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2024年7月26日、企画展「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」に関連して、トーク「身体とデザインエンジニアリング」を開催しました。本展参加作家の村松 充、宮前義之と、ダンサー・振付家の辻本知彦を迎え、角尾 舞がモデレーターとなり身体とデザインエンジニアリングを語り合いました。
村松は、自身のダンスの経験から人の動きのデザインに関心を持っており、開催中の企画展「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」に展示している山中研究室の「アポストロフ」、稲見自在化身体プロジェクト「自在肢」等の開発をしています。さらに本展では村松は研究者とデザイナーの二役となり、立体作品とともに、デザインプロセスをシミュレーションによって生成するデザインシステム「場の彫刻」を展示しています。デザインとエンジニアという二つの分野を合わせた「デザインエンジニアリング」を、先駆者である山中と一緒にやってきていた村松にとって、同じように実践してきている宮前との対話には以前から興味がありました。
宮前は、A-POC ABLE ISSEY MIYAKEでエンジニアリングチームを率い、新しいものづくりを行っています。A-POCとは、1970年代に三宅一生が唱えたコンセプト「一枚の布」の英語の頭文字から取られた言葉。1998年、コンピューターで設計し織られた布を切るだけで衣服ができる「A-POCプロジェクト」が始まり、学生だった宮前は衝撃を受けたと言います。2001年に三宅デザイン事務所に入社しA-POCに携わりながら、糸や原料、布の製法にも知識を増やし、2011年イッセイ ミヤケのデザイナーに就任してからは、毎シーズン新素材の開発を行ってきました。そしてさらに時間をかけた研究と開発を行う活動として、2021年から現ブランドを始動。本展では、全く新しいつくり方の衣服を展示しています。イノベーションは越境しないと生まれない。次を創造するためには、分業化した各技術の分野を理解し、そこに入っていく必要があると宮前は話します。当日、登壇の男性3人ともが着用していたA-POC ABLE ISSEY MIYAKEのパンツには、通常の服飾デザインのパターンメイキングだけでなく、テキスタイルの設計技術をメーカー以上に知り、糸と織り方の全プロセスを把握してプログラムし、工場のマネジメントやビジネスソリューションに至るまで、様々な知識と技術が込められていると語りました。
このA-POC ABLE ISSEY MIYAKEのパンツは、ダンサーが出したい身体のラインが出せると話す辻本は、ダンサーとしての多くの経験を積み、その後振付を通じて「人に託す」ことや、衣装がダンサーの動きを変えていくことを学んだと言います。宮前も、舞台衣装はいかに衣装がダンサーに制約を与え、間をつくるかが面白く、それには服の構造が大事だと話します。辻本はトークの場で体を動かすことと服を動かすことの違いを実演し、会場を沸かせました。舞台や映像の中の見え方を決めていく振付は、まるでデザイナーの仕事だと感じているという辻本。さらに、いかに一瞬で観る人の心をとらえるかのために、多くの案から絞っていくのはコピーライティングの仕事とも似ていると、角尾も加えます。
ダンスの技術であるアイソレーション(身体の一部分だけを単独で動かすこと)をロボットがすると、連動しないために活き活きと見えないと話す村松に、辻本はソロダンサーの特徴で補足します。バレエに比べて身体が柔らかくないソロダンサーは、硬いものを柔らかそうに動かすため、より不思議に見える。そのために関節を研究し、関節に沿っていかに身体を動かすかが重要になると言います。
高校生の時コンテンポラリーダンスに魅せられ、多くの舞台を観にいく中で衣装、衣服へ興味が繋がっていった宮前と、自身のダンスの経験も元に動きを研究する村松、実際に身体を動かして見せる辻本と、互いへの興味と尊敬に、話は尽きません。角尾からの質問により様々な一面が引き出された3人は、熱気に包まれた会場で、トーク終了後も来場者の質問に答えていました。
2024年7月19日、企画展「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」に関連して、トーク「稲見昌彦×遠藤麻衣子×山中俊治」を開催し、本展に参加する稲見昌彦、遠藤麻衣子と本展ディレクターの山中俊治が、それぞれの視点から研究や制作活動について語りました。
稲見が研究総括を務める研究者・学生スタッフら約100人による「稲見自在化身体プロジェクト」では、人間が物理/バーチャル空間でロボットや人工知能と「人機一体」となり、自己主体感を保ったまま自在に行動することを支援する「自在化身体技術」を研究開発、またそれらが認知、心理、神経機構にもたらす影響の解析も行いました。稲見と以前からよく話をしており、身体拡張に興味を持っていた山中は、このプロジェクトで人が装着して動くロボットを、研究室の共同研究として制作することになりました。こうして完成した、ダンサーが最大4本のロボットアーム「自在肢」をつけて踊る映像は、インターネット上で話題となりました。「重さ最大14kgの自在肢を装着したダンサーは、1時間動き続けられます。それは、振りの動きで身体と機械の協創関係が生まれるからです。身体の拡張がクリエイティビティの拡張に繋がり、その美しさによりリアリティが生まれたことに驚いた」と稲見は話します。
©︎JST ERATO INAMI JIZAI BODY PROJECT
©︎ 3 EYES FILMS, JST ERATO INAMI JIZAI BODY PROJECT
一方、プロジェクトの研究活動を文化的な領域に届けるアウトリーチを目的として、映画監督の遠藤がこのプロジェクトを取材し短編映画作品を撮ることになります。ドキュメンタリーとファンタジーが同居すると評されるこれまでの作品で、海外の映画祭などでも高い評価を受けている遠藤は、作品制作において、テクノロジーと映像の関係を意識してきたと言います。遠藤は、稲見の研究室など5つの研究室で実験を体験し、研究者たちとの対話を通じて、身体拡張の技術への興味と同時に、言葉では表し難い身体の感覚的なものをどう映像で感じさせるのかに取り組んだと振り返ります。科学の伝え方として、言葉での解説を超え、身体や心の共感や違和感を映し出して欲しいと考えていた稲見は、完成した映画『自在』を、個人の体験である「触感的」な映画という感想を持ったと言います。
遠藤の元には、映画を観た人たちから、「ディストピアに思えた」から「ワクワクした」まで、全く違う種類の感想が届いていると言います。遠藤にとっても、稲見の研究する「自在」は、相反する感覚や世界観を複雑に感じさせるもので、映画『自在』についてもそのボーダーは観る人が決められると考えています。映画に登場する装着ロボット「自在肢」と「三つ目のメガネ」をデザインした山中は、映画の主人公の自由さが不自由さにも見える面白さを挙げ、何かの不自由さをテクノロジーが解消しても、本当の自由にはならず次の開発が求められてきた歴史から、「自在」は常に未来に繋がると言います。稲見は、人が自身の成長を感じる喜びは人類史上おそらく不変のことであり、さらなる能力の向上をそれぞれが求めていくことにより多様性が生まれ、「自動」ではなく「自在」と名付けた研究の価値となっていくと今後の研究への期待を込めて語りました。
会場からは質問も多く寄せられ、山中のスケッチ実演など見どころの多いトークとなりました。
* 企画展「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」では、稲見自在化身体プロジェクトの実物の「自在肢」やダンスの映像と、映画『自在』より本展のための特別エディションをご覧いただけます
* 映画『自在』は、2024年8月16日までシアターイメージフォーラムで特別上映されています
https://www.jizai-film.com/
2024年6月29日(土)、企画展「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」に関連して、本展参加作家の「A-POC ABLE ISSEY MIYAKE+Nature Architects」によるワークショップ「熱を加えると布が収縮するスチームストレッチで、ミニチュアの服づくりを体験しよう」を開催しました。
「A-POC」とは、英語の A Piece Of Cloth =一枚の布から来る言葉。1998年に発表されたA-POCは、服づくりのプロセスを変革し、着る人が参加する新しいデザインのあり方を提案してきました。2021年より新ブランドA-POC ABLE ISSEY MIYAKEのエンジニアリングチームを率いる宮前義之は、異分野や異業種との新たな出会いにより活動をさらにダイナミックに発展させてきました。その一つとして、熱で伸縮する糸を複雑なパターンに織った布に、熱を加えると収縮する「スチームストレッチ」の技術を開発しました。
Nature Architectsはメタマテリアルを活用した最先端の設計技術で様々な製造業メーカーに対して、従来製品を超える機能を実現する設計図面を提供する東京大学発スタートアップです。創業メンバーである須藤 海は、折紙技術を用いたプロダクト設計支援ツール「Crane」をCTO谷道と共に開発しました。
そこで、出会った宮前と須藤はそれぞれの技術を融合し、一枚の布に熱を加えることで自動に折られて平面が立体になり、ほとんど縫製しない服づくりを実現、その成果を2023年に発表しました。本展では、その技術によるA-POC ABLE ISSEY MIYAKEのジャケットや、熱を加える前の布、映像を展示しています。
一枚の紙を山と谷に折って造形する折り紙に、つくる形の限界はないと語る須藤。
宮前は、本展で多くの方に披露できたことを良い機会に、これからも研究を続け、新しい服づくりにとどまらず、様々なジャンルで社会に貢献したいと語ります。
布の織られ方や折り紙の仕組みを楽しく伝える二人のレクチャーのあとは、いよいよ参加者が「スチームストレッチ」のミニチュアの服づくりに挑戦です。用意された色とりどりの布サンプルから、各々が2枚ずつ選び、A-POC ABLE ISSEY MIYAKEエンジニアリングチームの指導のもと、アイロンで熱を加えていきます。すると各布に織られた模様に沿って収縮し、布ごとに違う複雑な折り目の山と谷がプリーツをつくります。
次に、そのすでに立体感を持った2枚の布を、クリップを使って小さなマネキンに着せながら服にしていきます。宮前やエンジニアリングチームのアドバイスも受けながら、完成した服をスタイリングし、撮影した写真は参加者が記念に持ち帰りました。
午前の小中学生のみ、午後の高校生以上が対象の回それぞれ、各年代で楽しみながら「一枚の布」とテクノロジーを使ったものづくりの楽しさを体験する日となりました。
2021年7月2日、いよいよ「ルール?展」が開幕します。ここでは、一足先に会場の様子を紹介します。
私たちは、さまざまなルールに囲まれながら暮らしています。それらのルールは今、産業や社会構造の変化などに伴い、大きな転換を迫られています。
この展覧会では、私たちがこれからの社会でともに生きていくためのルールを、デザインによってどのようにかたちづくることができるのか、多角的な視点から探ります。
私たち一人ひとりが、ルールとポジティブに向き合う力を養う展覧会です。
撮影:吉村昌也/Photo: Masaya Yoshimura
2021年2月27日、企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」に関連して、オンライントーク&ワークショップ「体でつたえる −手で描こう」を開催しました。
トークには、アーティストの南雲麻衣、本展グラフィックデザインを担当する祖父江 慎、参加作家の和田夏実、モデレーターとして企画協力の塚田有那が出演しました。
本イベントでは、手話を用いた研究やプロジェクトを手がける南雲と和田による手話のワークショップを中心に、「体でつたえる」楽しさや、視覚言語がひらくコミュニケーションの可能性についてトークが行われました。
手話に対して「わからない」という怖さや「間違って伝わるかもしれない」という不安があると話した祖父江も、レクチャーを通して視覚言語の楽しさを実感。 ワークショップの中で行われた手話を使ったゲームでは、イマジネーション豊かな手話世界を繰りひろげてイベントを盛り上げました。
また、自身がデザインをやる上でも「目で考えること」を意識していると話す祖父江。
手話について「時間も空間も瞬時に伝えることのできる手話は、デザインとは異なる一種のグラフィック。でも、一方向的なグラフィックとは違って、手話には受けいれる側も存在している」と、送り手と受け手の双方の歩み寄りの大切さを伝えました。
さらに、南雲は「言葉だと説明的になってしまうイメージや情景も、手話なら言葉に縛られずにそのまま伝えることができる。コミュニケーションが必要だからこそ、相手に伝わった瞬間は大きな喜びを感じます」と語りました。
トークの最後には、参加者との質疑応答の中で「非当事者から手話を『素敵』や『おもしろい』と言われることに違和感を抱くことはありますか?」という問いが寄せられました。
ろう者の両親のもとで手話を第一言語として育った和田は「当事者じゃなくても、愛や尊重する気持ちがあれば剥奪にはならないから、そういう近づき方をお互いにしていきたい。幼い頃から様々な人と手話を通したやりとりがしたいと思っていたので、今日はその願いが叶って嬉しい」と思いを述べました。
オンラインで多くの視聴者とつながり、視覚言語や言葉の外にある世界を行き来することで、隔たりをこえたコミュニケーションの可能性や表現のひろがりを体感することのできるイベントとなりました。
特別協賛:三井不動産株式会社
2020年10月15日、トランスレーションズ展の開幕を翌日に控え、オンライン記者会見を行いました。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、約11ヶ月ぶりとなった新しい展覧会オープンの一幕を、ここで紹介します。
記者会見には、展覧会ディレクターのドミニク・チェンをはじめ、企画協力の塚田有那、会場構成を手がけたnoizより豊田啓介、酒井康介、田頭宏造、グラフィックデザインを担当した祖父江 慎とcozfish 藤井 瑶が出演し、本展での仕事を説明しました。
また、21_21 DESIGN SIGHTディレクターの佐藤 卓、深澤直人、アソシエイトディレクターの川上典李子も出演し、企画チームの面々と意見交換を行いました。
2020年10月16日、いよいよ「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」が開幕します。ここでは、一足先に会場写真を紹介します。
わたしたちは、自分をとりまく世界を感じ、表現して、他者とわかりあおうとします。相手によって、ことばを選んだり、言語を変えたり、ジェスチャーを交えたりして表現しようとするこの過程は、どれも「翻訳」といえるのではないでしょうか。 そして、そのような翻訳を行うとき、わたしたちは少なからず「言葉にできなさ」「わかりあえなさ」を感じます。
本展は、「翻訳」を「コミュニケーションのデザイン」とみなして、そのさまざまな手法や、そこから生まれる「解釈」や「誤解」の面白さに目を向けます。国内外の研究者やデザイナー、アーティストによる「翻訳」というコミュニケーションを通して、他者の思いや異文化の魅力に気づき、その先にひろがる新しい世界を発見する展覧会です。
撮影:木奥恵三/Photo: Keizo Kioku
2020年10月16日に開幕となる企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」。「翻訳=トランスレーション」をテーマに、言葉の不思議さや、そこから生まれる「解釈」や「誤解」の面白さを体感し、互いの「わかりあえなさ」を受け容れあう可能性を提示する展覧会です。
開催に先駆けて2020年1月15日、メンバーシップやパートナーの方限定のスペシャルトークイベントを開催しました。登壇したのは、展覧会ディレクターのドミニク・チェン、企画協力の塚田有那、会場構成を務めるnoizの豊田啓介、グラフィックデザインの祖父江 慎です。また、参加作家である清水淳子が参加し、対話や議論をその場で絵にするグラフィック・レコーディングにより、トークをリアルタイムでビジュアル化しました。
まずは、チェンが本展の主題である「翻訳」について話しました。
日本でフランス国籍者として生まれ、幼稚園から在日フランス人学校に通っていたチェンは、幼い頃よりフランス語と日本語が入り混じった環境の中で翻訳を身近なものとして体験してきました。また、7つの国と地域の言葉を使い分ける多言語話者である父の存在によって、言語は固定されたものではなく文脈に応じて交換可能なものと認識していったと言います。
「トランスレーションズ展」という展覧会タイトルには、「翻訳=トランスレーション」に"S"をつけて複数形とすることで、正確さが求められる通常の翻訳だけでなく、そこからこぼれ落ちる誤訳や誤解の面白さといった多様な翻訳のあり方を肯定する意味が込められていると語りました。
次に、チェンと塚田がともにボードメンバーとして参加した情報環世界研究会について話は及びました。
情報環世界研究会とは、人間は言語や文化や取り巻く情報環境によってそれぞれ異なる世界を生きているとして、現代における情報やコミュニケーションのあり方を探ったプロジェクトです。
本展では、情報環世界という考え方を取り入れて、人と人との間に常に存在する「わかりあえなさ」や、そこから生じる摩擦や分断を「翻訳」を通して共感しあうことができないかと考えます。そして、言語だけでなく視覚や文化など非言語的な翻訳から、サメと人、微生物と人といった異種間のコミュニケーションまで様々な「翻訳」の試みを紹介します。
塚田は、想像力と技術を用いた多様な翻訳のかたちを提示することで、「わかりあえなさ」とどう向き合い、楽しむことができるのかを考えるきっかけとなってほしいと本展への思いを語りました。
トークの最後には、豊田と祖父江が本展におけるそれぞれの仕事についてコメントをしました。
