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建築 (116)
2024年9月21日、21_21 DESIGN SIGHTギャラリー3「六本木六軒:ミケーレ・デ・ルッキの6つの家」の開幕に合わせて来日したミケーレ・デ・ルッキにより、特別なギャラリートークを開催しました。
来場者とともに作品を囲みながら、今回の展示が自身の出身であるイタリアと日本の架け橋となり、それぞれ異なる文化の中にも共通点があることを伝えます。風通しや移りゆく光、外と中の関係、建築とインスタレーション、永遠と一時的、イタリアと日本など、創造における対比と共生の大切さを表現したとデ・ルッキは話します。
21_21 DESIGN SIGHTが位置する六本木という地名との偶然の一致を知り、ROPPONNGI ROKKENと名付けた本展では、6つの家「ロッジア」を展示しています。そのうち3つは木製で、3つはブロンズで制作されています。この2つの伝統的な素材は、古くから人々の生活を支える文明の基盤となったマテリアルです。木は空に向かって伸びる木々の生命から生まれた有機的な素材であり、ブロンズは地球の奥深くに眠る鉱物でもあります。根源的な素材と向き合うことで、先人たちの思いを未来へ繋ぐように、自らの手を通しながら作品へ込めました。
展示空間の直線的な要素に呼応するように制作された有機的な土台は、すべて手作業で制作されました。天然のオーク材に伝統的な手法で酢を塗ることで、経年変化とともに深い黒色になります。人類が自然と共生しながら続く未来への時間を表現しました。
来場者に向けて、デ・ルッキは次のように語りかけます。「私の仕事はデザインすることであり、デザインすることは全身全霊で未来に飛び込むことを意味します。ですから私が唯一できることは、不安や心配のない未来について想像することだけです。私は楽観的になることが大切だと思います。だからこそ自分自身にも、そして皆さんにもこう言いたいのです。未来について悲観的に考えることは、何の意味もありません!LET'S BE HAPPY(幸せになりましょう!)」
会場からの質問にも答えながら、デ・ルッキ自身が伝えたかった制作活動における哲学や未来へのビジョン、そしてメッセージ「LET'S BE HAPPY(幸せになりましょう!)」を、こどもから大人まで、様々な来場者と分かち合う機会となりました。
Photo by Kotaro Tanaka
ギャラリー3では、2024年9月20日(金)から10月14日(月・祝)まで「六本木六軒:ミケーレ・デ・ルッキの6つの家」を開催しています。
ミケーレ・デ・ルッキは、イタリアに生まれ、1970〜80年代には前衛的なデザイナー集団「アルキミア」、「メンフィス」の中心的人物の一人として活動したのち、世界的に建築や家具を手がけてきました。一方で、20年以上にわたり、手を動かしてドローイングや絵画、木彫の制作に取り組み、それが建築形態の本質を追求する原動力になってきたと言います。
会場のエントランスには、デ・ルッキ自身が木材を切ったり、職人がブロンズの鋳造や台座となる丸太の加工をする様子を写した制作課程の映像が展示され、デ・ルッキのメッセージを聞くことができます。
「ロッジア」は風を通し、光を通す透明な家だと語るデ・ルッキ。「それらは、住宅の人工的で空調された環境と、自然のオープンスペースとの間の中間の建築物であり、特徴は異なりますが、東洋と西洋の両方に共通しています。このロッジアは今日、人間と自然との新たな関係の象徴であり、イタリア文化と日本文化を結び付けています。」
会場の奥に展示された、ヴィクトル・コサコフスキー監督による美しい制作風景の映像を通じて、デ・ルッキの哲学を知ることもできます。
デ・ルッキは言います。「私の仕事はデザインすることであり、デザインとは全身全霊で未来に飛び込むことを意味します。若い頃、私は自分のエネルギーを注ぐ分野を一つ選べないことに非常に苦しみました。私は自分が急進的な建築家の一人であることに気付き、建築家は家を建てるのではなく、行動を促すのだと言って、建築家の伝統的な考え方に異議を唱えました。デザイナーとしては、機械で作られたものの完璧さと単調さが気に入りませんでした。私は画家になり始めましたが、さらに、木で彫刻を始め、彫刻家になりました。今ではそれだけでは物足りなくなり、小説を書いています。そして、方向転換を50年以上経て、この優柔不断さがどれほど幸運だったか、そして空間や物の世界をさまざまな角度から取り組むことをどれほど楽しんでいたか、私は驚きをもって気づきました。三宅一生さんも制約や限界のない創作の世界を体験したからこそ、きっと私のことを理解してくださったはずです。」
1980年代に初めて日本で出会い、それ以来親交を深めてきたデ・ルッキと三宅が、2018年に交わした会話がきっかけで企画された本展の裏には、二人の友情がありました。ぜひ会場でデ・ルッキの想いを感じてください。
撮影:吉村昌也
現在開催中の企画展「クリストとジャンヌ=クロード "包まれた凱旋門"」に関連して、『AXIS』219号に、クリスト・アンド・ジャンヌ=クロード財団ディレクターのヴラディミール・ヤヴァチェフ氏のインタビューが掲載されました。
詳細と購入に関しては、AXISのウェブサイト(外部サイト)をご確認ください。
現在開催中の企画展「クリストとジャンヌ=クロード "包まれた凱旋門"」に関連して、本展特別協力の柳 正彦によるレクチャーシリーズ「二人のアーティスト:創作の64年」(全4回)が始まりました。
2022年7月28日(木)、シリーズの第1回として「『包まれた凱旋門』への道」と題し、オンラインにてトークを開催しました。
©1985 Christo and Jeanne-Claude Foundation
©1995 Christo and Jeanne-Claude Foundation
©2021 Christo and Jeanne-Claude Foundation
クリストとジャンヌ=クロードから「ジャパニーズ・サン(日本の息子)」と呼ばれ、1980年代から数々のプロジェクトに携わってきた柳。トークでは、柳だからこそ知ることのできたエピソードを交えながら、64年にわたるクリストとジャンヌ=クロードの創作活動を振り返り、二人がなぜ「包まれた凱旋門」をつくったのか、その理由に迫りました。
トークは二人の生い立ちから始まります。幼いときの写真資料やクリストのインタビュー映像を紹介しながら、二人がアーティストとなった経緯やこれまでのアーティスト活動を時系列に沿って解説しました。
クリストは1950年代末から電話や家具など身の回りにあるものを包み始め、作品のスケールは次第に建物へと大きくなっていきます。1961年にクリストはいくつかのフォトモンタージュ(合成写真)を制作します。この頃から、大規模なプロジェクトの構想を紙の上で提示するという手法を始めたといいます。その翌年1962年には「包まれた凱旋門」プロジェクトのフォトモンタージュが制作されます。
1964年にそれまで住んでいたパリからニューヨークに移り住むと、「包まれた凱旋門」の構想は心の片隅にしばらく置かれることになります。その後、初めて公共建物のプロジェクトが実現したのは1968年、スイスのベルン市美術館(「包まれたベルン市美術館、1967–68」)でした。70年代から80年代は、「ヴァレー・カーテン、コロラド州ライフル、1970–72」「ランニング・フェンス、カリフォルニア州ソノマ郡とマリーン郡、1972–76」など、「包む」以外のプロジェクトが中心になっていきます。数々の作品の実現を経て、それまで二人が包んだ中で最大規模の建物である「包まれたライヒスターク、ベルリン、1971–95」が実現します。そして2017年、「包まれた凱旋門」プロジェクトが再スタートしたのです。
「包まれた凱旋門」がそれまでと違った点は、「オーダーでつくった服をまとっているように見えること」だと柳は話します。前もって計算してつくった形をかける方法はベルン市美術館のときには見られませんでした。その違いを生み出しているのは、布の下にフレームを入れていることだといいます。建物の装飾を保護するためだけではなく、フレームが建物に新しい形を与えている。包み隠すのではなく、布とフレームによって新しい外観を与えているのだと説明します。
トークの後半では、二人がどのようにプロジェクトを進行していったか、またワーキング・ファミリーについてにも触れました。
質疑応答では、なぜ「包む」のか、「包み方」がどのように変化してきたのか、資金調達や二人の役割分担についてなど、長年共に過ごしてきた柳自身の見解も交えながら、深い考察に触れ、質問が尽きない中でトークは終了となりました。
本レクチャーシリーズ第2回は9月29日(木)に開催します。テーマは「日本とのつながり」です。詳細は企画展「クリストとジャンヌ=クロード "包まれた凱旋門"」の「関連プログラム」をご確認ください。みなさまのご参加をお待ちしています。
2022年8月4日から11日までの8日間、企画展「クリストとジャンヌ=クロード "包まれた凱旋門"」の関連プログラムとして、造形作家の関口光太郎によるワークショップ「みんなの形で凱旋門を包もう(エッフェル塔も!)」を開催しました。
ワークショップでは、まず講師の関口より、新聞紙とガムテープを上手に使うコツの説明があり、そこからイメージを膨らませた参加者は思い思いに好きな形をつくります。
親子で力を合わせたり、友達同士で楽しみながらつくったりと、子どもから大人まで夢中になって工作を続けます。
動物や植物、乗り物、食べ物など、細かい部分を忠実に再現したものから、エネルギッシュで大きなものまで、参加者の自由な創造力でたくさんの形が完成しました。
参加者が完成した形を関口に手渡すと、関口が凱旋門とエッフェル塔の骨組みに取り付けていきます。
凱旋門とエッフェル塔の骨組みは、関口自身と参加者のみなさんが制作した形であっという間に埋め尽くされ、8日間で素晴らしい作品が完成しました。
完成した「新聞紙とガムテープで包まれた凱旋門」と「新聞紙とガムテープで包まれたエッフェル塔」は、2022年8月28日まで東京ミッドタウンのプラザB1に展示されます。
東京ミッドタウンを訪れる人々の心をワクワクさせてくれるでしょう。
ワークショップ開催中の様子は、21_21 DESIGN SIGHT公式Instagramのハイライトにてご覧いただけます。また作品が完成した直後の関口のコメント動画を21_21 DESIGN SIGHT公式Vimeoアカウントにて公開しています。
フランスの国家を代表するナショナルモニュメントであり、世界的に有名な建造物の「エトワール凱旋門」を布とロープで包んだプロジェクト「L'Arc de Triomphe, Wrapped, Paris, 1961–2021(包まれた凱旋門)」を紹介する企画展「クリストとジャンヌ=クロード "包まれた凱旋門"」では、プロジェクトの制作過程や、実施中の風景をインスタレーションで展示しています。街の音や凱旋門のスケール感、そしてクリストとジャンヌ=クロードの出会いからのストーリーなどを通じて、会場全体がパリを舞台にした映画のようにも感じられるかもしれません。
このようにフランスとの関わりの深い内容でもある本展は、在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本の後援を受け開催しています。
本展が開幕して間もなく、フィリップ・セトン駐日フランス大使夫妻が来場されました。夫妻は、本展ディレクターのパスカル・ルランや、特別協力のクリスト・アンド・ジャンヌ=クロード財団より来日していたヴラディミール・ヤヴァチェフ氏、ロレンツァ・ジョヴァネッリ氏らの説明を受けながら、時間をかけて展示を鑑賞されました。
アンスティチュ・フランセ日本は、2012年にフランス大使館文化部と東京日仏学院、横浜日仏学院、関西日仏学館、九州日仏学館が統合し誕生したフランス政府公式機関です。日仏の文化交流活動のほか、フランス語講座を開講し、フランス発の文化、思想、学問を発信しています。
2022年7月、フランスの文化を学ぶクラスから講師と生徒20人が来場し、本展を鑑賞しました。展示を通じてクリストとジャンヌ=クロードの情熱に触れただけではなく、講師のセドリック・リヴォー氏自身が実際に体験した「包まれたポン・ヌフ、パリ、1975–85」の感動を伝えるなど、フランス人、フランス文化を学ぶ人、それぞれの視点から感じることを語り合う時間となりました。
2022年6月23日、企画展「クリストとジャンヌ=クロード "包まれた凱旋門"」に関連して、オープニングトーク「『包まれた凱旋門』の実現とこれから」をオンラインで開催しました。
本プログラムには、本展特別協力のクリスト・アンド・ジャンヌ=クロード財団から、ディレクターでありクリストの甥のヴラディミール・ヤヴァチェフ氏と、同財団ディレクターのロレンツァ・ジョヴァネッリ氏、展覧会ディレクターのパスカル・ルラン、モデレーターとして21_21 DESIGN SIGHT アソシエイトディレクターの川上典李子が出演しました。
クリストとジャンヌ=クロードの人生と、2021年にパリで実施された「包まれた凱旋門」について、また本展をつくり上げるプロセスや見どころについて語り合いました。
まず川上が、「包まれた凱旋門」プロジェクトの背景についてヴラディミールに問います。
「包まれた凱旋門」のプロジェクトの構想は、1961年にクリストが作成したフォト・モンタージュから始まり、60年の時を経てプロジェクトは実現しますが、驚くことに2017年に動き出したその認可の進行はとてもスムーズだったと説明しました。それは、1985年のパリでの大規模なプロジェクト「包まれたポン・ヌフ」が非常に素晴らしい記憶としてパリの人々に残っていたからだといいます。
続けて、実施にあたり乗り越えなければならなかった課題はどんなことだったのか、川上は問いました。
ヴラディミールは「世界的に有名なモニュメントを包むことは、価値を付けられないほどの重みがあった。また、2020年に他界したクリストが現場にいなかったため、その喪失感で気持ちを維持していくことが困難だった。」と述べました。
(Photo: Wolfgang Volz ©2019 Christo and Jeanne-Claude Foundation)
次に、川上からロレンツァへ、活動を記録し、整理して伝えるアーカイブの仕事について尋ねました。
ロレンツァは2016年に実施されたイタリア・イセオ湖でのプロジェクト「フローティング・ピアーズ」に2014年から参加し、現場で活動する楽しさを知っていることに触れ、クリストとジャンヌ=クロードの作品の特性でもある"期間限定であること"が、美しさや素晴らしさをより一層濃厚にしてくれると語りました。
また、自身が担当しているアーカイブの重要性については、「作家や作品の情報はもちろん、アーティストの人生や、手がけてきた芸術を理解するための手がかりにもなる。今後の研究においても極めて重要な価値のある資料にもなり得る。」と述べました。そして本展では、本来知ることが難しい、プロジェクトに関わる人々の姿をきちんと伝えることが出来ていると続けました。
(Photo: Benjamin Loyseau ©2021Christo and Jeanne-Claude Foundation)
最後に本展ディレクターのパスカル・ルランから、展覧会をつくりあげるプロセスを説明しました。本展への参加が決まった際にパスカルがまず行ったことは、クリスト・アンド・ジャンヌ=クロード財団から手に入れることのできる資料をすべて集め、それらに目を通すことでした。「パリの規模や包まれた凱旋門のスケール、制作のプロセス、またプロジェクトに関わる人々の技術を、説明文ではなく、視覚的に伝えられる展覧会構成を目指した。」と述べました。
トーク終盤では、視聴者から三者への質疑応答も実施されました。今後の展望として、アラブ首長国連邦の砂漠に41万個のドラム缶を積み上げるという、1977年から進行中のプロジェクト「マスタバ」についても触れました。「包まれた凱旋門」プロジェクトと今後の二人の活動の紹介を通して、クリストとジャンヌ=クロードが大切にしてきたことをもうかがい知ることのできる、貴重な機会となりました。
2022年6月13日、企画展「クリストとジャンヌ=クロード "包まれた凱旋門"」が開幕しました。
開幕日である6月13日は、クリストとジャンヌ=クロード二人の誕生日です。クリストは1935年6月13日、ブルガリアのガブロヴォで生まれ、ジャンヌ=クロードは同年同日にモロッコのカサブランカで、フランス人の両親の元に生まれました。
本展は二人のパリでの出会いに始まり、「包まれた凱旋門」の構想から実現までの長い道のりをさまざまな手法で展示します。
長い年月をかけ、さまざまな困難を乗り越えて実現へと向かう、ポジティブで力強い姿勢。また、そのような二人の強い思いの元に集まってきた仲間たちの存在があるからこそ、今までだれも見たことのない作品を生み続けることができるのです。
激動の時代のなかにあってもなお状況を切り拓き、喜びをもたらす創造の大きな力そのものに目を向けます。
撮影:吉村昌也/Photo: Masaya Yoshimura
21_21 クロストーク vol.3「二人が見た『包まれた凱旋門』」を開催
6月13日から始まる企画展「クリストとジャンヌ=クロード "包まれた凱旋門"」。これに関連して5月11日、柳 正彦と青野尚子による21_21 クロストーク vol.3「二人が見た『包まれた凱旋門』」が開催されました。
21_21 DESIGN SIGHTでクリストとジャンヌ=クロードにフォーカスした展示をするのはこれが3回目になります。2010年の「クリストとジャンヌ=クロード LIFE=WORKS=PROJECTS」の展覧会ディレクターを務めた柳 正彦はクリストとジャンヌ=クロードと長年にわたって協働してきました。オンライントークでは柳に、クリストとジャンヌ=クロードを中心としたグループ展「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」(2017年)の展覧会ディレクターを務め、柳とともに実際にパリで凱旋門プロジェクトを体験した青野尚子が聞きました。
(文:青野尚子)
「L'Arc de Triomphe, Wrapped, Paris, 1961–2021(包まれた凱旋門)」が実施されたのは2021年9月18日〜10月3日の16日間。もともとは2020年春に予定されていましたが、春は希少な鳥が凱旋門に巣を作ること、またコロナ禍もあって延期されました。実施期間中はコロナによる移動制限もあり、海外でクリストとジャンヌ=クロードとコラボレーションしてきた柳も不安が多かったと言います。
「クリストとジャンヌ=クロードは『作っているプロセスも作品の一部。苦労が大きいほど、喜びも大きい』と言っていました。今回は行くまでのプロセスが大変だった分、それを乗り越えて間近に見た『包まれた凱旋門』には特別の感慨がありました」(柳)
実際に現地で見た「包まれた凱旋門」はどのような様子だったのでしょうか。
「僕は凱旋門が見えるところにホテルをとったので好きな時に見られたのですが、とりわけ日の出と日没時の眺めは素晴らしいものでした。太陽の光が強くなったり弱くなるのにあわせて凱旋門を包んだ布がピンク色や金色に輝くんです。週末にアーチ上部から掲げられる巨大なフランス国旗が風にはためくのもよかった」(柳)
前述したように21_21 DESIGN SIGHTでクリストとジャンヌ=クロードにフォーカスするのは今回で3度目。また「包まれた凱旋門」についてのドキュメントがまとまって展示されるのは世界でも初めての機会になります。その背景には、三宅一生とクリストとジャンヌ=クロードたちの長年の交流がありました。
「あるとき、日本で開かれたレセプションパーティーにジャンヌ=クロードがイッセイ ミヤケのドレスを着てきたんです。ジャンヌ=クロードが一生さんに『これはあなたのデザインしたドレスよ』と言ったのですが、一生さんは覚えがないという。よく見たらジャンヌ=クロードはドレスを上下逆に着ていたんです(笑)。そこで二人で人目に付かないところに行って、直してきたことがありました」と柳は懐かしそうに語ります。
21_21 DESIGN SIGHT企画展「クリストとジャンヌ=クロード "包まれた凱旋門"」では「包まれた凱旋⾨」の実現までの道のりをシネマティックに紹介します。布で包む凱旋門などのプロジェクトとはまた違う側面を見ることができます。クリストとジャンヌ=クロードはプロジェクトの現場でリアルな空気、音、日差しを感じてほしい、と語っていました。「包まれた凱旋門」を始めとするプロジェクトの『リアル』を想像しながら展示をお楽しみください。
世界各地の建造物や自然を巨大な布で"梱包"するプロジェクトで知られる、現代美術家の故クリストとジャンヌ=クロード。
二人が1961年に構想を始めたパリのエトワール凱旋門を梱包するプロジェクト「L'Arc de Triomphe, Wrapped」が、2021年9月18日から10月3日の16日間にわたり実現しています。二人の遺志を継いで60年越しに立ち現れた光景は、公式ウェブサイトで世界中から見ることができます。
これまで21_21 DESIGN SIGHTでは、2010年の「クリストとジャンヌ=クロード展 LIFE=WORKS=PROJECTS」、2017年の企画展「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」を通して、二人の活動の軌跡を紹介してきました。
そして現在、ギャラリー1&2の1階スペースでは、パリの「L'Arc de Triomphe, Wrapped」プロジェクトチームから受け取った、エトワール凱旋門を包む布とロープを展示しています。本展示は10月15日まで無料でご覧いただけます。ぜひお立ち寄りください。
現地を訪れることが難しい今、少しでも多くの方がこの壮大なプロジェクトに触れる機会となることを願います。
Photo: Benjamin Loyseau
© 2021 Christo and Jeanne-Claude Foundation
2021年7月2日、いよいよ「ルール?展」が開幕します。ここでは、一足先に会場の様子を紹介します。
私たちは、さまざまなルールに囲まれながら暮らしています。それらのルールは今、産業や社会構造の変化などに伴い、大きな転換を迫られています。
この展覧会では、私たちがこれからの社会でともに生きていくためのルールを、デザインによってどのようにかたちづくることができるのか、多角的な視点から探ります。
私たち一人ひとりが、ルールとポジティブに向き合う力を養う展覧会です。
撮影:吉村昌也/Photo: Masaya Yoshimura
2020年12月25日より、「AUDIO ARCHITECTURE in台北」が台北の華山文化創意園區(Huashan 1914 Creative Park)にて開催されています。
主催者のINCEPTION、ご関係者の皆様の多大なるご尽力のおかげで、国境を超えて21_21 DESIGN SIGHT企画展「AUDIO ARCHITECTURE:音のアーキテクチャ展」をお届けすることができました。
「AUDIO ARCHITECTURE in台北」では、2018年に21_21 DESIGN SIGHTで開催した際の会場構成を忠実に再現しており、音楽と映像が織りなす「音楽建築空間」をお楽しみいただけます。
また、会場では新たに台北巡回展オリジナルグッズを販売しています。
2021年4月6日まで開催していますので、台北にいらっしゃる方はぜひお立ち寄りください。
台北のお客様に大変ご好評をいただいています。会場の様子は主催者INCEPTIONのSNSでご覧いただけます。
Instagram: https://www.instagram.com/inception_co/
Facebook: https://www.facebook.com/inceptionltd/
Official Website: https://www.inception-ltd.com/
ギャラリー3では、2020年10月30日から11月8日まで、「2020年度ロングライフデザイン賞受賞展」が開催されています。
長年にわたりユーザーからの高い支持を得て、今後もその価値を発揮し続けるであろうと考えられるデザインを顕彰する「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」は、1980年に創設されました。変わらないことや、継承・伝承することの意義に目を向けた、国際的にもユニークな賞です。この賞が大事にしている「デザインが私たちの暮らしを豊かに支え、日常の風景の一端を形づくってきた」という考え方に沿い、10年以上にわたり販売・提供されている商品、建築施設、サービス、コンテンツなどの中から、今年度は19件が受賞しました。
昨年に引き続き、ギャラリー3で開催される本展では、糊やペンなどの慣れ親しまれた小さな日常品から、建築、電車などの実物展示が叶わないものまで、本展ならではの展示デザインにより幅広いジャンルの最新の全受賞作をご覧いただけます。
2020年10月16日、いよいよ「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」が開幕します。ここでは、一足先に会場写真を紹介します。
わたしたちは、自分をとりまく世界を感じ、表現して、他者とわかりあおうとします。相手によって、ことばを選んだり、言語を変えたり、ジェスチャーを交えたりして表現しようとするこの過程は、どれも「翻訳」といえるのではないでしょうか。 そして、そのような翻訳を行うとき、わたしたちは少なからず「言葉にできなさ」「わかりあえなさ」を感じます。
本展は、「翻訳」を「コミュニケーションのデザイン」とみなして、そのさまざまな手法や、そこから生まれる「解釈」や「誤解」の面白さに目を向けます。国内外の研究者やデザイナー、アーティストによる「翻訳」というコミュニケーションを通して、他者の思いや異文化の魅力に気づき、その先にひろがる新しい世界を発見する展覧会です。
撮影:木奥恵三/Photo: Keizo Kioku
新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点から開催が延期となっていた「AUDIO ARCHITECTURE in 台北」の新会期が決定しました。
2020年12月25日から2021年4月6日まで、華山文化創意園區(Huashan 1914 Creative Park)で開催されます。
2018年に開催し、好評を博した21_21 DESIGN SIGHT企画展「AUDIO ARCHITECTURE:音のアーキテクチャ展」は、台湾でどのような「音楽建築空間」をつくりだすのでしょうか。ぜひご期待ください。
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Official Website: https://www.inception-ltd.com/
- 会期
- 2020年12月25日(金)- 2021年4月6日(火)
2021年2月11日(木)休館 - 会場
- 華山1914華山文化創意園區 東2AB館
(100 台北市中正區八德路一段1號)
Huashan 1914 Creative Park
(No.1, Bade Road Sec.1, Zhong Zhen District, Taipei 100) - 主催
- 啟藝文創 INCEPTION CULTURAL & CREATIVE Co., Ltd.
- 企画
- 21_21 DESIGN SIGHT
Photo: Atsushi Nakamichi (Nacása & Partners Inc.)
2020年10月16日に開幕となる企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」。「翻訳=トランスレーション」をテーマに、言葉の不思議さや、そこから生まれる「解釈」や「誤解」の面白さを体感し、互いの「わかりあえなさ」を受け容れあう可能性を提示する展覧会です。
開催に先駆けて2020年1月15日、メンバーシップやパートナーの方限定のスペシャルトークイベントを開催しました。登壇したのは、展覧会ディレクターのドミニク・チェン、企画協力の塚田有那、会場構成を務めるnoizの豊田啓介、グラフィックデザインの祖父江 慎です。また、参加作家である清水淳子が参加し、対話や議論をその場で絵にするグラフィック・レコーディングにより、トークをリアルタイムでビジュアル化しました。
まずは、チェンが本展の主題である「翻訳」について話しました。
日本でフランス国籍者として生まれ、幼稚園から在日フランス人学校に通っていたチェンは、幼い頃よりフランス語と日本語が入り混じった環境の中で翻訳を身近なものとして体験してきました。また、7つの国と地域の言葉を使い分ける多言語話者である父の存在によって、言語は固定されたものではなく文脈に応じて交換可能なものと認識していったと言います。
「トランスレーションズ展」という展覧会タイトルには、「翻訳=トランスレーション」に"S"をつけて複数形とすることで、正確さが求められる通常の翻訳だけでなく、そこからこぼれ落ちる誤訳や誤解の面白さといった多様な翻訳のあり方を肯定する意味が込められていると語りました。
次に、チェンと塚田がともにボードメンバーとして参加した情報環世界研究会について話は及びました。
情報環世界研究会とは、人間は言語や文化や取り巻く情報環境によってそれぞれ異なる世界を生きているとして、現代における情報やコミュニケーションのあり方を探ったプロジェクトです。
本展では、情報環世界という考え方を取り入れて、人と人との間に常に存在する「わかりあえなさ」や、そこから生じる摩擦や分断を「翻訳」を通して共感しあうことができないかと考えます。そして、言語だけでなく視覚や文化など非言語的な翻訳から、サメと人、微生物と人といった異種間のコミュニケーションまで様々な「翻訳」の試みを紹介します。
塚田は、想像力と技術を用いた多様な翻訳のかたちを提示することで、「わかりあえなさ」とどう向き合い、楽しむことができるのかを考えるきっかけとなってほしいと本展への思いを語りました。
トークの最後には、豊田と祖父江が本展におけるそれぞれの仕事についてコメントをしました。
グラフィックデザインを手がける祖父江は、わかりにくさをも楽しんでほしいという思いから、あえて統一性のないメインビジュアルにしたと言います。背景に描かれたイラストには、目や鼻や口などの身体的な部位に見えるかたちとともに「みえる」「かぐ」「しゃべる」などの動詞をランダムに散りばめることで、ものの見え方は一つじゃないことを表現したとし、本展に寄せて「真実は一つではなく、真実はいっぱいということです」と言葉を締めくくりました。
清水淳子「トランスレーションズ展プレイベントのグラフィック・レコーディング」(2020年1月15日)
展覧会ディレクター ドミニク・チェン、企画協力 塚田有那によるスペシャルトークの様子を、本展参加作家 清水淳子がグラフィックレコーディングでまとめた。
本年開催を予定している「AUDIO ARCHITECTURE in 台北」に関連して台湾を代表するデザイン雑誌『La Vie』に、ディレクターの中村勇吾と、21_21 DESIGN SIGHT館長の佐藤 卓のインタビューが掲載されています。
この特集では、デザイン・アート・建築・ファッションなど多角的視点からキュレーションについて紹介され、当館以外には、V&A博物館(イギリス)、Vitra Design Museum(ドイツ)、メトロポリタン美術館(アメリカ)、ヴェネツィア•ビエンナーレ(イタリア)など各国の企画展が取り上げられています。
中村はAUDIO ARCHITECTURE展の企画意図や特徴について、佐藤はこれまでの企画展を事例に21_21 DESIGN SIGHTの特徴について語っています。
2020年3月初旬に行われた両名の書面インタビューと合わせて、ぜひご覧ください。
また、ウェブサイトでは、記事内容の一部が紹介されています。
展覧会ディレクター 中村勇吾
—《AUDIO ARCHITECTURE展》を企画したきっかけを教えてください。どうして「音」を展覧会のテーマにしたのでしょうか?
