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アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue (83)
北村みどりがディレクターを務めた「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展の展覧会ポスターと展覧会ディレクションが、ADC賞にノミネートされました。
現在受賞作品、優秀作品が一堂に展示される2012 ADC展にて、「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展のポスター、印刷物も展示されています。ぜひご覧ください。
2012 ADC展 [一般作品]
2012年7月4日(水)〜7月28日(土)11時〜19時 入場無料
クリエイションギャラリー G8
104-8001 東京都中央区銀座8-4-17 リクルートGINZA8ビル1F
http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/g8_exh_201207/g8_exh_201207.html
ADC賞についての詳細はウェブサイトをご覧ください。
http://www.tokyoadc.com/
2012年3月31日に行われた、清水早苗(ジャーナリスト)によるトーク「三宅一生の仕事とその視点」の動画をご覧頂けます。
※本動画の配信は2012年4月26日を以て終了とさせていただきます。
2012年3月24日に行われた、マイケル・クロフォード(カートゥーニスト)によるトーク「『ニューヨーカー』誌カートゥーニストとしての30年」の動画をご覧頂けます。
2012年3月24日に行われた、坂田栄一郎(写真家)、亀井武彦(アーティスト)によるトーク「サプライズ・オブ・ニューヨーク」の動画をご覧頂けます。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。最終回は、本展ディレクターの北村みどりが登場します。
類のない創造を生み続けるアーヴィング・ペンさんとの13年間
── ペンさんと三宅さんのコラボレーションに一番近くで携わられ、今回の展覧会ディレクターである北村みどりさん。北村さんにとって、ペンさんはどのような方でしたか?
北村みどり(以下、北村):
今回、半年間という展覧会の中で、トークやウェブサイトなどを通して、本当にたくさんの方にペンさんについて語っていただきました。まずは関わっていただいた皆さまに深くお礼申し上げます。第一線でご活躍の方々が、最初の目標としてペンさんを思い描いていたという発言が多く、改めてアーヴィング・ペンさんの偉大さを感じました。
私は、ペンさんと13年間ご一緒させていただきましたが、こんなに考え方も含め、すべての面においてクリスタルのような眼を持った人に出会ったことがありません。でも、決して周りを緊張させる人ではありません。休憩時間もニコニコしながらわたしたちの輪に入っていらして、軽く会話をしてすっと去っていく。その距離感が本当に絶妙で、素敵な方でした。
── 撮影現場で北村さんは、ペンさんと一生さんをつなぐ重要な役割を果たされていました。
北村:ペンさんは「みどり、あなたの代わりはいない。みどりは僕の仕事をしやすくしてくれる。なぜって、あれはダメこれはダメって言わないから」って(笑)。ニューヨークに行ったら三宅のことは忘れて、コレクションとも切り離して、ペンさんが新しく作られる世界に対して最高の努力をするということが、私の使命でした。
三宅はペンさんが自分の服に違う世界を見出してくださることを望んでいました。ペンさんの写真によって新しい自分を引き出されるような感じになるんですね。スカートを頭にかぶったり違う着方をするなんてしょっちゅうですし、服を何枚も重ねたこともありました。そういえば、帽子も逆さまにかぶったこともあったわ。ありとあらゆる努力が必要でした。
その度に現場で即座にOKの判断をするのです。撮影現場で突然飛び出すアイデアを、活きのいい状態でフィルムに収める、そこで「ちょっと社に電話して確認します」なんて言っていられません。一度決めたことは覆さない、変更をしないというのは、ペンさんの現場で訓練されたのかも知れません。
── ペンさんは三宅さんの撮影をとても楽しみにしていらしたそうですね。
北村:ペンさんは「イッセイミヤケの服の撮影がある時は興奮して寝られない」とよくおっしゃっていましたね。三宅の服は、ペンさんにとって宇宙からきた生き物みたいだったんでしょうね。それがペンさんの「つくりたい。撮りたい。」という気持ちを強く刺激したんだと思います。次はどんなアニマルが出てくるのか、とお思いだったんでしょうね。
── ペンさんが北村さんをお描きになったドローイングがあるそうですね。
北村:(笑)。お誕生日にどなたかが、今日はみどりの誕生日だといってくださって、私が普通にしている時にペンさんがいつも使ってらっしゃるドローイング用の紙にシャッシャッシャって描いてくださったの。とても個人的なもので、残念ながらお見せできないのですが、私の宝物です。
── 北村さんの、今後のお仕事についてお聞かせ下さい。
PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEの20周年にあわせて、その集大成となる576ページの本を編集しております。海外の出版社から出版されますので、ぜひご覧ください。
(聞き手:上條桂子)
北村みどり Midori Kitamura
株式会社三宅デザイン事務所 代表取締役社長
東京生まれ。フェリス女学院大学卒。1976年よりISSEY MIYAKEのアタッシュ・ドゥ・プレスとしてコレクションおよび展覧会、出版物等、三宅一生の全ての活動に携わり、一方、香水や時計等プロダクトのクリエイティブ・ディレクション、プロデュースを手掛けて現在にいたる。2008年には、21_21 DESIGN SIGHTでの「200∞年目玉商品」展ディレクターを小黒一三、日比野克彦とともに務めた。
09年より2121 DESIGN SIGHT株式会社 代表取締役社長も兼任。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
二人の才能のダイアローグをヴィジュアライズしてくれた展覧会
── ペンさんの写真との出会いを教えてください。
ブリット・サルヴェセン(以下、サルヴェセン):
確か1987年だったと思います。ペンの回顧展がニューヨークのMoMAから巡回して世界を巡っていたのをロンドンで見ました。その数年後90年代には、私はペンから作品アーカイブを寄贈されたシカゴ美術館で仕事をしており、そこでコリン・ウェスターベックが企画したペンの回顧展を見る機会がありました。
── ペンさんの写真についてどう思いますか?
サルヴェセン:彼の写真は写真史の中で非常に重要なポジションを占めると思う。何故なら、写真というメディアはさまざまな目的で使われていますが、ファッション、静物、文学、プライベートな作品......、彼はそのすべてのジャンルに及んだ作品づくりをして、いずれの作品もアート作品のレベルに達している。写真のインパクトと対象の細部に焦点をあてる彼の作品は、今の時代にすごく重要なメッセージを持っていると思います。
── 展覧会の感想を聞かせてください。
サルヴェセン:二人のダイアローグはアーティスト同士の関係の中でもとてもユニークなものだと思います。彼らはすごく個人的なパーソナリティの部分で互いに影響を与え合っている。それは、相手が打つ球を見極めて打ち返し、時間をかけてお互いをより偉大な到達点に押し上げる、とても優秀なテニスプレーヤーのよう。お互いに尊敬し合っている関係をすごくリアルに感じることができる展覧会でした。
── ペンさんの写真から学んだことは?
サルヴェセン:私はペンにはお会いしたことがありません。しかし、若い研究者だった私にペンは写真を通してたくさんのことを教えてくれました。道に落ちているタバコやゴミが、たちまち美しいものに変わるということ。それは私にとって驚くべき発見でした。
── ペンさんの写真を1枚手に入れられるとしたら何にしますか?
サルヴェセン:難しいわね(笑)。やはり象徴的な「Harlequin Dress」(1950)でしょうか。あの写真は一度見たら忘れられない強さがあります。
── 最近のお仕事を教えてください。
サルヴェセン:LACMAでは、エルズワース・ケリーの写真と映画についての展覧会が現在開催中です。今後の予定としては、2012年6月にシャロン・ロックハート、2012年10月にはアーヴィング・ペンにも非常に影響を受けたロバート・メイプルソープ、そして2013年の秋にはメキシコの映像作家のガブリエル・フィゲロアの展示を予定しています。
(聞き手:上條桂子)
ブリット・サルヴェセン Britt Salvesen
ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)キュレーター、ウォーリス・アネンバーグ写真・プリント・ドローイング部門長
コートールド美術学校文学修士号(1991年)、シカゴ大学博士号(1997年)。シカゴ美術館の学術出版物のアソシエイト・エディター(1994-2002年)、ミルウォーキー美術館のプリント・ドローイング・写真担当のアソシエイトキュレーター(2002-04年)を経て、アリゾナ大学のクリエイティブ・フォトグラフィー・センター(CCP)のディレクターおよびチーフキュレーターを務める。2009年10月より現職。
これまでの展覧会に、『Harry Callahan: The Photographer at Work(2006年)』『New Topographics(2009年)』『Catherine Opie: Figure and Landscape(2010年)』『Ellsworth Kelly: Prints and Paintings(2012年)』等。今後、シャロン・ロックハート、ケイティ・グラナン、チャーリー・ホワイト、ロバート・メープルソープ、ジョン・ディヴォラ等の展覧会を手掛ける予定の他、レナード・アンド・マージョリー・ヴァーノンのコレクションの大規模な展覧会も予定している。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
シンプルでパワフルなアートの力を実現した、二人の希有なコラボレーション
── 展覧会のご感想をお聞かせください。ご自身の作品が実際に動いているのをご覧になっていかがでしたか。
マイケル・クロフォード(以下、クロフォード):
本当に感動しました。こんなに素晴らしい展覧会は見たことがありません。私は30年間風刺画家として仕事をしてきましたが、自分の作品は常に紙の上の静止画です。それが初めて大きなスクリーンで動いているのを見て、大変興奮しています。動画にしてくださったパスカルさんは素晴らしいですね。
── マイケルさんは、本展のアニメーション作品の原画ドローイングをお描きになられましたが、作品の制作プロセスを教えてください。
クロフォード:最初に北村みどりさんから、方向性をきちんとディレクションしていただきました。スケッチなどを見せていただき、一生さんとペンさんのコラボレーションのプロセスがとても良くわかったので、それから3ヶ月は一人でひたすらドローイングを描きました。そして、でき上がったドローイングをパスカルさんに渡し、しばらくしたら彼からDVDが届いた。それを見た時は驚きましたね。私の描いたスケッチに命を吹き込まれたような感じで、非常に生き生きと動いていた。私たちは一度も同じ部屋で仕事をしていないというのにです。
── ペンさんと一生さんもお会いすることなく、コラボレーションをしました。
クロフォード:そうですね。今回の展覧会の素晴らしさは、まさにそこにあると思います。ペンさんと一生さんが「一緒に」作ったものではないというところに面白みがあると思います。
── プロジェクションの展示はいかがでしたか。
クロフォード:昨日、一緒に来日した子どもたちと見たのですが、皆で感動しました。イメージそのものも美しいのですが、大ききさやシークエンスの間などが素晴らしかった。一生さんの服もそうだけれど、ペンさんの写真は「スカルプチャー」。私にとってこれらの作品は、服ではなく彫刻なのです。
私自身も絵を描くからわかるのですが、アートの世界でペンさんと一生さんのようなコラボレーションが出来るケースはなかなかないと思います。ペンさんは、一生さんの作品から強烈なインスピレーションを受けられて、シンプルでパワフルなアートの力を実現されていると感じました。
── 最後に、クロフォードさんの最近のお仕事をお聞かせください。
クロフォード:私の風刺漫画に関しては、出来るだけシンプルに面白く作るように心がけています。「ニューヨーカー」のドローイングも、なるべくひと言でおかしみを出せるように描いています。シンプルにすればするほど良い作品に仕上がるし、それが私の求めていることなのです。
ペインティングは、もう20~30年描いていて時期によってテーマは変わります。ひとつのテーマをある程度突き詰めて描くと、また次のテーマに挑戦したくなるのです。現在は、アメリカ合衆国の地図を中心に仕事をしています。アメリカの地図に少しアイロニーを込めて、人々が良く知っているアメリカの地図とは、少し違った体験をしてもらうペインティングです。
(聞き手:上條桂子)
マイケル・クロフォード Michael Crawford
カートゥーニスト
1945年アメリカニューヨーク州オスウェーゴ生まれ。69年トロント大学を卒業、英文学専攻。70年代後半にイラストや風刺漫画を売り始めるまで、教職や建設業に多く携わる。81年に『ニューヨーカー』に最初の風刺漫画を売って以来、定期的に寄稿を続けている。その他、『ニューヨーク・ タイムズ』、『ニューヨーク・マガジン』、『スパイ』、『パリ・マッチ』、『ハーバード・マガジン』、『アトランティック』、『フォーブズ』、 『エンクワイアラー』、『グルメ』など、多数の出版物に作品が掲載されている。また、『The New Yorker Book of Baseball Cartoons』のボブ・マンコフ氏の共同編集者としても活躍している。ニューヨーク市、ボストン市、及び、ニューヨーク州ハドソン市のグループ展では、絵画作品が展示されてきた。
http://www.michaelcrawford.org
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
常に新しい表現に挑戦する、素晴らしい才能を持つ二人
── ペンさんの写真についてどう思われますか。
シャロン・サダコ・タケダ(以下、タケダ):
私はペンのすべての作品に通じているわけではありませんが、イッセイの衣服を撮影した写真には、驚きがやむことがありません。ペンが自らの芸術性をもって、クリエイティブで詩的なイッセイの非凡な才能のエッセンスを見事に捉える方法には、目を見張ります。その写真は、まさに時間を超えた芸術作品です。
── 展覧会の感想をお聞かせください。
タケダ:二人の偉大な才能が互いに影響し合ってつくられたクリエイティブな作品を、様々なメディアを通して見られて、素晴しかったです。巨大なプロジェクションには、わくわくしたわ!インスタレーションもとてもダイナミックで、特に、全体を通して良く考えられた写真のグルーピングと、写真が出ては消えて行くタイミングがとても良かったです。
── ペンの作品から学んだことがあったら教えてください。
タケダ:ペンのポートレートや静物写真の隣でイッセイの衣服を撮影した写真を見ると、ペンの内的でクリエイティブな声への探究心が刺激されます。そして、常に新しいことに挑戦し、尊敬する作家の仕事からインスピレーションを得る喜びの重要性について考えさせられました。
── ペンの写真を1枚手に入れられるとしたら何にしますか?
タケダ:なかなか難しいけれど、ひとつだけ選ぶとしたら、ヴォーグのために撮影した奥様のリサの写真かしら。ファッション写真として美しくてエレガントなだけでなく、まるで将来結婚する女性に宛てた心を打つラブレターのようですから。
── 最近のお仕事を教えてください。
タケダ:最近、北米デビューとなる「Rodarte: Fra Angelico Collection」という展覧会をキュレーションしました。これは、著名なアメリカ人デザイナー、KateとLaura Mulleavyがロダルテのためにデザインした、9種のドレスのインスタレーションです。また、私が担当した「Fashoning Fashon: European Dress in Detail, 1700-1915」が今年、ベルリンとパリで始まります。現在は、2014年にオープン予定の「Reigning Men: From the Macaroni to the Metrosexual」という、18世紀から現在までの男性服を集めた展覧会を企画しています。
(聞き手:上條桂子)
シャロン・サダコ・タケダ Sharon Sadako Takeda
ロサンゼルス・カウンティ美術館(LACMA)シニアキュレーター、コスチューム・テキスタイル部門長
LACMAでこれまでに開催した主な展覧会は『When Art Became Fashion: Kosode in Edo-Period Japan』、『Miracles and Mischief: Noh and Kyōgen Theater』、『Breaking the Mode: Contemporary Fashion from the Los Angeles County Museum of Art』、『Fashioning Fashion: European Dress in Detail, 1700 - 1915』等。米国服飾協会より、服飾展の優秀さを称えるリチャード・マーティン賞および2度のミリア・ダヴェンポート出版賞を受賞。2002-03年、UCLAの世界芸術文化学部で客員教授を務め、現在はフランスのリヨンにある、染織史の専門家のための組織、古代織物国際研究所の理事を務めている。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
決して作為的ではない、ストレートな表現
── アーヴィング・ペンの写真との出会いを教えて下さい。
八木 保(以下、八木):
ペンの写真は雑誌でよく見ていましたが、手にとってよく眺めたのは、1986年に出たマイルス・デイヴィスの「TUTU」のレコードジャケットですね。アートディレクションを手掛けた、石岡瑛子さんからいただいた時です。
── ペンの写真について、どのようにお考えですか?