グラフィックデザインを手がける祖父江は、わかりにくさをも楽しんでほしいという思いから、あえて統一性のないメインビジュアルにしたと言います。背景に描かれたイラストには、目や鼻や口などの身体的な部位に見えるかたちとともに「みえる」「かぐ」「しゃべる」などの動詞をランダムに散りばめることで、ものの見え方は一つじゃないことを表現したとし、本展に寄せて「真実は一つではなく、真実はいっぱいということです」と言葉を締めくくりました。
清水淳子「トランスレーションズ展プレイベントのグラフィック・レコーディング」(2020年1月15日)
展覧会ディレクター ドミニク・チェン、企画協力 塚田有那によるスペシャルトークの様子を、本展参加作家 清水淳子がグラフィックレコーディングでまとめた。
2019年10月8日、企画展「虫展 −デザインのお手本−」に関連して、トーク「虫好きの居所」を開催しました。登壇者は、女性漫画家・随筆家のヤマザキマリ、ブレイクダンサーで本展参加作家でもある小林真大、展覧会ディレクターの佐藤 卓。3人とも、幼少の頃には虫採りに勤しんだ「虫好き」です。
自ら「虫愛好家」と名乗るヤマザキが虫に目覚めたのは、4歳のとき。当時はまだなかった精細な写真の代わりに、数々の虫が手描きされた昆虫図鑑を見て、「絵を描く仕事をしよう」と決意しました。幼い頃は、夜になって外から聴こえる虫の声が、ヤマザキの"起動音"だったといいます。
今年の初め、ヤマザキのそんな虫への思い入れを知った佐藤が、初対面にもかかわらず思わずオファーして、このトークが実現しました。
小林真大もまた、幼い頃からあらゆる昆虫が好きだったといいます。小学生の頃には、その中でも「蛾をやる」(蛾の収集、研究をする)と決め、今ではラオスで蛾とともに暮らしています。
山に入って虫を採るには、常に周囲に意識を巡らせ、危険を避け、状況に応じて瞬時に動くことが求められます。幼い頃から虫を追うことで身体能力を伸ばし、ブレイクダンスの道に進んだのは自然なことだったと、小林は話します。そしてダンスで獲得した能力もまた虫採りに生かされます。
ヤマザキも小林もそれぞれの専門領域と虫とに深い関わりを持っていることに、佐藤は驚きの声を上げていました。
佐藤は今年5月に、ラオスの小林のもとを訪れました。佐藤の滞在中には、現地でもなかなか見られない種類の蛾が集まってきた、と小林。佐藤が撮ってきた写真を見ながら、その大きさ、翅の模様、筋肉のつき方、味まで、熱心に語り合います。 しかし、たった数年のうちに、原生林の減少とともに虫の種類はとても減り、「今いる昆虫は、生き残ったほんの一部」と小林は話します。
ヤマザキは、多様でわからないことだらけの虫と触れ合うことで、未知のものや理解できないことへの恐怖や抵抗を持たずに生きることができる、と自身を語ります。それは、他文化や生死への観念にもつながるのではないでしょうか。わからない存在である虫を排除するのではなく、共に生きることが必要なのだ、と3人は語り合いました。
イベントの最後には、小林真大がラオスでともに活動する友人とブレイクダンスを披露。来場者たちは、展示空間での特別なパフォーマンスに真剣に見入り、大きな拍手でイベントは閉幕しました。
開催中の企画展「虫展 −デザインのお手本−」。その準備段階では、展覧会ディレクターの佐藤 卓、企画監修の養老孟司のもと、これまでなかなか出会う機会のなかった虫のスペシャリストを訪ね、虫への理解を深めてきました。ここでは、本展テキストを担当する角尾 舞が、その一部をレポートします。
ラオスの撮影
5月5日朝。コケコッコーの声で目が覚めた。まだ6時台だが、眠れそうもないので支度をする。後で聞いたら、岡さんもニワトリに起こされたらしい。深夜まで蛾を採っていた小林さんたちは、8時になっても起きてこなかったので、卓さんや若原さんと、先に展望台で朝食を取ることにした。
ラオスでは、まだカメラが完全には普及していない。さらに、鏡のある家も多くなかったらしい。少し前までは、若原さんが集合写真を撮ってあげても「自分が映ってない」と言われることがあったそうだ。鏡が家にないため「自分の顔を知らない人」は当たり前だった。若原さんは、これまでラオスで500枚以上の鏡を買ったという。どうするのかといえば、街の女の子のいる家に配るのだ。同様に、写真を撮って印刷してプレゼントもしてきた。鏡も写真も、ずいぶん喜ばれたという。しかし、そんなことをしてあげる理由は単純で、やはり虫採りに協力してもらうためだった。蝶を採るために庭に入れてもらったり、家の裏の樹にアクセスさせてもらったりする必要がある。全ての行動は、虫採りにつながっているらしい。
展望台は霧が出ていた。ビジターセンターのような場所で朝食を取る。ラープというひき肉を炒めたおかずと、ご飯を食べた。朝食向きではないけれど、味が濃くておいしい。ニンニクがたくさん入ってるね、と卓さん。運転手さんに宿までピストンしてもらい、小林さんたちも合流した。全員集まったところで、夕方に展望台でする予定の撮影の打合せをした。それまでには、霧が晴れるといいのだけれど。
撮影準備をし、今度は街の方へ移動した。マーケットの様子を、岡さんが隅々まで撮っていた。宿の女の子たちとの話題に出たキイロスズメガが売られている。一パック300円くらい。これは安いそうだ。子どもがお母さんと一緒に店番をしている。カメラを向けると、照れる子も、凝視する子もいる。犬もたくさんいる。だいたい、寝ている。
マーケットの片隅で、卓さんが仕事の話を小林さんたちにしていた。「僕がデザインに使う道具は、紙とシャープペンと、消しゴムだけ。パソコンは一切使わない。今の時代、若い人はこれだけでは難しいかもしれないけれど、僕はこれで逃げ切ろうと思って」。卓さんのデザインの話を直接聞いたのは、実は学生以来かもしれない。
ゲストハウスに戻り、昨日市場で買ったマンゴーを剥いて食べた。昼食は米麺。うどんとフォーの中間のような食感だった。宿の人がドサッとトッピング用のハーブを出してくれたけれど「ミントの枝の間には、寄生虫の卵があるかもしれないから気をつけて」と若原さんに言われ、葉だけむしって、スープに入れた。「スーンセーブ」は、おいしく召し上がれ、という意味だと教わった。
昼食後、庭に出ると岡さんがドローンの準備をしていた。ゲストハウスから飛ばして、ブレイクダンスの練習をする小林さんを空撮するそうだ。高さ120m、中心距離700m移動できるドローンで撮った映像を、真横でリアルタイムで見せてもらった。なんだかラオスに全然似合わない未来感がある。
夕方、展望台にまた移動した。断崖絶壁で、小林さんと太田さんが技を決めていく。卓さんが「ボーカリストとか、ダンサーとか、昔から、身体一つでやることに憧れがある」と話しながら、逆立ちに挑戦していた。
文・写真 角尾 舞
2019年8月1日より、ギャラリー3では「TUKU IHO 受け継がれるレガシー」が開催中です。
本展では、ニュージーランド・マオリ芸術工芸学校の教員や学生が制作したマオリの伝統芸術や現代アート作品を展示しています。展示されるタオンガ(宝物)は、石材、骨、ポウナム(グリーンストーン)の彫刻や木材彫刻、織物、青銅細工など、50点以上に及びます。
また、8月14日までの開館日には、毎日会場内で彫刻の制作実演が行われるほか、東京ミッドタウンのコートヤードにて、カパ・ハカグループによる歌や踊りのパフォーマンスも披露されています。
本展は、人種や文化の異なる世界中の人々にマオリ文化を共有し、文化交流を図りながら、民族のアイデンティティや伝統について幅広い観点から議論する機会を提供することを目的にしています。
会期は8月31日まで。ギャラリー1&2で開催中の「虫展 −デザインのお手本−」とあわせて、ぜひご覧ください。
7月19日より開催中の企画展「虫展 −デザインのお手本−」。その準備段階では、展覧会ディレクターの佐藤 卓、企画監修の養老孟司のもと、これまでなかなか出会う機会のなかった虫のスペシャリストを訪ね、虫への理解を深めてきました。ここでは、本展テキストを担当する角尾 舞が、その一部をレポートします。
プークンへ
5月4日、朝9時半。ホテルのロビーに若原さんたちが迎えに来てくれた。昨日のミニバンに乗って、これから7時間かけてプークンという村へ向かう。
ラオスの人口は、約680万人。日本の本州と同じくらいの面積だけれども、千葉県と同じくらいの人口である。山の中には10年間誰も通らない道もあって、新種生物はそういうところから見つかるという。
小林真大さんと若原さんは、プークンの山で出会ったそうだ。夜の山で一人、蛾を採っていた小林さんが、同じく虫を採りに入った若原さんと出くわした。養老さんと小林さんを引き合わせたのも、若原さんだった。
車の窓から、街を眺めていた。道沿いに店が並ぶ。三角形に盛られた米や、籠、山積みのパイナップル、建材のパイプ、そして人々。建物にはドアがないし、窓もない。床屋も外から丸見えだった。軒先には、ただ椅子に座っている人や、赤ちゃんをおぶって立っているだけの女性などがいる。ラオスの人たちは「何もしない」が上手に見える。
ヴィエンチャンから90km平地を走るというが、すでに道の凹凸も目立ってきた。店が減って、空き地が増える。痩せた牛たちが草を食んでいる。日本を出国する前に「ラオスは昔の日本みたいだ」と、訪れたことのある人たちから聞いたけれど、昭和の最後に生まれたわたしには、あまりピンとこない。道沿いには火炎樹の花が咲いている。マホガニーの木が、道路を覆う日よけになっている。
若原さんが「市場、見ていきます? 昆虫でもなんでも、食べ物が売っていますから」と提案してくれた。観光ではなかなか訪れられないような、地元の市場。生きたカエル、ニワトリ、昆虫。大きな竹かごが並んでいて、生きた鳥がぎゅうぎゅうに詰まって鳴いている。奥で、茹でて羽をむしる女性たちがいた。鳥が肉になる場所だった。ふいに卓さんが「これ、僕がデザインしたカルピスだ!」と、色あせた看板を指さした。
市場を出て、大型のドライブインで食事をした後、ついに山を登りはじめる。「これは、なんて名前の山ですか?」と聞いたら「村がないから、山の名前はないかもな」と返ってきた。私たちは、名前がない山を越えていった。
工事現場が眼下に見える。中国とラオスを結ぶ新幹線を建設しているらしい。どこまで登っても、案外民家はなくならない。どこにでも、人は住んでいる。土が赤い。緑が強い。ラテライトの酸性土壌だという。
一つ山を抜け、また平地に戻った。目の前に見える山の形が違う。そういえば、道は我々が走る一本しかない。その道に沿って、人々は生活している。5000kipのお札に描かれるセメント工場を通り過ぎた。お札にセメント工場は意外だったけれど、25年前には画期的な産業だったらしい。
「日本全国の蝶々は238〜239種と言われている。でもラオスの、このバンビエンという山だけで507種いる。世界でここにしかいない蝶々も7種類いる。何十万円で売れるのもある。僕は見つけても、売らないけれど」と若原さんは話す。それを受けて「地球は惑星だなって感じがしますね。見たことない植物を探しているとか。人類がいる間に全ての生き物を把握するのは無理でしょうね」と、卓さん。道はどんどん険しくなった。座っていてもお尻がはねる。一本道を抜けて最後に立ち寄った展望台は、靄がかかっていたけれど絶景だった。
まさかここが最終目的地だと思えないほど、これまで通ってきた集落と変わりのない小さな村についた。そこがプークンだった。標高約1,500mにある、ヴィエンチャンとルアンパバーンの中間地点とも言える村。唯一のゲストハウスの駐車場にバンを停めた。荷物を持って降りると、少女と目があった。「サバイディ」と話しかけたら「サバイディ」と返してくれた。ラオス語で「こんにちは」という意味。若原さんに、教えてもらった。
文・写真 角尾 舞
2019年7月19日より開催となる企画展「虫展 −デザインのお手本−」。その準備段階では、展覧会ディレクターの佐藤 卓、企画監修の養老孟司のもと、これまでなかなか出会う機会のなかった虫のスペシャリストを訪ね、虫への理解を深めてきました。ここでは、本展テキストを担当する角尾 舞が、その一部をレポートします。
さて、ラオス
大型連休のさなかに元号が変わり、どこか新年のようなムードの5月3日の朝、3人で成田空港に集まった。7月19日から21_21 DESIGN SIGHTではじまる「虫展 −デザインのお手本−」の出展作品の一つ、ラオスの山奥で蛾と共に暮らす青年の、ドキュメンタリー映像を撮影にいく旅がはじまる。厳密には出張だけれど、今回はどこか、旅といってもよい風情がある気がしている。
朝8時45分、23番搭乗口。佐藤 卓さんは、いつもと変わらない飄々とした笑顔で現れた。
「人生でこんな機会ないじゃない。絶対に行きたいと思っちゃったんだよね。展覧会の準備をしていると、なかなか会うことがない人に会えるのが、ほんとに楽しいんだよね」。
卓さんが養老孟司さんから紹介された、ラオスに暮らす青年、小林真大(まお)さん。彼を訪れる計画は、卓さんの一声で始まった。映像作家の岡 篤郎さんと、本展でテキストを担当するわたしが、今回の旅の同行者。会場テキストと直接は関係ないものの、今回の旅の記録をつけてみることにする。
トランジット先のホーチミン空港に着いたのは、現地時間の14時。5時間半ほど機内にいた。外は36度だという。トランジットまでの約一時間、小腹を満たそうと、3人でフォーを食べることにした。岡さんが、機材としてドローンを持ってきた話を聞く。卓さんのご親戚はラジコンのエンジンをつくっていたらしく、昔はずいぶんラジコンの飛行機を飛ばしていたそう。
20分遅れで、ラオス・ヴィエンチャン行きの飛行機は離陸した。カンボジアを経由して、ヴィエンチャンへ。ヴィエンチャンの空港で合流した卓さんは「そんな遠くもないのに、こんなに時間がかかるなんて」と話していた。
イミグレーションの人から「どこに滞在するのか?」と聞かれた。「ヴィエンチャンに一泊したら、プークンにいく」と答えたら「山...?」と言われた。そっか、山なんだ。空港を出ると、小林さんが、ラオスに長く住む若原弘之さんと、小林さんと同じくブレイクダンスを踊る太田行耶さん(通称ひげさん)と一緒に待っていてくれた。ロケバスのような大きなバンが迎えにきてくれて、荷物を詰め込み、ホテルに向かった。
「東京という虫を排除している街で、自然を感じてもらいたい」と卓さんが話すと、それに応えるように、若原さんの話がノンストップで始まった。
ホテルには10分ほどで着いたけれど、ロビーで2時間以上、若原さんの話を聞いた。若原さんについては、「考える人」(新潮社)の養老さんによる記事を事前に読ませていただいていたけれど、たしかに日本人には見えない。ラオスという国にあまりに馴染んでいる。そして、ウソかホントかなんてどうでもよくなるような、人生を10回やってもたどり着けない境地の話が次々と飛び出てくる。
若原さんは、早口だ。お話が止まらない。バンの中でも、ホテルのロビーでも、ずっとお話ししている。そして、内容のスケールが違いすぎて、頭が追いつかない。卓さんもずっと「えー!」とか「おー!」とかと叫んでいる。そう叫ぶほかない。
聞いた話を全部書くと、あっという間に数万文字になってしまうから、大幅に割愛するけれど、若原さんは、高校を出るか出ないかで海外に出た。日本にいる期間は全部合わせても20年に満たないという。ずっと蝶を採るのに熱心で、それは今も昔も変わらない。虫を採ることに人生をかけてきた。聞いている限り、あまりにかけすぎてきた。
最初に住んだのはインドネシアだった。人を雇って昆虫を採り、標本にして売る仕事を始めたが、諸外国からペットショップなどがやってきたため撤退したそうだ。
次に行ったのは、中国。ある研究所に就いて、研究方法を教える名目で約1,200人の研究員と蝶を採っていたという。5年ほどたったある日、突然解雇を言い渡される。それだけでなく、いきなり逮捕。3日後に言い渡されたのは、なんと死刑だったそう。カゴに入れられて街内を引きずり回され、石を投げられ、死を覚悟したとき、香港へ追放へとなった。「僕の犯罪は一人も被害者がいない。だって蝶を採ってただけだもん」。
受け入れられた香港で「次にどこに行きたい?」と聞かれたので、ラオスと答え、無事にラオスへ。そして今にいたる......という。そのままハリウッド映画になりそうなストーリーが繰り広げられ、我々の頭は混乱しっぱなし。しかしどこまでいっても、若原さんの話の中心は、虫だった。
文・写真 角尾 舞
2019年3月15日、浅葉克己ディレクション 企画展「ユーモアてん。/SENSE OF HUMOR」が開幕します。
時代を牽引し続けるアートディレクター 浅葉克己にとって、コミュニケーションにおける最も大切な感性のひとつが「ユーモア」です。 本展では、浅葉が国内外から集め、インスピレーションを得てきた資料やファウンド・オブジェとともに、ユーモアのシンパシーを感じているデザイナーやアーティストの作品を一堂に集めます。
時代や国を超えたユーモアのかたちと表現を一望することで、私たちは日々のお営みのなかにある身近なユーモアを見つめ直すことになるでしょう。そして、そこにあるユーモアの感性こそが、デザインやものづくりにおいて重要な、コミュニケーションの本質のひとつと言えるのかもしれません。
撮影:鈴木 薫
2018年4月28日、企画展「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」に関連して、ワークショップ「西野壮平の写真都市を再構築する」を開催しました。
本展参加作家の一人、西野壮平は、東京、サンフランシスコ、パリ、エルサレムなど世界の様々な都市に、35mmフィルムカメラとともに滞在し、撮影した写真をコラージュして独自のジオラママップを制作し続けています。
まずはじめに、西野が自身の作品「Diorama Map」の制作プロセスを解説しました。各都市に1ヶ月から1ヶ月半ほど滞在して撮った写真を、数ヶ月かけてアトリエで継ぎ接ぎしながら作品にしていく緻密なステップが語られました。1作品に使われる写真は、20,000枚ほどにもおよぶと言います。
続けて、参加者の手による「ジオラママップ」の制作に取り掛かります。
参加者には、西野が撮影した35mmフィルムのコンタクトシートが3枚ずつ配布されました。別々の都市が写された3枚のシートを切り貼りし、異なる都市の要素を合わせることで、新たな写真都市を構築していきます。西野から一人一人へのアドバイスを受けて、より躍動感あるコラージュへと変わっていきました。
そしてそれぞれが完成させたコラージュ作品を並べて、写真都市の完成です。最後には、作品の前で記念撮影も行いました。西野が写しとった都市の息吹を、参加者一人一人が作品づくりを通して体感する時間となりました。