この展覧会の最初の舞台となった21_21はデザインをテーマにした展示施設で、日常のさまざまなものを「デザイン」という観点から捉えています。その観点からすると、当然、音楽もデザインと捉えることができます。私は音楽が好きで、21_21ではこれまで音のデザインをテーマにした展覧会はなかったので、是非やらせて頂きたいと思いました。
—一般の人は音と建築を連想することは少ないと思いますが、どうして音と建築が繋がったのでしょうか?
ショーン・レノンが小山田圭吾さんの音楽を評した文章の中で、"He paints a kind of audio architecture"という言葉を見つけました。それきっかけで、音楽は「時間軸上に構築された聴覚的な建築」と捉えることができるし、そこをテーマとした展覧会もできると考えました。
—今回の展覧会では小山田圭吾様が作曲しています。この曲は展覧会でどのような役割となっていますか? 小山田様とは、どのようにしてコラボレーションが実現したのでしょうか?
上記のようなきっかけで展覧会を構想したこともあり、まず一番最初に小山田さんに展覧会の為の楽曲提供をお願いしに行きました。私は小山田さんと『デザインあ(Design Ah!)』という子供のための教育番組や、彼のミュージックビデオ、ライブなどで共同作業をしていたこともあり、今回の展覧会についても快諾して頂きました。
—異なるバックグランドを持つ、8組のアーティストが展覧会で音をビジュアル化させています。中村さまは、アーティストたちが創作している時に、アーティストたちとはどのように関わりましたか? アーティストたちにアドバイスなどされたのでしょうか?
作家の方達やインテリアデザイナーの片山正通さんたちと話しながら、展覧会作品が共通して備えるべきフォーマットを決めました。すべての要素が音楽とシンクロしている、無限にループする、などといった基本的なルールを決めて、あとは完全に作家にお任せしました。私が初めて作品を見たのは展覧会オープンの前日でした。
—展覧会では、幅24メートルの大型スクリーンに、8組の気鋭の作家が、それぞれに楽曲を解釈して制作した映像が繰り返し流れています。没入体験を使った展覧会に対してどのような意図や考えがありますか? 没入体験を使った展覧会をプロデュースする際に「これは絶対譲れない!」と思う点はどこですか?
私自身は特に没入体験に拘ったわけではなく、他にもさまざまな展示デザインのアイデアがありました。没入型としたのは片山正通さんのアイデアです。龍安寺の縁側から石庭を眺めるかのように、映像の庭を眺める、という案でした。当初案では一段低い床を作り、縁側から映像を見下ろすかたちで考えていました。予算の都合上断念しましたが、これを諦めたかわりに、参加者自身が映像の中に入れるようにしました。
—日本の展覧会はとても多種多様です。歩きながら見られる展覧会や没入体験のある展覧会など、展覧会とお客さんとのインタラクションについて、お考えを教えてください。
展示された作品の面白さは参加者自身の頭の中で発生しているので、彼らがどのような姿勢や態勢で作品と接するかが最も重要だと考えます。そこをデザインするのはデザイナーとしてとてもやり甲斐を感じます。
—《AUDIO ARCHITECTURE展》をディレクションする中で一番の挑戦は何でしたか?どのようにして解決されたのでしょうか? 日本で開催した際のフィードバックの中で、一番印象的だったのはどんなことでしょうか?
お客さんを飽きさせず、ずっと空間に居続けてもらうことです。そのために、曲の長さや構成、作品の順序などを調整しつづけていました。実際、その通りとなり「ずっと居続けてしまう、見続けてしまう」というお客さんの声を聞いて、良かった、と思いました。
—展覧会では音楽、ニューメディア、建築などの専門的な知識のない一般のお客さんとのインタラクションが不可欠です。どのようにバランスを取りましたか?
私は、お客さんをレベル分けして考えるということはしていません。子供番組のデザインをするときも、特に子供向けという意識はなく、大人の自分が見ても面白いと思える密度の高いものにすることを心がけています。マーケティング的な先入観よりも、現実の人間はもっと豊かで多様です。変に手加減せず、面白いと思えるものを全力で出し切ったほうが、お客さん自身でそれぞれの面白さを発見できる余地が増えるのではないかと思っています。
—今回台北の展覧会でのこだわりや工夫点、日本と異なるところなどはありますか?台湾のお客さんにこの展覧会でどのような体験や経験を期待されますか?
日本で行ったものとほぼ同じ構成で実施される予定です。この展覧会はとてもプリミティブなので、国や文化を超えて、面白さや気持ちよさが伝われば、とても嬉しいです。
—2020年に一番期待している展覧会を教えてください。その理由も教えてください
展覧会ではないですが、東京オリンピックを楽しみにしています。私も少しだけ映像で関わっているので、台湾の皆さんにも是非東京にお越し頂きたいと思っています。新型コロナウイルスで無くなってしまうかもしれませんが...。
21_21 DESIGN SIGHT館長 佐藤 卓
—21_21は所蔵品を持たずに、クリエイティブなキュレーション力で世界の注目を集めました。どのような条件があればいいキュレーションになりますか? どんな能力があればいいキュレーターになれますか? ここ数年、芸術祭が流行り始め、古い美術館は大きく挑戦されています。美術館の今の立場と価値に対してどう思いますか?
21_21は、既成のキュレーションという概念には全くこだわってきませんでした。三宅一生さん、深澤直人さん、私、そしてアソシエイトディレクターとして川上典李子さんの4人が中心になり、美術館の企画運営経験のない、ある意味で素人の集まりとして試行錯誤を繰り返してきました。それゆえに、前例のない施設として今があるのだと思います。21_21は、純粋なアートの美術館ではなく、デザインを軸にしているので、そもそもアートを主体にした美術館の在り方とは違う場を求めてもいました。そのような意味でも、デザインの展覧会の可能性を模索しながら進んできたといえます。
古くからある美術館は、貴重な作品を保存し展示するという意味において、今後もあり続けるでしょう。落ち着いた空気感の中で、絵画や彫刻をゆっくり見るのも、豊かな時間だと思います。ただし、それでは人が入らないとすれば、運営面での問題が生じてしまうので、新たな体験の場としてのアイデアが必要になると思います。そのことにより、これからの美術館の個性が出てくれば、それはそれで素晴らしいことだと思います。20世紀型のデザインミュージアムも、名作の椅子や家具を展示解説するという、ある意味伝統的なアートの美術館的存在に習っていたのかもしれません。私達の21_21は、それほど大きな施設ではないので、この制約が新たなデザイン施設を考えるきっかけになっていたとも言えます。
—21_21はデザインの視点から日常生活の物事を捉え、キュレーションを通じてたくさんの人に伝えています。21_21が開催した過去の展覧会の事例をあげて、どのようにデザインの大切さを一般のお客さんに伝えていらっしゃるのか教えてください。
2007年に、水をテーマにした「water」展を開催しました。水は毎日飲むもので、世界中の人が知っていると思っていますが、実はまだまだ知られていないことが多くあります。このことに気づいていただくための展覧会でした。知らない水の世界と人を、デザインで繋いだわけです。つまりデザインそのものを見せる展覧会ではなく、デザインによって、知らない水の世界に誘う展覧会だったということです。今までのデザインミュージアムは、デザインを見せる展示がほとんどでしたが、このようにデザインを捉えると、無限にテーマを設定することができるわけです。
そして2011年、東日本大震災が起きた直後には「東北の底力、心と光。『衣』三宅一生。」展を開催しました。ここでは、東北地方で代々引き継がれてきた染織りの技術を様々な見せ方で紹介。そしてその技術を生かした三宅一生の服づくりも同時に展示し、2012年に開催した「テマヒマ展〈東北の食と住〉」では、東北地方に根付いてきた伝統的な食べ物、そして脈々と受け継がれてきた生活のための道具などを展示させていただきました。東北地方のために、東京の21_21でも何かできないだろうかと話し合って企画したものです。ここでは、特別な芸術品ではなく、時間と手間を掛けて造られた日常品の価値を、改めて見つめ直していただくきっかけを用意したことになります。
2013年には、NHK Eテレの子ども向けのデザイン教育番組『デザインあ』を展覧会にした「デザインあ展」を開催しました。子どもの時からデザイン教育が大切であるという考えから生まれたテレビ番組を飛び出し、身体全体で体感していただく展覧会に発展させました。極あたりまえの日常は、様々なデザインによって成り立っていることを楽しく体験できる場にしました。22万5000人が来場され、この展覧会の開催により、デザインに興味を持つ人が増えていることも確認できました。
そして、2018年から2019年に掛けては、日本の民藝をデザインの視点で見てみようという「民藝 MINGEI -Another Kind of Art展」を開催しました。日本民藝館館長も務める当館ディレクターの深澤直人が中心になって、大変ユニークな発展を遂げてきた民藝の世界を、独自の編集によって展示しました。地域ごとの特色が失われ、物への愛着が希薄になりがちな時代だからこそ、民藝に宿る無垢な美意識と精神性は、新しい時代を生み出すきっかけになるのではないかという想いを込めて開催した展覧会でした。
—21_21は1年に3つの展覧会を実施していますが、テーマはどのように決めていますか?
我々4人のディレクターと21_21のスタッフが定期的に集まり、展覧会のアイデアを出し合って決めています。このミーティングはとても刺激的で、みんな違うフィールドで仕事をしているので、アイデアの方向性が定まらず、思いがけない提案にお互い驚くような場面があります。このことにより展覧会のテーマがあらゆる方向に行き、予測ができない独特の「21_21らしさ」に繋がっているのだと思います。
—21_21の企画展は、内部のディレクターたちがプロデュースすることも、外部のキュレーターとコラボすることもあると思います。21_21のキュレーションシステムやコンセプトを教えてください。また、《AUDIO ARCHITECTURE》をキュレートするきっかけと理由はなんですか?
まず21_21では「キュレーション」という言葉を使用していません。常に「ディレクション」という言葉を用います。そこに確固たる意志はなく、三宅、深澤、私がデザイナーなので、なんとなくディレクションの方が、しっくりくるということだと思います。そして21_21の展覧会は、我々21_21のディレクターが担当する場合もありますが、外部の方にディレクションをお願いする場合もあります。これはその都度、話し合って決めていきます。21_21のコンセプトは、デザインに関わるあらゆる可能性を探り、社会に提案する場ということですから、テーマによっては、デザインと関わりのない人がディレクターになって、デザイナーが補佐するというケースも出てきます。つまりやり方は決めないということです。
AUDIO ARCHITECTURE展は、テーマ設定も含め、まず中村勇吾さんにご相談しました。勇吾さんは、私が『デザインあ』でいつも一緒に仕事をしている方で、とても優秀なクリエイターであることを知っているので、きっと面白いアイデアを出してくれるだろうと予測したのです。そして、「音」をテーマにするという、今までにないアイデアをお出しいただき、結果は大成功でした。我々が思いもしないコンセプトと空間づくりをしてくれたと思っています。
—従来キュレーションという概念はアート業界で使われていたと思いますが、現在はデザイン、建築、ファッション業界もキュレーションが行われるようになっています。佐藤様は幅広い分野においてキュレーターの役割を担われています。キュレーションはデザインにとって、どのような役割だとお考えですか? キュレーションはどのようにしてデザインやデザイナーに影響を与えていますか?
先ほども記述しましたが、私はキュレーションという言葉は使いません。そして21_21内でもこの言葉は出てきません。展覧会ディレクションでいいと思っています。そもそも美術館でキュレーションの仕事もしたことがないので、キュレーションという仕事がよくわかっていません。テーマを決めて、そのテーマに基づいてその都度、進め方を考えます。決まったやり方も一切ありません。それゆえに、結果的にかつてない展覧会に至っているのだと思います。
展覧会ディレクションは、展覧会をまとめていくことに他なりませんが、端的に言えば、知と美の間を繋ぐ作業だと思います。その繋ぎ方が独自だと、展覧会は新しくなります。デザイナーが担当する場合は、美の方は心得ているので、例えば知が足りなければ、テーマに沿ってふさわしい方、例えば文化人類学者などを招き入れればいいわけです。この方法を身につけると、誰とでも組んで展覧会を企画開催できるということです。
—2020年に一番期待している展覧会を教えてください。その理由も教えてください
現在新型コロナウィルス感染症の影響で展示を見合わせておりますが、「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」もおすすめですし、次回開催予定の、ドミニク・チェンさんディレクションによる「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」も、今までにない展覧会になるでしょう。そしてその次の展覧会もまだ情報公開していませんが、特別なものになる予定です。どうぞご期待ください。状況が落ち着いてまいりましたら、是非お越しいただきたいと思います。
新型コロナウイルス感染症に罹患されたみなさま、およびご家族、関係者のみなさまに謹んでお見舞い申し上げます。また医療従事者はじめ感染防止にご尽力されている皆様に、深く感謝申し上げます。
このたびの世界的な状況に鑑み、INCEPTIONと21_21 DESIGN SIGHTは度重なる議論の末、やむなく2020年6月開催予定の「AUDIO ARCHITECTURE in台北」を、2020年末まで延期させていただくことにいたしました。
台湾の状況を随時共有し、開催に向けて手を尽くしてくださっている主催者のINCEPTION社に、心より感謝申し上げます。開催国の台湾は比較的状況が安定していますが、スタッフの移動に伴う安全性、展覧会のクオリティ、お客様が安心して展示を楽しめる環境を最優先に考え、延期を決断いたしました。巡回展を心待ちにしてくださっているみなさまにはご迷惑をおかけし心苦しい限りですが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。
これまでに経験したことのない状況の中で、私たちは誰もが、あたりまえに享受してきた日々の暮らしや身近な人たちとの距離を、とても大切に感じたのではないでしょうか。
21_21 DESIGN SIGHTでは、2007年の開館以前から、日常生活に目を向け、そこに潜む驚きや発見、喜びや希望について考え、発信し続けてきました。2016年にINCEPTION社と開催した「単位展 in 台北」や音楽をテーマにしたこの展覧会も、その延長線上にあります。
「AUDIO ARCHITECTURE in 台北」の開催にあたり、展覧会ディレクターの中村勇吾が示唆した通り、音楽はあらゆる言語や文化を越えて、世界中の人々と感動を共有できるメディアの一つです。デザインにもまた、同じことが言えるのではないでしょうか。展覧会の開催に向けて、音楽とデザインの素晴らしさをより一層楽しく感じていただけるプログラムを計画中です。
我々の好奇心に終わりはありません。状況が落ち着き次第、皆様を最高の「音楽建築空間」に再びご招待できるよう、鋭意準備中です。最新情報は、INCEPTIONと21_21 DESIGN SIGHTの公式ウェブサイトとSNSにてお知らせしますので楽しみにお待ちください。一日も早い事態の終息と、皆様の健康を心よりお祈り申し上げます。
2017年、21_21 DESIGN SIGHT開館10周年を機に誕生したオリジナルグッズ。その後も新しい商品が仲間入りし、現在は13種類を取り揃えています。これらは館長の佐藤 卓がデザイン・監修を手がけています。ここでは、21_21 DESIGN SIGHTショップ担当が、そのオリジナルグッズを紹介します。
「21_21 DESIGN SIGHT(以下21_21)の思い出を、グッズとして持ち帰って欲しい」、そんな当館スタッフ一同の思いからグッズ制作は始まりました。来館された方にとって21_21の思い出、すなわち象徴的なイメージといえば、21_21のブルーの「プロダクトロゴ」や、安藤忠雄による建築でしょうか。また、館内サインやコンクリートの壁面を写真に収める方もよくお見かけします。
「21_21グラフィックプレート」はそれらを切り取り再編集した、言わば21_21らしさが凝縮された一品です。シャープペンシルなどでなぞってテンプレートのように遊ぶこともできますし、ブックマークとして使用することも可能です。
今回はこのグラフィックプレートを地図にして、そのアイコンを紐解きながら他のグッズもご紹介したいと思います。
1. まずは左上の台形と三角形、および左下の図形をご覧ください。 向かい合う2つの台形は、ギャラリー1&2とギャラリー3を上空から見たシルエットを表しています。隣の三角形は、鉄板屋根を表しています。下に見える図形は、この三角屋根とサッシを組み合わせた建物のロゴです。この建物のロゴは、チラシの裏面などにも使われています。
建築をモチーフにしたグッズは、自分で組み立てることができる「21_21ミニチュア建築模型」のほか、建築写真などを収めた「21_21ポストカード」、館内のコンクリートの壁面写真をプリントした「21_21トートバッグ」、「21_21ハンカチ」があります。
2. 次に、中央の3つの長方形と21_21の数字をご覧ください。
このデザインの基となっているのは、一枚の鉄板からつくられた当館のシンボルである「プロダクトロゴ」です。「21_21ロゴステッカー」と「21_21グラフィックプレート」は、このロゴと同じサイズです。
また、このロゴをモチーフにした「21_21マスキングテープ」もあります。
3. 最後に、右のサインをご覧ください。
これらは全て、館内に設置されているサインをモチーフにしています。ご来館の際は、どこにあるのか探してみてください。
またシンボルカラーと同じブルーをモチーフにしたグッズには、「21_21サインペン」や「21_21ノートブック(MOLESKINE)」があります。
その他にも、21_21のロゴタイプをあしらった「21_21ペン(LAMY noto)」や、入館証シールをモチーフにした「21_21てぬぐい」や「21_21おちょこ」など、続々と発売をしています。
一部の商品は、オンラインショップ HUMORよりご購入も可能です。
ぜひこの機会に、お手元にデザインの視点を取り入れてみてはいかがでしょうか。
21_21 DESIGN SIGHTウェブサイトでは、建築内部やこれまでに開催した展覧会の一部を、パノラマツアーで紹介しています。360度見回すことができる写真や動画で、館内の様子をお楽しみください。
>> 企画展「コメ展」
会期:2014年2月28日 - 6月15日
展覧会ディレクター:佐藤 卓、竹村真一
>> 企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」
会期:2015年2月20日 - 5月31日
企画:中村至男、鈴野浩一(トラフ建築設計事務所)、稲本喜則(AXIS)、岡本 健、菅 俊一、寺山紀彦(studio note)、前村達也(21_21 DESIGN SIGHT)
>> 企画展「雑貨展」
会期:2016年2月26日 - 6月5日
展覧会ディレクター:深澤直人
「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」の会場から、26名の参加作家のうち5名による作品の一部をピックアップ。プロダクト、グラフィック、建築など、多様なデザイン領域の第一線で生まれたものの原点が、それぞれどのように表現されているのか、デザインジャーナリストの土田貴宏が考察します。
乳酸菌飲料「ヤクルト」は、日本に暮らす人なら誰でも目にしたことがあるでしょう。その容器は、日本のインテリアデザイナーの草分けである剣持 勇と、彼が設立したデザイン事務所で代表を長年務める松本哲夫によって、1968年にデザインされました。松本さんは日本デザインコミッティーの現役メンバーの最年長のひとりで1929年生まれ。当時は事務所のチーフデザイナーとして、それまでガラス瓶入りだったヤクルトを、プラスチックの容器へと一新しました。
本展のポスターやフライヤーに使われ、会場でも象徴的に展示されているのは、ヤクルト容器をデザインする過程で試作された石膏模型(復元)です。近年は、こうした立体のデザインでは、コンピュータで制作したデータを3Dプリンタで出力し、形状を検証するのが一般的です。しかし当時は、石膏、木、粘土などを素材に手作業で試作を行うことが広く行われていました。現在に比べると、試作にも慎重さが求められたに違いありません。飲み物の容器としては異例の小さなサイズや、日常的な使用にふさわしい丈夫さとコストなど、制約も大きかったはずです。明確な個性をもちながら、やがてスタンダードな存在となったヤクルトの形は、当時から変わらず今も親しまれています。その認知度の高さは、2010年に立体商標として認められたことによっても証明されました。
1986年にパッケージを変更し、日本のティシューの定番になっているのが、グラフィックデザイナーの松永 真がデザインした「スコッティ」です。この年に実施された国際コンペを松永さんが勝ち取り、かつてない洗練されたデザインが誕生しました。ただしコンペでは、本来、パッケージに花柄と既存のロゴを使うことが条件だったといいます。松永さんは思い切って自分の感性に従い、条件に反したデザインを提案。結果、見事に採用が決まります。「花が本来持っている優しさ、柔らかさ、好感度」を、7文字のアルファベットによる新しいロゴに移行したのだと、松永さんは自著『松永真、デザインの話。』で語っています。この本は本展会場のライブラリーコーナーで読むことができます。
松永さんは、スコッティの他にも「カルビー」「ブレンディ」「ベネッセ」など多くのブランドのロゴをデザインしているグラフィック界の大ベテランです。たとえばカルビーのロゴは、スタジアムの広告スペースなどに掲示された際、見る角度によって文字の形が変わることも考慮して、縦横のバランスが検討されたようです。
「㊙展」の中でひときわ圧巻なもののひとつが、建築家の隈 研吾のコーナーです。展示ケースの内部を埋め尽くしているのは、隈さん自身による膨大な量の走り書き。その上には、今年、完成するJR高輪ゲートウェイ駅のためのバリエーション豊かな試作模型がいくつも並んでいます。
折り重なっている手書きのメモには、雑誌への寄稿文らしきものとともに、「La Kagu」「スタバ」「富山クレオン」といった、隈さんが設計に携わった物件の名前が読めます。世界各国で多数のプロジェクトを同時進行している彼は、自身の考えをこのようなメモで事務所のスタッフに伝達し、それをもとに設計が進んでいくのです。つまりこのメモが、隈さんの創造の基点となる"原画"。一連のメモから伝わってくるのは、あふれるような発想の力と思考のスピードで、その勢いを受け止めて一緒に展示してあるような試作模型が生まれます。ちなみにメモの文章をすべて正確に読解できるスタッフは、事務所にひとりしかいないそうです。
暮らしに根づいた家具や生活用品を多くデザインする小泉 誠の展示ケースは、隈 研吾とは対象的に、静かな時間の流れを感じさせます。そこに置かれたキャプションには「デザインの素は、つくり手の技と心意気、そして創意工夫した過去の形が手本です」とあります。小泉さんは、自身によるプロダクトや試作品と区別せずに、古道具と呼んでいいオブジェをいくつも並べました。古びたものがもつ、機能と結びついた形や、使い込まれた表情、無駄のなさが生む美しさ。彼のデザイナーとしての魅力が、そのような要素と深いところで結びついていることがわかります。
「㊙展」はそもそも、すぐれたデザインの原点にあるインスピレーションを、幅広い世代の人々で共有しようと企画された展覧会です。インスピレーションは、時には手描きのスケッチの最中に、時には試作の過程に、つくり手の中に舞い降りてきます。小泉さんの場合、それは過去に人々が生み出したものとの対話の中にあるのかもしれません。時を経たオブジェと彼自身によるデザインが併置されることで、シンプルなフォルムが語りかけてくるように感じます。
プロダクトデザイナーの柴田文江は、日本デザインコミッティーのメンバーの中でも若い世代にあたります。代表作のひとつである電子体温計「けんおんくん」の試作では、形状の検討に3Dプリンタが使われました。柴田さんは、もともと手描きのスケッチをほとんど用いることなく大半のデザインを行うといいます。手で粘土をこねて形をつくり出すのに相当する作業を、コンピュータの中で3Dデータを加工しながら行うのです。その結果を手にとって検証するため使うのが、3Dプリンタで出力したグレーのモデル。現在は3次元のデータを扱うアプリケーションの発展により、こうしたプロセスで形態の完成度を高めるデザイナーが増えています。この進め方には、データをメーカーと共有し、そのまま製造に活かせるというメリットがあります。
そのため、柴田さんの展示ケースには"原画らしきもの"があまり見当たりません。しかし完成したデザインには、柴田さんらしいラインがはっきりとあり、人間性さえ伝わってくる気がします。デザインのためのツールが時代や世代によって変わっても、つくり手と最終的な形態は密接に結びついているのです。
「㊙展」では他にも芸術家、工芸家、評論家など、計26名の多様な領域で活躍する作家の作品が展示され、それぞれのクリエイションの原点にあるものを伝えます。そのセレクトや構成も参加作家ごとに趣向が凝らされ、各々の世界観を垣間見せてくれます。何度、足を運んでも、新しい発見があるに違いありません。
文/写真・土田貴宏
2020年1月25日、企画展「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」に関連して、クロストーク「建築のマル秘 内藤 廣×田根 剛」を開催しました。
日本デザインコミッティーのメンバーである内藤 廣が、ゲストに田根 剛を迎え、「建築」をテーマに語り合いました。モデレーターを、展覧会ディレクターの田川欣哉が務めました。
本トークは、田根が、会場に展示されている内藤の"原画"について、内藤本人に尋ねる形式を用いました。
内藤が自身の持つ二面性を描いたスケッチ「青鬼と赤鬼」には、建築をつくるときの葛藤や矛盾が表れているように感じたと田根は言います。クリエイターである一方、社会との整合性をとる必要もある、建築家という職業。人間を本質的な対象とするため、ものごとを処理したりまとめ上げたりすることと逆のモチベーションもあるはずだと、内藤は答えました。
また、「デザインの領域の再構成」や「ArchitectureとDesign」といったスケッチについては、描かれた図をスタートに、国内外の社会思想やデザインに対する捉え方にも話が及びました。
さらに田根が選んだのは、内藤の手帳に貼られた「民法」の条文。「私権は公共の福祉に適合しなければならない」という一文に、建築やデザインはどう関わるのかという各々の意見を述べました。
トークの最後には、未来に関する議題があがり、世界を取り巻くテクノロジーや新たな技術、モノとコトの関係性などを語りました。
2018年に21_21 DESIGN SIGHTが開催し、好評を博した展覧会「AUDIO ARCHITECTURE展」の、台湾・台北への巡回が決定しました。
2020年夏、華山文化創意園區(Huashan 1914 Creative Park)で開催されます。2016年の「単位展 in 台北」に続き、INCEPTIONが主催します。
小山田圭吾(Cornelius)が書き下ろしたひとつの楽曲を軸に、9組の作家による多彩な映像作品とインテリア、グラフィック、テキストまで、あらゆる要素がそれぞれの固有性を発揮しながら連動し、調和し続ける... あの「音楽建築空間」を再び体感していただける機会となります。
展覧会ディレクターの中村勇吾は、台北展開催にあたり、「よい音楽は軽々と国境を越えていきますが、この展覧会もそのようなものであれば、と願っています。」とコメントしています。
どうぞお楽しみに!
This Summer, "AUDIO ARCHITECTURE" Exhibition, directed by Yugo Nakamura and organized by 21_21 DESIGN SIGHT in 2018, will travel to Taipei, Taiwan.
Following the success of "Measuring Exhibition in Taipei" in 2016, it will be held by INCEPTION again, but in a new venue, Huashan 1914 Creative Park.
