまた、世界各地で繰り返し展示され、数えきれないほどのプライベートコレクションや美術館に収められています。
本展では、ウィルソンの多岐にわたる創造性がいかんなく発揮された「ビデオポートレート」シリーズを日本初公開します。照明、衣装、メイク、振り付け、ジェスチャー、テキスト、声、セット、物語など、あらゆる芸術の手法が完璧に融合した作品は、映画のように時の流れを感じさせつつも「凍った瞬間」を捉える写真の要素もあわせもつ、まさにウィルソンの「決定的作品」と呼ぶにふさわしいものです。
本作は、会場に応じたサイトスペシフィックな展示も大きな見どころのひとつ。今回は、クリエイティブプロデューサー マシュー・シャタックの来日により、安藤忠雄の建築空間との奇跡のコラボレーションが実現しました。
マシュー・シャタックが出演する関連プログラム
ギャラリーツアー「ロバート・ウィルソン ビデオポートレート」
日時:2014年7月4日(金)18:00-19:30
出演:マシュー・シャタック(クリエイティブプロデューサー)、エレーヌ・ケルマシュター(キュレーター)
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2014年7月4日より、いよいよ開催される「イメージメーカー展」。開幕を間近に控えた本展の参加作家と、それぞれの作品の見どころを紹介します。
三宅 純
現在、パリを拠点に活躍している三宅 純は、ジャズトランぺッターとして活動開始後、作曲家としても頭角を現し、映画、CM、ダンス、舞台、アニメなど、様々なジャンルの作品に楽曲を提供しています。ソニー、パナソニック、トヨタ、資生堂、キリンビールなどのテレビCMに3000作以上のオリジナル曲を提供し、多くの日本人は知らないうちに三宅の曲を耳にしていることになります。近年では、ヴィム・ヴェンダース監督作品「ピナ/踊り続けるいのち」の主要楽曲も印象的です。
本展の参加作家、ジャン=ポール・グードやロバート・ウィルソンとも親交の深い三宅は今回、グードのメイン作品「ワルツァー(ワルツを躍る人)」のために新曲を制作します。21_21の静謐な空間に響き渡る三宅の新曲に、どうぞご期待ください。
なお、この新曲は、8月20日にP-VINE RECORDSより発売の「Lost Memory Theatre act-2」に収録されます。CDのアートディレクションはジャン=ポール・グードが手がけます。また、8月21日から31日まで、神奈川芸術劇場では、三宅の音楽そのものの舞台化に挑んだ「Lost Memory Theatre」が開催されます。こちらの宣伝ヴィジュアルも、もちろんグードの作品です。この夏、音楽、舞台、展覧会で、グードと三宅のつくりだす世界観を、存分にお楽しみください。
三宅 純が出演する関連プログラム
トーク「三宅 純×白井 晃 音楽と舞台のイメージメーカー」
日時:2014年7月26日(土)14:00-15:30
出演:三宅 純(作曲家)、白井 晃(演出家、俳優)、生駒芳子(ジャーナリスト)
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関連情報
舞台『Lost Memory Theatre』
2014年8月21日(木)- 31日(日)
場所:KAAT神奈川芸術劇場ホール
原案・音楽:三宅 純
構成・演出:白井 晃
テキスト:谷 賢一
振付:森山開次
出演:山本耕史、美波、森山開次、白井 晃、江波杏子 ほか
演奏:三宅 純 ほか
>>神奈川芸術劇場ウェブサイト
2014年7月4日より、いよいよ開催される「イメージメーカー展」。開幕を間近に控えた本展の参加作家と、それぞれの作品の見どころを紹介します。
ジャン=ポール・グード
希代の「イメージメーカー」として知られるジャン=ポール・グードは、1960年代にイラストレーターとしてのキャリアをスタートし、70年代には伝説的なアメリカの「エスクワイア」誌のアートディレクターとして活躍しました。80年代を代表するグレース・ジョーンズとの一連の仕事や、90年代に広告の世界を賑わせたシャネルの香水の広告などは、記憶に新しい方も多いでしょう。
本展では、グードのプライベートな生活での出会いが色濃く反映された動く彫刻「ワルツァー(ワルツを踊る人)」が一番の見どころ。グレース・ジョーンズ、ファリーダ、カレンといった彼が崇拝する「スリー・ミューズ(三人の女神)」たちをモデルにした人形が、まるでオルゴールのようにクルクルと回りながら踊ります。
この他、グードの代表的手法として知られる、フィルムを切り合わせた「カットアップエクタ」のシリーズや、パリの有名百貨店「ギャラリーラファイエット」の広告をモチーフに、16台のモニターを連動させてパリの地下鉄の風景を再現する「サブウェイインスタレーション」など、まさに見どころ満載の展示です。
ジャン=ポール・グードが出演する関連プログラム
オープニングトーク「イメージメーカー」
日時:2014年7月5日(土)14:00-15:30
出演:ジャン=ポール・グード、エレーヌ・ケルマシュター
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