現在開催中の企画展「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」。展覧会の全体像を紐解く展覧会ディレクターのインタビュー第3弾。(文・聞き手:中島良平)
ウィリアム・クラインの表現と「次の世紀を担うようなアジアのエネルギッシュな才能」とを対比させること。21_21 DESIGN SIGHTで最も広い面積を持つギャラリー2の空間に足を踏み入れると、そこから視界が一気に開ける。最初の壁面には、安田佐智種の作品が2点並ぶ。
都市を高所から見下ろし、白く抜かれた四角いVoidからビルが放射状に天空へと広がる様子を視覚化した「Aerial」のシリーズから選ばれたのは、ニューヨークの9.11の現場をモチーフとする作品。そして、故郷である日本が2011年に津波と地震という大震災に見舞われた後、喪失感と望郷の念に駆られて福島で撮影した「みち(未知の地)」が合わせて展示されている。
「20世紀の都市の典型であるニューヨークが、世紀が変わってすぐに壮大な悲劇に見舞われた。安田さんの作品は、そのことを象徴するような写真だと感じています。そして、この作品では都市の垂直的なイメージが手がけられている一方、『みち(未知の地)』では、今度はカタストロフィの現場の水平な移動をとらえています。ニューヨークに住む彼女は、3.11の時に日本がどうなっていくのか地崩れ的な恐怖を感じたそうで、自分の生まれた国が向かう先を体で確かめたいという切実な欲求から撮影に向かったと聞いています。その身体の移動が、垂直的な都市のイメージと対をなしている。つまり、いずれの作品にも、彼女自身の身体感覚でとらえられた都市のイメージが表現されています」
その身体性は、西野壮平の作品にもシンクロする。様々な都市を歩き、何万枚もの写真を撮ってコラージュすることで世界の都市という構造体を個人の視点から見直した作品だ。
「歩く、走る、移動する、といった生命が抱える根本的な欲望や衝動を、写真行為のなかで確認するような意図が西野さんの表現にはあるように感じられます。各地の都市は複雑化していて、その規模感も密度も身体で把握することが難しくなっているという状況も、その背後にあるのではないでしょうか。彼が何日もかけて都市を歩き回って獲得したイメージは、身体の移動した痕跡であるし、そこには様々な記憶が集積されて新しい都市のヴィジョンが完成しています」
生身の身体の感覚は20世紀末から現在にかけて薄れていて、消滅していくような恐れすらある。ウェブの世界はその象徴であるが、人工知能をはじめとするテクノロジーの発達なども同様である。アーティストたちは表現を通じて、そうした危機への警鐘を鳴らしているのだともいえる。「世界中を歩き回っている石川直樹さんの作品も同様ですよ」と、伊藤は続ける。
「彼は七大陸の最高峰を最年少で制覇していますが、南極や北極の極地を撮ったシリーズも初期の作品にたくさんあるんですね。そうした人間が生活できないと思われていたような極地でも、様々なコミュニティや都市の雛形みたいなものができあがっていることを彼の写真は伝えてくれます。通常我々が考えるような、ロンドンやパリや東京のような"都市"と対比することで、都市の概念を広げることができるのではないか。そんな意図も込めて石川さんに参加してもらいました」
「極地都市」と題されたこの作品では、音も重要な役割を担っている。世界各地を旅し、少数民族の音楽や儀礼などの記録を中心に創作活動を行うサウンドデザイナーの森永泰弘が、石川とコラボレートしてインスタレーションを完成させているのだ。
「ある場所に立った時にしか音が聞こえないような指向性の非常に高いスピーカーを用いているので、展示空間を移動しながら、音と写真の臨場感が同調する特別な体験が生まれます。写真は従来、無音の、沈黙のメディアだと思われてきましたが、そこに音が組み合わさることで、イメージの見え方が変わってくるはずです。そうしたメディアの融合による新しい写真表現を見せたいという思いもありました」
開催中の「アスリート展」では、展覧会ディレクター 為末 大、緒方壽人、菅 俊一、参加作家や企業、団体、機関との協働により、アスリートの様々な側面をデザインの視点から紐解いています。
ここでは、21_21 DESIGN SIGHTアソシエイトディレクターの川上典李子による展覧会レビューをお届けします。
誰にでもあるアスリート性を意識すること、そしてデザイン
21_21 DESIGN SIGHT(以下21_21)でどのような題材をとりあげるのがよいか、開館準備の段階から、三宅一生、佐藤 卓、深澤直人を中心とする会議を毎月行なっています。その席でしばしば挙がってきた話題のひとつが、「身体」。三宅が身体の動きと服との関係を常に探り続けてきたことはいうまでもなく、「身体」や「人の動き」を抜きにしてデザインを考えることはできません。
「アスリート展」の題材も、デザインの現場の状況や、この先、私たちが意識するべき大切なことは何であるのかと意見を交わすなかで挙がったものでした。開館10周年の節目で身体や動きに関する題材となったのは、これまで継続してきたやりとりを考えると、実に自然なことだったようにも感じます。
日々の積み重ねを大切に、試行錯誤を繰り返しながら前進していけること。不可能と思われていた状況に突破口をもたらし、新たな局面を生み出していける精神を持ち備えること。デザインのポジティブな力にも重なるこれらの状況を、一体どのようなことばで表現できるのだろう。そのことばを軸に多角的に考えていくことで、デザイン、ものづくりの現場や私たちが暮らす社会において大切な点が見えてくるはず。こうした議論を重ねるなかで、挙がったのが「アスリート」。アスリートの精神や挑戦に話題が広がっていきました。
私自身、デザインやものづくりの現場を訪ねる時間は、身体性を改めて考える機会となってきました。日常の道具がリズミカルな動作で生み出されていく現場の力強さに圧倒されたのは、21_21の「テマヒマ展」のリサーチの際。樽のタガを結う現場では全身を使ってのリズミカルな作業が続いていました。仙台箪笥の金具職人が鉄を打ち出していた作業場を包んでいたのは、三拍子。ベースとなる金敷を叩く回数を計測してみたら1日2万回以上だった、と聞き、驚かされたこともあります。
自身の活動を語る際に、身体や動作にまつわることばを口にするデザイナーも少なくありません。200名以上が集まったトークの会場で「いつも大切にしていることは?」という会場からの質問に対して、「スポーツ選手の基礎トレーニングにも似た日々の鍛錬」と即座に答えていたのは吉岡徳仁さんでした。「頭のなかはどこまでも自由に、手の経験は積まれていく。そうしたバランスでデザインに取り組みたい」とは、皆川 明さんが、ご自身の活動に関する取材の席で語ってくれたことばです。
21_21に話を戻しましょう。身体の力やある状況における可能性を最大に発揮することについて、極限の動きに向けて挑むアスリートの姿やその現場を支える人々の活動を通して考えるのが本展です。「アスリートがいる世界は全く違う世界ではないが、少しだけ細かなことに気がつく世界」とは、展覧会ディレクターのひとりである為末 大さん。「アスリート性は誰にでもありますが、手に入れるのに時間と労力がかかります」と、「アスリート性」という重要なことばを挙げてくれました。
緒方壽人さんは「『身体』と『環境』の関係性やその相互作用に改めて意識を向けること」に触れてくれました。そして菅 俊一さんは「『身体』や『心』」について。このような展覧会ディレクターの視点のもと、アスリートとは何かを紹介する展示に始まり、実際に身体を動かしながら日ごろ意識していなかった自分の感覚に意識を向けることのできる、示唆に満ちた本展のための作品が、並んでいます。
為末さん、緒方さん、菅さんはじめ、参加作家がつくりあげてくれた会場を巡り、触れ、引き、飛ぶ......といった作品を体験しながら、私の頭に浮かんだひとつに、バウハウスの授業がありました。ヨハネス・イッテンは、身体と造形の関係から、授業前に学生とともに柔軟体操を行いました。身体の復権を目ざす体操でした。
バウハウスに関する向井周太郎さんの書籍編集も手がける武蔵野美術大学基礎デザイン学科教授の板東孝明さんが、ゲーテの形態学と共に語ってくれたことばも引用しておきましょう。「身体と世の中の関係はこれまでにも様々に探究されてきましたが、今、身体性を意識することの必要性を強く感じます。古くて新しいテーマです。機械文明のタクトに翻弄される『人のいのち』をいかに守るか、暴走列車のような文明と身体の内発的なリズムにどう折りあいをつけるのか。他の専門領域との共同研究にこそ、目を向けることの重要性があると考えます」
そのことを、身体そのものは古来大きく変わっていないことを思い返し、身体に本来備わっている能力そのものをも見落とすことなく、現代の生活のなかで考え続けていくことが大切なのです。
本展会場では、展示終盤、「身体拡張のギア」の映像からも気づかされることが様々あります。登場するのは、競技用シューズやラケット、野球バット、競技用車椅子、競技用義足など、スポーツギアの開発に取り組む専門家たち。数値だけでなく、選手の感覚や抽象的なことばを受けとめ、選手の無意識と意志にも神経を配りながらギア開発に取り組む様子を語っています。
無意識に行なっていたことを自覚する時間を通して感じたことや、身体を動かしつつ気づいたことを日常生活に持ち帰ってもらい、これまで以上に広く周囲に目を向けてもらえたら。それが、今回、デザインの施設としてアスリートをキーワードとした21_21 DESIGN SIGHTの想いです。
川上典李子
2017年4月30日、「アスリート展」卓球大会を開催しました。卓球という競技を通して、実際のアスリートの卓越した身体コントロールを観て知り、スポーツの楽しさを分かち合う場となることと目指して企画した本プログラム。アートディレクターであり、卓球の熟練者としても知られる「ひとりピンポン外交官」の浅葉克己、バタフライ卓球用品メーカーの株式会社タマスから契約選手の、坂本竜介、松平健太、高木和 卓を招聘しました。
プログラムは、浅葉克己と選手たちによるトークから始まり、今年5月末よりドイツ・デュッセルドルフにて開催される世界卓球と平野美宇選手の活躍が紹介されました。続いて、選手たちによる卓球デモンストレーションを行われ、ダイナミックな競技に会場は賑わいをみせました。
そして、いよいよ卓球大会が始まりました。浅葉克己が考案した「地球リレーマッチ3人組団体戦」という3名1チームでの対戦形式の、団体トーナメント戦で、参加者が競い合います。対戦者のみならず、観客全員が白熱し、それぞれのマッチを拍手とともに見届けます。
優勝チームには21_21 DESIGN SIGHTおよび株式会社タマスより賞品が贈呈されました。身体を動かすことの楽しさを他者と分かち合うことで生まれる高揚感に包まれるプログラムとなりました。
2017年4月22日、企画展「アスリート展」に関連して、トーク「トップアスリートと話そう」を開催しました。トークには、車いすレーサーの樋口政幸、カヌースラローム選手の矢澤一輝、本展ディレクターの為末 大が登壇しました。
まず始めに、樋口、矢澤が出場した2016年リオデジャネイロオリンピック、パラリンピックの試合の映像を観戦します。樋口と矢澤は競技のルールを解説し、オリンピック、パラリンピック出場までの道程やセカンドキャリアについて、それぞれのエピソードを振り返ります。
樋口はリオデジャネイロパラリンピックの試合で使用した競技用車いすの特徴についても解説しました。 為末からはそれぞれの競技の体型の特徴、試合前のイメージトレーニングの方法やスランプの時期にどのように乗り越えたのかなどについて2人に問います。
最後には、参加者からの質問にアスリートの樋口、矢澤、そして本展ディレクターの緒方からデザインの視点で意見交換がされ、新たな共通点が発見されるトークとなりました。
2017年3月11日、企画展「アスリート展」に関連して、トーク「アスリートを見る視点」を開催しました。トークには、スポーツカメラマンの長浜耕樹、ゲッティイメジーズから中西 歩と、研究者/映像作家で本展ディレクターの一人である菅 俊一が登壇しました。
本展展示において、アスリートたちのダイナミズムをあらわすよう、参加作家アダム・プリティの作品をはじめ、いくつかの映像作品にはゲッティイメージズのソースが貢献しています。トーク冒頭では、中西がリサーチエディターとして2億点にものぼる写真から、クライアントの依頼に応じて選出するなど、ゲッティイメージズの活動の紹介がありました。
続いて、アダム・プリティとともに数々の現場に赴いた経験のある、フォトグラファーの長浜耕樹を中心に、スポーツの報道写真が如何に撮られているのかと話は移ります。対象をはっきりと捉えるべく、寝そべった状態で陸上競技者を撮るなど、「カメラマンはまず背景を意識して撮っている」と長浜は言います。そして、長浜は自身のキャリアにおいて印象深かった出来事に、なでしこジャパンが躍進する契機となった対北朝鮮戦をあげ、選手と観客ともに一体となり、場が熱狂で震えた様子を述べました。現場でのアスリートのたちの喜怒哀楽が撮れるよう意識しているという長浜。彼が如何にアスリートたちの決定的瞬間を捉えようとしているか、その熱意を語りました。
アスリートたちの、知られざるダイナミックな動きが写し出されたアダム・プリティの写真の数々。「撮る前に徹底的に現場リサーチを行なう」(中西)というプリティは、時間帯、場所を抑え、予めアスリートの動作を計算することで構図に落とし込みます。「どこに眼を置くか」によって、アスリートや競技に対する鑑賞者の印象も変化すると、菅は続きました。スポーツカメラマンたちがアスリートのさまざまな側面を切り取るように、本展もデザインの視点で、アスリートの多様な世界を捉えています。本トークは、アスリートを取り巻く世界の広がりを改めて感じられる内容となりました。
2017年2月25日、オープニングトーク「アスリートの哲学」を開催しました。
トークには、本展ディレクターの為末 大、緒方寿人、菅 俊一が登壇しました。
トークは本展の見どころや作品概要について語られました。
展示構成について緒方の解説を交えながら、トークは進行します。まず、「驚異の部屋」では、為末も室内で見る迫力とスピードに驚いたと感想を述べます。見る場所や見る角度によっても印象が全く異なると菅は続けます。「アスリートの体型特性」では古代ギリシア時代は完璧な人間像を求めていたため、各競技の体型がほとんど同じだったと為末は語ります。そして各競技に適した体型に細分化されたと続けます。現役時代の体験を踏まえた為末ならではのエピソードを織り交ぜながらアスリートの体型特性について語りました。
「アナロジーラーニング」について、ハードル走では「サーカスの火の輪をくぐるように」という例えを用いると為末は語ります。このアナロジーラーニングでは、その選手がいままでの人生で経験をしてきた体験からしか比喩を用いることができないので、コーチングでは文化的背景を理解することや想像力が必要だと述べました。
「アスリートと新聞」の作品から、メディアとアスリートの関係性について「人気スポーツだからメディアになる。メディアになるから人気スポーツになる」と述べる為末。アスリートと聞くと、体育会系で閉ざされたイメージが強いですが、日常の延長線上にアスリートがいることを伝えたいと述べました。
菅は価値を変える、転換させることがデザインの能力だと述べます。年齢という概念を超え、熟練することで価値を見出す職人にもアスリート性があるように、年齢を重ねることが楽しくなるような社会構造をつくることが今後の日本には必要になってくるのではないかと見解を述べます。
最後には、参加者からの質問に3人がそれぞれの視点で答え、社会問題、デザイン、技術などのさまざまな視点から意見が交換される会となりました。
いよいよ明日開幕となる「アスリート展」。開催に先駆け、会場の様子をお届けします。
私たちは、普段の何気ない動作のひとつひとつに生じる「反応し、考え、行動に移す」という一連のプロセスに、身体・思考・環境が相互に影響しあった知覚=センサーを張り巡らせています。アスリートは、日々の鍛錬によって身体能力を高めることはもちろん、自らのセンサーの感度を極限まで研ぎ澄ませることで、自身に起こる微細な変化に気づき、順応し、その能力を最大限に発揮すべき瞬間に、一歩一歩近づいていきます。
本展では、アスリートの躍動する身体を映像や写真で紹介するほか、体感型の展示を通して、アスリートをかたちづくる様々な側面をデザインの視点から紐解いていきます。
トップアスリートの経験を踏まえ様々な活動を行っている為末 大、デザインエンジニアの緒方壽人と研究者/映像作家の菅 俊一との3名を展覧会ディレクターに迎え、様々な分野で活躍する参加作家、企業、団体機関と協働する展覧会となります。 さらなる高みに挑み続ける「アスリート」の鼓動を是非体感してください。
Photo: 木奥恵三
2月17日からスタートする企画展「アスリート展」。これまで第1回、2回と更新してきたディレクター鼎談もいよいよ最終回。締めとなる今回は、展覧会の作品たちを通して来場者にどんなことを伝えたいのか、伝えようと思っているのか、「アスリート展」が目指すものについて話を聞きました。
(構成・文:村松 亮)
日常の動作の中に
アスリートを見出す展覧会
緒方:僕ら3人が目指してきたものって、何もこの世の中に存在していないものを見せてやろうっていうことではないと思うんです。むしろ日常の中に隠された美しさとか面白さとかを再発見して、デザインし直して伝えたい。そういう欲求の方が強いんです。
菅:アスリートにとっては当たり前なことでも、一般の人からすると、未知の領域なことがある。アスリートの方からすると、そんなこと? と思われるような常識や日常をデザインやアートの解釈で捉え直すと、きっとアスリートの方々にとっても新鮮に映るように思います。
ーーアスリートが来場した場合、どんなものを持ち帰ってくれるでしょうね。
為末:アスリート自身が自分たちの捉え方を変えることができる展覧会になると思います。会場でどんなことが起こっているのかをアスリートの目線でいうと、「スポーツの中にある日常動作との類似点を見出している」となりますし、逆に一般の人からの目線でいうと、「日常の動作の中にあるスポーツを見出している」となるわけですから。
菅:どちらにも共通していえるのは、身体がともなうことですね。
為末:それとどちらも「よく考えてみると」っていう枕詞がつくのかもしれない。あくまで無意識の領域のことを深く考えてみた、というアプローチですから。
ーー来場された方にはもし見所を伝えるならば?