Based on a piece of music composed by Keigo Oyamada (Cornelius) exclusively for the exhibition, 9 films created by a variety of artists, interior, graphic and even text relate each other. Each has its own identity, and all elements work in conjunction with the music, creating a continuous harmony...... You will be able to immerse yourselves into this "audio architecture" again.
Please stay tuned!
Facebook: https://www.facebook.com/inceptionltd/
Instagram: https://www.instagram.com/inception_co/
Official Website: https://www.inception-ltd.com/
Photo: Atsushi Nakamichi (Nacása & Partners Inc.)
2019年12月7日、企画展「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」に関連し、ギャラリートーク/原画解説「照明デザインのマル秘」を開催しました。照明デザイナーであり、日本デザインコミッティーのメンバーでもある面出 薫によるイベントです。
「光のデザインは時を視覚化すること」と語る面出。灯りを必要とする夜間だけでなく、24時間という1日の流れのなかで、音や匂いなど見えない要素も考慮し、最終的な気配をつくることを自らの仕事としていると言い、照明デザインのプロセスを、本展会場にて展示されているスケッチや模型とともに紹介しました。
そして、東京駅丸の内駅舎の保存・復原ライトアップのプロジェクトでは、「和やかな景色」をテーマとし、面出曰く「美人の薄化粧」のように、光と影のグラデーションやコントラストにこだわるほか、素材に合わせて照明を変えるなど、現場でも細かい造作を行ったと説明しました。
面出は、言葉だけでなく、描いたものをクライアントや自身のデザインチームに共有することで、コミュニケーションを円滑に進めることができると語ります。面出が「感動したら、よくみてその理由を考える。その後絵に描いたり、言葉に残したりする行為が自らのスケッチ」と言うように、面出のプロジェクトに対する想いや考えを、他者と共有し、実現するための"熱量"が参加者に伝わるイベントとなりました。
2019年11月30日、企画展「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」に関連して、田川欣哉、鈴木康広によるオープニングトーク「㊙展のマル秘 −展覧会ができるまで−」を開催しました。
会場で展示しているデザイナー達の"原画"さながらに、実際の会議資料なども公開し、展覧会の企画がスタートしたときから開幕までの道のりが語られました。
本展に"原画"を出展している日本デザインコミッティーのメンバー達に、田川が初めて展覧会のプランを提案したのは、2018年7月。
熊本県で育った田川は、かつては、雑誌などの二次情報を通してデザインに触れていたと言います。のちに上京すると、山中俊治のアシスタントとしてクリエイションの現場に直接立ち会うようになります。そこでものづくりへの意欲を後押しされた経験から、田川は、より多くの人に「生のクリエイションを感じて欲しい」「デザイナーの肉声を伝えたい」と考えました。
その田川の提案に、はじめは賛否の声があがったといいます。そこには「プロセスは人に見せるものではない」という意味も含まれますが、委託の仕事が大半となるデザイナーは、守秘義務によってプロセスを公開するのが難しいという事実もあります。
それでも、田川の意見に賛同してくれたメンバー等がそれぞれの"原画"を持ち寄ると、他のメンバーも興味深そうに見入るようになり、少しずつ"原画"が集まっていきました。
本展では、会場に来られない人にも「デザイナーの肉声」を届けるために、メンバー達へのインタビューをポッドキャストで配信しています。そのインタビューは、田川と鈴木康広が一人ひとりの元を訪ねて収録し、編集せずにメンバーの言葉をそのまま伝えています。自身の専門分野に出会ったきっかけ、仕事を始めた頃のことから、デザインについての持論までが、それぞれの話し方や言葉選びといった個性とともに語られます。
ほぼすべてのメンバーの元を巡った後、二人は、「今はその分野の代表となるような人も、キャリアのはじめには、先人達の中で自分が活躍できる分野を探していたことが印象的だった」と言います。
鈴木は、メンバー達のことを「"わざわざやる"のではない、"避けられない無駄"の壁にぶつかり続けた人達」と表現します。「ここで展示されているスケッチは、僕たちが当たり前だと思っているモノやコトが解決されてきた物証だ」と語りました。
最後に来場者から「個性豊かなメンバーのインタビューを通して、共通している点はあったか」という質問に答え、「自分にぴったりな思考の出力方法を、かなりこだわって研究しているということ。」と田川。続く鈴木は、「その出力方法こそが㊙で、それを考えるということが、ものづくりを始めることにつながっていくのだと思う。」と語りました。
デザイナーたちが、デザインの過程において生み出すスケッチや図面、模型。それらは、多くの人々の目に触れる完成品に比べて、あまり光が当てられません。しかし、そんな「秘められた部分」にこそ、デザインの大切なエッセンスは刻まれています。
2019年11月22日、いよいよ開幕となる企画展「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」では、日本デザインコミッティーに所属する幅広い世代の現メンバー26名によるスケッチ、図面、模型、メモといった多様な「原画」を紹介します。それらを間近で目にすることは、今後のものづくりを担う人々にとって、刺激と示唆にあふれた体験になることでしょう。
展覧会ディレクターにはデザインエンジニアであり、日本デザインコミッティーの最も若い世代に属する田川欣哉を迎え、世代や領域が異なる人々の結節点となり、日本の出会いんの豊かな蓄積を未来の創造へと活かすきっかけになることを目指します。
View of Lobby
"Where Original Ideas Are Born" (Film Production: DRAWING AND MANUAL)
View of Gallery 2
Exhibit view (Tetsuo Matsumoto)
Exhibit view (Ryu Niimi)
Exhibit view (Kengo Kuma)
"Chairs Designed by Committee Members"
撮影:吉村昌也/Photo: Masaya Yoshimura
2019年11月22日に開幕となる企画展「㊙展 めったに見られないデザイナー達の原画」。日本デザインコミッティーに所属する26名の現メンバーたちが、多くの人々の目に触れる完成品をつくり上げるまでの過程で生み出すスケッチや模型を紹介する展覧会です。
開催に先駆けて9月17日、メンバーシップやパートナーの方限定のスペシャルトークイベントを開催しました。登壇したのは、展覧会ディレクターの田川欣哉、会場構成を務める中原崇志、テキストを執筆する土田貴宏です。
まずは、田川が自身の仕事を紹介しました。田川が代表を務めるTakramでは、ビジネスとテクノロジーとデザイン、それぞれのバックグラウンドをもった人々がそれらを組み合わせて仕事をしています。
次に、㊙展のコンセプトを固めた経緯を語ります。
20代の頃、デザインエンジニア 山中俊治のアシスタントを務めながら「つくる人」を目指していた田川は、山中が書類の裏などに描くスケッチに刺激を受けました。つくる人が舞台裏で行うアウトプットを間近に見る興奮が、ものづくりを加速する大事な経験であったと振り返ります。
日本デザインコミッティーは、デザイナー、建築家、評論家が自主的に参加し、1953年の設立以来、世代ごとにバトンを受け継ぎ活動を続けてきました。現在、その最も若い世代に所属する田川は、各分野を代表するメンバー達の「秘められた部分」を公開することが、さらに若い世代のクリエイティブを目指す人々の心の栄養となり、日本のデザインの遺伝子を伝えられるのではと考えました。
続いて、中原崇志の解説を交え、計画中の図面やCGを見ながら会場を巡ります。展覧会ディレクターの田川の意図を踏まえながらも、中原自身が展示ひとつひとつをどのように読み解き、空間として表現しようとしたのか説明しました。
土田貴宏は、専門領域、道具、デザイナーの個性によってさまざまな「原画」のあり方を一挙に見られることも本展の大きな魅力、と言います。日本デザインコミッティー創立メンバーの一人、勝見 勝が「建築家とデザイナーと美術家は、汎地球的な規模における人類文明のため、協力を重ねなければならない」と記したように、多様性が日本のデザインを先に進めていくための重要な要素だと、本展の企画チームは考えます。
さらに、展覧会ディレクターの田川が「裏テーマ」とする、フィジカルとデジタルが結合する未来のデザインのかたちにも話は及びます。本展は、40代から90代までの「つくる人」によるスケッチが、デジタル化を前提とする世代のものづくりに出会うことで、分野だけでなくアナログとデジタルの間にある断崖をつなぐきっかけになることも目指しています。
田川は、この世代から世代への「寄付」のような活動が、本展をきっかけに広まれば、と語りました。
この日は、これまでには開幕前に公開されることのなかった、展覧会の企画段階がすみずみまで紹介され、「㊙展」のタイトルにふさわしいイベントとなりました。
㊙展プレイベント「田川欣哉スペシャルトーク」
開催日:2019年9月17日(火)
会場:東京ミッドタウン・デザインハブ内 インターナショナル・デザイン・リエゾンセンター
登壇:田川欣哉、中原崇志、土田貴宏
主催:21_21 DESIGN SIGHT
協力:公益財団法人日本デザイン振興会
2019年8月25日、企画展「虫展 −デザインのお手本−」に関連して、トーク「建築家の巣」を開催しました。
トークには、本展参加作家である建築家 隈 研吾と、3名の構造家 アラン・バーデン、江尻憲泰、佐藤 淳が登壇し、展覧会ディレクターの佐藤 卓がモデレーターを務めました。
「虫展」では、トビケラの幼虫が、付近の落ち葉・枝・砂・小石などで、水中につくる「トビケラの巣」を大きく取り上げ、隈研吾建築都市設計事務所と3名の構造家が、その巣を構造的に解いた作品を、それぞれに展示しています。アラン・バーデンによる「髪の巣」、江尻憲泰による「磁石の巣」、佐藤 淳による「極薄和紙の巣」と、それぞれユニークな素材を用い、ヒューマンスケールの巣の制作に挑みました。
トークは、各自選んだ素材をどのように構造として成り立たせるのか、検証や実験を行いかたちにしていく過程を通し、ものづくりの楽しさが伝わる内容となりました。
2019年7月18日、21_21 DESIGN SIGHTギャラリー1&2では、企画展「虫展 −デザインのお手本−」がいよいよ開幕します。
自然を映し出す存在である、虫。私たちの身近にいながら、そのほとんどの生態はわかっていません。人類よりもずっと長い歴史のなかで進化を続けてきた虫の姿からは、さまざまな創造の可能性が浮かび上がってきます。
本展覧会では、デザイナー、建築家、構造家、アーティストたちが、それぞれ虫から着想を得た作品を展示します。小さな身体を支える骨格を人工物に当てはめてみたり、翅(はね)を上手にしまう仕組みをロボットに応用してみたり、幼虫がつくり出す巣の構造を建築に当てはめてみたり...。
クリエイターが、そして訪れる一人ひとりが、虫の多様性や人間との関係性を通して、デザインの新たな一面を虫から学ぶ展覧会です。
写真:淺川 敏/Photo: Satoshi Asakawa
また、ギャラリー3には「虫展 −デザインのお手本−」にあわせて、自然の造形美を伝えるプロダクトを発信するウサギノネドコを紹介するPOP-UP SHOPが、2019年7月28日までの期間限定で登場しています。植物の美しいかたちに着眼し、花や種子をアクリルに封入した「Sola cube」を中心に、ウサギノネドコのオリジナルプロダクトが一堂に会します。展覧会とあわせてお楽しみください。
ANSA通信は、1945年に設立されたイタリアを代表する通信社です。このたび、旅と芸術、美をテーマとした特集記事で、「日常生活のためのプロダクトやインテリアに焦点を当てる世界の数多くのデザインミュージアム」のうち、「歴史的建造物もしくは著名建築家の手による壮観な建築空間に居を構える、世界的なデザインミュージアム10館」のひとつとして、以下のミュージアムとともに、21_21 DESIGN SIGHTが紹介されました。
トリエンナーレ・デザインミュージアム(イタリア/ミラノ)
デザインミュージアム(イギリス/ロンドン)
ヴィトラ・デザインミュージアム(ドイツ/ヴァイル・アム・ライン)
デザインミュージアム(フィンランド/ヘルシンキ)
デザインミュージアム(スペイン/バルセロナ)
装飾美術館(フランス/パリ)
デンマーク・デザインミュージアム(デンマーク/コペンハーゲン)
アート&デザインミュージアム(アメリカ/ニューヨーク)
東大門デザインプラザ(韓国/ソウル)
21_21 DESIGN SIGHTについては、「日本の東京・六本木には、デザインおよびその潮流を読み解くことのできる、大変興味深い21_21 DESIGN SIGHTがある。2007年にデザイナーの三宅一生によって創立されたこのデザイン施設は、建築家 安藤忠雄設計のスチールとガラスによる未来的な建築が緑地庭園の一角に居を構え、卓越した充実のプログラムを誇っている」と評するほか、「この施設の設立理念は、単なる展示紹介の場を超えて、我々の日常生活を豊かにするデザインの可能性を探求する場を創出し、我々をとりまく世界やものごとに対する様々な視点や見方を提供しながら、人々のデザインへの関心を高めることである」と紹介しています。
記事全文(イタリア語)はANSAウェブサイト〈© Copyright ANSA〉をご覧ください。
2019年3月15日、浅葉克己ディレクション 企画展「ユーモアてん。/SENSE OF HUMOR」が開幕します。
時代を牽引し続けるアートディレクター 浅葉克己にとって、コミュニケーションにおける最も大切な感性のひとつが「ユーモア」です。 本展では、浅葉が国内外から集め、インスピレーションを得てきた資料やファウンド・オブジェとともに、ユーモアのシンパシーを感じているデザイナーやアーティストの作品を一堂に集めます。
時代や国を超えたユーモアのかたちと表現を一望することで、私たちは日々のお営みのなかにある身近なユーモアを見つめ直すことになるでしょう。そして、そこにあるユーモアの感性こそが、デザインやものづくりにおいて重要な、コミュニケーションの本質のひとつと言えるのかもしれません。
撮影:鈴木 薫
2018年10月26日、「SONIA RYKIEL GENEROUS SWEATERS」が開幕しました。
本展では、ブランド50周年を迎える今年、アーティスティックディレクターに就任したジュリー・ドゥ・リブランが、世界的な表現者である7名の女性とともにメゾンの象徴でもあるニットデザインに取り組み、その収益を女性援助に焦点を当てた活動に寄付するというプロジェクトを紹介しています。
参加者の一人である建築家の妹島和世は、日本古来の装いのひとつ「十二単」を題材に、7層で構成された薄く、軽いテクニカルニットの衣服をデザイン。半透明の素材は、着る人の重ね方によって、思いがけない色合いを生み出します。
浮遊感や透明感のある妹島の建築を想起させる、中に人が入ることで多様な表情を見せてくれるデザインです。
開幕に先立ち会場を訪れた妹島は、ジュリー・ドゥ・リブランとの協働のプロセスそのものを心から楽しんだと語りました。
妹島がチャリティに選んだのは「おかえり!ご飯食堂」。日本の日立市を拠点に、働く母親やシングルマザーとその家族のために、無料の食事などの支援を提供する活動です。
女優、建築家、モデル、アーティスト、ダンサーなど、様々な表現活動の第一線で活躍する女性たちによる、ニットを通したデザインのコラボレーションとチャリティ活動。
それぞれのデザインと社会との関わり方を、ぜひ会場でご覧ください。
こんにちは、本展のテキスト執筆を担当しましたドミニク・チェンと申します。中村勇吾さんがディレクションを務め、コーネリアスの新しい楽曲に対して9組の映像作家が作品を新規に制作するというアイデアを聞いた瞬間にワクワクしてしまい、急な依頼だったにも関わらずすぐに引き受けました。リアルタイムで作家の方々の作品制作が進行する中、オンラインでデータを共有して頂き、各作家のコンセプトを汲み取りながら作品の紹介文、そして展示全体のコンセプト文を執筆しました。それらの文章は、会場で配布しているリーフレットに掲載され、一部会場内でも掲示されていますが、本展に関しての考えはそこに全て込めてあるので、ここでは展示が始まってから考えさせられたことについて書いてみます。
本展の面白いところは、共通のお題に対するそれぞれの作家の応答によって構成されているというところでしょう。通常の美術展やデザイン展示では、新作ももちろんありますが、ほとんどの場合は旧作やその再構成がほとんどを占めています。その意味では、今回はメイン楽曲から映像まで全てが新作という点でも画期的ですが、この方式は日本文化に脈々と流れる「連」の系譜を喚起します。連とは共同制作のために、通常の社会的なヒエラルキーを越えた人々の集いを指します。最も有名なのは松尾芭蕉が弟子たちと行った俳諧の「連句」でしょう。発句を起点にして、一定のルールを守りながら、次々に連想が繋がっていき、挙句に収斂される形式ですが、これは人々が集まった場そのものが協働制作をしているようなかたちを取ります。前の人の句に続けることを付句と呼びますが、互いに付句をする時にはお互いの創作の成分が相互に浸透しあうわけです。
本展は連句のように、一人から次の人へバトンを渡す方式ではなく、コーネリアスの楽曲がお題になって映像作家が応答する、いわば大喜利方式を採っています。制作過程も、連句のようにすべてがリアルタイムで互いに開示されていたわけではなく、それぞれが自分の表現を突き詰めていった結果、どれも互いに視覚的なテーマが重複し合わない作品に仕上がったのは、ひとえに中村さんのディレクションの妙といえるでしょう。
その意味では本展の構造=アーキテクチャそのものがまた、中村勇吾の作品だと言えるでしょう。私も大学の学生との研究開発で使用している、中村勇吾さんが開発に関わるFRAMEDというデジタルディスプレイがあります。それはインターネットを介して誰でも自分の作品を配信したり、他者の作品を表示したりして、アニメーションや静止画、インタラクティブな作品を楽しむためのインテリア機器なのですが、今回の展示構成のなかで8つの小部屋で映像作品が分かれている様子はまるでFRAMEDの理念が会場で顕在化しているようにも見えました。だから、本展もFRAMEDも、中村勇吾という、自身も卓越した表現者でありながら他の優れた表現者への好奇心が溢れ出てしまう「数寄者」でもある人が、「こんな光景を見てみたい!」という欲望を実現するために作り出した「器」であると言えるでしょう。
本展を見て、おそらく多くの表現者が同じ様な欲望を喚起されたのではないでしょうか。アーキテクチャという用語は、私が専門とする情報社会学のなかではインターネットを始め、情報がどのように生成され流通するかを規定する技術基盤を意味する概念です。インターネットのもたらした書き換え可能(Read/Write)な文化的なリアリティが宿っている本展の構造は、それ自体が参照され、違うかたちに継承されていくフォーマットとして見て取ることができるでしょう。
ドミニク・チェン
2018年6月29日、いよいよ企画展「AUDIO ARCHITECTURE:音のアーキテクチャ展」が開幕となります。
私たちが普段なにげなく親しんでいる音楽は、音色や音域、音量、リズムといった要素によって緻密にデザインされた構築物(アーキテクチャ)であると言えます。しかし日常の中でその成り立ちや構造について特別に意識する機会は少ないのではないでしょうか。
本展では、ウェブ、インターフェース、映像の分野で活躍する中村勇吾を展覧会ディレクターに迎え、ひとつの「音楽建築空間」の構築を試みます。ミュージシャンの小山田圭吾(Cornelius)が書き下ろした新曲『AUDIO ARCHITECTURE』を、気鋭の作家たちがそれぞれに解釈した映像作品を制作。展覧会のグラフィックデザインは、北山雅和(Help!)が手掛けました。
Wonderwall 片山正通がデザインしたダイナミックな空間、音楽、映像が一体となった会場で、音楽への新鮮な視点を発見してください。
Photo: Atsushi Nakamichi (Nacása & Partners Inc.)
2016年に開催した21_21 DESIGN SIGHT企画展「土木展」の巡回展が、2018年3月31日より、上海の藝倉美術館で開催されます(主催:藝倉美術館)。
展覧会ディレクターの西村 浩が上海でリサーチを行い、土木写真家 西山芳一の撮りおろし写真など、巡回展独自の作品も加えた展覧会です。私たちの生活を支える縁の下の力持ち「見えない土木」を、楽しく美しくビジュアライズします。
- 会期
- 2018年3月31日(土)- 6月24日(日)
- 会場
- 藝倉美術館3階(中国・上海市)
3F, Modern Art Museum (4777 Binjiang Avenue Pu Dong, Shanghai) - 休館日
- 月曜日
- 開館時間
- 10:00-18:00
- 主催
- 藝倉美術館 Modern Art Museum
- 企画
- 21_21 DESIGN SIGHT
2017年11月2日、ギャラリー3にて「吉岡徳仁 光とガラス」が始まりました。本展は、21_21 DESIGN SIGHTのコーポレートパートナーでもあるセイコーウオッチ株式会社が主催し、デザイナー 吉岡徳仁の創作の本質に迫る展覧会です。
自然をテーマにした詩的で実験的な作品によって、デザイン、建築、現代美術の領域で国際的に活動する吉岡徳仁。これまで吉岡は、光、音、香りなどの非物質的な要素を用いて観る人の感覚を揺さぶり、形の概念を超える独自の表現を生み出してきました。
本展では、光の表現に最も近い素材であるガラスに着目。人々の記憶や感覚の中に在る日本独自の自然観を映し出し、光とガラスから生まれる創作の本質に迫ります。
会場では、代表作である「Water Block - ガラスのベンチ」から最新作の「Glass Watch」までのガラスを素材とした作品や、プロジェクトを紹介する映像を展示しています。
吉岡徳仁による光を世界を、どうぞご覧ください。
写真:吉村昌也/Photo: Masaya Yoshimura
2017年10月7日、ギャラリー3にて「安藤忠雄 21_21の現場 悪戦苦闘」が始まりました。
本プログラムは、国立新美術館で開催中の「安藤忠雄展―挑戦―」に連動し、安藤忠雄の設計による21_21 DESIGN SIGHTの建設プロセスに焦点を当てています。
安藤による建築の初期アイデアやスケッチと、それを実現する日本の優れた技術力と職人の緻密な技を建設現場の写真や映像で紹介します。さらに、2007年の完成以来、10年間の21_21 DESIGN SIGHTの活動を紹介する映像も展示しています。
また、21_21 DESIGN SIGHTの建築に関連するオリジナルグッズをはじめ、安藤忠雄に関する書籍などを揃えたショップも、期間限定で登場します。ぜひ、「安藤忠雄展―挑戦―」とあわせて、足をお運びください。
写真:木奥恵三
ジョルジュ・ルースは、絵画、建築、写真を融合し、人の錯視などを利用した、サイトスペシフィックな作品を発表してきました。本展では、21_21 DESIGN SIGHTの建築空間に合わせたインスタレーションを、その写真作品とともに展示しています。その制作風景の一部を、21_21 DESIGN SIGHTスタッフがレポートします。
カメラで捉えた特定の視点からつくり上げたイメージを、風景の中に実現させるジョルジュ・ルース。本展メインビジュアルで謳われている「重なる1°の奇跡」は、彼の作品が緻密な計算のもとに成り立っていることを示しています。
今回、ルースの作品の舞台となったのは、21_21 DESIGN SIGHT地下階に日光を取り込む中庭、サンクンコートに面した空間です。ルースは本展のために当初、着色した作品のイメージを描いていましたが、実際に21_21 DESIGN SIGHTの建築空間を体験し、白一色で構成することに決めました。
まずは白く塗られた角材を、組み立てていきます。規則正しく並べられた角材は、この時点ではまだどんな形になるのかわかりません。
カメラで状況を確認するルース。この地点から、細かく位置を決めて角材に印をつけていきます。その通りに角材の端を切り落としていくと、少しずつ作品の形が見えてきました。 彼は、自身の作品について、「光を書く」という意味の「Photographie」という言葉の通り、光と質感との関係、建築物への光の投射が重要であると言います。制作期間中、組み立てられていくオブジェの形とともに、刻一刻と変わる光の角度も観察し続けました。
本展会期中、21_21 DESIGN SIGHTには、ジョルジュ・ルースの作品を通して新たな風景が立ち現れています。「重なる1°の奇跡」を体験しに、ぜひ足をお運びください。
2017年7月8日、企画展「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」に関連して、展覧会チームによるオープニングトークを開催しました。
トークには、本展ディレクターの青野尚子、会場構成協力の成瀬・猪熊建築設計事務所より成瀬友梨、猪熊 純、展覧会グラフィックの刈谷悠三が登壇しました。
トークのはじめに、青野尚子が、本展ができるまでの過程について解説しました。
クリストとジャンヌ=クロードを出発点として、世界各国からダイナミックな手法で活動を行うさまざまな分野の作家たちが集う本展。
参加作家の制作のプロセスを解説し、過去に制作した作品についても触れました。
展覧会グラフィックを担当した刈谷悠三は、ポスタービジュアルの複数のアイデアを実際に見せながら、現在のビジュアルに至るまで様々な試行錯誤があったことについて振り返ります。展覧会タイトルにもある「そこまでやるか」の言葉によって想像力を引き立てられるよう、あえて画像は用いらずに構成したことを説明しました。
さらに、クリストとジャンヌ=クロードの「フローティング・ピアーズ」から着想を得たオレンジを展覧会のテーマカラーとし、会場グラフィックでも統一感があるデザインを目指したと語りました。
作品のスケールが身体的に伝わり、会場全体でひとつの体験ができるように構成したと語る猪熊 純。構想途中の模型を用いながら、どのように会場のバランスをつくりあげてきたのかを解説しました。特に4組の作家が集うギャラリー2では、同時に複数の作品が目に入り迫力が伝わる配置、一体感をもたせつつも個々の作品と向き合って鑑賞できる構成を、具体的に意識したと言います。
成瀬友梨からも、参加作家とその作品から感じ取った魅力をより良く伝えていくための粘り強い試行錯誤が語られました。
本展開催に向けて約1年をかけて準備してきた展覧会チームのアイデアの源や試行錯誤を重ねたプロセスからも、「そこまでやるか」というフレーズに応えようとする強い熱意が感じられるトークとなりました。
2017年6月23日、企画展「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」に関連して、トーク「ジョルジュ・ルースが語る」を開催しました。
ジョルジュ・ルースは、絵画と建築と写真を融合させ、人の錯視などを利用して、空間を変容させる作品を世界中で制作しています。本展では、21_21 DESIGN SIGHTの建築にあわせた作品を制作しました。21_21 DESIGN SIGHTの地下空間に、地上から差し込む光を受けて存在している展示作品「トウキョウ 2017」をある1点から見ると、空間に正円が現れます。
まずはじめに、クリエイションの過程を映像で紹介しました。ルースは、写真が自身の起源であり、到達点でもあると言います。彼の制作は、カメラが捉えた特定の視点から出発し、完成した作品の姿はその1点からだけ見ることのできるものになります。ルースは「私が写真を撮影するときしか作品は存在しないし、そのカメラのレンズの視点からでないと見ることができない」と語りました。
また、自身の作品に用いる「円」というモチーフは、カメラのレンズのメタファーであるとも話すルースは、さらに自身の作品と写真との関係について、「光を書く」という意味の「Photographie」という言葉の通り、光と質感との関係、建築物への光の投射が重要であるとも言います。
幼い頃から廃墟が好きだったというルースは、初期の制作を廃墟で行いました。あらゆる役目を失い、もはや全体が把握できないような場所に別の姿を与えることが目的であったと言います。そういった場所での人物などをモチーフにした巨大な絵画作品を重ねるうち、「だまし絵」のような要素に面白さを感じ、錯視などを用いた作品を制作するようになった過程を、これまでの作品を通して紹介しました。その解説からは、これまでに作品を成立してきた世界中のどの場所でも、それぞれの場所への解釈をもって制作に臨んできたことも伝わります。
最後に、東日本大震災後の2013年、宮城県の松島でのプロジェクト「松島 ネガ/ポジ 2013」を映像で紹介しました。地域住民とともに取り組んだ制作過程から完成までを記録したドキュメント映像に、会場からは自然と拍手が起こり、トークの締めくくりとなりました。
いよいよ明日開幕となる「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」。開幕に先駆け、会場の様子をお届けします。
つくることの喜びとともに、「壮大なプロジェクト」に向けて歩みを進める表現者たち。彼らの姿勢には、さまざまな困難に立ち向かう強い意志と情熱があります。本展には、世界各国からダイナミックな活動を行うクリエイターたちが集います。
本展では、制作過程のアイデアスケッチやドキュメント、実際の作品で使用した素材、新作インスタレーションを展示し、より直感的に身体で作品を楽しむことができます。
展覧会ディレクターに建築やデザイン、アートなど幅広い分野に精通するライターでエディターの青野尚子を迎え、クリエイションが持つ特別な力と、そこから広がっていく喜びを伝えます。
幅が1.35メートルしかないのに、高さが45メートルもある教会。この極端な建築を設計したのが、建築家の石上純也さんです。不思議な形の建物が生まれた理由を聞きました。(聞き手・文:青野尚子)
「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」には幅が13.5センチ、高さが4.5メートルあるオブジェを出品します。これは実際の建物の10分の1の模型です。つまり、本物の建物は幅が1.35メートル、高さが45メートルになります。
この教会は中国の山東省にあるなだらかな丘の間にある谷に建てられます。両側の丘の高さは20〜30メートル程度。教会は45メートルの高さなので、二つの丘の間に細長いものが屹立するような眺めになるでしょう。
入り口の幅は1.35メートルですから、互いにすれ違うのがやっと、というぐらいのささやかなものです。建物は湾曲しながら奥にずっと伸びていて、進むに従って少しずつ広がっていき、最後のぷっくり膨らんだエリアに祭壇があります。
中に入って見上げると両側にそびえ立つコンクリートの壁が、鋭い峡谷のように見えるはずです。建物の外からは45メートルの教会と丘との間にできるスペースが、本来の丘がつくる谷よりも大きくかつ切り立った谷のように見えると思います。建築の内側と外側に谷のような新しい風景をつくりたい。それがこんな形の教会を設計した一番大きな理由でした。もともとのなだらかな地形に鋭く切り立つ建築を付け加えることで、荘厳さを補強することができると思います。
この教会には屋根がありません。高さ45メートルの壁の上は素通しになっていて、光が入ってきます。入り口は幅が狭いので暗いのですが、歩を進めると少しずつ光が下まで落ちるようになってきて、祭壇があるところではもっとも明るくなります。雨も入ってきますし、見上げると雲が流れていくのも見えるでしょう。キリスト教では光は重要な概念です。見上げると光が真上から降りてくる。この教会では実際の自然環境にはないスケールで光を感じることができるのです。
展覧会に出品する模型はひとつですが、この教会に限らず僕はいつもたくさんの模型をつくります。現場に行って地面に線を引いたり、ドローンで糸をたらして高さを確認したりもします。僕が考える建築はこの教会のように普通にはないプロポーションのものが多いので、他の建築から体感スケールを類推することが難しい。現場で地面に引いた線を見ながら微調整することもあります。こうしてスケール感や太陽光の入り方、周りの景色との関係性を確かめることが重要だと思っています。コンピュータなどを使ったシミュレーションもしますが、やはりリアルな世界が持つ情報量にはかなわないのです。
この教会の他には今、"洞窟のようなレストラン"のプロジェクトを進めています。住居とレストランが一体になった建物です。もともとは「経年変化によって深みを増すような建築にしたい」というオーナーの思いから始まったものでした。年月が経つにつれて崩れて廃墟になっていき、もとの自然に近づいていくような建物です。しかし建築は普通、規格化された部品などを使って工業的な予定調和を前提につくります。建築に限らず手づくりが珍しくなってしまった現代では、オーナーが望む"ぼろぼろと崩れていく雰囲気"を生み出すのは大変なのです。
ここではまず、キッチンやダイニングなど必要な機能をそれぞれのスペースにわりふった洞窟がたくさんある空間の模型をつくりました。穴がいっぱい開けられた地下都市のようなイメージです。それをフォトスキャンして三次元データに変換し、図面にしていく、という手順をとりました。