八木:作為的ではなく、自然のままの美しさをそのままに表現していると、思います。
── 何か特別なエピソードがありましたら教えてください。
八木:エスプリ退社後、1991年に、サンフランシスコで独立した時、ニコラス・キャラウェイ出版から連絡が入って、はじめて頼まれた仕事が、アーヴィング・ペンの写真集『PASSAGE』の日本語版のレイアウトの仕事でした。本ができあがり、サンプルが届くのを待っていると、印刷所から、本紙校正紙一式が木のパレットに梱包され送られてきたのです。本になる前の3面付裏表の校正紙は、すごく衝撃的でした。
── ペンの写真から学んだこと、影響を受けたことがありましたら教えて下さい。
八木:足していくのではなくて、引いて表現すること。
過剰に表現するのではなく、そのままをストレートに表現すること。
── 八木さんの最近のご活動についてお聞かせ下さい。
八木:2011年11月に、『八木 保の選択眼』がADP出版から出版されました。
現在、L.A.郊外にあるリベラルアートのポモナ・カレッジのサイン計画を進行しています。
八木 保 Tamotsu Yagi
アートディレクター
東京のデザイン事務所で18年のキャリアを積んだのち、1984年に米国サンフランシスコのアパレルメーカー、エスプリ社にアートディレクターとして招かれる。広告からカタログ、パッケージ、商品のブランディングやストアディスプレイまで、八木が手掛けたエスプリの象徴的なビジュアル表現は「エスプリ・グラフィック・ルック」として世界中から評価される。1986年にAIGA(American Institute of Graphic Arts/アメリカのグラフィックデザイン協会)のデザインリーダーシップ賞を受賞、1990年にはAGI(Alliance Graphique International)にメンバーとして迎えられる。翌1991年に独立、サンフランシスコにTamotsu Yagi Designを設立する。1994年にはベネトン社のためにデザインした「TRIBU(トリブ)」の香水ボトルのデザインでクリオ賞を受賞。また、翌年には100点を超える八木のデザインワークがサンフランシスコ近代美術館(SFMoMA)の永久コレクションに選ばれ、1995年の同美術館の開館を記念して展示が行われた。
2012年3月9日に行われた、鈴木理策(写真家)、鷹野隆大(写真家)と原田 環(文筆編集出版家)によるトーク「写真家にとって、ペンが遺したものとは何か」の動画をご覧頂けます。
※本動画の配信は2012年4月26日を以て終了とさせていただきます。
Sankei Express on the first Sundayに掲載されました
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。本展関連プログラムのために来日したマーク・ホルボーンのインタビューをSankei Express on the first Sundayにてご紹介いただきました。
2012年3月3日に行われた、坂 茂(建築家)によるトーク「『アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue』展+ポンピドゥー・センター・メス+災害支援活動」の動画をご覧頂けます。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
現実と虚構を行き来する、夢あるクリエイション
──佐藤さんは、ペンさんの写真をどのようにご覧になりましたか?
佐藤和子(以下、佐藤):
私はどちらかというと、アーヴィング・ペンさんの写真単体というよりは三宅さんの作品を通じてペンさんの写真を知りました。今回も展示されていますが、当時のヴィジュアルは本当に強烈なイメージでした。三宅さんが持っている心象風景とペンさんが持っている心象風景が重なり合って、違う次元のクリエイションになっていたように思います。
──具体的にはどのようなことでしょう?
佐藤:見ている人がヴィジュアルに自分を投影させて、どんどん変身していけるのです。モデルが服を着ている写真ではあるんですが、その中に物語があって、それが次々に変化していく。見る方によって頭に思い描く物語は違うと思うのですが、それぞれの物語というのは、その人にとっての変身願望につながっているのだと思います。だから見る人も面白い。誰もが心に持っている変身願望を満たしてくれるような展覧会って珍しいと思います。
──すごく面白い視点ですね。ある種女性的な視点なのかもしれません。
佐藤:そうかもしれませんね(笑)。一生さんの服も、ペンさんの写真も、ジャンルも時代も超えている、時空を超えているのですね。すごい人たちが出合う時には、単に倍になるのではなく、2乗3乗の効果が出てくるのだと思います。二人とも自由にやっているでしょ?それがまたすごい。
──そうですね。お互いに言葉を交わさずに作品を作っています。
佐藤:もうひとつお二人のクリエイションを見ていて思ったのは、現実と虚構の絶妙なバランスです。デザインというものは現実感がなくてはならない。ですが、現実感だけだと人間は惹かれないんですよ。嘘というと言葉が悪いですが、虚構の世界というのがあって、人はそこに夢を持つことができる。三宅さんの服というのは、ものすごく大きな夢を見せてくれるのに、現実に戻ったらその服を着られるのですね。現実世界でその服を着ると、着ている自分はやっぱり夢の中を漂っているのですね。ペンさんは、その一生さんの夢の部分を最大限に引き出してまったく新しいものにしている。そのさじ加減が本当に素晴らしいと思います。
──では最後に、佐藤さんが最近手がけられたお仕事を教えてください。
佐藤:昨年末に日伊協会創立70周年・イタリア統一150周年記念で『イタリア文化事典』というものが出版されまして。私は「創る」-(デザイン)という項目を監修、執筆させていただきました。こちらの本に携わって、歴史や文化を語る上でまだまだ「デザイン」という分野の定義が確立されていないことを痛感し、これからきちんと語っていかなければと思いました。
(聞き手:上條桂子)
佐藤和子 Kazuko Sato
ジャーナリスト
女子美術大学図案科卒。東京芸術大学大学院からイタリア政府奨学生として、ブレラ美術大学に留学。60年代初めの<イタリアデザイン黄金期>から、70年代<ノン・デザイン時代>、80年代の<ポストデザイン時代>を、デザインの壁を越えてミラノで活躍。イタリア・ジャーナリスト協会員。多くの日伊文化展を手掛ける。著書「アルキミア」「時を生きるイタリアデザイン」等。金沢美術工芸大学客員教授。女子美術大学客員教授。独自の「近代デザイン論」展開中。
6画面の大型プロジェクションでアーヴィング・ペンの写真を投影しているギャラリー2の展示で使用されている椅子は、本展の会場構成を担当した坂 茂が、フィンランドを代表するインテリアメーカー アルテックのためにデザインした10 UNIT SYSTEM。
その名に示されるように、10点のL字ユニットから構成されています。会場では椅子や背もたれのないスツールとして使用していますが、このほかにもテーブルのフレーム等、いろいろなかたちに組み立てることができます。簡単に組立および解体が可能でもあり、さまざまな組みあわせによって、独自の空間プランをつくり出せます。
また、使用されている素材はUPM ProFi という再生プラスチックと再生紙の混合材です。これはペットボトルなどに使用される粘着ラベルの製造過程でうまれる端材を原料としており、このうちリサイクルされた素材が占める割合はおよそ60%。プラスチックと木の繊維の特徴を兼ね備え、耐久性に優れ湿度や紫外線による影響も受けにくいため、屋内外を問わず幅広い場面で使用することができます。さらに、素材を再度製造工程でリサイクルすることや有害物質を出さず焼却することもでき、製品のライフサイクルを通して環境に負荷が少ない方法が実現されています。
www.artek.fi
2012年2月25日に行われた、柏木 博(デザイン評論家)と清水早苗(ジャーナリスト)によるトーク「アーヴィング・ペン:写真の視覚」の動画をご覧頂けます。
本展の見どころの一つに、ギャラリー2での写真の大型プロジェクションがあります。31mの長い壁面を生かし、6画面を連動させて画像を投影しています。このようなかたちでアーヴィング・ペンの写真が展示されることは初めてです。
今回の展示においては、キヤノンの最新プロジェクターを使用して実現しました。
使用されているプロジェクターは「WUX4000」。
ヨーロッパでは一昨年発表され、国内での大規模な使用は初めてという、最新モデルです。
最大の特徴として、WUXGA対応反射型液晶パネル(LCOS)が挙げられます。
16:10のWUXGA(1,920×1,200ドット)の反射型液晶「LCOS(Liquid Crystal On Silicon)パネル」の採用により、スライドのようになめらかな描写性能と高解像度化を実現しています。今回の展示では、6画面相当のフルHD映像を高精細に映写しています。
また、レンズが交換可能で、幅広い設置環境に対応できます。
「上下左右電動レンズシフト機能」や「電動ズーム・フォーカス機能」により、リモコンを使用しての調整が可能です。本展では、プロジェクターを天井から吊って設置していますが、このため設置後の微調整を行うことができます。実際には6画面を連動させるため、緻密な調整が重ねられています。
迫力の映像表現を、是非会場でお楽しみください。
http://cweb.canon.jp/projector/lineup/wux4000/index.html
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
シュルレアリスムを感じさせる、ペンの写真
──藤塚さんはアーヴィング・ペンさんの写真についてどう思われていましたか?
藤塚光政(以下、藤塚):
僕は他の写真家が撮っている写真にはあまり興味がなくてね(笑)。それは、僕自身が、アートとして写真を創造するというよりもジャーナリストとして写真を撮っているから、誰かの写真を作品として見るという感覚が希薄だったんですよ。アーヴィング・ペンの写真を知ったのは、三宅一生さんを通してなんです。
──一生さんとのお付き合いは長くていらっしゃいますよね?
藤塚:1970年代末か'80年位からかな。僕は当時、ファッションにもまったく興味がなかった。Tシャツとジーンズがあればいいって感じだから(笑)。一生さんとの出会いは、「インテリア」という雑誌の仕事でショーを撮りに行ったのがきっかけ。モデルがポーズとるところばかりを撮るカメラマンの中で、僕は服だけではなく空間全体を撮っていた。僕はそれが普通だと思っていたけど。その後、一生さんから東京コレクションを撮って欲しいって言われた。
僕は、撮影するとき、ファッションというよりは一生さんの発想が面白くてね。あの人は単なるファッションデザイナーじゃないですよ、サイエンティスト。服を見ていても、薄膜構造とか流体力学が想起されるし、その上、民俗学や解剖学まで心得てるんじゃないかと思うほどなんだ。ショーの音楽と照明も素晴らしかった。
──では、一生さんを通してペンさんの写真をご覧になって、どのように感じられましたか?
藤塚:彼はシュルレアリストなんだよ。今回の展示や本にもあったけど、チョコレートがべったりついた口とか、蛙の足筋肉とカタツムリ。僕はこういう写真は撮らないけど、シュルレアリスムの作品を見るのは好きで。いわゆる「キレイは汚い、汚いはキレイ」という美の感覚。美しいものの対極に汚いものがあるのではなく、色に汚い色なんてない、そんな感覚。まさにシュルレアリスムだと思うよ。晩年のBedside Lampも良かった。
──展覧会をご覧いただいた感想はいかがでしたか?
藤塚:非常にうまい展示だよね。ペンさんは、背景を極限まで省略して写真に凝縮している。完璧な白バックで抽象化するシュルレアリストの世界を感じた。巨大画面のプロジェクションもよかったけど、ユーモラスなアニメーションもよかったなあ。すべてが調和していて、ディレクターの北村みどりさんの一生さんを支える力を感じたなぁ。
──では、最後に藤塚さんの最近のお仕事をお聞かせください。
藤塚:建築家の仙田満さんの40年もの仕事の集大成を1000ページにまとめた『遊環構造BOOK SENDA MAN 1000』(美術出版社、デザイン:秋田 寛)という書籍を作りました。仙田さんとは長くて、中の写真は95%僕が撮影してます。本は厚さ70㎜、重さ2kgあるよ。
(聞き手:上條桂子)
藤塚光政 Mitsumasa Fujitsuka
写真家
1939年東京・芝に生れる。1961年東京写真短期大学卒業。1965年フリーに。1987年日本インテリアデザイナー協会賞受賞。1961年~1985年、月刊『ジャパン・インテリア・デザイン』撮影。1982年~2006年、月刊『室内』表紙を撮影。1986年『記憶の建築 毛綱毅曠作品集』 文・毛綱毅曠。1987年『意地の都市住宅Ⅰ・Ⅱ』 文・中原洋。1991年『現代の職人』 文・石山修武。1993年『不知詠人』 文・毛綱毅曠。1995年『建築リフル』全10巻 文・隈研吾。2002年『身近なテクノロジー』写真・文とも。2004年『藤森照信特選美術館三昧』 文・藤森照信。2007年『建築家・五十嵐正』 文・植田実。2008年『安藤忠雄の建築3』。2009 年『BRIDGE』 文・大野美代子。2009年『21世紀の建築魂』 文・藤森照信。2009 年写真展『倉俣史朗・to be free』。2011年『木造仮設住宅群』 文・芳賀沼整。2011年『SENDAMAN・1000』 文・仙田満
2012年2月18日に行われた、小林康夫(東京大学大学院総合文化研究科 教授)、中島隆博(東京大学大学院総合文化研究科 准教授)と土屋昌明(専修大学経済学部 教授)によるトーク「文字となって羽ばたく―東アジアの伝統から」の動画をご覧頂けます。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
すべての作品に共通する職人的な技術と品の良さ
──鈴木さんの中でのペン像についてお聞かせください。
鈴木理策(以下、鈴木):
最初の出会いは高校生の時です。図書館で見た『LIFE』年鑑にマレーネ・デートリッヒのポートレートがあって、その写真をもとにしたデッサンが高校の文集に載っています。
その後、写真の学校に入ってから意識して見たのは『Moment Preserved』です。一般的に、スティル・ライフの写真というのは、動かない要素を構成し撮影しますが、ペンの写真には動くものが写っていました。例えば、果物などと一緒にハチが写されている。今にも飛び立つのではないかと錯覚し、動きをもたらす存在に思わず誘惑されてしまう。そういう、写真の内と外に緊張関係をもたらす力があって、とても印象に残りました。
当時は、スティル・ライフ、ポートレート、スナップとジャンルを分けて考えていたので、スティル・ライフの写真家と思いこんでいたペンがスナップ的な要素を持ち込んでいることに新鮮な驚きを得ました。
──ペンさんの写真を参考に練習をされたりしました?
鈴木:しましたね。CAMELのタバコとか撮ってみたり(笑)。『Worlds in a Small Room』の写真集もよく見ていました。この写真集の後ろには、撮影や現像に関するデータが載っているのですが、それを見ていると、露出をオーバーにして、その分現像時間を削るとか、色々工夫したことがわかる。自分でもずいぶん試してみました。
──ペンさんのプリントは、技術の高さもよく知られていますよね。
鈴木:ペンの代表作で、自宅からスタジオまでの道で拾ったもの、タバコの吸い殻とか片方だけの手袋とか、そんな他愛もないものを撮影して、プラチナプリントという白金を使った美しいプリントに仕上げたシリーズがありますが、それはまさに錬金術だと思います。ペンは機材をそろえる時、用意できる範囲で同機種のカメラを全て試し撮りして、一番良いものを選んでいたと聞いたことがあります。当時、カメラは手で組んでいたので個体差がありました。あくまで伝説ですが、技術を支える細心の努力があったと思います。
──ペンさんの魅力はどんなところだと思いますか?
鈴木:何を撮っても品があるところですね。例えばポートレートは、被写体との関係性を写すものと、対象を物質化する二つに大別できる。だけど、ペンが撮るポートレートは、対象を物質的に扱いつつも、それだけではない魅力がある。ペン独特の品の良さが、撮影者と被写体との時間を満たしているようです。アーヴィング・ペンというと、シンプルで美しい写真を造る人、という評価で終わってしまう場合があるけれど、現代の様にどんなものでも器用に撮れる人が重宝がられる時代においては、こだわりをもってひとつひとつの作業に取り組む彼の姿勢に学ぶことは多いと思います。
──鈴木さんの最近のお仕事を教えてください。
鈴木:いま、写真家の鷹野隆大や松江泰治、批評家の清水穣、倉石信乃と僕の5人で写真分離派宣言というのをやっています。もうすぐ本が発売になりますので、ぜひご覧ください。
(聞き手:上條桂子)
2012年3月9日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに鈴木理策と鷹野隆大が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「写真家にとって、ペンが遺したものとは何か」の動画を見る
鈴木理策 Risaku Suzuki
写真家/東京芸術大学美術学部先端芸術表現科准教授
1963年和歌山県新宮市生まれ。1990年初個展。2000年に写真集『PILES OF TIME』(光琳社出版)にて第25回木村伊兵衛写真賞受賞。時間や記憶、場所の気配など、視覚に収まらない感覚を主題とする作品を発表し続ける。主な写真集に写真集『熊野、雪、桜』(淡交社, 2007年)、『Mont Sainte Victoire』 (Nazraeli Press, 2004年)、『Atelier of Cezanne: Six by Six (Set Two)』(Nazraeli Press, 2011年)等。東京国立近代美術館、東京都写真美術館、川崎市市民ミュージアム、青森県立美術館、The Museum of Fine Arts, USA、 Houston, International Center of Photography,USA等に作品が収蔵されている。
http://www.risakusuzuki.com/
この写真集は、本展開催とあわせ、展覧会ディレクター北村みどりのコンセプトにより、アーヴィング・ペン財団監修のもと制作されました。
出展作品を含むアーヴィング・ペンのオリジナルプリント25点及び、トム・ペン(アーヴィング・ペン財団理事長)と三宅一生によるメッセージを収緑しています。中に収められたオリジナルプリント作品は、展覧会自体とも共通して、一つの創造がまた次の創造を生むという生命の循環を基本のテーマに、北村が選定したものです。
制作にあたっては、ペンが好んだ小さな宝石のようにキラリと輝く本をつくるという主旨で、デザイン、印刷、製本までが一貫してアメリカで行われました。
また、表紙の布は、ペンのお気に入りで撮影の際によく着ていたISSEY MIYAKE MENの藍染めコットンシャツの色をイメージしています。
部数限定で出版され、21_21 DESIGN SIGHTのみで販売している特別な写真集です。是非会場でお手にとってご覧ください。
- 発行元:
- 株式会社三宅デザイン事務所
- 仕様:
- ハードカバー、56ページ
- 定価:
- ¥ 3,000(税込)
2011年11月25日に行われた、小説家の平野啓一郎とプロダクトデザイナーの深澤直人によるトーク「存在とかたち」の動画をご覧頂けます。
2012年2月11日に行われた、エディターのマーク・ホルボーンによるトーク「アーヴィング・ペンと三宅一生」の動画をご覧頂けます。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
穏やかで静かな、ペンの視点
──ペンさんはさまざまな写真を撮影されていますが、柏木さんが気になる写真はどちらでしょう?