緒方:21_21の展覧会のつくり方が他のギャラリーや展覧会場ともっとも違うのは、スタート時にキーワードしかないということです。その"アスリート"という言葉がひとつあって、リサーチをしていく。今回であれば大学教授から専門家から関係施設や競技者まで、膨大なリサーチを通して全体像が徐々に見えてくる。そのプロセスごと作品化して展示しているので、展示作品の何が目玉というわけでもないですし、むしろ、全体の流れとしてひとつの作品となっているのだと思います。
菅:ゴールがわかっていない。これが面白かったところですよね。分かりきったテーマで、ゴールが見えるならきっと僕らがやる必要はなかったと思いますから。未知の領域のものをデザインし直しているので、まだ誰も具現化していないものをつくっている。そして僕ら自身も会期当日を迎えるまで、できあがるのを楽しみにしているところです。
ディレクターズ紹介 3
2月17日からスタートする企画展「アスリート展」。そのディレクター鼎談の第2回目を更新。「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」にて実施された為末によるランニング講座で汗を流した直後に、アスリートが得る喜びの本質とは何かについて迫りました。
(構成・文:村松 亮)
アスリートが体感する
本能的な喜びとは
緒方:アスリートには大なり小なり、大一番というのがありますよね。それがトップアスリートとなれば、4年に1回となって、その一瞬で過ぎ去ってしまうピークに対してコンディションを整え、トレーニングを重ねていく。大歓声に包まれて、競う相手がいて、時間の制約もあって、もっとも意識しなくてはならない本番の場面で、今度はいかに無意識になって、いつも通りの力を発揮できるかという(笑)。
ーー意識的な場面でいかに無意識でやるか、と。
為末:おっしゃる通り、そんなことが実際にオリンピックや世界大会になるとあるんですね。アスリートが日々行っているトレーニングとは、意図して何かをやろうとして、うまくいったかの判定基準を振り返り、何がその結果に影響したのかを考えながら、また新しいものを試していく。そんなサイクルだと思うんです。身体の方は比較的にビデオなどもあってわかりやすいんですけど、それが心の世界となると、突然わかりづらくなります。「なんか力が出せなかった気がする」そんな曖昧な心理を振り返って、スタート前にどんな心の状態だったのかを考える。結局、掴めないで引退してしまう選手も少なくないかもしれません。掴めている選手であれば、どうもこういう風に入るとうまくいく、それを分かっていますから。正しい力を出せる心の状態があるかというと、そういうことでもないんです。
緒方:自分を知る、それ自体に長けているんでしょうね。
菅:アスリートにとっては、自己記録が出たときと、自分の身体を思った通りにコントロールできたとき、どちらの喜びが大きいんでしょうか。
為末:つまらない答えになりますけど、それもタイプによりますね。面白いのは、すごく勝ちたい。なんでもいいから勝ちたいという選手は、やっぱり勝つ。一方で勝ち負け以前に、自分自身がどこまでいけるのか、そういうことにこそ興味を持っていて自分をコントロールすることに喜びを得ている選手もいますから。そして僕が思う、アスリートが最も体感している原始的な喜びとは、"連動感"だと思うんです。例えば、駅のホームでおじさんが傘でゴルフのスウィングをしますよね? ピタっと一連の動作がハマると快感だったりします。できなかったことができるようになる瞬間もそうですし、何かこうしっくりきたときに感じる、生き物としての純粋な喜びみたいなもの。究極、みながそれを求めていくのではないかって思うんです。
菅:そうした原始的な喜びがないと、何事も続けられないですよね。そもそも本能的な喜びがベースにあって、だんだん喜び自体が、競争による勝ち負けといったような社会性を帯びていくわけですが、きっとその先には、また徐々に本能的な喜びにシフトしていくときがくるんでしょうね。
ディレクターズ紹介 2
2月17日からスタートする企画展「アスリート展」。この日、展覧会ディレクターをはじめとする企画チームは「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」に集まった。ディレクターのひとりである為末大によるランニング講座を特別に受講するためだ。
春先より始動したこの展覧会ができるまでの様は、為末ら専門家たちによってまかれた"アスリートを形成する種"を、緒方と菅が新しいカタチで芽生えさせ、参加作家とともに育てていくというものだった。今回もそれら積み重ねてきたアプローチの一環で人が走るための肉体構造を体感するというものだ。
ここではこうして会期目前まで頭と身体とで"アスリート"を掘り下げてきた3名による鼎談をお届けしよう。
(構成・文: 村松 亮)
アスリートというフィルターを通して
人間を理解したい
ーーでは、みなさん簡単に自己紹介から。
菅:普段は、人間の認知のメカニズムを背景に、どうやったら新しい体験や視覚表現を生み出して社会に提案できるかというテーマで研究を行っているので、今回の展覧会のテーマでもある、アスリートという身体や心理をコントロールする象徴のような存在を紐解いていくことは、非常に興味深いです。身体や心を使いこなした結果、人はどんなことを起こせるのか、その可能性を示せればいいなと思っています。
緒方:これまで21_21の展覧会には作家として参加させてもらっていたので、今回ははじめてディレクターという立場で関わらせてもらっています。普段はTakramというクリエイティブ集団に所属していて、デザインとエンジニアリングの両方をできる人材として様々なプロジェクトに関わっていて、常日頃、専門外の新しい領域の物事を読み解いていくという作業が多いので、今回もその一環として捉えていますね。
為末:スポーツを通じて人間を理解すること。これは競技者の頃から、僕が興味をもって取り組んでいる軸みたいなものです。これまで漠然と捉えていた、スポーツの世界における疑問や違和感を今回はデザインやアートという手法で翻訳し直し伝えてみようという試み。例えば、アスリートが体験するゾーンの世界。これをどう展覧会で伝えようか、そんなディスカッションはとても新鮮でしたね。
ーーどうして競技者の頃から為末さんは「人間を理解したい」と思っていたんですか。
為末:現役時代の体験と紐付けていくと、スポーツとは、いかに自分自身をコントロールしていくか、できるかに尽きます。かと言って、すべてが自発的にあるわけではなくて、アフォーダンスじゃないですけど、外界からの影響で引き出されるものがでてくる。やる気が出て練習をすると思いきや、グラウンドに行って走り出して初めてやる気がでてくることもあって。心が先にたつのか、身体が先にたつのか。そういうこともよく考えていましたね。
菅:アスリートがどういう思考で、どういう認知で生きているのか。これまではテレビなどのメディアを通じて、断片的にしか知り得なかった要素を、デザインの力によって体験してもらうことで、きっと、アスリートに対する見方の解像度が上がると思います。それは、私自身がまさに展覧会の制作を通じて感じたことでもあります。例えば一歩歩くだけでどれだけの筋肉量を使っているのか、走る上で重心の位置を変えるだけでこれだけ速さが変わるのか。歩くという日常的に意識しない行為そのものにも発見がありました。あまりにも日常的過ぎる動作なので、意識する機会が全くないんですよね。きっとアスリートがどれだけの解像度の中で身体を操作しているのかも、スポーツ中継を見ているだけではわからない領域のことなのだと思います。
緒方:歩くこと、走ること。こうした無意識にも人間が行える行為を、アスリートの人たちは、どれだけ意識して意図したとおりに正しく動かせるか。一回、自分の中で分解して意識化したものを今度は無意識にそれができるようになるまでトレーニングを繰り返す。これがアスリートが日々鍛錬していることなんでしょうね。
ーーすべてのアスリートが自覚してプレイしているわけではないんでしょうしね。
為末:まさに自分の行為を理解できていることと、身体で表現できていることは必ずしもイコールではない。自分のやっていることを知っている選手と知らない選手がいる。そして知っているからといって必ずしもハイパフォーマスを発揮できるかというとそういうわけでもない。細部に入っていく奇跡的なタイミングで行っていることを、ガツンという感じですの一言ですべて説明してしまうこともあるので(笑)。だから、面白いし、それこそ真なり、とも思いますしね。
ディレクターズ紹介 1
2016年7月1日より、台北の松山文創園區 五號倉庫にて、21_21 DESIGN SIGHT企画展 in 台北「単位展 — あれくらい それくらい どれくらい?」が開催中です。
旧たばこ工場を改装した会場では、21_21 DESIGN SIGHTで昨春開催した「単位展」を忠実に再現したほか、新たに台北で集めた品々で構成した「1から100のものさし」、台湾のデザイナーらが参加した「みんなのはかり」など、台北展独自の展示も。
会場入口には、21_21 DESIGN SIGHTのコンセプトやこれまでの活動を紹介するコーナーがあり、併設されたショップには、台北展にあわせて制作された新たなオリジナルグッズも加わり、連日多くのお客様で賑わっています。
会期は9月16日まで、会期中無休ですので、台北にお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。
Photo courtesy of INCEPTION CULTURAL & CREATIVE Co., Ltd.
21_21 DESIGN SIGHTディレクターの一人でデザイナーの三宅一生の仕事を紹介する展覧会「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」が、国立新美術館にて開催されています。開幕初日の会場を訪れた同アソシエイトディレクターの川上典李子が展覧会の見どころをレポート。前編では、会場の様子をお伝えします。
国立新美術館(六本木)で「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」が開幕しました。三宅一生が活動を開始した1970年に遡り、現在進行形のプロジェクトまで、厳選された百数十点の服や本展のための映像、インスタレーションを含む構成となっています。
会場を入ってすぐ、吉岡徳仁が手がけた紙のグリッドボディで紹介されているのは1970年代の12着。服は第二の皮膚であるということを示すタトゥの柄をプリントしたボディウエアや三宅が一貫して取り組む「一枚の布」を象徴するコクーン・コート、日本に伝わる刺し子や丹前、作業着にも着目し、独自に発展させた服......。衣服を身体から探り、産地や企業との素材開発やアーティストとの恊働にも積極的な三宅の活動の始まりを一望できます。
続くセクションでは、透明樹脂のグリッドボディを用いた吉岡のインスタレーション。プラスティック・ボディやラタン・ボディ、ウォーターフォール・ボディなど、1980年代の「ボディ」シリーズから、幅広い素材や技術を試みながら身体と服との関係を問い続ける三宅の視点が伝わってきます。
その先に待つのは三宅とチームの試みを紹介する広々とした空間、佐藤 卓の構成です。製品プリーツのマシンを用いた「IKKO TANAKA ISSEY MIYAKE」の制作実演もあり、「132 5. ISSEY MIYAKE」に関しては、独自の「折り」に触れることのできる工夫も。試行錯誤のうえで創出してきた服づくりの手法やプロセスをあえて公開するということ。そのことに対する三宅の想いもまた考えずにはいられません。記者会見で三宅は語っていました。「子どもから大人まで、自分もつくりたいと創造意欲をかきたてられるような展覧会にできたと思う」。
出会いと発見の多い庭を巡るような楽しさに驚かされながらこの会場で知るのは、幅広い世界への好奇心にもとづく柔軟な発想、チームの存在、企業との恊働によって、美しく、心に響き、喜びに満ちたデザインを現実のものとしてきた仕事です。
「素材は無限」と一本の糸に遡っての素材の研究や実験を重ね、手の仕事や伝統と現代のテクノロジーを融合させ、他分野の人々も積極的に招きながら革新的でありながらも実用的な服を探る。そのすべての時間が生き生きとした力となって、現在から未来へ、さらに次なる状況を拓こうとしている様子も伝わってきます。
文:川上典李子
>>後編へつづく
国立新美術館「MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事」
2016年3月16日(水)- 6月13日(月)
休館日:火曜日(ただし、5月3日は開館)
会場:国立新美術館 企画展示室2E
開館時間:10:00 - 18:00 金曜日は20:00まで(入場は閉館の30分前まで)
観覧料(税込):当日 1,300円(一般)、800円(大学生)/前売・団体 1,100円(一般)、500円(大学生)
主催:国立新美術館
共催:公益財団法人 三宅一生デザイン文化財団、株式会社 三宅デザイン事務所、株式会社 イッセイ ミヤケ
お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
企画展「動きのカガク展」では、身近な材料と道具でつくられたシンプルな仕組みから最先端のプログラミング技術まで、様々な力によって「動く」作品が、その機構の解説とともに紹介されています。
この連載では、本展企画協力 ドミニク・チェンがそれぞれの作品が見せる「生きている動き」に注目しながら、展覧会の楽しみ方をご提案します。
「人間は動き、変化しているものしか知覚できない」。これは生物が物理環境のなかで生存に役立てる情報を能動的に探索する仕組みを説いたアフォーダンス理論で知られる生態心理学を開拓したジェームズ・J・ギブソンの言葉ですが、これは僕たち人間がどのように世界を体験するように進化してきたかを知るための基本的な条件として理解できます。同じく、文化人類学者にしてサイバネティクス(生物と無生物に共通する生命的なプロセスの仕組みの解明を行なう学問)の研究者でもあったベイトソンによる、情報とは「差異を生む差異である」という表現を重ねあわせると、動きこそが違いを生み出す源泉であると解釈することができます。
生物の世界でも、たとえば樹の枝のような身体を持つに至った昆虫が天敵から身を守る時には動きを止めて背景と化すことを擬態といいますが、そのことによって情報を周囲に発信させない、いいかえると「生きていない」という情報を偽装しているわけです。生物としての私たちは「生きているか死んでいるか」ということにとても敏感なセンサーを持っているといえます。このセンサーを通して、私たちは「自分で動いているもの」と「別のものによって動かされているもの」を区別することもできます。このセンサーはとても優秀で、物理的な物体以外のことに対しても機能します。
「動きのカガク展」に集まったデザインからアート、産業から工学研究までに及ぶ作品の数々は、その制作方法から表現方法まで多種多様であり、安易に分類することは難しいでしょう。それでもその全てに通底する一本の軸があるとすれば、それは「生きている動き」を見せてくれる、という点が挙げられます。
考えてみると不思議です。人がつくった仕組みや動きになぜ「生きている」感覚が宿るのか。それはここで展示されている作品が何らかの方法で物理的な法則や生物の規則に「乗っかっている」からです。
水面の表面張力を指で感じられる『水玉であそぶ』(アトリエオモヤ)は水という身近な存在がアメーバのように離れたり合わさったり美しさを再発見させてくれるし、たくさんの発泡スチロールのボールを宙に浮かせる『アトムズ』(岸 遼)は100円ショップで売っているふきあげ玉のおもちゃと同じベルヌーイの定理を機械的に使って、私たちの身体を常に包囲している空気というものの動き方の不思議さを改めて見せてくれます。寝室のカーテンに差し込む夕暮れの陽光のようなシンプルだけど目を奪われる光の動きをつくる『レイヤー・オブ・エア』(沼倉真理)や様々な形の反射を見せる『リフレクション・イン・ザ・スカルプチャー』(生永麻衣+安住仁史)、布が静かに宙を舞い降りる『そして、舞う』(鈴木太朗)も日々の生活のなかで見つけることのできる光や重力の微細な美しさに気づかせてくれます。他方で、都市というマクロなスケールに視点を移せば、東京メトロの運行情報データを基に地下鉄の動きをまるで人体の血流図のように見せる『メトログラム3D』(小井 仁)から、生物のように脈打つ東京という大都市のダイナミズムをリアルに感じることができるでしょう。
この展覧会が生き生きとした動きに溢れているのは、映像作品『もしもりんご』(ドローイングアンドマニュアル)が見事に見せてくれるように、実写のリンゴに虚構の動きを与えることで、まるでりんごがハエのように飛んでいると感じられるし、ガラスのように木っ端微塵に割れたと感じられる、私たちの感覚のある種のいい加減さに拠っているといえるでしょう。同様に『森のゾートロープ』と『ストロボの雨をあるく』(共にパンタグラフ)は、回転スリットや絵柄のプリントされた傘を手にとって動かすことで、アニメーションという日常的の至るところで見ている表現方法が私たちの眼の解像度の限界に起因していることを身体的に再認識させてくれます。
本当に生きているからそのように見えるのではなく、生きているように私たちが感じるから、そう見える。『ISSEY MIYAKE A-POC INSIDE』と『ballet rotoscope』(共に佐藤雅彦+ユーフラテス)は実際の映像と切り離された人間の動きの特徴点を抽出して、観察させてくれます。こうした動きをゲームや映画のCGでモデリングされたキャラクターに付与すれば、まるで生きている本物の人間のように感じるでしょう。
非生物が生物のように感じられる別の例として、まるで違う惑星の昆虫が密生する峡谷にいるかのような感覚を生んでいる『124のdcモーター、コットンボール、53×53×53センチのダンボール箱』(ジモウン)と、空気で伸縮する巨大な異生物のような『シックスティー・エイト』(ニルズ・フェルカー)、こちらの手の動きを模倣するように回転し続ける巨大な植物のような『動くとのこる。のこると動く。』(藤元翔平)を見ていると、私たちはこの世に存在しない生命の動きをも現出させることができることに気づかせてくれます。また、手元の取っ手の回転運動が目の前の球体の上下運動に変換される『プロジェクト・モーション/サイクル』(東北工業大学 クリエイティブデザイン科 鹿野研究室)も、まるで別の巨きな身体を動かしているような不思議な感覚を生み出しています。
本展には身体的な感覚と共に、複雑な情感を生んでくれる作品も展示されています。来場者が書いた文字をアルゴリズムが分解して再構築した形をロボットが壁面に描き続ける『セミセンスレス・ドローイング・モジュールズ #2(SDM2) - レターズ』(菅野 創+やんツー)は、計算機が意味を解釈する必要なく作動し続けられることをまざまざと見せつけてくれ、私たち人間と人工知能の「知性」の働きの違いについて考えさせられます。高みに立って好きな方向に指をさすと三角錐の頭が一斉に同じほうを向き、しばらくすると反抗してバラバラな向きを見る『統治の丘』(ユークリッド【佐藤雅彦+桐山孝司】)は人間社会の流れに身を委ねるような動き方に対するクールな皮肉に溢れています。そして、光源となる小さな電車が様々な風景の「影像」を壁に映しながら進む『ロスト #13』(クワクボリョウタ)を見ていると、私たちそれぞれが過去に通り過ぎてきた無数の風景に対する懐かしさと、未だ見ぬ光景への憧憬が混然一体となったような感情が生起されます。動きとは物質的な事柄だけを指すのではなく、私たちの心もまた揺れ動きながら変化する対象であるということを改めて想わせてくれます。