この図面をもとに、"柱"や"壁"になる部分の地面を掘っていき、できた穴にコンクリートを流し込んで固まったら周りの土をかきだします。するとそこに空洞ができて、部屋になる。土をコンクリートの型枠として使うのです。土がコンクリートの表面に染みこむので、そこには土のテクスチャーや色が転写されます。土という自然がそのまま建築になるわけです。
土を掘る位置や深さは図面に基づいて、現地で光測量(レーザー光線による測量)を行って決めていきます。掘る際には部分的に重機も使いますが、形を整える作業は手でないとできません。アナログな作業に見えますが、フォトスキャンによる三次元データの制作など、最新のテクノロジーがないと実現できないものなのです。新しいもの、古いもの、今使える技術や知識のすべてを動員して建築を組み上げています。
僕の建築は「そこまでやるか」という展覧会のタイトルの通りに見えるかもしれません。実際に手間もかかっています。ではなぜ「そこまでやる」のか。そう聞かれたら僕は「新しい風景や空間が見たいから」と答えます。建築はできあがったものすべてが自分の内側から出てくるわけではありません。たとえばレストランなら「年を経てよくなっていくもの」というオーナーの意向がありました。敷地によっていろいろな制限を受けることもあります。もし自分一人ですべてを考えていたらそういった方向にはならないかもしれません。何をつくるのか、完全にわかっているわけではないからこそ、今まで見たことのない新しい風景を見てみたい。
ですから、常に先のことは考えていますが、何か具体的なものを目指しているわけではなく、見えない先のものを目指しています。ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエら20世紀半ばまでの建築家たちは一つの解答を共有し、一つの未来を見据えていました。それは社会が抱える問題が今より切迫したリアルなものであり、みんなが一つのゴールを共有していたからです。しかし現代では価値観が多様化し、何を未来と呼ぶのか、その意味や考え方が人によって違います。一つの仮想的な未来を提案してもリアリティは伴わない。建築をつくりたいと思う人のそれぞれに異なる価値観と向き合っていかなければ、現実性のあるものをつくりだすのは難しい。僕が「そこまでやる」背景にはそんな理由もあるのです。
クリストとジャンヌ=クロードの《フローティング・ピアーズ》から始まった「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」。この展覧会タイトルに合ったダイナミックな作品をつくる作家は誰だろう? そう考えたとき、真っ先に名前が上がったのがダニ・カラヴァンでした。中でも本展でその模型とスケッチが展示される《大都市軸》は長さ3キロ以上、制作期間37年間という、まさに「そこまでやるか」のスケールです。彼の壮大な作品には、彼独自の哲学がありました。(文:青野尚子)
ダニ・カラヴァンはイスラエル出身、1960年代から活躍する"彫刻家"です。自らそう名乗っています。ただし彼の"彫刻"は美術館の館内に収まるものだけではありません。砂漠や海辺の岸壁、公園、美術館の庭などさまざまなところにつくられた彼の彫刻は大きさが数十メートルから、数百メートルになることも珍しくありません。
彼の代表作の一つがパリ郊外、セルジー・ポントワースという新興住宅地につくられた《大都市軸》です。RER(高速地下鉄)の駅を降りると「展望塔」という高い塔が見えてきます。そこからパリの中心部に向けて歩いて行くと12本の白い列柱があります。橋桁(はしげた)の下に円形劇場がある赤い橋を渡ると、湖の中に白いピラミッドが姿を見せます。歩いていくと次々と現れるシンプルで幾何学的な形態に、なぜか心が洗われるような気持ちになります。「都市軸」とはパリの中心を貫く大通りのこと。近代のパリはこの「都市軸」を文字通り、軸として発展してきました。
今回は出品されませんが、スペインの地中海沿い、フランスとの国境に近いポルト・ボウという小さな町の海辺にある《パッサージュ ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ》も印象深い作品です。波が打ち寄せる岸壁にコールテン鋼の細長い箱が、海に向かって落ちるようにつくられています。中には人が一人か二人通れるぐらいの巾の急な階段があり、その先で波が砕けて白い泡をたてるのが見えます。下に向かって階段を降りるとガラスの板に阻まれてその先へは進めません。ガラスには「有名な人々よりも、名もない人々の記憶に敬意を払うほうが難しい」という文章が刻まれています。ここはドイツの思想家、ベンヤミンがナチスの手を逃れてたどり着いた終焉の地。狭くて暗い通路を海に向かって降りていくその身体体験が、近代史のさまざまな側面を感じさせます。
これらの作品に限らず、カラヴァンの作品には四角錐や円錐、円柱、角柱など基本的で抽象的な形態がよく登場します。階段や球、門のような形も彼が多く使う形です。色も白や茶など、控えめな無彩色が中心です。このことについてカラヴァンは、本展の打ち合わせで次のように言っていました。
「自然には豊かな色や形がある。ごくベーシックな色や形を使うことで自然との対比を見せたい」
カラヴァンは「私の作品は人がいないと成立しない」とも言います。彼の彫刻と人、そこを訪れた人どうしの関係性に彼は興味を持っています。
「《ネゲヴ記念碑》では子どもたちがよく、よじ登って遊んでいる。私のアートはそうやって感じて欲しいんだ」
《大都市軸》ではジョギングに励む人が大勢います。周囲に広がる森に整備された遊歩道と合わせて自転車で走り回ったり、犬を散歩させる人も。つくり始められてから40年近く、すっかり人々の生活に馴染んでいる様子が伺えます。
彼の作品は日本にもあります。札幌芸術の森美術館にある《隠された庭への道》は同館の彫刻庭園につくられた、小高い丘に点々と続く作品。白コンクリートによる作品には雪や音など、移ろっていくものも使われています。霧島アートの森の《ベレシート(初めに)》は小高い丘に突き出したコールテン鋼の通路の中を歩いていく作品。入り口に立つとその先に光が見え、先端まで行くと緑のパノラマが広がります。奈良県の《室生山上公園芸術の森》は野外劇場にもなるオブジェなどを散策できる公園です。
会場では作品キャプションの「素材」にも注目してみてください。普通なら「鉄」「コンクリート」などと書かれているものですが、カラヴァンの作品ではときに「陽光」や「風」も「素材」として挙げられていることがあります。刻々と移り変わっていく自然の要素も彼にとっては重要な素材の一つなのです。
《隠された庭への道》では「Void (ma)」という素材も挙げられています。これは日本語の「間(ま)」からとったもの。物と物の間の何もない空間や、音と音の間の無音に特別な意味を見出す感性です。
「ヴォイド(間)は実在するものより重要なんだ」とカラヴァンは言います。《隠された庭への道》の門のような造形や噴水、白い円錐の間にある「間」にこそ、重要なものが隠されているのです。
彼の作品は訪れるたびに発見があります。歩く、よじのぼる、階段を降りる、そんな体験をしながら感じる日の光や風、その風に揺れる木の葉が見るものの中に新しいものを見つけてくれる。だからカラヴァンの作品はいつも新鮮なのです。
ミヒャエル・ヘフリガー(ルツェルン・フェスティバル総裁)を発起人として、磯崎 新とアニッシュ・カプーア、梶本眞秀らが協働でデザインした移動式のコンサートホール《ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ》。推進役となった梶本眞秀さんは音楽イベントの企画を手がける「KAJIMOTO」の代表です。アーク・ノヴァが生まれ、東北3カ所で膨らんで音楽が奏でられるまでを聞きました。(聞き手・文:青野尚子)
このプロジェクトは思いつきというと変ですが、「こうしたらどうだろう」という小さなアイディアがいろいろな出会いによって連鎖反応がおき、こんなに大きな形になったものなんです。今から振り返るとほんとうに不思議な気持ちになりますね。
始まりは2011年3月12日、東日本大震災の翌日に友人のミヒャエル・ヘフリガーからかかってきた電話でした。彼が率いるルツェルン祝祭管弦楽団とはそれまでも何度か、私のプロモーションで来日公演をしてもらったりしてきた旧知の仲だったんです。彼は震災の被害をとても心配してくれて「何かできることはないか」と言ってくれました。そのとき、とっさに音楽で人々を勇気づけてもらうようなことはできないか、と考えたんです。でも震災から1、2年経ってからでなければ、みんなも音楽を聞こうという気持ちにはならないだろう。そう思って、建築家の磯崎 新さんに相談しました。実はヘフリガーのお母さんが建築家で、以前から磯崎さんのファンだったんです。ルツェルン祝祭管弦楽団のシンポジウムに来てもらうなど、磯崎さんとヘフリガーとは交流もありました。
私が磯崎さんにお話ししたところ、彼が画期的なアイデアを出してくれました。被害を受けたエリアは青森から福島まで約200キロに及びます。一つホールをつくってもみんなには行き渡らない。移動式のホールをつくって各地を巡回すれば、その土地の人々に楽しんでもらえる、というものでした。
さらに磯崎さんの友人でアーティストのアニッシュ・カプーアがそのときパリで、丈夫なビニールのような素材を使った巨大なアート作品を展示している。彼に協力してもらったらどうだろう、というのです。さっそくパリに飛んで、カプーアさんの作品を見てきました。グラン・パレという大きな建物の全体に広がるようなダイナミックな作品に圧倒され、ぜひお願いしたいと思いました。でもカプーアさんも世界的に有名なアーティストで、いつも忙しい。恐る恐るお聞きしたところ、「困っている人に勇気を、ということだったらいつでもいいですよ」と快諾してもらえました。
この《ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ》はこれまで宮城県松島と仙台、福島市の3カ所で公演を行ってきました。ルツェルン祝祭管弦楽団のメンバーによる室内楽などクラシック音楽だけでなく、ジャズやミュージカル、能など幅広いプログラムを実施しています。能の公演では狩野了一さんのシテで『鶴』を上演してもらいました。白い鶴が復興を象徴する不死鳥のように見えたのが印象的でしたね。
公開レッスンなど、聴衆の方に参加してもらえるワークショップも多数、開催しています。地元の子どものオーケストラとプロの音楽家が同じステージに立つワークショップでは、技量の高い演奏家のすぐ隣で演奏することで飛躍的に上達します。雅楽の楽器や和太鼓などを体験できるワークショップもしました。管楽器などはともかく、太鼓は叩けばすぐ音が出ると思う方も多いでしょう。でも最初はなかなか思うような音が出ないのです。子どもたちにとってはそんなことも発見だったのではないでしょうか。
私たちは通常、大小のコンサートホールで公演を行うことが多いのですが、《アーク・ノヴァ》はそれらとはまったく違う空間でした。そこではいつも不思議なことが起こります。松島でのある公演では、終了後も一人残って天井を見上げる子どもがいました。「何してるの?」と聞くと、「ここはとても気持ちがいい。誰がつくったの?」と言うんです。スイスのオーケストラの人たちだよ、と答えると何か感じるものがあったようで、またそのまま天井を見上げていました。遠いスイスの人たちが心配してくれている、そのことを実感してくれたとしたら私も役に立てたのかもしれない、そんな充実感を覚えました。
《アーク・ノヴァ》では、終演後に演奏者とお客さんとがハグしあうようなことも自然に起こります。大きくカーブした、包まれるような空間の中では他の場所とは違う特別な一体感が生まれるようです。ステージと客席が近いせいもあるかもしれません。今はインターネットのおかげで遠くのものごとも知ることができるようになりましたが、だからこそ人が集まって同じ空気を吸う、そこで起きていることを共有することってとても大切だと思います。音楽なら歴史に残る名演奏もあれば、失敗しちゃった、ということもある。それも含めて知らない人どうしが出会うこと、通じ合うことが重要なんです。
私たちの仕事は音楽ホールがないとできません。でも《アーク・ノヴァ》があれば、それを運んでいって演奏することができる。りっぱなホールがなくても可能性はたくさんあることを教えてくれます。音楽のあり方が変わる、将来はこうなる、ということを啓示してくれます。
ロシアの文豪、ドストエフスキーは小説「白痴」の登場人物に「美は世界を救う」と言わせています。若い頃は大げさだな、と思っていました。今もいろいろな解釈があると思いますが、芸術には人の心を支える力がある。私もそのことを実践している"つもり"です。音楽を通じて聞く人に何かを届ける。そこに少しでも近づいていければと思っています。
*2017年9月19日(火)-10月4日(水)の間、東京ミッドタウンの芝生広場に、ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァが登場します。本展とあわせて、是非足をお運びください。詳細は、東京ミッドタウンウェブサイトをご覧ください。
21_21 DESIGN SIGHTは2007年3月に開館しました。
開館の背景は、創立者である三宅一生が、1980年代、イサム・ノグチ、田中一光、倉俣史朗、安藤忠雄らとともに、日本におけるデザインミュージアムの重要性について語りあったときに遡ります。
その熱い想いはそのままに、生活を豊かに、思考や行動の可能性を拡げるデザインの役割を、探し、見出し、つくっていく拠点となりました。
ディレクターは、デザインの現状、制作の現場をよく知るデザイナーの三宅一生、佐藤 卓、深澤直人。アソシエイトディレクターはジャーナリストの川上典李子です。これまでに34の展覧会を開催し、デザインの視点から、生活、社会、文化について考え、世界に向けて発信し、提案を行なってきました。そして10周年を機に、佐藤 卓が館長に就任します。
2017年3月31日には、新たな活動拠点「ギャラリー3」を開設します。ここでは、世界各国の企業をはじめ、教育・研究・文化機関等との密な連携によって、実験的なプログラムに取り組んでいきます。誰もが自由にデザインに触れられるスペースが拡がります。
21_21 DESIGN SIGHTは、今日までの歩みを大切に、「デザインの視点でさらに先を見通す」活動を続けていきます。
21_21 DESIGN SIGHT opened in March 2007.
The story behind the opening of 21_21 DESIGN SIGHT goes back to the 1970s, when its Founder Issey Miyake started to discuss the importance of establishing a design museum in Japan with Isamu Noguchi, Ikko Tanaka, Shiro Kuramata, and Tadao Ando. 21_21 DESIGN SIGHT sprang from that discussion and became a nexus from which to search, find, and create the ongoing role of design. Design is a process that enriches life and expands the potential for thoughts and actions.
The Board of Directors is comprised of Issey Miyake, Taku Satoh, and Naoto Fukasawa, three designers who are well acquainted with the contemporary status of design and the creative scene; and journalist Noriko Kawakami who acts as Associate Director. 21_21 DESIGN SIGHT has introduced numerous ideas and proposed a variety of design solutions to the world through 34 exhibitions. Each exhibition opened a dialogue on our life, society and culture from design point of view. In honor of the 10th anniversary. Taku Satoh has been named as its overall Director.
On March 31, 2017, we will open Gallery 3. Here, we will implement experimental programs in close collaboration with corporations, schools and cultural institutions throughout the world. We wanted to expand our space so all could experience the power of design.
21_21 DESIGN SIGHT continues to evolve, treasuring the decade that is now behind it and always looking toward the future.
写真:吉村昌也
「土木展」の最後に、それまでとは雰囲気の違うシリアスな映像が流れています。この「GS三陸視察2015 映像記録作品『GROUNDSCAPE』」は総合的な空間デザインを考える「GSデザイン会議」がつくったもの。上映時間は1時間ほどになりますが、会場では最後まで見入っていく人も少なくありません。このGSデザイン会議の共同代表の一人であり、「土木展」の企画協力者でもある建築家の内藤 廣に聞きました。
映像を制作した「GS(グラウンドスケープ)デザイン会議」は、「景観法」が施行(2004年)されたことなどを機に、土木設計家の篠原 修先生たちと2005年に立ち上げたネットワークで、シンポジウムなどの活動を行っています。美しい景観をつくるには建築や土木など、個別に設計するのではなく、分野を横断してトータルにデザインすることが大切だとの考えからでした。
このGSデザイン会議では3年前、みんなで三陸を見た方が良い、ということで参加者を募り、年一回視察する機会をつくっています。私はそれまでも復興のためのさまざまな委員会に加わり、現地を訪れていましたが、より多角的な視点から継続的に復興について考えていかなければと思ったのです。土木展で展示されている「GS三陸視察2015 映像記録作品『GROUNDSCAPE』」は、それがきっかけになって昨年制作されたものです。
復興をお手伝いする中でいろいろな問題点が見えてきました。ひとつは「安全」に対する国と私たちの考え方の違いです。ある委員会でご一緒した津波工学の専門家、首藤伸夫先生は「津波は個別的なものであり、同じ津波は二度と来ない。津波の被害を完全に食い止めることは不可能だ」という意見です。だから、本来は逃げることを第一に考えなくてはならないはずです。ところが役所はさまざまなシミュレーションデータを示して建前上「安全だ」と言い切らないと、都市計画法などの法を適用することができない。これは大いなる矛盾です。
防潮堤で絶対安全を目指すとすると、たとえば陸前髙田には高さ21.5メートルの津波が襲来しましたから、21メートル以上の防潮堤をつくらなくてはならなくなる。しかし百年に一度の津波が来るまで、つまり百年後までそのメンテナンスを続けることは可能でしょうか。それは不可能です。それよりもより発生頻度の高い津波を防ぐほうが現実的でしょう。陸前高田では、高さ12.5メートルの防潮堤が完成しつつあります。でも人は忘れやすい。その高さの意味を数世代にわたって伝えていく必要があります。
また、地元の意見をまとめることも重要ですが、住民の方の思いもさまざまですし、時間とともに変わります。当初はどの自治体も東日本大震災の津波と同じ高さの防潮堤を希望していました。でも1、2年経つとこんなに高くなくてもいい、大きすぎて不経済だ、といった声も出てきます。しかし、そのときには計画が進行していて変えられない、といったことも起きるのです。
一方で、もとからコミュニティの結束が強いところでは比較的早く結論が出ました。実際に、早々に「防潮堤はいらない」と明快に決めた集落では防潮堤をつくっていません。
こういった状況を見ると災害が起こってからではなく、「今から考えなくてはならない」と強く思います。もし南海トラフ地震が起きた場合、被害や復興にかかる費用は東日本大震災の15倍になるとの試算もあります。東日本大震災と同じやり方で復興できるとは限りませんし、答えはすぐには見つからないでしょう。でも災害が起きてからでは遅いのです。
そのためには土木・都市計画・建築の各分野を横断することが重要です。今、この3分野は互いに分断されていて、3つを理解できる人が本当に少ない。建築家も土木や都市計画について学ぶ、というように相互に理解し合う努力が欠けています。とはいえ、改善の兆しはあります。私が教えている東京大学では、着任した2001年当時は社会基盤工学科(旧土木工学科、現在の社会基盤学科)と建築学科は口もきかない、といった有様でしたが、今では共同でプロジェクトを行うまでになっています。そこで学んだ若者が社会に出て中枢を担うころ、つまり15年ぐらい先にはもっと状況はよくなっているのではないかと期待しています。
こうしていろいろな取り組みをしていますが、物理的な破壊が起こっても文化の厚みがあればかならず復興できると私は信じています。歴史を見れば、文化は文明の復元力の源なのです。最終的な文化とは言語のことだと思っています。日本人であれば日本語で正しく会話ができるか、この言語で深い思考をしているか、ということです。災害が起きたときのことを今から考えること、文化の厚みを生み出す"言語"を大切にすること、土木や建築、都市計画の間の相互理解を図ることが"その日"に備える最善の策になると思っています。
台湾・台北の松山文創園區 五號倉庫で開催中の21_21 DESIGN SIGHT企画展 in 台北「単位展 — あれくらい それくらい どれくらい?」に関連して、2016年8月20日、中村至男と鈴野浩一によるトークが開催されました。
本展では、2015年に21_21 DESIGN SIGHTで開催した「単位展」に引き続き、中村は展覧会グラフィックを、鈴野は会場構成監修を担当しました。
トークの前半は、二人がこれまでに手がけてきた仕事をそれぞれ写真や映像とともに紹介。その後、東京と台北の「単位展」について語りました。
まずは中村が、企業の社内デザイナーとして働いていた当時にデザインした自宅の引越しを知らせるポストカードに始まり、佐藤雅彦と協働したゲームソフトや「勝手に広告」シリーズ、近年出版された絵本まで様々な仕事を説明。
つづいて鈴野は、禿 真哉とともにトラフ建築設計事務所を設立するきっかけとなったホテル「クラスカ」の客室や、ひとつづきの空間が屋根の高低でゆるやかに区切られた住居、さらには「空気の器」や結婚指輪までを紹介しました。
二人の、自身の肩書きから想像される枠を超えた幅広い活動と、その根底に通じる独特の発想に、会場からは驚きの声があがりました。
トークの後半では、「単位展」におけるそれぞれの仕事を解説しました。途中、本展のメインビジュアル完成に至るまでに生まれた別のデザイン案も紹介するなど、企画秘話も。
鈴野は、展覧会の構成や展示作品が確定する前に完成した中村によるメインビジュアルが、会場構成や什器デザインのアイディアに繋がったといいます。企画チームのメンバーが、自身の担当を超えてつくりあげた本展ならではのエピソードが語られました。
21_21 DESIGN SIGHT企画展 in 台北「単位展 — あれくらい それくらい どれくらい?」は、2015年の東京での「単位展」展示作品に、台湾の企業や作家による作品も加わり再構成されています。
9月16日までの会期中、より多くの人々が本展を訪れて新しいデザインの視点を持ち帰ってくれたら、という二人のメッセージで、トークは締めくくられました。
Photo courtesy of FuBon Art Foundation
2016年8月27日、建築設計事務所の403architecture [dajiba]による「つんでみる!アーチ橋ワークショップ」を開催しました。
このワークショップでは、403architecture [dajiba]が「土木展」に出展している作品「ライト・アーチ・ボリューム」のミニチュアを工作し、古くから利用され橋の仕組みの基礎として知られるアーチの構造をより身近に体験します。
まずはじめに、403architecture [dajiba]が、アーチ橋の基本的な構造を解説します。平らな橋とくらべて、アーチ橋がどのような特徴を持っているのか学んだら、さっそく工作に取り掛かります。最初は、橋のパーツの展開図に絵をつけるところから。組み立てた時どことどこがつながるのか、橋の表面になるのはどの部分か、考えながら思い思いの絵を描いていきます。
次に、展開図の線に沿って、パーツを切り抜いていきます。このアーチ橋に必要なパーツは全部で7つ。組み立てた時に安定するよう、線から逸れないように丁寧に切ります。
パーツが切り出せたら、今度は点線に沿って紙を折り、キューブ状にしていきます。立体の糊づけが難しく、はじめは苦戦した人たちも、だんだんコツを掴んで次々とパーツが出来ていきます。
すべてのパーツが出来上がったら、いよいよ橋の組み立てです。展示作品「ライト・アーチ・ボリューム」と同様に、端に固定した「基礎」に向かって一列に並べたパーツを押し寄せると、みごとにアーチ状に立ち上がりました。出来上がった橋の上にいろいろな文房具を置いて強度を試してみたり、絵柄がきれいに並ぶようパーツの順番を入れ替えてみたり。自分でデザインした橋を、思い思いに楽しみました。
毎日なにげなく渡っている橋も、自分でつくってみると、普段はみることのない角度から観察することができます。私たちの日常にあたりまえのように存在する「土木」を、改めて意識する機会となりました。
企画展「土木展」の展示「日本一・世界一」では、日本の青函トンネルとスイスのゴッタルドベーストンネルを通して、日本と世界の土木技術の粋を紹介しています。2016年8月11日、青函トンネルからは鉄道建設・運輸施設整備支援機構の秋田勝次、ゴッタルドベーストンネルからはAlpTransit Gotthard社のレンツォ・シモーニを迎え、本展ディレクターの西村 浩、テキストの青野尚子とともにトークを開催しました。
まず、秋田より青函トンネルのプロセスについて紹介がありました。この全長53,850mの海底トンネルは、1923年の構想にはじまり、その後工事期間24年を経て、1988年に在来線開業、2016年には新幹線開業となっています。世界に類を見ない、最長の海底トンネルとしての誕生までの道のりには、水平先進ボーリングや緻密な注入施工など、優れた海底部掘削技術が活かされ、それが国際的な信用を得ることにつながったと語りました。
次に、シモーニよりゴッタルドベーストンネルのプロセスについて紹介がありました。このトンネルは全長57,072mあり、現在世界最長となります。シモーニはプロジェクトの概観、掘削、鉄道技術の応用、試運転のフェーズについて語りました。青函トンネルが海底にあるのに対し、ゴッタルドベーストンネルは山脈に位置するため、土かぶりなどの事故を防ぎつつ作業を行う必要があります。シモーネは、800mの深さのシャフトを掘るほか、アクセストンネルを設えることにより、災害に備えるなどといった技術を語りました。
トークは、西村、青野を交えた質疑応答に移ります。両トンネルの開通の様子や、工事中の作業員が現場に向かうまでの道中、作業中の出水などのアクシデントにどのように対応するかなどが語られ、プロジェクトの達成にむけて勇敢に立ち向かうさまが紹介されました。日本とスイスの土木が、会場でそれぞれの培った技術を分かち合う、またとない機会となりました。
社会を支える基盤であり、叡智の結集でありながら、普段は意識されることの少ない土木工学や土木構造物の世界。21_21 DESIGN SIGHTで「土木」をテーマにしようと決めた際、ディレクター一同、これこそがデザインの施設でとりあげるべきテーマであると話し合った経緯があります。生活を支える普段は見えない力、自然災害から生活を守る工夫の歴史について、あるいは現場を支える多くの人々の存在、最新の技術や日本の作業作業のきめ細やかさなど、いつも以上に熱い会話となりました。こうした「土木」をより多くの方々に身近に感じてもらえる機会を、建築家の西村 浩氏がみごとに構成してくれています。
会場でまず出会うのは、見えない土木の存在です。1日あたり300万から400万もの人々が行き交い、乗降客数や規模で世界一にも記録されている新宿駅を始め、渋谷駅、東京駅のメカニズムを可視化するべく「解体」を試みた建築家 田中智之氏のドローイング。アーティストのヤマガミユキヒロ氏は、神戸の六甲山からの街なみと隅田川からの風景を絵画と映像の投影による「キャンバス・プロジェクション」で表現しています。日の出から日没、そして再び日の出を迎えるこれらの美しい風景も、土木あってこそ。そう考えると実に感慨深く、静かに移ろっていく風景に見入ってしまいます。
工事現場で汗を流す人々の姿もフォーカスされています。21_21 DESIGN SIGHTが土木のテーマで伝えたかったひとつに「支える人々の存在」がありましたが、西村氏も同じ想いを持ってくれていました。とりわけダイナミックな作品は、現在の渋谷の工事現場の音が奏でるラベルの「ボレロ」にあわせて、高度経済成長期に収録された映像と現在の渋谷の工事現場の映像が目にできる「土木オーケストラ」(ドローイングアンドマニュアル)。同じく私の心に響いたのは、溶接、舗装、開削等の作業をする人々の写真「土木現場で働く人たち」(株式会社 感電社+菊池茂夫)です。土木建築系総合カルチャーマガジン「BLUE'S MAGAZINE(ブルーズマガジン)」を知ることもできます。「人」という点では、スイス、ゴッタルドベーストンネルの完成の瞬間を記録した映像での、歓喜する人々の姿も心に残りました(「日本一・世界一」のコーナーで紹介)。
ダム建設で人工湖に沈んだものの、水位の低い季節に目にすることのできるコンクリートアーチ橋「タウシュベツ川橋梁」(北海道上土幌町)を始め、30年間土木写真家として活動する西山芳一氏が撮影したトンネルやダムの壮大さと美しさ。それらの写真を堪能できる展示空間(ギャラリー2)には、「つなぐ、ささえる、ほる、ためる」などのキーワードで、アーティストやデザイナーの作品が紹介されています。
砂を盛ったり掘る行為にあわせて等高線が現われる「ダイダラの砂場」(桐山孝司+桒原寿行)、来場者がダムの水をせき止める「土木の行為 ためる」(ヤックル株式会社)、ビニールのピースを積み上げてアーチ構造をつくる「土木の行為 つむ:ライト・アーチ・ボリューム」(403architecture [dajiba])等々、楽しみながら「土木の行為」を知る作品が揃っているのも「土木を身近に感じてほしい」という西村氏の想いゆえのこと。また、マンホールに入る体験ができる作品「人孔(ひとあな)」(設計領域)、左官職人の版築工法を手で触れながら鑑賞できる「土木の行為 つく:山」(公益社団法人 日本左官会議+職人社秀平組)など、実際の素材、工法を知ることのできる醍醐味も。
身体を使いながら鑑賞できるこれらの幅広い展示に、建築の専門家も関心を寄せています。そのひとり、南カリフォルニア建築大学の夏期プログラムで来日した学生を引率した建築史家の禅野靖司氏の言葉を引用しておきたいと思います。「土木の力を身体性とともに示していること、さらには土木を文化的な脈絡で見直し、専門外の人も好奇心を持って学び楽しむことができるフィールドとして紹介していた点が興味深い。安藤忠雄氏の建築の内部でこのテーマがとり上げられていることも、マテリアルと構造の不可分な関係を意識させ、学生たちには刺激的でした」
そして会場終盤、登場するのは骨太のメッセージです。関東大震災の復興事業の一環であり、近代都市東京のために情熱を注いだエンジニアの姿が伝わってくる永代橋設計圖。さらには、東日本大震災の復興事業の現場を、本展企画協力の内藤 廣氏はじめGSデザイン会議のメンバーが三陸を訪ねる「GS三陸視察2015 映像記録作品『GROUNDSCAPE』」(66分)。とてつもなく大きな存在である自然と私たち人間の関係について。「震災という非日常に備えながら日常を支えるのが「土木の哲学」と西村氏。「土木にはまだまだやるべきことがたくさんあり、考えなくてはいけないことが横たわっている」。自然とどう向き合うべきか。さらにはこれからの幸せとは何であるのか。西村氏が本展から発する深い問いです。
再び巨大駅の解体ドローイングに戻り、六甲山からの眺め、隅田川の景色の作品にもう一度向き合ってみました。巨大駅が滞ることなく機能し、こうした街の風景を「美しい」と感じつつ眺められるのも、身体のすみずみに血が巡っていくかのごとくメカニズムが熟考され、そのための技術も活かされているからこそ。また、ダイナミックで力強く、ひとの暮らしを思う実に繊細な配慮とともにあるのが土木の世界です。土木が生活を支えてきた歴史、支えられている現状を意識しながら、この先の生活のために大切なものとは何か、考えを巡らせることの重要性を実感せずにはいられません。
文:川上典李子
写真:木奥恵三
2016年7月1日より、台北の松山文創園區 五號倉庫にて、21_21 DESIGN SIGHT企画展 in 台北「単位展 — あれくらい それくらい どれくらい?」が開催中です。
旧たばこ工場を改装した会場では、21_21 DESIGN SIGHTで昨春開催した「単位展」を忠実に再現したほか、新たに台北で集めた品々で構成した「1から100のものさし」、台湾のデザイナーらが参加した「みんなのはかり」など、台北展独自の展示も。
会場入口には、21_21 DESIGN SIGHTのコンセプトやこれまでの活動を紹介するコーナーがあり、併設されたショップには、台北展にあわせて制作された新たなオリジナルグッズも加わり、連日多くのお客様で賑わっています。
会期は9月16日まで、会期中無休ですので、台北にお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。
Photo courtesy of INCEPTION CULTURAL & CREATIVE Co., Ltd.