柏木 博(以下、柏木):
アーヴィング・ペンさんの写真の代表作のひとつに煙草の吸い殻をモチーフにしたシリーズがありますが、道に捨てられて誰も見向きしないような煙草の吸い殻、それ自体が美しいわけではなく、冷静にじっと見つめる、そのペンの眼差しが美しいんです。
ポートレートもすごく好きです。今回の展示にもありますが、三宅一生さんのフードを被ったようなポートレート、あれはいい写真。一生さんの目が力強く、ペンさんもその力強さを存分に引き出している。また、鋭角なV字の壁を背景に撮影したポートレートのシリーズも好きです。アーティストがどんなに気取っていても、限られた空間でその人の「生」な感じがふっと出てくるんですよね。ペンさんの写真は、人を物のように撮るとも言われますが、決して対象物を殺しはしていないことがよくわかると思います。
──柏木さんは三宅さんのお仕事もずいぶん前からご覧になっていると思います。二人のコラボレーションについて、どんなことをお考えになりましたか?
柏木:ペンさんの写真は、一生さんの考える衣服のあり方、そのデザインのもつ美しさの可能性を新しい眼で引き出している。しかも、撮影前のエスキースを見ると、偶然ではなく、徹底してそれをつくっている。
資生堂のポスターのモデルの衣服を、学生時代の一生さんが担当したことがあります。ポスターのデザインは、資生堂のグラフィックの一時代を築いた中村 誠さんでした。中村さんから伺ったのですが、この時、一生さんはメーキャップまで担当したとのことです。そのポスターの写真は、ペンさんとはまったく撮り方が違っていましたが、一生さんの衣服と振り付けがモデルの美しさを引き出していました。僕は一生さんとペンさんに響きあうものを感じました。二人が出会ったのは必然だったんでしょうね。
──田中一光さんのデザインについてはどう思われますか?
柏木:田中一光さんは本当に優れたグラフィックデザイナーです。三宅一生とアーヴィング・ペンのイメージを崩さず、二人の良さを引き出している。写真をストレートに使って、シンプルに文字を入れ、その間隔や並びに微妙な変化をつける。田中一光さんは、豊かな表現の引き出しを持っている方でした。テーマやクライアントの本質を見る、一生さんやペンさんに通じるものがあったのでしょう。この3名の仕事は、ファッションや写真という範疇を越えて、歴史に残るでしょうね。
──柏木さんの最近のお仕事を聞かせてください。
柏木:去年『探偵小説の室内』という本を白水社から出しまして、その続編のようなものを執筆中です。日記文学の中で、部屋や空間がどう扱われているかについてです。夏目漱石、寺田寅彦、内田百閒、永井荷風、あと二人くらいを選んで出そうと思っていて。今年中には出せると思いますので、ぜひお手にとってみてください。
(聞き手:上條桂子)
2012年2月25日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに柏木 博が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「アーヴィング・ペン:写真の視覚」の動画を見る
柏木 博 Hiroshi Kashiwagi
デザイン評論家、武蔵野美術大学教授(近代デザイン史専攻)
1946年神戸生まれ。武蔵野美術大学卒業。著書:『近代日本の産業デザイン思想』(晶文社)『家事の政治学』(青土社)『芸術の複製技術時代』『日用品の文化誌』『モダンデザイン批判』(岩波書店)『探偵小説の室内』(白水社)『「しきり」の文化論』『デザインの教科書』(講談社)など。展覧会監修:『田中一光回顧展』(東京都現代美術館)『電脳の夢』(日本文化会館パリ)ほか。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。ドイツの雑誌HEAR THE WORLDにてご紹介いただきました。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
衣服と写真と文字 動くボディについて考える
──今回の展示をご覧になってお考えになったことをお聞かせください。
小林康夫(以下、小林):
以前に一生さんが、自分が最も影響を受けたのはイサム・ノグチとアーヴィング・ペンだというお話をされていました。その時にイサム・ノグチは造形の原点としてよくわかるんですが、ペンさんは何故なんだろうという疑問がありました。また一生さんは、そのときペンさんに作品を見てもらうことが重要なんだ、ペンさんの眼差しを通じて自分が自分に引き戻されるんだともおっしゃっていました。ペンさんのカメラによる眼差しを通じて、自分の作り出した作品を見ることで、初めてもうひとつの自分に出会える。それは弁証法というか、そういう自他の回路が働いていると思ったんです。そのことを表象文化論という観点から掘り下げてみたいと思ったわけですね。
つまり展覧会でペンさんと一生さんの協同作品を見ていく時に、ペンさんの世界は、文字というか書の世界につながっていくのでは、とひらめいたんです。中国には「書は人なり」という言葉があるらしいのですが、その人とは身体でもある。服は形であるとしても、それは「身体」の形、人間のボディの問題になるわけですね。一生さんのデザインは、いつも素材においても新しい挑戦をしていますが、その基には動く身体感覚がある。身体を隠すわけでもなく、飾るわけでもない。身体は動きであるという認識ですね。「動くボディ」としての形、それが原点にあるのではないか。それが、古来の文字のあり方とつながってくるんじゃないかと考えたんです。今回の展示では、大地から立ち上がった文字が空に飛んで行こうとしているような、そんな印象も受けました。
──来週開催予定のトークについて教えてください。
小林:トークでは、中国哲学の中島隆博先生と土屋昌明先生のお二方をお招きして、「文字」「書」という切り口からアーヴィング・ペンさんの写真と一生さんの服について論じてみたいと思っています。一生さんの服とペンさんの写真を「文字」や「書」から読み解くことで、どういう世界に広がっていくか、いくつか書の作品などをお見せしつつお話してみたいと思っています。どこに着地するかはまだわかりませんが、一生さんとペンさんという二人の出会いが、人類学的なスケールで見えてくるのではないかと思います。
(聞き手:上條桂子)
2012年2月18日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに小林康夫が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「文字となって羽ばたく―東アジアの伝統から」の動画を見る
小林康夫 Yasuo Kobayashi
東京大学大学院総合文化研究科 教授
1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻博士課程満期退学。パリ第10大学記号学科博士号取得。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授(表象文化論専攻)、グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」拠点リーダー。著書に、『不可能なものへの権利』(89年)、『無の透視法』(89年)、『起源と根源』(91年)、『光のオペラ』(94年)、『身体と空間』(95年)、『出来事としての文学』(95年)、『建築のポエティクス』(97年)、『大学は緑の眼を持つ』(97年)、『思考の天球』(98年)、『青の美術史』(99年)、『表象の光学』(03年)、『知のオデュッセイア』(09年)、『歴史のディコンストラクション』(10年)。ほか、編著、翻訳多数。
2012年2月4日に行われた、アートディレクターの細谷 巖とフォトグラファーの長 隆治郎によるトーク「寝ても覚めてもアーヴィング・ペンだった」の動画をご覧頂けます。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
ペンさんから教わったのは、シンプルの追求
──トンプソンさんは、ペンさんのスタジオでアシスタントをされていたそうですが、まずは何故ペンスタジオに行こうと思ったんですか?
マイケル・トンプソン(以下、トンプソン):
写真学校でペンの写真を知って、なんてシンプルで力強い写真なんだと衝撃を受けた。ペンさんの写真には、シンプルなイメージの中にすごくたくさんのメッセージが含まれている。そんな強いインパクトを持つ写真に憧れていたんだ。
そして1987年に、カリフォルニアからNYに出てきてペンスタジオを訪ねた。最初の面接の時に、普通のスタジオだったらアシスタントの人が出てくるだろ?だけど僕がドアをノックしたら、ペンさん本人が出てきたんだ。採用の連絡がきた時は、夢じゃないかって思ったよ。ペンさんは当時、一流の写真家として有名な人だったからね。
──ペンさんから影響を受けたことは?
トンプソン:そりゃあたくさんある(笑)。ペンさんはシンプリシティを追求するために、自分が納得いくまで何度も何度もやり直す。そして、どんなにたくさん仕事をしている時でも自分でプリントを焼いていた。そんな彼から、決して自分が納得いくまで諦めないということを学んだ。あとは、仕事とプライベートのバランスを大切にする人だった。毎日同じ時間に始まって、同じ時間に終わる。彼は家族のこともすごく大切にしていたんだ。
──トンプソンさんが写真を撮るときに大切にしていることは何ですか?
トンプソン:1枚の写真からいかに多くのことを語れるか。写真っていうものは1枚で人の心を違うところへと運んでくれる。その中でもいい写真というのは、感情にすっと入り込んできて、喜怒哀楽の感情を沸き上がらせる。そのときに大切なことは、シンプルであること。シンプルな写真の方が、その奥にあるメッセージがストレートに伝わると考えている。
──ペンさんから言われて印象的だった言葉はありますか?
トンプソン:ペンスタジオから独立する最後の日にペンさんと交わした会話がある。「マイケル、君は写真撮影にかかる経費を抑えるための方法を知っているか。作品を作る、アシスタントにお金を払う、機材をレンタルする、すべてのことにお金がかかるんだ。そのコストを払うためには、君は望まない仕事もたくさんしなければならない。逆に、日ごろからコストがかからないようにしていれば、好きな仕事だけを選んで、ハッピーなクリエイティブライフを送れるはずだ」と。すごく大切なことだし、華美ではない生活をしていたペンさんの人柄が出ていた言葉だったのでよく覚えているよ。
──最近のお仕事を教えてください。
トンプソン:もともとは、1993年にモデルに青い塗料を塗った写真を撮ったんだけれども、またやりたいと思っていて、次に撮影をする時にはパワフルな赤を使いたいと思っていた。そして、後日1日だけ撮影をすることができたので、赤い塗料を使ってフォトセッションを行ったんだ。それが写真集『RED NUDE』につながった。肉体を抽象的なオブジェのように扱っていて、面白い見え方をしてるだろう。あと同時期に『PORTRAITS』という写真集を出版した。これは、20年間撮りためた写真から編集して作り上げたものだ。ここには世界中のセレブリティが登場しているが、彼らの意外な一面がきっと見られるだろう。ぜひ手に取って見てみて欲しい。
(聞き手:上條桂子)
マイケル・トンプソン Michael Thompson
フォトグラファー
1962年アメリカ・ワシントン州に生まれる。
町の写真館を営んでいた父親の影響で幼少期から写真に興味を覚え、ブルックス写真大学で写真を学ぶ。
卒業後、ニューヨークに移り、アーヴィング・ペンに師事。「allure」誌の創刊号(1991年)の仕事に抜擢されたことをきっかけに独立。
多くの雑誌でファッション、ビューティの撮影を手掛け、TVコマーシャルの分野でも活躍中。
「VOGUE」「W」「Harpers BAZAAR」「Interview」「VanityFair」など数々のファッション誌のカバーを手掛ける写真界をリードするトップフォトグラファー。
現在、妻のケリーと、2人の子供、ルビー、ショーンと共にオレゴン在住。
2012年1月28日に行われた、東京都写真美術館事業企画課長の笠原美智子によるトーク「アーヴィング・ペンの美学」の動画をご覧頂けます。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
寝ても覚めてもアーヴィング・ペンだった
──ペンさんの写真の第一印象をお聞かせください。
細谷 巖(以下、細谷):
僕は1953年に18歳でデザイナーとしてライトパブリシティに入社しました。当時から、会社では「ライフ」「ルック」「エスクァイア」「マッコールズ」「セブンティーン」などのアメリカンマガジンを購入していて、それらのエディトリアル・デザインのすごさに驚嘆したものです。写真・イラストレーション・タイポグラフィなどがとても美しくて、勉強になりました。そして、ファッション誌の「ヴォーグ」でアーヴィング・ペン、「ハーパース バザー」でリチャード・アヴェドンの写真を知りました。
アヴェドンは動的で、ペンは静的なイメージだった。
特にペンさんのポートレート写真を初めて見た時あまりにも素晴らしいので、ちょっとオーバーな言い方かもしれませんが「幸せとはこういうことなんだ」って思ったんです。
それは個人的な感受性のことかもしれませんが、いいものを見た時には幸福感を感じるでしょう。それからはペンさんの撮られた写真が気になって気になって、まさに「寝ても覚めてもアーヴィング・ペン」になってしまいました。
──ペンさんの写真のどういうところが胸に響いたのでしょう?
細谷:カメラマンではない僕が、どうしてそんなにすごいと感じたのかというと、ペンさんの写真はライティングのすばらしさはもとより、形を重要視しているからだと思いました。ペンさんのポートレイト写真はオブジェクトのように写真を撮られます。形=デザインだから、私から見ると、ペンさんの写真はすごくデザイン的に見えたのです。そしてエレガンスとディグニティを感じました。
ペンさんは若い頃、 画家になろうとしていたらしいのですが、アレクセイ・ブロドヴィッチのもとでデザインと写真の師事を受けたのち、「ヴォーグ」の仕事に入り、アーティストでありアートディレクターであるアレクサンダー・リーバーマンに会って、とても感化されたのではないかと思うんです。画家の素養があるから、ペンさんの風景写真はモネやスーラの印象派の絵のようです。静物写真はセザンヌやジョルジョ・モランディを思い起こさせます。
──ペンさんはさまざまな作品を撮られていますが、どちらがお好きですか?
細谷:ファッション写真やポートレートが有名ですが、私は静物写真や、いろいろな国を訪れたルポルタージュ的な写真が好きです。作品集の「MOMENTS PRESERVED」がすごく好きで、それは記憶に残された瞬間、その一瞬を記憶に残すことなのだと思います。「写真を撮ることは時間を撮ること」だと言ったカメラマンがいましたが、まさにその通りだと思います。
ペンさんの写真を見ていると、写真はビジュアル・コミュニケーション(視覚言語)だということがよく解ります。カメラの背後にある「感情」と「知性」が見事に表現されています。
──細谷さんの最近のお仕事を聞かせてください。
細谷:私が今までに本や雑誌などに書いた雑文的なものをまとめて『hosoyaの独り言』というタイトルで白水社さんから春に出版する予定です。
(聞き手:上條桂子)
2012年2月4日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに細谷 巖が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「寝ても覚めてもアーヴィング・ペンだった」の動画を見る
細谷 巖 Gan Hosoya
アートディレクター
1935年神奈川県生まれ。1953年神奈川工業高校工芸図案科卒。同年ライトパブリシティ入社。現在代表取締役会長。東京アートディレクターズクラブ会長。日本グラフィックデザイナー協会会員。受賞=日宣美展特選(1955、56年)。東京ADC金賞・銀賞(1959年)。毎日産業デザイン賞(1963年)。日宣美展会員賞(共同制作、1967年)。ADC会員最高賞(1971、78、84、88年)。朝日広告最高賞(1988年)。日本宣伝賞山名賞(1990年)。紫綬褒章(2001年)。作品展=グラフィックデザイン展「ペルソナ」(松屋銀座、1965年)。細谷巖アートディレクション展(GAギャラリー、1988年)。タイム・トンネル:細谷巖アートディレクション1954→展(クリエイションギャラリーG8/ガーディアン・ガーデン、2004年)。クリエイターズ展(世田谷美術館、2006年)。ラストショウ:細谷巖アートディレクション展(ギンザ・グラフィック・ギャラリー、2009年)。主な作品集・著書=『イメージの翼・細谷巖アートディレクション』(1974年)。『イメージの翼2・GAN HOSOYA ART DIRECTION』(1988年)。『細谷巖のデザインロード69』(2004年)。『クリエイターズ』(2006年)。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。韓国の雑誌Art & Culture Magazineにてご紹介いただきました。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
60年代のNYで体験したペンとアヴェドンとの交流
──坂田さんは実際にペンさんとお会いされているんですよね?その際のエピソード等をお聞かせいただきたいと思います。
坂田栄一郎(以下、坂田):
1960年代と、NYから帰ってきてからですから70年代後半で全部で3回お会いしました。最初はアーヴィング・ペンが日本で展覧会をやった時です。とても静かな方でね。展覧会のレセプションで「ペンさん挨拶を」と言われたとき、さっとマイクの前に立って何か一言しゃべるのかと思ったら「サンキュー」、それだけ。ビックリしました! 僕はアヴェドンのところに4年いましたが、アヴェドンとはとにかく対照的な人ですよね。だけどアヴェドンとペンは仲が良くて、よく電話で喋ってました。もちろん何を話しているかは分かりませんが(笑)。
──そうなんですね。素敵なエピソードです。ほかにはどんな交流がありましたか?
坂田:筆の話があります。当時、NYに日系の写真家でペンのアシスタントをされていたカズ・イノウエさんという方がいて、僕がNYにいた時にはヘアスタイリストの奥さまにお世話になっていたんですね。僕が帰国後に奥さまが日本にいらして、ペンが印画紙を作るために材料を塗る筆を探していると。そこで彼女を浅草にお連れして何本か見繕ったんです。その数年後にペンが日本に来たので会いに行って、きっと覚えていないだろうと思ったので、カズ・イノウエさんと仲良くしていたんだという話をしたら「ああ、あなたが筆を探してくれた人ですね、ありがとう!」って言われたんですよ。そんな小さなことまで覚えていてくださったんだ、と感激したことを覚えています。
──坂田さんはペンさんとアヴェドンという対照的な巨匠お二人を知っていらっしゃるわけですが、ご自身の写真にはどんな影響がありましたか? 坂田さんの撮影現場の雰囲気はどちらに近いですか?
坂田:そこはアヴェドンですね。静かだと間がもたない(笑)。昔は人の心に入り込んで撮るのが怖くてなかなかできなかった。でもペンみたいに静かに撮るというのは自分らしくない。そう、今思い出したけど、昔アヴェドンに「君は道を間違えたんじゃないの? だってキミはジェリー・ルイスみたいじゃないか」って(笑)。今考えると、的を射た言葉だったなと思いますね。
──坂田さんの最近のお仕事を教えてください。AERAの表紙はもっともたくさんの方が見ていらっしゃると思いますが。世界有数の著名人たちを撮影されていますが、やはり坂田さんでも緊張されますか?