この展示に込められたもう一つの大切なメッセージは、こうした動きを自分たちでつくってみることへの誘いです。文章や詩、音楽というものは、ただ読んだり聞いたりするだけではなく、同時に自分たちで書いてみることによって、より豊かな味わいを楽しめるようになります。それは何千年と続いてきた人間の表現するという営為の根底に流れる原理だといえるでしょう。
そのためにも、本展では有孔ボードの作品パネルに、各作品をつくるための道具や素材、そしてどのような原理で動いているのかということを示す解説映像、そして展示ディレクターの菱川勢一がその作品にどうして感動したのかという感想のメモ書きが貼ってあります。これはなるべくつくり手と鑑賞者との境界を取り払い、あなたもぜひつくってみてください、という招待を意味しています。
考えてみれば、現代はインターネットを通じて様々なものづくりのノウハウや方法を知ることができるし、コンピュータを使った表現を学ぶこともますます簡単になってきている、非常に面白い時代だといえます。映像でも物理的な装置でもアルゴリズムでも、手を動かしてみることですぐに覚えられて、仲間と共同しながら社会に面白い表現をぶつけることができます。「学校の図工室」という裏テーマが付された本展を体験して、未来のデザイナー、エンジニアやアーティストとなる老若男女の衝動に少しでも火が点り、家に帰った後にもその火を絶やさず、未知の動きを生み出してくれることに今からワクワクしています。
文:ドミニク・チェン(情報学研究者/IT起業家)
会場風景写真:木奥恵三
企画展「動きのカガク展」では、身近な材料と道具でつくられたシンプルな仕組みから最先端のプログラミング技術まで、様々な力によって「動く」作品が、その機構の解説とともに紹介されています。
この連載では、本展企画協力 ドミニク・チェンがそれぞれの作品が見せる「生きている動き」に注目しながら、展覧会の楽しみ方をご提案します。
本展には身体的な感覚と共に、複雑な情感を生んでくれる作品も展示されています。来場者が書いた文字をアルゴリズムが分解して再構築した形をロボットが壁面に描き続ける『セミセンスレス・ドローイング・モジュールズ #2(SDM2) - レターズ』(菅野 創+やんツー)は、計算機が意味を解釈する必要なく作動し続けられることをまざまざと見せつけてくれ、私たち人間と人工知能の「知性」の働きの違いについて考えさせられます。高みに立って好きな方向に指をさすと三角錐の頭が一斉に同じほうを向き、しばらくすると反抗してバラバラな向きを見る『統治の丘』(ユークリッド【佐藤雅彦+桐山孝司】)は人間社会の流れに身を委ねるような動き方に対するクールな皮肉に溢れています。そして、光源となる小さな電車が様々な風景の「影像」を壁に映しながら進む『ロスト #13』(クワクボリョウタ)を見ていると、私たちそれぞれが過去に通り過ぎてきた無数の風景に対する懐かしさと、未だ見ぬ光景への憧憬が混然一体となったような感情が生起されます。動きとは物質的な事柄だけを指すのではなく、私たちの心もまた揺れ動きながら変化する対象であるということを改めて想わせてくれます。
この展示に込められたもう一つの大切なメッセージは、こうした動きを自分たちでつくってみることへの誘いです。文章や詩、音楽というものは、ただ読んだり聞いたりするだけではなく、同時に自分たちで書いてみることによって、より豊かな味わいを楽しめるようになります。それは何千年と続いてきた人間の表現するという営為の根底に流れる原理だといえるでしょう。
そのためにも、本展では有孔ボードの作品パネルに、各作品をつくるための道具や素材、そしてどのような原理で動いているのかということを示す解説映像、そして展示ディレクターの菱川勢一がその作品にどうして感動したのかという感想のメモ書きが貼ってあります。これはなるべくつくり手と鑑賞者との境界を取り払い、あなたもぜひつくってみてください、という招待を意味しています。
考えてみれば、現代はインターネットを通じて様々なものづくりのノウハウや方法を知ることができるし、コンピュータを使った表現を学ぶこともますます簡単になってきている、非常に面白い時代だといえます。映像でも物理的な装置でもアルゴリズムでも、手を動かしてみることですぐに覚えられて、仲間と共同しながら社会に面白い表現をぶつけることができます。「学校の図工室」という裏テーマが付された本展を体験して、未来のデザイナー、エンジニアやアーティストとなる老若男女の衝動に少しでも火が点り、家に帰った後にもその火を絶やさず、未知の動きを生み出してくれることに今からワクワクしています。
文:ドミニク・チェン(情報学研究者/IT起業家)
会場風景写真:木奥恵三
企画展「動きのカガク展」では、身近な材料と道具でつくられたシンプルな仕組みから最先端のプログラミング技術まで、様々な力によって「動く」作品が、その機構の解説とともに紹介されています。
この連載では、本展企画協力 ドミニク・チェンがそれぞれの作品が見せる「生きている動き」に注目しながら、展覧会の楽しみ方をご提案します。
この展覧会が生き生きとした動きに溢れているのは、映像作品『もしもりんご』(ドローイングアンドマニュアル)が見事に見せてくれるように、実写のリンゴに虚構の動きを与えることで、まるでりんごがハエのように飛んでいると感じられるし、ガラスのように木っ端微塵に割れたと感じられる、私たちの感覚のある種のいい加減さに拠っているといえるでしょう。同様に『森のゾートロープ』と『ストロボの雨をあるく』(共にパンタグラフ)は、回転スリットや絵柄のプリントされた傘を手にとって動かすことで、アニメーションという日常的の至るところで見ている表現方法が私たちの眼の解像度の限界に起因していることを身体的に再認識させてくれます。
本当に生きているからそのように見えるのではなく、生きているように私たちが感じるから、そう見える。『ISSEY MIYAKE A-POC INSIDE』と『ballet rotoscope』(共に佐藤雅彦+ユーフラテス)は実際の映像と切り離された人間の動きの特徴点を抽出して、観察させてくれます。こうした動きをゲームや映画のCGでモデリングされたキャラクターに付与すれば、まるで生きている本物の人間のように感じるでしょう。
非生物が生物のように感じられる別の例として、まるで違う惑星の昆虫が密生する峡谷にいるかのような感覚を生んでいる『124のdcモーター、コットンボール、53×53×53センチのダンボール箱』(ジモウン)と、空気で伸縮する巨大な異生物のような『シックスティー・エイト』(ニルズ・フェルカー)、こちらの手の動きを模倣するように回転し続ける巨大な植物のような『動くとのこる。のこると動く。』(藤元翔平)を見ていると、私たちはこの世に存在しない生命の動きをも現出させることができることに気づかせてくれます。また、手元の取っ手の回転運動が目の前の球体の上下運動に変換される『プロジェクト・モーション/サイクル』(東北工業大学 クリエイティブデザイン科 鹿野研究室)も、まるで別の巨きな身体を動かしているような不思議な感覚を生み出しています。
文:ドミニク・チェン(情報学研究者/IT起業家)
会場風景写真:木奥恵三
企画展「動きのカガク展」では、身近な材料と道具でつくられたシンプルな仕組みから最先端のプログラミング技術まで、様々な力によって「動く」作品が、その機構の解説とともに紹介されています。
この連載では、本展企画協力 ドミニク・チェンがそれぞれの作品が見せる「生きている動き」に注目しながら、展覧会の楽しみ方をご提案します。
「人間は動き、変化しているものしか知覚できない」。これは生物が物理環境のなかで生存に役立てる情報を能動的に探索する仕組みを説いたアフォーダンス理論で知られる生態心理学を開拓したジェームズ・J・ギブソンの言葉ですが、これは僕たち人間がどのように世界を体験するように進化してきたかを知るための基本的な条件として理解できます。同じく、文化人類学者にしてサイバネティクス(生物と無生物に共通する生命的なプロセスの仕組みの解明を行なう学問)の研究者でもあったベイトソンによる、情報とは「差異を生む差異である」という表現を重ねあわせると、動きこそが違いを生み出す源泉であると解釈することができます。
生物の世界でも、たとえば樹の枝のような身体を持つに至った昆虫が天敵から身を守る時には動きを止めて背景と化すことを擬態といいますが、そのことによって情報を周囲に発信させない、いいかえると「生きていない」という情報を偽装しているわけです。生物としての私たちは「生きているか死んでいるか」ということにとても敏感なセンサーを持っているといえます。このセンサーを通して、私たちは「自分で動いているもの」と「別のものによって動かされているもの」を区別することもできます。このセンサーはとても優秀で、物理的な物体以外のことに対しても機能します。
「動きのカガク展」に集まったデザインからアート、産業から工学研究までに及ぶ作品の数々は、その制作方法から表現方法まで多種多様であり、安易に分類することは難しいでしょう。それでもその全てに通底する一本の軸があるとすれば、それは「生きている動き」を見せてくれる、という点が挙げられます。
考えてみると不思議です。人がつくった仕組みや動きになぜ「生きている」感覚が宿るのか。それはここで展示されている作品が何らかの方法で物理的な法則や生物の規則に「乗っかっている」からです。
水面の表面張力を指で感じられる『水玉であそぶ』(アトリエオモヤ)は水という身近な存在がアメーバのように離れたり合わさったり美しさを再発見させてくれるし、たくさんの発泡スチロールのボールを宙に浮かせる『アトムズ』(岸 遼)は100円ショップで売っているふきあげ玉のおもちゃと同じベルヌーイの定理を機械的に使って、私たちの身体を常に包囲している空気というものの動き方の不思議さを改めて見せてくれます。寝室のカーテンに差し込む夕暮れの陽光のようなシンプルだけど目を奪われる光の動きをつくる『レイヤー・オブ・エア』(沼倉真理)や様々な形の反射を見せる『リフレクション・イン・ザ・スカルプチャー』(生永麻衣+安住仁史)、布が静かに宙を舞い降りる『そして、舞う』(鈴木太朗)も日々の生活のなかで見つけることのできる光や重力の微細な美しさに気づかせてくれます。他方で、都市というマクロなスケールに視点を移せば、東京メトロの運行情報データを基に地下鉄の動きをまるで人体の血流図のように見せる『メトログラム3D』(小井 仁)から、生物のように脈打つ東京という大都市のダイナミズムをリアルに感じることができるでしょう。
文:ドミニク・チェン(情報学研究者/IT起業家)
会場風景写真:木奥恵三
2015年7月4日、企画展「動きのカガク展」企画協力 ドミニク・チェン、参加作家より鹿野 護(WOW)、菅野 創+やんツー、岸 遼が登壇し、トーク「クリエイションとテクノロジー」を開催しました。
まず、ドミニク・チェンが、展覧会ディレクター 菱川勢一が本展企画初期から繰り返し強調してきた「つくることをブラックボックスにせず、オープンにしたい」というメッセージを紹介すると、3組の作家がそれぞれ、本展展示作品に至るまでの制作過程や自身のクリエイションをその裏側まで語りました。
自身にとって、クリエイションとは人がそのものに興味をもつきっかけとなるような「違和感のある現象」をつくり出すことであり、テクノロジーはそれを実現するための手段であると岸。
続く鹿野は、普段の自身の活動とは違いデジタル・テクノロジーに頼らない素朴な機構による本展展示作品に、東北工業大学の有志の学生と取り組んだ記録を紹介。
菅野 創+やんツーは、無作為に線を描く「SENSELESS DRAWING BOT」に始まり、展示環境や鑑賞者の手書き文字を再構成して線を描く本展展示作品「SEMI-SENSELESS DRAWING MODULES」にたどり着くまでを紹介しました。
会はフリートークに移り、作品と鑑賞者の関係性について菅野 創+やんツーが、反応や展開が予測できる作品ではなく偶然性を重視した作品を制作したいと述べると、岸も、鑑賞者の反応を期待してつくりはじめる自身の方法を更新してみたいと同意しました。鹿野は、モーション・グラフィックの表現において動きを自然に見せるために加えられる様々な工夫が、実際に物体が動くときには、その環境や偶発する要素の中に元々備わっていることに改めて気づいたと語りました。
来場者からの質疑応答では、3組の作家へクリエイションへの初期衝動を問われると、菅野 創+やんツーは、現在取り組んでいる人工知能にクリエイションを実装する試みとしての三部作を紹介。本展展示作品がその第二部であることを説明しました。続いて鹿野は、日常に潜んでいる不思議な現象を自身を含めた人間がどのように認識するのかということに興味があると語りました。岸は、効率化、画一化された「常識的なもの」を疑う自身の視点を述べると、それらを問い直してつくり直すことが自身の衝動であると答えました。
最後に、会場を訪れトークの様子を見守っていた菱川勢一が、登壇者を含めた本展参加作家はいずれも、身近なことに疑問を抱き追求し続ける勇敢な人々であると述べ、日常と地続きにあるその勇敢さを、ぜひ来場者にも持ってもらえればと締めくくりました。
いよいよ開幕となった企画展「動きのカガク展」。会場の様子をお届けします。
表現に「動き」をもたらしたモーション・デザイン。その技術は、プロダクトをはじめグラフィックや映像における躍動的な描写を可能にし、感性に訴えるより豊かな表現をつくりだしています。
「動き」がもたらす表現力に触れ、観察し、その構造を理解し体験することで、ものづくりの楽しさを感じ、科学技術の発展とデザインの関係を改めて考える展覧会です。
また、本展では「単位展」に引き続き、会場1階スペースを21_21 DESIGN SIGHT SHOPとして無料開放。「動きのカガク展」参加作家や展覧会テーマにまつわるグッズのほか、過去の展覧会カタログや関連書籍など、アーカイブグッズも取りそろえています。展覧会とあわせて、ぜひお楽しみください。
Photo: 木奥恵三
企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」では、「みんなのはかり」と題し、各界で活躍する8名の方に、「単位」「はかり」をテーマに思い入れのあるものをご出展いただきました。ここでは、それぞれの「はかり」に込められた思いやエピソードを、会場写真とともに紹介します。
「ヒューマンスケールの計り」 クライン ダイサム アーキテクツ
私達は無意識に自分のいる空間を計っている。建築家として空間をデザインする際、身近なオフィスで寸法を感じ、大きさを再確認する。クライアントには、彼らが馴染みのある身の回りの物を使いながらスケールを感じてもらう。
展示模型では、オフィスのサイズを以下のものと比較している。
- アルテックの椅子
- オフィスデスク
- 畳
- ミニカー
- ラッシュ時の山手線車両
「みんなのはかり」参加作家
葛西 薫
木内 昇
クライン ダイサム アーキテクツ
作原文子
高山なおみ
皆川 明
Jasper Morrison
柳本浩市
2015年3月28日、ワークショップ「自分の身体でマイ単位をつくろう」を開催しました。
展覧会企画チームの一員で本展コンセプトリサーチを担当した菅 俊一が講師となった本プログラム。冒頭では、菅が「水や空気、音といった見えないものを測ったり比べたりすることができる」「見えないものを見るための道具」としての「単位」を説明。その後、菅が作成したシートを元に、参加者はまず自らの親指を使って、ワークショップ会場に置かれた日用品、輪ゴムやクリップなどを測りました。
次に、親指で測ったものを、手を使って測り直し、より大きな脚立や机へと対象を拡張。さらにサンクンコートに出て、身体を回転させてその外周も測りました。
手、体のまわりが親指いくつ分かを測ることによって単位の変換ができることに気づき、単位は1つの視点でものを見る道具であることを体感できるワークショップとなりました。
いよいよ明日開幕となる「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」。
会場の様子を、いちはやくお届けします。
単位で遊ぶと世界は楽しくなる。単位を知るとデザインはもっと面白くなる。
単位というフィルターを通して、私たちが普段何気なく過ごしている日常の見方を変え、新たな気づきと創造性をもたらす展覧会です。
また、会場1階スペースを、単位にまつわるショップとして無料開放します。展覧会とあわせて、ぜひお楽しみください。
写真:木奥恵三
2014年11月、企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」に向けて、展覧会チームの中心メンバー10人が集い、様々な「10人でできること」を試みました。その様子を、展覧会企画チームの単位にまつわるエピソードとあわせて紹介します。
10人でできること:「歩幅を使って横断歩道の長さを測る」
展覧会チーム10人分の歩幅は7.57 m。横断歩道の中央分離帯まであと一息。
「日本の尺貫法には、2歩分の歩幅に由来する『歩(ぶ)』という長さの単位があります。1歩(ぶ)の長さはおよそ1.8 mです。横断歩道の白・黒の帯の幅は一般的に45cmですから、それを数えて長さを測ることもできます。」
(「単位展」学術協力 星田直彦)
展覧会企画チーム インタビュー
前村達也(21_21 DESIGN SIGHT)/企画進行
― 小さい頃の単位の記憶を聞かせてください。
アロワナの大きさは水槽のサイズによって変わります。小学生のときに、水槽の大きさ分だけ成長するアロワナをみて、大きな水槽に憧れていました。アロワナの成長の仕方から、纏足や、西洋の大きな家には大きな家具、日本の小さい家には多機能の家具といったものを連想していました。
― 「単位展」に関わって、単位についてのイメージは変わりましたか。
一つ一つのモノゴトができた経緯を単位を通して読み解くと、そのモノゴトの隣で起こっていることとの繋がりやその理由が垣間見られるようになりました。単位は一見して関係ないモノゴトを繋ぐ糸のようです。
― 「単位展」に来場された方へ、メッセージをお願いします。
イメージを共有するための道具として、そこかしこで単位という言語を使って、色んな人と世界を広げていってください。
>>「10人でできること Vol.1/展覧会企画チーム インタビュー 中村至男」
>>「10人でできること Vol.2/展覧会企画チーム インタビュー 鈴野浩一(トラフ建築設計事務所)」
>>「10人でできること Vol.3/展覧会企画チーム インタビュー 稲本喜則(AXIS)」
>>「10人でできること Vol.4/展覧会企画チーム インタビュー 岡本 健」
>>「10人でできること Vol.5/展覧会企画チーム インタビュー 菅 俊一」
>>「10人でできること Vol.6/展覧会企画チーム インタビュー 寺山紀彦(studio note)」