2016年7月16日、「土木展」企画チームと参加作家の崎谷浩一郎、新堀大祐、菅原大輔、橋本健史(403architecture [dajiba])によるトークを開催しました。
まずは「自己紹介 (建築と土木と●●)」をテーマに、土木と建築にまたがって活動する崎谷と新堀、建築の分野で活動をしている菅原、建築とアートの分野で知られる403architecture [dajiba]の各々の仕事内容が語られました。菅原は、仕事を紹介するうえで関わる土木を道具になぞらえ、「土木という道具=原始的であり、最先端の道具」と語りました。
次に「ケンチQ?ドボQ? YES!NO!TALK!」と題し、さまざまな質問に対し、崎谷がつくったYES/NOフラグで応え、その内容を話し合いました。それぞれの仕事で関わることの多いものに関する質問「地形図が好きだ」に対し、YESと応えた新堀は、「風景が出来上がる根拠には歴史がある」と語りました。また「お金が好きだ」という質問にNOと応えた崎谷は、多くの土木は税金によって成り立つものであり、そのお金を好きといって良いのかという疑問を述べました。その他、「有名になりたい」、「整理整頓は苦手である」といった、四者それぞれの仕事上の立場や性格がうかがい知れるような質問もあり、会場を湧かせました。
トークは、最後のテーマ「建築と土木の境界」に移ります。新堀は、両者に境界を設けずに考えるようにしているといいます。右肩上がりに成長していた時代とは違い、分業でなく総合でものごとを捉えなくてはならないと語りました。橋本は、自分とっての理想的な何かだけでなく、それ以外の分野も取りいれていくことで、社会と関わっていくことができるのではないかと続きました。
お互いに関わりながら街をつくってきた、人々の暮らしには欠かせない土木と建築。トークでは、双方に隔たりを設けずに、社会の変化に順応しながら活動する四者それぞれの有り様が現れていました。
開催中の企画展「土木展」に関連して、本展ディレクター 西村 浩のインタビューが、『ソトコト』8月号に掲載されました。
また、ウェブサイトでもインタビューの一部が紹介されています。
>>『ソトコト』ウェブサイト
2016年7月2日、オープニングイベント「これからの土木、これからの都市」を開催しました。
イベントには、本展ディレクターの西村 浩、企画協力の内藤 廣、土木写真家で参加作家の西山芳一に加え、本展グラフィックデザインを手掛けた柿木原政広が登壇。展覧会ができるまでの制作秘話や、それぞれの土木観を語りました。
「人々が、その恩恵を受けながらもそれに気づかずにいるのが土木。それは、その土木の素晴らしさでもある」と語る西村 浩は、しかし本展はそんな"見えない土木"を人々に知ってもらう入り口となることを目指したと言います。これまで土木に気づかずに暮らしてきた人たちに、土木を身近に知ってもらう工夫の一つとして、西村は「土木の専門家だけでつくる展覧会にはしない」ことを決めました。アートやデザインなどの分野で活躍するクリエイターたちが初めて体感した「土木」の表現は、同じく土木を専門としない私たちにも、土木の専門家たちにも、土木の新しい一面を見せてくれます。
本展グラフィックを手掛けた柿木原政広も、土木の専門外から参加しました。柿木原が本展のためのグラフィックをすすめる中で感じたのは、「土木には荒々しさと繊細さが同居している」ということだったと語ります。その魅力を伝えるために、柿木原が提案したグラフィックは大きく分けると3種類。最終的に本展メインビジュアルとなった案をはじめ他のデザインも、そのコンセプトとともに紹介しました。
一方で、本展参加作家の西山芳一は、30年以上、土木を撮り続けてきた「土木写真家」です。西山は、「土木はとにかく見なければ始まらない。この展覧会を訪れた人々が、今度は実際の土木を見たい、と思うきっかけになれば」と語りました。
最後には、参加者からの質問に4人がそれぞれの視点で答え、土木の専門家、土木を志す人、土木の専門外の人、さまざまな立場から意見が交換される会となりました。
開催中の企画展「土木展」は、生活環境を整えながら自然や土地の歴史と調和する土木のデザインについて考える展覧会です。
本展に向けて、実際の「土木」を訪れたり、自らの手で「土木」のスケールを体感したりしながらすすめられたリサーチの様子を一部ご紹介します。
企画展「土木展」展示作品の一つ、「土木の行為 つく:山」は、手で土を突き固める「版築」という工法をモチーフにした作品です。出来上がった部品を一度に組み立てるのではなく、種類の違う土を一層、また一層と塗り重ねてつくるこの作品のために、公益財団法人 日本左官会議と職人社秀平組の左官職人が連日会場を訪れました。
日本の街中には、あちこちに左官の仕事が存在しています。そこには、左官職人たちが長年積み重ねてきた知恵と技術、また現場仕事ならではの手仕事の軌跡を見ることができます。
しかし、規格化された現代の建築の現場には、手間と時間のかかる左官の仕事が登場しにくくなっているという事実もあります。
2016年6月13日、公益社団法人 日本左官会議による講演会「職人がいる町、塗り壁のある暮らしーーその終焉がもたらすもの」が、東京大学 一条ホールにて開催されました。
講演会には、「土木展」に参加した挾土秀平、小林隆男、小沼 充、川口正樹をはじめ、6名の左官職人と建築家が登壇。はじめに、日本左官会議議長の挾土秀平が第二次世界大戦後から現代に至るまでの左官の歴史を振り返りました。戦後の復興時には、全国で22万人も活躍していた左官職人は減少し続け、現在では5万人を切る程になってしまったと言います。挾土は、そういった厳しい現状を伝えると同時に、地域の土で壁を塗り「日本の風景をつくってきた」左官は、実は今の日本においても、人々にとって身近な存在であることを強調しました。
続いて、関東を中心に活動する3名の左官職人が、自身の仕事や街中の実例から、色々な左官の仕上がりを数多くの写真で紹介しました。さらに、それぞれ愛知県と滋賀県を拠点に活動する2名の左官職人が、地域に根付いた自身の仕事も解説しました。紹介された実例は、住宅から寺院、美術館、公園の水飲み場まで幅広く、私たちがいかに意識せずに、左官の仕事に触れているかを知ることができます。
最後には、登壇者全員によるパネルディスカッションも実施。建築家の視点からみた左官との協働について、また、私たちの日常に再び左官の仕事を取り入れるアイディアについて、率直な意見交換が行なわれました。
「土木展」会場では、そんな「左官の仕事」を垣間みることができます。土の色や質感を実際に目で捉え、手で触れて体感し、それらがつくるこれからの日本の風景を思い浮かべてみてください。
「土木展」は展覧会のタイトルこそストレートですが、展示はそのまま土木を見せるものではありません。子どもから大人まで楽しめる、いろいろな仕掛けがされています。展覧会開幕を1ヶ月後に控え、展覧会ディレクターの西村 浩に、土木展に込めた思いを聞きました。
構成・文:青野尚子
展覧会の話をする前に、僕がなぜ土木の仕事をするようになったのかをお話ししましょう。僕が土木を目指したきっかけは建築だったんです。子どもの頃、祖父が棟梁をしていて、漠然とものづくりっていいな、建築学科に行きたいな、と思っていました。それで東大の工学部に入学したんですが、3年次に専攻を決めるとき、建築学科に進もうかなあと思っていたらそこに土木の神様が降り立った(笑)。当時は瀬戸大橋やアクアラインなど1兆円プロジェクトの全盛期だったこともあり、"地図に残る仕事"がしたいと思って土木工学科に進むことに決めました。
土木工学科ではデザインや景観にも配慮したものづくりをしたい、とも考えていました。ところが当時の日本では土木に景観やデザインを考える文化はなかったんです。建築では建築家という職能が確立していましたが、土木は戦後、国土の復興と高度経済成長を目指してとにかく安全に、大量に、速く造ることが最大の目標とされて景観やデザインにまで思考が及んでいませんでした。土木工学科では、景観やデザインを学びながらも、その一方で建築へのあこがれも忘れられず、お隣の建築学科に入りびたっていました。卒業後も建築設計事務所に就職したんです。そして独立、ということになったころにちょうど、土木にもデザインが必要だ、ということになり、そちらに引き戻されたというわけです。
ここでちょっと、みなさんの周りを見渡してみてください。家の前には道があり、公園があり、橋やトンネルがあるでしょう。建物はその間に建っています。私たちが暮らしている街は土木と建築で埋め尽くされているのです。その上で人々が幸せに暮らせるようにするためには建築や土木、さらにはその資金をどうするか、ファイナンスのことまで横断して考えることが必要です。しかし戦後の日本は右肩上がりの経済成長を背景にあらゆるものを速く、大量に、効率よくつくることが要求されました。教育もそれに合わせて行われたため、専門ごとにプロフェッショナルな仕事をするのは得意ですが、ものごとを統合して考えるのは苦手です。でもこれから経済が縮小し、人口も減っていく。そんな時代には、さまざまな分野を横断して考えることができる人材が必要なのです。
でも一般の方には土木というと自分とは遠いものと感じられるのではないでしょうか。その理由の一つは、建築のほとんどが住宅や企業の施設など、民間のプロジェクトであるのに対し、土木はほぼ100%が公共事業であるためだと思います。だからほんとうは身近なところにあるのに、土木に関わるのは難しいという印象が生まれてしまう。誰もが他人事だと思ってしまうのです。
その"他人事"感を払拭し、自分のことだと思ってもらうには子どもの頃からそれについて考えることを習慣にしてもらわなくては。「土木展」はそんな思いから企画した展覧会です。だから、展示には抽象的なものもありますが、まずは子どもたちが遊べるものにしました。実際にアーチ橋をつくったり、砂遊びをしながら土木について学べるコーナーです。その次に一般の人、大人も楽しめるコンテンツを考えました。とくに年配の方は「土木オーケストラ」にぐっとくるんじゃないかと思います。今の日本の国土を支えている土木が高度経済成長期に造られた雰囲気が感じられるインスタレーションです。過去の土木から、未来が見えてくるような展示を考えました。
「土木展」では土木と聞いて想像できる世界ではない、今まで見たことのない切り口で土木を見せたい。アーティストやデザイナーなど、土木の専門家ではない人に参加してもらったのはそのためです。僕自身、土木の仕事をしているわけですが、その仕事の中でも新しい見方のものになると思います。違う分野の人がいろいろな情報を出し合い、議論することで新しい発見ができる。僕の仕事でもいろんなジャンルの人が一緒にいないと総体が見えない、ということがあります。そこにクリエイティブな発想を持つ人が加わって、今までにない化学反応が起こるのです。私たちは土木に囲まれて暮らしています。幸せな暮らしって何だろう? 土木を理解し、未来を考えることがその答えにつながると信じて、展覧会を企画してきました。
2016年1月30日、ゲーリー事務所で経験を積んだ一級建築士の佐藤 類を講師に招き、「ゲーリーの創作プロセスを体験!等身大の模型をつくるワークショップ」を開催しました。
はじめに、本日の講師となる佐藤 類がフランク・ゲーリーの初期の作品や、自身がゲーリー事務所に所属していたときに担当した仕事を紹介しました。ゲーリー建築において「外壁」は非常に重要なデザイン要素のひとつであり、ゲーリー事務所では、大小さまざまな模型を同時進行で制作しながら建物の表情をつくり上げていきます。今回は、チームになってひとつの「壁」をつくりあげることで、ゲーリーの「外壁」のスタディを体験します。
実際の制作に入ると、まずはじめに模型の土台となる段ボールを組み立てていきます。今回使用する素材はどれも、ゲーリー自身も実際に使用するものばかりです。
次に、組み立てた段ボールを積み上げていきます。微妙なうねりを表現するために、仮置きした段ボールに鉛筆で印をつけて調整します。段ボールを重ねる位置が決まったら、印にあわせて両面テープで固定していきます。
最後に、壁の表面に紙を貼りつけると完成です。うねりのある壁のかたちにあわせて貼ったホログラム紙は、角度によって表情が違ってみえてきます。
完成した「壁」の模型は、1月30日の閉館まで会場に展示されました。
現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」のプレスプレビューでは、フランク・ゲーリーのQ&Aセッションが行なわれました。
日本文化から受けた影響、建築の道を選ぶまでの経緯、近年の活動などを熱く語るゲーリーの素顔をぜひお楽しみください。
──ゲーリーさんが建築家になられた背景や日本との関わりについてのいろいろなお話、エピソードをありがとうございました。そして、代表作や近年の作品、最新作などは展覧会会場でご紹介させていただいておりますが、ゲーリーさんの今後のプロジェクト、これからどのようなことをされていきたいかということをお伺いしてよろしいでしょうか。
「さぁ、わかりません(笑)。ただ私には、建物を建てることに対する中毒症状があると思っています。オフィスの若いメンバーと仕事をするのも好きですし、息子も建築家になるということを決めました。孫娘は1歳になります。韓国系の血が入っているので、みなさんとある意味で近くなったとも思っています。これからなにをしたいかという話になるとまた何時間も必要になるのですが(笑)、私は最近慈善活動に熱心に取り組んでいます。カルフォルニア州には小学校が100校ほどあるのですが、小学校を卒業できずに中途退学してしまう児童がおよそ50%いると言われています。統計的に、ドロップアウトした児童は高い確率で犯罪に手を染め、刑務所で過ごしてしまう。そして皮肉なことに刑務所は児童を受け入れるために準備をしているわけです。こうした状態を受けて、われわれはファースト・レディのミシェル・オバマとともに『TURNAROUND ARTS』というプログラムを立ち上げました。アート系の先生方を学校にいる子どもたちのもとに送り込んで一緒にいろいろな作業をするプログラムで、子どもたちは自分の手でものをつくるということに熱心に取り組むものです。このプログラムは数カ月でかなり成果を上げています」
──幼少期におばあさまと遊ばれた経験は、建築家としてのお仕事に結びついてますでしょうか。
「一緒に床に座ってブロック遊びなどをしていました。祖母がどこまで深く考えていたのかは今となっては分かりませんが、遊びを通して、先入観なしにアイデアを模索し、自分の直感に従って何かをつくりあげていくということを学べたような気がします。祖母の例ではありませんが、私は生徒に教えるときに、まず彼らにサインを書かせているんです。書いてもらったサインをデスクの上に置いて見ると、書く人によって美的な側面がそれぞれ異なっていることが分かります。これは、生徒たちが何かに捉われて意図的に書いたものではなく、自身の手で直感的につくったもの。彼らには『直感を信じる感覚を忘れないで』ともよく話していますね。どこに向かっていくかというような確信を探すのではなく、直感を信じてアイデアを模索するということです。もちろん建物を立てるにあたっては、場所の法規制、現場やエンジニアリングの制約条件等に打ち当たりますが、先入観なしに直感に従いアイデアを模索することの大切さを、祖母がブロック遊びを通して教えてくれたのかもしれません」
──「やりたいのは、新しいアイデアを生むことだけ」とありますが、嫌になる瞬間が必ず来るにも関わらずアイデアを生み続けていくご自身のモチベーションはどこからやって来るのでしょうか?