坂田:次の展覧会までは時間があるから、皆さん毎週ご覧いただけるのだとAERAの表紙かな。もうやり始めて23年経つんですが、最初の6年は緊張しましたね。だってアラファト議長とか国賓級の人ばかりなんだもん。でも、僕はジェリー・ルイスだから(笑)。現場を楽しくすることには自信がある、だからインタビューよりも先に撮影してくれっていつも言われちゃうんです。
(聞き手:上條桂子)
2012年3月24日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに坂田栄一郎と亀井武彦が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「サプライズ・オブ・ニューヨーク」の動画を見る
坂田栄一郎 Eiichiro Sakata
写真家
東京都生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、ライトパブリシティへ入社。66年渡米。リチャード・アヴェドンに師事。70年に独立。個展「Just Wait」で注目される。主な写真集に『注文のおおい写真館』『amaranth』『PIERCING THE SKY-天を射る』など。 「AERA」誌の表紙写真を創刊以来23年撮り続けている。1993年には、アルル国際写真フェスティバルで写真展・ワークショップを開催。アルル名誉市民賞を受賞した。2005年「PIERCING THE SKY-天を射る」で第24回土門拳賞、日本写真協会作家賞を受賞。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。ベルギーの雑誌 tl.magにてご紹介いただきました。
2012年1月14日に行われた、株式会社解体新社代表の深谷哲夫とクリエイティブディレクターの澁谷克彦によるトーク「対峙する思想・美・デザイン」の動画をご覧頂けます。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。イタリアの雑誌CORRIERE DELLA SERA STYLE MAGAZINEにてご紹介いただきました。
執筆は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のパオラ・アントネッリ氏です。
2011年12月10日に行われた、アーヴィング・ペン財団アソシエイトディレクターのヴァジリオス・ザッシーと21_21 DESIGN SIGHTアソシエイトディレクターの川上典李子によるトーク「アーヴィング・ペンのもとで」の動画をご覧頂けます。
2011年12月23日に行われた、フォトグラファーの加納典明とジャーナリストの生駒芳子によるトーク「静物写真について」の動画をご覧頂けます。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
ニューヨークの空気を深く吸い、独自の黄金律で再構築した人
──深谷さんは、ペンさんがご活躍されていた当時ニューヨークにいらっしゃったそうですね。
深谷哲夫(以下、深谷):
ペンさんは、もう当時から神みたいな存在でしたよね。いまもそうですが、当時のニューヨークという街はそれ自体がメディアというか、クリエイティブに関しては特に世界中に影響を与える街でした。街自体がすごくフラッシー(派手)でいい意味でのヴァニティ(虚飾)があった。そんな街でペンさんは一線を画していて、本当にシンプルで素朴な存在だったように思います。
──ペンさんの撮影に立ち会われたことがあるそうですが、スタジオの雰囲気はいかがでしたか?
深谷:当時のニューヨークのファッションフォトグラファーのスタジオと言えば、ファッションエディターたちが集まって、ランチにはゴージャスなケータリングが来て、というのが一般的だったのですが、ペンさんのスタジオはそうではない。シンプルのひと言に尽きますね。サイズも決して大きい方ではなく、本当に必要最小限のものしかない、そこで偉大なる自然光のもとで撮影を行う、そんなスタジオでした。シャッターを切る瞬間に大切なもの、それがはっきりとペンさんの中でわかっているから、それ以外は必要としないんだろうなと思いました。私が立ち会った撮影は、一生さんの服の写真なので、きちんとライティングを作り込んだものでしたが、ごく普通のセッティングだったと記憶しています。
──ペンさんと直接触れ合って影響を受けたことは?
深谷:ものをいかに多面的にそれぞれの面を深く見るかっていうことですよね。一人の人間から湧き出る個人史へのまなざし、民族学的なまなざし、あるいは、街に流れる現代美術的なインスピレーションをもって花やタバコの吸い殻等を見つめるまなざし、向き合ったものを、普遍的な美しさに再構築しえる可能性とその素晴らしさを、学ばせて頂きました。彼は時代が変わって行くなかで、ニューヨークという街の時代感覚をしっかりと受け止めながら、それをご自分の完璧な黄金比という独自の言語にして再構築するんですね。単に街とその時代をインスピレーションとすることに卓越していただけでなく、そもそもすごくニューヨーク的な人だったと言えるかもしれない。
──深谷さんが最近携わっているプロジェクトを教えてください。
深谷:コンフィデンシャルなものが多くてなかなか言えないのだけれど、ブランド開発や再構築などに携わっています。日本特有の文脈になっていて、世界で分かりにくい、評価されにくい手仕事や技術やクリエイティブが山のようにあると思っています。その価値を高めて世界に発信していけるような、そんなブランドや製品を作っていきたいです。日本の製品力やブランドの魅力を、今の時代の価値として理解してもらうことに、もっと積極的に取り組んでいきたいですね。
(聞き手:上條桂子)
2012年1月14日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに深谷哲夫が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「対峙する思想・美・デザイン」の動画を見る
深谷哲夫 Tetsuo Fukaya
株式会社 解体新社 代表
1956年 東京生まれ
1979年 慶応義塾大学法学部法律学科卒業
1979年 ニューヨーク在住 東京=ニューヨーク間で活動
ワーナーブラザーズ契約ミュージシャンとしてニューヨーク中心に音楽活動
同時期に、東京でブルータス・アソシエイト・エディター、フリーランス・フォトグラファーとして活動
1990年 東京にて株式会社解体新社を設立。
ブランド開発、メディア制作、市場分析などを主に手がける。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。イタリアDomusのウェブサイトにてご紹介いただきました。
http://www.domusweb.it/en/design/pennmiyake-visual-dialogue/
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
加工が盛んな現代だからこそ際立つ、銀塩写真の力
──アーヴィング・ペンさんの写真との最初の出会いは、いつ頃ですか?
ジャスパー・モリソン(以下、モリソン):
1976年前後に『Worlds in a Small Room』が出版された直後、家族の誰かがその写真集を買って来ました。それがペンの写真との初めての出会いで、その本に感銘を受けました。私自身、写真に興味を持ち始めたところだったので、非常に印象深かったのです。ペンの写真はどれもごまかしが一切なく、美しい真実だけがそこにありました。
──ペンさんの写真について、どのようにお考えですか?
モリソン:彼の写真は、今でも力を完全に保っていると思います。ひょっとするとPhotoshopなどのソフトウェアによる写真の加工が盛んな現代の方が、インパクトが強まっているのではないでしょうか。彼の静物写真が特に好きで、実はスチールブロックを撮影した写真を1枚買ったばかりです。
──何か具体的なエピソードはありますか?
モリソン:アーヴィング・ペンには知り合いのような強い親近感を覚えますが、会ったことは一度もありません。こうしたエピソード以外に特筆すべきものが、ひとつだけあります。それは21_21 DESIGN SIGHTで「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展のオープニングに参加したことです。そこで私は、真実性、ユーモア、天性のビジュアルセンス、独創性というペンの作品の特徴を、強く再認識しました。
──最後に、最近のお仕事について教えてください。
モリソン:『Jasper Morrison au Musée』というタイトルの小さな本が、近々完成します。ボルドー装飾芸術美術館での展覧会に関する本で、17~18世紀のアンティークコレクションに私がデザインしたプロダクトを組み込むという企画でした。様々な作品をそれらの「先祖」と組み合わせるという試みは、素晴らしい経験でした。今は普段どおり椅子のプロジェクトを4~5件手がけている他、靴やテレビや鋳鉄製の鍋など、様々なプロダクトの仕事にも取り組んでいます。
ジャスパー・モリソン Jasper Morrison
デザイナー
1959年ロンドン生まれ。ロンドンにあるキングストン美術学校のデザイン科を卒業した後(1979~82年。デザインで文学士号取得 )、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)大学院に進学(1982~85年。デザインで修士号取得 )。1984年に奨学金を得てベルリン芸術大学に留学。1986年、ロンドンで自身のオフィスOffice for Designを設立。
Jasper Morrison Ltd.は現在3箇所にデザインオフィスを構えており、ロンドン本社の他、パリと東京にもオフィスがある。テーブルウェア、キッチン用品から家具、照明、衛生陶器、電子機器、電化製品に至るまで、多岐にわたるデザインを提供。最近は腕時計や時計もデザインしている。また都市計画プロジェクトにも、随時取り組んでいる。2005年に深澤直人氏と共に「Super Normal」プロジェクトを立ち上げる。2011年にオンラインショップJasper Morrison Limited Shopをオープンした。
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
揺るぎない「強さ」がある
圧倒的な力を持った、ペンさんの写真
──吉岡さんは、ちょうど本展の作品に登場するコレクションの時代に三宅デザイン事務所にいらっしゃいましたが、その際のエピソードなどをお伺いできれば。
吉岡徳仁(以下、吉岡):
そうですね。まさに、ペンさんのクリエーションに触れたのは、一生さんを通じてのことでした。一生さんからペンさんの写真を見せてもらったり、北村みどりさんから撮影の時のお話を聞いたりしていました。ちょうど自分がパリコレで帽子を担当していた時に作品を撮影していただきました。ペンさんに撮っていただいた帽子のカットは、後に購入して宝物にしています。また、一生さんに「ニューヨークを見てきなさい」と言われたことがあり、ペンスタジオにもお邪魔しました。残念ながら撮影を見ることはできなかったのですが、服の説明をする時に横に座って話を聞いていました。すごく穏やかで寡黙な方だった、という印象です。
──ペンさんの写真から、どんな印象を受けますか?
吉岡:僕のデザインした帽子ではないのですが、有名なエピソードがあって、パンを使ってデザインされた帽子があったのですが、輸送の時にパンにカビが生えてしまったんです。その帽子が届いた時に、ペンさんが「カビが美しい」とおっしゃって、カビが生えたままの帽子を撮影されました。それがすごくペンさんを象徴している話だなと思いました。
ペンさんの写真は、ただ美しい、というだけではなくて、破壊されたり腐ったりという「生の瞬間」に美を見出していて、その表現にものすごい力がある。これだけのパワーを持った写真を撮る方に、出会ったことがありません。
撮影風景を見た方というのはすごく限られていますが、すごく暗いところで撮影をするとモデルさんから聞きました。シャッタースピードが遅いからモデルも動かないでいなければならない、それが大変だったという話を聞いたことがあります。
──吉岡さんがペンさんの写真から影響を受けたことは?
吉岡:強さです。一番難しいところだと思いますが、何もしないで強いもの、そこに行き着くまでの経過が見えないようなものがすごいと思います。そこを目指していきたいです。
──吉岡さんの最近のお仕事を教えてください。
吉岡:今年、オルセー美術館がリニューアルしたのですが、その際のリノベーションプロジェクトで「Water block」が印象派ギャラリーに設置されています。マネやルノワール、ドガ、セザンヌといった印象派の巨匠たちが並ぶギャラリーに置かれ、実際に座って絵画鑑賞をすることができます。パリを訪れる方はぜひお立ち寄りください。
(聞き手:上條桂子)
吉岡徳仁 Tokujin Yoshioka
デザイナー
1967年生まれ。2000年吉岡徳仁デザイン事務所設立。プロダクトデザインから建築、展覧会のインスタレーションなど、デザインの領域を超える作品はアートとしても高く評価されている。
数々の作品がニューヨーク近代美術館、オルセー美術館などの世界の主要美術館で永久所蔵品、常設展示されている。Design Miami / Designer of the Year 2007、A&W Architektur & Wohnen/Designer of the Year 2011受賞。TBS系ドキュメンタリー番組「情熱大陸」への出演、アメリカNewsweek誌日本版による「世界が尊敬する日本人100人」にも選出されている。
www.tokujin.com
「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせて連載中のリレーインタビュー「アーヴィング・ペンと私」。2011年は、グラフィックデザイナーの佐藤 卓に始まり写真家の加納典明まで、各界で活躍中の写真家、デザイナー、アーティスト、映画監督、小説家、ブロードキャスターなど、13名のクリエーターにご登場頂きました。一覧はこちら
本年最後となる第14回は、フランス・パリのヨーロッパ写真美術館館長、ジャン・リュック・モンテロッソのメッセージをご紹介します。ペンの友人でもあった氏の語る、特別なエピソードに触れてください。
礼儀正しさと優雅さを持ち合わせた、写真界の紳士
──アーヴィング・ペンさんとの出会いについて教えてください。
ジャン・リュック・モンテロッソ(以下、モンテロッソ):
20年前にアーヴィング・ペン氏と出会ったのはピーター・マックギル氏のおかげです。
彼の仕事には大いに敬意をもっていましたし、ペン氏は私にとって20世紀の最も偉大な写真家の一人です。全てが整理整頓された研究室とも言うべきスタジオに私を迎え入れてくれました。まずは彼のきらきら輝く強烈な眼差しに圧倒されました。1時間のインタビューが終わった時には、私は彼の礼儀正しさと優雅さの虜になりました。私にとってペン氏はまさに写真界の紳士です。そして私達はすぐに友人となりました。
──ペンさんの写真について、どのようにお考えですか?
モンテロッソ:彼の写真は彼のイメージそのままです。完璧で、バランスがとれていて、明瞭です。私が彼の名前をヨーロッパ写真美術館の展示室につけずにいられなかったのは、厳格さと美しさを追求する彼の仕事への姿勢が、見習うべき手本だと思えたからです。私達の予想に反して、ペンは画像を作り上げるのではなく、被写体をさらけ出しているのです。
──何か特別なエピソードはありますか?
モンテロッソ:それは親密な時間でした。真っ白なスタジオで、彼の妻リサ・フォンサグリヴ夫人の死から数週間後でした。彼は"妻ではなく自分が死ぬべきだったのに"と呟きながら、私の腕の中に倒れこみました。彼のように慎み深く控えめな男からすると、この涙の分かち合いはまさに心の琴線に触れる瞬間でした。
──最後に、モンテロッソさんのお仕事について教えてください。
モンテロッソ:写真は今日、革命の時期にあり美術館の館長として、私のプロジェクトは出来るだけ適切な方法で、銀板写真からデジタル写真への移行を伝えていくことです。
ジャン・リュック・モンテロッソ Jean-Luc Monterosso
ヨーロッパ写真美術館館長
大学で哲学を専攻したジャン・リュック・モンテロッソは、1996年開館したヨーロッパ写真美術館(パリ)の創設者であり、館長である。1980年に最初のパリ写真月間を、2004年にはヨーロッパ写真月間を始めた。あらゆる出版物に寄稿し、フランスだけでなく海外でも、多数の展覧会のキュレーターを務めた。
* * *
新年は、デザイナーの吉岡徳仁のインタビューで幕を開けます。その後も、ジャスパー・モリソン、深谷哲夫、坂田栄一郎、マイケル・トンプソン、細谷巖など、充実したラインナップを予定しています。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
静物写真の中に宿っているペンの写真的技術と精神的眼力
──加納さんがアーヴィング・ペンさんの写真に出合ったのはいつ頃ですか?