2014年11月、企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」に向けて、展覧会チームの中心メンバー10人が集い、様々な「10人でできること」を試みました。その様子を、展覧会企画チームの単位にまつわるエピソードとあわせて紹介します。
10人でできること:「電話ボックスに入る」
電話ボックスに入ることができたのは、10人のうち6人まででした。
「この電話ボックスは、75cm×90cm×200cmです。ここに6人も入れたとは驚きです。ただ、この状態で電話番号をプッシュするのは大変だと思います。」
(「単位展」学術協力 星田直彦)
展覧会企画チーム インタビュー 寺山紀彦(studio note)/展示構成
― 小さい頃の単位の記憶を聞かせてください。
0の次は1だと思っていたので小数点が出て来た時に混乱しました。ですので頭の中で紙10枚で1として、0.1は紙1枚にして理解しようとしていました。
その内に0.01 0.001とどんどん紙が薄くなって行くのと同時に0と1の間ってものすごい量の数字があるんだと感じたことを思えています。
― 「単位展」に関わって、単位についてのイメージは変わりましたか。
単位はどこにでも潜んでいるんだなと感じたのと同時に、単位のない世の中があったらどんな感じなのか想像しています。
― 「10人でできること」を体験してみて、いかがでしたか。
10人用傘や10人用服など、10人用の色々なものがあったら面白いなと思いました。
― 「単位展」に来場された方へ、メッセージをお願いします。
重さでも速度でも長さでも周りに面白い発見がいっぱいあるのでそれを見つけてもらえると嬉しいです。
>>「10人でできること Vol.1/展覧会企画チーム インタビュー 中村至男」
>>「10人でできること Vol.2/展覧会企画チーム インタビュー 鈴野浩一(トラフ建築設計事務所)」
>>「10人でできること Vol.3/展覧会企画チーム インタビュー 稲本喜則(AXIS)」
>>「10人でできること Vol.4/展覧会企画チーム インタビュー 岡本 健」
>>「10人でできること Vol.5/展覧会企画チーム インタビュー 菅 俊一」
>>「10人でできること Vol.7/展覧会企画チーム インタビュー 前村達也(21_21 DESIGN SIGHT)」
2014年11月、企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」に向けて、展覧会チームの中心メンバー10人が集い、様々な「10人でできること」を試みました。その様子を、展覧会企画チームの単位にまつわるエピソードとあわせて紹介します。
10人でできること:「指を使ってマンホールを測る」
展覧会チーム10人の指でマンホールの円周を測ると、1周まであと少し。
「親指と人差し指を直角に広げたときの両指先を結んだ長さを『咫(あた)』といいます。一般的に1咫は、その人の身長の10分の1程度の長さです。
ただし、写真では指を直角以上に広げていますので、これは『咫』ではありません。」
(「単位展」学術協力 星田直彦)
展覧会企画チーム インタビュー 菅 俊一/コンセプトリサーチ
― 小さい頃の単位の記憶を聞かせてください。
幼稚園の頃に、家にあった薄い木の板を使ってドミノ遊びをするのが好きでした。「ここを曲がるには4枚だけど、あそこを曲がるには8枚必要」とか考えながら、限られた枚数の板をやり繰りしていたことが、単位の概念を使っていた一番古い記憶のように思います。
― 「単位展」に関わって、単位についてのイメージは変わりましたか。
得体の知れないものを、理解可能なもの・具体的なものにするというのが科学やデザインが社会にもたらしている機能の1つだと思うのですが、単位は、特にそういう「見えないものを扱う」ために重要な人間の生み出した知の道具だと思うようになりました。
― 「単位展」に来場された方へ、メッセージをお願いします。
「単位」という考え方で私たちの身の回りを改めて見てみると、多くの人たちの想いや工夫が積み重ねられた結果、今の生活や社会が作られているということがとてもよく分かります。「単位展」を観た後、みなさんの目が単位モードになって、普段と違った見え方ができるようになっていたら、幸いです。
>>「10人でできること Vol.1/展覧会企画チーム インタビュー 中村至男」
>>「10人でできること Vol.2/展覧会企画チーム インタビュー 鈴野浩一(トラフ建築設計事務所)」
>>「10人でできること Vol.3/展覧会企画チーム インタビュー 稲本喜則(AXIS)」
>>「10人でできること Vol.4/展覧会企画チーム インタビュー 岡本 健」
>>「10人でできること Vol.6/展覧会企画チーム インタビュー 寺山紀彦(studio note)」
>>「10人でできること Vol.7/展覧会企画チーム インタビュー 前村達也(21_21 DESIGN SIGHT)」
2014年11月、企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」に向けて、展覧会チームの中心メンバー10人が集い、様々な「10人でできること」を試みました。その様子を、展覧会企画チームの単位にまつわるエピソードとあわせて紹介します。
10人でできること:「肘下を使って公園の休憩所を測る」
公園の休憩所の柱から柱までは展覧会チームの肘下9人分、約7.8 mでした。
「現在ではほとんど使われていませんが『肘から中指の先までの長さ』に由来する『キュービット』という単位があります。1キュービットは、およそ43~53cmです。写真では休憩所の対角線の長さは、18キュービットのようです。」
(「単位展」学術協力 星田直彦)
展覧会企画チーム インタビュー 岡本 健/会場グラフィック
― 小さい頃の単位の記憶を聞かせてください。
早生まれも相まって(というのは言い訳ですが)、身体が小さく運動も得意ではなかったので、身体測定やスポーツテストなどがあまり好きになれず、単位で比較されることに疑問を感じていました。
― 「単位展」に関わって、単位についてのイメージは変わりましたか。
少し単位を意識して散歩をすると、目がくらむほどに街が単位で溢れていることに気づかされました。と同時に、意識しないと気づかないほどに、単位が身の回りに根付いているということにも驚きました。
小さな頃はあまり好きになれない単位でしたが、単位が生まれ定着していく途方もないトライアンドエラーの過程に思いを馳せたり、単位があったからこそ生まれた価値などに触れることで、単位ひとつひとつが愛着の沸く存在になりました。
― 「単位展」に来場された方へ、メッセージをお願いします。
物事を"知る"ことへの意欲から生まれた、たくさんの"工夫"が、単位の中に詰まっています。
「単位展」を通して、たくさんの"工夫"を身体で感じとって、新たな"知る"ことへの興味を持ってもらえたら嬉しいです。
>>「10人でできること Vol.1/展覧会企画チーム インタビュー 中村至男」
>>「10人でできること Vol.2/展覧会企画チーム インタビュー 鈴野浩一(トラフ建築設計事務所)」
>>「10人でできること Vol.3/展覧会企画チーム インタビュー 稲本喜則(AXIS)」
>>「10人でできること Vol.5/展覧会企画チーム インタビュー 菅 俊一」
>>「10人でできること Vol.6/展覧会企画チーム インタビュー 寺山紀彦(studio note)」
>>「10人でできること Vol.7/展覧会企画チーム インタビュー 前村達也(21_21 DESIGN SIGHT)」
2014年11月、企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」に向けて、展覧会チームの中心メンバー10人が集い、様々な「10人でできること」を試みました。その様子を、展覧会企画チームの単位にまつわるエピソードとあわせて紹介します。
10人でできること:「切株に乗る」
公園にあった大きな切株の円周は3.66 m。10人で固まって乗りました。
「写真の切株上面の面積はおよそ1m2。ここに10人が乗っているわけですから、一人分の面積が約1000cm2。これは、1辺の長さが31cmくらいの正方形の面積です。簡単にいうと、ここに10人乗るのは辛いです。この体勢は長続きはしませんでした。」
(「単位展」学術協力 星田直彦)
展覧会企画チーム インタビュー 稲本喜則(AXIS)/テキスト
― 小さい頃の単位の記憶を聞かせてください。
幼稚園の頃だったか、時計の短針、長針、秒針の読み方を教わったときはちょっと大人になった気持ちがしましたねー(幼稚園児だけど)。
― 「単位展」に関わって、単位についてのイメージは変わりましたか。
生活と単位の関わりを調べ始めると、物流革命、情報革命から、ウサイン・ボルトの胸板の問題、果てはウチのおふくろが50年前に持ってきた嫁入り道具の桐ダンスの寸法の問題まで出てきて、驚いています。
― 「単位展」に来場された方へ、メッセージをお願いします。
単位展を見終わって家に帰ってから、目を閉じて「単位、単位、単位」と3回唱え、目を開けてください。身の回りのものにいかに巧妙に単位が使われているか、気がつくと思います。
>>「10人でできること Vol.1/展覧会企画チーム インタビュー 中村至男」
>>「10人でできること Vol.2/展覧会企画チーム インタビュー 鈴野浩一(トラフ建築設計事務所)」
>>「10人でできること Vol.4/展覧会企画チーム インタビュー 岡本 健」
>>「10人でできること Vol.5/展覧会企画チーム インタビュー 菅 俊一」
>>「10人でできること Vol.6/展覧会企画チーム インタビュー 寺山紀彦(studio note)」
>>「10人でできること Vol.7/展覧会企画チーム インタビュー 前村達也(21_21 DESIGN SIGHT)」
2014年11月、企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」に向けて、展覧会チームの中心メンバー10人が集い、様々な「10人でできること」を試みました。その様子を、展覧会企画チームの単位にまつわるエピソードとあわせて紹介します。
10人でできること:「1つのベンチに座る」
3〜4人掛けのベンチ(幅1.9m)には、2列になって、なんとか10人で座ることができました。
「既製品の椅子の場合、座面の高さは38~42㎝くらい。また、最近の鉄道車両のロングシートの場合、一人分の座席の幅は45~48cmというところです。写真の10人には笑顔が見られますが、実際にはかなり窮屈でした。」
(「単位展」学術協力 星田直彦)
展覧会企画チーム インタビュー 鈴野浩一(トラフ建築設計事務所)/会場構成監修
― 仕事をするようになってから考える単位には、どんなものがありますか。
常にメジャーをもってて測ってます。mm の単位でよく表記します。
住宅などで㎡で表記しても一般の人はよくわからないので、何畳(なんじょう)を略して、㎡の次にかっこして12.5Jとか書いたりもしてます。
あと海外でレクチャーするときなど、50mとか単位をつけて説明したりするのですが、アメリカだと全然通用しなく、尺貫法から国際単位にあわせて、50m走や水泳などもあるのに分からないんだなーと不思議に思いました。
と、単位って面白く、単位をつかって遊べる自由を感じました。
― 「単位展」に来場された方へ、メッセージをお願いします。
単位って厳密で、難しいイメージもありましたが、「単位展」にかかわるようになってから、年齢でなく、身長が1mになったらお祝いしようなど、単位を使って遊んでる作品をみると、単位って面白く、単位をつかって遊べる自由を感じました。
単位を使って応用して遊んだり、基礎単位を頭でなく身体で実感してほしいです。
>>「10人でできること Vol.1/展覧会企画チーム インタビュー 中村至男」
>>「10人でできること Vol.3/展覧会企画チーム インタビュー 稲本喜則(AXIS)」
>>「10人でできること Vol.4/展覧会企画チーム インタビュー 岡本 健」
>>「10人でできること Vol.5/展覧会企画チーム インタビュー 菅 俊一」
>>「10人でできること Vol.6/展覧会企画チーム インタビュー 寺山紀彦(studio note)」
>>「10人でできること Vol.7/展覧会企画チーム インタビュー 前村達也(21_21 DESIGN SIGHT)」
2014年11月、企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」に向けて、展覧会チームの中心メンバー10人が集い、様々な「10人でできること」を試みました。その様子を、展覧会企画チームの単位にまつわるエピソードとあわせて紹介します。
10人でできること:「手を繋いで輪になる」
10人で手を繋いで輪になると、直径は約4.5m。相撲の土俵と同じくらいになります。
「人が両手を広げたときの長さに由来する『尋』という単位があります。一般的に『尋』は、その人の身長と同じくらいになります。」
(「単位展」学術協力 星田直彦)
展覧会企画チーム インタビュー 中村至男/展覧会グラフィック
― 小さい頃の単位の記憶を聞かせてください。
せいぜい30cm定規の範囲内だったと思います。
― 仕事をするようになってから考える単位には、どんなものがありますか。
デザイナーの仕事をはじめてからは、身のまわりの色を印刷でいうインク4色(シアン、マゼンタ、イエロー、ブラック)の掛け合わせ(%)で大体置きかえられるようになりました。
― 「単位展」に関わって、単位についてのイメージは変わりましたか。
あらためて世界を見渡すと、人間は何世紀もの間、あれやこれやと測ったり区切ったり、計算したりと、そんな作業を延々と続けて世界を単位で定義づけてきたのだとおどろかされます。
そんな異常なまでの知への欲求は、人間にとってとても本能的なものと思えました
>>「10人でできること Vol.2/展覧会企画チーム インタビュー 鈴野浩一(トラフ建築設計事務所)」
>>「10人でできること Vol.3/展覧会企画チーム インタビュー 稲本喜則(AXIS)」
>>「10人でできること Vol.4/展覧会企画チーム インタビュー 岡本 健」
>>「10人でできること Vol.5/展覧会企画チーム インタビュー 菅 俊一」
>>「10人でできること Vol.6/展覧会企画チーム インタビュー 寺山紀彦(studio note)」
>>「10人でできること Vol.7/展覧会企画チーム インタビュー 前村達也(21_21 DESIGN SIGHT)」
2014年11月、企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」に向けて、展覧会チームの中心メンバー10人が集い、様々な「10人でできること」を試みました。その様子を、展覧会企画チームの単位にまつわるエピソードとあわせて紹介します。
- 「10人でできること Vol.1/展覧会企画チーム インタビュー 中村至男」
- 「10人でできること Vol.2/展覧会企画チーム インタビュー 鈴野浩一(トラフ建築設計事務所)」
- 「10人でできること Vol.3/展覧会企画チーム インタビュー 稲本喜則(AXIS)」
- 「10人でできること Vol.4/展覧会企画チーム インタビュー 岡本 健」
- 「10人でできること Vol.5/展覧会企画チーム インタビュー 菅 俊一」
- 「10人でできること Vol.6/展覧会企画チーム インタビュー 寺山紀彦(studio note)」
- 「10人でできること Vol.7/展覧会企画チーム インタビュー 前村達也(21_21 DESIGN SIGHT)」
現在開催中の企画展「活動のデザイン展」。本展ディレクターや多彩なプロジェクトを展開する参加作家から、本展へ寄せられたメッセージを通じて、展覧会やそれぞれの活動により深く触れてみてください。
2014年11月8日、takram design engineeringの田川欣哉と渡邉康太郎、Kaz米田、牛込陽介によるトーク「未来をクリティカルに問う活動」を開催しました。
ロンドンを拠点にデザイナーとテクノロジストとして活動する牛込は、自身が発表してきた作品がメディアアートの枠組みで評価されることに疑問を持ち、テクノロジーの視点から生活や社会に影響を与えたいとクリティカルデザインを学びました。今回の展示作品「ドローンの巣」と「シェアの達人」をはじめ空想と思索から生まれる世界観そのものをデザインして提示する作品について解説しながら、思い込みを覆し、外の世界に一歩踏み出すアプローチの大切さを語りました。
takram design engineeringの渡邉は、これまでの作品を振り返りながら、思考の枠組みの持ち方の重要性について語りました。Kaz米田は、100年後の荒廃した世界における人間と水との関係を問い直すことから生まれた展示作品「Shenu:百年後の水筒」について、田川は、乾燥地帯に生息する動物の臓器の仕組みの研究から生まれた人工臓器について語りました。
問題解決以前の問題発見に重点を置き、社会と人間の関係を問い続けることでイノベーションの種を見つける、そんな新しい時代のデザインの態度について語り合うトークとなりました。
2014年11月1日、イーヴォ・ファン・デン・バール(ヴァンスファッペン)とマスード・ハッサーニによるトーク「オランダのデザイン ― デザインと社会の広がる関係」を開催しました。
ニコル・ドリエッセンとヴァンスファッペンを設立したファン・デン・バールは、ロッテルダム南部の病院を改装したスタジオを拠点にさまざまな作品制作に取り組む一方、160ヶ国からの移民を抱えるシャロワー地区の住民たちとともに、地域密着型のプロジェクト「DNA シャロワー」を展開しています。
プロジェクトの第1弾となったのが、本展のポスター写真にもなった「ロースさんのセーター」。デザイナーのクリスティン・メンデルツマとロッテルダム市立美術館との恊働で、誰も袖を通すことのなかった560枚に及ぶロースさんのセーターは、本と映像を通して、世界中の人々に知られるようになりました。
アフガニスタン出身のマスード・ハッサーニは、子どもの頃に暮らしたカブール郊外での体験からトークをスタート。諸外国が残して行った地雷に囲まれたもと軍用地の校庭では、脚を失った子どもにも出会ったと言います。子どもの頃に自らつくって遊んだというおもちゃを発想源にした地雷撤去装置について、その開発と実験、検証のプロセスを交えて語りました。
ハッサーニの作品は、ニューヨーク近代美術館に注目されたことから、各国のメディアで取り上げられるようになりました。地雷が無くなれば、豊富な地下資源を利用して、世界で最も豊かな国のひとつになるというアフガニスタン。ハッサーニは、さまざまな活動を通して、プロジェクトへの理解と支援を訴えています。
日常の中の小さな気づきがデザインを生み、ひとつひとつの丁寧な積み重ねで地域や社会の問題解決の糸口が見つかる、そんなヒントに満ちたトークとなりました。
いよいよ開幕を明日に控えた「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた会場の様子を、いちはやくお届けします。
展覧会ディレクターの川上典李子と横山いくこによるギャラリーツアーを開催します。参加作家の特別参加も予定。ぜひご来場ください!