「そうですね、どこから来るんでしょうね(笑)。私の友人でもある三宅一生さんは布でプリーツをつくりましたが、私はこれについて、布で人間性を表す試みであるように感じています。大きなもの、小さなもの、様々な領域にアイデアを当てはめて行った結果、最終的に、美しく、着心地の良い服に辿り着いたのだと思います。アイデアは様々な領域にどんどん進化して展開していきますが、だからといって、もともとあった『人間らしさ』を服で表現することで人々に届けるというアイデアの根にあるものは全く変わりません。その結果として、私のようなファッショニスタでも何でもない人間にとっても着心地が良いと思えるような美しい服をつくりあげることができたのだろうと思っています。進化のなかにも一貫性を持ち続けることが、例えば三宅一生さんの服でしたら、人間性が表現されていて、楽しくて、人々の手に届きながらも誰も真似できない、美しくユニークな服を可能にするのではないかと考えます」
現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」のプレスプレビューでは、フランク・ゲーリーのQ&Aセッションが行なわれました。
日本文化から受けた影響、建築の道を選ぶまでの経緯、近年の活動などを熱く語るゲーリーの素顔をぜひお楽しみください。
──みなさまこんにちは。本日は「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」にご来場いただきありがとうございます。これより、開催に合わせてご来日いただきましたフランク・ゲーリーさんによるQ&Aセッションを始めたいと思います。まずはゲーリーさんから一言お願いいたします。
「ハロー」
「一言ということでしたので(笑)。この21_21 DESIGN SIGHTのディレクター三宅一生さんとは長年の友人であり、建築家の田根剛さんには今回の展覧会ディレクターを務めていただきました。そしてこの展覧会を、同じく古い友人である安藤忠雄さんの建築のなかで行なうことができることをとてもうれしく、光栄に思っています」
「私はとても日本を愛しています。建築の歴史、音楽や文学などの芸術の歴史が好きで、若い頃は多くのものに触れ、多くのことを学びました。私は雅楽をやります。『イーン、クリン、クリン』の『クリン、クリン』のパートをやっているんです(笑)。このパートを完璧に演奏するためには呼吸をどのようにすればいいのか、日本の師が私に教えてくれました。日本にも、世界中のほかの国にも、建築や芸術の歴史は遺産として根付いています。そしてわれわれは遺産とまったく同じ創造を繰り返すのではなく、現代という時代の文脈のなかで、新たな作品をつくりだしていこうと考えているわけですが、そこに遺産のコピーではない人間的な新たな建築、街を築いていこうとすることが大事だと思います。残念ながら、アジア各国や、アメリカ、イギリス、フランスや世界のどこへ行っても、モダニストの作品のなかにはそういうアプローチをなかなか見ることができません。それがどのような理由からなのかは私にはわかりません。ですが、歴史を理解し、人間性を感じられるような建築を復興させたいと思っています。それはつまり、コピーではなく、現代における新しい言語を探していくということです」
──21_21 DESIGN SIGHTでは、本展を「建築家 フランク・ゲーリー展」と銘打っております。「建築の展覧会である前に、建築家の展覧会であるからだ」と、ディレクターの田根さんはおっしゃっていますが、ゲーリーさんが建築家になられたきっかけと、これまでたどってこられた建築家としての道のりについてお話をお聞かせいただけますか。
「それについては、4時間ほどお時間をいただいてもよいでしょうか(笑)。小さい頃は気がつきませんでしたが、いまから振り返ると私の父、母、私が置かれていた時代の状況は、なにかものをつくることへのヒントに溢れていた時代だったと思います。幼年時代は貧しく、困難な時代でした。私はあるとき、ロサンゼルスでトラックの運転手をしていました。そのときは、ユニヴァーシティではなく、ロサンゼルス・シティ・カレッジの夜間に通っていて、数学や科学をはじめ、とにかく当時興味を持っていたコースを受けていました。しかしながら、なかなか成績は上がりません。一度、興味を持って勉強していたコースで『F』(落第点)をとったがあって、とにかくそのことに頭にきたのでもう一度同じコースを履修して、今度は『A』をとりました。そのコースをとったのが、建築家になることになる、最初のひとつのレンガだったと思います。友人のひとりにラジオ・アナウンサーがいて、なんだかおもしろそうだなあと思って、私もラジオのアナウンサーになろうとしたのですが、声質がダメだったのですね。結局この夢はあきらめました」
「あるときカレッジで製図のコースをとりまして、これについてはかなり上手くて成績もよく、先生がさらに続けたらどうかと励ましてくれました。これが2つめに積んだレンガでした。この段階ではまだ建築を学ぶには至っておらず、夜学を続けながら、次に陶芸のコースをとりました。恥ずかしくてその頃の作品をお見せすることはできませんが。先生だって恥ずかしく思っていたはずです(笑)。ただ、先生は私のことを気に入ってくれて、スチューデント・アシスタントになったらどうかと誘ってくれました。先生は清の時代のとても美しいセルリアンブルーの陶器をつくることができる人でした。あるとき、先生が器を釜に入れて焼いて仕上がった作品がとてもきれいで、どうやってこの器をつくったのか、偶然じゃないのかと聞いたところ、『これからは偶然できたとしても自分がつくったと言いなさい』と言われました。そういう教えややりとりが鮮明に思い出されます。」
「この陶芸の先生は自宅をカリフォルニアの建築家であるラファエル・ソリアーノに依頼して建てていました。ソリアーノにはミニマリスト的素養があり──安藤忠雄さんにも通じるところがあると感じますが──美しい建築をつくる建築家です。建設現場で彼に会って話をしていたときのことですが、彼は私に『フランク・ロイド・ライトは好きになるなよ』と言うんです。そこで数時間作業を見ていたら、今度は陶芸の先生から『君は建築のコースをとったらどうだ、いいアイデアだろ』と勧められました」
「その後私は南カルフォルニア大学の夜間コースに移り、毎週月曜日に開かれているプロジェクトに参加しました。成績が良かったものですから、2年生をスキップさせてくれました。2年目の最初の学期が終わったときでした。大学の建築コースの先生が私をオフィスに呼んでこう言いました。『フランク、私には君がなにになるべきかわからないけれども、建築家にはなるもんじゃないぞ』。それでも私はその後大学を卒業し、建築の世界のなかに留まりました。先生とはその後時折顔を合わせることがありましたが、先生は『わかっている、もうなにも言うな』と言いました(笑)」
「第二次大戦が終わる頃、アメリカのGIや建築家が伊勢神宮や桂離宮などの日本の建築を見て、たいへん感銘を受けていました。1950年代のロサンゼルスは、木造のトラックハウスが戸建住宅の代わりになっていて、粉末石膏を塗ったような外観のトラックハウスが何マイルも続く風景をつくっていました。そういう時代にアメリカは日本の古建築の美しさに出会ったわけです。スキー事故で惜しくも亡くなったゴードン・ドレイク(Gordon Drake、1917−51)や、ハーウェル・ハミルトン・ハリス(Harwell Hamilton Harris、1903−90)などが現代的な木造建築を遺していますが、ここにも日本の影響が見られます」
「木造建築における日本建築の影響は、個々の魅惑的な作品のレベルを超えて存在しており、私の初期の作品を含めて、かなり日本風のものと感じられる作品がたくさんあったのです。フランク・ロイド・ライトやチャールズ&ヘンリー・グリーン(Charles Sumner Greene、1868−1957/Henry Mather Greene、1870−1954)、バーナード・メイベック(Bernard Ralph Maybeck、1862−1957)などの『マスター・アーキテクト』と呼ばれる建築家の作品にはやはり日本の建築から派生したスタイルを感じます」
「日本の国宝を展示するロサンゼルス・カウンティ美術館でデザインをしたことがあるのですが、このときも私は日本の文化からの影響を感じていました。例えば葛飾北斎や歌川広重の木版画、江戸時代の陶器や屏風、侍たちの装束、日本文学など、これまでにかなり深く日本文化を学ばせてもらいました」
「その後《フィッシュ・ダンス》(1987)というレストランを神戸に設計しました。私としては魚の形そのものだったり、ヘビを模したような建築をやりたいとは思っていなかったのですが、このときはコミュニケーションが崩壊し、クライアントと私の意思の疎通がうまくいかずに、誤解によって建物ができてしまうという奇妙な経験をしました。ベストを尽くしたかったのですが、それが適わなかった。いつかだれかドキュメンタリーをつくってくれたらいい(笑)。私は辞めたかったのです。日本の文化についてはもちろんみなさんのほうがご存知なのですが、私が『辞めたい』と言ったとたんに現場では、それはたいへんだ、面目がつぶれる、そうなればなんて恥ずかしいことかと、かなり騒ぎになったのですが、日本側の建築監修の方々がとても優しく、また私も彼らを傷つけたくない思いで進めました。《フィッシュ・ダンス》は外側から光をあてて街のひとつのオブジェとしようという意図があったのですが、数カ月後に神戸に戻ってきたらなんと内側から照明があてられ、ゴールドに塗られ、目まで描かれているんですよ(笑)。この一件があったから、その後日本から建築設計依頼がこないのかなあと思っているんです。悲しいストーリーでした(笑)」
開催中の21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、見る者をあっと驚かせ、同時に強く魅了するゲーリー建築の発想から完成までを紹介しています。アイデアをかたちに変えることによって、人々に感動を与える建築家の仕事。
本展会期中に、東京都内で開催されている建築にまつわる展覧会にもあわせて足を運び、建築家それぞれの魅力を探ってみてはいかがでしょうか。
森美術館(六本木ヒルズ展望台 東京シティビュー内スカイギャラリー)
「フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション」
2016年1月1日(金祝)- 2月14日(日)
建築家ノーマン・フォスターによって1967年に設立された「フォスター+パートナーズ(フォスターアンドパートナーズ)」は、世界45カ国で、300のプロジェクトを遂行、日本の国宝建築に相当する英国保護登録建築物最上級グレード1の指定等・輝かしい実績を誇る国際的な建築設計組織です。《スイス・リ本社ビル》や《ドイツ連邦議会新議事堂、ライヒスターク》など、それぞれの都市を訪れたことがある人なら誰もが一度は目にしたことがある現代建築史上の名作を生み出してきた彼らは現在も、アップル新社屋や月面の砂を素材に3Dプリンターで制作する月面住宅など、建築のイノベーションともいえるプロジェクトに次々と取り組んでいます。「伝統と未来」、「人間と環境」といった普遍的なテーマを追求し、革新的なアイデアで建築や都市を創り続ける「フォスター+パートナーズ」。本展では、半世紀に及ぶ彼らの活躍を総合的に紹介していきます。
現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、『AXIS』179号に、フランク・ゲーリー氏の表紙インタビューが掲載されました。
本誌は、「建築家 フランク・ゲーリー展 」会期中、21_21 DESIGN SIGHT1階のショップスペースでも販売しています。また、本展ディレクター 田根 剛の表紙インタビューが掲載された『AXIS』176号もあわせて販売中です。ぜひご覧ください。
2015年12月、東京都港区立笄小学校4年生66名が、「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を授業の一環として訪問しました。
はじめに、21_21 DESIGN SIGHTスタッフが本展の構成と展示内容を紹介しました。児童のみなさんは、スタッフの解説を聞きながら会場をくまなく鑑賞します。建築家のアイデアがどのようなかたちで生まれてくるのか、ゲーリー建築の外観と内観のダイナミズムや居心地の良さ、ゲーリーの人物像、さらにはプロジェクトのプロセス模型のかたちや質感に、強く惹きつけられている様子でした。
その後、「すてきなアイデアや心にのこったこと・発見したことを書きましょう」をテーマに、館内を自由にまわりながら思い思いに文章や絵などを綴り、その内容を発表しました。
授業の後半では、安藤忠雄が手がけた21_21 DESIGN SIGHTの建築に注目して、フランク・ゲーリーの建築との違いを観察します。児童のみなさんは実際の建築に触れながら、内部空間の広がりや光の使われ方など、建築家によって異なる特徴が現れているところを見つけて、発表しました。
最後に全員で館外に出て、21_21 DESIGN SIGHTの外観のスケッチを行いました。本展のそこかしこにあったアイデアや、各自の発見したこともスケッチに表現され、かたちや質感がしっかりと捉えられていました。
建築家 フランク・ゲーリーのアイデアに触れた児童のみなさんは、アイデアを持ち続け、実現することの大切さを体感していたようです。この日は21_21 DESIGN SIGHTにとっても、デザインに欠かせない、ものごとをつくりあげることの楽しさと大切さを、港区立笄小学校のみなさんと分かち合うことのできる貴重な機会となりました。
開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、フランク・ゲーリーにまつわる書籍とともに、ゲーリーと親交のある3名が彼の作品や仕事を語るインタビュー映像を閲覧できる図書コーナーを設けています。
21_21 DOCUMENTSでは、そのうちのインタビュー映像「フランク・ゲーリーについて」を紹介。
「ものづくりにゴールはない」と語る建築家 西沢立衛が、世間の常識に挑戦し続けるゲーリーの姿勢と、現在進行形で展開してゆく彼の建築の「創造性」について考えます。
2016年6月24日から開催される21_21 DESIGN SIGHT企画展「土木展」(仮称)の展覧会ディレクター 西村 浩が、1月31日まで水戸芸術館 現代美術ギャラリーで開催中の展覧会「3.11以後の建築」の関連プログラムとして、レクチャー&ワークショップ「展示室を芝生でリノベーション」を開催しました。
「3.11以後の建築」は、建築史家の五十嵐太郎とコミュニティーデザイナーの山崎 亮をゲスト・キュレーターに迎え、東日本大震災後の社会の変化に自分なりの考え方や手法で向き合う21組の建築家の取り組みを紹介する展覧会です。これからの日本において、建築家がどのような役割を果たし、どのような未来を描こうとするのか、批判と期待の両方の視点で構成されています。
建築家の西村 浩と彼の率いる設計事務所ワークヴィジョンズは、展覧会終盤の「建築家の役割を広げる」というコーナーで、<Re-原っぱ>を展示。「空き地が増えるとまちが賑わう?」という逆説的なコンセプトのもと、西村の出身地でもある佐賀市中心部の駐車場等を「原っぱ」にすることで、市街地にこどもからお年寄りまでが集まってくるという実験的な試み「わいわい!!コンテナプロジェクト」を紹介しています。
2015年12月5日に行われたレクチャーでは、はじめに西村が、21世紀という新しい時代における新しいまちづくりや建築のあり方について、ハードとしての建造物には限界があり、仕組みや人というソフトづくりが最も重要であると解説。実験と挑戦、豊かな想像力、そして発想と発明が何よりも大切だと熱く語りました。続くワークショップでは、参加者全員で展示室内に人工芝を敷く作業を行い、芝生を貼るだけで世界が変わるという体験を共有しました。
社会の様々な問題を解決することが建築家の役割であると断言する西村。現在21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have and Idea"」と同様に、発想、発明、そしてアイデアの力の重要性を感じさせる、充実した展覧会とレクチャー&ワークショップでした。
水戸芸術館「3.11以後の建築」
2015年11月7日(土)-2016年1月31日(日)
開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、フランク・ゲーリーにまつわる書籍とともに、ゲーリーと親交のある3名が彼の作品や仕事を語るインタビュー映像を閲覧できる図書コーナーを設けています。
21_21 DOCUMENTSでは、そのうちのインタビュー映像「フランク・ゲーリーについて」を紹介。
安藤忠雄が、時代と対話しながらつくられ、時代を牽引するフランク・ゲーリーの作品が建築界に与えた影響や、自身とゲーリーとの交流の思い出を語ります。
開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」は、世界的に活躍する建築家 フランク・ゲーリーの「アイデア」に焦点をあて、アイデアが生まれる背景や完成までのプロセスを、数々の模型や、建築空間を体験できるプロジェクションを通して紹介しています。
ここでは本展技術監修を務める遠藤 豊による紹介映像で、会場の様子をご覧いただけます。
開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、フランク・ゲーリーにまつわる書籍とともに、ゲーリーと親交のある3名が彼の作品や仕事を語るインタビュー映像を閲覧できる図書コーナーを設けています。
21_21 DOCUMENTSでは、そのうちのインタビュー映像「フランク・ゲーリーについて」を紹介。
ゲーリーの代表作のひとつである「ウォルト・ディズニー・コンサートホール」の音響設計を手がけた豊田泰久は、設計当時の逸話や、ゲーリーと日本文化の関わりについて語ります。
現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、『Casa BRUTUS』12月号の30ページにわたるフランク・ゲーリー特集の中で、本展ディレクター 田根 剛による展覧会ガイドが掲載されました。
現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、フランク・ゲーリーのインタビューが、『casabrutus.com』に掲載されました。
21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」の主役、フランク・ゲーリーにスポットを当てた展覧会が都内各地で開催されています。
エスパス ルイ・ヴィトン 東京
「フランク・ゲーリー/ Frank Gehry パリ - フォンダシオン ルイ・ヴィトン 建築展」
2015年10月17日(土)- 2016年1月31日(日)
フランク・ゲーリーの最新作『フォンダシオン ルイ・ヴィトン』は、2014年10月フランス・パリにオープンした文化芸術複合施設です。エスパス ルイ・ヴィトン東京の14回目のエキシビションとなる本展では、「フランスの深い文化的使命感を象徴する壮大な船」とゲーリーが称したこの建築を通して、建築家フランク・ゲーリーとその仕事を辿っていきます。会場では、さまざまな段階の建築模型のほか、完成までに採用された多様な先端技術やドローンを用いて撮影された外観映像、本施設の主軸であるアーティスティックな活動の紹介映像を通してプロジェクトの全貌を公開。フランク・ゲーリーの斬新な創造力と、エスパス ルイ・ヴィトン東京から一望できる東京の建築群との調和が織り成す新たな世界観をご体感ください。
現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、本展ディレクター 田根 剛のインタビューが、『Pen Online』に掲載されました。
現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」に関連して、本展ディレクター 田根 剛のインタビューが、『和樂』11月号に掲載されました。
2015年11月14日、建築家 西沢立衛と現代美術家 宮島達男が登壇し、「トークシリーズ『I Have an Idea』第1回 "ぐにゃぐにゃ" 形成と形態について」を開催しました。
対談は、「フランク・ゲーリーを初めて知ったとき」から始まりました。1980年代、大学生の頃に初期のフランク・ゲーリー建築を知ったという西沢に、宮島が「当時の若い建築家への影響は?」と問うと、西沢は「石を削る彫刻のような発想ではなく、日本の木造建築の考え方に近しいゲーリー建築の影響は特に大きかったのではないか」と答えました。 宮島は、スペインでの展覧会に出展した際にビルバオ・グッゲンハイム美術館を見るためにビルバオへ足を運んだといいます。街の中にビルバオ・グッゲンハイム美術館が突然立ち現れる風景は、それまでに見たことのないものでとても驚いたと宮島が語ると、フランク・ゲーリーの名を世に知らしめたビルバオ・グッゲンハイム美術館の特徴は、しかしそれまでのゲーリー建築とかけ離れたものではなかったと西沢は言います。それでも多くの人を惹きつけたビルバオ・グッゲンハイム美術館は、それまで脱構築主義の文脈でばかり語られてきたゲーリー建築が、抜きん出た抽象性を獲得し、自由にゼロから見ることのできる建築になった作品であったろうと語りました。
話題は、本日のテーマである"ぐにゃぐにゃ"という言葉に移ります。フランク・ゲーリーの素晴らしさは、その適確なスケール感にあると言う西沢。かたちの個性として重要な"ぐにゃぐにゃ"は、ともすればデザインの特徴としてのみ想像されがちだが、フランク・ゲーリーは、空間の機能とボリュームを現実的に捉え、必要な空間の区切り、つまり"ぐにゃぐにゃ"の数を割り出すのだと語りました。
それぞれのゲーリー建築への印象を通じて、フランク・ゲーリーには彫刻的なアプローチをする一面があるのではないかと、「emotion」という言葉を使いながら語り合う西沢と宮島。
宮島はゲーリーの仕事について、パリのルイ・ヴィトン財団の展覧会で数えきれないほどのゲーリーの建築模型を目にして、ヘンリー・ムーアのスタディを連想したと言います。また、人が入ることのできる「何か」として捉えることのできるゲーリー建築は、ニキ・ド・サンファルやオラファー・エリアソンのアート作品にも互いに通じ合うところがあるのでは、とも述べました。
西沢も、ゲーリーは「人間の入るところ」をつくっているのであり、それが「建築」であることを必須としていないのではないか、と同意します。住まう時点では過去になってしまう建築創造を、現在進行中であるように錯覚させるような迫力がゲーリー建築にはあるとも言う西沢。さらに、ゲーリー建築は建材をきっかけに建物を考え始めているのではないかと自論を述べると、その上で彼の建築には、近代建築史のすべてを見て取れると語りました。
さらに西沢は、ゲーリー自邸を例に挙げると、ゲーリー建築を究極のコラージュでありブリコラージュであると表現しました。日常性を起点に必要なものを集めて組み合わせていったような自邸をはじめとするゲーリー建築は、「誰にも『アイデア』の可能性はある」と示唆しているのでは、と語ります。
話題はゲーリー・テクノロジーへ。西沢は、以前フランク・ゲーリーが来日した際に聴いたエピソードを紹介します。かつては優秀な数学者であるゲーリーの親しい友人が、ゲーリーがアイデアの発想段階でつくったオブジェのようなものを定規で測り、図面に起こしていたのだと、ゲーリー自身が語っていたと言います。宮島は、今やアートの世界でも必然のものとなったデジタル・テクノロジーの例を挙げて紹介した上で、それでも細部には人間の手による表現が必要だと語りました。
トークの終わりには、参加者から「以前、オスカー・ニーマイヤーの建築を"色気がある"と表現していたが、フランク・ゲーリーの建築はどうか」と問われた西沢は、「彼の建築には、日本では善悪の線をひいてしまうようなことでも受け入れる懐の深さがあり、人間的な生命の輝きがあると思う」と答えました。
フランク・ゲーリーの建築を、建築家と現代美術家のそれぞれの視点から語り合った二人の会話は、その魅力を建築としてのものに限定しない広い視点でのトークとなりました。
現在開催中の企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」のプレスプレビューで行われた、フランク・ゲーリーのQ&Aセッションの様子が、『10+1 web site』(LIXIL出版)に掲載されました。
日本文化から受けた影響、建築の道を選ぶまでの経緯、近年の活動などを熱く語るゲーリーの素顔をぜひお楽しみください。
開催中の21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」では、見る者をあっと驚かせ、同時に強く魅了するゲーリー建築の発想から完成までを紹介しています。アイデアをかたちに変えることによって、人々に感動を与える建築家の仕事。
本展会期中に、東京都内で開催されている建築にまつわる展覧会にもあわせて足を運び、建築家それぞれの魅力を探ってみてはいかがでしょうか。
TOTOギャラリー・間
30周年記念展「アジアの日常から:変容する世界での可能性を求めて」
2015年10月17日(土)- 12月12日(土)
加速度的に日々刻々と日常を取り巻く状況が変動し、明日の姿が見えにくくなっている今、私たちは「建築」にどのような可能性を見いだせるのでしょうか。自然の中の建築を間近に見るヴォ・チョン・ギア、自然と建築のスタディをじかに学ぶチャオ・ヤンとリン・ハオ、建築および日常の与えるさまざまな印象を再現してくれるチャトポン・チュエンルディーモルと大西麻貴+百田有希。本展では、ベトナム、中国、シンガポール、タイ、そして日本と、アジアという共通項で結ばれながらも多様な背景を持つ建築家5組が「アジアの日常」をヒントに、自然と建築と日常の関係を探っていきます。
開設第1回目の展覧会に建築家フランク・ゲーリーを迎えたというTOTOギャラリー・間も、今年で30周年。この機会に足を運んでみてはいかがでしょうか。
企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」は、世間の常識に挑戦する作品をつくり続ける建築家 フランク・ゲーリーの「アイデア」に焦点をあて、彼の思考と創造のプロセスを、数々の模型や建築空間のプロジェクションを通して辿る展覧会です。
本連載では、ゲーリー建築をより深く理解し、その魅力を一層楽しめる展覧会の見かたを本展企画協力の瀧口範子が解説します。
本展のテーマは、「アイデア」である。建築家 フランク・ゲーリーが、いかにアイデアを得て、それを発展させていくのか。そのプロセスを数多くのオブジェや模型から感じていただけるはずだ。
だが、アイデアもそれが実現にいたらなければ、ただの思いつきに終わってしまう。誰であれクリエーターの活動の大部分は、アイデアを現実のものにしようとするところに費やされているはずである。ことに、自分にしかないアイデア、まだ誰も目にしたことのないアイデアを、社会や技術の制約を超えて実現するのは簡単なことではない。もちろん、フランク・ゲーリーの場合もしかりだ。
ゲーリー建築を目にしたことのある人ならば、標準的な形態を逸脱したこれら建物がどのように実現されたのか不思議に思うことだろう。特注の建材をたくさん使ったのだろう、金と時間をぜいたくに費やしたのだろう、建設現場では作業員に無理強いをして、慣れない危険な取り付けもさせたのだろう。そう想像してもおかしくない。
ところが、現実はそうでなかったことを教えてくれるのが、ゲーリー・テクノロジーズという技術会社の存在である。展覧会会場では、本展ディレクターの田根 剛と技術監修の遠藤 豊がビジュアルデザインスタジオ WOW(ワウ)の協力のもと制作した映像で、そのアプローチと活動を知ることができる。
ゲーリーがコンピュータ・テクノロジーに出会ったのは、スイスで設計したヴィトラ・デザイン美術館がきっかけだった。そこにある螺旋階段はゲーリーの図面通りに建設されていたにも関わらず折り目ができ、ゲーリーが求めていた、流れるようなスムーズさを欠いていたのだ。二次元の図面で三次元の建物を表現することの限界を感じたできごとだった。
ゲーリーはその後、航空機の設計で用いられているCATIA(カティア)というソフトウェアを知る。流線で構成される航空機は、壁や屋根のある普通の建築とは違って三次元的なアプローチによってしか設計されない。それをゲーリーは自身の建築に利用してみようとしたのだ。
それを初めて試したのが、スペイン・バルセロナに建てられた「フィッシュ」と呼ばれる巨大な魚の彫刻だった。ここでは、魚の躍動感が硬い鉄骨によってつくり上げられた。コンピュータが鉄骨の組み合わせを詳細にわたって算出したおかげだ。
その後、有名なビルバオ・グッゲンハイム美術館でCATIAを本格的に利用する。踊るような力と複雑な構造を持つこの建築は、ゲーリー事務所がコンピュータ・テクノロジーの潜在力を引き出すことによって実現したものと言える。
ゲーリー事務所は、その時々のプロジェクトに合わせてソフトウェアを洗練させていき、テクノロジー部門は後にゲーリー・テクノロジーズとして独立する。会場の映像では、ゲーリー・テクノロジーズがどう建築のプロセスを変えたのか、それによってどう建築家が力を得たのかが語られる。
たとえば、上述のビルバオ・グッゲンハイム美術館では、鉄骨構造のために6社が入札した際、各社間で入札額の誤差が1%しかなく、しかも予定コストよりも18%も安い額が提示された。コンピュータ・モデルによって部材の情報が詳細にわたるまで共有されたことも理由だが、コスト面、建設面での効率化を図るために、鉄骨設計の最適解を求めてコンピュータ・テクノロジーが用いられた結果である。
また、ニューヨークのエイト・スプルース・ストリートは、高層ビルとしてまれに見る複雑な外壁を持つが、それを構成する10300枚近くの外壁パネルはたった3種類しかない。しかも、特注パネルはそのうちの20%のみ、残りは40%の規格パネル、40%の標準パネルだ。ここでも、デザインとコスト、工期などの最適解をコンピュータによってはじき出したことが背景にある。
ゲーリー建築では、「マスター・モデル」と呼ばれる建築の中央データに、デザイン、設備、建材、建設、工程などのすべての情報が統合されるようにし、コストや工期をコントロールしながらデザインを柔軟に模索できるようになっている。ゲーリーは、そのしくみづくりを行ったと言える。
現在は、建築もコンピュータ・テクノロジーによって大いにサポートされているのは周知のところだ。だが、ゲーリーの場合は、自らの手でそのテクノロジーをつくり上げていったところに、探究心とユニークさが感じられるのである。
文:瀧口範子
企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」は、世間の常識に挑戦する作品をつくり続ける建築家 フランク・ゲーリーの「アイデア」に焦点をあて、彼の思考と創造のプロセスを、数々の模型や建築空間のプロジェクションを通して辿る展覧会です。
本連載では、ゲーリー建築をより深く理解し、その魅力を一層楽しめる展覧会の見かたを本展企画協力の瀧口範子が解説します。
本展は、建築家 フランク・ゲーリーをさまざまな観点から捉えている。完成した作品だけでなく、考える過程や利用する建材、インスピレーションの源など、幅広い側面からゲーリーその人を伝えようとしているのが特徴と言える。
したがって、展覧会会場の中にはいくつもの見どころがある。それを順を追って説明しよう。
まず、1階エントランス部分に設置されているのは、フォンダシオン ルイ・ヴィトンの50分の1の模型だ。この建物は、ルイ・ヴィトンの複合文化施設として2014年秋にパリのブーローニュの森の中に完成したもの。本展では、ゲーリーのアイデアの変遷をテーマとしているために、思考段階でつくられた模型をたくさん展示しているが、同模型は本展では数少ない完成模型である。多重奏する帆がたなびくような実景が窺えるものだ。
階段を下りて地下へ行くと、そこでは壁に投影された映像によってゲーリーの建物が追体験できる。本展で技術監修を務めた遠藤 豊自身が、ロサンゼルス、パリ、ビルバオの3カ所で実際に撮影した3つの建物の様子が、臨場感豊かに味わえるという趣向を楽しんでいただきたい。
その後、ギャラリー1へ。ここは本展の序章とも呼ぶべき空間で、フランク・ゲーリーのパーソナルな側面を伝えようとしている。ロサンゼルスのゲーリー事務所内の、それも彼自身のオフィスから運んできたさまざまなオブジェが、まず目をひくだろう。ただのガラスの塊であったり、アクリル・ブロックを重ねたようなものであったりするが、そんなものが見れば見るほどにキャラクターを帯びてくる。ゲーリーがインスピレーションの源として、そうしたオブジェを身の回りに置いていることの意味が見えてくる。
ここでは、ゲーリーの自邸の映像や模型が見られるほか、本展のテーマ「アイデア」について書かれた「マニフェスト」を読み上げるゲーリー自身の姿が映像で流されている。86歳の今も、新しいアイデアや納得できるかたちを求めて奮闘し、不屈の精神でそれを実現にまで運んでいくフランク・ゲーリーという建築家の一端をかいま見ることができるはずだ。
ギャラリー2へ歩を進めよう。本展でいちばん大きな空間を占めているのは、建築模型の数々である。この展示室では、最近、そして進行中の5プロジェクトに絞って、ゲーリー事務所でつくられてきた模型を展示している。色分けされたブロックで建築のプログラムを構成する段階、それを外壁で覆う段階、外壁の形状と内部空間の関係を模索する段階、建物全体の構成や構造を固めていく段階。そうした各段階で無数のアイデアがテストされているのが、これらの模型から感じられる。ここは、本展の核とも言える部分だ。
同じくギャラリー2では、壁面にも目を向けていただきたい。「アイデアグラム」とは、建築家が発想源とするアイデアをダイヤグラム化したもの。フランク・ゲーリー、そして広く建築家がどんな要素を鑑みながら建築を考えるのかが想像できるだろう。アイデアグラムは、本展ディレクターの田根 剛が作成した。
そのほかにも、この壁面には実際にゲーリー建築で使われている発色チタンが生の素材として展示されている。見る方向によって色が変わる不思議な素材だ。また、そんな素材の表情がよく見える外壁の写真、ゲーリー建築の内部のスタディーをパネル化したコーナーも見どころのひとつである。
ギャラリー2では、ゲーリー・テクノロジーズ(以下GT)の説明も必見である。複雑な曲線からなる自身の建築を実現するため、ゲーリー事務所は三次元モデルなどのコンピュータ技術を早くから利用してきた。その機能をますます洗練させていった結果、現在では建築や設備設計の詳細データを建設業者ら関係者と共有できるようになっただけでなく、工期、コストなども管理下におけるようになった。ここでは、そのGTのなりたちと技術をわかりやすい映像で見せている。
この展示室を出る手前左手に、ゲーリーがこれまでデザインしてきた家具も展示されている。段ボール素材を重ねたチェアは、十分な強度を実現していることが驚きだが、表に現れる美しいパターンも見物である。
ここまでたっぷりとゲーリー建築を目にした後は、ギャラリーを抜けた先にある回廊でゲーリー建築を読み解くもう2つの要素を知ることができる。「魚」と「工場建築」である。「頭と尾を切り落としても、まだ動きを持つ」とゲーリーが夢中になった魚の形状、そして若い頃、自身でカメラに収めた安価な素材で成り立つ工場建築は、現在のゲーリー建築にもつながるエッセンスを含んでいる。
難しくてわかりにくいとも思われていたゲーリー建築は、フランク・ゲーリーという個人の目と手の作業からできあがっていく。それを感じていただければ、本展の見どころは十分に伝わっているだろう。
文:瀧口範子
写真:木奥恵三
開催中の21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家 フランク・ゲーリー展」では、見る者をあっと驚かせ、同時に強く魅了するゲーリー建築の発想から完成までを紹介しています。アイデアをかたちに変えることによって、人々に感動を与える建築家の仕事。本展会期中に東京都内で開催されている、建築にまつわる展覧会に足を運び、建築家それぞれの魅力を探ってみてはいかがでしょうか。
国立近現代建築資料館
「ル・コルビュジエ×日本 国立西洋美術館を建てた3人の弟子を中心に」
2015年7月21日(土)- 11月8日(日)
西洋建築の模倣に始まり、モダン・ムーブメントを受容する中で独自の発展をとげてきた日本の近現代建築。フランスの建築家ル・コルビュジエの作品と思想が、ここに与えた影響は測り知れません。近代建築界の巨匠であるル・コルビュジエは、日本においてどのように発見・受容、展開されてきたのでしょうか。本展では、パリのアトリエで学んだ3人の弟子、前川國男、坂倉準三、吉阪隆正の活動を探るとともに、日本における唯一のル・コルビュジエ作品『国立西洋美術館』の建設経緯と建築の魅力を紹介します。
21_21 DESIGN SIGHT企画展「建築家 フランク・ゲーリー展」の主役、「フランク・ゲーリー」にスポットを当てた展覧会が都内各地で開催されています。
GA gallery「フランク・O・ゲーリー×二川幸夫 写真展」
2015年9月19日(土)- 11月8日(日)
編集者であり写真家であった二川幸夫は、建築家フランク・ゲーリーと40年にわたり親交を深めてきたといいます。良いと思った建築には工事中から、完成後も季節ごとに何度も繰り返して、二川はゲーリー建築のほぼ全てに足を運び、その姿をカメラに収め続けました。本展示では、そんな二川の膨大な数に及ぶアーカイブの中から代表作をセレクトし、大判プリントと高解像度4Kモニタで紹介しています。
見る者を圧倒するダイナミックなゲーリーの建築群は、彼を良く知る二川の眼にどのように映ったのでしょうか。二川の眼が切り取ったゲーリー建築のハイライトを、ぜひ体験ください。
いよいよ明日開幕となる「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」。開催に先駆け、会場の様子をお届けします。
建築家 フランク・ゲーリーは、半世紀以上にわたり建築の慣習を覆し、世間の常識に挑戦する作品をつくり続けてきました。見る者を圧倒し印象に強く残り続ける、誰にも真似できない建築。本展では、ゲーリーの創造の原動力「アイデア」に焦点をあて、その思考と創造のプロセスを、新進の建築家 田根 剛をディレクターに迎えて紹介していきます。
会場には、アイデアが詰まった数々の模型をはじめ、建築を体感できるプロジェクション、書籍や映像等を数多く展示。ひとりの人間としてのゲーリーの姿に触れられる「ゲーリーの部屋」も登場します。自由に発想することの楽しさと挑戦し続ける勇気を与えてくれる展覧会にぜひ、足をお運びください。
Photo: 木奥恵三
21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載を企画。会期を間近に控えた今回は、フランク・ゲーリーのマニフェストでも語られ、本展でも数多く展示する「模型」について、そのみかたと建築のプロセスにおける重要性を解説します。
本展では、フランク・ゲーリーの建築をさまざまな方法で見せている。中でも、数が多いのは模型(モデル)だ。
模型というと、プラモデルとかミニチュアカーなどが頭に浮かぶだろう。建築において模型は、いろいろな意味で重要な役割を果たしている。
よく見るのは、完成予想模型。住宅ならば、「でき上がったら、こんな家になりますよ」というのを形にしてみせるものだ。家の外観がミニチュアでつくられていて、尺度は100分の1など、どの部分でも均一に縮小されている。そのため、家の高さと屋根の大きさ、敷地の中で家が占める割合などを正しく把握できる。屋根を持ち上げて、家の中の部屋割りを確かめることもできるだろう。
さて、建築では完成模型だけでなく、いろいろな種類の模型が多様な目的のためにつくられる。ことにゲーリー事務所では、その数が飛び抜けて多い。本展のテーマになっている「アイデア」も、実はそれに関連しているのである。
模型は、どんな建築であるべきかを探索するためにつくられる。それをスケッチや二次元の図面で行う建築家もいるが、フランク・ゲーリーは最初から三次元の模型でそれを行うことで知られている。
最初は、建物のプログラムに基づいて内部をどう構成できるかを考えるための模型がある。プログラムとは、その建物が使われる用途とそれに必要な面積といったことだ。学校ならば、教室、講堂、廊下、食堂などの用途とその面積が最初に定められているだろう。ゲーリー事務所では、そうした用途ごとに色分けしたブロックを積み木のように組み合わせて、最良の構成をさぐる方法論を編み出している。
積み木は何度も重ねたり崩したりを繰り返す。入口から入ってどんな用途が並んでいるのがいいのか、敷地の日照や風景を鑑みるとどこにどんな用途を配置すればいいのか。建物全体として、どんな性質を備えているべきか。そんなことを何通りも試すのだ。
ブロックでだいたいの空間構成が決まれば、今度は外観のかたちを考える。この部分は天井を高くしてトップライトを設けるとか、ダイナミックな表情のある建物にしたいとか、どんな建材を外壁に使いたいといったような要素を、ここで試してみるのだ。ここでも、ゲーリー事務所は紙やプラスチックなどを使いながら、時に先のブロック模型も流用しながら、無数の模型をつくる。
外観ができたからと言って、それで終わりではない。特定の内部空間を、今度はもっと大きな模型をつくってじっくりと検討する。天井の高さ、窓などの開口部の位置と大きさ、空間の広がりなどが模型でわかるようになっている。中に人間大のフィギュアを置いて、人と空間との関係がどんな風になっているのかを確かめることもある。もっと細かく、部材の組み合わせといったものを検討する模型もある。外壁の素材とかたちをもっと詳細に探索するために、さらに模型がつくられる。
こうしてたくさんの模型をつくりながら行われているのは、スケッチや図面、そして頭の中で考えていることが、本当にその通りなのかを確認する作業である。建築には構造があり、外壁があり、中の空間がある。それらが本当に構想した通りになっているのか、それを外観といった全体から、ディテールのレベルにまで落として確認できるのが模型なのだ。建物は完成しないと、そこにいる実体験はわからないのだが、模型はその体験を最大限に代替する手段なのである。
したがって模型は、つくりながらまた考えを進め、また新しい模型をつくっては検討しと、建築の構想に伴走する存在である。ここで模型づくりの労力を惜しんでいては、構想も半ばに終わってしまう。
本展にはたくさんの模型が展示されているのだが、これはゲーリー事務所にある模型のごくごく一部に過ぎない。ゲーリー事務所のあふれるような模型の数は、それだけアイデアを試し、確かめ、また練り直しといった作業が行われたことを示しているのである。
文:瀧口範子
21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。本展の主役、フランク・ゲーリーの素顔に迫った第1回、第2回に続き、新進の建築家で本展ディレクターを務める田根 剛についてその活躍を追っていきます。田根 剛ってどんな人?