加納典明(以下、加納):
高校時代ですから、17、18歳の頃。名古屋の実家がグラフィックデザイナーだったんですよ。当時は図案家って言ってましたけど。だから、家に洋雑誌がたくさんあったの。その中でアーヴィング・ペンやヒロ・ワカバヤシとか、いろいろ写真は見ていたんだけど、その中でもペンの静物写真っていうのは突出していた。日本人の感覚というか日本の感覚というものを超越して、まったく異国のものなんだけれども、だけどアメリカ的でもない、全然違うものを持っていたんだよね。
静物写真がとにかくよかった。静物写真っていうのは、自分の気持ちを自己沈殿させて、ものと対話する。セザンヌが静物画を描く時に、ものの配置を実際に目で見える位置とは違う方向で絵にしたという作画方法があるでしょ。ペンの写真も西洋絵画のようなんだけれども、ある意味それを超えるものだと思う。ものを見る、ものを見越すというかスルーするというか。そのものを包含して取り込む視力っていうか。それにじーっとやられたよね。
ペンの写真って、本質を視ると同時に本質を壊してペンの世界にしている。その「壊し力」っていうのかな、その力と自信と作画する技術っていうのが普通じゃなかった。だから日本的とかアメリカ的とかではない、独自の世界を持っていたんだと思う。ペンは広告写真もたくさん撮っていたけど、自分の美意識空間をまったく壊さずペンの世界に持っていってる。その写真的技術と精神的眼力は、世界中のフォトグラファーに影響を与えていると思う。
──展覧会をご覧になったご感想をお聞かせください。
加納:まずは、三宅さんがペンに写真を頼んだっていう目の付け所がいいと思ったね。それで二人のやりとりの間に必ず北村さんが入ってやってた、そのお互いの距離感があるからこそ、13年もあんなにいい写真が撮れたんだということがよくわかった。両者に感心したよね。ペンの写真もすごいんだけど、あんなに大きなスクリーンで見ると、三宅さんのすごさもよくわかる。そこには、ファッションを超えた見たことのないジャンルがあった。すごいと思ったよ。
──加納さんの近況をお聞かせください。
加納:僕の師匠で今年2月にお亡くなりになった杵島隆さんとの二人展なんですが、杵島さんのヌード写真と、僕のデビュー作である「FUCK」をプリントし直したものを「SCANDAL extra Takashi Kijima Tenmei Kanoh」で展示しています。「FUCK」はNYでのパーティでいろいろな性のパターンを撮ったもので、これを発表した次の日に俺は一躍有名になっていたという。
もうひとつは「片目のツァラトゥストラ」という個展を名古屋で開催しました。これは、キャンバスプリントフォトっていうのでプリントして、そこに筆を加えた、写真と絵画の新しい表現で、売り上げはすべて東日本大震災の義援金に充てることにしました。今後、東京と大阪でも開催予定です。
(聞き手:上條桂子)
2011年12月23日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに加納典明が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「静物写真について」の動画を見る
加納典明 Tenmei Kanoh
フォトグラファー
愛知県出身、1942年2月生まれ
写真家でありながら、小説、映画、DJ、レコード制作、映画出演、ムツゴロウ王国移住など、写真家の枠にとらわれない数々のパフォーマンスを示す。
日宣美賞、APA賞、朝日広告賞、毎日広告賞、カレンダー展、ポーランドポスター展等受賞。
加納典明オフィシャルホームページ tenmeikanoh.com
2011年10月21日、アメリカ、シカゴ美術館より、同館写真部門の主任学芸員を務めるマシュー S. ウィトコフスキーを招いてトークが行われました。
メトロポリタン美術館、ボストン美術館と並び、アメリカ三大美術館のひとつに数えられるシカゴ美術館には、1995年から1997年にかけてアーヴィング・ペン自身によって寄贈された、膨大な数のペン・アーカイブが収蔵されています。180点以上の展覧会用プリント作品や1200点近い習作、さらに生涯をかけて蓄積された資料文書や書簡などからなるこれらの貴重な資料が寄贈されたことを記念して、同館では1997年にアーヴィング・ペン回顧展が開催されました。この展覧会はシカゴを皮切りに世界7ヶ所を巡回し、1999年には東京都写真美術館でも開催され、大きな話題を呼びました。
ウィトコフスキーは、ニューヨークやパリの画廊に勤務した後、フィラデルフィア美術館、ワシントン国立美術館などでの展覧会企画の仕事を経て、2009年からシカゴ美術館に勤務しています。今回は、シカゴ美術館所蔵のペンの作品の一部をスライドで紹介しながら、ペンの作品制作の視点や、ペンと三宅一生の仕事に見られる共通点について語りました。
ペンは、静物写真、ファッション写真、人物写真のどの分野でも秀でた感覚を表現した点で、他の写真家とは違う特別な存在でした。ウィトコフスキーは、ペンの写真は写真でありながら、絵画のような印象を抱かせるクラシックな気品に溢れていると述べています。
ペンは、1943年から65年以上にわたって『VOGUE』誌で仕事をしていました。『VOGUE』誌でジョージア・オキーフなどさまざまな著名人を撮影したポートレートシリーズの写真を見ると、どこにでもある小道具で小さな撮影スペースをつくっていたことが分かります。アトリエや、狭い空間などその人が居心地のよい場所ではないところで撮影が行われました。配置される人物を分け隔てなく見せるニュートラルな空間であると同時に、本来取り除かれるはずの糸クズやホコリなど、現実的な世界もここには映し出されています。
またペンは、第二次大戦後、パリやロンドン、ニューヨークなどで、街中にいる普通の人々のポートレートを撮影しています。自身が街に出て興味深い労働者を見つけては、モデルとしました。撮影は設備の整ったスタジオなどではなく、普通のアパートを借りて行われました。しかし、不思議とペンのポートレートには、どの人物にもエレガンスが漂っています。ここでも、街の中からニュートラルな背景の中へ彼らを移動させることで、被写体の存在感そのものを写し出す独自の世界観をつくり上げたのです。
ペンの写真には、写真という二次元の世界ににどうやって三次元的なものを収めるか、という工夫が見てとれます。ペンは彫刻家になった気分だったのではないかとウィトコフスキーは語ります。
トークの中でウィトコフスキーは、ペンと三宅の共通点として、「エレガンス」、「ピュリティ(純粋性)」、「エッセンス」、「バランス」の4つを挙げました。そして、ペンはこれらの要素は日本の文化にも関連すると考えていたのではないか、そしてそのことを三宅は感じとり、楽しんでいたのではないかと述べます。
写真プリントにおいてペンは、自身の求める表現のレベルに達するまでひとつのネガやポジに何度も立ち戻り、同じ素材を研究しては新たな作品をつくっていました。素材に対する再発見のプロセスを楽しんでいた点も、ペンと三宅の創作に共通して見られるといいます。
また、路上に捨てられたチューインガムやタバコに目をとめ、思いがけない美しさや、美の中の衰え、そして死という一面をとらえたペンの写真から、二人のもうひとつの共通点は、「True Beauty(真の美しさ)」を追求することだったのではないか。永遠に続く美は存在しない、しかしそれゆえに真の美しさであることを二人は理解していたと語りました。
トーク最後の質疑応答では、会場から積極的に手が挙がり、ウィトコフスキーは多くの質問に答えました。写真とデザイン、異なった世界で活躍したペンと三宅のいくつもの共通項と、ペン自身の仕事に込められた世界観に触れ、充実したプログラムとなりました。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。台湾の雑誌ART COLLECTION + DESIGNにてご紹介いただきました。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。装苑12月号にてご紹介いただきました。展覧会ディレクターの北村みどりやティエンのインタビュー、石川直樹、坂 茂、瀧本幹也の3名に展覧会へのコメントも寄せていただきました。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
人間にとって一番大切なもの「観察力」が見事な人
──浅葉さんがペンさんの写真に出合ったのはいつ頃ですか?
浅葉克己(以下、浅葉):
高校三年生くらいの時かな。横浜にアメリカ文化センターがあって、そこの図書館にはVOGUE、Harper's Bazaar、Esquireといった雑誌がたくさんあった。そこで、アヴェドンやペンの写真を見ていた。あんなにスケッチがうまい写真家っていうのは他にいないんじゃないかな。僕が知っているのは二人だけ。アーヴィング・ペンと有田泰而。有田さんは写真家だったけど、その後画家になった。ペンはアートディレクションから撮影まで、全部一人でやっていたんだと思います。
──ペンさんの写真から学んだことはありますか?
浅葉:異文化の接触という部分。世界を自分でまわって、本質を見て、その民族が育んだ知恵や良い部分を写真に写す。奥底に潜む人間性を捉えていたんだと思う。すごいなあと思いますよね。人間にとって一番大切なものは観察力でしょう、それが見事な人だったよね。
最近、表現者に大切な4つのこととして「見詰める」「思い詰める」「息を詰める」「根を詰める」これが大事だとよく言っているんだけど、全部ペンに言えることなんだよね。きっとペンは一生さんから服が届いた時に、まずはじっと見詰めて、どういう写真にするか思い詰めて、ある時息をふっと詰めてアイデアを出してスケッチを描き、そして根詰めて撮影をする。
スケッチは、描いていると自然と次のアイデアが出てくるんです。僕も朝起きると、書道机に座り、筆で右巻き左巻きの渦を描くんだけれど、そういう日々の鍛練が表現にきっと表れる。ペンも修行僧のように鍛練していたんだろうね。
──常にお忙しいと思いますが、浅葉さんの最近のお仕事を教えてください。
浅葉:最近は「NEW津波石」。東日本大震災での津波の恐ろしさを後世に伝え、亡くなられた方への慰霊の気持ちを込めて、津波石の第一号を岩手県釜石の根浜海岸に建立しました。「二千十一年 3.11」という文字をデザイン化して、石に刻み込みました。このプロジェクトは、他のデザイナーにも参加を呼びかけ、岩手、宮城、福島など津波被害を受けた沿岸部500kmに、最終的に500石碑の建立を目指しています。
(聞き手:上條桂子)
浅葉克己 Katsumi Asaba
アートディレクター
1940年神奈川県生まれ。桑沢デザイン研究所、ライトパブリシティを経て、75年浅葉克己デザイン室を設立。サントリー、西武百貨店、ミサワホーム等数々の広告を手がける。東京タイプディレクターズクラブ理事長として同クラブを運営する傍ら、アジアの多様な文字文化に着眼し、文字と視覚表現の関わりを追求している。
東京ADC賞グランプリ、紫綬褒章など受章多数。東京TDC理事長、JAGDA理事、デザインアソシエーション会長、エンジン01文化戦略会議幹事、東京ADC委員、AGI(国際グラフィック連盟)日本代表。東京造形大学・京都精華大学客員教授。桑沢デザイン研究所所長。中国の象形文字「トンパ文字」に造詣が深い。卓球六段。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。イタリアの雑誌fashiontrendにてご紹介いただきました。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
自分と真逆だから惹かれる、ペンの写真
──高木さんはご自身の作品集でPLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEの服を撮影されていますが、ペンさんの撮り方とは全然違いますね。
高木由利子(以下、高木):
今まで誰にも言ったことがなかったんですけど、実は私、すごく彼の写真を意識していました!(笑)すごくおこがましい話なんですけど、一生さんの服=ペンさんの写真というイメージがあまりにも強かったので、私が撮るんだったら、彼が絶対撮らないであろう写真を撮ってみたいと密かに思っていたんです。
ペンさんの写真には圧倒的なスタイルがあってピーンと張りつめてる感じ。彼の現場には行ったことがないけれど、きっと音も鳴っていない静かな空間で緊迫した空気なんだろうなと思います。逆に私は、服を着ている人の計算されない表情とか空気感をとらえるのが好きなのですが、私が写真を撮るときも実はすべて演出しているので、その中から生まれ出る人や服の自然な動きを捉えようとしています。
今回展覧会で改めてペンさんの写真を拝見して、その計算し尽くされた重みと軽やかさの融合に感動しました。現在の写真や服の傾向とは真逆。今は軽いのが皆好きでしょう。緊迫って言葉も流行らないし、重いものは避けられる。そんな中でペンさんの力強い写真は素晴らしい非日常性を持って、若い人達にも新たなメッセージを送っていると思います。
──ペンさんと三宅さんのコラボレーションでは、お互いに言葉を交わさず作品だけを見て、一切注文もせずにやりとりが繰り返されたようですが、高木さんの場合はいかがでしたか?
高木:一番最初にインドに行く時、一生さんにプリーツを貸して欲しいとお願いしたら、「何するの?」とおっしゃったので、「海外で出会った現地の人にPLEATS PLEASEを着てもらって撮影をしてみたい」とお答えしたところ、「ほぉ、いいんじゃないか」と貸してくださったんです。それは60着。帰国後に一生さんのために会社でスライドショーをしたら、とっても感動してくださって。そこからケニア、中国、モロッコとシリーズで撮影しました。ペンさんの写真もそうだと思いますが、本当に自由に撮っているのを、信頼してくださって、結果の写真だけを見て認めてくださる一生さんは素晴らしいと思います。
──高木さんの最近のお仕事を教えてください。
高木:最近取り組んでいるのは「THREADS OF BEAUTY」というシリーズです。いままで、日本から服を持っていって世界中の人たちに着てもらって撮影していたのですが、そのうちに彼らが普通に着ている伝統的な服の重要性と格好良さに気づかされたんです。イランの遊牧民やインド、中国等12カ国くらいを旅しながら、各国の人たちが日常的に着ている服に着眼点を置いて撮影続行しています。
(聞き手:上條桂子)
高木由利子 Yuriko Takagi
写真家
東京生まれ。武蔵美術大学にてグラフィックデサインを学ぶ。イギリスのTrent Polytechnic にてファションデザインを学ぶ。フリーランスデザイナーとしてヨーロッパで活躍。以後、写真家として独自の視点から衣服や人体を通して「人の存在」を撮り続ける。撮影地は、日本を拠点に、アジア、アフリカ、南米、中近東に及び、現在撮影旅行続行中。
コレクション:東京国立近代美術館、原美術館、神戸ファッション美術館、目黒美術館、横浜美術館、後藤美術館、上海美術館。
出版:Nus intimes(用美社)、Confused gravitation(美術出版社)、IN AND OUT OF MODE(Gap Japan)、Skin YURIKO TAKAGI X KOZUE HIBINO(扶桑社)
http://yurikotakagi.com/
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。アサヒカメラ12月号にてご紹介いただきました。先日、トークにもご登場いただいた、美術史家の伊藤俊治さんによる展評です。
2011年10月23日に21_21 DESIGN SIGHTにて行われた、グラフィックデザイナーの佐藤 卓と美術史家の伊藤俊治によるトークの様子を動画にてご覧頂けます。
トーク「衣服、写真、デザインの関係」を観る
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
セローニアス・マンクの音楽のような、決して真似のできない写真と服
──アーヴィング・ペン展をご覧になって、いかがでしたか?
ピーター・バラカン(以下、バラカン):
ペンさんの写真は、カルティエ・ブレソンのように決定的瞬間をうまく捉えるのではなく、むしろ完璧にセッティングして、自分の思い描いているものを押さえる方なんだなと今回の展覧会を見てわかりました。大きなスライドにするとよくわかるんですけど、化粧もすごい時間をかけているし、ライティングもおそらく何時間もかけてる。でもね、計画的で計算しつくしたものではあるけれど、そうは思わせない。見る方はただ感激する、すごく感覚的な作品でした。ミュージシャンで天才的な即興をする人でも、その裏では毎日何時間も練習していたり、人を感動させるためには技術と作品を仕上げるための努力がありますよ。その努力が瞬時に観客にバレたら、興醒めしちゃう(笑)。だからさりげなさがあって、よく見るとわかる。そんな感じ。ペンの写真の素晴らしさはもちろんなんだけど、一生さんの服の独自の芸術性もただただ!言葉を失ってしまうんだよね。
──確かに。三宅さんの服がペンさんの琴線を刺激したりしたということもあるでしょうね。
バラカン:もちろんそうだと思います。ここまで一生さんの服を上手く撮れるカメラマンが他にいるかなって思わせるほどインパクトがありますね。僕は、基本的に音楽の世界の人間なんですけど、一生さんほど真似のしようのない音楽を作る人、たとえばジャズピアニストでセローニアス・マンク。彼ほど気持ちよく演奏出来る人って、そうはいない。彼の個性、癖というか、ちょっとメロディを聴いただけですぐに彼の音楽だとわかるし、誰にも真似できない。だから、その個性を深く理解した人じゃないとセッションは成立しない。一生さんの服もそうだと思う。一生さんの服の写真も、本当に一生さんの服を深く理解しないと作品にはならないんじゃないかな。アーヴィング・ペンの写真を見て、この人は理解している、そう思った。
──バラカンさんは、本展でアニメーションの三宅さんの声をご担当されましたが。ペンさんと三宅さんのダイアローグを演じて、どう感じましたか?
バラカン:二人の間のよい距離感をすごく感じました。アーヴィング・ペンは一度もショーに行ってないし、一生さんは一度も撮影の現場に行ってないし、その距離の取り方は2人とも意識してたんでしょうね。わかるような気がします。
あの映像がなければ、どういうプロセスであのポスターが生まれてくるのか、おそらく多くの人がわからない。そこに目をつけた、北村みどりさんの発想が面白かった。とにかく今回の展覧会は何から何まで完璧だと思ったのです。凝ったことをやってるわけじゃない、シンプルなんだけど強い、何度も見た方がいい、飽きない展示だと思います。
──ありがとうございます、では最後に、バラカンさんの最近のお仕事を教えてください。
バラカン:月刊プレイボーイで6年ほど連載していたコラムが書籍化され、『ピーター・バラカン音楽日記』というタイトルで発売になりました。ぜひご覧ください。
(聞き手:上條桂子)
【関連情報】
2012年4月1日(日)14時から15時30分に21_21 DESIGN SIGHTで開催の展覧会関連プログラムトーク「ピーター・バラカン出前DJーVisual Dialogueに寄せて」にピーター・バラカンが出演します。ぜひご来場ください。詳しい情報・参加ご予約はこちら
また、ピーター・バラカンがメインパーソナリティーを務めるラジオ番組「The Lifestyle MUSEUM」(TOKYO FM)の過去放送回では、展覧会ディレクターの北村みどりと、2012年1月28日の関連プログラムトークにも出演した東京都写真美術館キュレーターの笠原美智子がゲストとして登場しました。これらの放送はポッドキャストで視聴可能です。あわせてお楽しみください。
2011年2月16日放送/ゲスト:北村みどり
2012年2月17日放送/ゲスト:笠原美智子
ピーター・バラカン Peter Barakan
ブロードキャスター
1951年ロンドン生まれ。
ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。
現在フリーのブロードキャスターとして活動、「Barakan Morning」(インターFM)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「CBS 60ミニッツ」(CS ニュースバード)、「ビギン・ジャパノロジー」(NHK BS1)などを担当。
twitterのアカウントは@pbarakan。
著書に『200CD+2 ピーター・バラカン選 ブラック・ミュージック アフリカから世界へ』(学研)、『わが青春のサウンドトラック』(ミュージック・マガジン)、『猿はマンキ、お金はマニ 日本人のための英語発音ルール』(NHK出版)、『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)、『ぼくが愛するロック名盤240』(講談社+α文庫)などがある。
2011年11月26日に行われた、写真家の広川泰士とアートディレクターの 廣村正彰によるトーク「写真×デザインの事」の動画をご覧頂けます。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。和樂12月号にてご紹介いただきました。巻末の「Le和raku」にて、本展ディレクターの北村みどりのインタビューが掲載されております。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
オリジナルプリントから圧倒的な強さが漂う
──広川さんの中で印象に残っているペンさんの作品とはどちらのシリーズになりますか?