展覧会ディレクターによるギャラリーツアー
日時:11月1日(土)・2日(日)16:00-17:00、3日(月祝)14:00-15:00
場所:21_21 DESIGN SIGHT
>>詳細はこちら
撮影:吉村昌也
2014年10月24日より開催される「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた本展から、展示作品の一部をご紹介します。
「マイン・カフォン」
マスード・ハッサーニ
アフガニスタン出身で、現在はオランダに拠点を置く作家の、幼少時代の体験をもとにつくられた地雷撤去装置。発想の源になったペーパー・トイや、制作背景の映像も展示します。
マスード・ハッサーニがトークに出演します。
「イーヴォ・ファン・デン・バールとマスード・ハッサーニによるトーク」
日時:11月1日(土)14:00-15:30
場所:21_21 DESIGN SIGHT
>>詳細はこちら
2014年10月24日より開催される「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた本展から、展示作品の一部をご紹介します。
「ア・ミリオン・タイムズ」
Humans Since 1982
384個の時計が並んだ作品。プログラミングされた針は、規則的な動きの中から言葉や数字を紡ぎだします。
Humans Since 1982がトークに出演します。
オープニング・デザイナー・リレートーク「活動のデザイン」
日時:10月25日(土)14:00-16:00
場所:21_21 DESIGN SIGHT
>>詳細はこちら
「望遠鏡のおばけ」
大西麻貴+百田有希/o + h
望遠鏡を使った、視点を変える装置。新たな発見と驚きを与える作品です。
大西麻貴+百田有希/o + hの「視点を変えるイス」が、東京ミッドタウンの芝生広場に登場します。
デザインタッチ2014「スワリの森」
日時:2014年10月17日(金)- 11月3日(月祝)11:00-18:00 ※雨天中止
場所:ミッドタウン・ガーデン 芝生広場
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「Line Works - 線の引き方次第で、世界が変わる」
織咲 誠
「線の引き方」に着目して継続されているリサーチを、約40事例紹介します。
織咲 誠がトークに出演します。
「織咲 誠と谷尻 誠によるトーク」
日時:11月29日(土)14:00-15:30
場所:21_21 DESIGN SIGHT
2014年10月24日より開催される「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた本展から、展示作品の一部をご紹介します。
「ロースさんのセーター」
DNA Charlois(ディーエヌエー シャロアー)&クリスティン・メンデルツマ/Wandschappen(ヴァンスファッペン)
展覧会ポスターのビジュアルにもなっている、「ロースさんのセーター」。
一人のオランダ人女性によって編み続けられた500枚以上のセーターのうち、60枚を展示します。また、これまでの全セーターを記録したクリスティン・メンデルツマデザインの本とあわせて販売し、プロジェクトの映像も紹介します。
Wandschappenのイーヴォ・ファン・デン・バールがトークに出演します。
「イーヴォ・ファン・デン・バールとマスード・ハッサーニによるトーク」
日時:11月1日(土)14:00-15:30
場所:21_21 DESIGN SIGHT
>>詳細はこちら
2014年10月24日より開催される「活動のデザイン展」。変動する世界における未来へのヒントに満ちた本展から、展示作品の一部をご紹介します。
日本のファッション、美術と工芸を研究し、技術を習得したことが、舘鼻則孝の表現の礎をなしている。一方、フォトグラファーハルは、「東京に住んでいる自分だからこそ表現できることを見つけ、世界に発信していきたい」と創作のモチベーションについて語る。2人は『イメージメーカー展』から何を感じ、今後の展開へとつなげていくのだろうか? 2人の対談を取材した。
──お2人の作品が並ぶこの展示室を見たときの印象を教えてください。
ハル:世界を舞台にして、日本人としてどういう表現をしていくか、と考えて作品を制作している点が共通していると感じました。それと、身体表現ですね。私はカップルの身体を使って画面をつくっていますし、舘鼻さんも、下駄や靴の制作を通じて女性の姿をつくり出しているわけですから。
舘鼻:やはり日本人の表現ということが共通していますよね。ハルさんの作品からは日本のサブカルチャーが見えてくるといわれますが、私の表現もサブカルチャーに変わりありません。海外の文化が日本に入ってきて、それが昇華されて日本の文化として成り立っているということは、要するに伝統的な日本文化からしたらサブカルチャーと呼べますよね。
ハル:私はよく、アングラなカルチャーの世界で活動をしている作家だととらえられていることが多いですけど、今回の展示みたいに、キャリアも長く第一線で活躍されてきた方々と一緒に展示されたのは、自分としても貴重な経験でした。とはいうものの、人の身体や顔が写った写真を切り貼りするグードさんの手法なんかは、世界中にインパクトを与えてグードさんの表現として認識されていますけど、今広告などで使われたら、危険な表現だと受け取られないとも限りませんよね。だから、私の真空パックの作品も「よい子はマネしないでください」といわれるような表現ですが(笑)、エレーヌさんが抵抗なくラインナップしてくれたのかもしれません。
舘鼻:グードさんと会ったときには「キッズ」って呼ばれたんですよ。私は29歳だから、彼からしたら若造ということですよね(笑)。でも、そういうグードさんが回顧展のような形式で過去の作品から新作までを展示していて、その一方で、私やハルさんみたいな、グードさんにとっての「キッズ」の作品が一緒に展示されている。出展作家が少ないグループ展で、こういう年齢やタイプの違う作家が集まるケースはすごく珍しいし、ひとりひとりが違うタイムラインを持っていて、それぞれのストーリーが表現されている今回の企画はとてもおもしろいと思いましたね。展覧会ディレクターの手腕がすごいと純粋に感じました。
──作家のキャリアも表現するメディアも異なりながら、それぞれの表現に共通点が見えるのが『イメージメーカー展』のおもしろさのひとつだと感じました。
ハル:最近、広告の仕事として動画制作をする機会が増えてきているのですが、作品でも動画に挑戦したいと考えているんですね。パッと見て認識できるのが写真の大きな特徴のひとつで、映像はというと、見るためにある程度の積極性が要求されますよね。展覧会では、立ち止まってある程度時間をかける必要があるし、家で見るとしたら、再生しないと見られない。その違いは、表現としての特性の違いにも表れていると思うんです。写真で物語を感じさせ、起承転結を持たせるのだとしたら、それは映像を使ったほうがより伝わるかもしれない。今回、ロバート・ウィルソンさんのビデオポートレートを見たとき、本当にその中間をやっていると感じました。時間経過や動きを表現しつつ、写真のように画面のディテールもきちっと見せている。そういうのを感じられたのはとても興味深かったですね。
──グループ展として、いろいろなタイムラインや時代に応じた表現が見えたことと同時に、舘鼻さんという1人の作家の展示から、西洋と東洋、古典と現代といった要素の連続性と対比が見えてきたのも印象的でした。
舘鼻:自分が日本人のアイデンティティを持っていて、その上で現代的な表現を行うためには、日本の現代性というのがどういうところにあるのか、常に探し続ける必要があります。海外から入ってきた文化が日本で独自の進化を遂げて日本的になっているのも、日本人の編集能力の高さによるものだと思うし、その感性が日本の流行の移り変わりの早さとも結びついているはずです。そういう背景から生まれる最先端なものを海外の人にも伝え、理解してもらうためには、時代や文化的なつながりをきちんと説明する必要があります。ヒールレスシューズの裏付けとして日本の下駄があるわけですし、膝の上まであるレザーのブーツと西洋のルネサンス美術との関係を説明することもできますし、美術の歴史と、日本の歴史と、自分の思考過程とがどのように重なり合っているかを提示することが重要だと考えています。おそらく、今回の展示でその一端を表現することができたのかもしれません。
ハル:インターネットも進化して、過去にどのようなものがつくられていて、世界のどういう場所でどういう生活が行われているのか、などのさまざまな情報を手に入れられるようになりました。つまりある意味で、時代も場所も地ならしされてしまったわけです。写真に関していうと、現在はあらゆるものが撮りつくされてしまった感がありますよね。だからこそ、今まで誰もやっていなかったことをやることが一番大事で、今までに撮られたことのないイメージを見つけたときの驚きも喜びも、とてつもなく大きいと思っています。そして、時代も場所も地ならしされたこの状況を利用すれば、東京で生活しているから得られる感覚で制作した作品を、例えば東京に居ながらにしてニューヨークの人に見てもらうことができるわけです。グローバル化によって、時代や文化のすき間に生まれたローカルで個人的な表現をおもしろがってもらえる土壌が、現代にはあると感じています。
構成・文:中島良平
写真:木奥恵三
展覧会ディレクターのエレーヌ・ケルマシュターは、舘鼻則孝のことを「伝統と未来を見据えてものづくりを行う作家」と、フォトグラファーハルを「カップルをモデルにイメージをつくりあげ、"予想不能"なコンポジションに"愛"を表現するイメージメーカー」と表現する。『イメージメーカー展』では、ふたりの作品が同じ展示室に並べられた。前編と後編の2回にわたる今回のレポート。前編では、それぞれのコメントから2人の表現を紹介する。
展示室に足を踏み入れると、まず目に入ってくるのが石膏による足が林立するインスタレーション。かつて舘鼻則孝が、1枚の皮革から足のフォルムをかたどったブーツを手がけたことがあり、それを石膏で何足も複製することによってこのインスタレーションは生まれた。人の足の構造をリサーチする標本のようでもあり、また、ロダンなど西洋の近代彫刻家たちによる体のパーツの習作が集積した様子も連想させる。
ファッションデザイナーを目指すときにまず日本のファッションを勉強したという舘鼻は、「自分のルーツにあるのは日本のファッションへの関心であり、そこから展開する前衛的で新しいものづくりを追求している」と語る。「今回はほとんどが新作なんですが、ファッションアイテムである靴と、中庭のサンクンコートに展示されたかんざしがモチーフの大きな彫刻作品、その中間であるインスタレーションやオブジェ、という3つのセクションで構成しています。ここに展示したヒールレスシューズは、日本の下駄にインスパイアされて生まれた作品です。その関係性を見せるために、学生のころにつくり始めた下駄を展示しました。東洋の美術として生まれた日本の靴といえます。日本文化に西洋からの文化が影響を与え、融合することで現在の日本文化が生まれたわけですが、そのような西洋と東洋の対比や、古典と現代表現のつながりを常に意識しています」
足が地面よりも高いところに置かれる日本の下駄を工芸の技術によって洗練させた作品。そしてその対比として、伝統的な技術にインスパイアされ、東洋と西洋の融合を現代のモードに昇華したヒールレスシューズ。舘鼻は日本の花魁を研究することで着物や下駄の文化を知り、最新の表現へと展開させるために、ルネサンスや近代彫刻などの西洋芸術も学んだ。身にまとうものを手がけるために、身体性の研究にも余念がない。多様な表現を行いながら、根底にあるのはひとつの意識だということが展示から伝わってくる。
「日本の文化を世界の人に知ってもらいたい、というのが制作の大きな動機です。それをより現代的で新しい形で行うには、どのような技法や素材を用いるのがいいか。美術にも工芸にも歴史的な時間軸があるので、それを横並びで見て、重なり合う部分を説明しながら紐解いているのが自分にとっての制作活動であり、今回の展示でやりたかったことです」
舘鼻の作品と対面する形で、壁面にはフォトグラファーハルの写真作品が展示されている。色鮮やかな画面に写されているのは、布団圧縮袋に真空パックされたカップルの姿。「カップル2人の距離感がどれだけ近づいてひとつになることができるか、それを表現したい」と、ハルはこれまでのすべての作品に通じる制作動機について語る。「袋の上に寝転がってもらって、関節の位置や体のバランスなどを考えながらカップル2人と私との3人でディスカッションして構図を決めます。そのときに、私が俯瞰でそのフォルムが美しいかどうかを考えますし、実際に袋に入って掃除機で空気を抜くことで予期していなかった構図が生まれもします。1分か2分かけて徐々に空気が抜けていき、最終的に顔にピタッとビニールが貼り付いた時点で呼吸ができなくなるので、そこから10秒カウントダウンしながら、袋をグッと引っ張って服の細かいシワを直したり、腕や足の位置を動かしたりして、1回シャッターを切るわけです。そして、シャッターを切ったと同時に袋を開ける。息ができないので時間との勝負です。完璧にコントロールして同じ構図の真空状態をつくることは二度とできませんし、10秒間という限られた時間でその瞬間を画面に切り取ることに、写真というメディアを使う必然性があると思っています」
画面構成を想定し、カップルとの共同作業で被写体をつくりあげる作業が非常に重要な位置を占める。そうして生まれた作品から、新たにイメージが広がり次の作品のアイデアが生まれるという。圧倒的なインパクトを持つ画面は、その構図とディテールの結びつきによって見るものの目を釘付けにする。
「今回展示した7点のうち、1点は『Flesh Love』という2010年の作品で、もう6点は『Zatsuran』という2012年と2013年に撮影した作品です。カップルの2人と、彼らが普段使っているものや家にあるものを一緒に真空パックしています。2人の持ち物が2人に吸い寄せられた貼り付いている様子を撮影することで、 ふたりが引かれ合うパワーがより高次元で表現できると考えたわけです」
記事の後編では、それぞれが考える日本的な表現や、『イメージメーカー』という展覧会としての独自性などについて語った、舘鼻とハルの対談をレポートする。
構成・文:中島良平
写真:木奥恵三
7月4日(金)、いよいよ企画展「イメージメーカー展」が開幕します。
ファンタジックな想像の世界をつくり出すこと、様々なクリエイティブな分野を融合させること、そして今ここにある世界について語りながら、人々を全く違った世界へ連れだすこと......。本展では、日仏文化交流に精通したキュレーターのエレーヌ・ケルマシュターを展覧会ディレクターに迎え、広告の世界に革命をもたらしたジャン=ポール・グードを中心に、国内外で活躍するイメージメーカーたちによる作品を展示します。
<展覧会の見どころ>
希代のイメージメーカー、ジャン=ポール・グードの世界にメインギャラリーが変貌
グードの創作は次元を超越し、見る者を想像の世界へといざないます。本展では、プライベートな生活での出会いが色濃く反映された機械仕掛けの彫刻「見ざる」「言わざる」「聞かざる」が一番の見どころ。会場では、彼が崇拝する「3人の女神」たち―グレース・ジョーンズ、ファリーダ、カレンをモデルにした人形が、三宅 純作曲の音楽に合わせて踊ります。さらに、グードが手掛けたパリの地下鉄内のデパート広告を16台のモニターを連結して再現したビデオインスタレーションや、写真コラージュ「形態学的改良」シリーズ、ドローイングなどを展示し、自らの世界観を大胆に表現します。
「ヒールレスシューズ」によって世界に名を知らしめた、舘鼻則孝の新たな側面を公開
彫刻、オブジェ、靴の全てが融合された舘鼻の「ヒールレスシューズ」は、履くことによって身体のラインを一変させます。その発想源には花魁の高下駄や日本の伝統文化があります。本展のために、舘鼻は制作プロセスとともに新作の靴と下駄を発表。また、身体構造にインスピレーションを得た石膏作品「アイデンティティーカラム」やアクリル製の彫刻「フローズンブーツ」、さらには大型のかんざしを屋内外に展示します。なお、地下ロビーには「ヒールレスシューズ」試着コーナーも設置します。
あらゆる分野を横断するイメージメーカーたちによる、活気ある世界の物語
舞台演出家として名高いロバート・ウィルソンの「ビデオポートレート」シリーズを日本初公開。本展のために作品プロデューサーが来日し、21_21 DESIGN SIGHTの建築空間に新たな"舞台"をつくりだします。また、映画、写真、絵画と様々な分野で活躍するデヴィッド・リンチは、自らの心象風景を映しとったリトグラフ24点を出展。さらに、フォトグラファーハルは、カップルを真空パックして撮影した「Flesh Love」と新シリーズ「Zatsuran」を紹介します。日仏文化交流に精通したキュレーター、エレーヌ・ケルマシュターのディレクションにより、国内外屈指のイメージメーカーたちの作品が一堂に集い、活気ある世界の物語を繰り広げます。
Photo: 木奥恵三
2月28日(金)、いよいよ企画展「コメ展」が開幕します。
コメは、私たちの暮らしにとても身近で、日々の生活に欠かせないものです。日本では、コメを中心とした食文化を深めつつ、稲作の歴史とともに様々な文化が発展してきました。
本展では、私たちの文化の根幹をなすコメのありようを新鮮な目で見つめ直していきます。そして、その未来像を来場者の皆様とともに考えていきます。
佐藤 卓、竹村真一ディレクションによる「コメ展」に、ぜひご来場ください。
撮影:淺川 敏
三宅一生が企画・コスチュームデザインを行なった「青森大学男子新体操部」公演(2013年7月18日/国立代々木競技場第二体育館で開催)の中野裕之監督ノンフィクションフィルム。好評につき、テアトル新宿でレイトショー追加上映が決定しました。
このフィルムは、中野裕之監督のカメラが、公演の準備段階から本番当日までの3ヶ月にわたる青森大学新体操部の挑戦の日々を捉えた作品です。たった一度だけの公演に向けて、選手たち、そしてコーチ陣が、何を考え、何を感じ、何に悩みながら日々練習に取り組んで来たか、プロジェクトの舞台裏が中野監督の目を通して描かれています。ぜひご覧ください。
ワールドプレミア・スクリーニング
日時:2013年12月13日(金)まで 12:20-13:50
2013年12月14日(土)- 20日(金) 12:20-13:50、21:15-22:45
場所:テアトル新宿
三宅一生が企画・コスチュームデザインを行なった「青森大学男子新体操部」公演(2013年7月18日/国立代々木競技場第二体育館で開催)の中野裕之監督ノンフィクションフィルム。テアトル新宿、シネマ・ツーに続き、テアトル梅田での上映が決定しました。
このフィルムは、中野裕之監督のカメラが、公演の準備段階から本番当日までの3ヶ月にわたる青森大学新体操部の挑戦の日々を捉えた作品です。たった一度だけの公演に向けて、選手たち、そしてコーチ陣が、何を考え、何を感じ、何に悩みながら日々練習に取り組んで来たか、プロジェクトの舞台裏が中野監督の目を通して描かれています。ぜひご覧ください。
プレミア・スクリーニング
日時:2013年12月14日(土)- 12月19日(木)10:30-