さて、本展ではディレクターに田根 剛を迎えている。田根は、どんなアプローチでこの展覧会のコンセプトを打ち立てたのか、どうデザインしたのか。いや、そもそも田根 剛とは何者なのか。
田根は、現在パリ在住。2005年、イギリスの建築設計事務所アジャイ・アソシエイツに務めていた当時、イタリア人、レバノン人の友人らとある建築コンペに参加した。エストニアのかつて軍用滑走路だった敷地に博物館をつくるというもので、この3人組は何と最優秀賞を受賞。そこで、パリに渡って3人で建築設計事務所DGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)を設立した。
日本では、2020年東京オリンピック招致に向けて行われた「新国立競技場」の設計コンペで最終選考に残ったことで、DGT.、そして田根の名前を目にした人もいるだろう。彼らの案は、神宮外苑の敷地に盛り土をして山をつくり、その中に競技場が半分埋まっているという構想だった。東京にまるで古墳をよみがえらせたような風景は、大きな話題を呼んだ。
展覧会や舞台のデザイン、店舗設計も多く、2014年にはパリのグランパレで開催された『北斎展』の会場デザイン、ミラノ・トリエンナーレでの時計メーカー、シチズンのインスタレーション、虎屋パリの改装デザインなどを手がけた。ちなみに、東京のスパイラルで凱旋展として展示されたシチズンの『LIGHT is TIME』展は、7万2000人の来場者が見に来たほどの盛況だった。
DGT.では現在、20数件のプロジェクトが進行中という。そのうち、日本では美術館、劇場、工場、住宅などが15〜6件、その他は欧州を中心に、NY、香港、レバノンでプロジェクトが進行中。田根は、そのためしょっちゅう日本とフランスとを往復している。今、最も多忙な若手建築家の一人だろう。
「場所の記憶」。自身の建築へのアプローチを、田根はこう説明する。敷地だけでなく、その地域、ひいては国がたどってきた歴史。その痕跡を探し、それを堀り起こしていくことが、彼の建築の第一歩である。そして、建築はその見つけた記憶の上に未来を構想する作業だ。
上述したエストニア国立博物館の場合は、かつてソ連が軍事用に使っていた滑走路を取り込むかたちで建物が計画された。過去を未来へつなげるためのアイデンティティーに位置づけた点が評価された。また新国立競技場は、日本に3万基も存在しているのにほとんど海外では知られていない古墳を通して、日本の民族や歴史を感じさせる場所にしたかったという。
その田根は、フランク・ゲーリーをどう捉えているのだろう。
「知れば知るほど、彼の深みに出会う」と田根は言う。建築と同じように、対象を深く理解する作業をゲーリーに対しても行ってきた。
ごく当たり前の既製品素材を使いながら、オリジナルな建築を生み出す力。それをアーティスティックな表現に高めながらも、建設面では無駄を省いて実現にまで押し進めていく。ゲーリーは、建築に関わるあらゆる観点で高度な専門家であり、その建築家としての姿勢に驚くばかりだという。
展覧会では、彼の建築のプロセスに含まれる多くの情報をどう伝えるのか、そこに注力しているという。フランク・ゲーリーのアイデアを、田根がどう見せてくれるのか。ぜひ期待されたい。
文:瀧口範子
21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。第2回は、人々をあっと驚かせて魅了するゲーリーのユニークな仕事の数々をたどります。フランク・ゲーリーってどんな人?
フランク・ゲーリーの名前を世界に知らしめることになった、スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館とはどんな建物なのだろうか。
この建物は、バスク地方の首都であるビルバオの再建を目指してコンペが開かれて実現したものである。旧市街の端、ネルヴィオン川沿いに位置して伸びやかに建つこの建築は、何と言っても踊るような動きのある金属の外観が特徴だ。金属に光が反射する様子や、ガラス、石といった多様な素材との組み合わせが、目を飽きさせない。
驚きは内部でも待っている。高さ約50メートルのアトリウムでは、白い壁やガラス壁面が彫刻のようにうねり、未知のアートへと誘う入口になっている。また、それぞれの展示室や通路は、従来の美術館とはかけ離れた動的で躍動感のある空間になっている。
この美術館体験を一度でいいから味わいたいと、1997年の竣工以来多くの観光客がビルバオへ押し寄せた。建築によって町おこしが成功するという「ビルバオ効果」という言葉まで生まれたほど、人々にショックを与えた建物だ。
ゲーリーには、こうした大きな驚きを与えた建物作品がいくつもある。ウォルト・ディズニー・コンサートホール(ロサンゼルス)、エクスペリエンス・ミュージック・プロジェクト(シアトル)、そして最近竣工したフォンダシオン ルイ・ヴィトン(ルイ・ヴィトン財団美術館)(パリ)などがそうだ。これらの場所では、音楽やアートを伸び伸びと楽しむための空間のあり方を体感できるだろう。
その一方、研究のための場のデザインもある。マサチューセッツ工科大学(MIT)のスタータ・センター(ボストン)、シドニー工科大学(UTS)チャウ・チャク・ウィング棟などは、研究環境の可能性を模索して、人々の関係性や、物理的、視覚的な空間の広がりなどを考察した例である。
社屋も設計している。DZ銀行(ベルリン)、インターネット会社のIACのビル(ニューヨーク)があり、またFacebook本社(シリコンバレー)では、延床面積4万平米という、広大で平らなユニークな仕事空間を生み出した。
他にも高層住居、個人邸など、手がけるプロジェクトは多様である。だが、どれにおいても緻密なプログラム検討から始まり、手作業による無数の模型製作を経て、高度なコンピュータのプラットフォームを用いて、竣工にいたるまでデザイン、コスト、工期、建設がコントロールされていくという、ゲーリーが生み出した特異なプロセスが共通している。
アイデア、手作業、生のイマジネーション、感触のある素材、そして高度なコンピュータ・テクノロジー。これらが合体しているのが、他にはないゲーリー建築の大きな特徴である。
文:瀧口範子
21_21 DESIGN SIGHTでは、2015年10月16日より企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」を開催します。
展覧会開幕に先駆け、21_21 DOCUMENTSでは、本展企画協力の瀧口範子による連載企画を開始。第1回は、本展の主役であるフランク・ゲーリーについて、その素顔に迫ります。フランク・ゲーリーってどんな人?
フランク・ゲーリー。建築界では知らない人がいないほど有名な名前だが、初めて聞いた、あるいは聞いたことはあるがどんな人かよく知らない、という向きもあるだろう。そこで、ここではゲーリーの人となりをご紹介したい。
フランク・ゲーリーは、1929年にカナダ・トロントで生まれた。父親はセールスマンとして娯楽設備や自動販売機を売ったり、家具づくりをしたり、ボクシングに熱中したりと、あまり安定した生活ではなく、幼い頃は非常に貧しい環境で育ったという。
後にカリフォルニアへ移住。高校を卒業してすぐにトラック運転手になって、夜間学校で学ぶ。後に、「誰からも助けを得られないから、自分でやるしかなかった」と建築プロジェクトの管理方法を学んだいきさつを説明しているが、ゲーリーの自助の精神は、こうした生い立ちの中で早くから植え付けられたもののようだ。
そういう彼も、最初から建築をめざしていたわけではない。夜間学校では化学も勉強した。歴史や微分積分も勉強した。だが、陶芸のクラスが、偶然彼を建築へと導いた。陶芸の先生が、カリフォルニアの建築家ラファエル・ソリアーノに設計を依頼して自邸を建てており、その現場を見に来るようにと誘ってくれたのだ。そこでソリアーノが作業員らに指図をする様子に、ゲーリーはすっかり夢中になった。そして、その後陶芸の先生の勧めで、南カリフォルニア大学(USC)で建築を学ぶのである。
大学へ進学しても、ゲーリーは仕事をしながら学費を稼ぐ苦学生だったが、この時期に多くの建築家を知り、さまざまな建築を見て回った。実は、ゲーリーは幼い頃から絵を描くのが好きで、そんな彼を母や祖母がよく美術館へ連れて行ったという。祖母は、木片を使った町づくりの遊びを何時間も一緒にやってくれた。ゲーリーは、自身の才能を花開かせる道に、ここでしっかりとたどり着いたと言える。大学を卒業したのは、1954年だ。
だが、現在知られているフランク・ゲーリーが生まれるまで、そこからさらに数10年の歳月を待たなければならない。陸軍に徴兵されて関連施設を設計していた時期、ハーバード大学のデザイン大学院で都市計画を学んだ時期、他の建築家の事務所で働いた時期、フランスに渡り、ヨーロッパ中の建築や美術を見て回った時期。そうした時期を経て、ロサンゼルスに自身の建築設計事務所を設立したのが1962年である。
ゲーリーの名前が知られるようになったのは、サンタモニカの自邸だった。自邸はゼロから建てたものではなく、彼が1977年に購入した築60年の住宅が元になっている。何の変哲もないごく普通の住宅の周りに、ゲーリーはトタンの波板や金網を張り巡らせ、木とガラスでスカイライトをつくったりして、前代未聞の増築を施したのだ。
ガラクタのような外観に近隣の住民は眉をしかめ、クライアントは逃げて行った。だが、粗雑な建材を用いながら、最高に美しい空間のコンポジションを実現したゲーリーには、世界中から注目が集まった。希有なものに美を見出し、独自のアイデアによって建物を実現するそのアプローチは、1997年にスペイン・ビルバオに建設されたグッゲンハイム美術館の大きな成功で、世界を納得させてしまう。
現在86歳のゲーリーは、今もほぼ毎日事務所に通い、新たな建築をつくり続けている。
文:瀧口範子
2015年10月16日に開幕となる企画展「建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"」。
「君たち、オレのマニフェストを知ってるか」はじめて面会したゲーリー氏は最初にそう言い出しました。
ゲーリーは一夜の思いつきや、ちっぽけな発想、一瞬の閃きによって建築をつくりません。大量の模型をつくっては壊し、壊してはつくり上げる輝かしいプロジェクトの数々。
アイデアを信じるゲーリーの本音のマニフェストを聞いたとき、 この展覧会のコンセプトは決まりました。」(展覧会ディレクター 田根 剛のメッセージより)
ウォルト・ディズニー・コンサートホール竣工の際に発表されたマニフェスト(2003年)を、再びゲーリー自身が読み上げる様子を本展のために撮りおろしました。真面目な表情で読み上げられる本音のマニフェストには、ひとりの建築家が闘ってきた道のりを垣間みることができます。
編集:LUFTZUG
フランク・ゲーリーのマニフェスト
まずアイデアが浮かぶ。しょうもないけど気に入る。模型をつくって嫌いになるまで見続けて、それから違う模型をつくることで、最初のしょうもないアイデアを別の見方でみる。するとまた気に入る。でもその気持ちは続かない。部分的に大嫌いになって、再び違う模型をつくってみると、全然違うけど気に入る。眺めているうちに、すぐに嫌いになる。直しているうちに新しいアイデアが浮かんで、そっちの方が気に入るけど、また嫌いになる。でもまんざらでもない。
どうするか? そう、また模型をつくって、次から次へとつくる。模型を保管するだけでも膨大な費用がかかる。でもどんどん続ける。次から次へと進めるうちに、ほら見ろ、最高傑作だ。
輝かしく、安上がりで、今までに見たことがないものだ。だから誰も気に入らない。
悔しくて死にたくなる。ところが、神様がメッセンジャーを送り込んで皆に催眠術をかけるので、皆気に入る。そしてアイデアを盗もうとする。模型も盗んで行こうとする。頭脳や魂まで持って行こうとする。でも踏ん張って、絶対にくれてやらない。
やりたいのは、新しいアイデアを生むことだけ。たった一人で新しい模型をつくり続けたい。保管するのに膨大な金がかかるので、こんなことをしていると模型の倉庫代で破産する。
これは偉大な歴史。伝説でもあり本当のことなんだ。
この続きがどうなるかと言えば、皆が嫉妬し始める。嫉妬が彼らに努力するよう仕向けるならばいいけれど、大半は壊すためにがんばる。そこんとこが厄介。
2015年5月29日、「単位展」作品の「無印良品の単位」制作チームより、良品計画生活雑貨部企画デザイン室 室長の矢野直子と建築家の佐野文彦、無印良品のアドバイザリーボードで21_21 DESIGN SIGHTディレクターの深澤直人を迎え、「深澤直人と無印良品と佐野文彦のギャラリートーク」を開催しました。
冒頭にて、深澤は「当初単位展というテーマを聞き、確固たる単位をイメージするも、自分なりの単位があるのではないかと思った」と語り、本展企画進行の前村達也が、深澤の共著『デザインの生態学』にて述べられている、ものや道具に対して身体があらかじめ反応してしまう感覚を、日常の暮らしにおける単位に置き換えるようにリサーチを行なったと続きました。
尺貫法から導き出され、無印良品の基準寸法を決めるきかっけとなり、現在の無印良品のモジュールの基礎となっている「ユニットシェルフ」を用い、居住空間をつくり上げた「無印良品の単位」。これ見よがしに何かをつくるのではなく、生活における必然性のなかでものをつくり出す無印良品のスタンスと、建築家 佐野文彦の生活に根付いた単位が、ひとつの作品として結びつくプロセスが語られました。
そして日本の生活における単位として、佐野が自ら経験した数寄屋大工のフィジカルな単位感に触れると、矢野は余白があることで生まれる豊かな空間づくりを挙げ、深澤は「決まっているモジュールで隙き間を埋めるのではなく、周辺環境をどうするかで、空間の豊かさが生まれる」と続きました。単位は、揃えてしまおうというところに価値があるのではなく、ゆるやかに人間をつなぐところに真価があるのではないかと、トークは示唆に富んだ内容となりました。
私たちが大切に守っていくべき日本の美しさとは何かを考え、日本文化の素晴らしさ、尊さを伝える『和樂』7月号の特別対談。
21_21 DESIGN SIGHTを設計した建築家の安藤忠雄と、ディレクターのひとりである三宅一生が「デザインからひもとく日常の美、日本の美」をテーマに対談を行ないました。日本の美意識や創造力から生まれたデザインを、次の世代につなげていくための試みとしての21_21 DESIGN SIGHTでの活動から、日本初のデザイン・ミュージアム設立への想いを語っています。
ここでは、10ページにわたる特集の一部を紹介します。
企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」は、多くの企業・団体との恊働により実現しました。ここでは、様々な分野で私たちの生活を支える「企業の単位」にまつわるエピソードを、本展会場写真とともにご紹介します。
株式会社 良品計画 小山裕介、岡本和士
Ryohin Keikaku Co., Ltd. Yusuke Koyama, Kazuaki Okamoto
― 本展展示作品に生きている無印良品の「単位」は何ですか
無印良品の商品において追究しているテーマのひとつに「モジュール」があります。
本展示では、そのモジュールを単位として表現しようと考え、無印良品が持つモジュールの中心であるユニットシェルフと、シェルフに収まるように設計された商品群を使って無印良品の単位を表現しました。
― あなたのお仕事でよく使う単位を教えてください
製造小売業にとって大切な単位として「SKU」という単位があります。※SKU...最小管理単位 (Stock Keeping Unit) の略。
商品で良く使われる言葉としてシリーズという単語がありますが、シリーズは一つでも、カラーやバリエーション展開が10個あれば10SKUとなります。SKUが多ければ多い程、お客様は悩み、何が本当に欲しいのか分からなくなり、製造する側も在庫が余分に増え、無駄な商品が多く生まれる可能性があります。
無印良品において、SKUは極力少なく開発しようという想いがあります。
それは、余分な要素を極力減らす事で、なるべく省資源、省エネルギー、これでいいと思える最適な商品づくりに繋がると考えているからです。
― 無印良品らしさにつながる「単位」があれば教えてください
無印良品では日本の住宅に使われている「尺貫法」を元に、基本となる寸法を定め、大型家具から小物の収納用品に至るまで当てはめて設計しています。
その結果、無印良品の収納は無理なくきれいに収まり生活空間に溶け込みます。
― 無印良品の中にある、「単位」によって生まれる景色を教えてください
無印良品の収納箱には、木、布、紙、樹脂、竹など様々な素材のものがありますが、全て共通の基準寸法で出来ているので素材の違うアイテム同士でも自由自在に組み合わせることができ、きれいに収めることができます。
― 「単位展」ご来場者へのメッセージをお願いします
無印良品が建築家・佐野文彦さんの感性に触れ、これまでの無印良品にはなかったひとつの表現の作品となっております。収納と生活空間が一体化した壁のない空間は、日本建築の伝統的な考え方に対する無印良品としての変わらない尊敬の念と、これからの生活空間への提案を表現しています。
様々な角度から、鳥の目、虫の目でご覧いただき何かを感じ取っていただけたら幸いです。
企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」では、「みんなのはかり」と題し、各界で活躍する8名の方に、「単位」「はかり」をテーマに思い入れのあるものをご出展いただきました。ここでは、それぞれの「はかり」に込められた思いやエピソードを、会場写真とともに紹介します。
「ヒューマンスケールの計り」 クライン ダイサム アーキテクツ
私達は無意識に自分のいる空間を計っている。建築家として空間をデザインする際、身近なオフィスで寸法を感じ、大きさを再確認する。クライアントには、彼らが馴染みのある身の回りの物を使いながらスケールを感じてもらう。
展示模型では、オフィスのサイズを以下のものと比較している。
- アルテックの椅子
- オフィスデスク
- 畳
- ミニカー
- ラッシュ時の山手線車両
「みんなのはかり」参加作家
葛西 薫
木内 昇
クライン ダイサム アーキテクツ
作原文子
高山なおみ
皆川 明
Jasper Morrison
柳本浩市
企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」開始前の2014年11月より、多摩美術大学環境デザイン学科の実技課題として、「単位展」の会場構成をインテリアコースの学生30名が考えました。学生たちは、本展会場構成の監修を担当したトラフ建築設計事務所の鈴野浩一と、TONERICO:INC.代表でデザイナーの米谷ひろしの指導のもと、各々の考える「単位展」の空間を提案しました。
21_21 DESIGN SIGHTの休館日を使った中間発表などを経て、2015年1月には、展覧会企画チームが多摩美術大学を訪れ、成果の最終発表となる講評会が開かれました。
この度、講評会で選出された5作品が、多摩美術大学 八王子キャンパスで展示されます。30分の1模型やCGイメージを通して、コンセプトの構築から最終的な展示空間の落とし込みまでそれぞれ違う、個性ある5つの「単位展」をお楽しみください。
日時:2015年4月21日(火)- 25日(土)9:00〜20:30(最終日は15:00まで)
場所:多摩美術大学 八王子キャンパス デザイン棟1階ギャラリー
また、多摩美術大学環境デザイン学科では、学生たちが課題に取り組む様子をブログに記録しています。ぜひご覧ください。
>>多摩美術大学環境デザイン学科によるブログ
「多摩美術大学環境デザイン学科 × 単位展」
現在開催中の企画展「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」に関連して、本展覧会グラフィック 中村至男と本展会場構成監修 鈴野浩一の対談が、『MdN』5月号に掲載されました。
http://www.mdn.co.jp/di/MdN/?asid=3381
いよいよ明日開幕となる「単位展 ― あれくらい それくらい どれくらい?」。
会場の様子を、いちはやくお届けします。
単位で遊ぶと世界は楽しくなる。単位を知るとデザインはもっと面白くなる。
単位というフィルターを通して、私たちが普段何気なく過ごしている日常の見方を変え、新たな気づきと創造性をもたらす展覧会です。
また、会場1階スペースを、単位にまつわるショップとして無料開放します。展覧会とあわせて、ぜひお楽しみください。
写真:木奥恵三
2015年1月12日、建築家で「活動のデザイン展」参加作家でもある長坂 常と大西麻貴+百田有希/o + hによるトーク「建築家の視点と『活動のデザイン』」を開催しました。
本展で、修理・修繕することで誰かの課題を解決する「フィックスパーツ」に参加した長坂は、このプロジェクトでは、まず「建築家として自分のカラーを主張することを求められているのではない」自分の立ち位置について考えたと話し、他人の課題との出会いから、展示している「ムーヴァブル・シェルフ」ができるまでの過程を解説しました。
続いて、大西麻貴+百田有希/o + hも、それ自体が鑑賞されるというよりも、会場に置かれた他作品の見え方を変える仕掛けとして、作品で会場構成に関わる意図で「望遠鏡のおばけ」「長い望遠鏡」をつくり始めたという話から、今回の作品につながるこれまでのプロジェクトや制作の様子を、写真やスケッチを紹介しながら説明しました。
対談はこの日が初めてという長坂とo + hの二人がそれぞれの仕事場を紹介しながら、どちらも元々ガレージがあった場所を、通りや街に開いた空間として使っているという共通点で話が盛り上がりました。長坂が「色々なノイズがある中で、どう社会と接していくかというところに可能性を感じる」と語ると、o + hの二人も「街と繋がり、その関係を続けていく」「外と内が続く場所で、問題に出会うことが解決の第一歩」と応じ、予め結論を決めてしまうのではなく、そのつど関係性のなかで前向きに互いの距離を探りながら課題を解決していくことの重要性など、ものづくりに対する姿勢にも両者の共通点が見えるトークとなりました。
現在開催中の企画展「活動のデザイン展」。本展ディレクターや多彩なプロジェクトを展開する参加作家から、本展へ寄せられたメッセージを通じて、展覧会やそれぞれの活動により深く触れてみてください。
2014年11月29日、織咲 誠と谷尻 誠によるトーク「線の引き方で世界はどう変わる?!」を開催しました。
社会とのデザインの関係を線のあり方で考察する「ライン・ワークス ― 線の引き方次第で、世界が変わる」を出展する織咲。お金をかけず、ものを使わないで機能を変えていく試みとして、自らリサーチを行う彼は、アフガニスタンでの石の上に引いた線で地雷を認識させる地雷標石など、いくつかの例を語り、線による関係性、様々な関係性を見つけていくのがデザインであると述べました。そこに谷尻は、ほとんどのものがつくり手の都合で徐々に効率的になっていったが、それに属さないものとの関わりによって、ものをつくっていくことがこれからのデザインではないかと続き、織咲の活動の意義に触れました。
その後社会一般に話は及び、谷尻は、一見して便利な世の中であるため疑うことがないが、機能性だけに捉われず、ある種ムダなものをも交えた関係性や人々の能動性を促す不便さも必要であると語りました。出展作品に対し、「自分の頭で考えて欲しい」とあえてその多くを語らなかった織咲しかり、世の中の仕組みを各々が俯瞰し、世界をどう見据えるかが、それぞれの立場で語られる内容となりました。
企画展「日本のデザインミュージアム実現にむけて展」は、来場者の皆様をデザインミュージアムの"入口"へと誘う展覧会です。
ウェブサイト上の本連載では、会場を離れ、各界で活躍する方々が未来のデザインミュージアムにぜひアーカイブしたいと考える"個人的な"一品をコメントとともに紹介します。
展覧会と連載を通じて、デザインの広がりと奥行きを感じてください。
2013年5月19日、「デザインあ展」関連プログラム「デザインの人1『働き方を考える』」を開催しました。
展覧会ディレクター 佐藤 卓をナビゲーターに、働き方研究家の西村佳哲、コミュニティデザイナーの山崎 亮をゲストに迎え、熱いトークを繰り広げました。
インテリアデザインが自らの出自であったという西村は、オフィスのあり方を考えるリサーチから、働き方の研究を開始したと言います。働くことにおいて、「成果は目的でなく結果にすぎない。結果でなく、そのための状況や環境をつくる」ことこそが大事であると述べ、いくつかの事例を紹介しました。
そして、「コミュニティエンパワーメント」、すなわち地域社会をデザイン的な思考によって、その地域に本来備わっている力を引きだすことが自らの仕事であるという山崎。彼は地域住民の主体性を促し、過程において自然と出来上がるコミュニティ(動き)こそが最も大切であると述べました。
続いて、議題は西村と山崎が共に仕事において、常に「聞き手」であることに移りました。西村は、「発信能力よりも受信能力の高い人の多い方が社会にとっては良い」と言います。これは、山崎が地域社会で交錯した人々の想いを、外の立場からニュートラルに聞き取り、人々の行動に結びつける過程に現れています。
そして、話は「これからの働き方」へと移りました。山崎の会社スタッフは各々が個人事業主であり、予算配分の残額が個人収入となるため、各々でスキルを上げてゆくとのこと。また西村は、自社を立ち上げる際、クライアントありきでなくメーカーとしてプロダクトもつくることにしたそう。そして、佐藤は自らが21_21 DESIGN SIGHTのディレクターであることを例に、グラフィックデザイナーというカテゴリーに留まらず活動していることを述べました。
トークの終わりに、佐藤は「新しいことは何でもやってみるのが良い」と話を締めました。
国立新美術館「カリフォルニア・デザイン1930-1965 -モダン・リヴィングの起源-」展との共同企画として、"ハウス・オブ・カード"を使ったワークショップを、2013年4月27日「デザインあ」展の会場内で開催しました。