広川泰士(以下、広川):
1980年に京都の国立近代美術館で開催された「浪漫衣装展」のカタログ撮影を小池一子さんから頼まれた時に、小池さんから参考に渡されたのが『Inventive Paris Clothes』でした。それまでもペンの作品は好きで見ていたんですが、こういう写真は初めてで。新鮮だったんです。たぶんペンのスタジオで撮ったんだと思いますが、頭と足ギリギリのところでトリミングされている狭い感じとか、独特なバックドロップの感じを非常によく覚えています。
あとは、80年代の終わりにNYのPace/Macgillギャラリーでペンの回顧展があったんです。その時にオリジナルのヴィンテージプリントを初めて見て衝撃を受けました。当たり前の話なんですけど、全然古びてなかったんです。ついこのあいだ焼いたようなクオリティで、アーカイブっていうのはこういうものなのだと思い知らされました。もう一目瞭然というか。ガーンと心に入ってくる。「恐れ入りました」って感じで。
その時に、写真家が死んでも作品は残るんだっていうこと、もちろんペンはまだその時はお元気だったんですが、そしてプリントは常に完璧にアーカイブ処理をしておかなきゃいけないんだっていうことを学んだわけですよ。まあ、僕なんかは足元にも及ばないとは思うんだけど、自分が生きているうちに出来る限り完璧にしようって肝に銘じました(笑)。
──ペンさんの写真に学んだことがあったら教えてください。
広川:写真一般は全部そうなんですが、シャッターを押す時がすべて。絵画だとそこは塗りつぶして直せるかもしれませんが、写真はそれができないんで。その時しかできないもの。それはペンに学んだかどうかはわかりませんが、ペンの写真を改めて見て、一瞬の重みを感じました。
──最後に、広川さんの最近のお仕事を教えてください。
広川:いまこのような形で注目を集めるのも複雑な気持ちですが(苦笑)、18年前に発表していた原発のシリーズ『STILL CRAZY』をいくつかのギャラリーで展示しました。今再び見せるべきだと思いました。他には、作品というわけではないのですが、相馬と気仙沼の避難所や仮設住宅にいる人たちの家族の写真を撮ってご本人たちにプレゼントするプロジェクトや、避難所の子どもたちに「写ルンです」を渡して写真を写してもらい一緒に写真展をするプロジェクト等を通して、自分なりに東北とかかわっています。
(聞き手:上條桂子)
2011年11月26日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに広川泰士が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「写真×デザインの事」の動画を見る
広川泰士 Taishi Hirokawa
写真家
1950年神奈川県生まれ。1974年より写真家として活動開始。東京工芸大学芸術学部教授。広告写真、TVコマーシャルなどで活躍する一方、世界各都市での個展、美術展への招待出展多数。講談社出版文化賞、ニューヨークADC賞、文部科学大臣賞、経済産業大臣賞、日本写真協会賞、日本映画テレビ技術協会撮影技術賞、A.C.C.ゴールド賞、A.C.C.ベスト撮影賞、他受賞。プリンストン大学美術館、ロサンゼルスカウンティ美術館、サンフランシスコ近代美術館、フランス国立図書館、ミュンヘンレンバッハハウス美術館、神戸ファッション美術館、東京都写真美術館、他に作品がコレクションされている。
http://hirokawa810.com/
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。美術手帖12月号 三宅一生特集の中で、ご紹介いただきました。本展ディレクターの北村みどりや、ヴァジリオス・ザッシー、ティエンのインタビューなどを含め、大きく取り上げていただきました。
また、特集内では三宅一生の最新ロングインタビュー、1960年代から現在進行中のプロジェクトまでが豊富なビジュアルとともに掲載されております。
2011年11月18日に行われた、アーティストの日比野克彦によるトーク「イメージが結実する瞬間」の動画をご覧頂けます。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
ISSEY MIYAKEのイメージを具体化しているのは、
実はアーヴィング・ペンなのかもしれない
──アーヴィング・ペンさんの写真についての印象をお聞かせください。
深澤直人(以下、深澤):
僕なりの勝手な解釈なんですが、アーヴィング・ペンという人は、自分のビジョンが決まったら揺らがない。そういう確固たるものが作品に現れている気がします。僕らのような仕事をしていると、あるところにまで行き着くのにブレを修正していく作業や、これでいいんだろうかと反芻する行為が発生してきます。でも、あるとき、疑わない強さ、概念に対して破綻なく瞬時に結晶化できる力が彼にはあるのだと思います。写真というものだからなおさらその強さが出るのかもしれません。
──展覧会をご覧になって、いかがでしたか?
深澤:展覧会では、一生さんとのコラボレーションの仕方がアニメーションで紹介されていて、二人の仕事を極めていくプロセスが初めて明かされたのですが、それはとても新鮮でした。アーヴィング・ペンも三宅一生の存在も偉大な作家であることは皆知っていますが、これだけの質量のクリエーションをしてきたのかという内側の実態はあまり明かされてこなかった。感動しました。
一生さんはアーヴィング・ペンとはちょっと違って、自分がいいと思ったことでも、それに自ら疑いをかけるところがある。迷いの中に自分の身を置くことを常に意識し、結晶化の瞬間を待ってつくりあげていく。それは彼独特のやり方であり強さであり厳しさでもあります。強烈なインパクトでした。
──三宅一生さんとペンさんのコラボレーションについては、どう思われましたか?
深澤:一生さんが作品制作の過程で、何を見てどう考えたのかを、アーヴィング・ペンなりの解釈で、ブレずに写真に撮る。その写真には、人がなんと言おうと「一生はこう考えたんだ」と規定化するくらいの力がある。だから、一生さんはペンの写真を見て、「そうか自分はこう考えていたんだ」と思うようなことがあったんじゃないか。その繰り返しだったんじゃないかと。両者とも表現にブレがないから、それぞれが重なるとぴったりとおさまってしまう。
ジャズのジャムセッションのようですね。最初は、相手のプレイを予測しないで弾くんだけど、キレイな音楽になっちゃう。もっと言うと、それを超えてしまう場合があって、一生さんが感じている自分の価値よりも、アーヴィング・ペンのほうが一生さんのことをわかってる、ということが発生する場合がある。それが、この仕事に出てる。つまり、ISSEY MIYAKEのイメージを具体化しているのは、実はアーヴィング・ペンなのかもしれない。何故かというと、このペンのイメージが世界中のいろんな人に刷り込まれてるから。そういう意味でも、一生さんがアーヴィング・ペンという人とコラボレーションしようとした勘みたいなものは、本当にすごいことだと思います。
──深澤さんの最近のお仕事を教えてください。
深澤:最近のものだと、ちょっと変わった仕事でしたが、無印良品の青山店をリニューアルしました。「Found MUJI」というプロジェクト。新しくものを作るのではなく、世界中で使い続けられているいいものをMUJIというフィルターを通して「探し出す」というプロジェクトです。日頃どこででも見ていそうなものに新しい価値を見出せると思います。僕も中国やインドに行っていろんなものを探してきました。ぜひご覧ください。
(聞き手:上條桂子)
2011年11月25日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに深澤直人が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「存在とかたち」の動画を見る
深澤直人 Naoto Fukasawa
プロダクトデザイナー
1989年 渡米し、IDEO(サンフランシスコ)に8年間勤務。'97年 帰国、IDEO東京支社を設立。'03年 Naoto Fukasawa Design設立。イタリア、フランス、ドイツ、スイス、 北欧、アジアを代表するブランドのデザイン、国内の大手メーカーのコンサルティングを多数手がける。デザインの領域は、腕時計や携帯電話などの小型情報機器からコンピュータとその関連機器、家電、生活雑貨用品、家具、インテリアなど幅広い。人間とものとを五感によって結びつける彼の仕事は、より大きな喜びを使い手に届けるものとして高く評価されている。著書「デザインの輪郭」(TOTO出版)、共著書「デザインの生態学」(東京書籍)、作品集「NAOTO FUKASAWA」(Phaidon)。「THE OUTLINE 見えていない輪郭」写真家 藤井 保氏共著を出版 (アシェット婦人画報社)。
10月15日、オランダより来日したアニメーション作家のモニク・ルノーを迎え、こども向けワークショップを行ないました。
本展では映像ディレクターのパスカル・ルランとともに、アニメーション「Irving Penn and Issey Miyake: Visual Dialogue」制作に参加し、マイケル・クロフォードによる原画から一つ一つの動きを手で描き起こしたルノー。今回は小学3年生から6年生を対象に、身近な素材を使ってビジュアル・トイをつくります。
まず始めに、ルノーからアニメーションの簡単な仕組みを説明。参加のこどもたちの自己紹介のあと、ルノーはすぐに自分のもとへ参加者を呼び寄せました。手にしたのは丸く切った紙の両面に異なった絵が描いてある、「びっくり盤」。円の左右には糸が通してあり、手元でくるくると回すと、両面に別々で描かれた絵がドッキングして見えるのです。手に取ったこどもたちは仕組みに驚きながらも、今度は自ら円形の紙にさまざまな絵を描きます。かごに入ったヘビや、笑顔の表情などオリジナルの「びっくり盤」をつくりました。
次に挑戦したのは「パラパラ漫画」です。大人には耳なじみのあるパラパラ漫画も、初めて見たというこどもも。まずは連続する絵をめくっていくことで動いて見えるパラパラ漫画を実際に体験。その後、下書きに取りかかります。途中、サッカーボールを蹴る様子や涙が流れる様子が実際に動くかどうか、ルノーと参加者たちは何度も一緒に確かめながら、それぞれの作品を完成させていきました。
最後に挑戦したのは「フェナキスティスコープ」。厚紙、割り箸、画鋲でできたこのビジュアル・トイは、絵の描かれた紙にいくつもの穴がならんでいて、鏡の前でその紙を回しながら一点をのぞくことによって、絵が動くことを体験できるものです。前半の2種類に比べ、より複雑な仕組みでアニメーションを体験できるトイに、こどもたちも興味津々。その後すぐに絵を描きはじめる参加者たちも多く、3つめの創作に慣れてきたのか、それぞれの自由な発想を持って取り組んでいました。
最後に、思い思いの作品を取り上げながら参加者の感想を発表し、ワークショップは終了。自分の絵が動き出すという得難い体験に驚き、仕組みに悩みながらも、充実した時間となりました。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
平櫛田中とアーヴィング・ペンと三宅一生の共通点
──展示をご覧いただいた感想をお聞かせください。
日比野克彦(以下、日比野):
アーヴィング・ペンの写真は、ポスターとしてすごく心に残ってる写真ではあるんだけど、その裏側を知らなかった。なので今回の展示で一生さんとのやりとりや、スケッチが見られたのはよかった。制作過程を見ていると、お互いにスポッとツボにハマったんだろうなということがわかる。きっとペンさんは、スケッチを描き始める瞬間には、スタイリングやヘアメイク、照明といったすべての絵が、すでに出来がっていたんじゃないかな。
ちょうど21_21 DESIGN SIGHTに来る前に、藝大美術館の彫刻の展覧会で平櫛田中の木彫作品を見たんですが、1本の木をいろんな方向から彫り続けて、ある地点でピタッと手が止まる。外から彫り出したのではなく、もともと木の中にあったかたちが浮かび上がってきたような。そんな印象を受けました。それは、ペンの写真にも通じるところがあって、目の前にある状況を切り取るのではなく、状況を作り出してそれを留めておく。そのための手法として写真を用いているのではないかと思います。
ペンさんと一生さんの仕事にも、田中の彫刻にあるような、ぴったりと焦点が合っていてブレがない、そんな印象が伝わってきました。
──日比野さんの最近の活動を教えてください。
日比野:最近は船を作っていて。10月30日に京都の舞鶴港で着水式をするんです。これは「種は船」というプロジェクト(http://maizuru-rb.jp/)で、「明後日朝顔プロジェクト」をやっている時に朝顔の種は船の形に似ているという着想からスタートしたものです。2007年に金沢で種の形を船にするところから始まり、船を作って海に浮かべるところまできました。今年から舞鶴で、自走する本物の船をつくり、来年出航する予定です。
あとは、東京都文化発信プロジェクトの「TOKYO FUTURE SCKETCH BOOK(http://www.tokyofuturesketch.jp/)」というワークショップをやっています。大きなスケッチブックに東京の未来を描くというものです。
(聞き手:上條桂子)
2011年11月18日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに日比野克彦が出演しました。
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日比野克彦 Katsuhiko Hibino
アーティスト/東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授
1958年岐阜市生まれ。東京藝術大学在学中の1983年に、段ボールを素材とした作品で日本グラフィック展グランプリを受賞、一躍脚光を浴びる。その後、舞台空間・パブリックアート、パフォーマンスなどの身体・言語を媒体とした作品など表現の領域を広げ、1996年ベネチアビエンナーレに出品。国内外で個展を多数開催する。2000年以降は表現者の視点だけでなく、受け取り手が感じ取る力を引き出すような作品をワークショップの手法で制作する。また、アートとスポーツの文化的視点からの融合を目指して日本サッカー協会理事を務めている。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
「生」の瞬間が伝わってくる写真
──アーヴィング・ペンさんの写真についての印象をお聞かせください。
操上和美(以下、操上):
ペンの写真からは、「人間の存在」が伝わってくる。生きていること、その瞬間、その場に存在していること、そういう生きていく上での根源的なことが写真の中にあって、私たちにインパクトを与える。ジャンルは関係ありません。展覧会では、ファッションやポートレート、腐食に向かうものなども並んでいましたが、すべてに対して同じ愛情を持って接している。同じ目線、アーヴィング・ペンの目線なんですね。これは誰もができることじゃない、真似できないことだと思います。
自分が気になるものを撮り続ける時に、それが道端に落ちているものであれ、自分の生理というか好き嫌いや触感を大切に、カメラというマシンを使いながら、自分の感覚で掴んでいく。それを繰り返して生きている人間が写真家だと思います。人間の面白さは、その人が生きてきた時間。ハードに生きていればその分だけひだが多い。
──ペンさんは偉大な写真家ですが、今回の展覧会で紹介されている写真は三宅一生さんの服がなければ生まれなかった作品です。三宅さんについての印象を聞かせてください。
操上:僕が最初に一生さんに会ったのは、一枚の布でどう展開するか、マチエールにこだわってパリで服作りをしていた時代。一生さんの服から感じるのは、かたちに対する精神であり哲学だと思うんです。常に変化するかたちからは、ものをつくることへのロマンを感じます。
──操上さんはペンさんからも影響を受けているとお聞きしましたが、他に影響を受けている写真家はどなたですか? 写真を勉強する方におすすめの写真家がいたら教えてください。
操上:ペンの写真は本当に毎日見ていても飽きないから好きですし、そういう写真が撮れたらと思っています。また、写真も大好きですが生き方が好きな作家としては、ロバート・フランクです。写真を学ぶ方は、とにかくたくさんの写真家の写真を見た方がいいと思うし、自分でもたくさん撮ったほうがいい。ラルティーグの写真なんか見ると、決して普通に生活していたのでは遭遇できない「生き方」が見られたりする。
人間って変化する生き物だから、絶えず情報にはさらされているし、他の人からの影響も受ける、僕だっていつもブレています(笑)。だけど、自分が見て触って感じる生理的なもの、それを信じて「いい」と思ったことを貫く。それは自分を信じるということで、それがなければ作品は作れないと思う。もちろん、ペンも確固たるものを持っていた人だと思うし、自分も肉体・精神ともに健やかであるよう務めています。死ぬまでシャッターを切り続けるつもりですから(笑)。
──今後の活動予定を教えてください。
タカ・イシイギャラリーで10月29日から個展が開催されます。『陽と骨Ⅱ』と題して、1972年から2011年までポラロイドSX-70で撮りためた作品を発表します。展覧会では、作品集『陽と骨Ⅱ』に収録しているポラロイド作品8点と、それを180×180に引き伸ばした大きなプリント作品を展示します。
(聞き手:上條桂子)
2011年9月23日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに操上和美が出演しました。
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操上和美 Kazumi Kurigami
写真家
1936年 北海道富良野生まれ。
主な写真集に『ALTERNATES』『泳ぐ人』『陽と骨』『KAZUMI KURIGAMI PHOTOGRAPHS-CRUSH』『POSSESSION 首藤康之』『NORTHERN』『Diary 1970-2005』他。
2008年 映画『ゼラチンシルバーLOVE』 監督作品 。
ほぼ季刊で発行予定の写真誌、『CAMEL』を発刊。
http://www.kurigami.net/
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。ブラジルの雑誌IstoÉ Platinumにてご紹介いただきました。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
人や職業の典型をとらえる収集家のような写真
──平野さんは、ペンさんよりアヴェドンの方がお好きという話を以前どこかで読んだのですが。
平野啓一郎(以下、平野):
え?そんなこと言ってましたっけ(笑)。アヴェドンはペンのことを一生認めなかったらしいですが、まったく別の才能ですよね。
ペンの写真の世界ってコレクションの世界だと思うんです。「収集」という意味での。写真家は、多かれ少なかれコレクター気質があると思います。風景や人物をどんどんストックしていくわけですから。でも、そのなかでもペンは特に強い。僕が一番よく見たペンの作品は『Small Trades』のシリーズ。普通の町中にいる様々な職業の人のポートレートを撮っているんですが、あれをずっと見ていると昆虫標本とか、街のおもちゃキットにある消防士さんとかパン屋さんとかお肉屋さんのような、そんなものを思い浮かべるんです。全部同じ背景にして、フォーマットはまったく同じだけれどコンテンツがちょっとずつ違うものを集める、写真家の快感が写真に表れているような気がするんです。