場所:テアトル梅田
東京での上映情報と詳細は、>>公式ウェブサイトをご覧ください。
三宅一生が企画・コスチュームデザインを行なった「青森大学男子新体操部」公演(2013年7月18日/国立代々木競技場第二体育館で開催)のノンフィクションフィルムが完成しました。
このフィルムは、中野裕之監督のカメラが、公演の準備段階から本番当日までの3ヶ月にわたる青森大学新体操部の挑戦の日々を捉えた作品です。たった一度だけの公演に向けて、選手たち、そしてコーチ陣が、何を考え、何を感じ、何に悩みながら日々練習に取り組んで来たか、プロジェクトの舞台裏が中野監督の目を通して描かれています。ぜひご覧ください。
ワールドプレミア・スクリーニング
日時:2013年11月30日(土)- 12月6日(金)10:00-
場所:テアトル新宿
スペシャルイベント・スクリーニング
日時:2013年12月12日(木)19:30-
場所:シネマ・ツー
出演:中野裕之監督+スペシャルゲスト
2013年9月21日、「カラーハンティング展 色からはじめるデザイン」関連プログラム「ベジスイ・やさいぴぐめんと」を開催しました。
100%植物由来の香水と顔料をつくるプロジェクト「ベジスイ・やさいぴぐめんと」。その映像制作を手がけたSoup Stock Tokyo 遠山正道、れもんらいふ 千原徹也、ダンサーのホナガヨウコを迎え、本展ディレクター藤原 大と共に制作のエピソードを語りました。
まず、トークの冒頭にホナガヨウコ企画のダンスパフォーマンスが披露されました。21_21 DESIGN SIGHTの建物の特徴を生かした躍動感のあるダンスで会場を沸かせました。
その後、今回の映像作品のコスチュームである白衣とウィッグをまとった登壇者たちが登場。藤原の「色から料理をつくる」というコンセプトを、作品としてかたちに落とし込んでいく試行錯誤の過程を語る4者からは、制作の現場の明るい雰囲気が伝わりました。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
衣服と写真と文字 動くボディについて考える
──今回の展示をご覧になってお考えになったことをお聞かせください。
小林康夫(以下、小林):
以前に一生さんが、自分が最も影響を受けたのはイサム・ノグチとアーヴィング・ペンだというお話をされていました。その時にイサム・ノグチは造形の原点としてよくわかるんですが、ペンさんは何故なんだろうという疑問がありました。また一生さんは、そのときペンさんに作品を見てもらうことが重要なんだ、ペンさんの眼差しを通じて自分が自分に引き戻されるんだともおっしゃっていました。ペンさんのカメラによる眼差しを通じて、自分の作り出した作品を見ることで、初めてもうひとつの自分に出会える。それは弁証法というか、そういう自他の回路が働いていると思ったんです。そのことを表象文化論という観点から掘り下げてみたいと思ったわけですね。
つまり展覧会でペンさんと一生さんの協同作品を見ていく時に、ペンさんの世界は、文字というか書の世界につながっていくのでは、とひらめいたんです。中国には「書は人なり」という言葉があるらしいのですが、その人とは身体でもある。服は形であるとしても、それは「身体」の形、人間のボディの問題になるわけですね。一生さんのデザインは、いつも素材においても新しい挑戦をしていますが、その基には動く身体感覚がある。身体を隠すわけでもなく、飾るわけでもない。身体は動きであるという認識ですね。「動くボディ」としての形、それが原点にあるのではないか。それが、古来の文字のあり方とつながってくるんじゃないかと考えたんです。今回の展示では、大地から立ち上がった文字が空に飛んで行こうとしているような、そんな印象も受けました。
──来週開催予定のトークについて教えてください。
小林:トークでは、中国哲学の中島隆博先生と土屋昌明先生のお二方をお招きして、「文字」「書」という切り口からアーヴィング・ペンさんの写真と一生さんの服について論じてみたいと思っています。一生さんの服とペンさんの写真を「文字」や「書」から読み解くことで、どういう世界に広がっていくか、いくつか書の作品などをお見せしつつお話してみたいと思っています。どこに着地するかはまだわかりませんが、一生さんとペンさんという二人の出会いが、人類学的なスケールで見えてくるのではないかと思います。
(聞き手:上條桂子)
2012年2月18日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに小林康夫が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「文字となって羽ばたく―東アジアの伝統から」の動画を見る
小林康夫 Yasuo Kobayashi
東京大学大学院総合文化研究科 教授
1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻博士課程満期退学。パリ第10大学記号学科博士号取得。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授(表象文化論専攻)、グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」拠点リーダー。著書に、『不可能なものへの権利』(89年)、『無の透視法』(89年)、『起源と根源』(91年)、『光のオペラ』(94年)、『身体と空間』(95年)、『出来事としての文学』(95年)、『建築のポエティクス』(97年)、『大学は緑の眼を持つ』(97年)、『思考の天球』(98年)、『青の美術史』(99年)、『表象の光学』(03年)、『知のオデュッセイア』(09年)、『歴史のディコンストラクション』(10年)。ほか、編著、翻訳多数。
講師を務めたのは、参加作家の渡邊淳司と安藤英由樹、振付師でダンサーの川口ゆいと慶応義塾大学講師の坂倉杏介のチーム。本ワークショップのために開発した特別な機器を使って、自分の心臓の音をじっくり味わうワークショップです。聴診器と振動スピーカーが組み合わされた黒いキューブを手のひらに置くと、まるで自分の心臓が体から切り離されて、独立した存在になってしまったように感じます。この機器を使って、他の参加者の心臓音を感じてみたり、自己紹介をしてみたり。ワークショプ後半では、青空の下、ピクニック気分で、運動をしたり寝転がったり、お菓子を食べたりホラー絵本を読んだりしながらそれぞれの心臓の音の変化を体験し、普段味わうことの少ない自分の心臓への慈しみを感じるひと時になりました。ワークショップが終了し、機器の振動が止まっても、いつまでも愛おしそうにボックスを手放せない参加者たちでした。
真鍋大渡による一日体験展示は少人数によるワークショップの形で行われました。
まず研究者と一緒に行っているというプロジェクト概要を説明し、実際に筋電位センサーを貼る体験から始まります。少量とはいえ顔面に電流が流れ、勝手に頬が持ち上がったり、ウィンクをしてみたり。電流による強制的な表情操作に、参加者同士で「結構痛いかも」「ちくちくを越えるとよく動く」など、アドバイスし合いました。スタッフの見本や一通りのテストが終わると、いよいよ2人1組で本番です。こめかみや頬、目頭、顎など顔面16ヶ所にパッチを貼り、2分間の音楽に合わせてパフォーマンスを行いました。
パフォーマンスを行っている間、ものづくりに対する参加者からの質問に「考えてから、作るまでが長い、思いつくのが大変」だと、真鍋が答える場面も。参加者との近しい距離の中で、人とシンクロするメディアアートを作っていきたいと今後についても語りました。パフォーマンスを終えて席に戻る参加者には興奮の表情が浮かび、互いを戦友と認め合うような密なコミュニケーションが生まれた時間でした。
参加作家の斎藤達也と研究者の石澤大祥を講師に迎えたワークショップ。はじめに、粘土でできた人形をサイコロ状にして、自分の体積を実感するという本ワークショップのねらいを説明し、ペットボトルや椅子、牛など、身近なものの体積を段ボールの箱を用いて確認します。
その後、人間の体積を立方体にしたときの一辺の長さを瞬時に割り出す特別な装置を使い、それぞれの箱の制作にとりかかります。使用するのは、段ボールやえんぴつ、定規など、ありふれたものばかり。与えられた一辺の長さから立方体をつくるというシンプルな作業ながら、自分の体積となると、参加者の真剣さは増していきます。完成後は、親子や友達と箱の大きさを比較したり、箱を集めて山をつくったりと、自分の体積と同じ大きさの箱を、ただの箱とは思えない参加者たちでした。
エンディング・スペシャルトーク 「未来の骨」
「骨」や「骨格」をテーマに幅広い分野の講師をゲストにトークやワークショップなどを開催してきた「骨」展。その締めくくりとなる今回のトークは、本展ディレクター山中俊治と義肢装具士の臼井二三夫、そして臼井の制作した義足を装着してさまざまな分野で活躍する鈴木徹、大西瞳、須川まきこの3名を迎え行われました。
まず山中が、テレビで義足ランナーが走っている姿を見てその美しさに目を奪われた義足との出会いから語り始めました。続けて臼井が、義肢製作に携わるようになったきっかけについて話しました。小学校の担任の先生が骨肉腫で足を切断し義足を装着することになったり、職探しをしていた際にその時の義足が思い浮かんだと言います。続いて、臼井が働く鉄道弘済会の義肢装具サポートセンターの紹介や、義足の成り立ちや仕組みについての説明に。表面が甲羅のように固い殻で覆われた昔の義足や股関節を切断した場合の義足など、実物を用いて義足の装着の仕方や歩行の際の力のかかり方などを具体的に説明しました。
本展の「標本室」と呼ばれる生物の骨と工業製品の骨組みを展示したパートの最後には、山中がデザインした義足のプロトタイプが展示されています。身体と人工物を繋ぐものの象徴として義肢にはまだまだデザインの余地があるのではないかと考える山中が、どのように「格好良い」プロトタイプを考えていったかについてイラストを交え語りました。スポーツ義足の第一人者でもある臼井は、選手が格好良く見えるのが課題だと言います。そんな義足を使うことがきっかけで、義足であることのストレスがなくなればいい、との思いからです。
トーク中盤では、義足アスリートである鈴木徹がその場で自らの義足を外して説明をし、北京パラリンピックで5位に入賞した経験について話しました。同じく義足アスリートの大西瞳は、ショートパンツにカラフルなハイビスカスが描かれた義足で登場し、「義足だからこそかっこよく歩きたい」と義足に「膝小僧を作って欲しい」と臼井にリクエストしたエピソードに触れました。イラストレーターの須川まきこの義足をモチーフとしたイラストも紹介。須川は骨肉腫により義足で生活することになった際に、義足をモチーフに素敵な世界を描くことで自分や同じ境遇となった人たちの気持ちが救われると考えイラストを描き始めたと語ります。
質疑応答では、陸上競技をするにあたり義肢製作には基準やルールがあるのかという質問があり、結局義肢を使うのは人なので義肢だけが進化しても人の能力が追いつかず身体が壊れてしまう、という鈴木の答えが印象的でした。
その後出演者とトーク参加者は1階館外へ移動。実際に鈴木と大西による走行の様子を見学しました。鈴木と大西が歩行トレーニングからダッシュをすると、軽やかな走行とスピードに観客からは感嘆の声。鈴木は途中通路を区切っていたパーテンションを飛び越えるパフォーマンスも披露。一同から大きな歓声が上がった瞬間でした。
普段生活をしている中では見えにくかった義肢という世界をデザインという視点から垣間見ることで、身体と道具の関係を考えさせられる貴重な時間となりました。山中のデザインした義足をはめてパラリンピックで活躍する選手を見られるのもそう遠い未来ではないかもしれません。
空手家の諸岡奈央と内海健治による、迫力のある「形」の演武から始まりました。
21_21の建物中に響き渡る気合い入れの声。道着の擦れる音が参加者側にも聞こえるほどキレの良い、すばやい動き。見えない敵をしっかりと睨む目つき。
二人とも非常に力強く美しい演武に圧倒されつつ、松本和佳によるインタビューで、今回のレクチャーが行われました。
二人が披露した「形」とは、もともと誰でも空手を始められるように構成された技のことでした。内海は「形」について、自分と戦いながらやるもの、年を重ねてもどこまでも鍛錬していけるものだと語ります。
諸岡はその「形」を練習する際、体の軸を意識し、自分の体が床に対して垂直であるようにすると言います。その方が回るときも技を出すときも力が伝わりやすく、効率的に動くことができるのです。また、そのように自身の体と向き合って、脳が指令を体に伝えるのを意識して動くことが非常に面白いのだそうです。
このように空手において「形」とは、練習の基礎になるものでもあり、また実力の評価基準になるものでもあります。特定の形に忠実に披露できているかということはもちろん、表情や立ち方、姿勢、技に対する理解度が評価されます。表情については、その理解からどこまで敵を想像して「目付け」(敵を睨むこと)ができているかが評価のポイントです。立ち方は横に足を開き、横からの攻撃にも耐えることができるようにします。
その後参加者とともに空手の基礎を体で学ぶワークショップ。体の「軸」を意識して立ち、シコ立ちをしたり、見えない敵をしっかりと見据えながら正拳づきの練習などを行いました。
それから諸岡と内海がISSEY MIYAKEのAUTUMN WINTER 2009の服作りに協力したことから、道着に関する話題へ。内海は約20着もの形の違う道着を持ち、それぞれにこだわりがあるそうです。試合により袖の幅を変えることで技を行うときに出る音が違うという話で、自身の動きや道着を身につけたフォルムに対する熟慮に驚かされます。
ここで、諸岡がISSEY MIYAKEの空手スーツ姿で登場。最後に、ギャラリー2の緒方壽人と五十嵐健夫による鑑賞者の影に骨格を持たせることで影がひとりでに動き出す作品「another shadow」の前に移り、諸岡と内海が非常に幻想的な演武を披露。二人の意識の行き届いた動きは非常に美しいものでした。その後も参加者が再び二人を囲み、名残惜しむように質問が続きました。
サマースクール「デザインのコツ」:体育B
2時限目は、近藤良平によるワークショップです。
近藤が奏でるハーモニカのメロディに沿って二人組で互いの手を叩き合ったり、全員で大きな円になってウェーブをしたり、笑いの絶えないワークショップにより静かなギャラリー全体の雰囲気が一気に和んだ様子。
全員で手を繋いで円になり、皆で一斉に同じタイミングで飛ぶという体操では、繰り返すうちに徐々にタイミングが揃い、人と同じ感覚を共有していることを参加者それぞれが体感しました。また、二人組になって仰向けに寝転がり90度に上げた足の裏にもう一人が乗るという体験では、普段意識していない足の裏の感覚がいかに大事な感覚であるかを教えてくれました。二人組や参加者全員で身体を動かすことを通じて、人の持っている感覚に興味を持つことの面白さを伝えてくれるワークショップでした。
身体を動かしてみないと、人は体の動かし方を忘れてしまうのではないかと懸念していると近藤は話します。身体の動かし方を忘れてしまうと、自分の身体が自分のものだという意識が薄れ、人任せな行動を取りがちだと考えているためです。近藤によれば、よりよく自身の心身を維持するには体の感覚を研ぎ澄まし、動かす必要があるのです。近藤は、「骨展に出展するなら生身の人間を二人展示したいくらい、人の動きに魅力を感じる」と言います。周りを巻き込んで体を動かすことが好きだと笑顔で語る姿が印象的でした。
サマースクール「デザインのコツ」:体育A
ひびのこづえは、現在伊丹市立美術館と春日美術館で開催中のキタイギタイ展の、てぬぐいにもなるポスターから話を始めました。
展覧会は「骨」展に通じるところがあり、様々な生物の形をした服や家具が展示されているそうです。
ひびのは「NHK教育 からだであそぼ」での衣装デザインとセットを手がけており、体の部位をテーマとした映像を紹介しました。
ひびのは、制作時には自分のひらめきや感性を大事にすると言います。衣装では少しグロテスクな部分があってもストレートに表現するようにしているとのこと。
例えば「ほねほねワルツ」という骨がテーマの映像では、白黒の骨がプリントされた衣装を着て踊るダンサーのために、真っ赤なステージを用意しました。それは、骨の周りには血があることを瞬時に感じたからだと話します。
他にも、血管の模様がプリントされた全身タイツに心臓や肺などの臓器をモチーフとした小物を組み合わせるなど、多くのユニークな衣裳をつくっています。番組中ではダンサーの森山開次がそれを着て踊りました。後半は友人でもあるコンドルズ主宰・振付家・ダンサーの近藤良平が登場し、ひびのが野田英樹作・演出の舞台「パイパー」で近藤のためにデザインした衣裳を近藤が着て説明をするという豪華な共演が実現。
ひびのは、ダンサーのために衣裳をつくると、服を着た時の体の動きについてのフィードバックを得やすく、服と体の密接な関係がリンクしやすく、デザインが決まりやすいと話しました。
11月8日、「セカンド・ネイチャー」展に映像作品「REINCARNATION」で参加している、ダンサー/振付家の森山開次と、映像作家の串田壮史によるデザインレクチャー「魂と身体」が行われました。進行を務めたのは、本展企画協力の一人でデザインディレクターの岡田栄造です。
サッカーのゴールキーパーの姿を見て身体に興味を持ったという串田と、センターバックを務めていた森山の二人は、初めて会ったときから、互いの仕事がリンクしていると感じたそうです。ダンスで自由に変化する森山の体を見て「魂を表現するのにぴったり」と考えた串田は、森山の身体を魂に、赤い布を肉や血に見立て、「死んでから生まれるまでの美しい瞬間」(串田)、輪廻を表現しました。赤い布の試行錯誤には時間をかけ、時には液体に、時には塊に見せられるよう、最終的に3-4種類の布が混ぜられたそうです。
「REINCARNATION」には、森山が激しく踊るシーンが登場します。このシーンは、暴れているように見えて、実は冷静に布の動線を見ながら、最後にその布をつかんで投げるクライマックスを持ってくるなど、緻密な計算と設計のもとに振付けられています。その他にも、メーキングのプロセスが詳細に語られ、「CGで表現するのは簡単なのに、意外と手作業が多い」(森山)映像制作の舞台裏が明かされました。
展覧会のテーマ「セカンド・ネイチャー」と作品との関わりについて、「体も自然の一部。踊ることで自然の中に自分がいることを感じられる」と話す森山と、「輪廻とは、人が死ぬという絶望的な自然現象に対して、人が生まれるという希望を込めた、人間の想像力から生まれたストーリー」であると語る串田。老人になったらもう一度「REINCARNATION」に挑戦したいという二人に、会場からは大きな拍手がわきおこりました。
去る5月24日土曜日の午後、参加作家のひとり、デュイ・セイドのトークが開催されました。オープニング後、一旦ニューヨークに帰国したデュイは一ヶ月ぶりに来日し、自作「スティックマン」につながる身体表現の歴史について語りました。あい変わらずの優しい笑顔に再会できて、スタッフ一同大感激でした。また翌日は、予定になかったギャラリーツアーも買って出てくれました。会場構成も手がけた彼だけに、解説は展覧会全体にまでおよびました。