"ハウス・オブ・カード"(House of Cards)は、ミッドセンチュリーの代表的デザイナー、チャールズ&レイ ・イームズが1952年にデザインした組み立てて遊ぶカードで、糸巻きやボタンなど身近なモティーフをカラフルなパターンとしてとらえているのが特徴です。
ワークショップでは、カードのアイデアを元に、ご来場のみなさまがつくった「デザインあ展」のオリジナル"ハウス・オブ・カード"をつかって、本展参加作家の岡崎智弘と寺山紀彦(studio note)が家をつくりました。
映像制作:岡崎智弘
2012年3月3日に行われた、坂 茂(建築家)によるトーク「『アーヴィング・ペンと三宅一生 Visual Dialogue』展+ポンピドゥー・センター・メス+災害支援活動」の動画をご覧頂けます。
6画面の大型プロジェクションでアーヴィング・ペンの写真を投影しているギャラリー2の展示で使用されている椅子は、本展の会場構成を担当した坂 茂が、フィンランドを代表するインテリアメーカー アルテックのためにデザインした10 UNIT SYSTEM。
その名に示されるように、10点のL字ユニットから構成されています。会場では椅子や背もたれのないスツールとして使用していますが、このほかにもテーブルのフレーム等、いろいろなかたちに組み立てることができます。簡単に組立および解体が可能でもあり、さまざまな組みあわせによって、独自の空間プランをつくり出せます。
また、使用されている素材はUPM ProFi という再生プラスチックと再生紙の混合材です。これはペットボトルなどに使用される粘着ラベルの製造過程でうまれる端材を原料としており、このうちリサイクルされた素材が占める割合はおよそ60%。プラスチックと木の繊維の特徴を兼ね備え、耐久性に優れ湿度や紫外線による影響も受けにくいため、屋内外を問わず幅広い場面で使用することができます。さらに、素材を再度製造工程でリサイクルすることや有害物質を出さず焼却することもでき、製品のライフサイクルを通して環境に負荷が少ない方法が実現されています。
www.artek.fi
「安藤忠雄/仕事学のすすめ〜自ら仕事を創造せよ〜」
NHK教育テレビ(Eテレ)
全4回 午後22:25 〜 22:50 毎週水曜日
第1回:3月7日放送、3月14日再放送
第2回:3月14日放送、3月21日再放送
第3回:3月21日放送、3月28日再放送
第4回:3月28日放送、4月2日、5日再放送
番組ホームページ
建築家の安藤忠雄が「混迷の時代にこそいかにして自ら仕事を創造するか」ということについて語り、その仕事を振り返る全4回に渡る番組です。
第3回(3月21日放送、3月28日再放送)の中で安藤は、21_21 DESIGN SIGHTの着想から完成までのプロセスを通して、三宅一生との出逢いを振り返り、そのやりとりから生まれた想いを語ります。
是非ご覧下さい。
6月19日、「倉俣デザインの未来を語る」と題し、倉俣史朗の作品をリスペクトする若い世代の建築家によるトークが行われました。
冒頭に展覧会ディレクターの関康子より、すでに故人となった倉俣史朗とエットレ・ソットサスの大きな業績や人間性を若い世代に知ってほしい、またその想いを引き継いでほしいとの思いから本展を企画したことが述べられました。
この後はデザインディレクターの岡田栄造が進行役となり、建築家の五十嵐淳、中山英之がそれぞれに倉俣デザインの体験を語ります。
まずは岡田、五十嵐、中山の三人が、どう倉俣の作品に出合ったか。
1970年生まれの岡田と五十嵐、1972年生まれの中山は、倉俣の晩年は大学生で、彼の仕事を現役で見ていた最も若い世代です。
卒業論文も倉俣がテーマだったという岡田は、大学に入って間もなく雑誌の特集を通じて「ミス・ブランチ」を目にし、世界的に大きな評価を得ていることを伝える記事とともに大きな衝撃を受けたと言います。
北海道出身の五十嵐は、同時期に札幌の洋書店でやはり「ミス・ブランチ」が表紙だった書籍を見つけて、理論を超えて感覚に訴える魅力を感じたそうです。
一方中山は、美術の勉強を始めたころに、美術書の専門店で椅子に関する本の中で「ミス・ブランチ」を知り、その本の中で並べられたイームズ(当時はエアメスだと思っていた)等の作品に比べて倉俣作品は謎である、という印象を受けたそうです。
三者とも「ミス・ブランチ」をきっかけに倉俣作品に出会い、その体験を衝撃からスタートさせました。
次に三人が倉俣作品をどう見ているのか、それぞれにベスト3の作品を挙げて語ります。
五十嵐のベスト3は、まず花柄のオフィスチェア(赤いバラの布ばりコクヨ椅子、1988)。これは普段よく見かけるタイプのオフィスチェアの張地を赤いバラ模様の布にしたデザイン。実は倉俣が事務什器のコンサルティングをしていたときのサンプル品で流通はされなかったそうです。しかしオフィスの中で働く人が少しでも自由を感じられるよう使用する人が張地を選べるようにと考えた倉俣の作品からは、デザインが現実にどれだけ自由をもたらすことができるかという強い意志を感じることができると述べました。二番目に選んだのはClub Juddの内装(1969)。スチールパイプを積み上げ、曲げた壁は単一素材の持つピュアな印象から逸脱しています。解釈する者の「誤読」の幅をどれだけ広く持てるか。これを五十嵐は「夢」と表現しました。
三番目は「エドワーズ本社ビルディング」の内装(1969)。蛍光灯の柱を林立させたデザインはこの後の五十嵐の作品にも影響を与えているのではないかと言います。
中山のセレクト一つ目は「Flower Vase #2」。鉄筋コンクリートを例に出し、圧縮に強いコンクリートと伸長に強い鉄を併用することで理想的な素材になったことと同じように、透明なアクリルの中にカラーのアクリルを埋めることで、カラーのアクリル単体より、より強く色を感じることができると述べました。
二番目は「64の本棚」(1972)。これはあらかじめ64に細かく区切られた棚で、使いやすさやフレキシブルの逆をゆく家具。しかし中山は、ものに主導があるような不条理が却って使い手に思考するきっかけを与えるのではないかと言います。
三番目は「ハウ・ハイザ・ムーン」(1986)。通常のソファーが皮張りや布張りであるのに対し、これはメタルのベンチ。なんのためにつくったのだろうという謎を中山は現代美術を参照しながら「ない」を表現したものではないかと述べます。倉俣が語った「一日に座っている時間より座っていない時間の方が多い」言葉を引用しながら椅子に座らないことで座ることを考えさせる椅子だとまとめました。
岡田のベスト3は、まず倉俣の代表作「ミス・ブランチ」。いわゆるモダンなデザインは装飾的要素を削除しストラクチャーのみで構成しているのに対し、「ミス・ブランチ」では表面に施すような花のモチーフを椅子の内部に埋め込み、装飾の構造化に挑んでいると述べました。「ミス・ブランチ」から20年以上たった今、様々な価値観が存在するなかで合理的なものとそうでないものの差がなくなってきているのではないかと指摘。倉俣の作品はこの光景を予見していたのではと驚くとともに、これからのデザイナーの役割について考えさせられると述べました。
二番目は「ラピュタ」(ベッド、1991)。特徴的に細長い形状から、岡田は倉俣の独特の身体性に言及しました。これについて中山は完成形の放棄に対する倉俣の責任の取り方だと述べ、五十嵐も、ベッドはこうあるものとすぐ分かる形を放棄してこそ使い手に自由を与えていると述べました。
三番目は「アモリーノ」(1990)。一見普通のキューピーですが背中の羽を動かしながら回転し、ウインクをする仕掛けになっています。通常、道具は身体の拡張手段としてデザインされているが、このキューピーはそれ自体が意志を持っているよう。無邪気でかわいいだけのはずのキューピーが「あなたをわかっています」とウインクする恐ろしさ。人型ロボットなどを参照しながら「意志を持つもの」がデザインの中に増えている現状もふまえて倉俣はここでも何かを予見していたのではないかと語りました。
トークは次に、倉俣作品とそれぞれ自身の作品との接点に展開。
五十嵐は自身の作品から「矩形の森」(2000)、「大阪現代演劇祭仮設劇場」(2005)を挙げ、これまで空間のなかで邪魔と扱われていた柱の採用、塩化ビニールによる抽象的な外壁の採用を通して使い手の方向性を決定しない空間づくりをしてきたと述べました。
これは続いて発表した中山の設計した北海道の平原でのカフェにも通ずる考えで、建築やデザインそのものに意味や用途を込めるのではなく、環境のなかで使い手が行動するための、きっかけとしてのものづくり。
中山は、この発想を教えてくれたのは倉俣だったと述べました。
さてトークはいったんここで終了。質疑応答に移ります。
トーク中に多く出た「椅子」について、登壇者のそれぞれがデザインする場合は何に注力するかという質問に対して、中山は自分が座ることと自分が座っている状態の全てに意識的でいたいと述べ、五十嵐は建物の天井など体に直接触れない部分に比べて椅子は迷う部分が非常に多いが、感覚的な問題と論理的な問題に優劣をつけずに実現させたい、一方で倉俣の椅子は無限に広がりをもっており今後も目標となるだろうと述べました。
話題がソットサスの「バレンタイン」(1969)に及んだとき、このタイプライターがデザインされた当時、タイピングは女性がオフィスでするものだったが、ソットサスはポータブルなデザインとオフィスらしからぬ赤い色でこの職業に自由を与えたエピソードが出ました。
また、倉俣が「管理者側から考えられているファシスト的なデザインは嫌だ」と述べた話から、岡田は彼らのデザインが用途や状況に束縛されたものではなく、とても「民主的」で、誰にとっても開放されたものであった、と述べ、思想的に引き継ぎながらも現在の社会と関わっていく中でわれわれはデザインを続けていく必要がある、とまとめました。
2月11日、建築家 磯崎 新と、インターネットによる公募から選ばれた井上真吾、松原 慈、溝口至亮、Nosigner、鈴木清巳5人を登壇者に迎え、展覧会特別シンポジウムが行われました。
まずは本展ディレクターであり、今回はモデレーターも務める関から展覧会や、倉俣史朗とエットレ・ソットサスの生涯や仕事の軌跡について紹介。その後シンポジウムは2部構成で進みます。
関から話し手のバトンが渡されると、第一部は磯崎による「ポスト・フェスティウム(祭りの後に)――エットレ/シローの1975年」と題したレクチャーがスタート。磯崎はメンフィスが始まる前の時代、倉俣とエットレが何をしていたのか、どんな付き合いがあったのか、その時代を同じく過ごした目線で語りました。
レクチャーの中では、ソットサスと倉俣がそれぞれ参加していた展覧会についても紹介。1976年「MAN Trance FORMS」展でそれまでしていたような「デザインをしたくない」といってソットサスが出展した写真作品は、「芸術的ではなく、ただの写真であった」といいます。一方、1978年「間」展に磯崎たっての希望で参加した倉俣は、出来たばかりの硝子同士の接着技術を使って、硝子の板で瞑想の部屋を作りました。
60年代にはどれだけ目立つかが「デザイン」だったが、70年代は「自分自身とデザインを批評しながら追い詰めていく」という、複雑な思想をもったジェネレーションだったと、彼らを見ていた磯崎はのちに理解したといいます。
それからソットサスと倉俣のプロダクトを、磯崎自身の作品や現代の作家の作品と比較しながら紹介。メンフィス以前の時代から30年後の今、当時のものづくりの姿勢を復活させようとしている人たちがいるようだ、と磯崎は締めくくりました。
磯崎のレクチャーが終わると、5人の登壇者も登場。第二部は自らの活動や開発を発表した後、磯崎に質問をするかたちで始まりました。
当時と現代との違いや、似ている点、その中であるべき姿勢を語り合う中で、磯崎は倉俣やソットサスとのエピソードも披露。毎日1個ずつデザインをしていかないと追いつかないほど忙しかったという倉俣や、ソットサスとのユニークな会話の思い出に、会場からは笑い声も聴こえました。「現代に生きていたら2人は何をすると思いますか?」という質問に「昔と同じことをやるか、やらないかどっちかだろうと思う」と答えた磯崎。ものづくりに関わる環境や社会状勢が変化している中で知的に想像するのは難しいといいます。2人がいた時代を想像しながら、現代のこれから見据える登壇者たちの発言に、磯崎は大きく頷きました。
最後に関から、展覧会のキーとなっている1980年代がどのような時代だったかを質問。磯崎は「ポストモダンの時代に進む中間で、近代を否定しながらも次を見通せていたわけでもない、ごちゃごちゃとした時代だった」と答えました。かつての環境や情勢、デザインへの思考が、30年後に再びメジャーとなる「30年サイクル」の存在を説くと、倉俣やソットサスと過ごした80年代から30年たったのは今であると提言。以前と同じことをそのまま繰り返すのではなく、次に時代を作らなければならないのは君たちだ、と力強いエール送りました。
登壇者の背中をおす温かな拍手に包まれて、シンポジウムは終了となりました。
現在、各地で活動している「ポスト・フォッシル」なものづくりを行うクリエイターを迎えたトークシリーズ。1回目の出演は建築家の藤本壮介です。
藤本が今回のトークのテーマに挙げたのは「プリミティブ・フューチャー」。今までの建築を自由に発想して「再構築」するということを、これから自身の建築に取り入れたいといいます。クリエイターは日々、素材や用途を問い直しながらものづくりに取り組むものであるとし、本展を通して、素材や作品の成り立ちに関してさまざまな問いが会場にあふれているのを感じ、「勇気をもらった」というエピソードも。
これまでの建築作品をモニターに映しながら、トークは進んでいきます。森の中に建つキューブ状の家や、東京の路地をイメージさせる部屋のある子どものための精神医療施設、いくつもの家が積み重なったような集合住宅、拡張する本棚をイメージした大学図書館など、ロケーションも多様です。
何もデザインしていないような、人間のためにしつらえられていない洞窟でも、きっかけがあれば如何様にも住むことができてしまう。そんな無限の可能性を持った建築ができれば、と藤本は語ります。化石燃料時代の機械を組み立てるような人間のための建築の先、未来に建つ住まいを想像できる充実した時間となりました。
4月11日土曜日午後、2回にわたり、建築家 安藤忠雄によるギャラリートークが開催されました。 21_21 DESIGN SIGHT の建築を設計した安藤は、今回の「U-Tsu-Wa/うつわ」展の会場構成も手がけ、展示のみどころについても話しました。
建築の分野に限らずさまざまな世界で活躍している安藤は、都市とは「緑」と「文化」があって成立するものだとの意見。ヨーロッパにみられる都市には活気のある文化施設があり、東京も是非、文化施設を大切にして欲しい。日本を「チャンスのある国」、外国人に対して「開かれた国」にし、誰でもチャンスを求めて日本に来るような「文化の国」にすべきだと語りました。
各回200名程の方にお集りいただき、トークの後にはサイン会も行い、大変にぎわいのある土曜日の午後となりました。
安藤忠雄の会場構成
両掌ですくいあげた、小さな宇宙----三宅一生が3作家のうつわから感じとった「宇宙」の空間表現は、安藤忠雄の手に託されました。それは、かつて自らが出会った感動のかたちを、次の時代の担い手たちに、ガラス越しではなく、直接届けたいという想いからです。
安藤忠雄が描いたのは、「水面に映える夜空の星」。水盤や粉砕ガラスの上に、3作家が持って生まれた星座----ルーシー・リィー(魚座)、ジェニファー・リー(獅子座)、エルンスト・ガンペール(牡羊座)----をなぞるように、うつわを浮かべました。2万8千個のガラス瓶を敷き詰めた水盤が、壁面に設えた滝のかすかな音とともに、会場内に静かな緊張感を生み出しています。子どもの頃に見た川の美しさを、いつか違うかたちで表現したいと考えていた安藤。会場の水の流れに対峙するように、サンクンコートには青々とした麦が生い茂っています。
安藤忠雄のギャラリーツアーが行われました。
ギャラリーツアーは、4月にも予定されています。
安藤建築の中で、会場構成も安藤自身が手がけた「U-Tsu-Wa/うつわ」展。当日はたくさんの方がトークを聞くために集まりました。トークでは、三宅一生の服づくりのコンセプト"一枚の布"から着想を得てつくられた21_21 DESIGN SIGHTの建築についての話を交えながら、今回の会場構成のポイントについて語られました。
今回の会場構成について安藤は、「三作家の高い美意識を際だたせるような演出を考えた」とし、「水」を使った演出にもついても触れました。小さい頃に見た川の美しさが忘れられず、その美しさを違う形に置き換えたいと常々考えていたという安藤。今回の演出では、水を使いながら「視覚だけなく、聴覚にも訴えるものにしたかった」とのこと。壁面に水を流す演出によって三作家の力強くも静謐な世界観を表現したかった、とその思いを語りました。
ルーシー・リィー、ジェニファー・リー、エルンスト・ガンペール。三人のアーティストのつくる〈うつわ〉には、生活文化としてのデザインの可能性が、実に豊かに示されている。
とりわけ、ルーシー・リーの作品は、一つ一つが前世紀の百年を陶芸に賭けて生き抜いた彼女の人生の結晶のようだ。モダニズム造形美の極みともいうべき、優雅に研ぎ澄まされたフォルム。美しさと同時に温かみを感じさせる、微妙でデリケートな陶器の素材感。あの白に輝く器たちの透明感は一体何なのかと、彼女の作品を目にするたび、不思議な感動を味わう。
展覧会では、彼女らのみずみずしい感性がより直接的に伝わるような空間演出を考えた。展示室内に水盤をつくり、その水の上に作品を浮かべる。流れる水という空白を介して、その静と動の狭間で、美しいうつわと対峙するという展示構成だ。訪れる人が、作品を通じて、それをつくった作家の心を感じられるような、展覧会になればと思う。
安藤忠雄
11月30日、ガーデナーのディビット・ポラードと建築家の和久倫也によるこども向けワークショップ「小枝でまちを作ろう!」が開催されました。
ポラードと和久は、この夏から、国立や奥多摩などで採集してきた木の枝を使って家を作るプロジェクト「Natural House」を行ってきました。今回のワークショップは参加者がこの家を中心に見える景色をスケッチし、そこから自由に建物や乗り物を枝で表現し、街を作り上げるというもの。制作用に東京ミッドタウン内で集めた枝も特別に加えられました。2人がこの日のために21_21 DESIGN SIGHTのテラスに建てた家には、イチョウ・カエデ・サクラなどの枝が使われ、使い終わったトマト缶で枝と枝をつなぐアイデアに、来場者は驚きの様子でした。
こどもたちは真剣な様子で枝を選び、ポラードと和久に手伝ってもらいながら制作を行っていました。次第に周りで見ていた父兄も制作に参加し、色とりどりのテープやネットや洗濯バサミなどで飾り付けをし、個性的で賑やかな街が完成していきました。会場では、青空の下、親子の楽しそうな笑い声が響いていました。
「枝のさまざまなかたちや質感を直接肌で感じてもらいたい。そこからインスピレーションを受け、デザインした街を自分の手で作り上げることでこどもの創造性が高まるのではないか」とポラードと和久。
私たちのすぐそばにある自然について改めて考えるきっかけを与える今回のワークショップは、展覧会のテーマ「セカンド・ネイチャー」につながっていました。
21_21 DESIGN SIGHT 建築についての安藤忠雄のことばから
...かつて、ポール・ヴァレリイとポール・クローデルが対話し、「世界中の民族の中で滅びては困る民族がいるとしたらそれは日本人だ」と言ったことがあります。私はそれを、日本人の固有の美意識を滅ぼしてはならないということだと解釈しています。美意識には、たとえば責任感とか正義感といったものも含まれます。なかでも人や自然に対する礼儀、生きていくことへの礼儀。あるいは、ものをしっかりと見つめることもそうでしょう。
ところが、1960年代に高度成長期を迎えると、お金が儲かればいい、お金があれば豊かになれるという考えが主流になり、かつての美意識はどこかに消えてしまった。東京の街を見ればわかります。美しさを求めた景観ではありません。経済効率を優先した結果ですよ。
かつてイサムノグチさんとお会いした時、「ニッポンの美意識を取り戻さなければならない」と言われていました。
私と三宅一生さんとのつきあいは、35年くらいになるでしょうか。
「デザインという美意識の中に賭けている」と言っていた田中一光さんと3人で、いつかデザイン・ミュージアムを作ろうと話をしていた、そういった経験が、今に繋がっているという思いもあります。
日本が持つべき顔とは、美意識のある国としての顔ではないか。これを実現するために21_21 DESIGN SIGHTという考え方が必要だと思っています。
...経済効率一辺倒で無計画につくられた日本の都市へのアンチテーゼとして。もっと都市を美しくという意識をもって、私はこの21_21 DESIGN SIGHTに参加しています。
21_21 DEISGN SIGHTは5感を使って「見る」場所
2006年12月4日 東京ミッドタウン内、21_21 DESIGN SIGHTにて収録
構成/カワイイファクトリー 撮影/ナカサ&パートナーズ 吉村昌也
21_21 DESIGN SIGHTの建物は、エントランスを抜けて地下のギャラリーに達すると、外観からは思いもつかないダイナミックな空間が広がっています。ギャラリーは大小あわせて2つ。それを示すサインは照明によってコンクリートの壁面に映し出される、1と2の数字のみ。ギャラリーのほか、サンクンコートあり、秘密めいた通路ありの空間で3月30日から始まる、21_21 DESIGN SIGHTのプログラムにどうぞご期待ください。
2006年12月、竣工間近の21_21 DESIGN SIGHT(以下、21_21)をディレクターが訪れ、ほぼ完成した建物を見学しました。実際の空間を見ながら行なわれた今回のディレクターズ放談は、意気高揚しつつも21_21およびデザインの核心に迫る内容となりました。
安藤建築の魅力は空間を体験することで見えてくる
(一同爆笑)
21_21 DESIGN SIGHT ディレクターによる放談シリーズ、第3回目をお届けします。三宅一生と深澤直人が、東京タワーの大展望台から東京の街を眺めながら、都市、文化、デザインについて対話します。
21_21 DESIGN SIGHTの設計を手がける建築家・安藤忠雄氏。氏はこれまで数多くの文化施設設計にたずさわってきましたが、21_21 DESIGN SIGHTの設立には特別な思いがあります。今、なぜ21_21 DESIGN SIGHTなのか、その思いを語っていただきました。
今、必要な日本の顔とは――
仕事柄、世界各地を飛び回っていろいろな方と接していますと、しばしば「日本には顔がない」と言われます。「顔が見えない国」と。経済は顔が見えているどころか、もうずいぶん長い間リーダーシップを取っています。けれども。私はもうひとつ日本の顔が欲しいと思う。
日本は世界でも珍しく大衆文化をしっかりと根づかせてきた国です。江戸時代から続く文楽、歌舞伎、浮世絵、俳句など、そういった文化を支えているのは、生活を楽しむという美意識だと思うのです。
その文化の奥には、日本の自然観がある。生活のなかで、つねに感動をもって春夏秋冬に接してきた。これはヨーロッパなどと比べてもとても珍しい感情で、日本人の感受性の高さを示していると思うんですね。
...かつて、ポール・ヴァレリイとポール・クローデルが対話し、「世界中の民族の中で滅びては困る民族がいるとしたらそれは日本人だ」と言ったことがあります。私はそれを、日本人の固有の美意識を滅ぼしてはならないということだと解釈しています。美意識には、たとえば責任感とか正義感といったものも含まれます。なかでも人や自然に対する礼儀、生きていくことへの礼儀。あるいは、ものをしっかりと見つめることもそうでしょう。
ところが、1960年代に高度成長期を迎えると、お金が儲かればいい、お金があれば豊かになれるという考えが主流になり、かつての美意識はどこかに消えてしまった。東京の街を見ればわかります。美しさを求めた景観ではありません。経済効率を優先した結果ですよ。
かつてイサムノグチさんとお会いした時、「ニッポンの美意識を取り戻さなければならない」と言われていました。
私と三宅一生さんとのつきあいは、35年くらいになるでしょうか。
「デザインという美意識の中に賭けている」と言っていた田中一光さんと3人で、いつかデザイン・ミュージアムを作ろうと話をしていた、そういった経験が、今に繋がっているという思いもあります。
日本が持つべき顔とは、美意識のある国としての顔ではないか。これを実現するために21_21 DESIGN SIGHTという考え方が必要だと思っています。
美意識をもった建築
21_21 DESIGN SIGHTの建築を説明するならば、やはり巨大な一枚の鉄板による造形ということに大きな意味があると思います。日本の高い技術力を象徴するものと言えるからです。
鉄板は膨張と厚さの問題があります。それをクリアして造形する技術、解析する技術の両方が必要です。設計が現実のものとなるのは、高い技術力が現場にあるからこそなのです。
また、工事には欠かせないスケジュール管理、日本人はこの点に優れているのです。たとえば、日本の新幹線はめったに遅れない。私はイタリアでミラノとベニスをよく往復しますが、20分くらい遅れるのは当たり前のことです。でも誰も何も言いません。
スケジュール管理が優れているということは、品質管理が優れているということにもつながる。それらはすべて心、美意識からきているのです。この心を取り戻すために、21_21 DESIGN SIGHTは役立たなくてはならない。
そして経済効率一辺倒で無計画につくられた日本の都市へのアンチテーゼとして。もっと都市を美しくという意識をもって、私はこの21_21 DESIGN SIGHTに参加しています。
2006年6月22日 東京ミッドタウン内にて収録
構成/カワイイファクトリー ポートレート撮影/五十風一晴