その職業の典型を際立たせるポイントとしては「姿勢」があると思います。ペンは被写体に道具を持たせているんですよ。新聞を配るとか、バケツとか、牛乳瓶とか、カメラの前で、ある職業の典型を演じるのは難しいと思いますが、道具を持つことによって、いつもの振る舞いができる。一方で、著名人のポートレートを見ると、パン屋とかの職業ではなくそこに本人の個性が出てくる。コクトーであり、マイルスでありピカソ、同じフォーマットの中からその人そのものが浮かび上がってくる。アーティストだから自分を演じきれる、それはさすがだと思います。ペンの写真を見ているとそれがすごくよくわかるんです。
──三宅一生さんとのコラボレーションの作品でも、同じ白バックのフォーマットで多くの服が撮られています。
そうですね。「収集家」としての感覚が一生さんの作品を撮って行く時にもあったんだと思います。ペンが街で働く人を撮っている時は、すでに知られているジャンルの職業の典型をコレクションしていった、あるいはアーティストの典型的な表情を撮っていた。そういう意味では、一生さんの服はまったく見たことがなかったものなんじゃないかと思う。それを同じ白バックというフォーマットで一つずつ撮っていく時に、すごく面白かったんだと思うんですよ。だって、この服は「新種」でしょ?蝶々とかで言ったら。驚きを持ってコレクションの撮影に挑んでいたのだと思います。
──平野さんの近況を教えてください。
講談社の雑誌モーニングで小説の連載を始めました。タイトルは『空白を満たしなさい」っていうもので、よくアンケートとかテストとかで、「次の空白を満たしなさい」というのがあると思うんですが、その言葉が全体のストーリーを引っ張っていくような小説です。震災があって、親しい人が亡くなったり、突然周りに大きな空白ができたりして、生きて行くためにはその空白を満たしなさいというプレッシャーがあると思うんですが、そうすること自体がいいのかどうかということも含めて、「空白を満たしなさい」という言葉について問えればと思っています。ぜひ手に取ってみてください。
(聞き手:上條桂子)
2011年11月25日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに平野啓一郎が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
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平野啓一郎 Keiichiro Hirano
小説家
1975年愛知県生れ。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、2002年発表の大長編『葬送』をはじめ、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。著書は『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』、『ド-ン』、『かたちだけの愛』『モノローグ(エッセイ集)』、『ディアローグ(対談集)』など。2011年9月1日より、『モーニング』にて長篇小説『空白を満たしなさい』連載開始。
2011年10月23日に行われた、グラフィックデザイナーの佐藤 卓と美術史家の伊藤俊治によるトーク「衣服、写真、デザインの関係」の動画をご覧頂けます。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
ペンの「静」な生き方に学ぶ
──ホアンさんは、実際にペンさんのスタジオを訪ねたご経験があるということなんですが、そのエピソードをお聞かせください。
ヴィンセント・ホアン(以下、ホアン):
そうですね。95年にNYへ行く機会がありまして、当時僕はジョージ・ホルツのアシスタントをしていたんですが、一度は憧れのペンに会いに行こうと思い、スタジオを訪ねていきました。お会いした時に聞かれて驚いたのは「あなたは私に何をしてくれるんだ?」って言われたことです。普通は逆で、アシスタントにそんなことを求めないですよね。彼はそういう自分にないパワーをアシスタントに求めていたのかもしれません。当時、彼のスタジオには6名のアシスタントがいて、さらにウェイティングリストにたくさんの名前が連なっていたような状態だったので、スタジオに入ることは叶わなかったのですが、すごくいい経験になりました。
──その後ホアンさんは、ヘルムート・ニュートンのスタジオでアシスタントをされたそうですが、ペンさんの現場とはまったく違ったのではないでしょうか。お人柄も違いそうですね。
ホアン:ペンさんの撮影現場は実際には見ていないんですが、彼はもともとデザイナーなので緻密に絵作りをして、スケッチで構成を決めてから撮影に入ります。生活もすごく規律正しくて、朝5時に起きて散歩をするところからスタートして、午前中にはすべての撮影を終える。そして、スタジオでは一切音楽をかけないそう。一方、ニュートンは正反対のタイプと言えるでしょう。撮影に関しても、ほとんど即興でスケッチも描かずにその場で決める。また、人物写真にしてもペンは非常にストイックで、モデルをオブジェクトのように扱っています。ニュートンはご存知のように女性好きなので(笑)。その点でも全然違いますね。
──ペンさんの写真から学んだことを教えてください。
ホアン:観察力かな。彼はすごく東洋的な感覚を持っていた方だと思います。日本舞踊のような、柔らかいポーズでも指先まで神経が行き渡っているというような。彼の写真は「静」なんですが、何度見ても飽きない、不思議な写真だと思います。それにはやはり、いかに心を平静に保つかという、彼の生活や生き方が反映されているんでしょうね。もうひとつエピソードがあるんですが、石岡暎子さんがアートディレクションをされたマイルス・デイビスの撮影の際に、マイルスは自分の音楽をかけながら撮影して欲しいと言ったそうなんですが、ペンはそれを断固拒否して、一触即発の状態になったそうです。もちろん石岡さんが仲裁して、撮影は進められたんですが不機嫌になってマイルスがいろんな表情をした。そこをペンは撮ったんですね。だからあんな写真になったという。そこまでストイックなペンの姿勢はすごい。まだまだ追いつけませんが、一歩でもペンの写真に追いつきたいので、まずは規則正しい生活から始めようと努力しています(笑)。
──ホアンさんの最近のお仕事を教えてください。
ホアン:ミス・インターナショナル国際大会の写真集です。昨年の10月〜11月に、中国の四川省で開催されました。ミスコンだけでなく、様々なボランティア活動を記録した350ページの大作です。電子版の発売も予定されています。
(聞き手:上條桂子)
ヴィンセント・ホアン Vincent Huang
写真家
1958 年、神戸の在日中国人の家庭に生まれ、写真好きの父親の影響で写真を始める。 77 年、ボストン大学ビジネス科入学。 78 年、カンサス・ベーカー大学ファインアート科専攻。 81 年、カルフォルニア大学バークレー校、サマースクール・ファインアート・フォトグラファークラスに参加。 82 年、サンフランシスコ大学アカデミー・オブ・アートカレッジ写真科卒業。
ロサンゼルスで、HELMUT NEWTON、GEORGE HOLZ のアシスタントを経て、フリーランスの写真家として活動を開始。 ニューヨークでの活動を経て86 年、日本に帰国後、ファッション雑誌、広告写真を中心に活動。 現在は、自由が丘に Lotuscalyx Studio (YouTube参照)を所有、ユニークな作家活動を展開中。
http://ameblo.jp/duckbuddha/
現在開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展が
THE NEW YORKERウェブサイトに掲載されました。
本展に出展中のアニメーション「Irving Penn and Issey Miyake: Visual Dialogue」の
一部がご覧頂けます。
http://www.newyorker.com/online/blogs/newsdesk/2011/09/issey-miyake-irving-penn.html
展覧会公式twitter、facebook始めました。
「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展オープンに合わせ、展覧会公式twitter、facebookを始めました。
関連プログラムや掲載情報など、展覧会に関する情報を随時お知らせしております。
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21_21 DESIGN SIGHT 企画展「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展
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2011年9月30日に行われた、写真家の石川直樹によるトーク「アーヴィング・ペンとヴァナキュラー」の動画をご覧頂けます。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。現在発売中のpen(No.299)にてご紹介いただきました。
9月16日から開催中の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。現在発売中のCOMMERCIAL PHOTO 10月号にてご紹介いただきました。
2011年9月23日に行われた、写真家の操上和美と映像作家・映画監督・演出家の中野裕之によるトーク「操上和美さんに聞いてみたかった」の動画をご覧頂けます。
2011年9月17日に行われた、クリエイティブディレクター・フォトグラファーのティエンとジャーナリストの生駒芳子によるトーク「アーヴィング・ペンとの仕事 by Tyen」の動画をご覧頂けます。
9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
衝撃を受けて西アフリカまで訪ねていった、ダオメの写真
────ペンさんの写真との出合いを教えてください。
5、6年前だったと思うんですが、駒場東大前の日本民藝館で三宅一生さんが企画したアーヴィング・ペンの『ダオメ』という写真展(編集者注:「ダオメ Dahomey 1967:Photographs by Irving Penn」2004年、日本民藝館)がきっかけでした。ペンは、ファッション写真でよく知られていますが、その一方で、彼の写真は民俗学や文化人類学のフィールドとも親和性が高い。で、僕とペンをつなげたのは、当時のダオメ王国で撮影された彼の写真群だったんです。
ダオメ王国はもう存在せず、現在はベナン共和国という名前に変わっています。西アフリカにある小さな国で、ブードゥー教の発祥地としても知られており、特殊な儀式や祭礼が多く残っている。ペンは、フランスのヴォーグ誌の撮影で当時のダオメ王国に行き、洗練されたポートレートをいくつも残しました。しかし、その一方で、個人的な作品としてファッション以外の写真もかなりたくさん撮っているんです。
──ダオメの写真の中で石川さんの印象に残ったものは?
レグバの写真ですね。レグバはお地蔵さんのような存在で、今でもベナンの街角や街中のいたるところにあります。日本にあるようなツルツルの顔をしたお地蔵さんとは異なり、鳥の血や卵の黄身などが顔面に塗りたくられていたりする。ビジュアル的にはものすごくインパクトのある、とにかく存在感のある像なんですね。地元では、いいこともすれば悪いこともするトリックスターとして、市井の人々に愛されているんですが、決して可愛らしい像ではない。そんな像に美を見出した、ペンの眼をぼくは非常に信頼しています。
美醜というのは表裏一体であって、レグバのような奇妙な存在は、醜さのなかにどこか突き抜けた美しさを持っている。近寄りがたいけど、親しみも内包している。それは、とても衝撃的な写真展でした。ファッションの第一線で写真を撮りながら、レグバのようなものに美を見出していたペンの、世界に対する姿勢にはとても共感します。ぼくはその展覧会のレグバの写真に衝撃を受けすぎて、ベナン共和国まで行ってしまいました(笑)。僕の『ヴァナキュラー』という写真集にはベナンで撮影した写真が多く収録されていますが、あれはペンに捧げたようなものです。
──石川さんの最近のお仕事を教えてください。
SCAI THE BATH HOUSEというギャラリーで新作による個展「8848」が10月22日(土)まで開催中です。これは3月末から5月にかけて登ったエベレストで撮影した写真を展示しています。あと、そのエベレスト登山の記録を『For Everest ちょっと世界のてっぺんまで』という一冊の本にまとめました。併せてご覧いただけたらうれしいです。
(聞き手:上條桂子)
2011年9月30日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに石川直樹が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「アーヴィング・ペンとヴァナキュラー」の動画を見る
石川直樹 Naoki Ishikawa
写真家
1977年東京生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。
2000年、Pole to Poleプロジェクトに参加して北極から南極を人力踏破、2001年、七大陸最高峰登頂を達成。人類学、民俗学などの領域に関心をもち、行為の経験としての移動、旅などをテーマに作品を発表し続けている。2008年、写真集『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により、日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞。2011年、『CORONA』(青土社)にて第30回土門拳賞を受賞した。著書に『全ての装備を知恵に置き換えること』(集英社)、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。今春、10年ぶりにエベレスト再登頂に成功し、その記録をまとめた『for Everest ちょっと世界のてっぺんまで』(リトルモア)を出版。
いよいよ明日から開催の「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展がTIME.comにて紹介されました。
http://www.time.com/time/travel/article/0,31542,2093170,00.html
9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。本展ディレクターの北村みどりが語る展覧会の背景とその魅力を、3日連続でお届けします。
「見る」ことが紡ぎ出す対話
このようにして撮影された写真は250点を超える。写真集『アーヴィング・ペン 三宅一生の仕事への視点』(日本版は求龍堂、1999年)をめくっていると、すべての写真が同じテンションで撮影されていることに驚かされる。
「今回の展覧会で大型スクリーンに投影するための写真を選んでいて、改めてペンさんの仕事は普遍的だと思いました。13年間、緊張感が変わらなくて、まるですべてを一度に撮ったようです」
ファッションにせよ、ポートレート、また静物にせよ、写真史や美術史の先行する仕事を踏まえた上で、そこに独創的な演出を加えて昇華させるのがペンの仕事の眼目だ。作品には常に同時代の感覚が織り込まれ、さらにユーモアというスパイスが奥の方で効いている。このシリーズにもそんな彼らしさはじゅうぶんに盛り込まれている。あるいはそれ以上に、ファッション写真という枠を超え、三宅の服をまとったモデルがまるで未来からやってきた新しい生命体に見えてくるほど、パワフルである。
「ペンさんはいつも、私が持ち込む服をわくわくしてお待ちになっていらした。それはミーティングテーブル越しに伝わってきました。海を隔てて、撮影された写真を待っている三宅も同じ気持ちをもっていた。ただ、三宅にとってもペンさんは偉大ですから、もしかしたら『撮りたい服がない』と言われてしまうのではないかという気持ちもあったはず。ドキドキしながら試験の結果を待つようなところはあったと思います」
三宅は毎回、ニューヨークから届く写真を見る。新しい解釈に驚き、感動し、それを次のコレクションのための原動力としていった。
「デザイナーには、自分の表現したいことがはっきりわかっているものです。毎回のコレクションがデザイナーにとっては命。そこで発表したものが歴史に残るのですから、違う解釈をされるのは怖ろしいことだという思いがある。でも三宅は、ペンさんの表現を受け入れました。新しい解釈は、次へのイマジネーションに繋がったのです」
「見る」という行為のみで続いていく豊かな対話。250点の写真は、その奇跡のようなコミュニケーションの結晶と言えるだろう。ふたりのマエストロの協働を支えたのは、撮影現場の結束力だった。
「ヘアのジョン・サハーグは超売れっ子でしたが、この撮影の時には『イエス、ミスター・ペン』とだけ言って、すべてペンさんの指示どおりに仕事をしていました。ティエンも、パルファン・クリスチャン・ディオールのカラーパレットを全て作った世界一のクリエイティブディレクターでフォトグラファーなのに、山のようなメイク道具をひとりで持ち込んできた。スタジオにいたスタッフは全員、初心に戻る気持ちで仕事に臨んでいました。私も、パリコレクションのテーマなどは断ち切って服に向き合うようにしました。三宅はこう言っていましたとか、そのようなことは一切話さなかった。コレクションの時と同じように撮っても、三宅が喜ばないことはわかっていましたから。ペンさんと三宅の暗黙のコミュニケーションを、私たち3人もいつのまにかしていたんですね。自分を一切出さず、全員が同じレベルの意識をもっていた。本当に、特別な撮影だったのです」
撮影に関わったスタッフ全員が、ペンの作品を作り上げるために一丸となったのだ。彼らにとってそれは労働(labor)ではなく、仕事(work)なのだった。
三宅は撮影には立ち会わなかったが、ニューヨークを訪れる度に、北村と金井を交えてペンと食事をともにしていたという。
「このシリーズが終わった後も何度もご一緒しましたが、ペンさんはいつも『イッセイの仕事はアンフォゲッタブルだ』とおっしゃった。人生の中でも忘れられない撮影の時間だったと」
2009年、アーヴィング・ペンは92歳で亡くなった。生前はすべてを公開することができなかったこのシリーズを、展覧会というかたちで公開したい。追悼の思いとともに、いまこの仕事をみつめなおすことで得られる何かを、多くの人と共有できるのではないかという気持ちから、北村はこの展覧会の企画にとりかかった。オープニングを控えた今、準備はまさに佳境に入っている。
(文中敬称略)
構成・文:カワイイファクトリー|原田環+中山真理(クリエイティブ エディターズ ユニット)
vol. 1 ディレクターの横顔
vol. 2 撮影の一部始終
vol. 3 「見る」ことが紡ぎ出す対話
9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。本展ディレクターの北村みどりが語る展覧会の背景とその魅力を、3日連続でお届けします。
撮影の一部始終
1917年生まれのアーヴィング・ペンの写真が、初めて『ヴォーグ』の表紙を飾ったのは1943年だ。これ以降、ファッション、ポートレート、静物写真を第一線で手がけてきた彼が、ISSEY MIYAKEの撮影を開始したときはすでに69歳、押しも押されぬ巨匠だった。
「いつだったか、撮影が終わり帰ろうとしたモデルが、履いてきた靴が見あたらないと言い出したことがありました。荷物に紛れ込んでしまったらしいのです。じっと聞いていらしたペンさんは、どこかに置いてあったご自分のスニーカーを差し出して、これを履いて帰りなさいとごく自然におっしゃった。そんな方なのです」
撮影には毎回おおまかなスケジュールがあった。
パリコレクションが終わり、服が東京のオフィスに戻ってきたところで、三宅と北村が撮影用の服を選ぶ。
「ペンさんがイメージを膨らませやすいだろうと思う服を選ぶようにしました。いくら素敵でも、フォルムが限定されるような服は持っていきませんでした。1回の撮影で撮るのは3、4カットですが、40セットほどを選び、ニューヨークにあるイッセイミヤケUSAのオフィスに送るのです」
そして北村はニューヨークに向かう。ペンとのミーティングまでにすべての服をラックに吊して完璧に準備をしておく。
ミーティングの日、ペンがオフィスを訪れるのは朝8時半。北村は準備した服を見せ、ペンのアンテナに触れたものがあると、待機しているモデルに着せていく。
「そうするとペンさんは、たとえば『その服はたしかに面白いけれど、ミドリ、脇にもっとボリュームをつけてくれないか』などとコメントされる。私は、困った、何もないけれどミニスカートを巻いてみようと考え、実際にやってみます。そうすると面白くなる。ペンさんはモデルにポーズを指示し、メイクアップやヘアはこうしようと、その場でヴィジュアルイメージが浮び、スケッチを描かれました。今回の展覧会では、そのスケッチも展示します」
お昼頃までにセレクションは終了、翌日からペン・スタジオで撮影が始まる。
「この撮影のメンバーは、ヘアはジョン・サハーグ、メイクアップはティエン、アイロンがけはセーディー・ホール、イッセイミヤケUSA代表の金井 純がコーディネーション、そしてスタイリングが私と、13年間不動でした。それは、とても稀なことです」
撮影は朝8時半から、全員で食べるランチをはさみ、18時に終了というスケジュールで、4 日間ほど続けられた。
撮影中、ペンのスタジオは音楽もなく、私語もなく、静けさに満ちていたと北村は言う。
「何かを落としたら全員がはっとするような静けさです。時おり聞こえるのは、ペンさんの指示とシャッターを切る音だけ。ぴんと張り詰めた空気が流れていました。今思うと、それはパリコレクションの準備中、三宅の周りに流れていた緊張感と同じものでした」
13年続いた撮影のなかで、特に思い出深い服やエピソードはあるかと訊ねた質問に、北村は、ありませんと答えた。すべてに同じエネルギーを注いだからと。つまり、すべてが特別だったということだ。
「私なりの解釈ですが、ペンさんは単に写真を撮るというよりは、まず世界を作り、それをカメラに収めたのだと思います。メイクもヘアも皮膚の色もすべて作りあげ、ひとつの服で世界を完成させていった。撮影が進むにつれて、まるでオペラを見ているような気持ちになったのを思い出します。驚きの連続でした」
(文中敬称略)
構成・文:カワイイファクトリー|原田環+中山真理(クリエイティブ エディターズ ユニット)
vol. 1 ディレクターの横顔
vol. 2 撮影の一部始終
vol. 3 「見る」ことが紡ぎ出す対話
9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。現在発売中のcommons&senseにてご紹介いただきました。
9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。現在発売中のソトコト10月号にてご紹介いただきました。
9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。本展ディレクターの北村みどりが語る展覧会の背景とその魅力を、3日連続でお届けします。
ディレクターの横顔
この展覧会のタイトルは何とも直球勝負である。
「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。
シンプルなタイトルには含みがある。とりわけ、Visual Dialogueという言葉には単なる写真展、単なる服の展覧会ではありませんよ、とほのめかしているような匂いというか、雰囲気が漂っている。
もちろん著名な写真家であるペンの作品は、展示される。東京で彼の仕事をまとまった規模で目にすることができるのは、1999年11月~2000年1月に東京都写真美術館で開催された回顧展「アーヴィング・ペン 全仕事」以来、2009年に彼が死去してからは初めてとなる。写真ファンにとっては待望の機会であり、予備知識なしで出かけても楽しめるのは確実だ。
けれども、この展覧会はあくまでも「二人の視覚的対話によって生み出された創造に焦点を当てるもの」である。だから、「視覚的対話」、すなわちVisual Dialogueとは何なのかを、そしてペンと三宅一生の関係を知っていれば、展覧会をより深く楽しめることは確かだ。
そんなわけで、この連載では、ディレクターの北村みどりに本展の背景に流れるストーリーを語ってもらうことで展覧会の魅力や見どころを探ってみようと思う。
その前に、北村みどりとはどんな人物なのか、そして彼女が展覧会ディレクターを務めることになった経緯から始めたい。
現在、三宅デザイン事務所の代表取締役社長であり、香水や時計などのプロダクトのクリエイティブ・ディレクションやプロデュースを手がける北村は、1976年にISSEY MIYAKEのアタッシェ・ドゥ・プレスに就任した。
「今でこそ、アタッシェ・ドゥ・プレスという仕事はファッションの世界では当たり前になりましたが、ブランドの総合的な広報・宣伝を担うこの仕事の存在を、当時の日本では誰も知らなかった。」
年2回のパリコレクションに同行し、広報に関わるあらゆる資料や印刷物を作り、さらに展覧会の立ち上げ、本の出版など、彼女は35年にわたって三宅一生のすべての活動に携わってきた。
1988年にパリで開催された「A-UN」展を境に、三宅の仕事は軽さと機能性を併せもつ新しい衣服の創造へと向かっていくことになるが、これに先立つように、アーヴィング・ペンと出会っている。1983年のことだ。
「三宅は学生時代からずっと、ペンさんの仕事を敬愛していましたが、『ヴォーグ』誌でペンさんが三宅の衣服を取り上げたことが、二人の交流のきっかけになりました。写真を見た三宅は「こんな見方ができるのか」と驚き、自分の服をペンさんに撮ってほしいと思うようになったのです」
三宅の夢は実現した。1987年の春夏コレクションから、ペンによるISSEY MIYAKEの服の撮影が開始されることになったのだ。
驚くべきことに、13年にわたって続けられたこの撮影に、三宅は一度も立ち会っていない。
「三宅は自分が行ってはいけないと自らに課しました。そばにデザイナー自身がいては自由で創造的な仕事はやりにくいだろう、すべてをペンさんに任せようと。そこで、私がスタイリング担当としてすべての撮影に立ち会うことになりました」
また、ペンも一度もパリコレクションを見ていない。ニューヨークのペン・スタジオに北村が持ち込む服を見て説明をうけた上で、撮影する服を選んでいた。
服作りの段階から三宅の仕事をかたわらで支えていた北村は、ペンという写真家がまったく新しい視点からその服を解釈し、作品化する過程にも立ち会うという、とても重要な役割を担っていたわけだ。
「私の仕事は、ペンさんが撮りたいと思う服のフォルムを作ること。責任は、すべて私にあります。最初の頃は足が動かなくなるくらい緊張して撮影に臨みました」
(文中敬称略)
構成・文:カワイイファクトリー|原田環+中山真理(クリエイティブ エディターズ ユニット)
vol. 1 ディレクターの横顔
vol. 2 撮影の一部始終
vol. 3 「見る」ことが紡ぎ出す対話
9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展。本展ディレクター、北村みどりのロングインタビューとペンの貴重な写真が、現在発売中のVOGUE JAPANにてご覧いただけます。
9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
明朝体のような繊細で力強い表現
──中野さんがアーヴィング・ペンさんを好きになったきっかけを教えてください。
僕は古いヴォーグの写真がすごく好きで、最初に買った写真集がアーヴィング・ペンの作品集で、一番影響を受けている人だと思います。同時代の写真家としてリチャード・アヴェドンがよく引き合いに出されてるんだけど、僕はアヴェドンは力強くてタフなゴシック体、ペンは繊細で流麗な明朝体というイメージを持っています。映像をやり始めた頃、どうやったらペンの写真のような映像が撮れるのか、試行錯誤しましたが、なかなか同じようなカットは撮れませんでした(笑)。
──ペンさんの写真の魅力はどこにあると思いますか?
まずは、一回見た写真は忘れられない、構図の面白さとインパクトの強さがあります。一瞬を選び取る取捨選択能力というか、決意というか、一生さんとの仕事にしても、洋服のディテールと文脈を熟知して、見せるポイントをすべて押さえた上で、強烈な写真を撮る。一生さんとのお仕事は、ペンさんが70歳くらいの時に撮影されたものだそうですが、それもよくわかります。若い時からずっと第一線で写真の仕事をしてこられて、50歳を過ぎる頃からだんだんと仕事がスローペースになり、シャッターを切る回数が減っていく。そして人生の熟成時期に入って、さらに新しく面白い写真に挑戦する。それには一生さんの服の影響もあると思います。こんなに刺激的な服を与えられたら、それをどう撮ろうかと考えるのが愉しくてしょうがなかったでしょうね。お二人の仕事を見ると、その楽しさがひしと伝わってくるんです。
──中野さんが最近取り組まれている仕事を教えてください。
9月17日、18日にせんだいメディアテークで開催される「仙台短編映画祭11」のプロジェクト「311仙台短編映画制作プロジェクト作品『明日』」に参加しています。40人の映画監督が3分11秒の短編映画を撮るもので、僕は三ヶ月くらい悩んで『明日』という作品を撮りました。ぜひご覧ください。
(聞き手:上條桂子)
2011年9月23日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに中野裕之が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「 操上和美さんに聞いてみたかった」の動画を見る
中野裕之 Hiroyuki Nakano
映画監督、映像作家
音楽的な映像表現で知られ、これまでに国内外の有名アーティストのPVを数多く手がけている。映画「SFサムライフィクション」プチョンファンタスティック映画祭グランプリ、短編『アイロン』カンヌ国際映画祭国際批評家週間ヤング批評家賞。現在、美しい地球を収めた最新作「美しい惑星」が発売中。
9月16日から開催する「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
物事の本質に真正面から切り込む写真
──アーヴィング・ペンさんの写真とはどのように接してこられたか教えてください。
アーヴィング・ペンの写真については、「田中一光と三宅一生の仕事」、マイルス・デイヴィスのポートレート、Flowers、ファッション写真と要所要所で見ており、非常に印象深い記憶として残っていたんですが、一つひとつがバラバラで自分にとっては「点」でしかありませんでした。そのいくつもの点が初めてつながったのは、21_21 DESIGN SIGHTを立ち上げる際に、どのような展覧会をやっていくべきか、どんなテーマで展覧会ができるかについて検討中、一生さんからいろいろな資料を見せていただきながら話し合っていた時のことです。数年前のことなんです。
非常に印象的だったのは、女性の口元にチョコレートがまみれている写真と、パンと塩と水の写真です。一生さんにそれらの写真を見せてもらった時、ペンさんのあらゆる物事にグッと切り込んでいく、その切り込み方の絶妙さに衝撃を受けました。
チョコレートの写真は、女性の口元を至近距離で撮影しているんですが、その写真を見ただけで本質的なことがすべて見えてくるんです。パンと塩と水の写真もそう。決して斜からではなく、真正面から対象と向かい合い、本質に切り込んでいく。そして、見る者にいろんなテーマを投げ掛けてくるんです。
僕はその時ちょうど水にすごく興味があった時で、水という、非常に抽象的な、でも我々の生活に欠かせないものをひとつ取り上げて展覧会を作ることができるんだということを確信しました。ペンさんの写真を見ると、僕たちの日常に転がっているものは、何だって本質を掘り下げていけば展覧会のテーマになり得るんだと思える。1枚の写真から、そういうものの感じ方ができたのは、非常に刺激的な体験でしたね。
──佐藤さんは、今回の展覧会でグラフィックデザインを担当されていますが、仕事としてアーヴィング・ペンさんの写真と接してこられた感想をお聞かせください。
偉大なペンさんの写真を、まさか自分がレイアウトすることになるとは思いませんでした。今回の展覧会ディレクターである北村みどりさんからデザインを依頼された時は、やはり、ペンの写真に文字を載せられるは田中一光さんだけだと思いましたし、そんな大役が自分に務まるのか、という思いがありました。
メインのビジュアルになっている、花と三宅さんの服の二つの写真を1枚の絵の中で見せるというのは、北村さんの発想によるもので、ずっとペンと一生さんの間で一緒に仕事をされてきた北村さんだからこそできる大胆なフォトディレクションだと思います。通常、アーヴィング・ペンほどの写真家の作品を使う場合は、ノートリミングでそのまま作品として掲載しますよね。ペンの写真を素材にして加工を加えるなんて、あり得ないことです。ですが、花と服の写真を1枚の絵として見せる時には、どうしても加工を加えなければならない。1枚の作品として完成されたペンの写真に手を入れるのは非常に緊張する作業でした。でも、そういった特別な機会をいただき、ペンの写真と真正面から向き合ったことで、これまでにないビジュアルが提示できたと思います。
──最後に、佐藤さんの最近のお仕事を教えてください。
4月からNHKの教育テレビで『デザインあ』という番組が始まり、中村勇吾さんと一緒にその番組に携わっています。子どもに対してデザインとは何かを語りかける番組なのですが、作っている自分たちも、常にデザインの本質について考えさせられています。
(聞き手:上條桂子)
2011年10月23日に21_21 DESIGN SIGHTで開催された展覧会関連プログラムに佐藤 卓が出演しました。
トークの様子は動画でお楽しみいただけます。
トーク「衣服、写真、デザインの関係」の動画を見る
佐藤 卓 Taku Satoh
グラフィックデザイナー
1979年東京藝術大学デザイン科卒業、1981年同大学院修了、株式会社電通を経て、1984年佐藤卓デザイン事務所設立。
「ロッテ キシリトールガム」「明治おいしい牛乳」などのパッケージデザイン、「ISSEY MIYAKE PLEATS PLEASE」のグラフィックデザイン、武蔵野美術大学 美術館・図書館のロゴ、サイン及びファニチャーデザインを手掛ける。また、NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」の企画メンバー及びアートディレクター・「デザインあ」総合指揮、21_21 DESIGN SIGHTのディレクターも務めるなど多岐にわたって活動。
「アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue」展(会期:2011年9月16日〜2012年4月8日)にあわせ、各界をリードするクリエーターの方々に、ペンの写真の魅力について語っていただきます。
- vol.1
- 佐藤 卓(グラフィックデザイナー)
物事の本質に真正面から切り込む写真 - vol.2
- 中野裕之(映画監督、映像作家)
明朝体のような繊細で力強い表現 - vol.3
- 石川直樹(写真家)
衝撃を受けて西アフリカまで訪ねていった、ダオメの写真 - vol.4
- ヴィンセント・ホアン(写真家)
ペンの「静」な生き方に学ぶ - vol.5
- 平野啓一郎(小説家)
人や職業の典型をとらえる収集家のような写真 - vol.6
- 操上和美(写真家)
「生」の瞬間が伝わってくる写真 - vol.7
- 日比野克彦(アーティスト)
平櫛田中とアーヴィング・ペンと三宅一生の共通点 - vol.8
-
深澤直人(プロダクトデザイナー)
ISSEY MIYAKEのイメージを具体化しているのは、実はアーヴィング・ペンなのかもしれない - vol.9
- 広川泰士(写真家)
オリジナルプリントから圧倒的な強さが漂う - vol.10
- ピーター・バラカン(ブロードキャスター)
セローニアス・マンクの音楽のような、決して真似のできない写真と服 - vol.11
- 高木由利子(写真家)
自分と真逆だから惹かれる、ペンの写真 - vol.12
- 浅葉克己(アートディレクター)
人間にとって一番大切なもの「観察力」が見事な人 - vol.13
- 加納典明(写真家)
静物写真の中に宿っているペンの写真的技術と精神的眼力 - vol.14
- ジャン・リュック・モンテロッソ(ヨーロッパ写真美術館館長)
礼儀正しさと優雅さを持ち合わせた、写真界の紳士 - vol.15
- 吉岡徳仁(デザイナー)
揺るぎない「強さ」がある 圧倒的な力を持った、ペンさんの写真 - vol.16
- ジャスパー・モリソン(デザイナー)
加工が盛んな現代だからこそ際立つ、銀塩写真の力 - vol.17
- 深谷哲夫(株式会社 解体新社 代表)
ニューヨークの空気を深く吸い、独自の黄金律で再構築した人 - vol.18
- 坂田栄一郎(写真家)
60年代のNYで体験したペンとアヴェドンとの交流 - vol.19
- 細谷 巖(アートディレクター)
寝ても覚めてもアーヴィング・ペンだった - vol.20
- マイケル・トンプソン(フォトグラファー)
ペンさんから教わったのは、シンプルの追求 - vol.21
- 小林康夫(東京大学大学院総合文化研究科 教授)
衣服と写真と文字 動くボディについて考える - vol.22
- 柏木 博(デザイン評論家)
穏やかで静かな、ペンの視点 - vol.23
- 鈴木理策(写真家)
すべての作品に共通する職人的な技術と品の良さ - vol.24
- 藤塚光政(写真家)
シュルレアリスムを感じさせる、ペンの写真 - vol.25
- 佐藤和子(ジャーナリスト)
現実と虚構を行き来する、夢あるクリエイション - vol.26
- 八木 保(アートディレクター)
決して作為的ではない、ストレートな表現 - vol.27
- シャロン・サダコ・タケダ(ロサンゼルス・カウンティ美術館シニアキュレーター、コスチューム・テキスタイル部門長)
常に新しい表現に挑戦する、素晴らしい才能を持つ二人 - vol.28
- マイケル・クロフォード(カートゥーニスト)
シンプルでパワフルなアートの力を実現した、二人の希有なコラボレーション - vol.29
- ブリット・サルヴェセン(ロサンゼルス・カウンティ美術館キュレーター、ウォーリス・アネンバーグ写真・プリント・ドローイング部門長)
二人の才能のダイアローグをヴィジュアライズしてくれた展覧会 - vol.30
- 北村みどり(株式会社三宅デザイン事務所 代表取締役社長)
類のない創造を生み続けるアーヴィング・ペンさんとの13年間
三宅は声にはならない言葉をペンさんに投げかけ、ペンさんはそれを受けとめてくださる。絶妙な呼吸でコミュニケーションが成り立つ--------奇跡のような恊働の仕事の存在を展覧会というかたちで紹介します。そのプロセスと人間の創造力の素晴らしさを、この展覧会を通して感じていただきたいと思っています。
北村みどり(本展ディレクター)